女子大生100年日記 公演情報 女子大生100年日記」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★

    企画も良く、楽しかった。
    やっとブログ書き終わりました。(忙しいので)
    一生懸命なスタップさんに誘われ、参加させられたり
    周囲の風景や通行人の反応も楽しみながら、
    3世代の女学生風景を堪能、順番もよかったですね。
    来年も学習院さんの企画が楽しみです。
    各公演の感想はTBへ
    できれば次回はもっと他の場所へも見せて欲しいです。

  • 満足度★★★★★

    まるで白昼夢・・・・(マチネ鑑賞)
    のごときエンディングにやられた(∂△∂;)

    実に素晴らしい!!! 3本とも◎

    沢山の素敵な女優サンを知る、いいきっかけになりましたy(^ヮ^)y

    学内で、本当はもう少しゆっくり余韻を味わいたかったが・・・・。

    ネタバレBOX


     一方で、「アイ・アム・-」の他の方のコメントにあったように思うが、せっかく大学というハコでやるのだから学生が黒子に徹してしまい、キャストに名を連ねないのは寂しい。
    先日の「アイ・アム・-」しかり、本日もキャストの中に、ついつい大学生の姿を探してしまった。
     また、1本目の会場に関しては、[土着性、ゲニウス・ロキ]といった側面で、より雄弁な語りを持つ場所選びが他に出来なかったか・・・。


     *「放課後」では、キャストの抒情的台詞と窓外の落葉がドンピシャのタイミングで効果的に神懸り的演出をしていた。

  • 満足度★★★★

    盛り沢山でお得
    キャンパス内を移動しながら、異なる時代の女子大生を三作品で観る事ができます。四年生の大門恵里加さんがツアーガイドに扮して、観客を率いてくれました。広々した会場を使って役者さん達は伸び伸び演じていたし、観客もゆったり観ることができた。観客参加があったり、飲食しながらの回もあったりと普段のお芝居とは違う楽しみがあった。かなり得した気分になりました。1920年の作品の時、屋外の紅葉が散っていく様子と女袴の女子大生のコントラストが素晴らしかった。女子大生さん方の会場スタッフのきめ細やかな心遣いも気持ちよかった。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい!!!
    時代時代の女子大生の姿を垣間見る小旅行、素晴らしかったです。

    ネタバレBOX

    4年生ツアーガイドの案内で、学習院女子大学互敬会館を3階、2階、1階と巡りました。

    『こうしてワタシは完全になる - 1969年 ある女子大生が書いた日記より-』作・演出 小池竹見(双数姉妹) 原作 高野悦子『二十歳の原点』

    学生運動と恋愛に挫折して自殺した女子大生の話。弟が姉の自殺の原因を探ろうと日記を分析して当時の数日間を再現しようと試みるという設定。

    観客は全員が男1、女1、女2、女3のシナリオを手渡され、主人公カツコたちの台詞に合わせて共演しました。とても珍しい経験でした。お経のようにボソボソ読んでもいいとのことでしたが、むしろその方が全体に、床一面にジワーっと染み渡るようで一体感がありました。

    ところで、「きんげんだいし」という何か弘法大師の親戚かなと思えるような台詞が一ヶ所ありました。「げ」が鼻濁音だったためにそう聞こえたのですが、本当は近現代史のことでした。この言葉は近代史と現代史を一纏めに言うときの略した言い回しなので、「きん、げんだいし」と、きんとげんの間にワンクッション置くような息遣いで、「げ」は濁音で読むのが正しかろうと思いました。

    『放課後 女子学生1920』 作・古川健(劇団チョコレートケーキ) 演出・倉迫康史(Ort-d.d)

    それぞれ憧れの先輩に手紙を書こうとするスズちゃんとチーちゃんのために、シズちゃんとフーちゃんも加わってみんなで作戦を練る仲良し4人組の話。

    いかにも昔の女学生らしい疑似恋愛を楽しむ世界でしたが、女性の地位向上のために社会を変えていかなければと思いながらも、卒業すれば親の言う通りに結婚していくそんな時代の束の間の自由な時間だったのですね。

