満足度★★★★★
Cプログラム
マームとジプシーの観劇は2作品目ですが、改めてリフレインの魅力に引き込まれました。自分にとってグッとくるシーンが、少しずつ変化しながら何度も何度も繰り返されるのは、すごく贅沢な気持ちになります。いつまでも見ていたくなりますし、すごく物語に共感しました。
ネタバレBOX
点とはなんでしょう?と劇中に問いかけられるシーンもありましたが、記憶であり、場所であり、時間であり、色々な解釈が出来るなと思いました。そうした点と点が結んで出来る空間は、個々人にとって唯一無二な世界でありながら、並列世界として無限に広がっていくなと思うとワクワクしました。「9・11」や「3・11」について語られる時に、役者さん達が片足をあげて非常に不安定なポーズで発話する姿は、私達の日常もある日突然足を踏み外す危うさを秘めていることを体現しているのかなと思いました。上演中にリアルタイムに、事前に用意した映像と、リアルタイムの会場の映像を切り替えながら進行する演出も、観客の私達の視点を様々な大きさ、角度に変えて見えて刺激的です。前回見たのが、「Kと真夜中のほとりで」で非常に役者の肉体を酷使して表現する公演だったので、今作は比較的静かな公演だったなと思いましたが、やはりリフレインの魅力は十分楽しめました。
満足度★★★★
会場の一体感
1人の男の10代の生き様を会場全体で共有する、3時間半の1人芝居。上演時間の長さは全然気にならないし、演劇を普段見ないような人こそ、その楽しさを感じられるようなシンプルだけど力強い快作だと思いました。正直、具体的な地名や実在するミュージシャンの名前などはほとんど知らなかったので、わかるともっと深く楽しめるんだろうなと思いました。
ネタバレBOX
誰もが通る10代の多感な青春期に、体感する初めてだらけの体験の連続。女の子と付き合ってセックスするとか、身近な人を亡くすとか、理由のない全能感とか突然何もかも嫌になったりとか。一つ一つのエピソードがリアル(オリジナル戯曲が自伝的作品だから当然なのかもしれませんが)で、自分の実体験にないことが多いですが、あるかもと共感してしまいます。10代の何者にもなれるような全能感(学校の校庭で自分1人しかいない空間で自分が宇宙飛行士か冒険家になったような気になるような高揚感)から、年齢を重ねて徐々に自分の可能性が徐々に狭まっていくことへの焦燥や、自分の進路の新たな世界への希望までが丁寧に描かれていると思います。
会場中が黒板とそこに書かれた文字で囲まれていて、出演者の太田さん演じるアダムがグルグルと客席の間を歩きながら黒板に書かれた人名を読み上げたりしながら演じるので、目の前で演技が見れてそれだけで、もう楽しい。なおかつ、観客一人一人に目を合わせて語りかけたり、問いかけたりする演出は本当に自分のために上演してもらっているような気持ちになるような贅沢で、物語にのめり込める、なかなか味わえない体験です。
物語のクライマックスに浮かび上がるたくさんの登場人物や場所(地名)。その膨大な1人1人との関係がアダムの人格や人間性を形成するんだという事実。それは、観客1人1人にも同様にたくさんの人との関わりやつながりで今日があるんだという自明の理の再発見で、あぁこういう瑞々しい感覚、忘れていたなと思い起こされて堪能しました。
終演後、会場に設置されたバーカウンターでビールも飲めます!時間があれば会場で、観劇後の余韻に浸りたかったなぁ。
小劇場レビューサイトのワンダーランドにも今公演の記事が載っていて、理解が深まりました。
満足度★★★
ユルぽっぷ
ユルさとエロさの混在したコントでした。その性質故に戸惑う場面もちらほらありましたが、ツボにはまる場面はすごい面白かったです。会話や設定は、ベタなのかシュールなのかつかみどころが無くて、中盤からようやく雰囲気にノレました。テンポが早くて、役者さん達のスキルが高いからうまくいってるコントだなと思いました。
ネタバレBOX
