期待度♪♪♪♪
認知症
長生きするようになった我が社会、家族の誰かが認知症の患者を持つ人々も増えた。実際、ヒトごとでない。
一方、ヒトは自らが他の総ての動植物を支配する根拠として、知を言い訳としてきた。認知症になってしまった人々は、知を標榜するヒトの範疇に入るのか? という問いかけも、我々、東洋人、ことに、仏教を信奉していると形式的にせよ、認めている人々には、深刻な問いであるはずだ。仏教は、総ての生命の価値は同一だとしているハズだからである。日本の場合、問題は無論、更に複雑である。そうやって仏教を信じてきたハズの人々が廃仏毀釈をイデオロギー的葛藤なしに、成し遂げ、西欧の論理、倫理を受け入れたかのように装ったからである。其処に、思想的葛藤もなければ、思想レベルの総括のかけらもない、。それどころか、これらの事実を認識しようともしない。こういう態度を下司というのだ。利害得失だけに目を向け、目先のことさえ上手く回ればそれでよしとする。本質を見ようともしない救いようのない馬鹿である。
果たして、忘れるという事を通して、この腐りきった人々の知の闇は少しでも照らされるだろうか?