    テーブルに置かれた葬送儀礼用の造花のような白いオブジェと、色が落ちて白くまだらになったような衣裳が、彼女たちが今は存在していないことを暗示していました。

    1920年の女子学生ですから、そりゃ今は全員亡くなっているでしょう。それにしても、一番頭が良くて女子高等師範学校に進学させてもらえるか悩んでいたフーちゃんが夢が叶ったと思ったら関東大震災で死んじゃったなんて、3年後だよ、悲し過ぎます。チーちゃんも空襲で死んだって、がさつなスズちゃんも戦争で夫と息子を亡くしたって、ずるいよ、泣かせ過ぎだよー。

    『40 歳の女子大生 - 女子学生2020-』作・演出 横田修(タテヨコ企画)

    学食に集ってだべっている学生たちを隣のテーブルで何とはなしに見聞きする感じ。

    就職が決まったり、家庭の事情で中退する決心をしたり、インチキ宗教にはまりこんだ男と別れようと考えていたり、女子大生としての合コンがやりたくて40歳にして学生になったり、普通の光景が展開されます。どこがー。

    最後は、4年生ツアーガイドが100年間の女子大生の姿を振り返り、女子大生ブランドが無くなる一抹の寂しさを漂わせながら卒業後の抱負を語って終了しました。この人もまた女子大生100年日記の一人なんですね。今後の人生、幸多かれと願いました。
  • 大学で
    知り合いに誘われて行ってきました。
    女子大での観劇は初めてでしたが、しっかりとした内容でよかったです。

  • 満足度★★★★★

    タイムトラベル
    女子大での公演ということでドキドキワクワク(笑)正門を入る時から物語は始まっていた!!そして学内(といっても1つの建物だけど)を巡りながら3つの作品でタイムトリップ。演劇の可能性の再認識もできました。きっと昼観るのと夜観るのでも違いがあると思う。面白かった。

    ネタバレBOX

    ラジオの100年…っていう副題を自分の中に読みました。ラジオって演劇と共通点がたくさんあると思う。いいですよね。
  • 満足度★★★★

    場所の活かし方が秀逸
    舞台装置を使わず、場所を活かした演出が、3作とも素晴らしかった(一作品、照明は使っていたが)。
    作品内容も学習院女子大学という場を活かしたもの。

    個々の感想はネタバレにて。

    ネタバレBOX

    『こうしてワタシは完全になる ~1969年 ある女子大生が書いた日記より~』(作・演出:小池竹見) ★4

     高野悦子の『二十歳の原点』を元ネタにして作られた脚本を、2人の役者と共に、観客が台詞を読むことで舞台が成り立つ。
    観客は男1・女1・女2と割り振られ、脚本を渡され、その役の台詞を読むことになる。
     まず、どういう場面設定で、観客が芝居に参加することになっているのか、よくわからなかった。そのため、芝居に参加しているというより、イベントごとに参加ているような印象になった。
    また、その脚本を観客に読ませることで、何を意図しているのかも、よくわからなかった。観客にその言葉を発語することで内面化して欲しいのか。それとも、単に観客参加の興奮を味わわせたいだけか。
    ただ、実験のズルいところで、意図はわからなくとも、面白い部分は発見できてしまう。
     私は、台詞を読むことよりも、それを読んでいる観客の姿を観るのが面白った。指示されたことを遂行すべく一生懸命に台詞を言っている人もいれば、ぼそぼそ言っている人もいる。バカバカしいと思ってか、単に恥ずかしいのか、台詞を言っていない人もいる(ごく少数だが)。
    また、ほとんどの人は、なぜか脚本を追うことに必死で、うつむいてばかりいた。そういう観客は、劇に没入していたということか?
     いずれにせよ、観客とは何かということを深く考えさせられた。
    私は、観客参加でありながら、演出家の言いなりになるのでは、結局受動的観劇態度でしかないじゃないかと、この演出に乗っかるのは少し嫌だったが、やらずに批判するのも違うかなと思い、小さな声で台詞を言いながら、周りの観客を見続けた。
     結果としては面白く観劇したが、私が面白いと思った点は作品テーマとは何ら関係していないので、結局なぜこんな演出をしたのかは全くわからなかった。

