Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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タイトル、拒絶【2月4日、5日、6日の夜公演のみ中止】

タイトル、拒絶【2月4日、5日、6日の夜公演のみ中止】

ロ字ック

本多劇場(東京都)

2021/02/04 (木) ~ 2021/02/10 (水)公演終了

満足度★★★★★

デリヘル(風俗店)のデリヘル嬢たち、店のマネージャーの表面仲よさそうで、実は内に秘めた侮蔑意識や屈託を描いた。まだ36で、初演の時28だった作・演出の山田佳奈の力量に感心した。語り手的存在のカノウ(木竜麻生)は、デリヘル嬢志望だったが初仕事で逃げ出して、そのまま雑用係として働いている。かわいくて売れっ子のマヒル(小島梨里杏)の、いつもケラケラ笑っているが、実は心に誰よりも大きな空洞を抱えている内面が次第に明らかになってくる。
マヒルがビルの屋上で、子持ちの姉に金を貸す2度の場面から、それが明らかになっていく。少女時代に母の男から性的暴行を受けていたという設定はあるあるだが、小島の虚ろな明るさを漂わせる演技が光っていた。

ブスの新人(信川清純)のとんちんかんな反応と、彼女の客への乱暴な対応が巻き起こす騒動が笑いをうんで、これが一番盛り上がった。ただ、この時、最後に入ってきたマヒルの錯乱はなぜだったのか。積もり積もった心の矛盾の爆発ということだろうが、あまりはっきりしなかった。

孤高のトシマ風俗嬢の美保純、マネージャー役の後藤剛範、美人なのに可愛げのない新人の田野優花、いつも本を読んでいるけど実は風俗の仕事もするチカ演ずる川添野愛、おしゃべりし通しのくせに、接客がずさんで客からはクレームばかり、最後にはブチギレて店に火を付けそうにあんるアツコ演じた安藤聖等々、戯曲も俳優陣もしっかりキャラが立って存在感があって素晴らしかった。

カノウが最後に失恋して泣くのだが、ボーっと見ていたせいか、彼女がその男に恋しているというのが、それまで全然わからなかった。

ネタバレBOX

パンフレットの初演メンバーの座談会で風俗嬢を扱うことについて男優が「職業利用じゃないか」と、当時疑問を呈していたという話が良かった。作・演出の山田佳奈もそれを意識して舞台を作ったと。そういう恥らいを持ちながらでないと、本当の風俗嬢に迫るものにならなかっただろう。
堕ち潮

堕ち潮

TRASHMASTERS

座・高円寺1(東京都)

2021/02/04 (木) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

親世代と子世代、夫婦の間、嫁と姑、借金地獄など家族間の軋轢を、保守一族に対する、若い革新世代の反乱にまとめた。役者たちがどないあい、泣き叫ぶ熱と圧がすごい。でも、観終わってみると、意外と爽やかな気分で終わった。

激しく議論がぶつかり合うのはいつものトラッシュ節なのだが、どこか距離を取ってみられたのは、なぜだろうか。保守で選挙のためには金もばら撒くワル爺さんにも、可愛げが感じられ、悪人はいない。中津留氏の大分の実家がモチーフになっているそうなので、登場人物への愛情が根底に流れている気がした。そう言えば、永井愛も思春期は明治女の祖母との闘いに明け暮れたそうだが、祖母をモデルにした芝居「見よ、飛行機の高く飛べるを」は、愛らしい少女時代の話でさわやかな青春ドラマだった。

広い家の間取りをキッチンから大広間まで作った舞台セットは間口八間もあった。横長のこの舞台が、家族の芝居のリアリティーを支えていてよかった。

ネタバレBOX

地方で建設業を営み、一族から市議も出た一家の話だが、最初は小学4年生だった孫が、最後は大学を出て東京で劇団作って芝居を書いている。自分の芝居は「未来の人への伝言だ」というセリフに、珍しく作者のはにかんだ声を聞いた。
中津留氏の旧習を破壊し、政治と社会の革新を求める姿勢の根っ子には、自らのルーツへの反発もあるのかもしれない。
キオスク【東京公演一部中止】

キオスク【東京公演一部中止】

兵庫県立芸術文化センター/キューブ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2021/02/11 (木) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

