ウィット
文学座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2021/06/05 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/06/08 (火) 18:30
座席I2列14番
だから、、、という訳で選んだのではないですが、私にはかなりに身につまされる内容でした。ステージ4の癌患者。
これでwitがなければ悲惨話ですが、死にゆく主人公の気持ちは、判る気がします。
作者の深い職業経験を踏まえた語り口で共感度の高い舞台でした。
チラシには「尊厳死」「高度医療」など、何か問題提起的な惹句が踊っていますが、
家族のいない初老の(今では「若い」と評される)女性の、死への精神的な道程を、病院内での些細な出来事を追いながら
(とはいえ、死にゆく主人公にとっては些細でも重要でもない)描きます。過去にも未来にも普遍的な課題です。
そこで、彼女が仕事柄、引用的に持ち出すのが、17世紀のイギリスの詩人ジョン・ダンです。
このくだりは、正直衒学的で、あまり感心しないのですが、「死」へのさ
さやかな抵抗として、彼女の武器がそうであったということは理解しました。
なるほど。私の武器は何だろうか。
獣唄2021-改訂版
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2021/05/25 (火) ~ 2021/06/07 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/05/25 (火) 18:30
東憲司氏、桟敷童子を率いてもはや他と比べるべくもない演出家となりました。桟敷童子ほど、内容・時期共に安定した公演を行っている小劇団は、他にそう類は見ません。また、これほどの新作数を舞台装置含めながら考案していることにも驚きます。ただし、これが東憲司というような代表作が認められないと思うのは、私だけではないのでないでしょうか。
その理由の一つとしては、総じて作品の質が高いというという事が挙げられますが、桟敷童子作品が、かなり特殊な構造を抱えていて、他劇団での再現性が低いという事が挙げられると思います。もちろん、ラストの舞台総崩し的な見せ場は、他の小劇団では再現可能性が低いと思われますが、それ以上に驚くのは、頻繁に登場する過剰な悪意や欲望の放出です。
過剰な悪意や欲望の放出は、桟敷童子芝居の大きなレンズであり、物語の進行を前半と後半を一転集約で繋ぎ、舞台にダイナミズムを生じさせる、大きなファクターです。しかし、これはともすると、観客の混乱と不安を招き、それまでの感情移入を引かせる要素とまおなりかねません。(一方で中毒性もあるのですが) この点が、東憲司以外の桟敷童子作品の演出を困難しているように思われます。
さて「獣唄」この作品には、この過剰さがないのです。意図的に削ぎ落したように。観客は良くも悪くも、この作品でかの過剰さに向き合うことがありません。そのことは、脚本に演出側の自由度をかなり高めていると言えます。
冒頭こそ、慣例の肉親憎悪をもって展開しますが、その後の展開はかなりニュートラルです。つまりどういう描き方がされても、どこに話がフォーカスされても、ラストへはいかようにもたどり着けられるように書かれていると思われるのです。
今回の演出のように、あくまでも一地方での群像劇として描くのもありだし、梁瀬繁蔵を深く掘り下げる演出や三人姉妹の描き分けによる演出も可能なような気がします。つまり、桟敷童子版・東憲司版以外の「獣唄」が生まれる可能性があるということで、もしかしたらこれは新しい『古典』の誕生かもしれません。
終焉後の村井國夫の屈託のない笑顔が、再演とは思わせない新たな(何らかの)誕生を象徴していたような気がします。
「母 MATKA」【5/17公演中止】
オフィスコットーネ
吉祥寺シアター(東京都)
2021/05/13 (木) ~ 2021/05/20 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/05/13 (木) 13:00