    『放課後 女子学生 1920』(作:古川健/演出:倉迫康史)★4

     そもそも、この公演に足を運んだ理由は、劇団チョコレートケーキの古川健氏が描く、戦前の女学生の日常が観たかったからだ。正直に言えば、期待外れだった。よくできた作品ではあったが、今までに何作か観た古川作品にある細部の描写力の凄味は感じなかった。ただ、ラストの問いの残し方は秀逸だった。私たちが生きている日常の時間、それが大きな歴史の流れの一部であるということを深く感じさせてもらった。
     ここで、問いかけられたことが、3作品全体の臍(核)になっている。大きな時代の流れの中で歴史を認識することは難しいが、その細部には、人が笑い、そして泣く日常の日々がある。
    奇しくも、特定秘密保護法案が衆院可決された日の上演であった。

    『40歳の女子大生 -女子学生2020‐』(作・演出:横田修)★4

     広い空間(学生が食事や休憩をするスペースだろうか)を活かした演出が素晴らしかった。空間の側面はガラスになっていて外が見える。そこにはドアも付いている。それを活かし、役者はそのドアを出たり入たりする。反対側は吹き抜けになっているので、役者はその奥に消えていったり、戻ってきたり。壮観だった。ラストも外に消えて行って幕。まるで、唐組の芝居のラストシーンのようだった。
     作品内部の演出も素晴らしく、役者の演技がとてもよかった。特に、青い女の子(お母さんが亡くなったという子)と市橋朝子さんがよかった。
     脚本の内容もよかったのだが、社会的な問題を描きこんだところが、妙にとってつけたような感じになっていたのがもったいなかった。
     勿論、そういう社会的な大きな流れとそこにある日常との問題がテーマなので、ある部分仕方がないのかもしれないが、もうちょっとさりげなくその問題が描きこまれていたら、もっと素晴らしかったのにと思う。
     これまでの2作のことをこの作品で取り込んでいるのもよかった。
     歴史を考える際に、まずは手触りのある日常から世界を捉まえようという姿勢が素晴らしかった。
  • 満足度★★★★★

    女子力
     設定がユニークである。先ず、作品を演じる会場が、学内の普段は教室として使われている部屋だったり、カフェテリアのような空間だったり、大学構内の特定エリアだったり、と各作品毎に、観客は移動して劇を観るのだ。各作品に対して、演出家が1人就く。作・演出が同一の場合と異なる場合がある。本日1作目は、作・演出が、双葉姉妹の小池 竹見。上演場所は、教室である。(2作目追加、3作目については2013.12.4)

    ネタバレBOX

     「こうしてワタシは完全になる」では、机等を四方に積み重ねて築いたバリケードの中にカツコが1人。時代設定は1969年で原作は高野悦子の「二十歳の原点」。学生運動の盛んな頃、立命館大学に入学し、自殺した少女の書いた日記がもとになった本だ。原作は、当時多くの若者に読まれ、支持された。今作で、主人公・カツコは、学習院女子短大の学生とダブらせて描かれているととって良かろうが、限定する必要はない。余り、学生運動とは縁の無かった女子短大と一般化した方が良いかも知れない。まあ、そんなに重要なことではないが、読者の好きに選んで欲しい。
     何れにせよ、既存の価値観、常識と新たな価値観や性と恋愛の関係の中で自分のスタンスを決め兼ねて悩む思春期の若い女性を描いて鮮烈さをみせる。主張自体は、いつの時代も新旧の鬩ぎ合いとしてあることながら、新しいのは、その方法、提示の仕方である。その点を強調する為もあるだろう。当時、寺山 修司等が盛んに言っていた。演劇の成立条件に観客を含める、という考え方を推し進めるように、会場に入る時に、観客には、男1、女1、女2等と各々の役割の下にアンダーラインが引かれたテキストが渡され、カツコに科白に対するダイアローグは観客が科白を発して当に演劇に参加して行く、という形になっている。テキストが渡されてから上演が開始される迄の間は、そんなに時間がある訳ではないので、テキストを全部読んで対応するのは若干難しいだろうから、通常の観劇のように観ることに集中しようとするには、負担かもしれないが、新鮮な体験を楽しみ乍ら観劇して頂きたい。

