伯爵のおるすばん
Mrs.fictions
吉祥寺シアター(東京都)
2022/08/24 (水) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
Mrs.fictionsはあまりなじみのない小劇団だが、春にアゴラでみた「花柄八景」は今年の小劇場ベストテンにはきっと入るに違いない良い出来で、今回の「伯爵のおるすばん」も、劇団の看板演目で3演目と言うので期待して見に行った。劇場もアゴラからは格(客席数)上げで吉祥寺シアターだ。
Mrs.fictionsという小洒落れたネーミングの劇団も、作・演出の中島康太もこの二作以外は知らないし、今までのほとんど活躍の跡を知らない。たとえば、春に初めて見たMotextraの須貝英は少し調べたら、経歴が分かったが、この作家は今の段階では、ネットを検索した程度では出身・経歴が全然わからない。中島を軸に俳優数人の劇団らしく、今までも、多くの出演者はエイベックスの劇団4ドル50セントから借りている。今回は、さらに数人の客演があって出演者が12名。小屋に合わせてスケールアップしている。2時間20分と長い。
作・演出中島康太は、本も舞台面も細かく丁寧で、今の若者劇団にありがちの乱暴なところや、品のないところがない。大人のタッチなのだ。二作に共通しているのは、各エピソードは格段に面白いのに、劇の骨組みが弱いことだ。ちょっと素人っぽい匂いもする。
今回のテーマは、「不老不死は果たして人間にとって幸せなのか?」
作風はファンタジー志向と言うか、見た2つの作品とも舞台設定は未来に飛ぶ。「伯爵のおるすばん」は5つの時代のエピソードからできていて、始まりは1722年、次第に現代に近くなり、時代を超えて、最後には地球滅亡の日に至る。その間、56億年の物語が不死の定めのある伯爵(前田雄雅)と共に語られる。
それぞれの時代のエピソードは仕込みがあって面白いが、「花柄」のような具体性を欠くので、変化に乏しくなる。花柄が、落語の師匠に軸を置いてブレないが、こちらのブルボン伯爵は国籍も明確ではなく一貫性も見えないし、女性である。観客にとって具体的につかみにくい。ファンタジーはキャラクターものでもあるので、この「伯爵」の設定が苦しい。時代が変わるにつれて、存在そのものが具体性を欠くようになって、伯爵役の前田雄雅も戸惑っているようにも見えた。ファンタジーをうまく使って現代劇を作ったのはイキウメだが、こちらも芯の構造がしっかりしていると面白いファンタジー世界になったのにと残念。だが、今の劇界を見渡してこういう作風の作者が少ないだけに貴重な存在だ。
吉祥寺シアターはアゴラよりは一回り大きい小屋だが、見た回は3分に2くらいの入り。しかし、もうこのクラスの劇場での上演は出来るレベルは達成している。しっかり足場を固めて、次は1公演・公演数15を目指して、ユニークな舞台を見せてほしい。期待している。それにしても、この作者、どこから出てきたのだろう?
追憶のアリラン(8/18~8/26)、無畏(8/24~8/27)
劇団チョコレートケーキ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/08/18 (木) ~ 2022/08/27 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
自劇団の戦争を素材にした舞台6本をこの夏に一挙上演する企画の一本である。チョコレートケーキがこうした作品に取り組む意図は明確だ。残った子孫たちへ、と言うが、筆者のような先行する世代にとっても、良い企画だと思う。ことに中にすでに見た「帰還不能点」や「その頬、熱線に焼かれ」が入っていて、ことに前者は演劇的にもよく工夫されていて、単に、戦争を指導した者たちだけでなく、それを支えた社会も的確に描出していた。
「無畏」は昨年初演されたが、時期が悪く知った時にはすでに終演していて見逃した。A級戦犯となって処刑された南京大虐殺事件の陸軍司令官の松井岩根(林竜三)の戦争犯罪をテーマにしている。
戦争犯罪はどのように裁かれるべきかと言うテーマが難しい上に、事件そのものが複雑な事情の上に成り立っている。史実はかなり明確になってきているが、それにその時々の国際的な政治判断がついて回る。事件を客観できないところへ、松井の「誰かが責任と言うなら、私だろう」という結論を急ぐ判断があって、それが戦勝国による法廷で裁かれる、と言うところが悩ましい。いつもは、問題の中心から、距離を置く時間や場所をを発見するのがうまい古川健だが、今回はその余裕がなく、史実のデータををできるだけ詰め込もうとする。ほとんど弁明の余地のない上海派遣軍(原口雄太郎)と増援軍(今里眞)の司令官たちとその幕僚(近藤フク)たちが単純化されて敵役になってしまう。作者には、たとえ、部分的なドラマになったとしても、全体をイメージさせるだけの力量はあるはずなのに、今回はそこまで出来て居ない。
