Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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トリスタンとイゾルデ

トリスタンとイゾルデ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2024/03/14 (木) ~ 2024/03/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

イゾルデ役のリエネ・キンチャ、トリスタン役のゾルターン・ニャリとも途中交代の出演であったが、心配は全くの杞憂だった。バスのヴィルヘルム・シュヴィングハマー(マルケ王)もすばらしい。プランゲーネの藤村実穂子もよかった。私は「ワルキューレ」のフリッカで見た記憶がよみがえった。

デカローグ1~4

デカローグ1~4

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

プログラムA:1 計算では絶対起きないはずの事件によって、人知の限界を語る。デカローグとはモーゼの「十戒」のことだが、全10話がきれいに10の戒律に該当するわけではなさそうだ。しかし第1話は「主が唯一の神である」という第1戒律に直結する。そのため、やや抽象的な芝居になったと思う。
2階建てのセットが団地を示す。これからの10話で、コンクリートの箱の住民たちの小さな出来事が演じられていくことが予告されている。

同3 小島聖は、精神的に不安定で危うい女性を演じるとピカイチである。今作でも、元不倫相手の前に突如現れて、彼を巻き込んでいくが、巻き込まれてしまうのも無理がないと思わせる。寂しいクリスマスイブを送りたくない、というのはカトリック国では日本以上に切実かもしれない。それが未婚率上昇に歯止めをかけているかも。

B:2 がんで死にそうな夫と、夫以外の男の子供を妊娠した妻。女は医師に「自分は産むべきか中絶すべきか。教えてくれ」と迫る。ユダヤ人の医師は、収容所で妻子をなくした。子供を失った傷を抱える医師には、妻にいう言葉は一つしかないが…。

同4 ABプログラムの中では、抜群の出来。この1編を見られただけでも、とくに近藤芳正の抑えた動きの中に、葛藤がにじむ演技が素晴らしい。娘の夏子の下着姿もさらす真正面のぶつかりも、父役に負けてなかった。そして結末の見事な回収。途中の娘の動きが、そういう意味だったのかと分かる。ドキドキした緊張と解放を1時間の中で存分に味わえる舞台だった。近藤の演技にあたたかい笑いも多かった。

ネタバレBOX

2では、最後に突然(!)回復した夫が、「僕たちの子ども」ができたと医師に語って喜ぶ。父親は誰なのか。本当に夫の子なのか、何も知らないだけなのか。あるいは夫は別の男の子と知りながら、そう自分に言い聞かせて受け入れているのか。「僕たちの…」に、「間」があったので、夫は不倫の子を受け入れたのではないかと、私は受け取った。

3、4はどちらも最後に、女の話は嘘だったということで、話が収まる。そういう共通点のため、どんでん返しのカタルシスがある。だから、プrグラムを1-3,2-4という組み合わせにしたのだろう。この後は、順番通りのプログラムである。
夢の泪

夢の泪

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

東京裁判3部作の二部作目。久しぶりに見ると、よいところ、イマイチのところ、ともによくわかる。
松岡洋右の弁護人に抜擢された弁護士夫婦、同じ曲を互いに「夫が作った曲だ」と奪い合う占領軍で歌う歌手二人、朝鮮人の父をヤクザに刺されて警察に訴えても相手にされない学生(「いまぼくは感じる…捨てられた」は強い曲)、アメリカで日系人として収容所に入れられた日系2世の将校(「うるわし父母の国」もよい)、以上の4つの筋がない合わされている。いずれも作者の追求したテーマであり、一つのテーマだけで独立した作品も書いている。そういう点では、集大成的な作品である。このなかで、一つの曲の謎を解いていく顛末が、理屈っぽくなりやすい芝居を救っている。

日本人弁護士に、被告が弁護料を払えないからと、みなで街頭で募金を訴える歌が面白い。「こころやさし君よ」。心優しい人々のはずが、石を投げられ袋叩きにされる皮肉がきいている。全体として歌は、既存の曲に、新しい歌詞をつけているのだが、メロディーと合わない、かなりこじ付けというか無理筋の歌詞もあり、苦しいところだ。

弁護の証拠を集めようとしても、戦時中の役所の書類は焼却されてしまった。その償却命令が8月7日に出ていたというのが、どうしてだろう。まだ御前会議で決まっていないはず。ポツダム宣言受諾の最初の「ご聖断」は9日なのだが。

ラスト近くにしみじみ歌われる「丘の上の桜の木」(宇野誠一郎作曲「心のこり」=ひょっこりひょうたん島挿入歌)が、耳に残る。郷愁と戦死者への鎮魂とが込められた名場面。しかし、それで終わらず、さらに10年後、戦争を忘れ旧指導者が復活して繁栄に浮かれる日本を揶揄するシーンで締めくくるのは、井上ひさし流の戦後日本へのきつ~い風刺である