前半はまだテーマがわかりにくいのだが、後半にナチス支配が確立した中、それぞれの登場人物の選択が胸を打つ。いい芝居だった。フランツ(林翔太)とアネシュカ(上西星来)の2回のデートシーン(スピーディーで大胆で楽しそう)や、フランツがゲシュタポ本部にお百度踏む場面など、演劇的省略と早回し的動きでを圧縮してみせ、印象に残った。上西星来が演じる奔放なボヘミア少女がよかった。青春の夢と儚(はかな)さを体現していた。

最初は湖のある故郷から都会に出て恋を知るフランツの生活がメイン。ナチスの台頭や、ユダヤ人への嫌がらせは点描に過ぎない。後半になって、オーストリアが合併されると、キオスク店主のトゥルスニエク(橋本さとし)がゲシュタポに連れ去られ、フランツ一人が時代の激流の中に残される。そんな中、フロイト(山路和弘)との会話、それに背中を押されたフランツの「愚行」が胸に染みる。

フランツの1937年晩夏から翌年6月までの1年足らずの体験だと知ると、悪気流の加速の激しさ、彼の成長の速さにめまいがする。キオスクの店のセットの上に、何度も故郷の山と湖を描いた背景画が掲げられる。何か意味があるのだろう。セットが示す二重性は、故郷の母とフランツが常に絵葉書をやり取りすることともつうじている。日々の出来事を書くだけのたわいもないはがきだったのが、最後は、母を心配させないために嘘を書く。でも、母はフランツに危険が迫る直前、湖畔に大きなかぎ十字を幻視して、予感する。

前半65分、休憩15分、後半90分(計2時間50分)だが長さを感じなかった。特に後半。

ネタバレBOX

フランツ「ぼくは嵐の中で櫂を失って波に揉まれるボートのような気がするんです」というのに、フロイト「たどるべき道を知っている者などいはしない。人は闇の中を手探りする。小さな灯りすら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か根性か愚かさ、あるいはその全てが必要だ」という。

フロイトは行動のために「愚かさ」が必要なことを説く一方で、別の時には「何も知らないほうが幸せだ。無知は時代の指針だ」とシニカルにつぶやく。「愚かさ」の力とともに、「無知」の落とし穴が同時に見えてしまう相対的視点だ。フロイトは行動の人ではなかった。

とにかく、最後にフランツのささやかな「抵抗」が心に残る。トゥルスニエクの片足の短いズボンを、かぎ十字の旗のかわりにゲシュタポ本部に掲げるのだ。そのズボンが風にたなびき、朝の光の中、「何処か遠く」を指す人差し指のように見える場面、これは忘れることができないだろう。藪原検校のラスト、腰と、首を「三段切り」された主人公のように。舞台を通して要所要所で影絵を使い、ラストも違和感なくビジュアル化した演出も良かった。ラストにも流れるしっとりとしたテーマ曲も余韻を残した。

最後の場は時間を飛んで、1945年3月12日、フランツもおらず、残ったキオスクをのぞくアネシュカがいるが、すべてが炎に包まれるかのよう。
モンティ・パイソンのSPAMALOT

モンティ・パイソンのSPAMALOT

エイベックス・エンタテインメント

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2021/01/18 (月) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

なるほど、基本はボケとツッコミだが、「ゴドー」や別役のような会話がすれ違う不条理の笑いにも通じる。最近の芝居の笑いは、リアクション芸で笑わせるのが多いのだが、言葉・台本でしっかり笑わせるところはさすがである。放蕩息子を部屋に軟禁する領主と、護衛の二人組のナンセンスなやりとりが一番笑えた。
ほかにも、劇場は若い女性客の笑いが絶えなかった。新妻聖子の自虐ソングも、歌詞がとにかくおかしい。ヘンナ歌詞を大真面目にソロ、デュエットで歌い、そのギャップがおかしかった。とくに「オペラ座の怪人」のパロディーは傑作。

モンティ・パイソンの名はケラのインタビューで初めて知った。中学生の頃から好きで、その笑いに影響を受けたというし、コロナ禍の中で配信したコント風の舞台でもオマージュがそこかしこにあると。そこで、この機会に見てみた。

Oslo(オスロ)【宮城公演中止】

Oslo(オスロ)【宮城公演中止】

フジテレビジョン/産経新聞社/サンライズプロモーション東京

新国立劇場 中劇場(東京都)

2021/02/06 (土) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

満足度★★★★

全64場とプログラムに書いてあって、そんなに次々場面が変わるのかと驚いた。でも見ていると、そうした目まぐるしさはあまり感じない。ノルウエーの外交官夫婦が仲介した、パレスチナ(PLO)とイスラエルの極秘の和平交渉を、瑣末な議論に深入りせず、あくまで芝居としてわかりやすくメリハリつけて見せたところが、最大の成果であろう。和平交渉という硬い題材ながら、知的な議論の正確さより、感情的なうねりを重視した芝居だった。

