深い森のほとりで
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/10 (金) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
バングラデシュで待っている人のために、次々直面する困難を乗り越えて、ワクチンつくりに挑む科学者の物語。素直に感動した。運営交付金を減らされる弱小国立大学、金のない人たちが死んでも、多額の資金のかかる薬の開発に腰を上げない製薬会社(「死の谷」という)、海外からは何をしているか見えないガラパゴスの日本の研究者など、新聞かテレビのドキュメンタリーのように今日的実情が盛り込まれている。また、ビル・ゲイツ財団やワクチン開発支援機構など、ハードルは高いが支援の手があることも分かる。2017年2月から2023年3月31日まで、最後の場面ではコロナ禍もかかわってくる。
主人公原陽子(湯本弘美)の研究者歴もきちんと語っている。恩師本田教授(広戸聡)のおかげで今があるという背景が、物語の奥行きを深めている。わきに配された人々も、それぞれモデルがいておかしくないつくり。東大史料編纂所の学術支援専門員という、知り合いの娘さんが来ていて「まさに自分も、作中の産学連携支援の山口さんと同じような立場」と言っていた。女性研究者たちの直面する壁、挫折、それでも持ち続ける研究への思いを、過たず描いていた。
夢と生活のはざまで悩んだことのある、多くの人の心を打つ舞台である。主人公の壁にくじけず挑戦し続ける姿に励ましをもらえるだろう。
俳優たちは、青年劇場らしい楷書の演技で、ユーモアさえまじめさがみえる。看板役者たちは今回はおらず、広戸さん以外は知らない顔だが、よかった。若い五嶋佑菜さんには太めキャラの愛敬があり、八代名菜子さんは清楚な美しさがよかった。
ハムレット
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2024/05/07 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今回は、体調のせいか前半はのれなかったのだが、後半は舞台のセリフがビンビン響いてきた。とくに4幕4場のハムレットのいわゆる第4独白ははっとさせられた。イギリスに派遣される途中、ポーランドへ向かうフォーティンブラスの軍勢を見て、大した意味のない狭い土地をめぐって戦争する愚を語り、つづいて「思考の4分の1は知性だが、残りは臆病だ」という。ハムレットが自分の不行動・逡巡を、知性のもつ臆病さ(慎重さ)として自省する。400年前より、人々の教育程度があがり知識は増えたが、行動力の落ちた現代の我々にとって刺さる話だ。「これでいいのか、いけないのか(小田島雄志訳)」の、死(自殺)の誘惑とたたかう第3独白より、よっぽど重要だと思う。
実はこの第4独白、主に3種の原テキストのうち、Q2にはあるが、最も完成形とされるF1にはない!!!! この重要な独白がないバージョンが基本テキストとは!。当然、現在の上演でもカットされる場合がある。
「ハムレット」はなぜこれほど評価が高いのか。私は今までぴんと来なかった。今回、知性に足を引っ張られて行動できない姿が、非常に現代的であることに気づいた。シェイクスピアの主人公の中でも、これほど知的で内省的な人物はいない。レアティーズが父の怪死を知って、民衆をたきつけて王宮を攻めてくる単純な行動とは、まさに対照的だ。ハムレットはそれでいて退屈な人物ではなく、諧謔や機知もある。与えられた任務(運命)の重みに加えて、人物としてのふくらみと面白みがある。この芝居はハムレットの比重が大きすぎて(出番もセリフ量も)ハムレット役者次第で芝居の成否が決まる。怖い役でもある。(頭はいいが、他人を陥れるために知性を使うイアーゴ―とも違う)
結局ハムレットは最後まで復讐を行っていない。クローディアスを討つのは、彼らの罠にはまった怪我の功名にすぎず、みずから能動的に行動したものではない。レアティーズとの試合に向かう「覚悟が肝要だ」という肝のせりふも、実は受け身の姿勢である。どんな事態に臨んでもひるまない、ということである。演出の吉田鋼太郎は、ハムレットは「人を殺すとはどういうことか」に真っ向から挑み、「殺してはいけない」ということを描いたと述べている(パンフレット対談)。
