満足度★★★★
悲劇を喜劇に変える技量
特色のある商品を生み出すことができず経営が傾きつつある、石鹸工場のラインが舞台。
ネタバレBOX
登場人物は、ラインで働く4人のパート社員、正社員である班長、そして主人公ともいえる工場長の6人。
そこに、3人の幽霊が絡みつつ、繰り広げられるコメディー。。。
3人の幽霊は、それぞれ工場の元社員で、会社に対して恨みを持つ。
一人は、先代社長の命を受け、石鹸に麻薬を混入させた商品を作成し、そのことが発覚しそうになり、責任を押し付けられて自殺を図った元社員。
あとの二人は、その麻薬混入済みの商品の運び屋として乗った飛行機が墜落してなくなった元社員。
また、工場長も会社に対して、恨みを持つ一人。
長男でありながら、社長の器とは判断されずに、弟に社長の座を取られ、自分は工場長の職に追いやられ。。。
と、アウトラインだけを拾い出すと、ストーリーそのものは、悲劇を地で行くような内容。
しかしながら、そのようなことを全く感じさせないようなふわふわとした石鹸の泡につつまれているような空気感で喜劇が演じられる。
まるで、(石鹸で)洗い流すことができない「恨み」はないと言っているかのようである。
タイトルの『石鹸工場』と『恨みを洗い流す』が見事に表現されているように思う。
達者な役者陣に支えられ、面白い舞台に仕上がっていた。
ベテラン陣の素晴らしはいうに及ばず、若い幽霊を演じた石川南海子と、栗栖千尋のおっとりした演技も今後を期待させるものであった。
当劇団は、ダンスとストレートプレイの2本柱で公演を行っているとのことであるが、今回のようなストレートプレイを今後も生み出し続けてほしい。
満足度★★★★
目に見える物事だけでは推し量れない人間の気持ち
とある私立の女子小学校の放課後に起こるいくつかの出来事を通じて、子ども、大人の揺れ動く思いを見事に表現。
『女子小学校』、生徒は『ハロプロエッグ』とくれば、お決まりの『学園もの』を想像するかもしれないが、そこはやはり、空間ゼリー。
何気ない放課後の一こまを切り取りながらも、内容は極めて真摯で、多くのことを考えさせられる内容の濃い舞台に仕上がっていた。
ネタバレBOX
大人の代表である教師による『不倫』、『いじめ』、『生徒指導』。
子どもの代表である生徒による『いじめ』=『いじめられないために個性を消すこと』。
など、複数のテーマを立てながらも、他者の目に見えることが物事のすべてではない、人間の微妙な気持ちを見事に表現。
『いじめ』を例にとれば、はたから見れば、一見いじめられていると見受けられる者が必ずしもそれをいじめとは受け止めておらず、いじめている側もいつ自分が標的にされるかもしれないという漠然とした不安を旨に日々過ごしているといった、目には見ない内面の様子を単なる台詞による吐露ではなく、行動を通じて表現するなど卓越した舞台であった。
前作暗ポップに続いて、たいへん良い舞台となっていた。
惜しむらくは、ハロプロファン、ハロプロ関係者と思われる人々の観劇が多く、舞台の途中での私語があったり、前節でお願いしたにもかかわらず、携帯の電源を切らずに、メールを着信し、しまいにはメールに返信をするという者が少ながらず見受けられたことである。
商業的に成り立たせなくてはいけない面もあろうが、通常の舞台を見慣れた者にとってはとても違和感を感じたことも事実である。
満足度★★★★
あの時代を知らぬ我々の代弁者
あさま山荘事件の設定をそのまま生かしつつ、チョコレートケーキによる独自解釈に基づく、あの事件の末路を描いた力作。
ネタバレBOX
山荘事件を起こしたのが5人の男性であること、人質が管理人の女性であること、それぞれの登場人物の名字が一文字づつ変えられていることなどなど、事件の設定そのものは「あさま山荘事件」を彷彿とさせながらも、管理人の女性を5人が自分たちの思想に組織化しようとした結果起こる、「あさま山荘事件」とは異なる結末を見事に描きだす。
我々、あの時代を知らぬ世代にとって、一種独特なカリスマ性を持つあの事件をなぜあの狂気に駆り立てたのかを丁寧に描く。
