で・あること 公演情報 明治大学実験劇場「で・あること」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    示唆的
     所謂“人間らしさ”なるものが失われ、システムが、幅を利かせる時代になってかなりの時が経った。このような社会の激変に対し、人々が皆上手く対応しているとは言い難い。結果、多くの人々は、その存在感の喪失に悩み、自らの立ち位置を失くし、ただ、漂うのみである。そう言って過言ではあるまい。作品に語られている女子大生監禁事件は、実際に起きた事件だということだが、その背景に在るのは、存在感喪失の不如意ではないだろうか? その辺りの事情を若く鋭い感性が掬いあげているのではないだろうか。(追記完了4.25)

    ネタバレBOX

     東電、F1の人災事故を今更挙げる迄も無かろうが、存在感の喪失と嘘でずぶずぶの不信の時代に、論理や倫理で如何に立ち向かうか。否、立ち向かい得るか? その試行錯誤の涯に辿りついたのは一種の存在論であった。それが、究極的にはゴジラという形を取るのは謂わば必然である。意味の成立し得ない時代、人々が、根拠づけることのできる唯一の位置こそ、我らに残された唯一の自然、身体そのものであるだろう。無論、既に、この身体は、核汚染によって痛く傷つけられている。そのような身体以外に我らは持ち得ていない。それは、第五福竜丸被ばく事件の時代、当時の農林省、厚生省が実施した公式記録だけでも992艘の鮪延縄漁船が被ばくしている実態を見、日本全土を覆った死の灰の拡散データを記録した、アメリカによる定点観測結果からも明らかである。(因みにアメリカは、自国の地上核実験によって生じた死の灰拡散についても日本全国、朝鮮半島など、自らの力の及ぶ範囲に定点観測所を設け計測していた。即ち、我々日本人は、総てモルモットにされていたのである。)
     今更ながらのことをもう一つ。我らヒトは地球上では食物連鎖の最上位に位置する。その我々が、作り出した核兵器に被ばくして生まれたのが、ゴジラである。(ゴジラ第一作を見よ)ゴジラ同様、ヒトの作り出した爆弾と“形の異なる”原子力。それが、原発だ。どちらもヒトが作り出した原子力であるが、それが制御を失って暴走し始めたのが、F1人災である。ところでそれを推進した自民党と推進諸勢力は、アメリカに恥を忘れて追随している。日本を潜在的核基地にしておくことがアメリカ並びに自民党の意思であるとき、我々、日本の庶民は、声を挙げて、核廃絶に向かうので無い限り、最後に再登場する豚の群れのように放射能まみれで生きる家畜同然である。

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    2013/04/25 14:59

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