冒頭でPLOとイスラエルの両方からの電話を、夫婦がとって、仲介する場面から始めて、なぜこんなことになったのかと、さかのぼって事の発端から始める物語の構成にも、その工夫は見られる。しかし、何よりもの力は配役の妙にある。いちいち名前は上げないが、脇を固めるベテランたちの、役作りがすばらしい。老練な政治家たちの、虚々実々の駆け引きと、うちから滲む人間的な魅力と真情にひきこまれた。

ネタバレBOX

クリントン大統領の立会いのもと、ワシントンでラビンとアラファトが握手した歴史的和平合意。エピローグの、交渉当事者のその後(とくに和平反対派に暗殺されたラビン首相)が、この芝居に収まりきらない、中東問題の対立の根深さを示す。国民が納得しない限り、いくらトップ同士で合意を交わしてもダメということか。
安倍政権と朴クネ政権の慰安婦合意のことも思い合わされる。国民の対立を煽ってきた政治家の責任も大きい。政治家が党利党略で呼び起こした魔物(世論)を、いつの間にかコントロールできなくなった姿だろうか。
地熱

地熱

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/02/06 (土) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

三好十郎の隠れた秀作を、老舗劇団が中堅・若手俳優陣を中心に、現代の観客に訴える笑えて泣ける感動的な舞台を作った。すばらしい。父親が死んで手放した田地を取り戻すという「夢」=カネを追い求めるあまり、人間の愛や情けを忘れてしまった留吉を神敏将が好演。留吉に思いを寄せる香代(飯野遠)も、抑えた心情がいじらしくたまらなかった。ふたりが結ばれる、素っ気無さの中に真情のこもるラストは(甘いとか、出来すぎという人がいたとしても)よかった。ひさびさに目頭が熱くなった。

労働者の連帯ともろさ、単行の過酷な労働、金が人を卑しくしてしまう現実、農村の古い人間関係と金絡みの駆け引きのずるさ、大きなカネが小さなカネを飲み込んでいく資本主義の冷酷さ、いまならDVともいえる夫婦関係等々、社会の現実をたっぷり描き込んでいる。プロレタリア演劇の流れを汲むとともに、市井の人情もの的な喜怒哀楽もしっかり描いている。三好の戯曲はリアリズム演劇として水準が高い。

実はこの芝居、男は実は女に動かされている、という「妹の力」が浮かび上がる形になっている。乱暴な山師の男を演じた齊藤尊史が、真に迫る演技で、影の功労者である。

全5場あるが、最初2場と最後は九州の炭鉱町が舞台で香代が主役、3,4場は信州で留吉が主役という、分裂とも取れる異例の形式である。しかし全体を通して、人間の「美しさ」、再出発の希望がぐっと浮かび上がってくる。破格の作劇法も、この感動のためなら許されよう。荒れ地をイメージしつつ、舞台美術、要所要所で証明がドラマを助ける演出も、メリハリが付いて良かった。

墓場なき死者

墓場なき死者

オフィスコットーネ

駅前劇場(東京都)

2021/01/31 (日) ~ 2021/02/11 (木)公演終了

満足度★★★★★

第一場はレジスタンスたちが監禁された部屋。拷問への恐れに震えつつ、励まし合っている。第二場はビシー政権側の民兵たちの部屋。抵抗側の医学生アンリを出してきて、拷問を始める。この拷問シーンが生々しく、痛みがこちらにも伝わってくるようで、つらいのに目を離せない。もちろん演技なのだが、アンリの苦悶の表情、叫び、拷問者の相手を屈服させることに喜びを見出すサディスティクな冷徹さ。凄かった。映画「小林多喜二」の拷問シーンが有名だが、今回は生で見る芝居ならではの体験だった。

後半の第3場になって、レジスタンスのメンバー同士で猜疑心が起こり、しゃべってしまいそうな15歳の少年を首を絞めて殺す。これは極端な出来事のように見えて、ここまでの積み重ね結果として、意外と無理がない。演技の説得力というより状況の必然である。どうせみんな銃殺されるのだから。ただ、拷問で手首を砕かれたアンリが少年の首を絞めるのは、拷問のダメージと反しているようで、そこは疑問だった。