チャペックの作品というとSF。それも良い意味で牧歌的であり、一方かなり諧謔的であり。舞台では「山椒魚戦争」「R.U.R」「クラチカット」と観てきたけれど、この「母」にも、何かそうしたSF作品に通底する独特の雰囲気がある。そう作家の体臭というか、作品の面持ちというか。ロボットの反乱だ、超破壊兵器の獲得競争だ、生物界の人間への侵攻だといっても、どこかのーんびりとしている、そうカレルの好きな庭仕事のように。
常に内戦絶えない(民族紛争?)、おそらくは東欧と思われる小国。そこでの市民たちは戦争に巻き込まれては、民族と家族を守るための戦いを強いられる。男たちは戦場へと駆り立てられるか、民族の繁栄のために命を落とし。女たちは父親。恋人、夫、子供たちと、次々と愛する者たちを失っていく。誰もその運命に抗うことはできない、否、できないはずであった。死者である夫と長男、戦場に赴こうとする次男、三男、四男、彼らと向こうに回して、
母は五男のトニーだけは、けして戦場行かせないと徹底的に抗うことを決意する。
アルビオン
劇団青年座
俳優座劇場(東京都)
2021/05/21 (金) ~ 2021/05/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/05/24 (月) 14:00
イングランド人というものは、いつも強がりだ。
世界の公用語としてNo.1の地位を占める英語は、かつて国内での公用語をフランス語に奪われた時期があったらしい。シェイクスピアの作品に見るイングランドは、たまーに勇猛果敢あるいはひどい跳ね返りが出てきては、フランスに戦争を売り、勝利を挙げその軋轢を取り払う。しかし、そんな海外での戦果の陰で、いつも内憂が起こり、いつの間にかまたフランスの軍門に下るか、その勢力にひれ伏すかを繰り返す、かなりなヘタレ野郎だ。
「大英帝国」などと、日本人が賞揚し憧憬するイングランドはエリザベス1世以降のものだ、だからか、この国の貴族、元はヨーロッパのはずれの偏狭な島国でしかなかったという強いコンプレックスを抱き、自分の弱みを見せまいとえらく強気に出る傾向がある。そうそう、まさにジョン・ブルのように。そこには諦念や無常の価値意識は存在の余地を持たない。それを見苦しい老体の足掻きと思うのか、武士は食わねど高楊枝的な粋とみるかは(少なくともジョン・ブルの容姿にその美学は毛頭ないが)、人それぞれだろう。
東京ゴッドファーザーズ【5月2日~5月11日公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/05/02 (日) ~ 2021/05/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2021/05/25 (火) 14:00
座席1階C3列7番
まず、今敏のアニメの舞台化表現についての評価。
舞台に段差を現出させ同時進行の話をうまく並行化して見せたり、段差は、その他ビルの屋上、電車内の風景、河川沿いの道端などになり、よくぞ多種多様な光景を見せた。細かい舞台小物の置き換えで、路地、墓場、廃屋、公園、病院、都内一周ロードムービーの場面転換を手際よく展開する手腕には、ただただ肝心するしかない。
特に、ラスト近く、赤ん坊を負ってのカーチェイスの場面は、タクシー、トラック、自転車、皆ハンドルと乗り手の配置だけで、疾走感一杯に再現される。
「東京ゴッドファーザーズ」の二次元を、舞台という生の時間的・物質的制限の中で再現した事実には、拍手を送りたい。
松岡、マキタ、みゆきの呼吸もよく合い、ストーリーは淀みなく進み、そう私の知っている「東京ゴッドファーザーズ」のラストのみゆきと父の邂逅シーンに至るのだ。
とここまで書いてきて、私は何を観ていたのかとふと考える。私は何を観ていたのかと。
私は、舞台を観ながら、常にアニメの場面を頭の中で再現していた。あのシーンだ、このシーンだ、そうアニメと比較しながら。私は舞台を観に来たのか?
