満足度★
形ばかりの生ぬるさ
タイトルに偽りあり、羊頭狗肉とはこのことで、「奇形鍋」と言いつつ、本当の奇形は一人しか出てこない。
「人間はみな“奇形”だ」という主旨だろうかと初めは思ってみてものの、それならば“あのような落ち”を付けるはずもない。10分か20分ほどのコントならばあの落ちも生きたものを、物語を一時間以上も引き延ばし、すっかり散漫なものにしてしまった。
「奇形」が現代のタブーであり、彼らへの差別や偏見に抵抗しようとする意識が江本純子にあったことは見て取れるが、その手法が結果的には小手先で終わり、観客の心胆を寒からしむるまでには至っていない。「演劇」の表現力はこの程度のものではないし、あのラスト以降を描くことこそが「演劇の使命」なのではないのだろうか。