なんのために戦っているのか、双方とも大義は語られず、ただ追い詰められて殺し殺されていくだけである。戦争に英雄はいない。皆が歪み、人間性を失っていくということだろうか。

自尊心のために耐える。自尊心のために少年を殺した。と、自尊心がキーワードなのだが、この言葉にあまり切実さをかんじなかった。ちっぽけな自尊心など太刀打ちできない、もっと何か大きなものが問われる極限状況なのではないか。それを実存と名付ければ、そういう気もする。

ネタバレBOX

最後、民兵の「情報と引き換えに助けてやる」という提案を逆手にとって、レジスタンス側がしてやったりとなるかと思いきや、みな呆気なく銃殺される。この「不条理」が、最後の衝撃である。
シェアの法則

シェアの法則

劇団青年座

ザ・ポケット(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

文句なしに素晴らしい舞台だった。今年の(始まったばかりだが)最大の収穫。シェアハウスの日常のあるあるから始めて(例えば、若い女性が部屋に男を連れ込む)、意外な展開(男が実は息子!!だった)で、背後の個人的社会的問題を示していく。サラ金・闇金、外国人技能実習制度、東日本大震災のトラウマ、家と個人。戯曲の展開と伏線の回収が見事。中年引きこもりの小池一男(若林久弥)の事情も意外で、楽しめた。しかも演劇(小説)が人間の背中を押し、力になるという演劇論、芸術論も大事な内容になっている。

役者陣も自然体で熱演。おっかない大家の夫の噂話を聞きながら、怖いといえば青年座ならあの人だよな、と思っていると、その通りの山本達二が出てきた。予想通りと笑ってしまった。山本龍二の父と子(嶋田翔平=頼り無さそうな感じがそのまま)の最後の和解は、期待通りなのに、その期待の実現に、ホント涙が抑えられなかった。涙腺の刺激の仕方をよくわかっている。(この和解に、小池一男の存在が深い意味を持つ)

正義の人びと

正義の人びと

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「正義」を実現するための「暴力・殺人」は許されるのか。革命組織内の「恋愛」は、組織を離れても続くのか。革命を支えるのは愛か憎しみか。こうした問題を正面から激しく論じ合い、ぶつかり合う。思想劇であり、絵に描いたような葛藤のドラマである。「大公」は殺せても、その甥・姪の子供は殺せないというのは、ドストエフスキーを思い出した。状況は全く違うが、文豪も子供の命が踏みにじられることに耐えられないさまを「カラマーゾフ」に描いた。「子ども」は無垢、イノセンスの化身であり、特別な意味を持たせうる。

テロ実行犯のヤネクを演じた斎藤隆介が知性と感情を兼ね備えた、抑えがたい悩みと葛藤が非常にリアルで、素晴らしかった。その存在感によって、観念的な議論に血が通った。

でも「子どもを殺すより、失敗を選ぶ」と、一人の冷徹な年長者の革命家以外はみんな一致するところは優等生的、穏健的である。革命組織内で、テロのために皆が集中すればするほど、そうしたヒューマニズムは置き去られてしまうのが現実である。それは歴史とイスラム過激派等の現状が示している。カミュはアルジェリア戦争で「一般人へのテロの停止」を提唱したが、全く容れられず孤立したそうだ。

後半(4幕)の独房での大公妃との対話は、キリスト教をテロ行為に対置してやりあったようだが、よくわからなかった。この芝居の中心は正義と子供の命を天秤にかける2幕と、革命と恋がぶつかる3幕にあるだろう。
休憩15分込み2時間半

ネタバレBOX

最後(5幕)ヤネクの絞首刑を聞いて、女のドーラが「自分もテロをする、そして同じ絞首刑に会うことで、彼と一体になる」と叫んで、終わる。カミュの、これが結論でいいのだろうか。次々テロに参加し、そして死んでいく、その連続は終わることがない。カミュはこれを「解決策」とするのか? 大いに引っかかった。
ロボット・イン・ザ・ガーデン

ロボット・イン・ザ・ガーデン

劇団四季

自由劇場(東京都)

2020/10/03 (土) ~ 2021/03/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

賑やかでエネルギッシュなダンスシーンと、しんみり聴かせるバラードと、メリハリの効いた楽しくてジンと来る舞台だった。ダメ男のベンがロボットのタングと次第に心通わせていく「バディもの」であり、かつベンとエイミーの若い夫婦が、離婚の危機から愛を取り戻すまでの恋の物語でもある。さらに、ロボット科学は人間を幸福にするのか、人間を貶めるのかという科学倫理の問題も背景にあり、意外と重層的な深みのある舞台だった。