ネタバレBOX

娘の英子が弁護士の父母に訴える台詞に、作者のメッセージがある。「人様に裁いてもらっても駄目だ。あとから、あれはよかった、いや間違っていたともめるだけ」「自分たちが自分たちを裁かなければ」(記憶なので正確ではない)。

VIOLET

VIOLET

梅田芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/04/07 (日) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

見てる間は、よくわからないところが残るけれど、見終わってあれこれ考えると見えてくるものがある。主人公の顔の傷も、黒人の肌の色も、舞台ではノーメイクなので、能動的に想像しないと見えてこない。「大事なものは目に見えないんだよ」という『星の王子様』の狐の教えのとおりである。映画と違って想像力を使わなければならないからこそ、能であれ、新劇であれ、古びない訴求力を持つということを考えさせられる。観客に考えさせることの多い芝居である。歌はうまくて素晴らしい。
2時間10分休憩なし

獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち

獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち

劇団東演

俳優座劇場(東京都)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

桜隊が原爆で全滅したことをめぐる芝居だが、桜隊(特に丸山定夫=南保大樹)よりも、演出家の八田元夫(能登剛)と劇作家の三好十郎(星野真広)が強く印象に残る。最後に、丸山の死に責任があるのは誰か、丸山の堕落を厳しく批判して映画をやめさせた三好十郎が丸山を殺したのではないかと、二人が語り合うシーンが印象に強いせいだ。また、桜隊の「獅子」の稽古を三好が見に来て、我慢できなくなって、役者たちをくそみそにこき下ろすシーンが格段に秀逸だからだ。

1940年から次第次第に厳しくなる新劇人へのしめつけと、その中で芝居を続けるためには、移動演劇連盟に入るしかなく、また広島へ行くしか選択肢がなかったという苦境が、劇団内の議論で示されていく。疎開や、軍都・広島に感じた危険性から、俳優がどんどん抜けて、その代わりの俳優を探す。そうして彰子が加わるのである。彰子は、大映の女優の友達も誘い、その彼女も原爆で亡くなった。

桜隊の話に並行して、出征した夫・かもんに宛てた新妻・女優の彰子(あきこ)の手紙が挿入されていく。彰子は結局、桜隊に加わって、原爆死する。(原案になった本を読むと、この手紙は、戦後50年以上、カモン(映画「無法松の一生」で、息子役を演じた俳優)が保存していた、妻からの手紙の現物である。それを知って、感動した)

桜隊が演じる「獅子」のラスト、丸山定夫の獅子舞は、それまでの2時間の集大成にふさわしい、リアルで生き生きした場面だった。園井恵子(  )の演じる慌てふためく農家の国策おかみをおしのけて、丸山の堂々としたせりふ「それが人間じゃぞ」の晴れやかさがよかった。2時間20分(15分休憩込み)

ネタバレBOX

観劇後、原案の堀川惠子「戦禍に生きた演劇人たちー演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇」を一気に(特に後半を)読んだ。三好の「獅子」の稽古でのダメ出しは、八田の遺した膨大なメモに残っていたもので、だから罵倒言葉が格段に個性的でリアルだったのだ。他にも丸山についての三好の言葉など、ほぼ八他の記録からそのままとっており、舞台でも非常に強い印象を与えた。三好と八田が戦後に抱え続けた「戦争責任」のとげも、本書でより深く知ることができた。
丸山定夫の戦意高揚映画出演や、戦時ラジオへの出演の問題も、これまでになく掘り下げて書いている。その堕落から脱却を目指した丸山の再起をかけたのが「苦楽座(=桜隊)」であり、その良心的行動が、広島での被爆死に結果したという歴史の皮肉には、簡単には素通りできない重いものを突き付けられる。


八田が自身の戦争責任と向き合った戯曲「まだ今日のほうが!」は5年前にみたことがある。本書によれば、「まだ今日のほうが」のドイツ語挨拶をめぐる兄妹の会話が核心だそうだが、私の感想を見直すと、そのことは全く触れていない。妹と元活動家の恋人の、左翼活動の堕落をめぐるやり取りに目を奪われてしまっていた。
イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

原爆を賞賛したり、いろいろ心が波立たせられる芝居だった。原爆実験で、もしかしたら空気に連鎖反応を起こして世界が破滅するかもしれない、という議論が出てきた。映画「オッペンハイマー」でも、カギとなる疑いとして出てくる。それを相談しにオッペンハイマーはアインシュタインに会いに行き、その後の二人の関係の伏線になる。

1944年から2009年までを、60年代、70年代、90年代と時を追いつつ、ロスアラモスで出会ったカップル、子供たち、友人たちの60年以上の人生を描く。

ネタバレBOX

ベトナム戦争に志願した息子は、車いす生活になって戻り、娘は日本人の被爆男性と結婚する。海兵隊将校の息子はイラク戦争で劣化ウラン弾をあびる。かなり欲張った芝居である。

