満足度★
残骸の底から
第三舞台は80年代後半から90年代にかけて、演劇界において確かに天下を取った。しかし、第三舞台とは何だったのか、演劇界におけるその功罪は、と考えた時、罪の方がはるかに大きかったと判断せざるを得ない。未成熟なアダルトチルドレンの自己肯定(=甘え)を、それらしい社会的なテーマやキワモノ的なガジェットで粉飾して、傷つきぶりっこな観客に媚を売ってきた、結局はそれが第三舞台の正体ではなかったのか。
90年代後半当りから、鴻上尚史の舞台に失望させられることが多くなっても、それでも先入観は捨てようと思って観劇した。だから冒頭のキレのよい“いつもの”ダンスパフォーマンスには、懐かしさも含めて好意的に観始めることができたのだ。しかし、期待感はすぐに失速する。陳腐で幼稚な物語、学生演劇特有の間を無視したデタラメな演技、ぐちゃぐちゃな場面転換、虚仮威しの照明、既製作品及び自分たちの過去作からのパクリ寸前の引用と、「演劇がやってはいけない」ことのオンパレード。
しかし、かつて彼らと「同世代」だった我々が応援していたのは、そのデタラメさゆえにであった。新劇などの既製作品にない爆発的なエネルギーだったのだ。だから「これは本当はもの凄く下手くそでつまらないのではないか」と感じつつも、あえて旗を振ってきたのだ。しかしデタラメは結局デタラメでしかない。そのことに観客は次第に気付いていく。この20年あまりで、第三舞台のメッキはすっかり剥げてしまった。元のファンの多くは自らの不明を恥じつつ、彼らのステージから離れた。
「時代の寵児」でしかなかったことを痛感しているのは鴻上尚史自身であろう。第三舞台から産み出される新しいものはもう何もない。第三舞台は変わらない。変わり続けもしなかった。解散公演は、みっともなくモダモダと愚作を発表し続けてきた鴻上の、最後の潔さだと言えるだろう。
2012/01/25 00:22
2012/01/23 22:47
2012/01/22 20:52
2012/01/22 15:54
でもマトモに批評しようと思えば、原稿用紙10枚程度ではまだまだ不十分でしょう。一人一人の俳優の演技については、殆ど触れることが叶いませんでした。鴻上尚史の演技論についても、その著書を読む限り、実践的じゃないと疑問を抱いているのですが、具体的に批判する余裕がありませんでした。
小劇場演劇が安易な笑いに走っている、というのは、私だけの実感ではなかろうと思います。20年ほど前、劇作家の岡部耕大さんが講演で「今の観客は笑いを入れないと満足しない。仕方なく笑いのシーンを入れている」と仰っていたことを覚えています。
つかこうへいや野田秀樹は、決して「くすぐり」で場を繋ぐことはしていなかった。彼らの芝居でももちろん笑いの起きるシーンはありましたが、それは結果論的なもので、鴻上尚史のような押しつけがましさはなかったように記憶しています。
つまらないギャグには白ける、というのが普通の客の姿勢でしょう。でも今の観客は、俳優が出てきただけで笑うことすらあります。そう言えば、ビートたけしが以前、漫才をしなくなっていった理由の一つとして、こんなことを言っていました。「何もしなくても、客を罵倒しても、あいつら笑ってやがるんだ」と。
可笑しいから笑ってるんじゃないんです。笑いたいから笑ってるんです。こういう客ばかりなら、演劇は死んでいくばかりですが、そんな客ばかりにしてしまったのも、小劇場の担い手たち自身の責任なのです。