満足度★★★
能とパンクで語られる死者の声
福島の原発事故に触発されて書かれたイェリネクさんの難解な戯曲が、5人の役者の声を通すことによって、意味が分からないにも関わらず感情に訴え掛けるものとなっていました。
原作を読んでいないので、そもそも「登場人物」という概念のない戯曲かもしれませんが、登場人物達を死者と捉え、死者が現れる演劇として代表的な能の舞台を模した、土を盛った舞台となっていて(客席も正面だけでなく脇正面が設けられていました)、そこにディレイが掛けられた台詞の断片が響き合う中、津波で流された流されたことをイメージさせる、ボトルや家電や日用品が持ち込まれる混沌とした場面から始まり、その後は横あるいは斜めに一列に並んで台詞をリレーして行くことを中心に進行する構成でした。基本的にモノローグ的な台詞が続き、時折対話風になる時は少々コミカルな味わいもありました。ほとんどBGMが用いられない静かな雰囲気が支配的で、数分の間、台詞も言わずにゆっくり歩くだけの静謐なシーンもある中、2回大音量でパンクロックが流れるシーンがあり、インパクトがありました。
宮沢さんの前作である遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』でも用いられた、単語の順番を入れ替えて言う手法が多用されていて、他の人が言った台詞を語順を変えて繰り返すことによって、文章としてではなく単語の連なりとして迫って来るものがありました。吃りながら語られる「私は紙とペンを失ったので、ことばを伝えるためには頭で覚えるしかなかった」という台詞が異様な雰囲気を生み出していて切実さを感じました。「この上演は失敗する」という台詞が、生きている人が死者を表彰することの難しさを感じさせました。
照明がとても美しく、客席側からほぼ水平に照らすことによって真っ白な背景に役者達のシルエットが映し出されるのが印象的でした。