奇形鍋 公演情報 財団、江本純子「奇形鍋」の観てきた!クチコミとコメント

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    形ばかりの生ぬるさ
     タイトルに偽りあり、羊頭狗肉とはこのことで、「奇形鍋」と言いつつ、本当の奇形は一人しか出てこない。
     「人間はみな“奇形”だ」という主旨だろうかと初めは思ってみてものの、それならば“あのような落ち”を付けるはずもない。10分か20分ほどのコントならばあの落ちも生きたものを、物語を一時間以上も引き延ばし、すっかり散漫なものにしてしまった。
     「奇形」が現代のタブーであり、彼らへの差別や偏見に抵抗しようとする意識が江本純子にあったことは見て取れるが、その手法が結果的には小手先で終わり、観客の心胆を寒からしむるまでには至っていない。「演劇」の表現力はこの程度のものではないし、あのラスト以降を描くことこそが「演劇の使命」なのではないのだろうか。

    ネタバレBOX

     「奇形鍋」とは、意欲的かつ挑戦的なタイトルである。
     テレビや映画ではもちろん、出版物においても、殆どのメディアにおいて、「奇形」は自主規制コードに引っかかって使えないのが現状である。「奇形」に゜限らず、様々な表現が「差別的」とされて抹消、「表現の自由」が実質的に侵犯され続けた哀しい歴史、それはもう半世紀を超えようとしている。
     「奇形」の問題に限って言えば、『ノートルダムのせむし男』は『ノートルダムの鐘』に、『ダレン・シャン 奇形のサーカス』は『奇妙なサーカス』に改題させられている。
     「言葉狩り」をしたところで、差別の実態がなくなるわけではない。逆に差別は巧妙に「地下」に潜り、陰湿化する。被差別者自体に社会の目が向けられなくなる。身障者の社会への参画は改善されつつはあるが、「奇形」へのまなざしは、決して暖かくはない。むしろ看過されてきた面の方が大きいだろう。

     しかし、演劇の場合は、この間、そういった自主規制からは比較的自由であった。「かたわ」や「きちがい」などの一般的には「賎称語」とされる言葉の飛び交う戯曲も少なくないし、舞台に本物の一寸法師が登場することもあった。それは、演劇が「表現」と「実態」は別、という仕分けをキッチリと理解してきたという輝かしい歴史でもある。
     映画やテレビにおいても、「小人役者」は、一昔前までは決して珍しい存在ではなかった。東宝怪獣映画の「ミニラ」の中に入っていた「小人のマーチャン」などは、私たちの世代には馴染みが深い。
     だが現在においては、そういった役者がテレビ画面で観られる機会はほぼ皆無に等しくなっている。「奇形の人を見世物にするなんてかわいそう」という視聴者の「良識」が、彼らの生活の手段を奪っていったのだ。
     十年ほど前だったろうか、「小人プロレス」が「身障者を不当に苛んでいる」と非難を受けたことがあるが、その意見に真っ向から反駁したのが当の小人レスラーたちであった。

     今はなきペヨトル書房発行の『夜想』という文芸誌で、30年ほど前に「奇形」特集を組んだことがある。
     当時、ほぼ封印状態にあった、小人や小頭症、シャム双生児ら奇形のサーカス団を「本人たち」を使って描いたトッド・ブラウニング監督作『フリークス(怪物団)』のスチル紹介を中心に、例の「エレファントマン」やアンドロギュノス(半陰陽)など様々な奇形写真の紹介と、識者の評論で構成されていた。特に近世文学評論家の松田修の寄稿は注目に値する。即ち、「蜘蛛男」などの「見世物小屋」での奇形の興行は、彼らの生活を保障する手段であったという事実の提示である。
     「親の因果が子に報い」という彼らへの「哀れ」の庶民感情は、近世と現代とでは全く逆転してしまっている。「可哀想だから」木戸銭を払う。「可哀想だから」見たくないと、世間からその存在を消そうとする。どちらが彼らにとって差別的かは言うまでもないだろう。
     そして、「見世物の復権」を唱えて、現代、あえて「奇形」を舞台に上げようとしてきたのが、寺山修司だった。小人や大女が舞台せましと走り回る。その片鱗は、実験映像の『トマトケチャップ皇帝』などで今も鑑賞することが可能だ。
     石井輝男は、江戸川乱歩原作の『恐怖奇形人間』や『盲獣vs一寸法師』で、「奇形の復讐」を繰り返し描いてきた。奇形がいかに差別され迫害されてきたか、それを真正面から描こうとすれば、彼らの怒りや恨みも描かないわけにはいかない。それは時には彼らを「犯罪者」にもする。それが偽らざる現実だろう。「奇形」の問題に踏み込めば、そこまで描かないわけにはいかない。
     
     この舞台にも「奇形」は登場する。
     最初は、男性のような女性、「ボイタチ」と呼ばれるバイトのリーダーが「奇形」として登場したように見せかけて、ラストシーンで、妊娠中の女性のように見えたセイコちゃんが、実は「豆太鼓」と呼ばれる「奇形」であることが判明する。途端に、そこにいたバイトたちは、しんと無言になってしまう。
     本物の奇形を前にして、なすすべもなくなってしまうのだ。
     我々一般人が、いかに「奇形」の存在を意識から遠ざけて、あるいは存在しないもののように扱ってきたか、我々の無自覚な差別意識が露呈する瞬間である。
     ところが、劇中、価値の反転を図って最も「演劇的」だったこのシーンが、全体の中ではまるで印象深く残らない。それまでの工場内での愚にも付かないやり取り、感情移入を拒絶するような俗物と情緒不安定者ばかりが右往左往する展開が長すぎて、肝心の「奇形」の問題が、取って付けたもののようにしか見えない。「Aと見えていたものが実はBであった」という落ちを生かすための伏線が少なすぎるのである。
     この意外性で落ちを付けるのが得意だったのは、コント作家時代の井上ひさしである。てんぷくトリオのコントは、ほぼこのパターンであった。NHKの「言葉狩り」に最初に反意を示した彼のことである。もしも「奇形」をモチーフにすれば、こんなダラダラした芝居よりも、よっぽど「毒」の利いた、鮮烈なコントを作っていたことだろう。

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    2011/06/04 16:28

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