田中幸子の秘密 公演情報 劇団いい加減にしろ 「田中幸子の秘密」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    孤独のグラデーション
     男運の悪い女の子というものは、居るものだ。かなり愛らしく性格も良く、頭も悪くないのに付き合う男が屑ばかりという女の子が知り合いに居た。不良っぽい感じがしないと駄目だということだったが。

    ネタバレBOX

     今作の主人公も、付き合う男が総て、駄目男君なのである。それでも、こんな世知辛い世の中を女一人で渡ってゆくのは、余りに寂しい。それで、誘いを掛けられると、今度こそ、と期待が頭を擡げてくるのだ。唯、その時の孤独の深さは、その時々の状況、相手でそれぞれ異なるし、不幸の度合いも異なるのに、幸せを求める心だけが、変わらないのだ。だが、結果は、何時も同じ。失望である。 
     ところで、三つ児の魂百まで、とか。自分も小さい頃からの習慣や性格の変更が如何に大変なことであるかを実感することがある。それが、こんなに大変なのは、個々の生きる状況への判断は、単に優生学的な優劣のみならず、今西 錦司の棲み分け理論が指摘するように、その個体が生息する環境そのものの影響をも受けるからだと考えられよう。つまり、個体の身体的諸条件と環境とのベストマッチングを果たそうとすることによって、環境負荷と個々の個体の能力・適応性などの度合いは、似た個体同士が種を形成し、以て己をアイデンティファイする。従って、これを変えるとなれば、己をアイデンティファイしている諸関係と己自身のダーザイン迄下降し、底なしの更に先の地点で己及び諸関係そのものを対象化し再構成した上で、再選択せねばならぬ。この時の主体は、無論、これら総てを認識する知的主体たらざるを得ない。但し、これは必要条件に過ぎまい。
     この程度の自己探求と意識化なしには、何も変わらないというのが、現実であろう。そして、これを為せる者はごく少数だ。こんなわけで、多くの人々は、自分の人生にウンザリしていても、又、同じパターンを生きざるを得ないのである。
     丁度、屋上から飛び降り自殺を図った田中 幸子を止めた連中が、「もう、これくらいで」と三々五々散りつつ「カラオケでも行きましょう」と談笑しながら去って行ったように、世間には、からっ風しか吹いていない。
     幸子の総てから見放された孤独は、彼女を笑いの発作で襲う。その後、泣き崩れた田中 幸子は、幸子と言う名の不幸であり、田中と言う名のあなたに似た誰かである。泣き崩れた幸子に、ハンカチを差し出す男がある。どうせロクデナシなのだが、再び、彼女は、彼に夢を託すのであろう。
     人間とは、何とペーソスに富んだ生き物であることか。

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    2013/09/24 03:31

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