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オペラ『マクベス』魔女の呪文の謎を解く!
オペラ『マクベス』魔女の呪文の謎を解く!
先日,オペラ『マクベス』を観た。感想は,というと,これは,難解な作品だ。たとえば,魔女が出て来て,「きれいは,汚い。汚いは,きれい。」などと,意味不明の呪文が出て来る。シェークスピアには,ハイレベルの技巧がある人で,子どものミュージカルの方が,気が楽ですね。でも,オペラ『マクベス』どうでした?わかりましたか,とかいわれちゃうと,気になりました。
で結局,この魔女のことばの意味は,なんでしょうか。埴輪雄高の説明によると,トルストイと,ドストエフスキーの視点を対比するとわかるという。彼の「表現者とは何か」という文章から推察する。
トルストイには,『復活』のような宗教的な作品が印象的で,『アンナ・カレーニナ』も良い作品だ。それらは,背景に,神の視点というか,全的視点がある。そういう「表現」があって,哲学・思想がある。それは,まっすぐな,子どものような視点でしょうか。
これに対して,ドストエフスキーは,『地下生活者の手記』というへそまがりな作品があって,そこでは,終始変なおじさんがぶつぶつ言っているわけです。こっちの作品は,複雑で,屈折したプリズムの世界であって,全的視点(まっすぐな)ではないというわけです。
この「地下室的視点」というのは,世の中には,正しいことが,すぐに,まちがいになったり,まちがいであったものが,正しいことでもあったりする。正しいとも間違いともいえず,次に進むことも多い。(これは,難しく言うと,ヘーゲルとか,マルクスを読むとき出て来る弁証法的な考え方,というのでしょうか。)
で,問題は,こういう考え方は,さかのぼると,シェークスピア『マクベス』で,魔女の呪文にちゃんと出て来たという。つまり,ヨーロッパの人は,『マクベス』を読み,気がつくと,哲学にめざめたことになりますね。(ちなみに,ブレヒト『サロメ』によれば,善が悪,悪が善という聖書からの引用もあった)
PS
原作とオペラのちがい
「Fair is foul, and foul is fair.」は,演劇『マクベス』では,抜群に有名ですが,オペラ『マクベス』になると,この魔女の呪文は,fairとfoulという形容詞が確認できるだけで,直接台詞にはなっていなかったようですね。