設定の基軸が3人組女性アイドルとプロデューサーなので、女優さん達がみな、キレイでカワイイならオールOKなんだ、という公演なのかな。そうだとしたら☆5つでもいいんだけれど。
開演して役者さん達が会場に寒い寒い言いながら入ってきてウォーミングアップしてる場面は素で喋ってるのだと錯覚してしまいました。観劇後に振り返ってみれば、あんなに声張って世間話するのは不自然なんですが。でもしっかり複線になってラストまで引っ張られます。要所に出演者の裁量で、アドリブっぽく喋る場面(武子さんが出演者の誰かに告白する場面とか)と、きちんと脚本演出に従って進行する部分が相互に並んでいて、そのバランスを絶妙に取りつつ進行する役者さん達はすごいなと思いました。
特に、おな中(同じ中学)というフレーズから始まる、普通の言葉なのにエロく聞こえる言葉を読み上げるシーンはバカバカしくもエロくて大爆笑でした。これも進行役のクロムモリブデンの武子さん(全部台本だとしたら相当うまいし、アドリブだとしても冴えてる)が上手いから面白くなるんだろうなと思います。本当にもっと聞いてても飽きないだろうなぁ。一方で無声で進行して動きだけで2人の女性と結婚した男が、ある日を境に両方と別れるという様なシーンも印象的でした。
ラストのアイドルダンスはみんなうまいなぁと素直に見入ってしまいました。でも普段、いわゆる地下アイドルを見慣れて無いせいか、何だか見ていて気恥ずかしくなりました。歌詞でおっぱい、おっぱい、言ってるせいかもしれませんが。変にエロを推さないほうが面白かったのかな、と個人的には思いました。
蛇足ですが。日替わりゲストに男性の回もあって、どういう風になるんだろうと気になりました。
満足度★★★★
A、見た
本当にフラッと観に行きました。どのパフォーマーもかっちょ良くて、充実してました。チラシには載って無かったけれど、白神ももこさんも出演してた!すげー笑った。ミクロシアのダンスもすごいレベル高いのに何かすごい笑った。真夜中フォークミュージック、独特で癖になる。高橋萌登さんのふにゃっとガシッの緩急がすごかった。そして遠田誠さんの圧倒的な存在感。いやー、普段ダンスとか音楽ライブとか行かないけど、一気にバリエーション多彩に体感できて楽しかったです。
満足度★★★★★
葛藤のその先
わかりやすい絶望。「孤独で不安で寂しい」普遍的な気持ちを過剰なエログロナンセンスでしっかりエンタメに仕上げていて、作・演出の河西さんの作る世界は毎回観劇するたびに居心地が良いなと思います。出演者の方達も見事に世界を体現していて、なんでもない会話の言葉1つ1つが物語世界を引き立てているなと思いました。
ネタバレBOX
国分寺大人倶楽部の過去作品を幾つか見ていますが、これまでの作品を通じて繰り返し用いられる思いの共通項のようなものは何だろうなと考えました。
例えば「閉ざされた空間での内向的な人間関係」。物語の中の登場人物の中だけで世界が完結していて、彼ら彼女らはどこにも行けないんだろうなという寂しい感じ。過去作品を振り返ってみても、会話や設定から、物語の外側はほとんど描かれてないように見える。
「現実はこんなもんだと突きつけるような暴力的でシニカルな視点」。永遠の愛なんて無いことを、死や暴力や絶望でこれでもかと見せ付けるシーンは、どの作品にも共通しているのかなと思います。
「常に緊張感の漂いながら観客を引きつけて離さない展開の早い盛り上がりの連続の物語構造」。キラキラした一瞬が面白くて、その間の余白も、その後の長い人生にも興味がないように思う。
それらが浮かび上がらせる物語は、極端な自己肯定感の喪失や共依存を通じての逆説的な問題提起なのかなと思います。ご都合主義なほど絶望的な物語が突きつけられるほどに、反面希望が浮かび上がってくるところが不思議です。もっと周りの大事な人を、そして自分自身を信じても良いよなと逆説的に感じさせてくれるところが面白いと思います。