この舞台を観に来た人は、今敏のファンという方も多いだろう。予習としてアニメを観てきた人も多いと思う。さて、まっさらで観た方々は、どんな感想を持ったのだろう。ある意味、その無垢な鑑賞眼は、この舞台をどう評価するのだろう。
うーん、私にはあの傑作アニメの舞台での再現を観ることしかできなかった。だとすれば、
この公演にあった価値は何だったのかな、と思う。今敏マニアとしては満足、でも舞台演劇として何か楽しめたもの・発見しえたものはというと、それが出てこない。
終わりよければすべてよし【6月12日~6月13日公演中止】
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2021/05/12 (水) ~ 2021/05/29 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2021/05/14 (金) 13:00
座席1階I列2番
上演が少ないとの指摘や、問題劇として分類するとか、話題作りをしようとすればできるけれど、ごくごく単純に、シェークスピアを上演しようとするのに、敢えてこれを選ぶ必要がないから上演が少ない、それだけでしょうね。
そして、このシリーズですから、この金額で観ましたが、そうでなくてもこの出演者でこの作品観たか、と問われれば観なかったろうなというのが正直な感想。やはり、戯曲が面白くない。主人公は設定を支えているだけなので、誰でもよいし。
この話の大モトは「デカメロン」らしいですけれど、終始「処女」だ「処女」だとうるさいのですが、当時のイギリスでも処女性とかうるさかったのですかねえ。
見どころは、正名僕蔵と横田栄司の掛け合い、諍いの場面含め計3カ所ほどあるのですが、とにかく2人が楽しんで演じているのがよく伝わってきました。舞台も3日目で、コツがつかみかけてきたところなんでしょうね。きっとこの掛け合いではこの先、いろいろな工夫が施されそうです(特に、横田さんが浮浪者然としてー何と段ボールを持ち歩いている(笑)ー出てくる終盤での掛け合いは、まだまだ突っ込みどころがありそうです)。
正名さんはテレビだと、小役人のような役に縛られていますが、結構オールマイティに演じ切れる方ではないですかね。このシリーズでは、とても新味でした。(もし彼がいなかったらと思うと、、、)
斬られの仙太【4月25日公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/04/06 (火) ~ 2021/04/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/04/09 (金) 13:00
座席1階B1列11番
4時間半の上演時間、約80の役、そして何と言っても三好十郎、久しくの新国立の舞台なのだが、正直、観劇を戸惑った。これきつくない?日和った私は、観劇仲間の姉御に、責任丸投げで、結果、観劇へ。
よいな、とてもよい、第一幕を観終わり、何の屈託もない。話がとても分かりやすく、脚本はどうか判らないが、三好十郎独特の捻りというか、思わせぶりとかがない。芝居が体にしみ込むように心地よい。登場人物各自の端から端まで、声が呼吸が通底し、開幕数分で、仙太を含むその周辺状況が頭と心に入り込む。
伊達暁さんの芝居は何度か観ているのだが、本舞台そのうつろいのある演技の中でも、最後まで土の匂いを醸し出す一百姓として演じ切る透徹さは見事。
農民でありながら、藩上層部の勢力争いに巻き込まれ(おそらく、多くの人は「人斬り以蔵」を思い出すだろうが、歴史的にはこちらが先。ただ仙太が実在したかは?)国だ大儀だと、暗殺のお先棒を担がされる仙太を、観客の同情にまみれることなく、二本足が大地に根を生やしたがごとく力強く魅せる。博徒に身をやつしても百姓、人斬りをしていても百姓、そんな感じか。
4時間半、あっという間だった。いやあ面白かった。
さて、水戸藩というのは、本当に先鋭・見識のある藩だったのだなあとただただ肝心。ただその時代先取りが、結果、薩長土肥においしいいところを全て持っていかれるのだけれど。
聖なる日
劇団俳小
d-倉庫(東京都)
2021/03/19 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/21 (日) 14:00