    「放課後 女子学生 1920」チョコレートケーキの古川 健作、 演出は、倉迫 康史優等生のふみこ、新しい女に憧れるちよ、詩を書いているしずこ、華族の先輩に憧れるすずら四人は、文芸同好会の仲良し四人組。
     描かれている1920年(大正9年)には、質素、正直を旨とする女学校の生徒である。如何に大正リベラリズムとはいえ、女子の進路は、親の決定で一生を左右される時代、嫁に行くことも当たり前であった。そんな時代を、青鞜の女性達のように自立した女性に憧れ、彼女らのファッションを真似たり、華族の優雅に憧れて立ち居振る舞いを真似るのも様にならず、手紙を認めて、下駄箱に忍びこませたり、文面や、憧れの先輩へのアプローチに悩んだりしながら、胸ときめかせ、勉強やおしゃべりにうち興じ、泣き笑いしつつ大人への階段を上がってゆく少女たちの、放課後を描いた秀作。
     卒業後、最も早く結婚したすずは、夫と息子を戦争に取られ失くした後、東京を離れた。ふみこは女子教育の最高峰、東京女子高等師範に入学したが、関東大震災で絶命、ちよは東京大空襲で子供と共に亡くなった。関東大震災、満州事変、太平洋戦争、敗戦を経て生き残ったのは、しずこ1人。彼女が語る思い出として劇は構築されている。時代と少女たちの心の動きなどを通して瑞々しい感性と時代の重さを見事に捉えている。謎の物体として登場してくるラジオが、少女たちの感性の瑞々しさと不如意を表す象徴として機能しているのだが、薔薇の形をしているのが、如何にもお洒落だ。

    「40歳の女子大生-女子学生2020-」作・演出はタテヨコ企画の横田 修
     舞台は2020年、東京オリンピック開催の近未来、という設定だ。サークルメンバーなどが溜れるような学生会館の一角、40歳で大学に入学した市橋が腰かけている。彼女から、初の授業の時、蜜柑を貰った森下は、それを大事にロッカーに仕舞ったのだが、数か月経った今、それは黴た後干からびている。そんな話をする森下は失踪中だ。ルームシェアをしている、かなが、心配しているのだが、またふけてしまった。4年の疋田は就職活動中だが、厳しい状況である。それでもチャレンジし続けており、もう発表がある頃なのだ。居たたまれずに、ここに来ている。里子の趣味は合コン。君島という彼氏とは別れたばかりだ。というのも、実家を離れた寂しさを紛らわす為に、宗教に嵌って、幸福を数値化し分かったような事を言う彼とちょっと付き合った程度だったので、別れたと言っても大して精神的ダメージは無い。ただ、矢張り寂しさを紛らわしたくて合コンが好きなのである。かなたちは、森下が現れた後、またしてもフケてしまったというので、彼女を探しにキャンパス内を探しまわる。漸く、森下を捕まえるが、彼女は大学を止めると言う。彼女の母は現在の父と再婚した間柄である。それでも父は、森下を可愛がり、決して裕福ではないのに大学迄やってくれたのだし大変感謝してはいる。だが、彼女は、3.11、3.12の被災地出身者なのであった。その彼女の目にはオリンピックが、原発人災後、子供達の内部被曝の犠牲の上に立った、大人の儲け話・祭りとして開催されていると映る。そこで、彼女は、世界と対峙する道を選ぶことにしたのだ。大学生というモラトリアム期間に甘んじることを投げ捨てて。森下は、このように自分の道を自分の意思で選んだ。さはさりながら、他のメンバーは、他のメンバーの想いがある。様々な念を抱えた女子大生達が、その思いを抱えたまま行き交うことのできる空間で交差し、出会い、別れてゆく。疋田は、合格した。里子は合コン、市橋の望みも合コンである。かなも森下の態度が決まり、兎に角、目途はついた。そうこうしているうちにも、ヒトは誰かと繋がりたいのか? という痛烈な問いと共に、女子大生達は、会館からキャンパスへ出て行く。
     外では、男には絶対真似のできない、キャーキャーのどよめき。急に走りだしたり、笑ったり。兎に角、女子大生の“らしさ”を思いっきり見せられ、和みと笑いがいっしょくたになって襲ってきたのには、のけぞってしまった。楽しめる。
  • 満足度★★★★★

    感動
    昨日のアイアムアンエイリアンに続き、観劇しました。バラエティにとんでいて、面白かったです。

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