200×年に米国の核開発関係者が、広島で被爆者と会って絶対に謝らなかったことがあった。その話を知った作者が、原爆開発の戯曲化を思いついた。そうとは知らなかった。ただ、現実の謝らなかった科学者は「リメンバー・パール・ハーバー」とまで言ったそうだから、この芝居でいえば、海兵隊の将校になった男のような人物ではなかったのか。この芝居の主人公ならば謝ったのではないかと思った。
La Mère 母

La Mère 母

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

5,6年前に作者ゼレールは「父」で、認知症の高齢者がみる世界を観客に体験させて、鮮烈な日本デビューを果たした。全く知らない人たちの住む別の場所と思ったら、それはよく知る娘夫婦の家だったというような。別々の俳優が演じるのがじつは同一人物という奇策で、当然別人と思っていた観客にもショックを与えた。

前置きが長くなったが、「母」はこの手法の延長にある。舞台で起きていることは、現実なのか、母(若村麻由美)の脳内妄想なのか。最後になるまで、その境目がわからない。
子離れできない母親の「からの巣症候群」を描いたということになる。極端すぎる気がするが、そこが妄想の妄想たるところなのだろう。でも「父」の変化球や、「息子」の多声性とどんでん返しに比べて、少々一本調子のように思った。

ネタバレBOX

いないはずの息子(岡本圭人)が現れ、帰ってきたのかと思えば、父(岡本健一)が「一人で何をやってるんだ」と、息子の存在を否定する。それでも息子は現れ続けるから、ほとんどは母のみる幻想なのである。
息子は「ママは僕の人生を台無しにした」等、母への辛らつな批判を口にする。母の嫌いな妻のことを、母よりも会いたがったりして、母に対する他者性を見せる。じゃあ、これは現実なのか。実は逆で、妄想だからこそ母の心内に抑えた恐怖や、自分を責める言葉、見たくない最悪の想像が現れるのだろう。
カラカラ天気と五人の紳士

カラカラ天気と五人の紳士

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/26 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

別役実が生きているときより、死後、別役作品の舞台が格段に面白くなった気がする。数年前、坂手洋二の演出もよかったが、今回はまた抜群の芝居に仕上がった。とにかく笑える。別役のブラックユーモアとナンセンスとズレが、ひとつひとつ客席の笑いになってドカンドカンと破裂する。
前半も微苦笑がつづくが、後半、女性2人が出てから爆笑パターンになる。とくに高田聖子の、煙草で男たちを翻弄し、パラソルをもって反撃する、押しの強い演技は最高だった。

別役作品は電柱が1本立っているだけ、という美術が定番だが、今回は地下鉄のホームがつくりこんであった。電柱の代わりに、梯子の付いた太い柱だった。美術で変化をつけている割には、戯曲の解釈は奇をてらったものではない。にしても、動きが乏しせいか、スベることも多い別役戯曲を、見事に活気ある舞台にしたのは功績である。男たちの前半は決して動きが多いわけではないが、なぜか笑える。
休憩なし70分

ネタバレBOX

薬剤師の手違いで、青酸カリと思っていたのが実は重曹だった。「馬鹿にされた」と怒った女二人はパラソルをもって、社会に復讐してやると飛び出していった。そして二人が踏切を超え、「時速250キロ」の特急列車に突っ込んでバラバラになって死んだ、とニュースが入る。
時速250キロの新幹線に踏切はないけれど、これは猛スピードで移動する新幹線=現代日本にたいする、ドン・キホーテ的挑戦なのだろうか。
密航者~波濤をこえて~

密航者~波濤をこえて~

株式会社エーシーオー沖縄

R's アートコート(東京都)

2024/03/27 (水) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

懐かしい嶋津与志さん。30年ほど前に映画「GAMA月桃の花」で取材した。この戯曲は知らなかったが、戯曲と俳優の熱演と相まって、いい舞台だった。
沖縄出身の女優外間結香が、芯の強い沖縄女性を好演。取調官(清田正浩)は、米軍の犬としての強権ぶりと屈従がよくわかる。ブザーが鳴るたびに追い詰められていく様が、しょせん米軍のコマにすぎない苦しさをよく示していた。
取調室から、照明一つでシームレスにヒロ子の部屋、清次郎(齋藤慎平)との回想へという演出がうまかった。

清次郎は直情径行な男で「坊ちゃん」のよう。米軍の土地とり上げに義憤を感じて、伊佐浜の米軍基地の鉄条網を切ったり、横暴な米兵たちに大工道具を振り回して一人で立ち向かったり。齋藤氏に作者嶋は「あれ(清次郎)は馬鹿なの」と語ったそうだ。あんなふうに馬鹿になって、米軍に歯向かいたいという願望が書かせた人物だろう。