フライヤーの女性の顔。はっきりしないけれど、これは月船さららの顔だ、そうまさにこの舞台の。
この舞台の予備知識として、あるいは評価として、オーストラリアのアポリジニ迫害、白人の入植による土地奪取が語られるけれど、実のところ、この話、オーストラリアの話であるかどうかはどうでもよい気がする。
確かに、アメリカの西部開拓史とはかなり趣が違う。でも、これは異世界に入った人々が、恐怖や不安と闘いながら、全く自力で生きていくことになった際に遭遇する、ある種極限状態の話だと思う。そもそも、舞台ではオーストラリアとも、アポリジニとも言われていないし、ある固有名詞は登場人物名だけだ。
開幕早々、いわいのふ健と月船さららの邂逅。物語の進行中、この二人は一対の獣のごとく、時に共感しあい、時にいがみ合う。過剰なまでの憐憫の情と暴力性は、自らの破滅を留めるための自己保存装置のようだ。何かを傷つけ愛さずには、生きる術さへ失わんばかりの脆さ。ラストの黙示録様な、2人のポーズとスポットライトは、舞台を通じている闇を、まさに一層の漆黒へと誘う第2部の開幕のようだ。
「シャケと軍手」〜秋田児童連続殺害事件〜
椿組
ザ・スズナリ(東京都)
2021/03/17 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/19 (金) 15:00
実在の事件を題材にした舞台だと、どうしてもその解釈に目が行きがちで、そこで事の是非を語ろうとする評価が多い。しかし、舞台化した時点でそもそもが創作なのだから、そこで何か見極めようというのは僭越な感がある。何かを裁こうとしての舞台ではあるまい。
貧困、ネグレクト、いじめ、家庭内暴力、孤独、等々事件をたどるには聞きなれたような言葉が並んでくる。現実の裁判では、少女は殺害されたといことだけれど、どうもしっくりこない。だったら、海に出たいと思ったかもしれないアヤカの気持ちは、どうやって昇華できるのか。山崎哲の創作への思いは、そこにあるような気がするのだけれど。
子供は常に不自由だ。生きる術を自ら手に入れることができない。
多くの登場人物をうまく整理して、時に躍らせてみせるまでにまとめ上げる演出は見事。
狭い田舎町での、周辺住民の猜疑心に話を落とし込むでもなく、とはいえ、殺人を犯す鈴香個人を断罪したり同情したりするでもなく、登場人物1人1人の言行のみによって、淡々と舞台を進めていく手順は、個々の場面で何を見せるかに執心しておりとても簡潔でわかりやすい。感情移入に走ることもなく、その場その場の登場人物の心情に寄り添える。
いわなは、海に帰らなかった「シャケ」の子孫。それは判ったけれど、「軍手」は?シャケを捕まえようとすると、手にケガをするから軍手を使えということかな。
東京ブギウギと鈴木大拙
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2021/03/12 (金) ~ 2021/03/20 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/16 (火) 14:00
名取事務所らしい、しっかりとした芝居。京都の自宅を舞台に、過去と現在(大拙没後)とを巧妙に行き来する進行は、回想シーンも含め、無理なく登場人物の心の移ろいを描いていく。
フライヤーを読む限り、大拙とその養子アランとの共感と確執を描いた骨肉劇かと思えるが、実のところそうした対立は描かれない。合理的で闊達なアランと、どうも意固地でやや権威主義に傾く大拙との葛藤劇である。言い換えれば、よくある親子喧嘩と交歓の話。ただ、大拙がその権威の高さ故に、アランが起こしたスキャンダル故に、周囲の思惑も絡んで、心がすれ違っていく様が、抑え気味に描かれていく。
「東京ブギウギ」の『世界はひとつ』のフレーズが気に入らないという大拙の主張は、ただの老人の若者への言いがかりにしか聞こえないし、アランと近づくこと・理解することよりも自身の立場・学問の中に留まることを自然と選んだ態度は、現実からの逃避に他ならない。(ただし、大拙にはアランへの妙な嫉妬、猜疑があり、これが大拙の妻ベアトリスに起因することが暗示されるが)本来であれば、アランの大拙の研究への理解度は、大拙最大の支援であるはずが、そうはならない人間模様の不可解さ。