開場中に流れる神聖かまってちゃんの「死にたい」を連呼する歌詞を聞きながら待つ開演、目の前は天井から布がたらされていて舞台美術が見えない。この時点で既にテンションあがってしまう!開演して作りこまれた1LDKの部屋の舞台美術にびっくり。そして、しばらくして場転してシーンが変わると舞台美術がガラッと転換!!左半分に主人公の実家の自室、右半分は喫茶店になって2つの異なるシーンが並列で語られるのに再度びっくり、すごい作りこまれてる。
今作の主人公のシゲルは、作中に3年間の時間が流れても全く成長しない。五体満足で家族も仲間もいても、自分は誰にも愛されていないと感じる自己肯定感の低さ。一方でありふれた幸せを見せて、他方でそれらは自分以外の人の手にあって僕の手元にはないという認知の歪み。
物語のラスト(2013年)
舞台の左側では、愛されたいと思うけど皆離れていってしまうと思ってしまう主人公シゲルは、最後は血まみれで母親とキスをする。それは絶対に裏切らない無償の愛を与える母親への、現実逃避なのかなぁ。
舞台の右側では、過去(2011年)にシゲルと「ずっと手をつないでいる(一緒にいる)」と話していた彼女(まりあ)が、別の男と幸せに生きていく風景が描かれる。
ラストでシゲルは絶望して、まりあは幸せになったように終わっているけれど、2人にも、もちろんそれ以外の登場人物にも、その後の長い長い余生があって、その瞬間の幸せや不幸だけで人生は規定できないんだけれど、その瞬間、刹那が全てだと錯覚してしまう感じ。まさとの死や、あっという間に物語が1年後に進み、その間の情景が最小限にとどめられているのは観客に想像する余白を多く持たせるというよりも、そこは面白くないから省略といった感があるのかなと考えてしまいます。あくまで観客が見たいものを見せるエンタメ精神に徹する姿勢はスゴイなと思います。そうした物語の内側の余白を想像させるよりも、外側を想像させる。登場人物達のその先、葛藤のその先に思いを馳せることが本質なのかなと思います。
そしておまけ公演。こんなにスゴイ作品作ってる役者さん達が、グダグダでバカバカでめちゃくちゃなことを演じることで、物語は全部嘘なんだと、改めて突きつけるところも含めて、やっぱり好きだなぁと思います。
満足度★★★★★
めくるめく妄想
とにかく圧巻の舞台美術!!!開演前、無音で、しかも、目の前の舞台美術が隠されていて、しかも、よく耳を澄ますとなんか開演直前まで人や物の動く不気味な音がっ。何が起こるのか観客みんなドキドキしながら息を飲んで待ってたように思います。始まったら1時間20分ほどの公演時間はあっという間でした。これだけ細部まで作り込まれて驚きに満ちた舞台はなかなか出会えない。この妄想に執着しきった掴みどころのない世界観を体現する役者さん達もすさまじいなぁと思いました。客席からも思わず驚きの声がしばしばあがって、ラストはもうこのまま延々と見てたいなぁと思うほどでした。もっとオドロオドロしい感じかと思って構えていましたが、笑いも要所に散りばめられていて、見たことのない世界を覗き込んでしまった背徳感がありました。人間の中には、こんな豊かな妄想力があるんだなぁ。
満足度★★★★
この生は受け入れがたし
寄生虫についての知識が浅かったので何もかもが新鮮でした。どっちが寄生しているのか、しみじみ考えさせられました。自然すぎるくらい自然に装われた演技も、微細にこだわった舞台美術も美しいなぁと思いました。
ネタバレBOX
アフタートークで目黒寄生虫館の小川館長の話が面白かった。やっぱり、寄生虫好きなんだなぁとか。実際の日本では寄生虫研究者はああいう風に解剖したり検便調査は、もうほとんどしてないんだとか。行ってみたいな、寄生虫館。
満足度★★★★
↑アガリまくり↑
ピースの多いジグソーパズルが、スパスパはまってくような爽快感!場転で人や装置の移動が多く、きっかけだらけなのに、それら1つ1つが見事に決まる、しかも音や照明にばっちりはまってるのでアガル、アガルっっ!!そして群舞がもの凄い楽しい。物語の筋がどうのこうの、じゃなくて、カッコイイで楽しいならOK、な劇空間で興奮しまくりでした。