ネタバレBOX

最後、取調官は、清次郎を反米活動家として有罪にするための証人になれ、そうすれば密航の罪は許してやると持ちかける。ヒロ子は「見損なうんじゃないよ」とばかりに当然拒む。脱走した清次郎が天海に密航しようとして拿捕されたと知って姿勢を正す。「清次郎が私に合うために密航しようとしてくれた。私にはそれで十分」と。
「私を罰したって、密航者は私で終わらない。次々私のあとがいる」
まだ取り調べも収容所生活も続くが、芝居はここで終わる。ヒロ子はこの後どうなるだろうか。最後まで拒否し通せるだろうか
ハザカイキ

ハザカイキ

Bunkamura

THEATER MILANO-Za(東京都)

2024/03/31 (日) ~ 2024/04/22 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

国民的アイドルの橋本香(恒松祐里)は、ヒットメーカーの音楽プロデューサー加藤勇(九条ジョー)とひそかに熱愛中。その熱愛場面のスクープ写真を狙う週刊誌記者の菅原祐一(丸山隆平)…それぞれが芸能界にからむ嫉妬とメディアがつくるスキャンダルに巻き込まれていく。

香が「ヒット曲ってどうやってつくるの?」ときくと、勇は「令和っぽくかな。抜け感が大事。自分の考えを押し付けず云々」とそれっぽいことを答える。これが最初の布石。「令和っぽさ」「こういう時代だから」ということで、多様性やLGBTQ、人権尊重、ハラスメント根絶、SNSのいざこざに縛られて、あるいはメディアやSNSに煽られて、人々の暮らしは窮屈になり、「時代だから」と本音を抑えて、表面的なその場しのぎの言葉を交わしていないか。そう考えさせられる

タイトルの意味が、見ながらやっとわかった。「昭和」の古い価値観とこれからの新しい価値観が交代しつつあって、まだ中途半端な「端境期」のことだ。
今年1月の芥川賞受賞作「東京都同情塔」は、「弱者への配慮」と「多様性尊重」という表面的正義(偽善)の行き着くディストピアを描いた。「ハザカイキ」は同じ問題意識に立つ。そして、危機管理として心のこもらない謝罪が安売りされる、空虚な現在を「これでいいのか」と批判している。いつもはシニカルに見えて、今回の舞台は結構熱い。本物の水を大量に降らせる土砂降りの演出も、熱量のある本気度が見えた。

映画のように短いシーンをたくさん重ねていくが、回転セットを左右に二つ、奥には陸橋という舞台装置でよどみなくシーンをつなぐ。音楽も大変効果的だったし、香は失意に打ちのめされた謹慎の部屋で中島みゆきの「時代」を口ずさむ。スーッと伸びる高音が心地よい。エキストラが20数人。街頭の通行人や、謝罪会見に集まった記者に扮する。舞台上を多数の通行人が列をなして次々横切っていく様は、無機的な街の景色を舞台で再現して、秀逸だった。大変贅沢なつくりで驚いた。

1幕50分+休憩20分+2幕1時間40分=2時間50分

ネタバレBOX

とにかくシーンが多いのだけれども、後半の重要なところをメモしておく。
・アイドル香に対し、香の密会を週刊誌に売った「親友・元地下アイドル」野口裕子(横山由依)が謝罪。「私のためにいろいろ理屈をつけてくれてありがとう。親友がただねたみから売ったなんて考えたくなかったんだよね」
・バーのママである香の母・智子(元女優、大空ゆうひ)が、客の不倫を実名入りでSNSでつぶやいたホステスのアケミ(日高ボブ美)を諭すのに、横で聞いていたホステス仲間・ヒカル(青山美郷)が「ママは不倫を許すんですか。こうやって公にして、妻にも知られないと、不倫の被害者は次々出てきます」と涙ながらにつっかかる。興奮しすぎて呼吸困難になりつつも、店を飛び出す。ヒカルを責めないでとアケミはママに謝罪
・週刊誌記者・菅原はバーでのスナップを「セクハラ」証拠写真と、ライバル誌に書き立てられ、さらす側からさらされる側に。心配してきてくれた、飲み友達の伸二(実はゲイ、勝地涼)から迫られる。はねのけた菅原に、伸二が「俺はわかってなかった」と謝罪。菅原も「わかってると思ってわかってるふりしてた」と謝罪
・香の父で事務所社長の浩二(風間杜夫)に、パワハラを訴えたマネージャー(米村亮太朗)が「本当に働かせてもらって、5年間、そんなこと思ったことなかったのに、一時の感情でパワハラなどと言ってすいませんでした」と謝罪。風間は意外にも「自分のことを監視してくれ。俺は変わろうと思う」と逆に謝罪。
・犯罪を犯して保釈になった勇はテレビで「みんな俺のことを思ってツイートしているんじゃない。自分の生活をよくするために、俺のことを使ってるんだろう。俺もこれからは自分の生活をよくするために生きる」と発言。
・橋本香の謝罪会見。圧巻。自分の打算、ずるさ、自己正当化の理屈もいちいち表に出して、心のうちをすべて(のように)語る。最後は、鼻水と涙で、本当に泣く。すごい役者である。一人の人間として、初めて素顔をさらしたかのよう。「応援してくださった皆様、本当にすいませんでした」
・実家から菅原のもとに帰った恋人の里見(さとうなほみ)が、土砂降りの中、互いに許し合う。「時代に合わせるだけでなく、本当の事を話せる人がひとりそばにいれば、生きていける」
崩壊

