満足度★★★
例えば……そう例えばカレー。
例えばそれは「あの」カレーライスのように。
小学校、給食、カレー。
給食でカレー出された時に一瞬頭によぎる、「もしかして家に帰ったらまたカレーだったりしないよな」のアレ。下校し、玄関をくぐるとカレーの匂い。また…カレー…。
「ねぇ、「お母さん」、今日給食でカレーが出たんだ」、「あら、そうなの。でも、お母さん給食でカレーが出たこと知らなかったから」、繰り返されるカレーを巡る批難と批難。幼稚な応酬。
でも、給食のカレーと「お母さん」が作ったカレーは同じカレーであっても同じカレーではないのであって。問題は「カレー」を巡るカレーの反復。カレー「概念」。また「カレー」なの?
さて、本題。要は「あるある」。「あるある」があるある「として」あるあるなんであって、それは「あぁ、あるあるだよね」ということではない。むしろ「あるある」をあえてあるあるとして、みせることによって、「いやー、「あるある」じゃないんですよ、これは」という意味でのあるある。
違う角度から言うのであれば、不愉快なんであって、別に楽しませるようなものではなくて、もっと言うのであれば広い意味でのカタルシスを主題においていないのであろう。
「不愉快」なんだよこれって。でも、世の中ってさ、そもそも不愉快なんだよね。だから、不愉快で行くんだし、不愉快をみせるんだこれは、あえてね。
僕はそう解釈しました。
だから、それは例えば「あの」カレーのようにそれはある種の不愉快なんだけど、でも、でもさ、別にそれって不愉快なものとしてカレーできているのではないんであって、またどこかに不愉快の不愉快性みたいなものがそれを糾弾するような形であるわけではないのだから。だって、みんなカレー好きでしょ?給食のカレーは多くの人が好きだからカレーがメニューとして出てくるのであって、給食の献立おばさんか誰かが悪いわけでもなんでもないんだし、もちろん給食にカレーが出たことなんか知らない「お母さん」が悪いわけでも何でもない。もちろんカレー自体もなんも悪くも何ともない。
だから、ただただイラッとする、反復的に。だからデカ子は牛乳を飲む。牛乳でも飲まなきゃやってられないんだもの。
でも、お母さんが作ったカレーの方がおいしいんだよ。同じ「カレー」なんだけど。ただ、僕はそのカレーの味をもう忘れてしまった……。