満足度★★
残念な舞台とはこの事か・・う〜む残念。
踊りのある舞台で世田谷パブリックの3階席は、ハズレ。横に向かってアピールする振りが、シラっと覗けてしまう角度だ。だが、そうした事ばかりでもなさそうだ。これほど拍手が乏しく、呼び出しもなかった舞台は初めてである。再演とあって期待した『ゴミ、都市そして死』の方を観劇したが、色んな難点があった。初演データをみると、俳優は若干陣容が変わり、根拠はないが初演が優位にみえる(横町慶子、羽鳥名美子、宮崎吐夢の名がある。例えば宮崎吐夢の食った風情がこの芝居に合いそうである)。あと振付のスズキ拓朗はこの2年で評価を高め、再演チラシには大文字で出ていた。しかし劇中に出て来る踊りも今ひとつ洗練されておらず、それ以前に、踊りが出てくる意味が判然としない。歌も然り。度々、俳優が歌うが、伊藤ヨタロウや渚ようこ等「歌える人」以外の役もオンステージをやる。ドイツ語の古い歌のようで、「歌い上げる」のだがどうやら口パク。それと判るように見せたいのか、「歌っている様子」として見せたいのか、そもそも芝居全体の演出の方向性が見えない中では位置づけようがない、というのが正直な所。上手い下手の問題ではない(折角うまい歌声が響き渡っても、妙に虚しい空気が流れる)。緒川たまき以外の娼婦が「その他大勢」に見えてしまうのも悔しい。こういうのは嫌だ。
また、皆なぜか口跡・抑揚に問題あり、噛みはしないが、意味を伝える正しい抑揚で台詞が稽古されていない感じ。それでなくても抽象度の高い戯曲である。意味が入って来ない事がえらく多い。また肝心な言葉(語尾など)をつるっと言ってしまう(良い滑舌を見せて挽回したい?)。もう何なんだよ、と思ってしまう。
劇の作りの細かな部分が雑、投げやりに思える。その最たるものが、ラストだ。いくらか判り易く意味が頭に入ってくる会話の最後の言葉で、ストンと照明が落ちる。それまでの雑然とした流れを、せめて反芻する時間、闇を作ってくれるかと言えば、全く。さっさと照明が入り、既に一列に並んだ俳優(並ぶ動きがうっすら見えるので終演だと判る)。他の俳優も袖から登場するが、並んで礼をするまで拍手が起きない。拍手を惜しむ観客も観客だと感じたが、不消化感は確かに大いに残った。何しろラストさえ観客を突き放すのでは、作り手が真正面に向き合おうとしていないと、見えても仕方ない。
この歪な作りは、舞台美術が加藤ちかである事も意外だったが、せめて空間に美を追求してほしい所、これがシュール。背後に月面の円弧がドカンと置かれ、その前に安っぽい箱(娼婦の部屋などになる)があり、下手の外階段から箱の天井に上がれるがさほど活用されず、そこに昇って歌ったりする意味も不明。袖は左右三段、黒の替わりにレースが吊られ、クリスマスツリーにかけるような電飾が一本、アーチ状に渡してある。場面として出て来る(高級?)クラブを連想させ(歌もそこで歌っている態で挿入されるようだ)、またそこで展開する事がいかにも作り事な「お芝居」という演出意図もあるかも知れない。
とにかく全体に美的でなく、床も汚ない。「汚れた床」を示すなら、もっと収まりの良い色があったのでは・・ただ汚ない。でもやはりそれらを一つの統合された表現とするための、俳優によって作られるべき世界が、もう一つ作れていなかった事が敗因だろう。
ファスビンダーの戯曲は隠喩的で、書かれた当時の現実が踏まえられているのは確かだと思える。この芝居には娼婦たち、客引き(娼婦の一人の恋人=ヒモでもある)、金持ちのユダヤ人、ゲイたち、ナチスの残党らしき者などが出て来る(かの国の良識人にはカンに触る人物ばかり?)。特にナチス残党については、これを語る事じたいがスキャンダルな事であったと想像される。ドイツの病理=ホロコーストを生んだ=を象徴するナチスが現存して虐殺を悪びれず正当化する姿が、ドイツ人にどういう感覚を呼び起こさせたか‥翻って、日本はどうか、という感覚が舞台に何一つ流れていない(私は感じ取れなかった)。また、世間ズレした同業者の中で、独自な感覚を保っている娼婦(緒川たまき)の恋人は、彼女を客に売っていながら「やつの一物は大きかったのか」等と詰め寄り、彼女が「20㎝くらい」「ビール瓶の太さ」と答えると、「売女」と罵って殴る場面がある。サディスティックな感情を爆発させる瞬間とは、もっと自分の内奥に快楽が迸っているはずだし、冷酷で鋭利な姿に観客をハッとさせるものがあるはずだ(女も敢えて「でかい」を誇張し、挑発している感がある=屈折・頽廃)。ここは作り手としてはイメージしやすい場面だと思うが、いまいち迫れていない。
音楽(歌以外の)がまた奇妙で、心地良くない。中でもラストの音楽が最も安っぽく、観客の「共感」を拒否する。「観客を裏切る」的な演出は、伝えるべき事が伝わった上で効果を為すのであって‥。とにかく残念。
ただ、ファスビンダーのテキストに触れる機会とはなった。
付言:初演の紀伊國屋ホールと世田谷ではだいぶ劇場の趣きが違う。いかにもプロセミアムの枠の中で展開する「お芝居」を横から観る、という雰囲気の紀伊國屋には、あの舞台美術は有りだったかも知れない。