ネタバレBOX
アフタートークでDULL-COLORED POPの谷さんが、作品の見所を引き出してくれたので、ストンと落ちた部分がありました。炎さんの作る河童のダンス、、、見たい。
満足度★★★★
一体となって
動脈バージョン観劇。たった4人の登場人物で、架空の国の存亡が浮かび上がる。緊迫した状況でも、達観したように日常を過ごそうとする登場人物たちからにじみ出る焦燥感。小さい会場で俳優を間近に見れてドキドキしました。
ネタバレBOX
四方を客席で囲んだ中央で舞台が行われる。途中で、俳優たちが観客の間に座る。また、登場人物たちと目が合う。それは、意識して観客も公演に巻き込んで一体感を与えるような演出なのかなと思いました。大竹さんの軽やかな動き、動きながら喋るのも良かった。そして何より、言葉の力強さ。やはり、アマヤドリの広田さんの書く言葉は魅力的で奥深いなぁ。多分、最後まで本当に彼が本物かはわからないんだろうなぁ。無理やり納得するしかない。筆跡でも、ほくろでも、体を交えても確信が持てないとするならば一体何を持って本人だとするのか。人間の唯一性はどこにあるんだろうと考えさせられました。
アマヤドリの広田さんのツイートで「ヴィトゲンシュタインが第一次大戦で何を体験し何を思ったのか?ということについては僕も以前からとても興味を持っていたことなのです。」と言っていたので、意識して見ると戦争の悲惨さが浮かんでくるように思いました。哨戒塔の上に登って「僕の戦争が始まる」って言うし。
満足度★★★★★
興奮しまくり
知的好奇心と演劇の面白さを最大限に刺激する、極上の劇空間。観劇するまでウィトゲンシュタインの名前も知らなかった僕でも楽しめたので、予備知識なくても安心して観れると思います。個々の正しさを主張しあう事がそのまま物語につながっていく無駄のなさ。でも観客に考えさせる余白をしっかり残す。役者さんの演技も迫真で、舞台上の演出もキレッキレで、息飲む劇空間!!文句なしに大満足っっ!!
ネタバレBOX
3月3日の鬼頭先生の講座にも参加しました。作品を作る過程を垣間見れたのも、ウィトゲンシュタイン研究者の先生の話を聞けたのもとても刺激的でした。ウィトゲンシュタインの激動の人生、そしてウィトゲンシュタインが言葉で世界を説明しうると理解を深めていく過程が丁寧に描かれている。神はいるのか、いるとしたらどこにいるのか。ウィトゲンシュタインが理解した哲学がどこまで世界に通用してどこまで通じなかったのか。それと同時に目の前にある戦争という現実に対して、その明らかにした哲学はどこまでが通用して、どこまでが無力なのか。
物語終盤、光の無い、真っ暗な空間で音と声だけがする不気味さで描かれる戦争風景にゾッとする。怖い。戦争なんかなくなればいいと思う。20世紀。科学の進歩で兵器も進化してたくさんの人が簡単に殺せるようになった。人間には想像力があって、その想像力があれば人が人を殺すことへの無意味さや恐ろしさが容易にわかるはずなのに。
哨戒塔の上に立ったときに初めて僕の戦争が始まるってどういうことなのか。どうして志願して戦地の最前線に来たんだろう。ウィキペディアでウィトゲンシュタインを調べると、彼の兄弟は結構ウツで自殺しているらしい。彼自身も、発達障害なのかと思うくらい、気性の激しい生涯を送っているように見える。彼にとって、生きることへどういう意味を見出したのだろう。やっぱり生きづらかったのかな、この世界が。だとするとすごくウィトゲンシュタインが身近に感じる。哲学なんて深遠なものは、僕自身のクソみたいな人生には無縁だと思っていたけれど、その思想や考えが人生をより良くしたい、知りたいという衝動から導かれたものなのだとしたら、共感できる。
そこに人間が生きている、極上の劇空間だと思いました。「趣味は読書。本を読んでると良いなと思う言葉があって。意味はわからないけどグッとくる」みたいな台詞が出てきて、その感動に激しく共感しました。とても良い言葉だ。
満足度★★★★
ツボだ~!
