夜の部「スピーディーな通し狂言」
日本橋浜町明治座の近くに8年間程暮らしたことがあるが、久しぶりに行くと高層ビルが建ちあたりはすっかり変わってしまっていた。
明治座は先代猿之助が鏡山再岩藤を南座に次いで東京で初演した際の第一回公演を観ている懐かしい小屋だ。
先代は30代40代の役者として最も元気な時代、ここで古典の復活公演を次々に行ってきた。
スーパー歌舞伎で注目されることが多いが、彼ほど一俳優の立場で古典復活狂言の発掘に精力的に貢献した慧眼な人はいない。
甥の亀治郎に猿之助の名跡を譲ったわけだが、私の中には鮮明に先代の足跡が残っている。
歌舞伎はユネスコの世界文化遺産に指定されており、古典演目の継承も重要な責務である。
博学な先代はいまでも復活狂言の発掘や新企画への意欲は健在と見え、若き当代へのアドバイスに私は期待している。
天竺徳兵衛は歌舞伎座で先代の初演を観ている。それまで二世松緑の当たり役だったので、若々しく外連味たっぷりの新演出に目を奪われたものだ。
つづら抜けの宙乗りは延若の石川五右衛門が先に手掛けていて、「いつか違う形でやりますよ」と前々から挑戦したがっていた。
音羽屋型演出の古典にずっと挑戦してきた先代の面目躍如と言う作品でもある。