南部高速道路 公演情報 世田谷パブリックシアター「南部高速道路」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    人間の社会性が作り出したコミュニティ
    南部高速道路の上に見えたのは、とても人間的な「コミュニティ」。
    日本製のオブラートに包まれて。

    ネタバレBOX

    最初に人々が傘を持ち並んでいる様子は、てっきり雨の中、高速バスか何かを待っている人々なのかと思っていたが、そうではなく、傘は1台1台の車を表していた。だから、傘を床にコツコツさせるのはクラクションなのだろう。

    舞台の高速道路は日本なので、つい、首都高の片側2車線や、東名などの片側3車線、あるいは4車線程度のものを想像してしまうのだが、原作にあるように、片側6車線で、この時期はパリに向けて流れるようにになるので、計12車線もあるものを想像するとよいだろう。
    つまり、そう見ていないと、車が前に移動するたびに、周囲の車の位置が変わったり、ラストにバラバラになっていく様子が想像できないからだ。

    単なる渋滞の一コマを描いたものかと思っていたら、数日経過し、さらに季節までも変わっていく中で、とんでもない不条理の世界に滑り込んでいたことが明らかになる。

    日常と地続きだから、「不条理」。

    その不条理な先に見えたのは、人間特有の社会性から生まれた、人間的な「コミュニティ」。

    見ていて感じたのは、どこか三丁目の夕日的な下町世界だ。
    とても日本的だと思ったのだが、元はラテンアメリカの作家による、フランスが舞台の短編小説。
    しかし、小説のパーツをすべて日本的な要素にうまく入れ換えたり、追加したことで、とても身近な物語となってきた。

    さらに、WSから作り上げた作品だということが、その度合いを高める。
    役者たちも、日本的なパーツの中で動きやすかったのかもしれないし、観客も受け取りやすくなっていた。
    だから、原作のコミュニティとは、どこか有り様が違っている。

    日本人の役者の頭と身体から生まれた「コミュニティ」だからだ。
    WSの意味がここにあったのだろう。

    「不条理な世界」に入り込んだときに、人はどうするのだろうか。
    身体を寄せ合い助け合うのだろうか。

    「日本人の役者たち」にとっては、「3.11以降」にあるので、「(不条理に対して)どのように振る舞うのか」がWSで問われ、「そうすることが当然」であるという考えに帰結するのは当然なのかもしれない。
    意識、する、しない、にかかわらず、そう身体が、心が動いてしまうのだろう。
    「不条理」な状況からの助け合い、「戦友」的な意識が生まれ、コミュニティが出現する。

    その姿を観客は、やはり3.11以降の記憶の中で観ることで、安堵するのかもしれない。
    「人と人は助け合う美しい姿」を。

    コミュニティの姿が美しいとするのは、美術でも表現されていた。
    物語の進行とともに、真っ黒な床面から虹色の絵が描かれていく。
    人々の関係が深まっていくことを、祝福しているような明るい色彩の絵だ。
    しかし、ラストにそれらは、何もなかったように車の轍の下になっていく。

    コミュニティで「内」をつくることは「外」も作り出してしまう。
    他のコミュニティとの関係が対立的になったり、協調したり。
    また、コミュニティの中の「外」も生み出してしまう。

    舞台の上では、一人儲けようとした若者が、「罰」を受けるというわかりやすい形で表現されていた。コミュニティに馴染めない老人は自ら去っていく。

    原作でも人と人がかかわっていく姿が見えているのだが、「自分の居場所を確保する」という意味において、近くにいる人との関係を明らかにしていきたい、という欲求が働くからではないだろうか。
    社会性とでもいうか、集団の中で協調し、また、その集団の中で認められたいという欲求がなせる、人間的な業ではないか。
    人間ならではの感覚。

    つまり、この物語は、「人が助け合うことは美しい」とか「人々が協力して困難に立ち向かった」とか、ということを描いたのではなく、「人は社会的な生き物である」ということを描いたのではないか、と思うのだ。日本的な要素がそれをうまくオブラートに包んだとも言える。
    ひょっとしたら、それは身も蓋もないことになってしまうのかもしれないが、それは、ラストに示される。

    必要に迫られてつくられたコミュニティだから、それは概ね、こんなふうに生まれて、こんな風に消えていく。
    必要がなくなったときに、つまり、「元の自分の居場所に帰っていくとき」には、この促成のコミュニティにおける自分の居場所は不要になるのだから。

    役者はみんなうまかったなぁ。年齢・性別・性格の違いがくっきりとしてくる。「この人はどういう人なのだろう」という興味を引く。

    そういや、客いじり的(と言っても(「見ませんでしたか?」とか聞く程度だけど)なのもあってちょっと楽しかった。

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    2012/06/18 05:21

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