女子大生100年日記 公演情報 学習院女子大学 pafe.GWC実行委員会「女子大生100年日記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    場所の活かし方が秀逸
    舞台装置を使わず、場所を活かした演出が、3作とも素晴らしかった(一作品、照明は使っていたが)。
    作品内容も学習院女子大学という場を活かしたもの。

    個々の感想はネタバレにて。

    ネタバレBOX

    『こうしてワタシは完全になる ~1969年 ある女子大生が書いた日記より~』(作・演出:小池竹見) ★4

     高野悦子の『二十歳の原点』を元ネタにして作られた脚本を、2人の役者と共に、観客が台詞を読むことで舞台が成り立つ。
    観客は男1・女1・女2と割り振られ、脚本を渡され、その役の台詞を読むことになる。
     まず、どういう場面設定で、観客が芝居に参加することになっているのか、よくわからなかった。そのため、芝居に参加しているというより、イベントごとに参加ているような印象になった。
    また、その脚本を観客に読ませることで、何を意図しているのかも、よくわからなかった。観客にその言葉を発語することで内面化して欲しいのか。それとも、単に観客参加の興奮を味わわせたいだけか。
    ただ、実験のズルいところで、意図はわからなくとも、面白い部分は発見できてしまう。
     私は、台詞を読むことよりも、それを読んでいる観客の姿を観るのが面白った。指示されたことを遂行すべく一生懸命に台詞を言っている人もいれば、ぼそぼそ言っている人もいる。バカバカしいと思ってか、単に恥ずかしいのか、台詞を言っていない人もいる(ごく少数だが)。
    また、ほとんどの人は、なぜか脚本を追うことに必死で、うつむいてばかりいた。そういう観客は、劇に没入していたということか?
     いずれにせよ、観客とは何かということを深く考えさせられた。
    私は、観客参加でありながら、演出家の言いなりになるのでは、結局受動的観劇態度でしかないじゃないかと、この演出に乗っかるのは少し嫌だったが、やらずに批判するのも違うかなと思い、小さな声で台詞を言いながら、周りの観客を見続けた。
     結果としては面白く観劇したが、私が面白いと思った点は作品テーマとは何ら関係していないので、結局なぜこんな演出をしたのかは全くわからなかった。

    『放課後 女子学生 1920』(作:古川健/演出:倉迫康史)★4

     そもそも、この公演に足を運んだ理由は、劇団チョコレートケーキの古川健氏が描く、戦前の女学生の日常が観たかったからだ。正直に言えば、期待外れだった。よくできた作品ではあったが、今までに何作か観た古川作品にある細部の描写力の凄味は感じなかった。ただ、ラストの問いの残し方は秀逸だった。私たちが生きている日常の時間、それが大きな歴史の流れの一部であるということを深く感じさせてもらった。
     ここで、問いかけられたことが、3作品全体の臍(核)になっている。大きな時代の流れの中で歴史を認識することは難しいが、その細部には、人が笑い、そして泣く日常の日々がある。
    奇しくも、特定秘密保護法案が衆院可決された日の上演であった。

    『40歳の女子大生 -女子学生2020‐』(作・演出:横田修)★4

     広い空間(学生が食事や休憩をするスペースだろうか)を活かした演出が素晴らしかった。空間の側面はガラスになっていて外が見える。そこにはドアも付いている。それを活かし、役者はそのドアを出たり入たりする。反対側は吹き抜けになっているので、役者はその奥に消えていったり、戻ってきたり。壮観だった。ラストも外に消えて行って幕。まるで、唐組の芝居のラストシーンのようだった。
     作品内部の演出も素晴らしく、役者の演技がとてもよかった。特に、青い女の子(お母さんが亡くなったという子)と市橋朝子さんがよかった。
     脚本の内容もよかったのだが、社会的な問題を描きこんだところが、妙にとってつけたような感じになっていたのがもったいなかった。
     勿論、そういう社会的な大きな流れとそこにある日常との問題がテーマなので、ある部分仕方がないのかもしれないが、もうちょっとさりげなくその問題が描きこまれていたら、もっと素晴らしかったのにと思う。
     これまでの2作のことをこの作品で取り込んでいるのもよかった。
     歴史を考える際に、まずは手触りのある日常から世界を捉まえようという姿勢が素晴らしかった。

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    2013/11/27 19:40

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