トンマッコルへようこそ 公演情報 劇団桟敷童子「トンマッコルへようこそ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    いつもの劇団桟敷童子とは少々趣は異なるが、人の「陰」に、何かを見せてきた桟敷童子ならではの、「善なる物語」
    太陽の下の「善なる命」に笑い、泣けた。
    韓国の戯曲(映画にもなった)『トンマッコルへようこそ』を上演。
    演出を、 劇団桟敷童子の東憲司さんがやることは、チラシ等で知っていたので、一応マークしておいたのだが、後々、劇団桟敷童子の面々が大挙出演するだけでなく、「劇団桟敷童子」という劇団名まで出てきたので、慌ててチケットを入手しした。

    ネタバレBOX

    物語は、ある男のモノローグから始まる。
    それは自分の父が持っていた不可解な写真の謎を解き明かそうというものだ。
    その写真には、当時朝鮮戦争(台詞では「韓国戦争」と言っていたと思う。韓国のシナリオだから)の真っ最中なはずなのに、子どもの頃の父親と村人たちに、戦っているはずの、北の兵士、南の兵士、そしてアメリカ人までが楽しげに写っていたのだ。

    男の父の話をもとに物語が進んでいく。

    劇団桟敷童子の舞台なのだが、いつものアングラ度は低い。
    いつもは、濃すぎるキャラクターで満載なのだが、それもない。

    いつもの劇団桟敷童子に比べれば、淡々とした台詞劇。
    ーもちろん、それでも盛り上がるところは、過剰なほどの情緒を携えて、観客をグッとつかんでくる。

    そこが劇団桟敷童子なのだ。

    いつもならば、「陰」が舞台の上を支配しているのだが、ここにば「太陽」のイメージしかない。貧しいながらも食は満ち足りているし、人情だってある。人に施すことは当然であり、見返りを求めない。
    「善」の塊があり、それが燦然と輝き、そうでない者たちの心は洗われ、帰依していく、という感じ。

    無垢な村人に心を通わせていく兵士たち、という構造は、確かに甘々かもしれないのだが、「生身の人間たち」が、「顔を見合って話をする」ことの大切さを、改めて見せるということなのだ。
    人の持つ背中が、垣間見えるような、役者たちが演じることで、あり得ないファンタジーの世界が立ち上がってくる。
    人の「陰」に、何かを見せてきた桟敷童子ならではの、「善なる物語」であった。
    だからこそ、太陽の下の「善なる命」に笑い、泣けたのだ。

    途中で、劇中の登場人物が、物語を語る男に話し掛けてくるというような、メタで不思議なシーンもあったりする。

    また、セットも劇団桟敷童子風のスペクタクルはないものの、手際といい、よくできてるなぁ、と思う。
    できれば、桟敷童子なのだから、(シナリオになくても)ラストにひと花、何か欲しかったというのは、本音である。例えば、写真の背景とか。爆撃のシーンとか。

    ラストはオープニングの写真に集約されていき、涙、涙となった。
    正直、オープニングの写真のシーンから、すでに泣きそうになっていたのだが。
    どうもほかの観客は、一部の方を除きそうでもなかったようだ。

    「独立軍」や「徴用」という、第2次世界大戦での日本との関係をちらりと顔を出す。「徴用」で初めて船に乗ったので、この村ではないよその国に行ってみたかった、という台詞は、明るいだけに、とても重い。

    役者はさすがにみんなうまい。桟敷童子的な「画」になる舞台がいつもそこにある。

    「村人」という設定なのだから、村人は、桟敷童子お得意の九州の方言でもよかったのかな、とも思ったり。

    そういえば、受付で外山博美さんがやけに大きなマスクをしていたので、やっぱり乾燥は喉の大敵だな、と思っていたら、舞台の上に現れた姿を見て納得。あのままじゃ受付無理だなと(笑)。

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    2012/01/29 04:17

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