渡り鳥の観てきた!クチコミ一覧

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デペイズモン

デペイズモン

Toshizoプロデュース

トシプロスタジオ(東京都)

2017/12/14 (木) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

木曜に観た後、残り公演日の中でどこをどうやりくりしたらまた観られるのか、真剣に(!)考えました。
まあそれくらいインパクトが深かった(大きいとは違う感じ)です。

解離性障害の妹を抱える兄(アルコール依存症を隠していた)の視点からの物語ですが、それだけでは納まらない普遍的なテーマを感じました。
妹の昌代(重松さん)が抱える病の深さが切なく伝わってきました。
特に切ないのはミルミルの人格になったときの語り。
幼いころから、ぬいぐるみや動物たちと交流しながら生きる支えにしてきたこと、そのことさえも中学生のころ否定されたこと。
この人格になっている時の無邪気な振る舞いと現実の病との落差がすさまじい。
トカゲのしっぽ切りのように、人格の一部を切り離しても生き残りをはかろうとするミルミルの空想物語は、育ちの中でどれほど深く傷ついたかを逆説的に浮かび上がらせてくれます。

多重人格の役は相当の難役だと思いますが、とにかくやられました。
涙が・・・・とにかく止まらない・・
「あんなところまで抜けていったんだ重松さんは・・・」というのが正直な感想です。
兄と妹の物語がともすれば重くなりがちなところに、トシさんの吉村役が長い入院生活から身についたのか、一服の清涼剤のように立ちふるまうシーンで救われます。
その人でさえも、一皮むけば自分をゴミのように思う闇を抱えていることが伝わるシーンもありましたね。

人は成長するにあたって育ててくれる身近な大人(両親が一般的か)にすがらざるをえません。
目の前にいる親をモデルとして自分を形成していくしかほかに方法がない宿命を負っています。
この共通のテーマが背景にあるので観ている自分の心がうずくのです。
親として子供に対してとった言動のこと、子供として両親から受けた影響のことなどなど・・・・が、複雑な思いが湧いてきました。
両親から、何を吸収して何を取り入れないかを判断できる意識がうまれる前に、無意識に吸収して身につけたことは「三つ子の魂百まで」のことわざ通りです。
あれだけ反発した父と自分がいつの間にか似ていることに気づく兄、そして妹は父と似た男を引きよせては苦しむ。
それと向き合う作業は、結構つらいことですね。
この兄妹は、兄がまず一歩を踏み出しました。
人生を器用に渡り歩くことが苦手な雰囲気と存在感が出てましたね。(兄の役の方)
「お互いが証人となって二人でもういちど生き直そう」という兄のセリフ、「両親からは負の遺産を引き継いだけど、正の遺産もあるんだな。これを治療代にしていこう」とつぶやくシーン。

ラストの独り言、「人生は思うようにはいかないもんだ」「エッ今なんて言った(吉村)」
静かな余韻の残る終わり方。(この二人に差してきたかすかな希望を暗示して)
明かりが落ちた後の「間の時間の長さ」は、観ている側からすれば、大事な部分だと今回思いました。

デペイズモンは意味深です。
最初「なんだこれは?どういう意味なんだよ」と思いました。
「日常の風景のかたわらに、さりげなく精神科入院病棟がある」そんなことを想像しました。

ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売)

ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売)

Toshizoプロデュース

中野スタジオあくとれ(東京都)

2016/06/24 (金) ~ 2016/06/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

リアリティと存在感
チームワークと集中力を強く感じました。  
日常のさりげない会話の積み重ねの果てに、登場人物が抱えているそれぞれの過去が明らかになって今ここにいることが伝わってきました。
昨年キネマ旬報ベスト1と3に入った、「恋人たち」「ハッピーアワー」を思い出させました。
いずれもワークショップの積み重ねの中から作品化されたものですが、賞を取るからには作品としての完成度が評価された結果です。
ゲストハウスの作品も、完成度が高いと思いました。
いつも思うのですが、こういう作風は観客の想像力を非常に刺激するので、疲れたときにすかっとしたいと思って観ると、初めての人には「うーん」という感想を述べる人がいるかもしれませんね。
装置はほとんどないし、登場人物の動き(目の動きだけでも見ている対象との距離感も全部伝わってしまう)、マイムでの表現は演技者の中にどれほどのリアリティが成立しているかも怖いほど伝わります。