過激派5人に、新たなメンバーとして管理人の女性が加わるで起こる化学反応。その結果はある種予定調和的であるものの、迫真の演技によって、予定調和感を超越し、見る者を舞台に引き込む。
惜しむらくは、かくも女性管理人があのような思想転換を起こしたのか、より丁寧に描かれば、より説得力を持った舞台となったのではないか。
再演時の修正に期待したい。
また、あの時代を知る人々がどのような感想を持つのかも知りたいところである。
役者陣では、リーダー坂上を演じた岡本と、管理人を演じた蒻崎が名演技を見せた。
満足度★★★
ある愛の形
母の葬儀で久々に顔を合わせた4姉妹が、ガス爆発に巻き込まれることから始まるSFストーリー。
ネタバレBOX
「愛の歌」で一世を風靡した世界的シャンソン歌手を母に持つ4姉妹。
「世界が私を待っている」というポリシーを持つ母は幼いころから、4姉妹の面倒をあまり見ることなく、世界を飛び回っており、4姉妹は母の愛情を十分に感じることなく育った。
そのため、母の死を聞き集まった4姉妹はそれぞれに複雑な感情を抱いている。
4姉妹それぞれに、母への嫌悪を抱きつつ、その莫大な遺産の行方に注視をしている。
そんな中、ガス漏れに気づかずに、次女が煙草に火をつけた瞬間、4姉妹は爆風とともに、異世界へと導かれる。
その異世界とは、長女が幼き頃によく遊んだ、ミニチュアサイズの大きさに作られた模型の家(ドールズハウス)のなかであった。
彼女たち4人は、ドールズハウスの世界に迷い込んでしまったのだった。ドールズハウスのなかでは、人形がしゃべり、彼女たちと会話を交わす。
人形たちは、人間になるべく涙くましい努力を重ねる。
また、4姉妹も、当初は馬鹿にしていた人形たちの純粋な姿に心を打たれ、または自分自身が人間に戻るべくそんな人形たちを応援するのであった。
すると、人形の内の一体が突然、母親さながらのしぐさ、しゃべり口調を始めたと思えば、幼き頃の4姉妹との思い出を語りだす。
そう、母親は、その人形の体を借りて、娘たちに伝えられなかった最後の言葉を伝えに来たのだった。
動揺する4姉妹、明らかになる母親の思い。
複雑さを増す4姉妹の母への気持ち。
そんなやり取りの果て、気づくと、4姉妹は現実世界に忌避戻されていることに気づく。
母が憑依した人形とともに。
それぞれのシーンはコミカルで、見る者を楽しませてくれる。
一方で、なぜ、4姉妹がドールズハウスの住人となったのか、また、どうやって現実世界に引き戻されたかなど、設定に多少無理があるように思う。
演者では、かわいらしい人形役と、憎々しくも心の底では娘たちを愛してやまないシャンソン歌手と言う二役をこなした四宮由佳に拍手を送りたい。
満足度★★★★★
だから芝居はやめられない
当劇団初見。
「負け組」をテーマにした30分3本勝負のオムニバス。
ネタバレBOX
1本目は、負け組の恋愛相関図を描いた「きぼうのわだち」
2本目は、負け組の恋愛模様を描いた「Love letter from・・・」。
3本目は、負け組の壮絶なる復讐を描いた「リグラー」。
1、2本目は、負け組といわれる人々の恋愛事情を通して、明日への活力を得ることができる前を向いて歩こう系の演目。
それに対して3本目はまるっきり対照的な演目で、フジテレビ系列で放映されている「世にも奇妙な物語」を彷彿とさせる。
それぞれに、30分のショートショートながら、なかなかの出来栄え。
特に印象深いのはやはり3本目の「リグラー」。
それまでの2本がほのぼのとした作風だけに、その落差を利用した恐怖感は見た者に深い印象を刻み込む。
「リグラー」の完成度が高いことはもちろん、オムニバスという手法を最大限に生かした劇団の勝利ということであろう。
「リグラー」とは、英語では、wriggler(のたうちまわる人)の日本語表記なのであろうが、私なりの解釈では、「regret(後悔する)」をもじって、"後悔する人"という意味で使ってもいいように感じられた。
出演者の誰もが、後悔している様を見れば、その解釈がぴったりくるように思えてならない。
いろいろな解釈が可能。だからこそ、演劇は楽しい!
