ハルメリ2013 公演情報 世の中と演劇するオフィスプロジェクトM「ハルメリ2013」の観てきた!クチコミとコメント

  • 『ハルメリ』現代論に、Twitterがプラス。
    SNSは、国境を越えた人的交流を可能とする。
    一昔前より、そのように考えられてきたが、実際 はビジネスを別として言語範囲内での交流が圧倒的ではないか。

    小浜市民がオバマ大統領のTwitterをフォローする、“リトルモンスター”がレディー・ガガさん のTwitterをフォローすることはあっても、見知らぬオハイオ州市民のTwitterをフォローしている人が何人いるか。
    Twitterを含むSNSは、グローバリズムの範疇に存在するのではなく、ある言語が及ぶ社会内部のネットワークでしかない。

    『ハルメリ』は、一体、何なのだろうか。

    否定も肯定もしない、というのは日本人ならではの姿勢だとされる。別の言い方をすれば、周りの意見によって是非を入れ替える姿勢と捉えることもできる。それは、本音とを別にして。

    舞台の討論生番組、ハルメリ女性歌手が休業を宣言する途端に「ついていきます!」とTwitterで称賛の嵐が沸き起こるが、人気投票結果はミス・ハルメリ美人コンテストに軍配が上がる(本音)。ところがハルメリ女性歌手が“殉教者”との妊娠を告白すると、今度は  Twitter上で圧倒的な支持を集める。

    たしかに舞台のスクリーンへ写し出されるTweetは誰もが“ゾッと”するし、一人一人の曖昧さが連なる暴力性を感じる。Twitterに眉を顰めるお堅い人と同じ気持ちだが、では実際の世の中=日本人は  このような傾向はない、と断定できるだろうか?

    数年前、ホリエモンや亀田三兄弟、元朝青龍関のような人物が持ち上げられバッシングされることをテレビや雑誌で寝転びながら加担していなかったか。当時、TwitterなどのSNSメディアが社会に広まる前の現象である。

    あるいは、死んだはずの評論家がTwitter上で発言し、『なりすましだ』とTwitterで批判された。SNSは著名人の場合、本人認証があるので、舞台で描かれた  なりすまし問題の匿名性を理由にサービス自体を批判するには根拠が薄い。といっても、この点はSNSならではの課題と認めざるをえないが。

    『CLUBハルメリ』のダンスシーンに関しては、一緒に踊りたくなってしまった。SNSの画面ではなく、若者やオジサン・オバサンが普段の社会生活から離れた場所において『ハルメリ』を共有する。場所を共有するスペースとしてはニコニコ動画のニコファーレニに近い形態だろう。
    テレビや新聞、雑誌と比べて、今そこにいるリアリティがある。他方で『ハルメリ』が社会現象となった後も、SNS上で現象は拡散し、マラソン大会や政党名の冠にで使用される。だが、媒介するのが少数のメディア関係者か、大多数のユーザーかの違いだけで、何ら社会現象の構造は変わらないと私は思う。
    以上の点から考察すれば、SNSは社会現象をバーチャルなステージで歪曲するという説は疑わしい。
    『NEWS23』の編集責任者を歴任したTBSの金子キャスターもアラブの春真っ只中にあった講演で「Twitterがエジプトの革命を起こしたのではない。あくまでツールであって、主役は民衆だ」と言っている。

    『ハルメリ』は、今その画面で、隣の街で進行中の出来事かもしれない。
    決して、Twitterが既存の社会とは別個の新たな日本人を作り出す論は誤りだ。舞台は そうした事実を まさに理解している。




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    2013/03/24 23:38

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