崩壊

糸あやつり人形「一糸座」

座・高円寺1(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

白鯨を追うイシュマエルたちは人形で、それとともに海を行く夢を見る女(松本紀保)は、病院のベッドと船の上を行き来する。女は白鯨を追いかけていった友を探しているのである。白鯨を追う航海は、戦争にまきこまれ、病院もまた戦場になった(と記憶する)。
「白鯨」にモリ撃ちのクイクェグという南洋出身の大男がいるとは知らなかった。

ネタバレBOX

舞台背後にあった白い雲のような塊が、最後は白鯨と変じる。たまたま劇場で会った知り合いは「とことん暗いね~!」と嘆いていたが、私は今一つ人物の彫りが深まらなくて感情移入できず、カタルシスに乗りきれなかった。
月の岬

月の岬

アイオーン

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/02/23 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

静かだが心のざわつく芝居である。結婚しない姉(谷口あかり)の沈黙が何を語ろうとしたのか、いつまでも心に引っかかった。余白の多い芝居で、ぽつりぽつりと事情が分かっていき、最後に大きな余韻が残る。

長崎の平戸沖の島、姉・平岡佐和子と弟・平岡信夫(陣内将)が長年住んできた古い家。弟の結婚式に出るのに、近所に嫁いだ、騒々しい妹・大浦和美(松平春香)がやってくるところから舞台は始まる。
弟は中学教師で、新婚旅行に行っている間に、家に生徒が男の子2人(赤名龍乃介、天野旭陽)女の子1人(真弓)やってくる。そこに弟が帰って来ると、女生徒は「先生が結婚したから、この男子と付き合うことにした。それでいいですか?」と不穏なことを言ってくる。いっぽう、佐和子と高校生時代に駆け落ちしようとした男・清川悟(石田佳央)が島に帰ってきて、佐和子に一緒に島を出ようと迫る。女子中学生に迫られる信夫、昔の男に迫られる佐和子、の二組の思うに任せない恋が、島の平凡な日常に波乱をひろげていく。

佐和子は子どものころ海でおぼれかけて、助けた父がそのまま流されたという過去がある。佐和子は表面的には穏やかで、何も言わないが、父のことは大きな負い目、自分は幸せになってはいけないと考えているのだろう。それがラストの思い切った行動になるのだと思った。
舞台奥の白い小さい花は、萩の花。

さすが90年代「静かな演劇」を代表する戯曲である。キャストもみな好演でいい芝居だった。

ネタバレBOX

リフレインされる「月の岬」の歌「月の夜は/潮の満ちて/岬ば切れて/島になると」が、せつなく、象徴的に響く。
悟は妻子がいるのに佐和子への未練を棄てられない、どうしようもない男だが、そのセリフは良かった。
「何かを始めるために何かを失うんじゃなかったとね。これでは何も始まらん。前と一緒じゃ、わしもあんたも」
キラー・ジョー

キラー・ジョー

温泉ドラゴン

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人間の欲と色と愛憎がぎゅっとつまった、こってりどろどろの濃ゆい芝居であった。面白い。殺し屋ジョー(いわいのふ健)以下、兄クリス(山崎将平)、妹ドティ(内田敦美)も、それぞれの役をよく演じていた。

後半の見込み違いから、フェラチオみたいなきわどいシーンも直球ど真ん中で堂々と演じ、壮絶な家族(?)喧嘩の熱演はすさまじかった。本物かと見まがうような血みどろの熱演である。そしてこの熱い悲劇が、人間の愚かさを語っていて、俯瞰してみれば笑える。ジョーが最初にいう「家の中のけんかが、警官がもっとも怪我をするものなんだ」とか、ドティの「誰かが私を怒らせないかぎりね」とか、何気ないセリフが伏線になっている。話の展開の面白さといい、よくできた台本である。

ネタバレBOX

最後にエピローグがなく、悲劇のピークでバサッと終わる。あれっと思った。が、冒頭のドティとクリスの二人のシーンが、後日譚になっており、これでいいのかと納得した。
東京輪舞

東京輪舞

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2024/03/10 (日) ~ 2024/03/28 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

シュニッツラーの「輪舞」を学生時代に読んだのが懐かしくて、見に行った。男と女がベッドインする前後を描くオムニバスになる。前半は、ナンパや口説きの場面が続き、飽きてくる(そういう話であることは分かっていたのに)。休憩時間に帰りたくなったが、そこは我慢した。後半になって、いまのジェンダー問題を取り込み変化してくる。
高木雄也目当てらしい若い女性客で満席だった。