本劇団の今後に大いに期待したい。
満足度★★★★
ライトで、シニカル
フライヤーを見て、奇をてらった作品かと思っていたが、なかなかどうして。
4話のオムニバスながら、シニカルなトーンで描かれる小気味よい作品郡であった。
ネタバレBOX
まずもって設定が面白い。
レンタル展示スペースというシチュエーションを用い、展示即売会よろしく、そこに次々と登場する女の子のアドレスを観客に廉価で売ろうという設定。
一瞬、自分がオタクたちのたむろする場所に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
登場する女の子たちはそれぞれに、キャラが強く。それぞれに魅力的。
女の子のメールアドレスは定価は100円であるが、性根の腐った女の子に至っては、値崩れを起こし、50円の値札が下がっている。
さて、自分ならどのメールアドレスを買うか(どの作品が気に入ったか)といえば、やはり最初の作品である。
すべてをお見通しでありながら、好きな男の子との妄想に付き合ってあげる、高飛車を演じる小学生がなんとも素敵であった。
好みの分かれる作品であるとは思うが、シニカルな笑いに包まれた舞台は自分好みでぞくぞくしながら、最後まで楽しみことができた。
満足度★★★★
なかなかの快作
ダーウィンの進化論に着想を得て、佐野木なりの種の起源を紡ぎだしている。
ネタバレBOX
ダーウィンに初の子供が誕生する話と、生命の進化を重ね合わせた手法は秀逸。
銀石らしい難解な表現の中に、生命の神秘を独自の解釈で面白く表現。
ところどころなぜと思うシチュエーションもありながらも、最後まで、観客を飽きさせない。
生物の多様性について触れたシーンのなかで、「生物に優劣はない」というセリフが、私には、「人間に優劣はない」というメッセージに感じられ、思わず息をのんだ。
満足度★★★★
音楽と演技の調和
当劇団初見。
バンドによる生演奏と、演者による演技のコラボが(ミュージカル風に演者が歌う場面を含め)マッチしており、なかなか見事なハーモニーを醸し出していた。
満足度★★★
となりの芝生は青く。。。
齢80歳の痴ほう症を患う女性がゆめとうつつのはざまでみる風景の断片を寄せ集め、まるでモザイクのように映し出す。
ネタバレBOX
女性が辿ってきた人生の断片(少女期、妙齢期、子育て期、老後)をドラマ性にあまりとらわれることなく、イメージとして描き出している。
「ここではない別の場所」という言葉に象徴されるように、女性の振り返る人生は必ずしも満ち足りたものではない。彼女は常に自分にふさわしい場所を追い求めるが、辿りついた場所は彼女の求める場所ではなかったのである。
まさに、「となりの芝生は青く見える」という例えを地で行くかのように。
「多くの人々の人生は彼女のような後悔が付きまとうではないか」と作者・演出家に問いかけているかのような覚えたのは私だけではなかろう。
挿入される、ダンスや歌謡曲、そして、携帯電話などの小道具の多くが、時代考証を無視したものとなっているが、これは作者・演出家が意図したものなのであろう。しかし、その意図が必ずしも明確ではなく、中途半端な感じがしてしまう。
素材はたいへん興味深いものであるがゆえに、もう少し物語性を際立たせた再演を望みたい。
満足度★★★★
多くの含意を読み取れる作品
イヨネスコの「瀕死の王さま」をほぼ忠実の上演。
ネタバレBOX
しかしながら、観客の合間を縦横無尽に駆け抜ける役者陣とそれを可能にする客席の配置、効果的な映像の挿入など、新しい舞台の可能性を感じさせる作品に仕上がっていた。
死が現実のものとなったとき、人はどうあがき、どのようにふるまうのか。といった根源的なテーマを、権料の象徴たる王さまでデフォルメした原作の良さが生きていたように思う。
また、王さまは、イヨネスコの生い立ちを考えるに、ソビエト連邦への反抗を示していようにも読み取れる。
役柄では、第一王妃マルグリットと主治医の冷静さ、第二王妃と女官の暖かみとがうまく対照的に描かれていた。
上演時間は2時間30分近くに及び、中だるみ感があったことから、睡魔に何度か襲われた。
もっと濃縮した舞台にすることも可能であろう。
役者陣では何といっても、王さまを演じた栗山が出色。
満足度★★★
混沌としたまま終わってしまい残念。。。
宮沢賢治原作の「グスコーブドリの伝記」、「北守将軍のと三人兄弟の医者」、「貝の火」という作品をモチーフに紡ぎ出される詩的なイメージ。
ネタバレBOX
