r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

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マクベス-シアワセのレシピ-

マクベス-シアワセのレシピ-

THEATRE MOMENTS

シアターX(東京都)

2010/05/20 (木) ~ 2010/05/23 (日)公演終了

満足度★★★★

<言葉>のドラマを<身体>で見せる
開演前に出演者が観客に飴を配るという予想外の親しさ、そして昼間からいっぱいで、ワイワイしてる感じの客席にまずはビックリしました。
気軽な雰囲気の「前説」(らしきもの)からシームレスに本題のドラマに入っていく手つきも含め、気持ちよく、伸び伸びしている集団(もちろん「考えている」と思います)なのだなと感じました。

芝居そのものはもちろん、「マクベス」ですからシリアスです。
セットも衣裳も小道具も、できるだけ具象を排した空間の中で展開されるのは声と身体のドラマ。動きもせりふも、決して過剰になることなく、でも、十分に満たされている、といってよいものだったと思います。中でも私は、感情や状況をたくみに表現する<声>に魅力を感じました。<声>が表現する恐怖や喜びには、不思議な奥行きが宿るものです。




ネタバレBOX

考えてみれば、この「マクベス」は、<言葉>が人を動かしていく物語でもあります。ならば、声という要素が全面に出てくるのも、不思議ではないのかもしれません。要所要所で手にした新聞紙(キレイに色が塗られているので中身までは見えない)を小道具に使っていたのにも同じような意味を感じました。(「上手く表現し合えない恋人たちの告白」の寸劇が前説として登場するのも親切なだけでなく、示唆的です)

上演時間は1時間半程度だったと思いますから、当然、テキストは再構成されています。となれば、時間を経ての別の角度、読み方、深め方もありうるのかもしれません。

今後も、親しみやすさは保ちつつ、さまざまな角度・深度を持った上演に挑戦して欲しいなぁと思っています。
Do!太宰

Do!太宰

ブルドッキングヘッドロック

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2010/05/14 (金) ~ 2010/05/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

古くて新しい物語、大きな演劇
演劇ならではの時空間の仕組みを利用した“手法”で、あたらしさや面白さを提供することが、演劇界のひとつのトレンドになっていたような気がする昨今。

でも、今回のこの作品はしっかりとした物語の中で、オリジナリティも現代性も、そして、演劇ならではのダイナミズムも実現していたと思います。

こういった「物語」の中でさまざまな試みに挑戦することの潔さには今ドキなかなか出会えなかったという気もします。2時間20分(休憩なし)の長尺もさほど気になりませんでした。



ネタバレBOX

太宰(と思われる男)の葬式に漫画家が友人として参加していたりと、現在の日常を生きる人々と太宰作品の世界を自然につないでいく手つきは、観客を気持ちよく作品の流れにのせてくれます。

太宰らしき男とその作品の登場人物たち、読者、書き手である喜安さんの作品の登場人物、そして現代を生きる漫画家と周辺の人々……が、入り乱れる構造は、ポップに軽やかに、「太宰治の作家像」を超え、やがて「創作することの意味」にたどりつきます。


独特のナイーヴさとそれを自ら相対化しウジウジする小心ぶり、そんな自分が大好きなナルシシズム……太宰治という人のさまざまな側面(それは一つでもあるけれど)は、多かれ少なかれ、誰もが持っているもの。だからこそ読者たちは「私のことを書いている」と口々に言うのでしょう。

作中では作品=排泄物といった表現が登場しますが、その発言にこそ私は作り手の大いなる自信を感じもしました。

ラスト、どこまでメッセージをハッキリ出すのか――ということに関してはきっと、好みの分かれるところかもしれませんが(あまり言わないのも、かえってあざといとは思いますし)……いずれにせよ、「今、ココで演劇をする/観る」ことの意味をしっかり示した作品だったと思います。
アメリカン家族

アメリカン家族

ゴジゲン

吉祥寺シアター(東京都)

2010/04/29 (木) ~ 2010/05/02 (日)公演終了

満足度★★★

「家族の形」って……
「再生の物語ではない」とのことでしたが、多少風変わりではあっても、これはやはり「家族の絆(とその重要性)」に焦点を当てたものに見えました。

母が出て行った後の、荒れ果てたリビングとダイニングを舞台に描かれるのは、非行、引きこもりなど、それぞれに問題を抱えた家族の、なじりあいや暴力をも交えた激しいコミュニケーション。とはいえ「そろって誕生日を祝う」ことへの異常なこだわりも手伝って、その様子はどこか滑稽にも見え、笑いを誘いさえします(このあたりは俳優の魅力でもありますね)。