美術、空間づくりはうまかった。白い壁面と床に「東京、とうきょう、トーキョー、TOKYO」をずらーッと並べ、高さ2メートルほどの「RONDE」の文字パネルも同様にもじだらけ。このパネルと、最低限の家具を組み合わせて、次々異なる場面をつくって変化をつける。
休憩15分込み2時間50分

ネタバレBOX

トランスジェンダーや同性愛のケースだが、男性役になる清水くるみが全然男に見えないのが難点。「同性愛をカミングアウトしたら、どうなると思ってるの」というように同性愛差別にも触れるが、既知の範囲を出ない。形だけ。
全10話の構成(「 」は、その場面で、字幕に出る言葉。どの場面でどの言葉だったか、一部は記憶が曖昧)
1配達員と10代援交女性「交尾する」
2配達員とフィリピン女性 「?」
3フィリピン人お手伝いと大学生「射精する、される」
4大学生と女性作家「セックスする」
5女性作家と建築家の夫婦「愛する」
6建築家と女性(トランス男性?)品川プリンスのスイートで。「性交する」
7ユーチューバー・ミュージシャン(男)とファン(女性にしか見えないがトランス男性?)「セックスしない」
8男性同性愛(清水が男性に扮する)「関係を持つ?」
9人気ミュージシャンとその妻・社長。男性同性愛のカミングアウト「一緒に寝る」だけ
10社長の女と最初の女、ゆきずりで(後朝の別れ)
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

ホリプロ

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2024/03/09 (土) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

次々人を殺す陰惨な話なのに、楽しく見られるという不思議な作品。ホラー・コメディというところか。市村正親・大竹しのぶのオーラがすごい。オーケストラも生演奏で、音楽が実に雄弁である。

カタブイ、1995

カタブイ、1995

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

沖縄のサトウキビ農家の一家の物語。反戦地主なので政府の卑劣な嫌がらせがかけられるが、死んだおじいのあとを継いだ和子(新井純)は、契約拒否を貫く。政府の離反策によって、反戦地主の一家は、集落で孤立し、かつてのユイマールは壊れてしまったというセリフもある。そこに、国会議員秘書になった杉浦(高井康行)、防衛施設局沖縄本部の久保直子(稀乃)がきて、沖縄の現実と本土の人間の考えがぶつかる。

この芝居の見どころはこの後にある。9月4日の少女暴行事件が、この一家に身近な問題としておき、見ながら心がワジワジした。和子の「50年間、あきらめていた。せめて契約はしないと思っていた。でも、それだけじゃ足りなかった。アメリカは罪のない少女を踏みつけにして、それで許されると思っている。私はもっと声を挙げなければいけなかった。自分で、自分の言葉で」のセリフが胸に響いた。

さらに10月21日の沖縄県民総決起大会の横断幕、「地位協定の抜本的見直し」の横断幕。今の辺野古の問題も、オール沖縄もここから始まったのだと、30年前が思いだされ、思いがけず涙がこぼれた。前半の杉浦の「いまも日本も沖縄も占領されたまま」という解説ではなかったことだ。

前作「カタブイ、1972」の印象的なセリフもリフレインされる。「本土にいると、沖縄のことは遠くの土砂降りなんです」「でも、あんたは一緒に雨に濡れてくれている。それで十分だ」

重い主題をストレートにぶつけつつ、笑いも多い舞台だった。孫娘役の宮城はるのの歌三線もよかった。沖縄民謡の若いスターらしい。安室奈美恵に熱を上げているという設定もほほえましい。芝居見物のだいご味を満喫した。当日パンフ、資料配布もよかった。とくに、沖縄民謡の歌詞カードのおかげで、劇の内容と歌詞が合致していることが分かり、理解が深まった。総決起集会の晩の、カチャーシーで歌う「唐船ドーイ」の「今日の嬉しさは何に例えられる」の歌詞は、何よりぴったりだった。
1時間50分

全3部作の第二部。第一部「カタブイ、1972」の概要は、以下のサイトで読める。戯曲は『悲劇喜劇』1923年5月号に掲載。第3部「カタブイ、2025」は来年11月、紀伊国屋ホール。楽しみだ。
https://performingarts.jpf.go.jp/J/play/2302/1.html

ながい坂

ながい坂

平石耕一事務所

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2024/03/14 (木) ~ 2024/03/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

山本周五郎の最後の長編小説「ながい坂」を劇化。江戸時代の某藩(信州か飛騨あたりのイメージ)の平侍の少年(将来の三浦主水正=武藤広岳)が、16歳にして、その才覚を藩主‣昌治(=志村東吾)に見込まれ、若くして藩政の立て直しと治水工事の責任者に抜擢される。と同時に、藩の世継ぎをめぐるお家騒動が先々代から続いており、三浦は23、24歳で、なぜか治水工事は中止を命じられ、反藩主派に命を狙われる窮地に立たされる。

