旗森の観てきた!クチコミ一覧

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綿子はもつれる

綿子はもつれる

劇団た組

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2023/05/17 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

若者世代切っての才人・加藤拓也の現代艶笑譚。
三十歳から四十歳にかけての今を盛りの世代と、これからその世界へ入っていく十代後半のセックスの話を面白く見せる。
開幕の、ベッドの上で中年男女がぼそぼそと早口でなにやら話している。台詞の細部はよく聞こえないが、二人が事が終わって、帰り支度の最中と言うことは解ってくる。服装だとか、小道具とかでことの次第を説明することなく、そのことを解らせる手際はとても三十歳を過ぎたばかりの作者のわざとは思えない。家に帰った女は連れ子のあった再婚相手と暮らしているが、帰ってきてからのそのうんざり具合も、ろくに説明しないのによくわかる。以後、物語は浮気相手が帰途交通事故死したことで(その葬儀などと言うダサいことは一切・きれいに省くところがこの才人のすごいところだ)隠されていたいとはほつれていき、お決まりの艶笑譚になっては行くのだが、その表現が画期的に新しい。終始大人同士が小声で演じ、子供たちが分かりやすい現代日常語でセックスを話題にする。ろくに解らなくても客に通じるのが万人共有のセックス事情である。客席はシーンと見入っている。満席。
そこは、加藤拓也を褒めるしかない。が。
スケベは、人間性を表す面白い本能ではあるが、結局は、そこに止まってしまってしまったのは残念だった。俳優では、したい盛りの年齢をしれっと演じきった安達祐実快演。いるよなぁ、こんなの。

虹む街の果て

虹む街の果て

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2023/05/13 (土) ~ 2023/05/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

昨年KAATが試みた市民参加演劇の続編。庭劇団ペニノのタニノクロウの構成演出。
主舞台は横浜中華街の外れのアパートの一画にあるコインランドリーが横に長く組まれ、その隣には中華食堂とかスナック、雑貨屋らしき店、そこに、さまざまな国の人々が現れる。ゼリーを運ぶ人が居たり、短軀の人(赤星満)が絵本のダンゴムシの童話を語ったり、女性が歌ったり、二階から登場人物全員の靴を吊る人が居たり、なかには段ボールで作ったロボットのかぶり物の人も居たり、置物で中央に丸い笑う人形がおかれていたり、その数・十五人。登場人物にはなにがしかの役が振られているが、全体で一つの物語が進行するわけでもない。つまり、昨年の「虹む街」の「果て」を演じているワケだが、それほど深刻な終末を迎えるわけでもない。80分だらだらと続く。
タニノクロウ作品には波長の合う作品とそうでない作品がある。庭劇団ペニノの公演でも、独特の細部に凝りに凝った作劇や装置がはまる作品と、結局意図がつかめない作品とがある。昨年の「笑顔の砦」(吉祥寺シアター)が傑作だったので、横浜まで足を伸ばしたが、そう次々と傑作が生まれるわけもなく、今回は少し投げやりな感じで、そういう時もこの作s者には時々ある。笑顔の砦はスタッフキャスト田舎の漁村に合宿して作ったという情熱が端々から感じられたが、今回は市民との共同作業という点でも感じ取れるところがなかった。



スウィングしなけりゃ意味がない

スウィングしなけりゃ意味がない

サルメカンパニー

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2023/05/18 (木) ~ 2023/05/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

成功した音楽劇は舞台の上も、観客も芝居ならではの幸福感に包まれる。
しかし、音楽を演劇の中で昇華するのは難しい。そこへ挑戦しているカンパニーというので、内容も確かめずに観にいった。
劇団の意図は十分に評価する。しかしこれでは、心意気だけである。
基本的なことが行き届いていない。
一つ。音楽と演劇と言いながら、「音楽」ないしは「音楽監督」のクレジットが見当たらない、曲名はタイトルにあるがその由来もつまびらかでない。演出者がまとめたというのならそう表記してその責を担わなければ。既成曲も使っているが選曲の意味がわからない。歌っているのは英語歌詞によるものがあるが、この事件が政治的には英露の綱引きにも関連しているので、ここは明確でないと作品の意図が伝わらない。
二つ。企画。今テロのドラマをやる意味はなくはない。しかし何で、チェコスロバキアのナチ高官の暗殺事件なのだろう。この事件は私はたまたま80年代にプラハで仕事をする機会があり、そこで詳しく知ることになったが、一般の人にとっては知らない事件だろう。
(ほんのちょっと触れられているがこの事件の背景には複雑な英露関係がある)本は、壁の崩壊後、映画にもなった事件経過を忠実に追っているが、登場人物たちの葛藤は「正義の人々」以来この種のテロもので扱われた以上のものがない。なぜ、身近な日本の素材でやらないのか。歴史をひもとけば同様な素材はいくらでもある。
三つ。脚本と演出。ステージングは要領を得ていてこれはこれで出来ているが、同じようなシーンが続いて、同じスポット照明の暗い場面が続いて疲れる。俳優たちの個々のキャラをたて観客を楽しませる工夫がない。台詞も言い始める前に気分を決めておいて一気に言っておしまい、という台詞術しかないので単調になってシーンの中の感情が盛り上がらない。せっかく大劇団の中堅俳優を客演に呼んでいるのだから、この際徹底的に台詞を学び直さなければシーンが膨らまない。事実以上に舞台が感情を持たない。
半世紀ほど前にオンシアター自由劇場が、この道を探って「上海バンスキング」という傑作を生んだ。フォーリーズにも「洪水の前」という傑作がある。前者には越部信義、後者にはいずみたくという現場に合わせて音楽を作れる優れた作曲家がいた。その後ダンスが現代演劇に取り入れられるようになって今の音楽劇はここも強化しなければならない。音楽劇は、一層さまざまな才能を発揮させる総合演出が重要になっている。
このジャンルが難しいことは承知の上で、劇団の奮闘を期待したい。いまはもうがっきをあつかえるはいゆうはいくらでも居る。


舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド

舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド

Bunkamura

THEATER MILANO-Za(東京都)

2023/05/06 (土) ~ 2023/05/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

せっかくの大劇場のこけら落としに、こんなことは言いたくないが、これは考えすぎである。
マンガに、テレビに、劇場映画にとさまざまなクリエーターの手で育てられてきたエヴァンゲリオンだが、芯となるものは、単純なファンタジーである。劇場お向かいの映画館の上に君臨するゴジラと同じで、難しく考えすぎると失敗する。
ゴジラもかなり日本的キャラクターだが、ウルトラマンに始まる巨大戦体人間と、子供を絡ませたヒーローアクションものも、我が国で独自に発展したジャンルで、海を渡ると理解されにくい。子供だけが操れる科学の粋を尽くした人間型兵器、なんてファンタジーに決まっている、というのが日本なら、そんなナンセンスな、と言う常識派が海外である。当然その後のドラマの組み方が違ってくる。
こけら落としというので呼ばれてきた著名な振付師であるジェルカウイも大いに悩んだに違いない。それは、構成台本とか上演脚本とか原作とか、さまざまな名称でクレジットに並べられている日本側の台本関係者の多さからも察しられる。結局舞台は誰かが統一しなければ出来ないから、最もギャラの多い(推察だが)ジェルカウイが八方、取り入れられるものは取り入れて、自分で自信のあるダンスを軸にしてまとめてしまった、のがこの舞台である。95分の一幕と15分の休憩の後2幕50分、
ストーリーについては、舞台独自のものと断ってあるし、タイトルにもビヨンドとつけて、今までのエヴァンゲリオンものとは別物と強調しているが、それが、理に落ちて面白くもない。災害をもたらし、戦う相手の「使徒」が自然からの警告、だとか、ラストに舞台から木が育ってくるとか、もう飽きられているジブリ風のテーマの置き方が陳腐としか言いようがない。それでも通用する場所もあるだろうが、ここは新宿ど真ん中の最新鋭の劇場のこけら落としである。この良い子チャンぶりでは意気が上がらない。今までのエヴァンゲリオンには最新の兵器戦争もあるが、同時に、おかまいなしに父子関係に溺れるとか、同性に興味を持つ14歳の少年たちの生態を組み込むとか、傷ついた少女が忘れられないとか、子供がらみの(親になっても忘れられない経験にもとづく)経験がドラマに仕込んであって、ほとんどの作品がそこを中心に展開してきた。
従って、エヴァンゲリオンそのものの周囲の状況は行き当たりばったり(でもないだろうが)で、さまざまに展開されたエヴァンゲリオンの解釈本というのは三十種類もでているそうだ。
今回の舞台もその解釈のエピソードの一つと思えばいいのだろうが、それにしては得るところが少ない。
劇場は客席は4階までもあるが見た1階席は見やすく、音響も良い。時代を映して、映像処理も多彩である(しかし、劇場の映像マッピングはどうやっても映画にはかなわない。映画はドラマも映像に取り込めるからである。舞台機構も良さそうだが、今回はフルに活用、というわけでもなさそうだった。(むしろ昔からある、ハンギング(吊り)、舞台のスライディング、多様な幕などを使っている。圧倒するような装置はなく、それがこの作品のスケール感を乏しいものにしている。
良いところは、さすが一流の振付師と言うだけあってダンスをたてたシーンの演出は見事である。ことに、意味がよくわからないが、ハンギングで水中であるかのように見せる踊りは見事であった。
幕が開いてからほぼ20日、一階で八割ほどの入りは寂しいが、これに懲りず新しい劇場にふさわしい快作を観客は期待している。





独り芝居『月夜のファウスト』/前芝居『阿呆劇・注文の多い地下室』

独り芝居『月夜のファウスト』/前芝居『阿呆劇・注文の多い地下室』

フライングシアター自由劇場

音楽実験室 新世界(東京都)

2023/05/13 (土) ~ 2023/05/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

懐かしい空間である。ここは上海バンスキングの初演の地として、今や歴史的存在でもあるが、自由劇場がコクーンへ大出世した後は、忘れ去られ捨て去られていたらしい。相変わらずの階上のガラス屋は健在だ。上海バンスキングはここでは見なかったが「赤目」は見た(記憶がある)と串田説(すべては個人の記憶しか残らない)に倣って言って見たくなる。
前半四十分・前芝居「阿呆劇・注文の多い地下室」は、この空間発見の時を素材にした、演劇発見の青春感懐。後半は芝居(メフィストレレス)に捕まってしまった自ら(ファウスト)の人生を回顧する一人語りである。こう言う作品は得てして自慢話になってしまって嫌みになるところだが、地下室に寝転がると天井に星空が見えたとか、悪魔と人間を分かつものは何だ?とか、嫌みになりそうなところが、良い気分で見られてしまう。こちらも、記憶の罠にはまっているのだが、そこを超えて楽しめるのが演劇である。
小劇場ブームのただ中で一風変わった劇団を率いて五十年近く、ほとんど路線も変えずに波乱の昭和演劇史に鮮やかな一ページを加えてきた演劇人の芯の強さに敬服する。それを、都会風な照れと、自負が支えている。テキストを売っていたので読んでみると、そこはよく作品に反映している。先頃横須賀まで行ってみた白鸚とは真逆の道で人生を演劇に捧げた演劇人の舞台であった。(確か二人は同年?)
五十人ほどの観客で満席。2時間20分。