ネタバレBOX

家族やその一人ひとりの登場人物が抱えるドラマを描くというよりは、この不恰好な関係性、その激しさ(ポジティブな面もネガティブな面も)の方を描くことに力点が置かれているので、舞台上の盛り上がりとはうらはらに、登場人物の心象や動機が追いづらく、多少戸惑いを感じる部分もありました。特にこの家に「他者」としてやってくる(居候含め)4人のありように関しては、もう少しリアリティーなり、モチベーションなりが見えても面白かったと思います。

個人的にとても興味を引かれたのは、
ここで描かれる激しいやりとりが、結局は(他者の交わらない)いわゆる「家族の形」の中に回収されていくということ。エキセントリックに見えても、この家族ははじめから壊れてはいなかったのか、あるいは作り手の側に強い「形」への憧れがあるのか……。

いずれにせよ、ひとつの「家族観」を見るという意味でも考えさせられる上演でした。
ORGAN 【ご来場ありがとうございました。次回公演は9月中旬】

ORGAN 【ご来場ありがとうございました。次回公演は9月中旬】

elePHANTMoon

サンモールスタジオ(東京都)

2010/04/07 (水) ~ 2010/04/18 (日)公演終了

満足度★★★

リアルな視線、ニヒリズムの罠
D(ドナー)編、R(レシピエント)篇の両方を観劇しました。

どちらも苦い終幕。その時に感じたもやもやをどう整理するのか――それにはある程度の時間が必要で、今になって感想を書くことに。

生きる、ということはすなわち人と関わるということ。人と人との間には、愛も慈しみもあれば、打算や嫉妬、憎悪もある。さらに、それらが交錯し、なかなか1点に一致することがないのが、この世の常。この2本の芝居は、そのことを極めてヴィヴィッドに、スリリングに描いていると思います。また、そのことによって「考えさせる力」も持っていると言えるでしょう。

が、、私はこういうものを書き、表現できる人にこそ、「ドラマティックであること」に惑わされず、限界まで考えて考えて、考えうる限りの希望をしぼり出し、描いてほしいとも思うのです。

そこにはきっと、もっと鮮やかで深く、耐用期間の長い感動(ドラマ)があるはずです。

(むろんそれは、分かりやすい「希望」にはならないでしょうが)




ネタバレBOX


D編では、死刑囚からの臓器提供の申し出に揺れる、被害者家族(彼に子どもを殺された夫婦)の葛藤が軸になります。この申し出は一見、「つぐない」として理に叶うもののようにみえてその実、被害者にとっては事件の記憶をイヤでも蘇らせ、さらなる苦しみ、葛藤を与えるものでもあります。冷静な判断など望むべくもない状況に追い込まれた夫婦の感情のやりとりは、ヒリヒリと生々しい。また、友人との間で交わされる、さりげない「決定する/しない」をめぐる会話、移植コーディネーターの女性と母との間に横たわる父の死をめぐるすれ違いも、「臓器移植」という題材を重層的に見せます。

R編は、もう少し明るいトーンで、ドナーとなった男性の家族がレシピエントに抱く期待と、裏切り、それに対する復讐が描かれます。年に1回集まるレシピエントたちとの食事会に死者との再会と「絶えることのない感謝」を期待する母娘は、滑稽かつ恐ろしく、また無垢です(だから時々かわいくさえ見える)。また、彼女たちの期待をよそに、もらった命をそれぞれ気ままに生きようとするレシピエントたちも、のびのびと魅力的で、それだけに恐ろしい。D編とは違ったドライで明るいアプローチが、物語の面白さと怖さを引き立てます。

そして、ラスト……なのですが、
D編では被害者夫婦の妻が死刑囚の臓器を受け入れて生きようとする矢先に、別の被害者に殺害されてしまいます。
R編では母娘の希望に沿わないレシピエントは、その臓器を取り上げられてしまう羽目になります。実行犯はドナーを事故死させてしまった男(母娘に使われている)。母娘は取り上げた臓器と食事会をした後、ふたたび「ふさわしいレシピエント」を探すことにします。

