「贋作幕末太陽傳」 公演情報 椿組「「贋作幕末太陽傳」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    花園神社進出30年目、夏の風物詩
    団扇で風を入れながら、新宿の喧噪をBGMにし、テント芝居を楽しむ。
    椿組の芝居は、内容も濃く、楽しい。

    ネタバレBOX

    鄭義信さんの脚本がとてもいい。
    深みと人の情が伝わってくる。
    「演劇」らしい楽しさがある。

    「脚本家」になりたかった映画館館主と「映画館の館主」になりたかった脚本家が、それぞれを「夢」のように思い出す。つまり、それぞれが、そうなっていただろうという自分を妄想し、呼びかけ合う。
    演劇らしい展開と演出だ。

    テント内の暑さと、明治通りを行き交う車のエンジン音やテントのそばを歩く人の気配と音、花園神社にお参りに来て鳴らす鈴の音など、街の喧噪も相まって、芝居を作り上げていく。
    音を含めた環境が、男たちのノスタルジー度をさらに増していく。

    ただ、気になったのは、すべて「過去へのこだわり」ばかりで後ろ向きなこと。
    2人の登場人物が「なりたかった」と思い出すのは、今自分の仕事がうまくいっていないからだ。
    脚本家は、自分の書いたシナリオを何回も書き直しを命じられ、しかも映画は遅々として進まない。
    映画館は、観客の入りが少なく、手放そうかと悩んでいる。

    想像していたような自分になっていないからだろうか。
    そんな男たちは、「なりたかった自分」を振り返る。
    「もし、そうだったら、どうなっていたのか」と。

    映画のエピソードに登場する監督も同じだ。
    過去に素晴らしい作品を撮ったのらしいのだが、今度こそは自分の思い通りの作品を撮りたいと四苦八苦している。
    迷走する映画制作に、俳優やスタッフたちもうんざりしている。
    資金も底を尽きそうだ。

    監督は、「昔の自分」に囚われすぎているからこそ、「新しい自分の作品を作りたい」と思っているのだ。つまり、過去から逃げられないままなのだ。
    脚本家を含め周囲からは、監督に対して「昔のような」作品を撮ってほしいとプレッシャーを掛ける。

    映画館の館主は、少年の頃の自分と、姉とその恋人になるはずだった復員した足の悪い男のことを思い出す。
    それも「あのとき姉が彼を追っていたら」という想いが募っていく。それは自分への後悔でもある。8ミリフィルムの中にそれを留めていく。

    どうも誰も彼もが、「昔」にがんじがらめに縛られているようだ。

    監督は、結局過去から逃げられずに、映画を諦めてしまう。その結果、脚本家は前に進むことができたのか、と言えば疑問である。
    脚本家は、実は映画館館主の妄想のひとつであったようだ。ラストで館主に集約していくことからそうとわかる。

    映画館の館主は、結局は、映画館を手放すことを決意する。しかし、それで前に進むことができたのか、と言えば、やはり疑問だ。
    唯一、映画館の撮影技師(映画館に引き籠もっていた)だけが、外に出ることができて、新しい一歩を踏み出すことができただけ。

    過去に囚われた館主が見た夢だからこそ、誰もが「過去に囚われている」。つまり、なりたい自分=脚本家になったとしても、彼は(自分は)過去を振り返っただろう、ということなのだ。

    ラストに映画館館主は、自分の過去たちと妄想の自分と、これから取り壊されてしまう映画館の座席に楽しそうに座るのだ。
    これは、「過去の自分」を「映画館とともに」、「葬り去る」のではなく、過去に囲まれた、つまり「過去に囚われたまま」の自分の姿ではないのか。
    だとすると、少々救いがないような気分だ。

    映画館館主のように、ある一定の年齢以上になってしまうと、もう先は、こんな風に「閉じること」しかないのか、と思ってしまう。過去に引きずられ、過去を振り返り、過去に囲まれて……。
    なんともやるせない気持ちだ。

    また、テント芝居の常として、ラストは舞台側の後ろを開けるのだが、意味を見出そうとすればできないこともないのだが、この作品ではイマイチ意味合いを感じなかった。
    ヒマワリの花が座席に咲いていたのだが、もっと先へ広がるような、スペクタクルな、視覚的にも意味合いにおいても、視野が広がるような展開がほしかった。パッと気分が晴れるような、そんなラストが。

    『幕末太陽傳』のタイトルで、舞台のオープニングの印象からも、それをベースに物語が展開するのかと思っていたが、それは外れた。少し残念だ。川島雄三をもじった松島雄三という名前の監督が出てくるだけ。
    川島監督は名作『幕末太陽傳』を撮ったが、松島監督はそのリメイクの撮影自体を断念してしまう。「川島監督と映画へのオマージュである」とフライヤーには書かれていたが、少なくともこれでは川島監督へのオマージュになってもいないのでは。まあ、全体的に「映画」がキーワードとなり、随所に映画のタイトルや映画に関するエピソードが散りばめられていたが。

    演出は、飽きさせないためか、あるいは暑いので舞台への集中度を下げないためか、シーンごとにダンスなどのモブシーンがあり、その都度、舞台の上が華やかになる。暑いのに、衣装も早替えして出てきて、全員の動きもとてもいい。見応えも見栄えもあるモブシーンだった。
    そして、テント芝居なのにセットがとてもいい。
    場面展開もスムーズ。
    ただし、笑いが出るシーンが、役者が声を張りすぎてしまうので、笑えないのは残念ではある。

    映画館館主役の下元史郎さんが、渋いしぼんだ感じがいい。ターザンとのギャップには笑った。
    姉役の松本紀保さんは、変に声を張らなくてもきちんと台詞が通り、ひとり涼しげで、きりっとしていたところに好感が持てる。

    客席はそれなりに暑いが、舞台の上は常に熱く、濃い、いい舞台だった。


    テントのずっと後ろのほうから、台詞の練習のような声が聞こえていて、「今ごろ台詞の練習しているのか」と思っていたら、それは境内で漫才の練習をしている若い人たちの声だった。そうとわかってしまえば、それも楽しい新宿の喧噪のひとつ。

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    2015/07/20 21:19

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