ロボットのタングがかわいい。ふたりの俳優が後ろに付いて操り、セリフを言い、歌うわけだが、俳優と一体になりつつ、タングとしての仕草(眉毛、まぶたもうごく)がよく、存在感が素晴らしかった。犬のロボットも、チョイ役ながら、やはり人間がつきっきりで動かしているのに、動きが犬らしくて、これも良かった。「ライオンキング」「キャッツ」など人間以外の登場生物で舞台作りを成功させてきた劇団四季ならではだろうか。

美術、衣装、照明、ダンスも非常に洗練されていて、視覚的にも楽しめる。カリフォルニアの場末のホテルのセクシーなパーティーシーンなど、ウエストサイドストーリーのようにスタイリッシュ。マッドサイエンティストの島での最新式アンドロイドの女性たちが銀色の近未来的スーツとヘルメットで整列したシーンはSF的で「クーッ! かっこいい!」とうなった。

ネタバレBOX

ベンは家に帰って妻に「旅の間、ずっと君のことを考えていた」という。たしかに、ベンとタングの長大な旅と並行して、イギリスのエイミーの様子やエイミーとの思い出が並行して描かれていた。よくできた構成である。
エイミーとベンの子供がうまれて、お兄さん(?)になったタングが赤ちゃんを抱いて「ようこそ、この世界へ」と、生命の喜びを一言で言うところで、目頭が熱くなった。

ベンとエイミーの歌声の発声は独特のもので、オペラとも、ポップスとも違う。最初どこか技巧的な声の感じがしたが、すぐなれた。今まで四季で「キャッツ」など見ても発声法が違うと気にならなかったが、今回少し変えたのだろうか?
トスカ

トスカ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/01/23 (土) ~ 2021/02/03 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

METライブビューイングも含めて4回目のトスカ。4年前の新国立は、これが生のオペラ初体験だったせいか、何かなじめなかったが、今やほれ込んだ。非常によくできているオペラ。主役のトスカが1幕では嫉妬深い、面倒くさくて、うまく警察に泳がされるコマッタ女なのに、2幕で強い女に変貌し、3幕で悲劇的な死を迎える。悪役スカルピアがトスカを追い詰めた結果、彼女を変化させるわけだが、スカルピアが光る。色男カヴァラドッシは、正義感なんだけれど、この二人の間では少々影が薄い。

今回はテノールがよかった。ソプラノ、バスはもちろん。
ただ、急に仕事が入って、2幕までしか見られず。でも、その分、3幕の映像を家で見たり、モチーフを後で復習したり、全部見られなかった不全感にはメリットもあった。

アチャラカ

アチャラカ

オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド

劇場MOMO(東京都)

2021/01/28 (木) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「私の青空」の歌が要所要所で歌われ、カーテンコールは大合唱。井上ひさし芝居を思い出し、それだけでも見た甲斐があった。劇音を、キーボード、ドラムス、サックス、バイオリンの四人の生バンドでやるのも贅沢。BGMとしてサックスが時折、やはり井上芝居で聴いた曲をやる。調べると、三文オペラノ「マック・ザ・ナイフ」。「夢の裂け目」のラストで使っていた。これも耳に馴染む曲で、良かった。実はアームストロングなど何人もがカバーして、ジャズのスタンダードなのだそうだ。

戦争末期、若いエノケンの人気に怯え嫉妬する、人気に翳りのロッパの話である。でも、舞台の見所は、「喜劇など不謹慎」という憲兵と婦人会役員を、部隊に巻き込んでしまう劇中劇と、戦後の焼け跡で、ほとんど人のいない野外で演じる「はりきり忠臣蔵」のコミカルな討ち入り、立ち回り。

憲兵の弾圧や焼け跡が、コロナ禍の自粛・緊急事態宣言や観客のいなかったりすくなかったりする劇場に重なって見えた。2013年の初演?の再演なので意図したのではないようだが、意外な普遍性に驚いた。

1945年3月に娯楽の緩和令が出て、喜劇などの上演も許されたという。本当だったらすごい。知らなかった。戦局が悪化し、苦難ばかりだから、政府・軍部も笑いの必要を察したからということらしい。

アチャラカ 昭和の喜劇人・古川ロッパ、ハリキる

アチャラカ 昭和の喜劇人・古川ロッパ、ハリキる

オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド

紀伊國屋ホール(東京都)