これは原爆乙女の米国による治療を描いた「その頬、熱線に焼かれ」の時も感じたことだが、現在まで尾を引いている現実を、観客が芝居の一幕として理解するには複雑すぎるのだ。しかし、そこが生で演じられる演劇のいいところで、今回の敗戦の八月公演は壮挙と言っていいだろう。
今のコロナ騒ぎの政府対応にも、この国の合理的なシステム作りが出来ない病弊は露呈しているのだから。(これでは芝居の「見てきた」にはならないが)
ひとつオノレのツルハシで
MyrtleArts
ザムザ阿佐谷(東京都)
2022/08/18 (木) ~ 2022/08/22 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
はじめてみる関西の劇団だが、成熟した大人の芝居になっている。
作者・くるみざわしんは関西を中心に既に幾つもの新人賞を取っていて、この芝居も、新人離れした完成度である。三十歳を超えてから演劇の現場に入ってきた精神科医と言う特異な経歴も作品に生かされている。
マートルアーツと言う劇団の公演となっているが、現実的にはプロデュース公演。東京の演劇人が起用されていて、その組み合わせ方も新鮮だ。3〇〇のベテランと新人、女優は新宿梁山泊、演出がジテキンの鈴木裕美。
登場人物は三人, 1時間半ほどの掌編だが、夏目漱石のもとを訪ねてきた農民上がりの田中正造信奉の青年、漱石の妻の三人による日本の近代の在り方に対する弾劾である.面白く出来ていて、無駄がない。タイトルになっているオノレのツルハシの使い方なんか、うまいものだ。作家として自立して牛込で講演した日。正造が死んだ日、それぞれの翌日に世間師の青年が訪ねてくる。
討論の内容や漱石、正造の人物像は、もう描きつくされているので、さして新しい発見はないが、芝居つくりがうまいのである。ことに近藤結有花演じる漱石の妻が生活の場から二人を逆襲する終盤が面白かった。川口龍の世間師は少し動きすぎだとも思うが、こういうリアリズムを外した人物造形は鈴木裕美のいいところで、狙いをよく呑み込んで、小さな舞台を飽きさせもしないし、引き締めてもいる。低音で使っている現実音の効果も選曲音楽もいい。
関西から、iakuとか、Kunioとか、芝居で勝負する人たちが東京に攻め上ってくる。正面からの戦いだから、東京勢も油断できない。これらはまともな戦いだからだ。観客も楽しみである。
世界は笑う【8月7日~8月11日昼まで公演中止】
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/08/07 (日) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ナンセンス系喜劇に殉じた先人たちへの追悼を込めたケラのお盆興行である。
キャストに今の実力系人気者も加わって主な出演者だけで15名超え。前半一幕は新宿、後半二幕はドサ回った長野の温泉場、休憩20分を入れて3時間50分。終演は10時を20分ほど超えるコロナ禍では珍しい大作だが、ケラには少ない世態・人情噺でア・ラ30歳の女性を中心に広い客層を集めて満席だった。
昭和32年から34年の夏にかけて、新宿の3百人規模の大衆演劇の一座を舞台に繰り広げる劇団の集団劇だ。ちょうどこのころ社会に出たので、この時期のこともよく知っている。ケラはまだ生まれていないはず、と調べてみると、生まれるほぼ、五年前である。この作者、以前から素材はよく調べると感心していたが、今回も、この時代の軽演劇をめぐる空気をよく掴んでいる。当時、ムーラン閉鎖の後は、松竹の第一劇場も閉めて、このような小屋は新宿にはなかったが、図体だけはバカでかい新設のコマが開場してよくこういう大衆喜劇を組んでいた(ガラガラだった)。戦前の浅草の小屋で受けていた喜劇人(シミキンとか森川信とか)が流れてきて、丁度始まったテレビで受け始めた新しいタレントの間で、この手の劇団のドタバタ・ナンセンス系が消えていく終末期の雰囲気を、ケラは見てもいないのに的確に描いている。
もちろん演じるのは現代の役者だし、コクーンの舞台だから、あの時代の自堕落な町は再現しようもないが、それでも話が進むうちに時代の埃っぽい空気は伝わってくる。脇の人物の置き方もうまく、街に居ついたような傷痍軍人のアコーデオン弾きとか、楽屋に入り浸って商売をつぶすラーメン屋とか、貸本屋をやっている未帰還の出征兵士の若妻、とか、街によどんだ層も絶妙だが、テレビ局の部長と担当者とか、金を金庫に入れて持ち歩く女興行主とか、川端康成(本人)とか当時の混乱のなかで浮いていた層の設定もうまい。今まで形だけはよく出てきたような設定だが、ここは当時よりは小奇麗だが、本質は掴んでいて見事にメインのドラマに絡む。当時の最大の社会問題は売春禁止法の実施で赤線、青線の新宿は大きな変化を迫られたのだが、そのことはほんの一言触れられたくらいで、全く素通りしているところも、ケラのうまいところだ。舞台は関係ない!