夜叉ヶ池

夜叉ヶ池

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/05/02 (火) ~ 2023/05/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

泉鏡花を現代的にリニューアルした本年屈指の力量感のある再演だ。
舞台の上手に一段高く釣り鐘、下手には三国嶽の山里の鐘守夫婦(勝地涼・滝内公美)の家。舞台の前には山頂の夜叉が池から流れ落ちる清流が流れているという設定。アヤメが数株おかれた中央は広いスペースになっていて、そこで、妖しい者たちや村人たちのドラマがモブシーンで展開する。振り付け・森山開次との息が合って、森新太郎・演出が、冴える。今までに見たことがない「夜叉が池」である。
里山に鐘の音が響いて幕が開くと、山里の生活風景。夫と妻の夕餉の準備に旧友(入野自由)の訪れ、とおなじみの導入部が終わって、夜叉が池の白雪姫(那須凛)が妖怪たちを引き連れて現れると舞台は急転。ここからは、ダイナミックなモブシーンが、終わりまで続く。アイディアの良い衣装(西原梨恵)をまとった個々の俳優の動きをたてながら、集団としての動きもよく工夫されている振り付け、現代的な効果音(高橋厳)と音楽(落合崇史)もこの場の効果を上げている。
新派の「夜叉が池」が、伝統日本に異国情緒を持ち込んだ独特の文明開化趣味で大正のジャパネスク世界を作っていたが、こちらは現代の「夜叉が池」である。
今更、「夜叉が池」をやってどうなのだろう、という疑問に舞台は見事に答えを出している。この物語の魅力二は、今関心を持たれている自然回帰や、村社会への鋭い観点があったことを教えてくれる。
俳優もスタッフも、皆懸命に演出についていって(あちこちに細かい工夫が成功しているのが見える)、新しい「夜叉ヶ池」が生まれた。パルコ劇場開場半世紀の記念公演にふさわしい快作である。

あたらしい朝

あたらしい朝

うさぎストライプ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/05/03 (水) ~ 2023/05/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

青年団系の小劇場だが、少し風変りのところがある劇団だ。主宰作者は大地容子。
青年団系は自己中心の思い込みで展開するいい子ちゃん風劇団が多い(またか!と辟易する)のだが、この作品は、若者エンタメ風。女性優位の夫婦(木村巴秋・清水緑)がヒッチハイクの謎めいた女性(北川莉那)を車にのせたばっかりに、・・・という展開で、その女性の相手の男性の代わりに、最初は食事、続いて旅行に、ついにはベトナムやトルコにまで一緒に旅をすることになる。ナンセンス・ファンタジー・コメディのような展開(古い例だがモームの「叔母との旅」みたい)で、若者気質も新鮮に面白く書けていて、結構笑える。いや、女性は強くなったなぁと、気を許して見ていると、この二つのカップル、どうも変で・・・というあたりの運びも巧みである。結局それはこういう話ではよく使われる仕掛けで、なーんだというところもあるのだが、いろいろな工夫の連打でナンセンスな世界を短いながら(70分しかない)押し切ってしまう。ここではよくある複数シーンの同時進行など邪魔でしかない。
狭い舞台で、多くのシーンをそれぞれ、象徴的な道具を出してひとつづつ個性的に手際よく組み合わせている。冒頭の女性をピックアップするまでの行き先表示の使い方とか、旅先のメコン河の船上とか、万国旗の使い方とか、場所設定が良く出来ている。演劇としての世界はできているのだから、青年団系劇団の仲間ぼめの中で安住しないで、もう少し大きい劇場(300人規模)でも見てみたいと思った。

桜姫東文章

桜姫東文章

CCCreation

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2023/05/03 (水) ~ 2023/05/10 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