ネタバレBOX

印象に残ったシーンについて
① 女性三人がそろう(だいぶ終わりのほうだったか)シーン。 
宇内博子(白須さん)・・それまで結構どこかとげのあるようなしゃべり方をしていました。高野山から熊野古道へ行きたい、滞在期間は未定ぐらいしかわからなかった女性の告白。2歳の娘をなくした経緯をしゃべり始めたときの調子には「こんなにすらすらしゃべっていいのだろうか?」と思うくらいの危ういハラハラ感がありました。
徐々にことばが重くなり溢れる想いが涙とともに流れ出したシーンは、毎回ああいう風にゆくのかは?ですが感動しました。その場にいるほかの二人が、場を支えていることもつたわってきました。
② 周仁冷(廣田さん)と藤井直子(平野さん)の別れのシーン。
お互いに想いはあるけれど、それぞれの事情から別々の生活(中国と日本)となる最後の別れ・・・「別れたくない~」と感情があふれ出して、しっかりと抱き合うようなシーンもありだと思います。
そういう安っぽい別れシーンになっていないのが私は好きです。  お互い家族の事情や今の生活に根を下ろそうとしているからこそ、年齢の割に大人びたあの抱きしめ方を感じていました。
ここで引っ張らないのも、としプロさん流ですね(笑)
③ 蔵の中で発見した8ミリフィルムをみんなで見るシーン。
意外だったのは、観客席にスクリーンをおく設定にしたこと。眺めている人の心の動きがみえること。  
映っているシーンの内容やスクリーンまでの距離をみなさんが共有していないと、ここまでリアルには見えません。 
特にこの家を支える役の藤井直子にとって、かつての家族の光景がどのように映ったか?  「子供時代の自分、お父さんの姿」セリフが映っているシーンをいちいち解説しない分だけ、(「お父さん」「自分がいた」ぐらいだった気がします)観客として座っている私の中に、ものすごくたくさんのシーンが浮かんできました。
それは、直子が見ている思い出のシーンを想像するというよりは、私の個人的な思い出のシーンと重なっているので、観客と役者が共同で一つの夢を見ているような感覚でした。
舞台上の人たちが、確かにひとつのシーンをスクリーンにみているのがしっかり伝わってきました。


継続してお目にかかっている方たちの、それぞれの成長過程に立ち会うのは私にとって、楽しみなことです。
いくつものシーンを演じている中に、そこに確かに存在感が浮かび上がってくるときがすべてです。その瞬間に立ちあえることは嬉しいことです。 
空の裏側

空の裏側

Toshizoプロデュース

UPLINK FACTORY(東京都)

2015/05/08 (金) ~ 2015/05/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

つきぬけた向こう側に
東京公開の最終日(17日19時10分の回)に「空の裏側」を観ることが出来ました。
この映画は初めてなのに、すでに観た感じがするのは舞台を観たからでしょうか。
舞台上はほとんど何もなかったはずなのに、登場人物たちの生活する部屋の空間を始め、公園があり、模型飛行機のお店などが観た私の記憶なかにあるのですね、不思議なことです。
作品の味から言うと、本当のことは目には見えないが、あなたの心の目で「空の裏側(つきぬけた向こう側に)」に見えてくるものを感じ取ってほしいというメッセージが伝わってきました。

