満足度★★★★★
ゆえにその名をバベルと呼ぶ
たった今、演劇でしか表現できないことは何か、そのことを常に念頭に置いて作劇している点で、長塚圭史は演劇界の最前線を走り続けている。
“目玉をなくした女”朝緒(中村ゆり)と、その友人たち、教師、両親、目玉を探すべく依頼された3人の探偵、といった人々によって、何となく物語らしいものは紡がれていくが、彼らの「旅」は時間と空間が混濁した奇怪な迷宮に囚われ、出口はいっこうに見えない。
肝心なことは、世界の中心にいる朝緒が“目玉をなくしたことを自覚していない”点にある。長塚圭史が観客に問いかけているのは、この世界を認識している我々の自我そのものが極めて不安定で、個々人の思い込みや妄想によってかろうじて崩壊を免れていて、しかしそのせいでコミュニケーションの基盤となる共同幻想を持ち得なくなっている現実をどうしたらよいのか、ということなのではないだろうか。
他者との関係を認識できない我々は、自らを「孤独」と規定することすらできないのである。