昨年から数えると四つ目の「櫻姫東文章」である。今作は先の三作品と、全く違う。
大歌舞伎に始まり、ブルカレーテの「スカーレット・プリンセス」、今年になってからの木ノ下歌舞伎。それぞれ舞台面は全く違うが、それぞれに「演劇的」野心のある舞台で、大いに楽しめた。改めて、鶴屋南北、劇作家としてすごい!と思う。
しかしこの四つ目の「櫻姫東文章」には、演劇的野心よりも、若いスターたちのタレントショーという面が強い。観客も、よく知っていて、男性客は十人に及ばず、ほとんどが二十歳前後の若い女性観客である。配役表すら置いていないのは客は配役を熟知しているからだろう。グローブ座がゼロに引っ越した感じだ。
タレントショーとしては、主役・櫻姫の三浦涼介、清玄の平野良、釣り鐘の鳥越裕貴、それぞれに魅力があって、歌に殺陣にと頑張っているが、それはあくまでショーとしてであって、演劇的成功を目指していない。それはそう言うものだから仕方がないが、それなら、こんな難しい物をやらなければ良いのにと思ってしまう。早い話、多くの女性観客は何のことか解らないという空気である。でもご贔屓の歌もあるしかっこいいから・・。
加納幸和の本は長年花組芝居をやってきただけのことはあって、実に巧妙に南北戯曲の山場、見せ場はほとんど全部取り入れて二時間にまとめている。歌舞伎の長編をサマライズするうまさは「義経千本桜」で感心したが、この本も(再演か?)要領よく、加納本人が演出していれば、かなり変わった舞台になっていたと思う。それにしても、櫻姫が出家する寺がキリスト教というのはどういうつもりなのだろう。三浦涼介の衣装は似合っていたから、これでいいとなったのだろうが、それなら別の本でやるべきだ。
音楽が今風のリズム楽器主体なのは致し方ないとして、古典で見せ場になっているところが全部歌になっているが、その曲想が昭和歌謡とは言えないまでもせいぜいJ-ポップスのレベルで、古めかしい。ダンスの入れるタイミングは良いのだが振り付けが平凡。タレントのスチールを撮るためか、と勘ぐってしまう。
チグハグ感が半端ない公演でこれで9500円は高い!だろう。8割近く入ったのはご贔屓スジの奮闘による。

空に菜の花、地に鉞

空に菜の花、地に鉞

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2023/05/02 (火) ~ 2023/05/05 (金)公演終了

実演鑑賞

青森の劇団もここ三年東京で公演が打てなかったそうだ。開演前、いつものように座主の畑沢誠吾が前説で言っていた。県境を越えることが出来なかった、と。そんなことがあったとは知らなかった。それはいかにコロナ下とは言え、憲法で保証された基本的人権(移動の自由)の侵害ではないか。
そういうことは、昨今、ものすごく増えてきて、その一つ一つに戦前生まれの私はやばいぞ!これは、と思うけど、世間はあっけらかんとして通している。
このドラマは原子燃料廃棄物を押しつけられた青森の村を舞台にしたファンタジー風の作品だが、作品はさておき(というのも良くないが、きりがないので)こんな呑気なことで良いのかと思ってしまう。畑沢誠吾が少し痩せたように見えたのも気になった。健康と活躍を祈っている。

エンジェルス・イン・アメリカ【兵庫公演中止】

エンジェルス・イン・アメリカ【兵庫公演中止】

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2023/04/18 (火) ~ 2023/05/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

この欄でいつも参考になる意見を書いてくださる方々が揃って五つ星をつけている。休憩を入れると全部で七時間かかると聞いて、半分づつ見ることにした。
原戯曲が書かれたのは1985年、英米での評価も高く、日本でも三度も上演された。どの公演も、面白い座組で、話題にもなったから上演されたことは覚えているが舞台は初見である。アッカーマン演出のベニサンピット(1994,2004、後は杉原邦生演出。これはまた見る機会がありそうだ)は見ておけば良かった。悔やんでも仕方がないのが芝居だから諦めていると、今度のように優れた再演がある。時代とするどくきり結んだ作品に、その後の時間の経過も感じられる舞台である。
大きく見れば、世界のリーダー国家の「アメリカ」への自国民の作家による痛烈な批評である。第一部は80年代から90年代にかけて、アメリカの人々を恐怖に陥れたエイズが素材にとられている。この伝染病は性行為、それも本能に反すると一般には信じられていた同性愛者で流行したために、罹患者とその周辺に社会的にも、倫理的にも波紋が大きかった。ここで「アメリカ」の社会が動揺が明らかになり、その亀裂からアメリカが培ってき夢夢の真実と虚偽がこぼれ落ちてくる。現戯曲はテレビドラマから出発しているようで、テレビ作品のエピソード・スタイルを巧みに生かしている。
大筋は同棲中のゲイのカップル(長村航希、岩永達也)の一人が発病する、というストーリーと大物弁護士のロイコーン(山西錞)が、書記官のジョー(坂本慶介)をワシントンに転職させようとするがジョーの妻(鈴木杏)の抵抗で実現しなくなる。一方でロイコーンはバイセクシュアルなのにエイズにかかってしまう、という二つのストーリーがある。
この二つのスジを、ストーリーに絡む他に十三役ある副登場人物を八人の出演者でこなしながらエピソードを重ねていく。ホモセクシュアルの性交とか、エイズ患者の苦痛とか、ロイコーンの横暴な権力の行使とか、リアルなシーンもあるが、北極でエスキモーの幻覚を見るとか、天使が空から舞い降りるとか、ゲイ患者の世紀を超えた先祖たちが二人も顕れ、私生児論争をするとか、舞台ならではのシーンもある。シーン数は非常に多いが手際が良い。一時間づつの三部になっていて休憩二回を含め三時間半だが、一つ一つのシーンはほぼ独立していて,テンポもよく飽きない。無駄に情緒で引っ張るようなところがなくドライでアメリカの味がする。(しかし、このドラマの本当の味は自国民のアメリカ人なければ解らないのではないか、我々は外から覗いているだけ、という感じは抜けない)
演出の上村聡史は、いつもながらこの難しいドラマを音響と音楽、それに美術照明と、手を抜かないでまとめている。