2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★

2021年の中野MOMOでの公演を観た。「私の青空」の歌が要所要所で歌われ、カーテンコールは大合唱。井上ひさし芝居を思い出し、それだけでも見た甲斐があった。劇音を、キーボード、ドラムス、サックス、バイオリンの四人の生バンドでやるのも贅沢。BGMとしてサックスが時折、やはり井上芝居で聴いた曲をやる。調べると、三文オペラノ「マック・ザ・ナイフ」。「夢の裂け目」のラストで使っていた。これも耳に馴染む曲で、良かった。実はアームストロングなど何人もがカバーして、ジャズのスタンダードなのだそうだ。

戦争末期、若いエノケンの人気に怯え嫉妬する、人気に翳りのロッパの話である。でも、舞台の見所は、「喜劇など不謹慎」という憲兵と婦人会役員を、部隊に巻き込んでしまう劇中劇と、戦後の焼け跡で、ほとんど人のいない野外で演じる「はりきり忠臣蔵」のコミカルな討ち入り、立ち回り。

憲兵の弾圧や焼け跡が、コロナ禍の自粛・緊急事態宣言や観客のいなかったりすくなかったりする劇場に重なって見えた。2013年の初演?の再演なので意図したのではないようだが、意外な普遍性に驚いた。

1945年3月に娯楽の緩和令が出て、喜劇などの上演も許されたという。本当だったらすごい。知らなかった。戦局が悪化し、苦難ばかりだから、政府・軍部も笑いの必要を察したからということらしい。

東京原子核クラブ

東京原子核クラブ

アイオーン / ぴあ / オフィス・マキノ

本多劇場(東京都)

2021/01/10 (日) ~ 2021/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

マキノノゾミの代表作を初めて舞台で見られてよかった。朝永振一郎(舞台は友田)をモデルにした群像劇。前半は、今一つ舞台の人々の悩みと騒動にのれなかったが、後半の戦争激化から敗戦後までは引き込まれ、時間を忘れた。

二幕の冒頭、研究仲間が「友田さんは神様です。人間が神様をやっかんでも仕方ない。ボクは自分のできることをやります」と、サバサバというのにまず共感した。
葬儀が父親かと思ったら、実は犬のガロアだったというシークエンスも見事。巧みな勘違いのコントで思い切り笑えた。

戦局が進むにつれ、出征の見送り、原爆研究の葛藤も迫るものがあり、原爆投下の閃光と真っ暗で大轟音が長く続くのには、肉体的に実感としてゾッとした。そしてカラッと明るくなった戦後。「土足!」のギャグは文庫版の戯曲にはないが、最後に繰り返されることで、気持ちいいエンディングだった。

浅野雅博(仁科芳雄にあたる、西田)、平体まひろ(下宿屋の娘)が、要所要所で芝居の緩急をよくつけていた。平体の「前の友田さんの方が好きでした」のセリフは、意外と厳しい口調でドキとした。霧矢大夢も、シスターになってからのギャグと外見のずれが絶妙だった。餞別の十字架のお金をちゃっかり要求するところは笑えた。主演の水田航生が知的な科学者に見えないのがちょっと残念。

ネタバレBOX

当初予約していた木曜夜の会が緊急事態宣言で、夜8時までに終了の「働きかけ」で中止になって困った。さいわい、土曜の夕方に振り替えられ、席も前列の中央ブロックで、良かった。
眠れない夜なんてない

眠れない夜なんてない

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2021/01/15 (金) ~ 2021/02/01 (月)公演終了

満足度★★★★

転換なし、音楽なし、セミパブリックスペースで様々な人々がすれ違いながら、その世界が見えてくる。平田オリザのスタイルが貫かれている。音楽については、舞台設定の時代(1988年の昭和天皇のご病気時代)に流行った歌のカセットと、初老の男たちが歌う懐かしの軍歌(!)、「ハイマオの歌」はある。

考えてみれば、平田氏は海外の日本人を書くのが好きだ。「ソウル市民」からそうだったし、新・旧「冒険王」はイスタンブールのバックパッカー宿にたむろする日韓の若者たちだった。「その森の奥」はマダガスカルの研究所。これらは、日本人以外も出てきて、いわば国際性があるが、今回は外国なのに、日本人だけの「老後マンション」で、日本論がいっそう前面に感じられる。
「日本がどこまでも追いかけてくる」とか「帰りたくない」とか、嫌うことも含めて、「日本」をつねに意識している人たち。