8歳で入門を願い出た恩師谷宗岳(武田光太郎)との絆、同じ門下の三羽烏の衝突と友情、城代家老の娘つるの嫁入り、幼馴染の娘ななえとの思いやりなど、20年近い人間模様の軌跡を3時間を超える舞台に仕上げた。場所も時間も異なる場面が次々展開し、テレビドラマか時代劇映画のような起伏ある物語である。時代劇では欠かせない力強い殺陣シーンもいくつもあり、主人公たちの刀さばきが見ごたえあった。

菅原道真が民の貧窮を詠んだ「寒草十首」の「何人に寒気早き」をひいて、貧しい民を大事にする政治の理想を語る。これは山本周五郎の原作にはなく、劇作家平石耕一の工夫だが、話の内容に大変マッチし、主題を深めていてよかった。主人公が、城代家老の息子(木村徹)に、「すべてをあたえられて育ったあんたと、みずから獲得した俺では、見えているものが違う」というくだりは、弱い者、貧しいものの目線から書き続けた山本周五郎らしいせりふだった。

チェロとオカリナの音楽(寺田テツオ担当)が、喜怒哀楽に寄り添って芝居を盛り上げて大変よかった。音楽が、その場その場の芝居の基調、色合いを決定するというほど重要な役割を果たしていた。

リア王

リア王

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/03/08 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

リア王は初めて見た。幕が上がると、王国的な装飾や衣装の何もない舞台にびっくりしたが、さらに白壁も取り払って、がらんとした素舞台になったのはさらに驚き。それだからこそ、人間関係と喜怒哀楽がくっきりと見えた。思い切った演出だ。

主筋より副筋のグロスター(浅野和之)とエドガー(小池徹平)が哀れで、二人で助け合っていくくだりが印象的。数年前のシェイクスピア名場面集的な河合祥一郎の「ウイルを待ちながら」でも、見せ場になっていた。エドマンド(玉置玲央=大河「光る君へ」でも、屈折した悪役で活躍中。今回はダテ眼鏡であまり悪人顔には見えない)もイアゴー的な悪党で、二人の姉(江口のりこ、田畑智子)より悪党ぶりがすごい。三人が醜い三角関係になり、それが自滅の原因になるのも因果応報になっている。

ネタバレBOX

覚書的にいくつか。
・冒頭は、リア(段田安則)登場の前に、グロスター家の異母弟のエドマンドの話が出る。副筋の重要性を冒頭から予告している。
・リアの感情的な王国分割を忠臣ケント(高橋克実)はいさめるが、グロスターは不在。いたら、一緒にいさめないとおかしいので、退場させてあるのだろう
・ケントが1幕1場で、エドガーが2幕1場で退場するとき、背後の白壁を壊して出ていく。二人は、この後、別人に変装してしまうので、この退場の仕方は、本人としての今生の別れという意味がある。
・エドガーが「哀れなトム」になり、裸(パンツ一枚)でリアと遭遇し、リアが「人間は、衣装をはぎとれば、赤裸の、二本足の動物に過ぎない」という場面、エドガーは見事な逆立ちをして見せて「二本足」を強調する。
・グロスター家の場面、リーガンたちがト書き上の登場前から舞台背後にいて、グロスターたちのやり取りを見ている。グロスターたちが、リーガンたちが来るので何とかしようと考えていることを視覚化しており、見事。
・その後も、舞台にいないはずの登場人物が、舞台後方にずっといて、ドラマを動かしているのは誰なのかが分かる仕組みになっている。とくにエドマンドがずっとたたずんでいる。
・次女リーガンの夫コーンウォール公爵(入野自由)は、急に出てきた召使から切り付けられ、その傷で死んでしまう。この召使はこの場面だけの端役で、シェイクスピアのご都合主義としかいえない。
・死んだコーディリアはリア王に抱えられてではなく、死体として引きずられて舞台を横切っていく。舞台後方に立った後で、リアにはぐされるけど。
・最後の場面、死んだ人間も次々現れて舞台後方に立つ。死者も生者とともにあるようだが、最後、再び白壁が下りてきて、死者たちはその後ろで見えなくなる。すると、残ったのは3人だけ。悲劇だが、悪党や強欲な連中はすべて死に、(その巻き添えで死んだ善人=コーデイリアや、気のいい老人=リアとグロータスもいるが)次代を担う良識と勇気ある三人(長女ゴネリルの夫・オールバニー公爵=盛隆二、エドガー、ケント)が舞台に残る。新しい治世の始まりを感じさせ、悲劇だけれど、すがすがしい。突然あらわれたフォーティンブラスに後を託す「ハムレット」よりずっといい
諜報員

諜報員

パラドックス定数

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/03/07 (木) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