ネタバレBOX

このキャスティングは全部オーディションで選んだと言うが,どういう形のオーディションをやったのだろうか。自分たちが主導権をとってやりました!と文化庁向けに言いたいだけの新国立劇場だが、これはどう見ても現場の努力が実を結んだものだ。世の中、きな臭くなって、文化統制は現実にどこかで支配しているものが居ることがはっきり感じられるようになった。そう言う意味ではこのドラマ人ごとではない。
ラ・マンチャの男【2月8日~12日、2月17日~28日公演中止】

ラ・マンチャの男【2月8日~12日、2月17日~28日公演中止】

東宝

よこすか芸術劇場(神奈川県)

2023/04/14 (金) ~ 2023/04/24 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

これは白鴎の祝狂言だ。千三百回も同じ役で、しかも日米で大劇場で主演したという記録はめったに現れるものではない。見ておかなければ、と初めて横須賀まで出かけた。
よこすか芸術劇場は都内でも数少ないびっくりのオペラハウスで客席5階まである。その上、フォーラムなどに比べたら、見やすい客席になっていて一階でも30列ほどに抑えられている。おかげで、後ろから五番目くらいの席でも、白鴎の最後のドンキホーテをしっかり見られた。
「ラマンチャの男」のブロードウエイ初演は1965年。五年六ヶ月のロングランで、そのうち1970年の60ステージを当時26歳の市川染五郎が単身渡米して主役を演じている。そのきっかけは前年69年の日本初演(帝国劇場)での好評だった。以後、周囲は次々と変わっていったが、主役のセルバンテス/ドンキホーテ役だけは、市川染五郎から松本幸四郎、白鸚と名前は変わっても白鸚ひとりが演じ続けてこのファイナル公演を迎えた。日本の演劇史上も希有な演目となった。
最初はテレビドラマから始まったこのミュージカルは、当時よく使われていたメタシアターの劇中劇の構造を使った基本的には小ぶりな作品である。
舞台は、セルバンテスが「ドンキホーテ」を書いたのは教会冒涜の咎で入牢中だったという史実を元に、捉えられたセルバンテスが囚人たち(囚人のボス/上條恒彦)に遍歴の騎士/ドンキホーテの物語を聞かせるという枠組みで作られている。
セルバンテスをモデルにした田舎鄕士キハーナが、獄につながれる現実と、自らを守るために囚人たちに役を振り、自らも作中人物/ドンキホーテとなって演じる見せる劇中劇の二重構造になっている。柱としては、汚れ果てた現実社会の権力構造に対して、戦いを続けようという単純な正義感がおかれているが、戦う人ドン/キホーテの周囲に王女と妄想される売春婦アルドンサ(松たか子)忠実な下僕サンチョ(駒田一)囚人のボスなどの市民を置き、メタシアターを生かしたドラマになっている。
ミュージカルナンバーの主題歌「見果てぬ夢」はポピュラーソングとしても流行った。あとは「ドルシネア」松の小曲の{どうしてほしいの」や「アルドンサ」も歌のうまさでいい彩りになっている。
俳優としての松本白鸚にとっても生涯演じ続けるという希有な経験をもたらした。伝統芸能の家に生まれて、周囲に似た経験のある俳優たちが居たこともあったのだろうが、伝統演劇と現代劇ではワケが違う。乱暴に例を挙げれば、伝統演劇には演ずべき型があるが、現代劇には型がない。白鸚は近年の上演では自ら近代劇的な「演出」も担って、公演を重ねるごとにさまざまな変化がある。今回のファイナル公演の白鸚は80歳、さすがに足腰の衰えは舞台に出ている。二十歳代と同じ演技は出来ない。型で乗り越えようとしているところもあるが、それだけではない。最初は、大丈夫かと思いながら見ていたが、終盤、主題歌の「見果てぬ夢」になった。「道は極めがたく、腕は疲れはつとも、遠き星を見つめて我は歩み行かん」。死を目前に自覚した白鸚がまさに地で行っているように立ち上がる。「たとえ傷つくとも、我は歩み行かん。永遠の眠りにつくそのときまで」型になる。
ひょっとしてここまでのよろよろぶりはファイナルのためだったのかもしれない。こう言う役作りは歌舞伎にもあるから、白鸚はここでもそれを自分の年齢と体力も考慮してやって見せたのである。白鸚ならやりかねない。何しろ、自分に娘が出来たときにこの芝居にちなんで紀保と名付けるような役者なのである。
これはそう言う芝居ではない、メタシアター作りの現代劇で、そのためには、前半のセルバンテスが型でしのいでいるのはいかがか、という意見はあるだろうし頷けるが、それも含めて演劇の多重的な楽しみがある祝狂言なのである
松たか子(アルドンサ/ドルシネア)は、舞台の上では父親の分まで大活躍である。そういえば、松が初めてドルシネアを演じた舞台を帝劇(2002)まで見に行ったことがあるなぁと思いだした。それからも二十年たっているのだから、月日のたつのは早いものだ。東宝ミュージカルを地道に支えてきた上條恒彦も神妙に務めている。ファイナル公演はオケも結構分厚いし、表は東宝が仕切っているらしく、横須賀が似合わない黒服が場内整理をしている。すべて祝狂言らしい。
しかし、このミュージカルは珍しくしっかりメタシアター作りになっているから、小劇場の手にかかると、また別の仕上がりもある本でもある(先頃上演の木ノ下歌舞伎の櫻姫と同じ趣向である)。あまり遠くない機会にそう言う舞台も見られたらと思うが、それまではこちらの命もおぼつかない。それは演劇の宿命だが、そう言う芝居に出会えたのは見物の幸せというものであろう。

ブロッケン

ブロッケン

ゴツプロ!

