積雨、舟を沈む 公演情報 ゲンパビ「積雨、舟を沈む」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    正攻法のつくり
    正攻法のつくりで、うまく構成されている作品だと思った。
    ただ、個人的には前作の方が良いと感じた。

    ゲンパビの役者:三澤さきさんに、独特の魅力を感じた。

    ネタバレBOX

    前作で感じた特異さは、今作からは感じられなかった。

    「ゲンパビ」について、私は前作『トーキョー拾遺』と今作しか観ていない。
    以下はあくまで、2作の対比。
    どちらがゲンパビの真の顔なのか、私にはわからない。

    前作では、小さな空間での上演ということもあり、構築された舞台セットのようなものはなかったと思う。少しはあったとしても、可変的なものだったと思う。
    そのため、私は、役者の背景にあるはずの景色を想像して舞台を観ていた。その背景も、単なる場面背景というだけではなく、時代背景なども含んだ奥行を感じさせるものだった。
    そう感じることができたのは、場面場面がトーキョーに流れている生活の細部を描きながら、その断片が相互に連関することで、総体としてトーキョーが形づくられているということが感じられる脚本になっていたからだ。まさに「トーキョー拾遺」という題名通りに。

    場面・場面を別撮りできる映画と違い、
    一つの舞台上で物語を展開しなければならない演劇では、この奥行を観客に感じさせることは極めて難しい。それを、観客の想像力の中で繋ぎ合わせることで成立させた前作の構成力は素晴らしかった。

    それとは対照的に、今作では、構築された一つのセットの中で物語が展開されていた。場面は限定され、時間軸の変化の中で、物語の広がりを持たせるという作りであり、それ自体はある程度上手くいっていたとは思うが、その一方で、どうしても脚本における窮屈さが目立っていた。物語を破綻させないために、ご都合主義に近い形で、設定などの諸々が、現実感の薄いものへと変質させて、一つの舞台・物語に押し込められているという感じを受けた。

    そもそも、物語化に対する是非という問題がある。
    前作でも、「大きな物語」と「小さな物語」というようなことはテーマになってはいたが、その語り口(脚本の構造)としては、物語化自体を疑っている作りにはなっていなかった。政治などの大きな歴史的な動きと個人の小さな日常の対比として受け取っていたので、前作はあれで良いと思っていた。ただ、ポストモダンなどの議論で取り上げられる「大きな物語」というような問題の中には、「物語化」「歴史化」そのものへの疑義が含まれる。それは、まさしく語り口の問題でもある。意味・解釈など、世界が一つの方向に向かうことへの疑義。その点に意識的な作り手は、演劇などでも、ポストドラマを志向する。そこまで物語の解体に向かう必要があるかどうかは別にして、物語性の強い演劇を志向するにしても、今作のように物語に様々な要素を従属させる作り方では、世界を狭めてしまうと思うのだ。

    その点、前作は、計算された物語構造でありながら、
    一つの世界に留まらない広がりが感じられる作品だった。
    物語演劇であっても、一義的に完結しない豊かさを持った作品を提示することは可能だ。そのことを、まさに前作が証明していたように思う。

    上記のような理由から、私は前作の方が良かったように思う。

    ただ、今作は今作で、物語としてよくできている作品だとは思った。
    おそらく、こちらの方が好きな観客も多いと思う。


    あくまで私見ですので、不遜なもの言いをお許しください。

    最後に、
    制作の方の対応がとても丁寧で、素晴らしかった。
    ありがとうございました。

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    2014/04/27 13:07

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