その通りだが、一方、ガートルードの寝室で、物陰に潜んでいた人物(ポローニアス)のことは、何度も短剣でめった刺しにしている(今回の演出)。明らかに殺意が見えた。それは、相手を王と思ったからと語る。復讐を遂げようと思ったからというわけだ。(しかし、ここに来る途中で、祈る王を見て通り過ぎてきたのだから、自分より先回りしていることはあり得ないとわかるだろう。芝居には出てこないが、ハムレットはどこかで寄り道していたのか。それはさておき)つまり「殺すことを否定する」のと矛盾する。このようにシーンとシーンの間に矛盾があるのが、ハムレットの難しいところだ。だから、答えが出ない。そして、そのわりきれなさが「ハムレット」がいつまでも演じられ、語られ続ける理由なのだろう。
柿澤勇人のハムレットは予想以上によかった。登場した宴会の場で、本当に聞こえないほどの小声。亡霊の「誓え~」への反応の速さ、第4独白のしみじみした語り等々。墓場で「俺はオフィーリアを愛していた!!」と力いっぱい叫び、オフィーリアの遺体を両手で抱え上げ仁王立ちする姿は、心技体の一致した名場面である。オフィーリア(北香那)の狂乱の場も、バレエのように回り、舞い、幼子のように歌う。広い舞台いっぱいに舞う姿は可憐で美しく、素晴らしかった。
すぐ吉田羊の「ハムレットQ1」がある。見て、何を感じることになるだろうか。
「シカゴ」来日公演2024
TBS/キョードー東京
東急シアターオーブ(東京都)
2024/04/25 (木) ~ 2024/05/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
何度見てもほれぼれするザ・エンターテインメントである。しかし、それだけではない。無力な女性がメディアや弁護士を巧みに使って、男社会の中でしたたかにのし上がる、女性賛歌、フェミニズムの作品ととれないこともない。とんでもない悪女だけれど。金次第でどんな嘘でもつくビリー・フリンの一方で、愚鈍なほど正直で影の薄い夫のエイモス・ハートも、きちんとソロで丸々一曲歌う(ミスター・セロファン)見せ場がある(「君の時間を取りすぎてないと良いけれど」と控えめですらある)。
また真実や正義などそっちのけで、売れるネタに飛びつくマスコミのセンセーショナリズム、腕利き弁護士の弁舌一つで陪審員の採決が変わる衆愚裁判、そしてすべては金次第というアメリカの軽薄さを暴いている。「この国がいかに素晴らしいか、私たちこそ「生きた見本」です」と歌うフィナーレは、アメリカ大衆社会への痛烈な皮肉である。こうしたアメリカの破廉恥と退廃を、極上のエンターテインメントにしてしまうこと自体、アメリカのしたたかさを示している。
Medicine メディスン
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2024/05/06 (月) ~ 2024/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
精神病院らしい施設の一室で行われる演劇治療らしい。その出来次第では退院できるのではないかと、ジョン(田中圭)は期待を持つ。老人の紛争で現れる音響兼役者のメアリー(奈緒)、ロブスターの着ぐるみで現れる、エネルギッシュに指示を下す俳優のメアリー2(富山えり子)、そしてドラマー(荒井康太)。彼らがジョンの治療劇の出演者、音響だ。メアリー2がブースに入るときに起こる強風など、演出家の工夫かと思いきや、すべて台本の指定らしい。かなり凝った戯曲である。
「気分はどうだね」「いいです」「何でここに来たんだと思うかね」「僕がほかの人と違うから…」…医師とジョンらしき会話の録音が、舞台にいる4人以外の、監視者の存在を示す。二人のメアリーは、雇い主と携帯で話したりもする。こちらからは見えないが、相手からは見えると思わせる「視線の政治学」が可視化されている。監視と監禁の中での、1年に一度の治療劇。両親の愛情の薄かった幼少時代(赤ん坊の人形も使う)、いじめ、そして、施設の庭で花咲いた恋と退院の夢…。歌ったり、踊ったり、走ったり。劇中劇を出たり入ったり。振幅の激しい感情と、ダンススタジオのような動きはすさまじかった。