鷲巣、西山、新井の掛け合いは良い間を持って、一切の弛緩なく、物語を紡いでいく。
森尾、吉野のうまさはそれを支えて余りある。大拙、アランの思惑の奇妙さに心乱されながらも、堪能させてもらいました。
ウィーンの森の物語
東京演劇アンサンブル
東京芸術劇場アトリエウエスト(東京都)
2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2021/03/10 (水) 14:00
とにかくポップな舞台と衣装、終始ダレずに軽快に飛ばしまくる舞台進行は、その話の重さとは裏腹に、とにかく理不尽なくらいに楽しい。風船の爆発にも、ステッキの受け渡しの失敗にも、飄々と対応する役者諸氏の所作は、誠に余裕を感じさせて心憎いばかりだ。
「ブレヒトの作品は民衆には判らないが、私の作品は誰にでもわかる。」さもありなん、そう言い切ったらしい、ブレヒトと同時代人であるホルバートの言葉は、お世辞ではなく的を着いている感じがする。そのことは、女性差別・男尊社会を描き、幼児虐待までも取りあげながら、この舞台には一編の暗さをも感じさせないのは、そうした翻しが可能なほどに、
人間の業や性に根付いた作品だからであろう。ブレヒト劇にそれはできまい、いやできてはならない構造があるような気がする。
とにかく、ここに出てくる男たちは、陽気で反省や後悔という者を知らない。肉屋の主人オスカーのマリアンヌへの代わらぬ執着は、愛ととれれば気分も和むが、どうやら所有欲の所産らしい。彼には、マリアンヌを盗すんだ(と思っている)アルフレッドへの嫌悪感は強いが、それはマリアンヌをぼろきれの様に捨てたことへの怨嗟ではなく、盗られたことへの恨み節に過ぎない。
マリアンヌの父魔術王は、哀れな境遇に落ちた娘への哀惜どころか、未だに自分の思い通りにならなかった娘への悔恨の沼で喘いでいる。
そして、アルフレードは、マリアンヌを捨てただけではなく、祖母と(実質)共謀して息子を殺め、その上祖母から借金を重ねて放蕩生活。その他、ハヴリチェク、ヒアリンガー、エーリッヒ、ミスター、ここはクズ男の品評会か!!!
公家義徳が、武体の締めとして、マリアンヌに叫ばせた(本にはない)一言。暗転後に舞台奥から駆け出してくるマリアンヌ、よく言った(言わせた)!!!
ポー、大鴉の夜、あるいは私達の犯罪
劇団キンダースペース
シアターX(東京都)
2021/02/24 (水) ~ 2021/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2021/02/28 (日) 14:00
「大鴉」という詩がどのようなものか知らないので、この舞台の土器にその影響を見るのかわからない。「Never More」という言葉に表された、ポーの絶望感を意味しているのか。
「べレニス」「アッシャー家の崩壊」「ウィリアム・ウィルソン」「黒猫」
愛する者が死にゆく過程で、それへの禍根と後悔、生きているはずだと思い込む偏執的な愛情とその感情の吐露。または、文学への限りない探求と、人への猜疑心。または自分ではどうしようもない自分の性癖・悪意・自己顕示欲への嫌悪と愛情、そんなないまぜのポー自身を死に至る走馬灯のような回想で振り返る舞台。2人のポー。それは呵責と自尊心。
アトリエで観るキンダースペースから、シアターXに来ると、何ともセットも大掛かりに感じるし、今回はゴシック調に冷たい石のイメージが、ポーらしさを盛り上げる。快作。
でも、2人のポーが健康体過ぎるかな。
暗君
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2021/02/26 (金) ~ 2021/03/07 (日)公演終了
満足度★★
鑑賞日2021/03/01 (月) 14:00
いつものパラノイア短編集に比べると、かなりライトな仕上がり。
2つの政治課題を、神の力を持って解決してしまうという作品なのだけれど、「少子高齢化」対策に至っては驚くほど、政策としてツボを得ていて、今の政府もこうしたいんじゃないか、とまじに思ったりする。いつまで経っても少子高齢化担当大臣の仕事が、保育所の増設でしかないとなれば。とにかく種付けを強制するしかない。子供が養えないなら、いっそのこと国が面倒見ましょう。高齢者は貴重な票田として大事に大事に、生かさず殺さず。高齢者が蓄えた資産は、子育てに積極的に流用してもらう。ならば、高麗者にはサービス、サービス。