2008年初演時の設定を大きく変え、1988年の天皇重態の「自粛」に時代を置き、今のコロナの感染予防の自粛・制限と重ねている。これは見事な設定である。

ネタバレBOX

40代から60代の登場人物が、しっかり戦争体験者であるというのも、今から見ると「そんな時代があったんだなあ」という感慨を覚えた。80年代は私が20代だったわけだが、その時代、今の私くらいの年齢の男女はみな戦争体験者だったんだなあという感慨である。

時代をずらしたせいか、登場人物が、女子高校生時代にチューインバムをパシリで買わされていたというのは、1955年くらいのことになるけど、そんなこと、この時代にあったのだろうか。「ひきこもり」という言葉も出てくるが、この言葉が言われ始めるのは、90年代以降である。
モンテンルパ

モンテンルパ

トム・プロジェクト

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/01/23 (土) ~ 2021/01/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

死刑判決などを受けたBC級戦犯108人の生死という、重い課題を描き、心に迫る感動的舞台だった。まず、14人が死刑執行される場面での、絞首台の踏み板が落ちる、ドーン、ドーンという音に全身を揺さぶられ、冷や汗が出た。

「あ>、モンテンルパの夜は更けて」を歌って、助命嘆願に奔走した渡辺はま子(島田歌穂)、フィリピンの刑務所の過酷な状況を見て「日本人戦犯たちを導く、いたわるというより、自分が同じ苦難に飛び込まなければ」と、刑務所で同じ食事をしながら、死刑囚たちの恩赦をローマ法王に嘆願書を送り続けた教誨僧の加賀尾(大和田獏)の努力、願いが描かれていく。ついには、はま子のモ刑務所慰問が実現するところは、歌もしっかり聞かせて、よかった。

そして、加賀野のキリノ大統領(真山章志)への面会が実現する。この場面が圧巻。真山さんの大統領の威厳と人間性を体した演技に圧倒された。
キリノ大統領に渡したオルゴールから、「あ>…」のメロディーが流れ出しただけで、涙が込み上げた。108人の命を握るキリノ大統領の、罪の償いの必要と、復讐の連鎖を止めたい思いに引き裂かれる心。戦争中に妻と子供3人を殺した日本軍の残虐行為への抑えがたい恨みを吐き出す。

大変見ごたえのある舞台だった。

ネタバレBOX

キリノ大統領が、加賀尾に、「ローマ法王から、寛大な処置を求める手紙が来た」と語る。加賀尾が何度も出した嘆願書が、ついにローマ法王の心を動かしたと。加賀尾は、いったいどんな言葉と論理で嘆願したのか、日本軍の残虐行為への責任追及は法王だって考えなければならなかったと思う。手紙の内容を知りたいと思った。
ザ・空気 ver. 3

ザ・空気 ver. 3

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/01/08 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

冒頭、政治評論家(佐藤B作)がコロナ禍の体温測定で「37度4部」だったという設定から笑えた。現在只今のコロナを舞台に乗せて笑いのネタにしてしまうとは、何たる大胆不敵。さらに学術会議の任命拒否の裏情報をめぐる、メディア内の興奮と忖度と萎縮を見事に芝居にしていた。

評論家の翻心のきっかけに少しオカルトを使っていた。超自然現象を取り入れるとはご都合主義ではないかと思ったが、考えてみれば、評論家の抑圧された本心が無意識に現れたものとも取れる。ギリギリの線を攻めてきた際どい作劇である。

編集権を経営者から報道の現場が取り戻せ、そのための記者たちの話し合いをと語る。永井愛にしては珍しくストレートな訴えで、よほどの危機感なのであろう。笑いをまぶした社会批判劇といい、井上ひさし劇をほうふつさせる秀作である。

ネタバレBOX

政権批判する女性プロデューサー(神野三鈴)もじつは、所詮上から潰されるという安全地帯で騒いでいただけではないか。すでに「落とし穴」に落ちていたという指摘が胸に残る。そこまで言うと、現状でどんなに騒いでも騒いだふりをしているだけとなってしまうけれど。
スルース~探偵~

スルース~探偵~

ホリプロ

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/01/08 (金) ~ 2021/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★