物語は、「グスコーブドリの伝記」をメインにし、主人公のブドリが失明してしまったというあたりは「貝の火」から、また、疲れ果てたとある公職者がその職を譲ろうとするあたりは「北守将軍のと三人兄弟の医者」から設定を借りている。
賢治のそれぞれの作品は童話、または寓話として、それぞれ素晴らしいものであるが、本作はそれをうまく一つにまとめ上げることができたのであろうか。
それぞれの作品の詩的なイメージは端々で伝わってくるものの、一体感、イイタイコトを伝えるという意味においてはそれは十分に伝わってこなかった。
グスコーブドリの伝記がメインテーマとした自己犠牲について、本作では何故、ブドリが犠牲となって人々を救おうとしたのかが今一つ明快に描き切れていないことがその例であろう。
面白い作品だけに、改作によってブラッシュアップを期待したい。
役者陣では、ブドリ役を演じた樋口浩二が熱演。
また、今村美乃は、1980・梁山泊の「宇田川心中」とは違った光を放っていたのが印象的。
満足度★★★
2時間もののドラマ
恋人を不慮の交通事故で亡くした30代半ばのスナックのママを、主人公に、ママを気遣う従業員、そして、常連のお客たち。
そんななか、一人の女の子がふと、お店の戸口を空けたことから物語は急展開を始める。
ネタバレBOX
恋人の突然の死によって、心にぽっかりと穴があいてしまったようなママ。
亡くなった恋人とママは結婚まで約束した間柄であった。
そんななかに現れた少女は、亡くなった恋人の子供であるという。
その少女は、両親の離婚後、母は彼女を置いて家を出、父は仕事が忙しく面倒を見れないとの理由から、長野県の父方の祖父母に預けられたいた。
ところが、祖父母では埋められない心の隙間があったのであろうか、父からときどきいていたママに母親の面影を見、夏休み期間をママと一緒に過ごしたいと考え、単身、長野から出てきたのだった。
従業員、常連の計らいもあって、結果的に、夏休み期間に限り、同居することを受け入れることになる。
結婚の約束までにしていたのに、子供がいるとという事実を知らされてい中多ママは大きく動揺する。
また、彼女は実の母親である先代のママが起こしたスナックを引き継でいたのだが、母親がママであったがばっかりに、幼少期つらい目にも逢ってきたこと、少女との遭遇によって思い出す。また、少女にも自分の母親同様に、つらくあったってしまい、結果して、自己嫌悪を陥ってしまう。
しかし、時の経過とともに、少女とママは次第に打ち解け、心を通わすようになる。
ところが、少女と一緒に暮らす約束の期間、つまり、夏休み期間が終わり、
ついには少女が長野へと帰る日がやってくる。
その当日、亡き恋人の生前の要望が、その少女の母親にもらいたかったことに気付いたママは、急ぎ役所に、養子縁組のための申請用紙を受け取りに行くのだが、無情にも、少女を引き取りにきた実の母親とともに、少女はスナックを後にしてしまう。
入れ違いでスナックに戻るママ。呆然としながらも受けれるママ。
そんななか、カランと扉が開く音がするなかで、終焉を迎える。
はたして、少女が引き返したのか、それとも。
結末は観客に任せるという仕掛けになっていた。
SFの手法が使わず、亡くなった主人公が登場することもない。
主人公のまま、そして、少女の心模様を丹念に描いている点は評価に値する。
一方で、SFの手法を使わない分、リアリティが求められることになるが、なぜ?と疑問の湧く設定もあり、全面的に芝居にのめりこむことができなかったのも事実である。
当劇団の今後に期待したい。
満足度★★★★★
鮮やかによみがえるいじめの記憶
タイトル、フライヤーからは想像のつかない、いじめをテーマにした本作。
コメディタッチであるがゆえに、浮かび上がるいじめの悲惨さ。
見事な作品であった。
ネタバレBOX
主人公は34歳の教師。
教師には中学校時代の同級生のフィアンセがおり、彼女に懐妊を契機に同居、結婚を控える。
そんな彼には、忘れえぬ記憶がある。
それは、中学校時代、一時期親しくしていた同級生をいじめが原因の自殺で亡くしてしまったというもの。主人公はいじめには加わることなかったものの不作為によって彼を追い込んでしまった。
亡くなった同級生は頻繁に彼のもとに、亡くなった中学生当時の姿で現れる。彼は時に主人公をなじり、時に今ってほしいかのようにじゃれてくる。
実はそのような体験は主人公だけではなく、主人公の妻も共有していた。彼女の元にも、彼はときどき姿を現していた。