挙動不審に、口ごもって、曖昧に。この絶妙な優柔不断さに、イライラしながらクスクス笑ってしまう。この雰囲気は唯一無二だなぁ。もう、ツボにはまりっぱなし。
ネタバレBOX
田舎に暮らす弟夫婦のところに、10年も音信不通だった兄が東京から帰ってくる。几帳面な妻は、ろくに働かず家でダラダラとする兄のだらしなさにイライラしている。弟はお金もなく行くあてもない兄の境遇を思うと強く言えず、ズルズルと日々は過ぎていく。ある日、弟夫婦の車を借りた兄は事故を起こし車を大破してしまう。それをきっかけに、弟夫婦は兄を家から追い出す。2ヶ月後、兄とは東京で10年来の友人と名乗る友人が訪ねてくる。兄は携帯もつながらず音信不通で行方不明、後には弟の名前が連帯保証人になった大量の借用書が残される。
人情話だったなぁ。優しいからこそ兄貴は弟を頼ったんだなぁ。前半のゆるさで笑いを誘って、そのシーンが後半に人情話として反転する構造が憎い。頼れる家族がいて良かった。実際、物語の終盤の兄の行動を見るときちんと片付けも出来るし、だらしなくしないでいられる。そして何も語られない10年は何だか重い。もちろん、だらしなさは悪い。でも文句を言いながらも頼り頼られる家族のつながりは大事だと思った。再びフラッと戻ってきたらいいのに。どうか兄が生きていますように。
確か、ナニワ金融道で「勝手に連帯保証人に名前を裏書しても無効」って言ってた気がするけど。でも、あんなに借用書出てきたら笑っちゃう。最初から最後までゆる~く、でもきちんと笑いで落とすところが玉田企画の魅力だと思います。
満足度★★★★★
「熱狂」観劇
手に汗握る、ただただ興奮の2時間!!もう本当に目の前で演技が見れて、まばたきするのも勿体無いくらい、まさしく熱狂して観劇しました。歴史は詳しくないのですが、十二分にワクワクして心鷲掴みにされる公演でした。ナチスの持つドラマティックで緊張感がある史実を並べて見せることで、圧倒的な強度のある物語に仕上がっていました。それを演じきる役者さん達も本当にうまい。関連資料が配られたのも嬉しい。何より、演説。不謹慎を承知で、あの演説ならば騙される。だって、かっこよかったもの。これは、観れて良かった。
満足度★★★★
今、流行の思想
Twitterのアイディアを加筆して再構成された物語は、本当に現実で起こっても不思議じゃないなと思うほど自然に受け入れられました。まさに今の物語だなと思いました。
ネタバレBOX
『私達は皆弱者だ、競争を止めてお互いを尊重し合おう。相手に優しくしたら、自分も優しくされる。自分が優しくしたら、相手も優しくする。』厳密な概念のない思想、「ハルメリ」。大事なことはこの思想は冗談です、ってことだ。でも、クラブのイベントだったはずのこの思想はあっという間に、ゆる~くゆる~く、確実に拡散していく。このゆる~く、も大事な部分だ。顔も素性も分からない人とも、簡単につながれるし、離れられる。そこには責任はない。次第に大衆心理となって誰にも止められなくなる様子は、情報社会の面白さと恐ろしさの両面を如実に表しているなと思います。誰しもがもっと生きやすい世の中になったらいいと思って、気持ちの良い方に向かっていくだけなのに、どうしてこんな風に歪んでいくのだろうか。やはり大事な事は膨大な情報を、自分自身の指針で選別する事だなと思いました。そしてリアルな人とのつながりを大事にすること。アラブの春や日本の脱原発の国会包囲みたいな大きな動きも情報化社会だからこそ起こせた訳だし、便利なことは良いことだ。
