ヌード・マウス 公演情報 Théâtre des Annales「ヌード・マウス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    芝居自体が生き物
    舞台の空気が生きていることを
    肌で感じられる舞台でした。

    拝見したのは、
    プレビューを経ての初日。、
    戯曲の枠組みの中に
    良い意味での揺らぎのようなものがあって、
    この舞台が描き出すものの
    更なる深淵を感じることができました。

    ネタバレBOX

    観る側を構えさせない冒頭、
    その語り口のままに物語の骨格が組み上げられていきます。
    たとえば「リニアの時間」というせりふひとつで
    近未来の時代設定がわかり
    書き上がったという紙束から
    物語に踏み込んでいく感じ。

    その時間を追わせる力、
    次第に組み上がっていく構造、
    場に広がりが重なり
    そして、物語が次第に解けはじめる。

    登場人物たちの関係が置かれ、
    記憶の断片のようにエピソードが描かれ
    それを裏打ちする科学のロジックが
    観る側に埋め込まれていきます。
    最初は時系列に少し戸惑うけれど、
    やがて、時間ではない感覚の視座が生まれて
    脳の機能、そして行動の従属・・・。
    女性の行動が因果がそれを具現化していく。

    ミッシングしたもの、その働き、
    ビリヤードの玉がしなやかに機能して、
    一部がミッシングした脳の動きを
    観る側にみせる。
    科学の歩みの中での
    脳も含めたフィジカルな代替機能が語られて。
    どこかソリッドで厳然とした肌触りを醸しながら
    現実や事実が観る側に組み上げられていきます。
    「どこに転がるか、わからない。
    わからないように見えていて、すべて決まっている。」という枠組みが
    ぞくっとくるほどの明解さとともに
    言葉ではなく
    体感として観る側に組み上がっていく。

    でも、そのことに圧倒されるにも関わらず、
    観る側の心を奪うのは
    個々のキャラクターの内心の風景であり
    葛藤であり移ろいであって。
    その枠組みを崩すわけでもなく
    そこから次第に滲みだしてくるもの。
    それはすべて全てさだめられたものだという。
    でも、定められていても、
    心がキャラクター自身自身にも、
    見る側にも、
    もしかしたら役者たちの手の内にすら
    捕えられているわけではない。
    突かれ弾かれたボールの動きのごとく、
    予測などできずに、
    その刹那の色を編み上げていくのです。

    戯曲に語られた感情の科学的な成り立ちが
    それでは割り切れない素数のような想いの色、
    因果が描かれても、その因果に染められない想い、
    その狭間は幾重にも揺らぎ
    生きること自体の確かさや危うさの感覚そのものにこそ
    観る側を浸していく。

    役者たちが編み上げる一つずつの場が
    生き物のように揺らぐ。
    亀に追いつけないアキレスのように
    科学の道程がどこまでも伸び
    ひとはそれぞれの意志でそれを追い
    さらに伸ばし続けるにもかかわらず
    捉えきれないコアが存在し続ける。

    観終わってしばらくは、
    家族それぞれの愛情の質感が
    印象として広がる。
    でも、そこに染められることなく
    さらに広がる別の感覚があって。
    上手く言えないのですが、
    ポジティブではない希望と
    ネガティブではない絶望の狭間のような肌触りをもったもの。
    それが、まるで生き物のように息づき
    温度をもって観る側を揺らしていくのです。

    公開稽古を拝見させていただき
    さらには舞台の空気に取り込まれるなかで、
    それぞれのシーンに役者たちが描き上げた
    刹那から湧き上がってくるものに目を瞠り、
    自分の立ち位置に至るような感覚が
    記憶とともに刻まれたことでした。

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    2012/02/05 11:16

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