『十二人の怒れる男』/『裁きの日』 公演情報 劇団チョコレートケーキ「『十二人の怒れる男』/『裁きの日』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    『裁きの日』重厚にして濃密
    素晴らしい舞台だった。密室での会話劇。こういった会話劇にはキャストらの秀逸な演技力も要求される。それに応え熱演。そして本も素敵だ。裁判員制度に関しては様々な論議があったが、制度が決まる前は容認的な声が多かったものの、決まってからは何故か否認の意見が多かったのも事実だ。
    今回の舞台は社会全体の秩序に視点を置く裁判長、裁判官らと、加害者個人に視点を置く裁判員らの争点の違いが山場で見応えがあった。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    序盤、裁判長と堀田裁判官の二人が加害者に対して既に「死刑」と結論付けており、裁判員達を妥当な結論に導く為に、誘導しようという思惑の密談から始る。

    そんな思惑に気付かない裁判員たちは定番通りに加害者に殺意があったかどうかを議論する。こういった論議で参加者を支配してしまうのは発言力の強いものと、説得力のある者だと相場は決まっているが、ここでは意外にもフリーターのような格好の見た目軽そうな裁判員・水野(西尾友樹)の言葉が冴え渡る。この設定は想定外だったので度肝を抜かれたが、こういった手法も古川の上手いところだ。

    しかし、元々人間というやつは弱い生き物だ。そんな人間が人様の生き死に関して裁く立場になるというのは、物凄い重圧と負担がかかる。その上、「死刑」と決まってしまったならば間接的に人殺しになる訳だ。一生、罪の意識に苛まれる。そういった感情に負けてしまう裁判員も当然いるのだが、「その感情に支配されてはいけない。」と裁判長は法の論理を説明する。そしてかつて「死刑判決」を下した過去の記憶も話す。

    その内容は、死刑囚が死と向かい合ってその罪の重さを考え続け悔い改めた数年間と、被害者遺族にとっては、その判決が一条の光となった経緯などだ。

    ここでの登場人物全員を善良な人として終わらせているのは古川の優しい性格からだろう。

    判決に正しいか間違っているかなどない。裁くのも裁かれるのも人間だ。しかし社会の秩序を考えたときにその法は生きるが、個人の更正を考えたときに死刑判決は更正のしようがない。

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    2011/05/29 18:02

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  • ゆーすけ>
    コメントサンクス。

    >色々な考え方があって、意見があると思います。

    ↑珍しく主語がありませんが、何に対して色々な考え方なのでしょうか?
    『十二人の怒れる男』も観たかったのですが、既にスケジュールは埋まってしまいました。
    評価が良いだけに惜しいです。

    2011/06/01 12:03

    いつもご来場ありがとうございました。
    色々な考え方があって、意見があると思います。
    それを感じて頂けたのなら、嬉しいです。

    2011/06/01 02:13

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