トリスタンとイゾルデ
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2024/03/14 (木) ~ 2024/03/29 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
イゾルデ役のリエネ・キンチャ、トリスタン役のゾルターン・ニャリとも途中交代の出演であったが、心配は全くの杞憂だった。バスのヴィルヘルム・シュヴィングハマー(マルケ王)もすばらしい。プランゲーネの藤村実穂子もよかった。私は「ワルキューレ」のフリッカで見た記憶がよみがえった。
デカローグ1~4
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
プログラムA:1 計算では絶対起きないはずの事件によって、人知の限界を語る。デカローグとはモーゼの「十戒」のことだが、全10話がきれいに10の戒律に該当するわけではなさそうだ。しかし第1話は「主が唯一の神である」という第1戒律に直結する。そのため、やや抽象的な芝居になったと思う。
2階建てのセットが団地を示す。これからの10話で、コンクリートの箱の住民たちの小さな出来事が演じられていくことが予告されている。
同3 小島聖は、精神的に不安定で危うい女性を演じるとピカイチである。今作でも、元不倫相手の前に突如現れて、彼を巻き込んでいくが、巻き込まれてしまうのも無理がないと思わせる。寂しいクリスマスイブを送りたくない、というのはカトリック国では日本以上に切実かもしれない。それが未婚率上昇に歯止めをかけているかも。
B:2 がんで死にそうな夫と、夫以外の男の子供を妊娠した妻。女は医師に「自分は産むべきか中絶すべきか。教えてくれ」と迫る。ユダヤ人の医師は、収容所で妻子をなくした。子供を失った傷を抱える医師には、妻にいう言葉は一つしかないが…。
同4 ABプログラムの中では、抜群の出来。この1編を見られただけでも、とくに近藤芳正の抑えた動きの中に、葛藤がにじむ演技が素晴らしい。娘の夏子の下着姿もさらす真正面のぶつかりも、父役に負けてなかった。そして結末の見事な回収。途中の娘の動きが、そういう意味だったのかと分かる。ドキドキした緊張と解放を1時間の中で存分に味わえる舞台だった。近藤の演技にあたたかい笑いも多かった。
夢の泪
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
東京裁判3部作の二部作目。久しぶりに見ると、よいところ、イマイチのところ、ともによくわかる。
松岡洋右の弁護人に抜擢された弁護士夫婦、同じ曲を互いに「夫が作った曲だ」と奪い合う占領軍で歌う歌手二人、朝鮮人の父をヤクザに刺されて警察に訴えても相手にされない学生(「いまぼくは感じる…捨てられた」は強い曲)、アメリカで日系人として収容所に入れられた日系2世の将校(「うるわし父母の国」もよい)、以上の4つの筋がない合わされている。いずれも作者の追求したテーマであり、一つのテーマだけで独立した作品も書いている。そういう点では、集大成的な作品である。このなかで、一つの曲の謎を解いていく顛末が、理屈っぽくなりやすい芝居を救っている。
日本人弁護士に、被告が弁護料を払えないからと、みなで街頭で募金を訴える歌が面白い。「こころやさし君よ」。心優しい人々のはずが、石を投げられ袋叩きにされる皮肉がきいている。全体として歌は、既存の曲に、新しい歌詞をつけているのだが、メロディーと合わない、かなりこじ付けというか無理筋の歌詞もあり、苦しいところだ。
弁護の証拠を集めようとしても、戦時中の役所の書類は焼却されてしまった。その償却命令が8月7日に出ていたというのが、どうしてだろう。まだ御前会議で決まっていないはず。ポツダム宣言受諾の最初の「ご聖断」は9日なのだが。
ラスト近くにしみじみ歌われる「丘の上の桜の木」(宇野誠一郎作曲「心のこり」=ひょっこりひょうたん島挿入歌)が、耳に残る。郷愁と戦死者への鎮魂とが込められた名場面。しかし、それで終わらず、さらに10年後、戦争を忘れ旧指導者が復活して繁栄に浮かれる日本を揶揄するシーンで締めくくるのは、井上ひさし流の戦後日本へのきつ~い風刺である