どちらも衝撃的で、印象的です。でもちょっと、ドラマティックであること、アンチ・ハッピーエンドであることに流されているような気もしました。クリエーションにとってシニカルな視点は欠かせないものといえます。けれど、それが単なるニヒリズムやドラマ性に帰するものなら、いわゆる(揶揄して言うようなベタな)「いい話」とどこが違うのか――。

もちろん、この作品はそれほど単純ではありません。D編のラストに登場する殺人者は自ら命を絶っているし、R編の母娘が取り返した臓器もまた、(ドナーがいないため)「瀕死」の状態にある。最終的に「勝った立場」にいるものは誰もいないという意味では多面的ということもできます。ただ……レイプを題材にした「成れの果て」も、同じように衝撃的なラストだったのですが、あの時はその苦さがもっと多層的で(言葉は悪いですが)魅力的にも見えたのは……こちらの方がより根源的で普遍的な問題(生死/相互理解)を扱い、かつその答えとして「絶望」を導き出してしまったからでしょうか。

俳優はどちらも魅力的で、演技に関する演出も繊細にされているだろうと想像します。これだけ「絶望」をうまく積み上げられるのであれば、やはり、是非「希望」をこそ、考え、表現してほしいと、期待を持ちます。

小さくてもいい、或いは見つけきらなくてもいい。でも、演劇が、たくさんのシニカルな視線を通過しながら取り組むのは、前提された「絶望」ではなく、ありもしないかもしれない「希望」であってほしい――というのが私の願いです。














ことりとアサガオ【舞台写真UPしました】

ことりとアサガオ【舞台写真UPしました】

三角フラスコ

エル・パーク仙台 スタジオホール(宮城県)

2010/03/12 (金) ~ 2010/03/16 (火)公演終了

満足度★★★★

お葬式日和
太宰治の世界を換骨奪胎した埋葬と再生の物語。

時代設定は現代で、家族を失ったらしい女と、家族がバラバラになっているらしい男(二人は長い付き合いで、男の兄弟をめぐっての因縁もある)の会話を軸に舞台は進行します。

女の夥しい<思い出>が埋められた庭での何気ないコミュニケーションが、彼らの絶望や自己憐憫をちょっとずつ和らげていく過程に、鳥を探す「作家」というなぞの男との詩的なエピソードが差し挟まれ、ベタなりがちな設定や物語をギリギリ回避しつつ、膨らみのあるものにしていると感じました。

また、「作家」のかもし出す不条理感も得がたいですね。この「作家」、「作家」かどうかということも含め、全体に対してどう位置しているのか、若干追いきれないところもあり…なんとなくもやもやもする部分もあるのですが、一方でむしろこの不条理、時間間隔を「分かりやすさ」ではない方向にもっともっと
演出も含め)鋭く磨くことで、「日常」の場面が引き立つのではないか、さらに舞台としての面白みもまた増すのではないかという大きな期待を感じもしました。


冒頭、男女が会話するあいだに、何をするでもなく「作家」が舞台を横切るのですが、これはちょっとチェーホフなんかも思い出す遊びというかほのめかしで、個人的に好きです。

最後に舞台とは直接関係ないのですが、前説で本番中に連日続いた地震に触れて、非難誘導の話をされたこと、終演後、劇場出口で知り合いだけでなく、すべてのお客さんに挨拶されていたこと(出演者の人数が少ないからできることではあるでしょうが)、好印象でした。


月並みなはなし[2010]

月並みなはなし[2010]

時間堂

座・高円寺2(東京都)

2010/03/11 (木) ~ 2010/03/14 (日)公演終了

満足度★★★

爽やかな修羅場
比較的物語性のある会話劇を観ながら時おり考えるのは、「せりふ=本音なのかどうか」ということ、また、「嘘は前提とされているのか」ということ。

限られた月への移住権をめぐって、議論し、対決し、揺れる人々。
希望者自らが挙手制で他の候補者を一人ずつを落選させていく――という身もふたもない状況には当然、大きな感情の起伏が伴います。
しかし、そこで不思議だったのは俳優達の佇まいが、どこかさっぱりと明るいようにも見えること。それはごく自然に舞台に立とうとする俳優のあり方で、意図しないことなのかもしれないけれど、彼らが「自然さ」「明るさ」をまとえばまとうほど、その裏には想像もつかないほど生々しい感情が隠されているようにも見える。このズレはとても面白いと思いました。

