小指の思い出 公演情報 東京芸術劇場「小指の思い出」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    少年時代の差異
    テクニカルな部分も改善されたのか、少なくとも、言われていた台詞の聴こえなさはなどは4日の公演ではほとんど感じられませんでした。

    30年前の戯曲の強靭さが、演出の語り口よって、風化することなく新たな肌触りを与えられたように感じました。

    ネタバレBOX

    野田秀樹演出の夢の遊眠社の公演は、少し前に映像でも観ていて、その圧倒的な表現の創意と多重構造が編み出す厚みに取り込まれてしまったのですが、今回公演の藤田演出でも、前半は戯曲の同じニュアンスをトレースしながら、舞台の広さや音の冴えと共に作り手ならではの厚みを作り出しているように感じました。
    もちろん、そのニュアンスの切り出し方は夢の遊眠社版のものとは全く異なっていて、冒頭の羊を数える質感ひとつにしても全く異なったキレを感じソリッドな印象を受ける。前回のマームとジプシーの公演などでも使われていたシーン名の表示などもあり、映像からのイメージや生演奏の力もあって、藤田作劇ならではの舞台への導き方にがっつりと捉まる。ただ、少なくとも、冒頭のそれらは、今様ではあっても、遊眠社版と同様の戯曲への解釈に寄り添ったものに思えました。

    しかし、中盤あたりから、舞台は戯曲の同じ台詞と筋立てを踏み台にして夢の遊眠社版とは異なるニュアンスを紡ぎはじめる。
    たとえば、もうそうするしかない一族が描かれていても、そこに自らと一体化した内なる苦悩のカオスと熱とその解け方を感じるのではなく、もっと冷徹で温度にあいまいさのない苦悩を感じ、それらを観客自らの内に共振させるのではなく、客観的に眺めさせる醒め方があって。安易な言葉遣いだけれど、要は今様の視座からの戯曲の寓意が訪れる。
    それは優劣とかいうことではなく、野田と藤田の作劇のエンジンの差異から訪れる印象の違いという部分もあるとも思うのですが、でも、遊眠社版では十字架に縛られ、薪を積まれ、燃やされる母であるのに対して、今回の操られるように首つりの縄にしがみつく少年の姿に近い母を見て、最後に語られる「粕羽三月、君の少年時代だ」という台詞を聞いたとき、そもそも遊眠社版と藤田版では其々の世代が描く少年の記憶自体が大きく隔たっているであろうことにも思い当たる。
    それは、夢の遊眠社に近い世代にとってはある種のとまどいにもなるのだけれど、今と戯曲に内包された普遍を結びつける創意が、その感覚を最後まで引きずらせない。翻って、観終わって表現の全く異なる二つの舞台が同じ戯曲に異なる印象を紡ぐことに違和感を感じないのは戯曲の普遍性の証しなのだろうとも思ったし、また、この決して平易ではない30年前の戯曲を、骨格や台詞を大きく変えることなく、ぶれることなく自らの感性にしたがって編み上げ、陳腐化させることなく、今を描く新しい鼓動を与え生かした、藤田作劇の力量に改めて舌を巻いたことでした。

    舞台上の密度にはもっと満ちる余白があるのだろうなとか、シーンにこめられた作り手の意図と戯曲への縛られ方のさじ加減とか、更に研がれる要素もあるとは思うのですが、少なくとも、この広いプレイハウスの舞台に異なる作家の戯曲でこれだけの世界を紡ぎ得たということは、作り手の表現の可能性を大きく広げた公演であったように思います。

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    2014/10/05 11:52

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