新宿シアタートップス(東京都)

2023/04/21 (金) ~ 2023/04/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

最近、この手の騒々しい舞台は少なくなった。乱暴で我を通すだけの父(塚原大助‘)に育てられた娘(前田悠雅)が、その乱暴な生き方に耐えられず家を出て、すでに別れている母(岩瀬顕子)のもとに身を寄せる。父には叔父になついている弟(高畑裕太)がいる。父は会社勤めをしているがいつも上司(泉知東)を困らせてばかり。父は弟とも、仲違いしていて相撲で決着をつけようと迫っている。折しも、一族ではまっとうな叔父が交通事故で亡くなって・・という展開で、以後は通夜の客モノになっていくが、キャラクターの置き方も話の展開もかなり乱暴で、物語のスジはなかなか飲み込めない。
出来損ないと言ってしまう評者も出てきそうだが、この、全く今までの夫婦・親子関係にはないようなドライな環境に生きていく一家はいかにも現代の片隅にはありそうなリアリティがあって捨てがたい。思わず笑ってしまうような無茶ぶりの中に、今の社会の生きづらさが潜ませてある。母子を演じる岩瀬顕子と前田悠雅が新鮮な演技で新しい現代社会を生きていく女性を演じる。前田悠雅は「花柄八景」で見せた叙情性を捨てて強く生きる。
このグループ・コツプロは初めて見たが、どういう方向なのかよくわからない。演出の西沢栄治はたしかつかこうへい系で、その影響は見えるが、この先は解らない。脚本も部分的にはなかなかうまいな、と思うところもあるが、全体としては収拾がついていない。シアタートップスは幕内らしい男女の客で8割の入り。



あたしら葉桜 東京公演

あたしら葉桜 東京公演

iaku

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2023/04/15 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

母娘の嫁入り前の娘と母の会話劇二題。前半40分は岸田国士の「葉桜」台詞朗読、後半40分は同じ素材を横山拓也が書いた掌編。ちょっと面白い趣向で、テキストも岸田国士のママの会話朗読と、時代も現代の横山脚本を並べてみると、日本の底流に流れる女性のジェンダー問題をよりよい状況に進めるのはなかなか難しいとも思う。しかし、これはキャンペーン・ドラマではない。時代を超えて、家庭から巣立っていく女性のドラマを切り取って見せている。
岸田の台詞に込められた母娘の心情は、よく見る家庭ドラマとは言葉に込める広がりが違うし、横山ドラマの娘の巣立っていく先を「男勝り」という台詞を一つ振っておいただけで、あと二人の関係を隠して進めていくあたりは、ひねりがきいて面白い。横山らしくいつに変わらぬ芝居作り巧者である。
しかし、この舞台は、いつもの横山作品の世態のリアリティがとぼしく、かなりぎごちない。それは多分「言葉」が原因だ。女優二人はずいぶん頑張っていて責めるのは酷だが、やはり、岸田国士の昭和前期の東京山の手言葉は手強い。現実に今東京でも使う人は居ないのだからテキスト通りが出来れば良いじゃないかと言うかもしれないが、今でも相手が使えばたちまち東京弁で会話する人たちを私は知っている。言葉の表面以上のニュアンスが込められるのは、会話する者にとっても快感なのだ。その上にこの岸田のドラマは成立している。演劇界でも使い手は少なくなったがそれでも幾人も居る。大阪弁も同じだろう。これが大阪でも中流以上と見える言葉だろうか。例えば、谷崎の書いたような関西言葉が死滅して、このような言葉だけが通用しているとは思えない。その言葉の上にこの母娘の葛藤は成立しているし、リアリティが確保されている。
そこが行き届いていないところが残炎だった。三鷹星のホール満席だった。

ネタバレBOX

せめて、鼻濁音だけは使いこなしてほしい。これが出来ないと、東京の言葉にならない。
クラブ

クラブ

ウォーキング・スタッフ

シアター711(東京都)

2023/04/13 (木) ~ 2023/04/20 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

オーストラリアの豪州ルールのサッカーチームの内部争いの話。こう言う競技があることも知らなかったが、これは外国人が日本の相撲部屋の相続問題を聞くようなものだ。細かいニュアンスはわからないが、世界中どこの会社でも家族でも地域サークルでもある話なのだろう。長い伝統のあるサッカーチームのクラブの元経営者、新しく金を背景に乗り込んだ現経営者、彼が連れてきた名選手、成果を出せていない監督、このもめ事の調停役の経営コンサルタント?の直面する内部抗争である。要するに誰が最終的な決定権が持てるかという話で、日本の時代劇と同じ構造である。
和田憲明はこう言う話は得意で、過去にはこの劇場で「三億円事件」を大きな演劇賞が取れるような形にして見せた。今回も、話の緩急の付け方も演技の急テンポの追い込みもベテランのうまさなのだが、肝心の脚本に抗争の紆余曲折以上のものがない。
キャストは小劇場のベテランばかりで2時間喋り続け、動き続きなのだがボロを出すこともなくまとまっている。何か、「三億円事件」のように日本人の琴線にふれるところがあれば良かったのに、とこれはない物ねだりだ。

けむりの肌に

けむりの肌に

キ上の空論

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2023/04/07 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