VIOLET
梅田芸術劇場
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/04/07 (日) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
見てる間は、よくわからないところが残るけれど、見終わってあれこれ考えると見えてくるものがある。主人公の顔の傷も、黒人の肌の色も、舞台ではノーメイクなので、能動的に想像しないと見えてこない。「大事なものは目に見えないんだよ」という『星の王子様』の狐の教えのとおりである。映画と違って想像力を使わなければならないからこそ、能であれ、新劇であれ、古びない訴求力を持つということを考えさせられる。観客に考えさせることの多い芝居である。歌はうまくて素晴らしい。
2時間10分休憩なし
獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち
劇団東演
俳優座劇場(東京都)
2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
桜隊が原爆で全滅したことをめぐる芝居だが、桜隊(特に丸山定夫=南保大樹)よりも、演出家の八田元夫(能登剛)と劇作家の三好十郎(星野真広)が強く印象に残る。最後に、丸山の死に責任があるのは誰か、丸山の堕落を厳しく批判して映画をやめさせた三好十郎が丸山を殺したのではないかと、二人が語り合うシーンが印象に強いせいだ。また、桜隊の「獅子」の稽古を三好が見に来て、我慢できなくなって、役者たちをくそみそにこき下ろすシーンが格段に秀逸だからだ。
1940年から次第次第に厳しくなる新劇人へのしめつけと、その中で芝居を続けるためには、移動演劇連盟に入るしかなく、また広島へ行くしか選択肢がなかったという苦境が、劇団内の議論で示されていく。疎開や、軍都・広島に感じた危険性から、俳優がどんどん抜けて、その代わりの俳優を探す。そうして彰子が加わるのである。彰子は、大映の女優の友達も誘い、その彼女も原爆で亡くなった。
桜隊の話に並行して、出征した夫・かもんに宛てた新妻・女優の彰子(あきこ)の手紙が挿入されていく。彰子は結局、桜隊に加わって、原爆死する。(原案になった本を読むと、この手紙は、戦後50年以上、カモン(映画「無法松の一生」で、息子役を演じた俳優)が保存していた、妻からの手紙の現物である。それを知って、感動した)
桜隊が演じる「獅子」のラスト、丸山定夫の獅子舞は、それまでの2時間の集大成にふさわしい、リアルで生き生きした場面だった。園井恵子( )の演じる慌てふためく農家の国策おかみをおしのけて、丸山の堂々としたせりふ「それが人間じゃぞ」の晴れやかさがよかった。2時間20分(15分休憩込み)
イノセント・ピープル
CoRich舞台芸術!プロデュース
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
原爆を賞賛したり、いろいろ心が波立たせられる芝居だった。原爆実験で、もしかしたら空気に連鎖反応を起こして世界が破滅するかもしれない、という議論が出てきた。映画「オッペンハイマー」でも、カギとなる疑いとして出てくる。それを相談しにオッペンハイマーはアインシュタインに会いに行き、その後の二人の関係の伏線になる。
1944年から2009年までを、60年代、70年代、90年代と時を追いつつ、ロスアラモスで出会ったカップル、子供たち、友人たちの60年以上の人生を描く。
La Mère 母
東京芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
5,6年前に作者ゼレールは「父」で、認知症の高齢者がみる世界を観客に体験させて、鮮烈な日本デビューを果たした。全く知らない人たちの住む別の場所と思ったら、それはよく知る娘夫婦の家だったというような。別々の俳優が演じるのがじつは同一人物という奇策で、当然別人と思っていた観客にもショックを与えた。