まあ、できあがったのは、立派なデストピア。結局、1つの理念の極端な完成形は、共産主義社会を見るまでもなく、人間性の喪失を前提とする者だということ。(それほど、個人的には共産主義がマイナスな理想とは思っていないけれど)
性の搾取対策においては、これデストピアというよりも、個人の痴呆化、家族・国家等々社会そのものの崩壊と、経済の停止(バイト生活者が労働者の大半を占めるだろう)、まあ、人間は生存権そのものを放棄するのでしょう。
とてもじゃないけれど、国が統制を取り切れない(溢れる犯罪者とその管理が追い付かない、というか、世の中で普通に闊歩できる男性なんていなくなるだろうし。きっとイケメン証明書の所有はリンチの対象になるんだろうな)
左右の痴漢冤罪のところ、井口ジョージのキレのよい演技が全体通して、唯一の清涼剤かな。かっこいいし。冤罪をかけた女子に謝れと言うのは、冤罪をかけられた男子の人格を重んじれば当然。だけれど、なぜにあの女官僚は女性保護のみ訴えかけるのだろうか、不思議にならない、まあ、この女性が、上下でも右左でも、極端な要望を神に出して、その実現を持って世を滅ぼすのだけれどね。
「カリギュラエフェクト」というサブタイトルに、もっと殺伐とした従来の作風を期待したけれど、毒も衝撃もかなり不足がち。まあ再見はないな。
帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】
劇団チョコレートケーキ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2021/02/19 (金) ~ 2021/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2021/02/26 (金) 13:00
「全員を助けられないことは、一人を助けない理由にはならない」回想中の山崎が言う言葉。
確かに総力研の力では、日米開戦は避けられなかったかもしれない、でもその被害を1割でも2割でも減らすことはできなかったのか。すべては全か0かなのか。
彼らは、自らの無力さに耽溺し、全てをあきらめてしまったのではないだろうか。もう少し頑張って抵抗していれば、今1つの命だけでも救えていたかもしれない。そんな悔恨の情が、ラスト舞台を漂う。久米首相、久米首相、ご判断を!
ただただ泣いた。過不足のない役者の配置とセリフ配分、そして淀みなく綴られる劇中回想劇。ほぼ居酒屋と言うほぼ一幕劇で、あの大陸の血なまぐさい空気と官邸内での策謀と傲慢、そして登場人物個々が抱える現在の自分への不安や贖罪意識、よくも描き切ったと思う。
断片/ペール・ギュント
劇場創造アカデミー
座・高円寺1(東京都)
2021/02/21 (日) ~ 2021/02/23 (火)公演終了
満足度★★
鑑賞日2021/02/23 (火) 14:00
劇場創造アカデミーの修了上演となると、「戦争戯曲」定番のところ、最近は別作品を演る様になった。今回は、ある意味王道イプセンの「ペール・ギュント」とはいえこの作品、主人公の荒唐無稽さ、物語展開の奇想天外さで魅せる、初見者には予測・予断を許さない破天荒作品で、演出意図がとても絞りづらい(と思う)。その上「戦争戯曲」も3部すべて上演となるとかなりの長丁場なのだけれど、「ペール・ギュント」もとにかく長い。だから、著名な割にあまり上演されない(気がする)。
今回、「断片」とあるように、(上演時間1時間半と聞いて驚いた)やはりと言えばやはり、場面場面を切り取り再構成した作品であった。これ、何が何だかわからない。いや、そもそも何が何だか分からないところが、この作品の魅力であるにもかかわらず、その魅力を味わえない。おおまかな話を把握しているつもりな私でも、開演からしばらく暗中模索。冒頭ペール親子の会話から場面は判るし、会話の内容も推測できるけれど、全く楽しめない。
舞台装置には凝りに凝ったり、なのだけれど役者が活きていないなあ。次々と役者が変わるペール・ギュント、これでは唯一といえる物語のアイデンテティ―さえも骨抜きで、これ楽しめた観客の方いるのだろうか。完全なプロデユース側の目論見違い、独りよがり、自意識過剰?