劇場は2・5ディメンションの興行のように入り口にグッズ売り場やリピート客のチケット売り場が大きく売り場を広げている。客はほとんどが高校上級生から大学生らしき若い女性客。初めて見る劇団で、しまった!と思ったが何事にも初見はある。数人の男性客もいることを確認して見始めると、意外に友人が自殺したことを巡るイマドキのストレートな青春群像ドラマである。しかし、見ている内に、どこかで見たという既視感が拭えない。さて・・と考えていると、結構登場人物の設定が細かく、同じような俳優が次々と出てくるので訳がわからなくなりそうになる。
しかし、何でも言葉で説明しないと人間関係が築けないとか、閉鎖的な自己中が蔓延しているとかの現代若者風俗は、会話やストーリーの組み方、セットのつくリからも解る。達者なもので、これでグッズが売れるなら、この薄い(ほぼ五割弱の入り)観客層も捨てたものではないかもと思っている内に一時間55分の芝居は終わった。
既視感の元は本谷有希子と「た組」の加藤拓也である。若者を素材にしてもテーマの置き方もストーリーの作りもとも何何枚も上の作者たちである。彼らの舞台より高い料金(7500円)をとるなら、どこかで彼らを超える青春の発見がなければダメだろう。

Musical O.G.

Musical O.G.

劇団NLT

博品館劇場(東京都)

2023/04/11 (火) ~ 2023/04/12 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

タイトルは「オールドガールズ」である。歌舞伎町の最後のキャバレーが閉まる。そこで歌っていた二人の老女たちの酒と歌と人生を、タカラヅカのトップスターの一人であった旺なつきと、NLTの女優・阿知波悟美による二人芝居のミュージカルショーにした。五年前にスタートして全国を回り、二百回を超え、いよいよ大千秋楽という。博品館劇場、珍しく満員。
十分ショーの目的は果たせためでたい興行である。劇場は下は五十歳くらいのかつてのファン層を中心に老人層の男女で埋まっている。意外に昭和の既成曲は一曲もなく、すべてこのミュージカルのための新曲である。あまり歌いにくそうな曲もなく(曲想は古い)、ストーリーも歌詞もありがちのものだが、それだけに安定してこの劇場に集まった客が十分楽しめるように出来ている。一時間45分。
銀座の端のおもちゃ屋の上にあるこの小劇場らしい演目がひっそりと二日間だけ開くというのはなかなか東京らしい素敵なことだとも思う。かつてこの劇場が開場した頃、オンシアター自由劇場がコクーンに行く前の常打ちにしていた頃がある。ここで見た「上海バンスキング」や「もっと泣いてよフラッパー」は五十年後の今も時代を代表する名演だったと思うし、この劇場も深く心に残っている。劇団員のバンドと日出子や余貴美子の歌で華やかに送り出されたロビーも今はくすんでいるが、ここであの一時の青春があったと回想できるのは、劇場にとっても観客にとっても生きる幸せというものだろう。

帰ってきたマイ・ブラザー【仙台公演中止】

帰ってきたマイ・ブラザー【仙台公演中止】

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この顔ぶれでこういう楽しめるショーを作るのはとても難しい。シスカンパニーならではの仕事である。
ストーリーは他愛ない。四十年ぶりにかつて兄弟コーラスで少しだけ当てた四人が再会して舞台に立とうとする。忘れがたいファンもいてそちらは女性の姉妹。興行を企むのは昔のマネージャー(寺脇康文)、さてどうなる、と言う使い古した枠組みのコメディなのだが、一癖ある演劇スターを四人並べて、いつもはテレビでも舞台でも主役の俳優たちが、大衆演劇のような役回りを演じる。もちろん、役の表現も、演技のテンポも、掛け合いの面白さも段違いだが、みな肩の力が抜けていて楽々とショーを楽しんでいるように見える。それぞれ見慣れた役どころ、おなじみのウケどころを封じていて、ここだけのショーになっている。ことにめったに舞台に出ない水谷豊がほどよい座長役(長男の役)をつとめて、これはこの芝居の観客の眼福だろう。
脇役陣三人の大車輪も大いに四人を引き立てている。
結局は、戦争前ではあるまいし、と悪たれをつきたくなるような、兄弟愛は人間の永遠の絆、というようなテーマに落ちていくのだが、これを現代で堂々と通用させているところがたいしたものなのである。(私は佐々木邦の兄弟ものを思い出した)
コロナ開けにはもってこいの興行でさすがに20歳代以下の人たちは少ないが、世田谷の小屋だけあって男女の成人客で三階まで満員、補助席まで出る大入りであった。

ブレイキング・ザ・コード

ブレイキング・ザ・コード

ゴーチ・ブラザーズ

シアタートラム(東京都)