物語の終盤、TVショーが繰り広げられるシーンで、役者の後ろにTwitterのタイムラインが流れるのが、面白い構成だなと思いました。また、劇場の天井にほど近いキャットウオークのようなとても高い場所から役者が台詞を喋る高低差のある演出も良かったです。こうした演出は、比較的大きなキャパの座高円寺だからこそ出来る試みだと思いました。
舞台を挟んで両側が客席になっていて、A~Fのどのエリアからでも観劇できる、となってはいますが実際座る場所で見やすさは異なるなと思いました。舞台上の客席は役者の方とかなり近いので臨場感があるのではと思いました。僕は舞台に正対する席(Cエリア)だったので物語を楽しむには見やすい席でした。
あと、好みの問題だと思いますが。以前に同じ作品を別の演出(ウォーリー木下さん)で見た時の、あの超絶カッコいいキレキレのパフォーマンスと比較すると、全体的にテンポが悪くて間延びしてるなと思いました。
満足度★★★★
2013年の革命
これから映画の世界で活躍するかもしれない俳優達の青田買い。以前に青年団が上演した時とは、作品から受ける印象がまるで違って、でもそれも良いなと思いました。とにかく、刺激的な内容の話なので、何度見ても刺激を受けるなと思いました。
ネタバレBOX
以前に青年団がアゴラで上演した作品を観たときは、劇中ずっと緊張しっぱなしの張り詰めた空間で、過去のものだと思っていた革命の気運が現代に立ち上ってくるのではと圧倒されるような観劇体験でした。それに比べると、今回は明らかにフワフワしている。それは、卒業公演だということでの、俳優の全体的な若さもあるけれど、意図して軽くしてるのかなと感じました。もう革命では社会は変えられないという諦めが根底に渦巻くようなしらけがある。例えば、冒頭の物語が始まる瞬間、俳優たちが唐突に小道具をセットして位置につくことを見せること。それは、これからはじめるのは物語ですよ、と見せる行為なのかなと思いました。全体を通してみても、様々な来訪者への対応の変化はあっても、自分達の革命の成功の是非に対する、いらだちや焦りや怒りを感じさせない雰囲気を作ってるのかなと思いました。
でも、そう考えてしまうのは初見で観たときと、今回の間の私自身の社会への向き合い方への心境変化があるのかもしれないので、勝手な推察なんですが。
でも2回見て、やはり感じる革命への切なる思い。政治も宗教も芸術も社会運動も、突き詰めていくと先鋭化して、武装化して、革命化していくのかなと思います。目の前の現実への問題は、原発にしろ医療介護にしろ保育にしろ貧困にしろ、その困窮する当事者は声があげられない。声をあげてもなかなか現実は変わらない。ならば極端なこと(革命)してでも、目に見える形で変革を求める気持ちはよくわかる。勿論、そんなことで世の中は変わらないと、私達は歴史を通して学んでいるんだけれど。でも劇中の登場人物、その1人1人が切実に自分の思いに正直に生きていて、この作品は繰り返し繰り返し上演される意味がある作品だと思います。観れて良かったです。
満足度★★★★★
自分を見つめる
闇を突き詰めて、疾走して広がり続ける物語。暗喩されている細部までは読みきれていないと思うけど、3つの物語が並行に近づいたり離れたり、劇空間に身をゆだねてるととんでもない所に誘われている気がする。このわかりそうでわからない、観客の想像力に委ねる所が余韻にいつまでもひたれてたまらないです。アフターイベントのライブも楽しかった。
ネタバレBOX