前置きが長くなったが、「母」はこの手法の延長にある。舞台で起きていることは、現実なのか、母(若村麻由美)の脳内妄想なのか。最後になるまで、その境目がわからない。
子離れできない母親の「からの巣症候群」を描いたということになる。極端すぎる気がするが、そこが妄想の妄想たるところなのだろう。でも「父」の変化球や、「息子」の多声性とどんでん返しに比べて、少々一本調子のように思った。
カラカラ天気と五人の紳士
シス・カンパニー
シアタートラム(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/26 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
別役実が生きているときより、死後、別役作品の舞台が格段に面白くなった気がする。数年前、坂手洋二の演出もよかったが、今回はまた抜群の芝居に仕上がった。とにかく笑える。別役のブラックユーモアとナンセンスとズレが、ひとつひとつ客席の笑いになってドカンドカンと破裂する。
前半も微苦笑がつづくが、後半、女性2人が出てから爆笑パターンになる。とくに高田聖子の、煙草で男たちを翻弄し、パラソルをもって反撃する、押しの強い演技は最高だった。
別役作品は電柱が1本立っているだけ、という美術が定番だが、今回は地下鉄のホームがつくりこんであった。電柱の代わりに、梯子の付いた太い柱だった。美術で変化をつけている割には、戯曲の解釈は奇をてらったものではない。にしても、動きが乏しせいか、スベることも多い別役戯曲を、見事に活気ある舞台にしたのは功績である。男たちの前半は決して動きが多いわけではないが、なぜか笑える。
休憩なし70分
密航者~波濤をこえて~
株式会社エーシーオー沖縄
R's アートコート(東京都)
2024/03/27 (水) ~ 2024/03/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
懐かしい嶋津与志さん。30年ほど前に映画「GAMA月桃の花」で取材した。この戯曲は知らなかったが、戯曲と俳優の熱演と相まって、いい舞台だった。
沖縄出身の女優外間結香が、芯の強い沖縄女性を好演。取調官(清田正浩)は、米軍の犬としての強権ぶりと屈従がよくわかる。ブザーが鳴るたびに追い詰められていく様が、しょせん米軍のコマにすぎない苦しさをよく示していた。
取調室から、照明一つでシームレスにヒロ子の部屋、清次郎(齋藤慎平)との回想へという演出がうまかった。
清次郎は直情径行な男で「坊ちゃん」のよう。米軍の土地とり上げに義憤を感じて、伊佐浜の米軍基地の鉄条網を切ったり、横暴な米兵たちに大工道具を振り回して一人で立ち向かったり。齋藤氏に作者嶋は「あれ(清次郎)は馬鹿なの」と語ったそうだ。あんなふうに馬鹿になって、米軍に歯向かいたいという願望が書かせた人物だろう。
ハザカイキ
Bunkamura
THEATER MILANO-Za(東京都)
2024/03/31 (日) ~ 2024/04/22 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
国民的アイドルの橋本香(恒松祐里)は、ヒットメーカーの音楽プロデューサー加藤勇(九条ジョー)とひそかに熱愛中。その熱愛場面のスクープ写真を狙う週刊誌記者の菅原祐一(丸山隆平)…それぞれが芸能界にからむ嫉妬とメディアがつくるスキャンダルに巻き込まれていく。
香が「ヒット曲ってどうやってつくるの?」ときくと、勇は「令和っぽくかな。抜け感が大事。自分の考えを押し付けず云々」とそれっぽいことを答える。これが最初の布石。「令和っぽさ」「こういう時代だから」ということで、多様性やLGBTQ、人権尊重、ハラスメント根絶、SNSのいざこざに縛られて、あるいはメディアやSNSに煽られて、人々の暮らしは窮屈になり、「時代だから」と本音を抑えて、表面的なその場しのぎの言葉を交わしていないか。そう考えさせられる
タイトルの意味が、見ながらやっとわかった。「昭和」の古い価値観とこれからの新しい価値観が交代しつつあって、まだ中途半端な「端境期」のことだ。