また、主人公には、空想癖があり、あるとき、彼の部屋で、「世界教育者会議」と題する教育者の集まりが催され、主人公の敬愛する「先生」たちが、次から次えと搭乗する。コルチャック先生、宮沢賢治、「いまを生きる」のジョン・キーティング、坊ちゃん、など。
その会議の題材はいじめ。
そこから、いじめを巡る旅は始まる。
主人公夫妻、亡くなった少年、そして、主人公同級生それぞれの、いじめ、いじめられ体験が再現される。
衝撃的だったのは、それらの再現を見ている最中に、自分自身のいじめ、いじめられ体験が鮮やかによみがえったことである。
演劇を見ていてこれほどの追体験をしたことは始めてある。
見事の一言である。
今後も、このような良質な作品を作り続けていただきたい。
満足度★★★★
アングラの新星!
当劇団初見。
唐十郎の劇作に似てはいるものの、唐十郎ほど浪漫色は強くなく、かつ、イイタイことが明確なのが特徴。
アングラ演劇の新星を発見といった気分である。
ネタバレBOX
物語は、常に二項対立の構図で描かれる。
正常であると信じ込んでいる一般人(マジョリティ)が実は異常で、一般人が日頃異常であると判断している異端者(マイノリティ)こそが正常かもしれないというアンチテーゼを我々に突き付けてくる。
異端として物語で描かれるのは、脳性まひと思われる肢体不自由を患い、かつ、在日であという二重のハンディを背負う2人姉妹。薬漬けで、フーゾクしか行き場のない女たちなどなど。
登場人物が多く、本編のストーリーに必ずしも必要とは思われない登場人物もいることから、全体として雑然とした印象は受けるものの、これこそがアングラのカオスであるといわんばかりに劇作は主張を続ける。
役者では、主人公のチョリコとジュナコを演じた間瀬と池上が難しい役どころを好演。
劇団の今後に大きな期待を抱かせる公演であった。
満足度★★★★★
やはり凄い!
13号地は昨年の「此処より先へ」に引き続き、2回目の観劇。
前作に負けず劣らず、人間の深淵を見事に表現。
今回も引き込まれた。
ネタバレBOX
登場人物は4人。
それぞれ、時代は異なるものの、同じ場所で亡くなり、魂が成仏できずにさまよっている様子。
一人は先の大戦において焼夷弾を被弾し亡くなった50代と思しき男性、次に最近になってから高層マンションのベランダから不慮の事故によって落ちて亡くなった40代と思しきサラリーマンの男性、ベランダから落ちた男性の数年後に、散歩中に息絶えたタバコ屋の60代と思しきおばちゃん、そして、今はまだ命があるものの、そう遠くないうちに、前者3人の仲間入りをすることになりそうな20代と思しき女性(この女性はサラリーマンの成長した娘と思われる)。
交差するはずのない人生が、同じ場所での死亡(死亡予定)、救済されえぬことによって、出会う。
しかし、彼らは出会うことによって、自らの人生を悟り、それぞれ居るべき場所へと戻っていく。
そんなかれら霊魂(蝉の抜け殻)の会する場所を、蝉の穴と評した着想にも脱帽。
13号地の今後の活動にますます期待を持たせる内容の出来であった。
それにしても、これほどの秀作を生み出しながらも、観客動員がついてこないことが残念である。
満足度★★★
タイトルに集約された思い
3流!?劇団が解散公演を終え、劇団員および裏方スタッフたちが舞台上のセットをバラしている。
しかも、劇場からの退館時間が90分後に迫り、超過料金を払う余裕のない貧乏劇団は超過料金を発生さしまじと躍起になるが。。。
ネタバレBOX
舞台横には、本編開始とともに、90:00からタイマーのカウントダウンがはじまり、退館時間までの90分をリアルタイムで追う。
舞台上では、早々に劇場から引き上げようともくろむ外部から招へいされた舞台監督や元劇団員で劇団退団後も劇団の行く末が不安で講演のたびに格安で仕事を引き受ける証明係などの裏方スタッフ、劇団の解散に納得のいかない主宰、主演女優、そして、主演女優と恋仲にある俳優など、それぞれの異なる思惑が交錯しつつ、無情にもカウントダウンは止まることなく進む。
そんなところに割り込んでくるのが、劇場の管理人に、元主宰のタレント。
劇場の管理人は、初期の劇団をみて、劇団の将来に見切りを付けていた。
そんな管理人は、劇団が解散したのをいいことに、劇団をこれでもか罵倒する。
その言葉に発奮した面々は、退場時間まで15分に迫ろうという時に、管理人を見返すべく、ラストシーンをロビーで演じる。
はたして、無事に、ラストシーンを演じ終え、かつ、無事に退館することができるのだろうか?
