光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫> 公演情報 光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫>」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
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  • 満足度★★★

    能とパンクで語られる死者の声
    福島の原発事故に触発されて書かれたイェリネクさんの難解な戯曲が、5人の役者の声を通すことによって、意味が分からないにも関わらず感情に訴え掛けるものとなっていました。

    原作を読んでいないので、そもそも「登場人物」という概念のない戯曲かもしれませんが、登場人物達を死者と捉え、死者が現れる演劇として代表的な能の舞台を模した、土を盛った舞台となっていて(客席も正面だけでなく脇正面が設けられていました)、そこにディレイが掛けられた台詞の断片が響き合う中、津波で流された流されたことをイメージさせる、ボトルや家電や日用品が持ち込まれる混沌とした場面から始まり、その後は横あるいは斜めに一列に並んで台詞をリレーして行くことを中心に進行する構成でした。基本的にモノローグ的な台詞が続き、時折対話風になる時は少々コミカルな味わいもありました。ほとんどBGMが用いられない静かな雰囲気が支配的で、数分の間、台詞も言わずにゆっくり歩くだけの静謐なシーンもある中、2回大音量でパンクロックが流れるシーンがあり、インパクトがありました。

    宮沢さんの前作である遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』でも用いられた、単語の順番を入れ替えて言う手法が多用されていて、他の人が言った台詞を語順を変えて繰り返すことによって、文章としてではなく単語の連なりとして迫って来るものがありました。吃りながら語られる「私は紙とペンを失ったので、ことばを伝えるためには頭で覚えるしかなかった」という台詞が異様な雰囲気を生み出していて切実さを感じました。「この上演は失敗する」という台詞が、生きている人が死者を表彰することの難しさを感じさせました。

    照明がとても美しく、客席側からほぼ水平に照らすことによって真っ白な背景に役者達のシルエットが映し出されるのが印象的でした。

  • 満足度★★★★

    幼女にも出て欲しかった
    20代から50代まで、いろんな世代の女優5人が『光のない。(プロローグ?)』ほか同シリーズのテキストの断片を時に声を揃えて、時に別々の文句をまちまちに語って聞かせるパフォーミングアート色の濃い公演。
     舞台上をさまよいながら別々の文句を諳んじる女優達の声をサウンドエフェクト技術を駆使して増幅・加工し、かつ交錯させ、音の万華鏡とも言うべき美しくも妖しい、眩暈のしそうな音場を作り出すファーストシーンから持っていかれた!
    「パフォーミングアート色の濃い公演」と書いた通り、この公演は上のシーンで出色の仕事をしている音響マンをはじめ、美術、音楽、照明などの各スタッフが裏方の枠に収まらない“イイ仕事”をして女優陣とコラボレートする“総合芸術作品”の趣が強く、バルブは五感すべてを全開にして本作を堪能。
     演出の宮沢章夫が自ら手がけた美術も素晴らしく、逆トレイ形に盛り土をした舞台の周縁に洗剤、ワインボトル、テレビ、電話機など津波で流された生活用品を思わせる品々を点在させて荒涼とした世界を表現し、3.11への応答として書かれた『光のない。』が上演されるに相応しい場をしつらえていた。
     良かったのは、相当なボリュームがあり且つ掴みどころのない『光のない。』3部作から、3.11を直接的に想起させる比較的分かりやすい文句が選ばれ、読み上げられていた点。そしてもう一つ、テキストを読み上げる女優たちが、同時に“テキストの意味を探る者たち”としても描かれている点である。
     つまり、女優たちも観客同様、テキストの意味を完璧には分かっていないという設定になっており、原テキストにたまたまある「意味、分かる?」という文句を読み上げて観客に問いかけたり、ある文句の意味をめぐってああでもない、こうでもないと言い争いをしたり、意味をより正しく汲み取ろうとテキストを見ながら朗読したりするのである。
     お陰で、観客たちは置いてけぼりを食うことなく女優陣と一緒になってテキストの意味を探ることになり、退屈せずに劇を鑑賞できるのだ。それどころか、笑劇の作り手としても名高い宮沢章夫の手によって言い争いのシーンなどはかなりコミカルに演出されていて、客席からは笑いもチラホラ。
     先に記した各技術スタッフの“イイ仕事”にこうした“魅せる工夫”も加わったこの舞台は、ここ数年の宮沢章夫演出作品の中でも屈指の出来と言っていいだろう。
     当方は松井周とのアフタートーク付きの回を観たのだが、松井氏も指摘していた通り、テキストが文字で表示されることが一切なく、『光のない。』が徹底して音声のみで表現されているのも本作の特徴の一つ。
     宮沢章夫いわく、文字を使わなかったのは、
    “全てが失われ、紙やペンさえなくなった世界であの出来事を伝えるにはどうすればいいかと思案した時、口承に依るしかないと考えた”ためだという。
     つまり、3.11を受けて書かれた『光のない。』をいろんな世代の女優が読み上げるのは、あの惨事が世代から世代へと語り継がれていく“この先”を暗示してもいるわけである。
     ならば、女優陣にはぜひ幼女も加えていただきたかった。
     そうすれば“代々語り継がれていく”感じが増したはずだし、幼い者にとってはなおのこと分かりづらいに違いないイェリネクのテキストを幼女がまるで呪文でも唱えるように単なる音としてたどたどしく読み上げれば宮沢氏が本作で伝えたかったことの一つ“イェリネクのテキストの難しさ”が観客により明瞭な形で伝わったはずだから。
     …などと小さな不満を挙げていけばキリがないが、夕陽とも朝陽ともつかない黄色がかった光の満ちる舞台の上を女優たちが語ることをいったんやめてゆっくりしずしずと歩んでいく中盤の“沈黙の6分間”をはじめ、思わず心奪われてしまうような美しいシーンが相次ぐこの舞台はやっぱり魅惑的。
     とりわけ、“沈黙の6分間”の美しさは只事ではなかった。
     ただ、3.11を題材にした劇がこんなにも美しくていいものだろうかという疑問は残る。
     同時に恐ろしさも描かれているとはいえ、題材が題材なのに、この劇はいささか美に寄りすぎている。

    ネタバレBOX

     本作では後半部で“復興”が描かれるとはいえ、それはまだ道半ばにも至っておらず、そこに思いを致すなら、やはり本作は美しさをもっと抑え込むべきだったとやはり思う。
     
  • 満足度★★★★

    失敗する
    5人の女優の奏でる表現に圧倒された。心地好くもあり時折バシッ!と平手打ちをくらったような衝撃を受けた。

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