今年1月の芥川賞受賞作「東京都同情塔」は、「弱者への配慮」と「多様性尊重」という表面的正義(偽善)の行き着くディストピアを描いた。「ハザカイキ」は同じ問題意識に立つ。そして、危機管理として心のこもらない謝罪が安売りされる、空虚な現在を「これでいいのか」と批判している。いつもはシニカルに見えて、今回の舞台は結構熱い。本物の水を大量に降らせる土砂降りの演出も、熱量のある本気度が見えた。
映画のように短いシーンをたくさん重ねていくが、回転セットを左右に二つ、奥には陸橋という舞台装置でよどみなくシーンをつなぐ。音楽も大変効果的だったし、香は失意に打ちのめされた謹慎の部屋で中島みゆきの「時代」を口ずさむ。スーッと伸びる高音が心地よい。エキストラが20数人。街頭の通行人や、謝罪会見に集まった記者に扮する。舞台上を多数の通行人が列をなして次々横切っていく様は、無機的な街の景色を舞台で再現して、秀逸だった。大変贅沢なつくりで驚いた。
1幕50分+休憩20分+2幕1時間40分=2時間50分
崩壊
糸あやつり人形「一糸座」
座・高円寺1(東京都)
2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
白鯨を追うイシュマエルたちは人形で、それとともに海を行く夢を見る女(松本紀保)は、病院のベッドと船の上を行き来する。女は白鯨を追いかけていった友を探しているのである。白鯨を追う航海は、戦争にまきこまれ、病院もまた戦場になった(と記憶する)。
「白鯨」にモリ撃ちのクイクェグという南洋出身の大男がいるとは知らなかった。
月の岬
アイオーン
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2024/02/23 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
静かだが心のざわつく芝居である。結婚しない姉(谷口あかり)の沈黙が何を語ろうとしたのか、いつまでも心に引っかかった。余白の多い芝居で、ぽつりぽつりと事情が分かっていき、最後に大きな余韻が残る。
長崎の平戸沖の島、姉・平岡佐和子と弟・平岡信夫(陣内将)が長年住んできた古い家。弟の結婚式に出るのに、近所に嫁いだ、騒々しい妹・大浦和美(松平春香)がやってくるところから舞台は始まる。
弟は中学教師で、新婚旅行に行っている間に、家に生徒が男の子2人(赤名龍乃介、天野旭陽)女の子1人(真弓)やってくる。そこに弟が帰って来ると、女生徒は「先生が結婚したから、この男子と付き合うことにした。それでいいですか?」と不穏なことを言ってくる。いっぽう、佐和子と高校生時代に駆け落ちしようとした男・清川悟(石田佳央)が島に帰ってきて、佐和子に一緒に島を出ようと迫る。女子中学生に迫られる信夫、昔の男に迫られる佐和子、の二組の思うに任せない恋が、島の平凡な日常に波乱をひろげていく。
佐和子は子どものころ海でおぼれかけて、助けた父がそのまま流されたという過去がある。佐和子は表面的には穏やかで、何も言わないが、父のことは大きな負い目、自分は幸せになってはいけないと考えているのだろう。それがラストの思い切った行動になるのだと思った。
舞台奥の白い小さい花は、萩の花。
さすが90年代「静かな演劇」を代表する戯曲である。キャストもみな好演でいい芝居だった。
キラー・ジョー
温泉ドラゴン
すみだパークシアター倉(東京都)
2024/03/15 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人間の欲と色と愛憎がぎゅっとつまった、こってりどろどろの濃ゆい芝居であった。面白い。殺し屋ジョー(いわいのふ健)以下、兄クリス(山崎将平)、妹ドティ(内田敦美)も、それぞれの役をよく演じていた。
後半の見込み違いから、フェラチオみたいなきわどいシーンも直球ど真ん中で堂々と演じ、壮絶な家族(?)喧嘩の熱演はすさまじかった。本物かと見まがうような血みどろの熱演である。そしてこの熱い悲劇が、人間の愚かさを語っていて、俯瞰してみれば笑える。ジョーが最初にいう「家の中のけんかが、警官がもっとも怪我をするものなんだ」とか、ドティの「誰かが私を怒らせないかぎりね」とか、何気ないセリフが伏線になっている。話の展開の面白さといい、よくできた台本である。
東京輪舞