90分のカウントダウンをリアルタイムで進行することで、観劇しているわれわれを引き込もうとする意図が感じられる。
この意図は半分は成功、半分は失敗といったところだろうか?
というのも、それぞれのキャラクターがほぼ平等に描かれることで、特定の誰かに感情移入をすることを難しくしていたように思う。
この手のストーリーはやはり誰かへの感情移入によってこそ、盛り上がるのではないかと改めて感じさせられた。
とはいえ、舞台の進行は軽妙に行われ、何も考えずに、気楽に見るにはもってこいの舞台であることには間違いない。
今後の劇団にも期待したい。
満足度★★★★
女性演出家ならではの優しいまなざし
6番シードの前主宰、劇作を担当してきた久間勝彦の同じ作品を気鋭の演出家4人が演出するという企画。
その中でも、本作品は、品行方正児童会主宰の前川麻子に指示した経歴を持つ佐藤靖子の演出。
横井さん、小野田さんよろしく、戦争を終了していることを2年余り知ることなく南海の孤島で暮らしてきた数名の日本人+αが日本を目指す船中での出来事を描く。
ネタバレBOX
戦争を経験していない世代が描く戦争物として、人間模様を力強く描く。
乗員の日本人はそれぞれ事情を抱えて、日本にいることができたくなったために、絶海の孤島に移住してきた面々。
そんな面々ではあるが、戦争終結を聞きつけ、それまでの安定した生活を捨ててまで早く日本に帰りたいと願う。
しかし、船長の桜木だけは違った。
桜木は、自分しか航海術を知らないことをいいことに、日本を目指すことなく太平洋上をぐるぐると回り続けるのであった。
元海軍士官の経歴を持つ桜木は、仲間を道連れに、機関銃1丁でアメリカ軍と一戦交えて潔く散ることを願う。
本来、進行方向の後ろに見えるはずの南十字星がときに進行方向正面に観えることに気づいた他の乗員によってそのたくらみが明らかとなる。
そんな桜木の行動は結果的に不発に終わる。。。
この桜木の試みも果たして本心からの行動であったのであろうか。
本気ではなかったのではなかろうか。
それは、タイトル(「on the way home」、直訳すれば、「帰り道の途中で」)からも推察されるところである。
重いテーマを、負の側面からではなく、明るく前向きに捕らえている点に交換がもてる。女性ならではの優しいまなざしにあふれる作品に仕上がっていた。
満足度★★★★
詩的な世界観を見事に表現
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
の書き出しで始まる、かの「銀河鉄道の夜」を比較的忠実に、かつ、巧妙に舞台化。
ネタバレBOX
当然、舞台という時間的制約のため、全編くまなく、舞台化されているわけではないが、主だったシーンは比較的忠実に再現されており、見事に宮沢賢治の詩的な世界観を表現していた。
今年で20数年目の上演であるという。練りに練られた舞台は一見の価値がある。
原作「銀河鉄道の夜」は、造語の多さ、宮沢賢治の死によって草稿段階での発表となったことなどを理由に、多くの解釈が成り立つことは十分に理解できるが、原作で描かれる前半の黒を基調とした「死」のイメージと、軽便鉄道を降りた後の白を基調とする「生」のイメージの対比が本作からはあまり読み取ることができなかった。
市民ホールという制約にも関わらず、せり出しを使い、舞台の奥行きを出しているなどの工夫があった。
鳥採りが鷺を捕まえるシーンなどはおもしろい。
また、本公演は夏休み期間中であったこと、市民ホールとの共催であることなどが原因なのであろうが、小学生未満の幼児を含む子供を連れた親子連れが多数来場しており、舞台中に、声を上げる子供、それを制止しようとする親の声が入り混じり、静かなシーンでは、俳優の声が聞こえないといった場面が多数あった。
