三人姉妹 公演情報 地点「三人姉妹」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    三人姉妹はどこにいて、何を夢見、そしてどこへ向かうのか、をたっぷりと見せる
    地点の作品は、いつも刺激的だ。
    強靱な役者さんたちと、彼らを高める演出で、観客の期待を決して裏切らない。

    ネタバレBOX

    2008年版の『三人姉妹』は、(ほとんど)「動かない『三人姉妹』」であった。
    同じポーズのまま、台の上に座って台詞を言う。
    独特の「地点イントネーション」が、音楽のようにさえ聞こえ、心地良かった。

    今回の『三人姉妹』は2008年とは違うだろうと思っていたが、本当にまったく違っていた。

    舞台の上には、塀のように透明なアクリルボードが立っている。
    それが、粉状のもので、白く汚され、舞台の向こう側が見えない。
    天井からは、白樺を模したであろう、樹木が吊されている。

    塀の向こう側に役者たちが登場する。
    2人ずつが、組んずほぐれずのように床を這い、その様はエロティックであり、ため息のような声もして、艶めかしくもある。

    彼らは塀のこちら側に登場するのだが、やはり、それぞれが他人の身体にまとわりついている。
    エロティックというよりは、「格闘技」のように見えてくる。
    「(ほとんど)動かなかった2008年版とは逆で来たか!」と思った。

    その意味は何だったのだろうか。

    2008年版では、動かない3人姉妹で、台詞の絡みもすっぱり、すっきりとしていて、クールであった。しかし、舞台の上には、「3人姉妹たちの確固たる世界」があった。
    3人の姉妹は「3人姉妹」であったわけだ。

    その「3人姉妹の世界」と「彼女たちを取り巻く世界」の関係として見せていたように思う。
    「彼女たちを取り巻く世界」からの働き掛けによって(スーパーマーケットのカートのようなものが出てきたりとか)、彼女たちは、文字通り動き出す(台から降りて)。

    今回の作品で「関係性」を見ると、「鬱陶しさ」が爆発している。
    言葉を発するときには特に、発していないときにも、他人がねっとり身体にまとわりついて、大きな負担となっている。
    これは、人と人との濃厚な、そして、面倒臭い人間関係を見せていたのではないか。
    実際、これをやられたらイヤだろうな、というぐらいにしつこい。
    とにかく延々と。

    ロシアではどうなのかは知らないが、思い浮かぶのは、田舎生活における人間関係の濃厚さや面倒臭さではないか(そういう田舎の実感はないが、イメージとして)。
    3人姉妹が、首までどっぷりと漬かっていて、(たぶん)うんざりとしている状況を表しているのだろう。

    アクリルの壁は、こちら側とあちら側の境界であり、世界(社会)との関係(性)ではないか。
    押して広げたり、狭めたり、力を使う。
    粉で汚れているので、透明アクリル壁越しでも、あちら側は、よく見えない。

    ノックのように、ドンドンと叩く音がしたり、叫び声が聞こえたりする。
    それは、届いていないが、聞こえている。

    その様も、田舎暮らしの彼女たちにとってのストレスではないか。

    2008年版では、彼女たちが憧れる「モスクヴァ」(そう発音していた。今回も)という言葉が、とにかく印象的に発せられていて、その言葉だけが、台詞の中でぽーんと浮かんでいた。
    その発声から、彼女たちの憧れの強さを感じたのだ。

    今回も「モスクヴァ」である。
    発声は2008年版ほどではないが、やはり印象的に響いている。

    彼女たちは、まとわりつく「今、この場所」から、涼やかに響く「モスクヴァ」に憧れていく。

    今回の作品で特筆すべきは、中隊長のヴェルシーニン。
    彼の存在がクローズアップされていた。
    彼が、彼女たちと「モスクヴァ」をつなぐ存在であり、そのことで、彼女たちの「モスクヴァ」への憧れがジリジリと増していくのだ。

    ヴェルシーニンは、それを知ってか知らずか、自由に振る舞う。

    地点の作品には、クスッとしてしまうようなユーモアが、必ずある。
    生理的に笑ってしまうというか、そんな感じだ。

    今回、その部分が多いし、大きい。
    ヴェルシーニンの自由さに、笑いが生まれる。
    ダジャレのような言い間違いから、客席を通って、外に出るといった演出まであり、声を立てて笑ってしまった。
    また、アンドレの歌にも笑った。

    そうした笑いと対をなすのが、撃ち殺されるトゥーゼンバフ。
    彼が前面に登場してから、常に銃声があり、倒れるということを繰り返し、彼の行く末を早くから見せていく。

    3人姉妹を巡る恋物語についても、登場人物たちの肉体が絡み合う演出が効いてくる。
    恋愛の濃厚さとともに、それが孕む面倒臭さをも示しているようだ。
    そこまでを含めての、「状況」なのだろう。

    特に、ヴェルシーニンとマーシャの語り合いは、濃厚であり、濃厚であるからこそ、哀しくもある。

    各シーンは、ロシア的な音楽を挟むことでつながっている。
    かつて観た「モスクワのユーゴザーパド劇場」の作品を思い起こした。
    ロシアつながりで、それへのオマージュとか、そんなものはないだろうが、音楽だけでなく、その演出にも「ロシア」臭さをたっぷりと感じた。

    ラスト近く、長女のオーリガが客席に宣言するように台詞を言う。
    首まで漬かっていた状況から「ひとつ抜けた」感を感じた。
    ここでは、誰もまとわりつかないのだ。

    作品の前半は「今日」という言葉が台詞の中で象徴的に数多く使われ、後半にかけては「明日」が同じように強調されていた。
    「今日」から「明日」へのメッセージであり、未来に続くということを宣言していたのではないか。
    それはつまり、観客への強いメッセージでもあったのではないかと思った。

    それにしても、地点は、いつも役者さんたちに、肉体的にもストレスな演出を強いる。
    今回も、全編、寝技、格闘技のように力が入った絡み合いの中で、台詞を言わせる。最初から最後まで力の入れ具合はマックスである。

    強靱な役者さんたちがいるからそこの、あの演出、この演出が実現できるのではないか。
    彼らには、ほかのカンパニーの作品でも出会ってみたいと思わせる。

    3人姉妹を演じた、安部聡子さん、河野早紀さん、窪田史恵さんは、やっぱりいい。今回も、安部聡子さんは凄いなと思う。
    ヴェルシーニンを演じた小林洋平さんには、自由さのリズムを感じ、余裕さえあるように見える演技だった。
    そのほかの役者さんたちも、もちろん良い。

    アンダースローも一度、行ってみたい。だけど京都は遠い。

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    2015/03/15 06:34

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