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2024/03/10 (日) ~ 2024/03/28 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
シュニッツラーの「輪舞」を学生時代に読んだのが懐かしくて、見に行った。男と女がベッドインする前後を描くオムニバスになる。前半は、ナンパや口説きの場面が続き、飽きてくる(そういう話であることは分かっていたのに)。休憩時間に帰りたくなったが、そこは我慢した。後半になって、いまのジェンダー問題を取り込み変化してくる。
高木雄也目当てらしい若い女性客で満席だった。
美術、空間づくりはうまかった。白い壁面と床に「東京、とうきょう、トーキョー、TOKYO」をずらーッと並べ、高さ2メートルほどの「RONDE」の文字パネルも同様にもじだらけ。このパネルと、最低限の家具を組み合わせて、次々異なる場面をつくって変化をつける。
休憩15分込み2時間50分
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
ホリプロ
東京建物 Brillia HALL(東京都)
2024/03/09 (土) ~ 2024/03/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
次々人を殺す陰惨な話なのに、楽しく見られるという不思議な作品。ホラー・コメディというところか。市村正親・大竹しのぶのオーラがすごい。オーケストラも生演奏で、音楽が実に雄弁である。
カタブイ、1995
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2024/03/15 (金) ~ 2024/03/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
沖縄のサトウキビ農家の一家の物語。反戦地主なので政府の卑劣な嫌がらせがかけられるが、死んだおじいのあとを継いだ和子(新井純)は、契約拒否を貫く。政府の離反策によって、反戦地主の一家は、集落で孤立し、かつてのユイマールは壊れてしまったというセリフもある。そこに、国会議員秘書になった杉浦(高井康行)、防衛施設局沖縄本部の久保直子(稀乃)がきて、沖縄の現実と本土の人間の考えがぶつかる。
この芝居の見どころはこの後にある。9月4日の少女暴行事件が、この一家に身近な問題としておき、見ながら心がワジワジした。和子の「50年間、あきらめていた。せめて契約はしないと思っていた。でも、それだけじゃ足りなかった。アメリカは罪のない少女を踏みつけにして、それで許されると思っている。私はもっと声を挙げなければいけなかった。自分で、自分の言葉で」のセリフが胸に響いた。
さらに10月21日の沖縄県民総決起大会の横断幕、「地位協定の抜本的見直し」の横断幕。今の辺野古の問題も、オール沖縄もここから始まったのだと、30年前が思いだされ、思いがけず涙がこぼれた。前半の杉浦の「いまも日本も沖縄も占領されたまま」という解説ではなかったことだ。
前作「カタブイ、1972」の印象的なセリフもリフレインされる。「本土にいると、沖縄のことは遠くの土砂降りなんです」「でも、あんたは一緒に雨に濡れてくれている。それで十分だ」
重い主題をストレートにぶつけつつ、笑いも多い舞台だった。孫娘役の宮城はるのの歌三線もよかった。沖縄民謡の若いスターらしい。安室奈美恵に熱を上げているという設定もほほえましい。芝居見物のだいご味を満喫した。当日パンフ、資料配布もよかった。とくに、沖縄民謡の歌詞カードのおかげで、劇の内容と歌詞が合致していることが分かり、理解が深まった。総決起集会の晩の、カチャーシーで歌う「唐船ドーイ」の「今日の嬉しさは何に例えられる」の歌詞は、何よりぴったりだった。
1時間50分
全3部作の第二部。第一部「カタブイ、1972」の概要は、以下のサイトで読める。戯曲は『悲劇喜劇』1923年5月号に掲載。第3部「カタブイ、2025」は来年11月、紀伊国屋ホール。楽しみだ。
https://performingarts.jpf.go.jp/J/play/2302/1.html