ネタバレBOX

特に印象的なのは何といっても、二人が公園で飛行機を飛ばすシーンです。
羽ばたく形式の模型飛行機がいきてますね。 あの飛び方を観ていると、スーッとすべるように飛ぶのと違って、何か一生懸命もがいているようなものが伝わってきます。
地上に落ちたり、低木樹の中に突っ込んでバタバタしている姿も切なく、この青年の日頃の思いや生活を象徴的にあらわしているように見えてきました。
空をバックに飛行機が空を飛んでいるシーンに、立ち会っている二人の目線になって見ました。 亡くなった父への想いが今こうやって形をとって飛んでいること、未完成品にアレンジを加え自分の手で完成させた飛行機が今飛んでいること、何よりも二人で一つのものを見あげている時間がながれていること。
この青年にとって、冷ややかな空気のただよう孤独感とはちがった世界があることを実感出来た初めての体験だったような気がしました。
音楽の挿入もそーっと遠慮深く、二人が見上げている空の裏側(突き抜けた向こう側?)に感じとれるものは何か。 希望の光?愛?・・・まあそれは置いといても、二人にとって元気が湧いてくるものには違いないですね。  ラストで青年が花屋に立ち寄って花を購入するシーン、あの花はだれに送るつもりだったか・・第一候補は女性で、母も可能性としてありか?
私にとっては謎のまま終わりましたが、彼が「誰かのために花を買おうとしたこと」だけでもこれからの生活を暗示させてくれました。 
映画作品は初めてみましたが、小津風の大人の映画ですね。味わいは、舞台と同じです。 
この作品、お母さん目線、お父さん目線、弟目線それぞれの立場から膨らませると、独立した作品が何本かつくれる気がフッとしました。  
来たり人たち

来たり人たち

Toshizoプロデュース

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2015/07/17 (金) ~ 2015/07/20 (月)公演終了

満足度★★★★

来たり人たち=よそ者たち
今回の芝居の予備知識は、「舞台が愛知県の尾張地方、造園業者の一家の跡取り問題を巡って展開する物語」いうことだけ。
台本を見ているわけではないので、聞き逃しからくる誤解があるかもしれません。個人的な解釈が的外れになることだってありうると思います。

ネタバレBOX

エピソードシーンの積み重ねで、次第に煮詰まってくる家族それぞれの想い。  家族という池に波紋を拡げる出来事は2つ、父の脳梗塞の入院、リハビリ生活、後継者問題はもちろん最大のテーマで、もうひとつは謙一のけが騒動。
後継者の候補として父から出てくる子供たちの名前に、謙一が出てこないことにいらだっている様子の母。
この母は謙一のことになるとどうしてここまで強く反応して絡むんだろう?という疑問が、なかなか腑に落ちませんでした。 父の不在時(入院)に過剰なまでに気負った仕事の采配ぶりを見せる尚子、父とは一線を画して生き方を見つけようとする姿勢の信幸、ケガの後の仕事への復帰への意気込みからしてほかの誰よりも父に似ている謙一。どうやら、この家族の中に起こっていることは、単に父親が昔の家長的なふるまいを身につけていることからだけではないらしいと気づきます。
では、どういう積み重ねの過去をもった家族なのか? このことが、わかるまでに非常に時間がかかりました。

観ている者にとって、もやもやとした疑問が解けてくるシーンがありました。
① 尚子が恋人と実の母の墓前で会話するシーン・・・私にとっての母はやっぱりここにいるというようなセリフ。
もう一つがラストの②「夫婦が亡くなった先妻の墓参りに向かうシーン」の時・・・・謙一を連れてこの家に来た時の思い出話。

「来たり人たち=よそ者たち。この家族の中に、あとでよそから入ってきた者達」の意味が、初めてはっきり見えてくる瞬間です。
セリフとしては、さりげなくしゃべっているし、なによりこのシーンが相当後に出てくるので、ここまでもやもや感を引っぱってしまうのが結構苦しいです。特に夫婦のしみじみとした会話は最後に出てくるので、ああそういうことだったんだとようやく納得。
吉村浩司もおじいちゃんに助けられた思い出話からして、「来たり人」に入れてもいいかもしれませんね。

ここに至って、ようやく母の謙一への入れ込み具合の謎がようやく解けてきます。そして、実の子どもたちよりも謙一のほうが父に似ていることも、謙一の側からすれば「この家族の一員として認めてもらいたい(特に新しい父に)健気な想いがこういうかたちになって成長した」ことがみえてきました。(私にはそんな風に読み取れました)
連れ子として入ってきた謙一のほうが父親似となり、実の子どもたちは父のやり方を反面教師として、成長してゆくという皮肉。
家族メンバーが現実をどう受けとめてここまで来たのか、ラストでもういちどふりかえる事になります。

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