とことんまで自分自身を突き詰める話だなぁと思いました。自分が他の何者にもなれない、自分でしかありえないという絶対的な事実。自分が生まれてきた瞬間のことは自分ではわからないから誰かに覚えていてもらうんだけど、覚えていてくれる人がいなかったら。世界の誰よりも早くあることが自分を自分たらしめる存在意義だとして、自分自身には永遠に追いつけないというジレンマ。目が見えていなかったときに自分が見ていた世界は、目が見えるようになったら、見えなくなる風景。そうした自分が自分自身をつかまえる瞬間、その奇跡のような風景が浮かび上がるかもしれないとドキドキさせる物語でした。クライマックスの、俳優全員がぐちゃぐちゃに暴走して舞台中を駆け巡る場面は何だかあらゆるものを超越した隔絶した空間を生み出していたなぁと思います。
満足度★★★★
爆笑っっ
すごいことをやってるのに、すごくなく見せる。徹底的に無意味、それでこんなに笑えるからスゴイ。こういう笑いって、ツボに入る度合いが人によってまちまちだから、シーンとしている所で笑うのは勇気いるんだけど。でも堪え切れずに何度も吹き出しちゃいました。
ネタバレBOX
「人が人を裁くことについて徹底的に考えて、結論の出た人から帰れる」の時の「何だこの時間」感が、もうツボで仕方なかった。
満足度★
雑エンターテイメント
まぢか………他の皆さんが絶賛されてるのを見て凹みました。僕の感性が世の中とずれてるんだなぁ。ダメでした。
ネタバレBOX
個人的な感想は、「ひどかった。不愉快。」一生懸命作ってる劇団の方々に申し訳ないですが。物語が雑。演技が大げさで嘘くさい。それだけでげんなりしますが。許せないのは、作品内で描かれる人が人を殺す事への思考の軽さです。命や生き方を軽んじた物語は人間を冒涜してると思います。入れ子構造で現実と物語の境目を無くすことで、意外な展開を演出しようとしているのなら失敗してると思いました。
満足度★★★★
ぐるぐると
物語の根幹はリアル「っぽい」のに取っ付きにくさがまるでなく、作為や偏見や妄想などをごちゃまぜに喜劇になっててゲラゲラ笑える。世の中を斜めに見る感じも、観客ってこういうの好きでしょと計算されつくされてて何か………好き、見透かされてて悔しいけど。
満足度★★★★★
世界との対峙
物語世界の無限の広がりを感じる素晴らしい劇空間でした。一つの集団(思想)の始まり~終わり、過去現在未来、死生観みたいなものがない交ぜとなって、でも実感としてはもう終わっちゃうのってくらい見惚れてしまいます。あっと言う間だった。要所に盛り込まれた30名近い俳優の群舞は、何か自分が丸ごと吸い込まれていくような圧倒的な力がある。公演チラシの言葉を何度も読みながら、正しさって何だろうと考えました。
ネタバレBOX
散華(さんげ)の思想は、何だか引き込まれてしまうような魅力がある。自分の国の軍隊が人を殺した数だけ、散花のメンバーも同じ数自決する。自分の命を懸けた脅迫だ。自己責任って言葉が流行る日本人の思考にぴったり合うのかもしれない。「平和とか世界とかそのどうしようもなく大きくて抽象的な問題にどうやって向き合ったらいいのか。」、極端だけどそうした思いへの1つの答えに見えてくるから不思議だ。散花の失敗を教訓に未来の人達がたどり着く、「平和や統制のために怒る事を放棄する」という発想も、極端で悪夢のように見える。じゃあ、一体何が正しいのか。
劇の冒頭、暗闇の中で無から音や生命が生まれる。人類は進化しそして未来へとつながっていく。散花が生まれ、終わり、未来が提示される。そしてクライマックスで時計が反転して元の無にまでさかのぼっていく。どこまで遡ってやり直したら、僕たちはうまくいくのかと思ってしまう。高望みしなければ便利で快適で平和な日常。でも、退屈で空虚でそして危うい。貧困・格差・原発・戦争。自分の日常がある日突然、悪夢に変わるかもしれない危うさ。そんな時代に生きているように思う。それでも「おはよう」って目覚めるんだなぁと思うと、嬉しいのか苦しいのかわからないなぁ。