舞台美術や衣裳、チラシなど、ビジュアルのセンスにもこだわりが感じられ、気持ちのよい空間づくりがされています。それだけに、個人的にはこの気持ちよさの裏にある「生」の方へ針が触れる瞬間がもう少しはっきり見えてもよかったというか、分かりやすかった気もします。





ネタバレBOX

「月の移住」という夢は一見ファンタジックですが、この作品を見る限りでは、人びとは月に行っても、地球に居るときと同じ生活を営むのかもしれません。いや、もしかしたら、この選ぶ/選ばれないという一種の「修羅場」は彼らに傷を残しさえするかもしれません。
では地球に残された人は不幸だったでしょうか。落選した男が恋人と寄り添って立つラストシーンには、「生活していくこと」の現実と幸福をじっくりと噛み締めたくなるような美しさがありました。
 Y時のはなし 【Vacant公演終了!Y時は次 5月に山口県YCAMとシンガポールにいきます!!!YCAM公演チケットは4月3日より発売!!!山口で会いましょう~~ぜひ】

Y時のはなし 【Vacant公演終了!Y時は次 5月に山口県YCAMとシンガポールにいきます!!!YCAM公演チケットは4月3日より発売!!!山口で会いましょう~~ぜひ】

快快

Vacant(東京都)

2010/03/04 (木) ~ 2010/03/06 (土)公演終了

満足度★★★★★

美しい時間
過去を、その美しさや醜さも含め、どのようにビビッドに記憶し、記録していけるか――。それは、芸術にかかわるものにとって、中でも「時間」を扱う演劇にかかわるものにとって、非常に重要なテーマだと思います。この作品にはそのことへのとても真摯な取り組みがあると感じました。

学童保育を舞台にした、ささやかで繊細な人間模様を再現していく舞台は、にぎやかでポップなおふざけや遊びにあふれているのですが、決してアイデアの面白さだけに終始しているわけではありません。
「ある時、ある場所、ある人びとのあいだにしか共有され得ない時間」を扱うという(普遍的テーマ)の前では、その遊びさえ、輝かしい1回性を持つのでしょうし、実際、劇場ではそれを媒介に多くの人が「繋がっている」感が演出されていました。(対面の客席の笑顔の多さにはちょっと驚きました)

人生には美しい瞬間があります。しかし、人はその時、それを自覚することはできません。
ですが、この芝居のラストのような輝きを通じて、その瞬間を思うことはできるのだと思います。





喫茶久瀬

喫茶久瀬

文月堂

サンモールスタジオ(東京都)

2010/03/02 (火) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

満足度★★★

たっぷり!
古びた喫茶店を舞台に、そこに集う人々の悩みと絆、再生を描く物語。

「失われたご近所」を描く物語でもあり、そこでは「ここも!? あなたも!?」と驚いてしまうほど誰もが問題とドタバタの種を抱いています。

あまりにもてんこ盛りなので、そのぶん、せりふまわしや設定、モノの扱いなどに「素直(シンプル)すぎるな」「もうちょっと細部を見せてほしい」と感じる部分もありました。でも、大人になっても決して「オトナ」にはなれない人々の心情をこねくり回さずに描く筆致はむしろ気持ちのよいものとも言えますし、スピーディーで巧みな展開(これは脚本のセンスですよね)と俳優たちの熱演には飽きさせない魅力があり、素直に笑い、楽しめます。

てんこ盛りなだけにすべてのエピソードを着地させるのには多少時間もかかり……2時間をちょっと超える、その「ちょっと」ぶん、スマートでもよかったかもしれません。この芝居には合わなかったかもしれませんが、敢えて閉じない話があるのも個人的には好きです。


ネタバレBOX

いわゆる「アラフォー」の惑いを描くその先にあるのは、決して大仰な成功でも、人一倍の幸せでもありません。登場人物たちは「幸福」へのキーのようなものを手に入れ(触れるくらいで?)、舞台は終わります。

エピローグに「子どもの誕生」が描かれる(ここ、非常に複雑でナイーブな問題を孕みもしますよね)ことも含め、ある種「ユートピア」的な物語ではあります。でも、いずれにせよ、今ドキの大人のユートピアは「雨降って地固まる」ことのようで。前提として雨は降る。そのこと自体にリアリティを感じもしました。

会場には過去の作品の舞台写真がさりげなく展示されていました。初めて観る者にとっては興味深く、イメージも広がります。こんなところにもカンパニーの気持ちよさは宿っているのですね。










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