KAATの「夜の女たち」も見て見たくなった。
肝心の芝居に戻ると、新宿の軽演劇で働いていた兄を頼りに田舎から出てきたポン中の弟が役者として受けるだけでなく本も書けて小さな世界で出世する、と言う兄弟物語がメインの筋立てになっていて、そこへ、周囲の人物を巧みに咬ませながら話は進む。
いつものナイロンのように背負い投げを食わせられることもなく、見終わると、ケラの先人への追悼の念も伝わってきて、夏の夜にふさわしいいい芝居見物になった。
余談。いよいよ東急文化村も建て直すらしいが新劇場の設計では、ぜひ、あまり直方形にこだわらずに舞台に向かって客席は台形に。始まる前に女性警察官みたいな場内案内が、席から体を乗り出さないでください!と大声で注意するのは芝居見物の感興を大いに削ぐ。長い芝居は首が痛い。もう一つ、席番号は見えるところへ。いまは小洒落たつもりて番号標記を席の瀬に折り曲げているが、そのために番号のところが客電では陰になって読めない。
あつい胸さわぎ
iaku
ザ・スズナリ(東京都)
2022/08/04 (木) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
三年前にアゴラで初演を見た。平成から令和へ、幕開きの傑作だった。
再演は、コロナのただなか、劇場もスズナリに変った。配役は主人公の女子大一年生の役が辻凪子から平山咲彩に。最も印象が変わったのは美術で、アゴラでは数枚の平台をいろいろな形で組み合わせ、柱を立て、そこに赤い糸が張ってあった。今回は中央の円形の台を置き、その上に二つの丸い机を相似形に置き、それを囲むように抽象的な縦線の入った壁が垂直に立っている。
セットが抽象化されたように本もずいぶんよく整理されていて、人間関係のドラマがテンポよく進む。大分短くなっているのではないか。今回は1時間50分。俳優の出入りも初演の不定形のセットと違って動きやすい。ちょっといいなと思っていた主人公が試作する課題の鮫(だったか?)の童話や、舞台になっている中小企業の繊維工場の生活感のあるシーンはかなりカットされている。その代わり後半になると、乳房をめぐる女性の生き方の論議などは補強されていてこの三年の間にもジェンダー問題はずいぶん深くなったと思う。
この本は、作者がコロナ騒ぎの時に暢気すぎると批判されるのではないかと危惧するように(確かに私は、これは京塚と波野で新派で見たかったとも思った)、初演では、京阪神の地方都市の夏の情景を地方色濃く描いていてホームドラマとしても青春ドラマとしても、それを包括した時代のドラマとしても卓越した作品だった。大阪の現代の「はんなり」も素晴らしかった。令和を代表する一作品であることは初演も再演も同じ、時代を代表する傑作である。
しかし、自分の好みで言えば、夏の縁台に続いているような母子家庭の母子の夏物語が人情噺の色濃く演じられた初演の方が好きだ。今回は大阪弁もせせこましい。初演のゆったりと演じられたサーカス見物のシーンなど忘れられない。橋爪未萌里は今回はなかなか良かった。瓜生は初演の時の笑い声の工夫など捨てなくてもよかったのに。全体に「軽さ」「世話物の人情(赤い糸)」が薄くなったのが私としては残念に思うが、それだけ、解りやすく、ドラマとしてはテーマの緊迫度が深まったともいえるので悩ましいところだ。
『The Pride』【7月23日(土)公演中止】
PLAY/GROUND Creation
赤坂RED/THEATER(東京都)
2022/07/23 (土) ~ 2022/07/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
