満足度★★★★
ハルメリとは?
を考えながら観ましたが、挨拶のように交わされ、この国、国民が持っている潜在的な意識、傾向のようなもののように思いました。ストーリーでは危険な部分もあり、怖さも感じました。ラストまでは描かずに全体の7・8割部分のところで、あえて結末まで出さずに余韻を残し、考えさせるように終えてもよかったのではないでしょうか!? あと、センターステージだった必要性はいまひとつ感じられませんでした。
満足度★★★★★
みな同じ方向に流れる危うさ
「ハルメリ」という言葉がしばらく頭にこびりついて、思い出してはふきだしています。それぐらい、「ハルメリ」という言葉が劇中で多用されていたわけですが、雰囲気やムード、ノリで安易に流されやすい現代人の危うさを突いた劇だったと思います。
劇中でも見ていて滑稽に感じてはいたのですが、これが今の日本の姿を映し出し、問題意識を喚起させた点が私の中では5つ星でした。
ひどい
とにかくひどすぎる。
いい本なのだろうとは思うが、演出の力であそこまでダメに出来るのだと勉強になった。
あれで3500円はあり得ない。
制作もダメだった。
座高円寺も何で提携公演にしてしまったのか。
演出、スタッフワーク、全てにおいて客のことを考えていない。
こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。
好みの問題ではないと思う。
いいと思った人は何を評価したのだろうか。
普段は舞台を見てアンケートも書かないし、こういったところに投稿も
したことはないが、書かずにはいられなかった。
こういう舞台があるから、舞台が低く見られるんだろうな。
残念です。
満足度★★★★
今、流行の思想
Twitterのアイディアを加筆して再構成された物語は、本当に現実で起こっても不思議じゃないなと思うほど自然に受け入れられました。まさに今の物語だなと思いました。
満足度★★★★★
ブラックPOP
新人戯曲賞の再演、コリッチでの評価も良いので観劇しました。劇場に入って舞台セットに驚きワクワクし期待大。内容は想像していたものと違いましたが終始飽きずに観ることができました。西山水木さんが唯一のベテラン?の中とても素晴らしかったです。唯一、演出の方は初めて観る方でしたが若者の動かし方が古くて(クラブのシーンとか)そこが気になりました。しかし十二分に満足できました。
満足度★★★★★
現代の状況と向き合う意志
現代の、特に若者の一部に特徴的に存在する心理状況を見事に捉え、デフォルメを加えることで、ドラマに仕上げている。
この時代と向き合おうとするその意志が素晴らしかった。
演出もとっても現代的で面白い。
わからん
舞台設営とか、四方八方から観られる形で面白かった。が、マイク無しの舞台なので、背中むけてるシーンは殆ど声が聞こえず。まあ、聞き逃して惜しい台詞とは思わないからいいけど(舞台の流れで、なんとなく想像できるから)。
それぞれ、上手い役者さんは多いんだけど、根本のストーリーがよくわからん。
あと、他の方も書いてますが客席誘導が下手でうんざりしました。
無題644(13-069)
19:00の回(雨)。18:40会場着、受付、整理番号付きですが既に開場してます。演出助手にワカヌさんのお名前があったのでみにきました。
久しぶりです、完全に外してしまいました。最初、2人が出てきたところから(いや..前説からかも)最後まで。やっぱり「繰り返し」は苦痛でした。開演時間を相当過ぎました(お客さんが席に誘導されるのをず〜っと待っている様子がみえているし、放置状態、初日ではないのだし手際が悪い)が、もっと早く説明があってもよいのではないかと思いました。18:59前説(120分)、19:11開演〜21:12終演。
満足度★★★★
自作を厳しく見るための物差しとなるその「水準」
説明の中に↑こんな言葉を使っている人もいますが、これは見る人の社会の中での立ち位置を確認させてくれる作品です。自分の心の弱さ、いい加減さを見透かされているようで、非常に怖かった。
『ハルメリ』現代論に、Twitterがプラス。
SNSは、国境を越えた人的交流を可能とする。
一昔前より、そのように考えられてきたが、実際 はビジネスを別として言語範囲内での交流が圧倒的ではないか。
小浜市民がオバマ大統領のTwitterをフォローする、“リトルモンスター”がレディー・ガガさん のTwitterをフォローすることはあっても、見知らぬオハイオ州市民のTwitterをフォローしている人が何人いるか。
Twitterを含むSNSは、グローバリズムの範疇に存在するのではなく、ある言語が及ぶ社会内部のネットワークでしかない。
『ハルメリ』は、一体、何なのだろうか。
否定も肯定もしない、というのは日本人ならではの姿勢だとされる。別の言い方をすれば、周りの意見によって是非を入れ替える姿勢と捉えることもできる。それは、本音とを別にして。
舞台の討論生番組、ハルメリ女性歌手が休業を宣言する途端に「ついていきます!」とTwitterで称賛の嵐が沸き起こるが、人気投票結果はミス・ハルメリ美人コンテストに軍配が上がる(本音)。ところがハルメリ女性歌手が“殉教者”との妊娠を告白すると、今度は Twitter上で圧倒的な支持を集める。
たしかに舞台のスクリーンへ写し出されるTweetは誰もが“ゾッと”するし、一人一人の曖昧さが連なる暴力性を感じる。Twitterに眉を顰めるお堅い人と同じ気持ちだが、では実際の世の中=日本人は このような傾向はない、と断定できるだろうか?
数年前、ホリエモンや亀田三兄弟、元朝青龍関のような人物が持ち上げられバッシングされることをテレビや雑誌で寝転びながら加担していなかったか。当時、TwitterなどのSNSメディアが社会に広まる前の現象である。
あるいは、死んだはずの評論家がTwitter上で発言し、『なりすましだ』とTwitterで批判された。SNSは著名人の場合、本人認証があるので、舞台で描かれた なりすまし問題の匿名性を理由にサービス自体を批判するには根拠が薄い。といっても、この点はSNSならではの課題と認めざるをえないが。
『CLUBハルメリ』のダンスシーンに関しては、一緒に踊りたくなってしまった。SNSの画面ではなく、若者やオジサン・オバサンが普段の社会生活から離れた場所において『ハルメリ』を共有する。場所を共有するスペースとしてはニコニコ動画のニコファーレニに近い形態だろう。
テレビや新聞、雑誌と比べて、今そこにいるリアリティがある。他方で『ハルメリ』が社会現象となった後も、SNS上で現象は拡散し、マラソン大会や政党名の冠にで使用される。だが、媒介するのが少数のメディア関係者か、大多数のユーザーかの違いだけで、何ら社会現象の構造は変わらないと私は思う。
以上の点から考察すれば、SNSは社会現象をバーチャルなステージで歪曲するという説は疑わしい。
『NEWS23』の編集責任者を歴任したTBSの金子キャスターもアラブの春真っ只中にあった講演で「Twitterがエジプトの革命を起こしたのではない。あくまでツールであって、主役は民衆だ」と言っている。
『ハルメリ』は、今その画面で、隣の街で進行中の出来事かもしれない。
決して、Twitterが既存の社会とは別個の新たな日本人を作り出す論は誤りだ。舞台は そうした事実を まさに理解している。