満足度★★★★★
今更だけど・・
そういえば自分も観てきました。
いつも春風舎に行く前には、江古田の古本屋につい(計画的に)よってしまい、
この日も買い込んだ美術の洋書や落語やサイードの本などを抱え込んでひいひい辿り着いて、
おまけに10分遅刻してしまいましたが(汗
逆にプロットなどをきっちりと組み上げていく舞台と違い、
遅れても途中からでもすっと入れました。
・・そういう意味では、遅刻者にも優しい舞台だなと。
ストーリー自体は当日パンフに書いてあったので、ちらと見て話の流れはすぐ理解できました。
台詞そのものは直接状況を説明しているわけではなく、
コトバのいくつかが物語に引っ掛かっているだけなんですが、
そのやり取りを聴きながら、
「・・この物語にランダムにあちこちの本から文章を引き抜いてきて当てはめていくとして、
ここそこに、いま目の前に出されている文章をパッチワークして貼り付けていく様子を思い浮かべると、これはなかなかのセンスなのでわ?」
・・というような気になってきました(作者の思惑通り?
・・ほんとたとえばなんですけど、
例えば、ゼーバルトなんかが、
旅路の果てに色々な歴史・物語を標本のように本の中に組み上げていっているとしたら、
作者はそうしたなかにある必然性やセンチメンタリズムなどを一切排して、
物語に偶発的にセンテンスをつなぎ合わせていくときに現れる驚きや彩りを観客と一緒に楽しんでいるのではないかという気になってきます。
そういう意味では、なんかバロウズのライブペインティングを、目の前で
(当日パンフの物語に、目の前で、役者の口から飛び出る台詞でビシバシ彩っているという意味で・・)
やっているみたいな雰囲気にも感じられそうな・・。
・・まぁ、こういった物語、あまり肩ひじ張るとかえってとっつきにくいかもしれませんが、
ストレートな舞台だと、10分遅れただけで全くついていけない、ということが、
こういった舞台のように、物語より演出(・・というかコトバ遊び)でみせようという舞台の場合、
割とついていくのは容易・・というかたいして変わりない、というのは、
演劇作品としてはなかなかのアドバンテージだと、自分は思うんですけどね(苦笑
ちなみに、この舞台を観ていて、
物語のなかに充満している毛色の違うセンテンス群の嵐を眺めていると、
ふとなんとなく自分の足元の古本の束のセレクションに似ている気がしてきたものなので
・・ちょっと、評価が甘くなったかもしれないことをここに付け加えておきます(苦笑
・・ちなみに観劇後にジャンプを買い忘れていたことに気づきました(笑
まぁ、そんな感じで良いんじゃないかな、と、自分は思ったものですから。