物語はわかりやすく深い。言葉も刺さるけれど、群舞のような俳優さん達の動きが本当に美しくて力強くて圧倒されました。
満足度★★★★★
男の性(さが)
粘りついて絡みついて逃れられない男の性(さが)を見せ付けられた、圧巻の舞台でした。5年前の作品を再構成されたとのことで余計なものをそぎ落とした物語はギュッと濃縮されており、時間を忘れてただただ見惚れて楽しみました。こんなに居心地が悪いような内容なのに、何でこんなに惹きつけられるのか。じっくり溜めのある間の演出がヒリヒリと緊張感を高めていました。そしてその緊張感に耐えうる適役のキャスティングでどの役者さんもとても魅力的でした。
ネタバレBOX
劇中に(売春する行為に対して)「割り切っても割り切れなくても(不特定多数の男に体を許すことが)辛いならばどうやって折り合いをつけるのか」。相手を尊重して大事にしたい気持ちとは別物として、肉体的な快楽を求めたいのは男の性なのだろうか。自分自身を省みても、この性(さが)から逃れられてないなと実感し、身につまされる作品でした。
黒崎(男)は新進の小説家・板倉(男)を馴染みの売春旅館に連れてくる。板倉は30代後半でも童貞で、「行為をすることで自分が大事にしていたものを失うのが怖い」と性交を拒んできた。板倉は自分の相手をしようとする玖美子(女)の誘いを断り、その場に居合わせる形となった口の利けない布見繪(女)と付き合いだす。次の機会に再度、旅館を訪れた板倉は「気持ちと体を一緒に考えていたから良くなかった。別々に考えればうまくいく」と玖美子を純粋に性欲のはけ口として交わる。交わった事を想起させるシーンで暗転し、フェードインした照明に浮かんでくるのは、先程まで玖美子の着ていた衣装を着た布見繪の姿だった。徐々に精神的に追い詰められていく玖美子は自殺し、板倉は夜な夜な遊び歩いて売春していることが提示され終幕する。
「幻戯」という公演タイトルに思いを馳せてみました。売春する仕事を迷いながらも10年以上続けてきた布見繪を「彼女がこれ以上汚れないように、僕は彼女には触れない」と言い家に囲い込む板倉は、一方で性欲の発散のために売春を続けます。口の利けない女に自分の思うとおりの理想像を押し付けて、理想像=幻想と戯れて生きる男の自分勝手さ、傲慢さが浮かんでくるように思います。実際、玖美子を抱く時の板倉のおぞましい存在感、こんな表情を人が見せるのかというような迫真の演技でした。そして、それでも客だからと受け入れる玖美子の姿は買われる側に選択肢のない悲哀を強く感じます。
ここから、勝手に観劇後に自分なりに物語を妄想してみました。布見繪は本当はいないんじゃないかという説です。その姿を見た者が板倉以外いない事(あの子とか口の利けないお姉さんと別の呼び方で存在が提示はされますが)や、そもそも板倉と布見繪を結びつけた日記を書いたのが玖美子なのではというシーンが提示されます。そうだとすると、板倉は玖美子と付き合っていたのか、だとすると玖美子との精神的なつながりを家に置きながら、旅館で玖美子と肉体的に交わっていたのか?物語の冒頭、玖美子の死を悼むシーンで「ある部分では死んでいるが、ある部分では生きている」というセリフが投げかけられました。もし死後も布見繪という名を借りた板倉の幻想の中で玖美子が生き続けるんだとすると、その狂気は一層深化するなと思いました。物語終盤に、暗い部屋の中で一筋の強い光の中で独白する玖美子の姿をした布見繪の姿、その光と影は同一人物の中に同在する2人の人格なのかなと思いました。
玖美子と布見繪の関係は、はっきりしませんでしたが、いずれにしろ強く印象にこびりつくような濃密な空間を楽しめて、色々考えさせられました。