途中に休憩があったが、特にこうしたことをいさめるような場内アナウンスもなかったことから、劇団も許容していたのであろう。
そのようなことを知らずに、観劇した観客も少なくないのではないか。こうした事情は事前に想定されるのであれば、ホームページ等で事前に告知することが、劇団には求められるのではなかろうか。
満足度★★★★
狂わされた人生の交錯
3億円事件をきっかけに、人生を大きく捻じ曲げられた人々の物語。
ネタバレBOX
題材こそ、3億円事件であるが、3億円事件そのものの謎解きというよりは、ある出来事によって大きく人生を狂われてしまった人々の悲哀、心のよりどころ、そして、それぞれの末路を丹念に描く。
一見すると、ハードボイルドもののVシネのような作りとなっているが、3億円時間をきっかけとして、一人ひとりがなぜにかくもこの事件に固執するか、昭和43年、昭和63年、平成16年、平成20年と時代を行き来しながら、徐々に明らかにする。
役者陣は、あて書きされたかのようなはまり役ばかり。
なかでも、裁判官・3億円事件の真犯人ではないかと疑われ、最後には自殺した男・草野を演じた五十嵐康陽が出色。とくに、人生をめちゃくちゃにされた男・草野の悲哀を見事に表現した後ろ姿は一見の価値あり。
満足度★★★★
必ずしもコメディーに固執しないことが勝因
当劇団初見。
舘そらみの劇作のファンであることから、観劇。
コメディー劇団と舘そらみというまったく異質な存在が交わるとき、どのような融合が見られるか期待を寄せての観劇であった。
30分のショートショート「欲の整理術」と1時間強の「ガハハで顎を痛めた日」の2本立て。
「ガハハ」は相応に楽しめる作品として仕上がっていた。
ネタバレBOX
まず、「欲の整理術」であるが、映画「猿の惑星」ならぬ、「豚の惑星」よろしく、豚に支配される世界における人間たちの反乱を描いたシニカルな作品。
知能を身に付けた豚が闊歩する世界において、圧政に耐えきれなくなった一部の人間が起こす革命の顛末を描くが、脚本の問題なのか、シリアスなストーリーをむりやり、コメディ仕立てにしようとした演出と脚本のミスマッチのせいなのか、メッセージがまるっきり伝わってこず、残念な作品となってしまった。
「やはりコメディーと舘の作品の融合は難しいのか、、、」という気配が充満し始めたころ、開演となった「ガハハで顎を痛めた日」は、そんな空気を大きく変える良質な作品であった。
舞台は着任を翌日に控えた新米中学教師たちの研修所。かれらは今停滞する教育界に風穴をあけるべく採用された社会人経験のある中途採用者たち。
かれらは、来る教師生活に備えて、教師役と生徒役に分かれて、いくつかのシチュエーションを模擬的に演じてみる。テーマは、「暴力」、「窃盗」、「いじめ」等々。
登場する5人の新米教師たちは、それぞれ、経歴も個性も異なり、教師を志したきっかけも異なる。しかし、ロールプレイングを通じて、一人ひとりが抱える不安が明らかになるとともに、かれらがこれから訪れるであろう困難に真しに立ち向かおうと考えているひたむきさがひしひしと伝わってきた。
また、各ロールプレイングの合間には、かれらが明日から担任するであろう中学生たちの日常が描かれ、ピリリとアクセントを加えている。
「ガハハ~」はコメディータッチで描かれることはなく、舘の脚本を十分に理解していたことが良質な作品を生み出すことができた勝因であったように思う。
8割世界には、コメディーにこだわらず、いろいろな作品に取り組んでほしいと願う。また、それを可能とする演出家、役者陣がいると感じた。