満足度★★★★
全てが負けからのスタート!私の記憶に残っている一番古い甲子園出場高は沖縄返還後の1975年赤嶺投手要する豊見城高、勿論監督は栽さん。あの時のアルプススタンドでの応援が、テレビ観戦にも拘らず、他と何となく違うと感じていた。それは、沖縄の皆さんの思いが深く単なる野球の応援ではなく、沖縄自身の戦いなのだということが少なからず理解できました。「幻燈辻馬車」とは全然ちがう顔の俳小の舞台に劇団の懐の深さと厚みを感じた。
ネタバレBOX
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2014/03/23 19:24
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