外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉 公演情報 劇団青年座「外交官〈前売券完売/当日券若干枚あり〉」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    虚構を交えながらも、歴史を物語にすることは、過去を検証する糸口を示してくれる
    「A級戦犯に問われた外交官たちの証言から開戦の真実に迫る」とフライヤーにあった。
    ということは……、と思って観た。

    ネタバレBOX

    やはりパラドックス定数・野木萌葱戯曲は素晴らしい。
    戦争の始まりへの分岐点にかかわった(かかわってしまった)外交官たちから見た戦争を描く。

    舞台は、極東軍事裁判開廷の直前に5人の外交官たちが揃うところから始まる。
    そこが起点となることで、「どうして戦争になってしまったのか」「戦争を避けることはできなかったのか」という点が語られる。

    ミズーリ号艦上での調印式や満州事変勃発、満州国、国連脱退、ベルリン大使館、三国同盟締結など、大陸での戦闘行為が拡大し、さらに太平洋戦争への突き進む「分岐点」を、舞台の上で行き来する。

    外交官同士の反目や、軍部との関係、そして世論に揉まれながら、戦争へ突き進むという選択をしていく。
    それは、小さな選択であったのかもしれないが、戦いに敗れ、戦犯になってしまったということから、「分岐点」になっていたということに、理解が及ぶのだ。

    すなわち、自分たちの、小さな妥協や単眼的な視点が日本を悲惨な災いの中に放り込んでしまった。

    最初の一歩は何だったのだろうか。
    広田弘毅は、「軍部大臣現役武官制」の復活だったと悔やむ。

    この舞台の設定は、先に書いたとおり、東京裁判の開廷前にある。
    そこから始まって、そこへ向かってストーリーは進む。
    重光葵が声を掛け、「裁判対策」と称して元外交官たちを集め、帝国ホテルの一室で話し合いをする。

    なぜ、重光葵は「裁判対策」と称して会合を持ったのか。
    そこは疑問であったが、物語が進むにつれて明らかになってくる。

    つまり、日本国の、同じ外交官であったとしても、ライバルのひとりであったり、上司や部下の関係であったりすることで、互いの心のうちがわかっていたわけではなかったのだ。
    ある意味一匹狼のごとく、国内外と対峙していて、その都度、選択し決断しなくてはならなかったからだ。

    だからこそ、彼ら外交官には、この戦争の責任の一端があるのではないか、ということなのだ。
    そのときほかの外交官ちが「何をどう考え」「どう行動したのか」は、裁判において自分の事案とも密接に関係するからこそ、「裁判対策」が必要だったのだろう。

    彼ら外交官の小さな判断ミス、小さな譲歩が戦争に向かわせてしまった、と考えるのは無理がないのだ。

    戦前・戦中の威勢の良さとは異なって、悔やむわけであるし、責任を感じるわけなのだ。
    自分たちの戦争への責任とは、「あのときできなかったこと」「あのときに世界情勢が見切れていなかったこと」など、忸怩たる想いから生まれていった。

    そこは東京裁判の問題点などとは関係なく、純粋に自分ができなかったこと、判断したことで、災いを被った国民へのお詫びの気持ちから出たものであろう。

    彼らに付き従う若い次官たちとは、そのあたりに隔たりがあるのが、リアルだ。

    最初のシーンは、極東軍事裁判開廷直前であり、ラストのシーンも同じシーンとなる。
    しかし、少しだけ違うところがある。
    法廷に呼ばれて部屋を退出するときに、それはあった。

    広田弘毅が、出口で歩みを止めて、重光葵に何かを言おうとするが、言わずに終わり、重光葵がそれを察するのが最初のほうである。
    そして、ラストでは、同じように広田弘毅が歩みを止めて、重光葵に「この中から、誰かが犠牲にならなくてはならない」(正確な台詞ではないがそんな内容のこと)を告げる。

    多くの観客が知っているように、広田弘毅は唯一、文官でありながら、A級戦犯として死刑になった人だ。
    裁判では何も語らなかった。
    重光葵が開いた「裁判対策」で広田弘毅は自分の過ちを重く受け止めてしまったということだ。
    もちろん、このような「裁判対策」は、フィクションであろうが、広田弘毅の中では同様の振り返りが起こっていたのかもしれないのだ。

    「A級戦犯に問われた外交官たちの証言から開戦の真実に迫る」とフライヤーにあった。
    ということは、広田弘毅が何をどう考え、そしてどう行動したのか、という点が物語の中核をなすのではと思っていた。
    文官として唯一A級戦犯で死刑判決となった人だからだ。そこには物語がありそうだ。

    しかし、野木萌葱さんは、そこに直接的な焦点を当てなかった。
    彼の個人的な問題よりも、もっと大きくて根本的なところに焦点を当てた。すなわち、「なぜ戦争が起こって(を起こして)しまったのか」を、外交の分岐点に絞って見せたのだ。

    したがって、盛り上がりそうな、裁判の判決については何も語らないのだ。後日談的なものもない。つまり、広田弘毅を非劇のヒーローにしなかった。潔い。
    これは盛り上げたいという気持ちと、作品としての終わらせ方としてはこれでいいのだ、という相克があったのではないか、というのは素人考えだろうか。

    物語は、順を追えば、なんとなく昭和のピンポイントの歴史が見えてくるようにはなっている。
    しかし、満州事変から東京裁判ぐらいまでの歴史が、ざっくりとでも頭に入っているのといないのとでは見え方が異なってくる。
    とてもうまいつくりだと思う。

    虚構を交えながらも、歴史を物語にすることは、過去を検証する糸口を示してくれる。
    70年戦争をしていない国に生まれ育っているにもかかわらず、一番近い戦争の歴史を、学校でほとんど習ってこなかった、私たちへ、「戦争」を考えるきっかけのひとつになるだろう。

    この作品では、性急な結論を出しておらず、(自分の業績のことも考えつつも)誠実に仕事をしたことが戦争につながってしまうこともあるのだ、ということを知ることができるだろう。

    もちろん、作者の意図や気持ちは、フィクションの中の登場人物たちが語ってくれているので、それを汲み取る必要はあるのだが。

    ひとつだけ気になったのは、軍部や政府には、この戦争は「自存自衛」であるという考えが支配していたと思うのだが、その点について外交官たちはどのようにとらえていたのかを語ってほしかった、ということ。

    野木萌葱さんの劇団、パラドックス定数は非常に面白い。
    戯曲の面白さもあるが、役者さんたちの熱があるからだ。
    とても誠実で丁寧な演技だ。
    熱っぽい男祭りな舞台だ。

    しかし、若いということが唯一気に掛かるところでもあった。
    今回、青年座の舞台で、年齢にバラエティが出て(しかも高めで)、野木戯曲がさらに深みを増したようだ。
    演出の黒岩さんには申し訳ないが、野木さんの熱っぽい演出でも観たかったと思った。

    青年座の役者さんたちは、さすがにいい味を出している。
    重光葵を演じた横堀悦夫さんは、青年座で前回観た『鑪―たたら』で演じていた軽みとは打って変わって、気骨ある外交官を好演していた。
    松岡の右腕を演じていた山賀教弘さんは、独特の飄々とした感じと、一気にテンションを上げた演技が印象に残る。

    野木萌葱さん(パラドックス定数)は、『東京裁判』『昭和レストレイション(226事件)』そして『外交官』と、ピンポイントで、このあたりの昭和史を描いているので、次はどんな角度で、何を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

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    2015/08/10 05:04

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