墓場なき死者
オフィスコットーネ
駅前劇場(東京都)
2021/01/31 (日) ~ 2021/02/11 (木)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2021/02/01 (月) 19:00
座席A列7番
墓場なき死者たち。墓場のない死者になろうかという者にとって、死にゆく瞬間における自意識の高まり、唯一無二の自我への執着、消失されゆく自己存在への哀切、そこには目くるめく様な煩悶と懊悩が渦巻いているのだろう。
パンフレットを読むと、そこかしこに「自尊心」という言葉が出てくる。
自尊心と聞いて、そこに崇高な精神性を求める向きが一般だが、(パンフでも、その意味で「自尊心を持って守りたいもの」を出演者に聞いていた)、一方で「自尊心が高すぎる」という揶揄もある。パンフでは、翻訳の岩切正一郎が、この舞台を自尊心の球の闘いとした趣で語っている。ただし、卑怯者と呼ばれないための自己正当化として。
犬死には嫌だ。生きていた証を残したい。そんなレジスタンス達の物語。何のカタルシスもなく、理想も理念もない。ただ、そこには殺し殺される者同士の、自己正当化だ。民兵たちは、連合国の侵攻に恐れおののきながら、今の優位に身を委ねている。レジスタンスは、卑怯者にならないための自己賛美を朗々と謳う。
何も救われない、物語。
正義の人びと
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2021/01/29 (金) 14:00
座席B列18番
オフィス再生の上演を観てから3年後、俳優座上演を観る。
オフィス再生での上演では、主人公ヤネクが、最初の大公暗殺の失敗から、自らの正義と倫理との狭間で苦しむ中、「正義」の議論は、彼を取り巻くレジスタンス達の応酬として展開する。渦中のヤネクは苦悩こそすれ、ただただ無力で、懊悩するばかりだ。そして、自我を打ち消す棟に無機化して、大公暗殺に出向く。そこに誕生したのは、新たな英雄であり、もはや無垢に帰した屍のような人物だ。彼は思考を停止したかが故に無謬であり、何者にも咎められることはない。レジスタンスの同志たちは、彼の英雄性をいかに賞揚するかに専心し始める。「正義の人」とは何か?倫理の立脚点としての存在を問い詰めるような演出だった。
それに比して、俳優座の演出は、「正義」とは何か、むしろ意味論、価値論的に徹底して突き詰めようとする。ただ、いうまでもなく「正義」は相対的な思考軸の在り様でしかない。
レジスタンス達には、大公暗殺は「正義」だが、同行した甥姪を巻き添えにすることは「正義」ではないとする者。否、甥姪をも犠牲にして大公暗殺を優先するのが「正義」だという者。そして各自の「正義」たる主張は、みるみるうちに多種多様化し混とんとしてくる。
そう、レジスタンス各々の御旗になる「正義」の主張は、愛、憎悪、期待、同情、信頼、
失望、欲求などなど、あらゆる感情に還元され溶解されていく。
大公妃においては、夫大公にこそ正義はあるが、甥姪の道徳観・人民観に「正義」はないという。「正義」とは
どちらも妥協なきがゆえに、ただただ感嘆すべきドラマ性と演出。
ベクター
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2021/01/20 (水) ~ 2021/01/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2021/01/24 (日) 13:00
座席X列1番
戦争の狂気、つまり、戦争が招く狂気、戦争によって表象される狂気、戦争に具現化される狂気、まあいろいろあるけれど。ついつい、自分だけは正気あるいは平常心という認識のもと、実はきゅきの渦中にいること自体に気付かないことはあるのだろうな。
異常が日常となっている現実に、ついつい惑わされてしまうから。
レイテで墜落した飛行機から、囚人兵たちが回収しなければならないものは何、というのがこの芝居のテーマ。
タイトルからしかり、それを探し行くというのが囚人兵であるということでも、おそらくそれは、、、と推測が先に立つのは当然だろう。
輸送機に搭乗した者たちが見つかり、そのうちの狂暴化した1人に、捜索兵の1人、村上が噛まれる。そこから先は、、、という予測は、、、、、
絶対、押すなよ!
東京AZARASHI団
サンモールスタジオ(東京都)
2020/12/22 (火) ~ 2020/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/27 (日) 14:00
役者がしっかりしていると、こんなにも面白い物なのか。どうも小劇場の喜劇は力ばかりはいりがちで、終始笑わせることが難しい。しかし、アザラシ団の年季の入った間と呼吸、もちろん稽古量もあるのだろうけれど、この完成度には目を見張る。とにかく、序盤から中終盤まで、大中小・抑揚をつけながらとにかく笑った。笑い疲れた。
是非、観るべし、って今日が千秋楽でした。
扁桃と虚天球―なけなしの革命児の帰依に寄す―
劇団夜鐘と錦鯉
ひつじ座(東京都)
2020/12/24 (木) ~ 2020/12/27 (日)公演終了