フェルナンド・アラバール「戦場のピクニック」フェスティバル 公演情報 die pratze「フェルナンド・アラバール「戦場のピクニック」フェスティバル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 個人的には楽しめた。が、
    当日パンフレットもアンケートもなく、3団体の上演が続いて終わるだけ。出演者クレジットを記載した紙を用意するかどうかも各団体に委ねている模様。なんだ、この投げっぱなしな企画は。フェスティバル感が全くなくて、他の日程を観たくなる要素がプロデュースされていない。
    こういう企画こそアフタートークとか、何だったらまず最初に企画意図の説明(最低でも10分くらいのがっつりしたやつ)とかが欲しかったと思います。各団体は全力で演目に挑んでもらって、それらを更に受け入れやすい環境を用意する為にアプローチをするのが企画側の命題。

    少なくとも自分が観たこの組み合わせが2500円で観られるのは安価だと思います。また観たい団体もありました。でもそれは団体の力であって、「戦場のピクニック」であった事やこの企画であった事の必然性は感じませんでした。

    各団体の感想はネタバレBOXへ。

    ネタバレBOX

    出演順に。

    ●劇団NAT
    折り込みチラシで次回公演がアゴラと知って期待値を上げた分、がっかり。本人達が演劇を好きなのは分かった。戯曲への敬愛もあっただろう。だが、それだけ。観客にも演劇を好きになってもらう気持ち、この戯曲を知ってもらおうという気持ちが感じられなかった。時代考証も場所も世界観も不明のまま。『これくらい知ってるでしょ?』的な、嫌な内輪感。
    自分自身が演劇をまだ好きでなかった頃、嫌々に観させられていた頃の気持ちをハッキリと思い出した。記号の様に作られた表情で、相手役との疎通がないまま大声で一方的な感情を向け続ける。舞台と客席の温度差がありすぎて全く共感させる余地がない。「この人達は好きでこれやってんだろうなー。観てる自分には関係ないしどうでもいいけど」とか思えてしまう。客いじりをしろという事ではなく、その場にいる全ての人々と空間共有する術をもっと探るべき。
    オリジナル要素がことごとく失敗していたと思う。小道具に糸電話があったけど、耳に当てなくても聞こえたり口に当てなくても話せたり、使い方が曖昧。それが何かの複線かと思えば、別に何もない。ipod(ICレコーダーにも見えた)で音楽を流して、でも台詞には「レコード」という単語をそのまま出す。お弁当の中身を無対象芝居でやってたのに何故ここだけわざわざ音響機器を出したのか。そもそも何故ザポを女性に演じさせたのか。過去にも彼女は男性を演じた事があるのか? 座組の中で当然の様にされても、観る側は相手にされていない感が湧くだけ。
    『手を挙げろ』と銃を向けられる前から捕虜が手を挙げていたり、敵なのにほぼ同じ格好をしていたり、一目瞭然の違和感を演出家以外の誰かが気付く事は出来なかったのだろうか?

    ただ、この演目が最初になければ、戯曲を知らずに観に来た客にはその後の演目との判別が付け辛い。フェスティバルの中においては存在意義のある演目ではありました。ただ、団体がそれを望んでいたはずはない。単独公演でこれを観たらきっと自分は終演後に無言で即座に劇場を後にします。団体としてもっと固まって欲しい。


    ●しおめも
    コンテンポラリー。前団体で溜まった鬱憤を全部晴らしてくれた。余計な事ばかりしている様で、実は必要な事しかしていない様な。始まった瞬間にただ立っているだけでも期待出来たし、その後に盛り込まれたあれこれも興奮させてくれた。個人的な好みからすると台詞も一切入れなくて良かったし、入れるなら入れるでもっと響くやや受けも狙えたはず。
    ふと、自分が東京デスロックを好きだったのを思い出した。今思えば「再生」とか「LOVE」ってコンテンポラリーっぽいのか。


    ●身体の景色
    いやー、見惚れた。美しく清涼感がある。まさかこの戯曲を昭和の良き時代の日本風に置き換えるとは。良い意味で演出家の存在感がありました。世界を、空間を作っている。この団体の単独公演は是非とも観てみたい。

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    2013/05/04 12:21

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