2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

コンピューターの実用化に大いに貢献したイギリスの数学者チューリングの伝記で、すでに映画にも何度かなっていて第二次大戦下ナチの暗号破りから始まる話も、ゲイが犯罪だった時代の話も面白い。三十年以上前に西武劇場で四季が上演したと言うが、演出も演技も全く違うものだったろう。今回は今の時代にふさわしい見所のある現代劇になっている。
まず、主演の亀田佳明。ゲイの天才の特異なキャラクターを演じきった。イギリスの演劇界はゲイだらけだから脚本も周到に書いてあるに違いないが、そこを汲めるだけ汲んでお見事。日本の舞台ではじめてリアルなゲイを見た。(形を真似ていると言うことではない。演じきっているということだ。最後のギリシャまで行ってゲイの若者を買うところのリアルな安堵感などたいした表現力だ)。脇役陣も健闘。
二つ目。演出の稲葉賀恵。終始緊迫感が途切れない。ワンセットをうまく使い回して全く違う場面をさして説明もなくつなげていく。それがすべてよくわかる。俳優の出入りを八方から登場するように作ってあって、テンポが良い。陰湿になりやすい実話ベースの話だが、ドライなタッチで、国家と個人、ゲイの差別、家族、などのテーマを浮き立たせる。とにかくうまい。
三つ目。スタッフの息が良く合っている。こう言う演出だと、美術、照明はじめ舞台を支える裏方のスタッフの息が合わないと悲惨な出来になる。2時間50分(休憩15分)
残念と言えば、さすがに本が50年前で古く、今なら、もっと一言で素人に解るコンピューターの仕組みなど台詞に出来たろうに、(例えば、チャーチルの擁護の中にしのばせるとか)数学とコンピューターの推論の説明のところがわかりにくい。良い芝居なのに8割強の入り。空席があった。


ネタバレBOX

ラスト、死後(チューリングの死は自殺と言うことになっているが母親だけは信じない)遺品を母親(保坂知寿)に引き渡す場面など、いかにもイギリスの芝居で、うまいなぁと思う。
グッドラック、ハリウッド

グッドラック、ハリウッド

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2023/03/29 (水) ~ 2023/04/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

アメリカのよくあるウエルメイド・コメディ。
すっかり売れなくなった脚本・監督(加藤謙一)が、会社の事務室で首をくくろうとしていると、そこへ、向かいの部屋を割り当てられた新人の契約脚本家(関口アナン)が部屋を間違えてやってくる。昔は少しは名作もある監督だが、頑固でうるさ型、時代からも取り残されてしまっているのだが、映画への情熱は消えない。助手(加藤忍)に慰められ、若者の提案に乗って、自分は陰に回って、自分の脚本を若者を表に出して実現させようと仕組む。なんだか、こんな話、マキノノゾミにあったなぁ(漫画家の話)と思いながら見た。
いろいろあって映画はできあがるのだが、老若二人は仲違い。しかし老監督は仕事をしたことで元気を取り戻しす、といういかにもカトケン好みのアメリカ的なコメディである。
加藤謙一はほとんど2時間台詞だらけなのに初日から全く噛むこともなくうまいものだ。
しかし相手役がいかにも非力で、安心して笑っていられない。加藤に対しきっちり若さで対峙しなければ面白くない若者新人の役は関口には荷が重すぎるし、加藤忍はこの事務所が生んだ良い女優だが、ベテラン中年女性を演じるには年齢が半端になってしまった。そういえば、加藤謙一も、つかこうへいの後、「審判」や「寿歌」をやった頃のちょっと不気味な迫力がなくなって、うまいだけの中年の俳優になってしまった(戯曲によってはどんな役も出来ると若い頃を知っているものは期待する。しかし、事務所を背負っていると、それは出来ない)。それはそれでいいのだが、芝居で生き抜くのはなかなか難しいとも思った。いずれは「バリモア」なんか、うまくやってのけるのかなぁ。演出・チョコレートケーキの日澤雄介というのも期待してみたが、格別どうというところもなかった。アメリカのウエルメイドというのはなかなか手強い「橋田壽賀子的なもの」を持っているのかもしれない。初日で六割強の入り。やはり中年女性が主。

ネタバレBOX

脚本家はアメリカのテレビドラマ作家。この作品は十五年ほど前にサザンで、杉浦直樹、久世星佳、筒井道隆。演出山田和也で上演しようとしたことがある。杉浦が病で降板、長塚京三(圭史の父親)が代役を務めた。

上のあらすじの最後に、もう一つエピソードがある終幕があるが、そこは加藤忍では苦しかった。誰が悪いわけでもないが、うまくいかなかったウエルメイドプレイである。
四兄弟

四兄弟

パラドックス定数

シアター風姿花伝(東京都)

2023/03/17 (金) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ロシアの帝制が倒れた後、どうしてプーチンが出てきたか、というドラマである。時折、この作者は奇想天外な着想でドラマを作るが、これもその一つだろう。
笑いながら面白くは見たが、どだい思想を兄弟に見たてて擬人化するのは無理がある。
昔社会学の入門で、社会の構造を血縁関係の「基礎集団」とそのほかの対人関係で出来る「機能集団」が社会学の基礎と習った。高校では教えられなかった考え方で面白いと知った。このドラマはその辺が一緒になっていてすっきりしない。
人形劇ならともかく、人間の俳優が演じるのだから、寓話、マンガになってしまう。
個人が戦争だ!と叫ぶのと、実際に開戦するのは全然違う人間の社会である。。
共産主義による全体主義(レーニン)、農本主義(忘れた)、ソ連式(スターリン)、海外協調のプロパガンダ(ゴルバチョッフ)、それぞれ体現したようなキャラクター四兄弟だが上滑りしていていてリアリティに欠ける。ことに現在戦争中(殺した父のピヨトーる大帝の父帰りのプーチン)の当事国だけにその辺の配慮も公開の演劇である以上、やっちゃいました!では無責任にも思う。ベストセラーの本ではないが、もう少しリアルな設定で作れば納得できるところもあったのに、と残念。(ソ連の評価は20世紀の大きなテーマであることは承知しているが、これではね)

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