期待の劇作家・演出家による、ゾルゲ事件の劇化だったが、不完全燃焼に終わった。ゾルゲや尾崎など、直接の当事者でなく、事件を末端で協力していた(らしい)4人の男と、それを取り調べる2人の男。終始暗い舞台で、腹の探り合いのようなやり取りが多い。思想犯なのに、独房でなく、簡易ベッド付き(!)の隔離部屋。ベッドを使う回想場面の為にこういう作りにしたのだろうが、戦前の拘留施設にベッドはおかしい。そこは作者も分かっていて、特高を快くなく思っている憲兵隊が貸してくれた傷病兵の隔離部屋、ということになっている。なんと回りくどい。

警察の一部が、特高に反発し、対抗して取り調べるという設定も違和感が大きい。自宅や職場で逮捕した人間の顔と名前が一致しないというのも、ありそうにない。
アカの動向を探るためにキリスト教会に潜伏という設定も首をかしげる。戦前戦中、共産主義者は宗教を嫌い、普通は教会にいったりしない(と思う)。

一番の問題は、ゾルゲ事件の本体がよくわからないうえに、登場人物たちのゾルゲ一団での役割もほのめかし程度でぼんやりしていること。事件は共産主義を信じる者たちが、ソ連防衛のために結束したスパイ活動だったし、尾崎は戦争回避も願っていたと思う。にもかかわらず、木下順二がゾルゲ事件を描いた「オットーと呼ばれた日本人」のような思想的葛藤や強い信念がないのも残念。

ネタバレBOX

紺野幹郎(小野ゆたか)=内閣調査室勤務。尾崎らの情報のやり取りに、職場の机の引き出しを提供していた。宮城与徳と語り合う回想がある。
早川恭一(植村宏司)=安田(徳太郎)医院の勤務医。もちろん架空の人物。ゾルゲにあったことがあるが、スパイ活動とは関係ない。
芝山英晶(西原誠吾)=「早川」を名乗って、取り調べを受けたりする。なかなか仕事・名前を明かさない。朝日新聞記者。尾崎と面識がある。警察が室内に「ノート」を置いていけば、ブンヤの性分で、書かずにはいられないだろうと策略する。案の定、芝山が書き始めるが、無警戒を通り過ぎて荒唐無稽である。
立原寅生(井内勇希)=教会の牧師、実は志願して潜入した警官。
六鹿晃(横道毅)=背の高い刑事。冷静で常識人であり、特高への対抗心に燃える若尾をいさめる役。
若尾義彦(神農直隆)=大柄な刑事。短期でいらち。早川の片目をつぶしかねない拷問を加える。
アンドーラ

アンドーラ

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/03/11 (月) ~ 2024/03/26 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

久々に人間の怖さと愚劣さを突き付ける、社会派ポリティカルドラマを見た。一種の寓話なのに、ひりひりするようなアクチュアリティーがある。「永世中立」を標榜して、ナチスドイツのホロコーストを黙認した祖国スイスに対する、峻厳たる告発状である。
架空の小国アンドーラの市民たちのユダヤ嫌い・偏見から始まるが、ユダヤ人が身近でない日本人として最初はピンと来ない感じもある(朝鮮人に置き換えると、面白い翻案劇になりそうだ)。息子アンドリ(小石川桃子=臆病な自尊心を好演)は実はユダヤ人ではなく、父(沢田冬樹)の不倫で生まれた隠し子だった。その事実は早くからほのめかされるのに、父は煮え切らず、なかなか本人に伝えない。このじらしには、じれったいとともに感情がざわざわしてくる。
しかも、ユダヤ人迫害を避けるため、事実を周りが一生懸命説得するようになっても、アンドリは「僕はユダヤ人だ。今度はあなたたちの番だ…ユダヤ人をを受け入れる」とはねつける。「第二の性」ではないが、人はユダヤ人に生まれるのではなく、ユダヤ人に作り上げられるのだ。自分をユダヤ人にこしらえあげた人間にとって、それはもはや血の問題ではない。人間のアイデンティティとは、共同幻想であることを突き付けてくる。
「黒い国」は「黒い森」が広がるドイツを示唆しているし、「白い壁」はスイスのアルプスの山々を連想させる。
アンドリをユダヤ人と決めつけ、石を投げた容疑をかぶせた男が、戦後は「私のせいじゃない。残虐な行為には反対です」と、すべてを忘れたかのように言う。
冒頭で壁を白く塗っていた妹バブリーン(渡邊真砂珠=狂乱を好演)が、再び「白く塗る」意味は、かつての罪を隠蔽する卑屈な市民に対する皮肉であり、告発である。

アカデミー賞国際長編賞を受賞した「関心領域」は、アウシュビッツ収容所の隣で暮らすドイツ人たちの楽しく平穏な日常を描いて、現代の私たちの「無作為」「無関心」の罪をついた。「アンドーラ」も同じである。

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