吉田鋼太郎があすがの貫禄で、舞台を仕切っていた。妻の若いツバメである柿澤勇人を手玉に取る老獪ぶり、すっかり相手を見直して「愛」を告白する本気ぶりが良かった。いずれもユーモアも含んだ抑制がイギリス紳士風であろうか。柿澤はパンチ一枚になる、鍛えた肉体にはほれぼれした。

逆転、また逆転のストーリー、とくに1幕の最後から2幕のはじめはまったく予測不能で、驚いた。こんな手があったのかという感じ。そのあと、柿澤演じるマイロが復讐するところは、少々迫力不足だったか。設定もアンドリューがそんなに焦るような話ではないと思う。

映画版だとふたりの階級差、英国人とよそ者(イタリア人)の格差がもっと際立つそうだが、今回の舞台はそこはかあまり感じられなかった。甘いマスクの柿澤から労働者階級の移民2世のルサンチマンを感じろといわれても難しい。例えば西尾友樹なら、感じが出るかもしれない。
それは実はもう一方の吉田鋼太郎にも言える。公私ともに充実の人気絶頂だけに、老いと肉体へのコンプレックスを読者に感じろと言われても難しい。(そう言うセリフが長々とあるわけでもない)
演出も今回は、それぞれのルサンチマンはさらりと触れる程度で、互いに相手に負けないぞという対抗心丸出しのマウンティング合戦で通していた。

作者がシェーファーというから、「ブラックコメディ」の作者と同じかと思ったら、あちらはピーター。こちらはアントニーで、双子の兄弟だった。「スルース」は2度映画化されているそうで、

ネタバレBOX

最後のカーテンコールで、3人いたが、一人はスタントマンだったようだ。多分、階段落ちのシーン。ここは肝なので迫真の演技が必要だが、そうすると危険があり、代役をたてたようだ。そこまでするか、とこれも驚いた。
プライベート・ジョーク

プライベート・ジョーク

パラドックス定数

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/12/04 (金) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

満足度★★

こちらに予備知識がないせいか、つかみどころのない舞台だった。学生寮でそれぞれ映画監督、画家、詩人を目指す3人の学生。互いに悪ふざけしたり、励ましたりは、若き日のアルアルだろう。お客さんで来るふたりの紳士が、話の内容からピカソとアインシュタインを模しているとわかる。しかし、史実ではない。それらしき人物にとどまる。
時間が、数年後、さらに数年後となって、学生寮には詩人だけが残っている。だんだん、ここはスペインとわかるセリフもある。そこに5人が集ってくるのだが、次第に政治が悪くなり、詩人が抵抗して最後は殺される(と、話からわかる)。そういう歴史とドラマがあるのだが、舞台で続くのはあくまで世間話。やはり隔靴掻痒だった。

ネタバレBOX

3人の学生は、ダリ、ロルカ、ブニュエルをモチーフにしていることが、当日パンフの参考文献から分かる。作者もそう明記はしていないくらいの、ほんのりモチーフである。舞台では、特にダリなど、それらしさは感じなかった。
こうもり

こうもり

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2020/11/29 (日) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

二回目なのだが、前回よりもいろいろな発見があった。初回よりも余裕を持って見られたせいだろう。アイゼンシュタインの家の女中アデーレ(ソプラノ、マリナ・ナザロワ)が、パーティーでは女優になって、主人を凹ますところなど。この芝居で、一番華やかなのはアデーレだった。間男のテノール(村上公太)が、アルフレードと間違えられて捕まり、第三幕の牢屋のシーンでは歌で、看守を困らせるところ。歌わない看守のとぼけたコントも面白く、特に外人俳優が日本語を適当に織りまぜるだけで笑えた。

妻ロザリンデ(アストリッド・ケスラー)のハンガリー舞曲チャルダーシュも見せ場。ハンガリーは当時、オーストリア帝国の一部だったという事情がある。アイゼンシュタインが弁護士になって、妻とやり合うというのも、忘れていた。男女のずるさ、身勝手さがあからさまになって、面白いところ。有名なワルツは自然に体がうごくよう。一緒に行った友人も「楽しかった」とご満悦だった。

コロナ禍でも、外国人歌手も参加できて、新国立のオペラも再開、何よりである。しかし、12月26日に、1月末まで外国人の入国全面禁止になってしまった。これからの公演はどうなるだろう

ネタバレBOX

この「こうもり」は、崩壊間近のオーストリア帝国の内外多難なとき、人々が現実を忘れるために見て、ヒットしたとか。そうなると、これを見て「ああ、楽しかった」でいいのか、平野啓一郎「本心」ではないが、考えてしまう。

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