LGBTについては、日本でも大きく問題にされるようになったが、これはLGBT先進国のイギリスの戯曲だ。ちょっと複雑な劇構成になっていて、かの国で問題が立ち上がってきた当初の1958年と、エイズを超えて五十年後の2008年と、二つの時代に同じ名前の登場人物たちがGゲイを生きる問題に直面する。
丁度この五十年の中間のころ、しきりに英国と行き来していた十数年があったので、外側からではあるが、イギリスの日常生活の中で、ほとんどの人がお互いのLGBTを心得て生活している複雑な感情のもろもろも知らなくはない。
この劇は、そういうイギリス社会の上に書かれていて、外側の社会からは、それぞれが性的嗜好を持つわずか四人の登場人物ですら、その実態が推し量れない。翻訳上演の難しい戯曲である。
ドラマは二つの時代のゲイのカップルの出会いと別れ、出発を細やかに描いていて、テーマは理解できるが、ニュアンスまでは伝わらない(こちらの理解が及ばないのだ)。人物も、名前が同じだけで関連がないので把握しにくい。前半が1時間30分。後半が約50分。
初めて見たこのカンパニーは、この戯曲を現代的リアリズムで処理する。セリフは小声で早くささやくようだ。シーンは、性的な嗜好にとらわれる自己の精神との葛藤が中心になっているが、セリフが聞き取りにくい。この劇場は小劇場にしては珍しくタッパも高いが客席の傾斜もきつい。前方の席はいいとして(料金も高い)後方の席(と言っても十列ほどしかないのだが)までは、このセリフでは届かない。技術的にはマイクで拾ってでもセリフが分からないとかなりつらい。俳優も声を上方に逃がす工夫がいる。事情があってか、演出者が主演をやるように変更になっていて、演出者が客席から見ていないのかもしれないがここはやりすぎである。音楽も曲想はわるくないのだが、ミクシング・バランスがよくない。
帰りの地下鉄で向かいの席に若いゲイのカップルが座っていた。今はかなり解放されていてあっけらかんとしている。彼らが立つと、次は母親と男の子、次は二十歳から三十歳代のカップル。そうか、こうやって世界のどこでも人びとは人間同士つながりながら生きていくんだ。とある種の感慨が残る芝居であった。
戯曲は2008年に書かれれてすぐ、日本のtptが日本初演。その時の流れが今回の公園につながっている。tptは80年代後半から海外のあたらしい戯曲の発掘に意欲的で常打ちのベニサンピットが懐かしい。次回公演も期待している。
出鱈目
TRASHMASTERS
駅前劇場(東京都)
2022/07/14 (木) ~ 2022/07/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
多くの市民が関心を持っている問題をドラマ化する社会劇は演劇の大きな役割の一つだ。個人的な若者心情を歌や踊りやミニマリズムで表現することが全盛だった小劇場演劇の中で、正面から社会的なテーマに取り組んで、演劇の空気を変えたトラッシュマスターズの功績は大きい。初期の「背水の孤島」〈2011〉の衝撃は大きかった。柱になった劇作家の中津留章仁も期待に応えて次々と社会問題を舞台に上げてきたが、それよりも、このヒットを追うように多くの若い作家が現実に根ざした素材で優れた舞台を書く先駆けとなったことを評価すべきだろう。
今回は現実に起きた表現の不自由展で露わになった言論・表現の自由と、公との対立を素材にしたディスカッション・ドラマである。現代社会の重要な問題で、その議論はここではとても言い尽くせないが、議論を深めることは必要だ。その意味では上演の意義のある公演だが、演劇である以上それだけではただのキャンペーンになってしまう。
演劇としていえば、久しぶりにイマの社会のツボにはまったテーマだった。ここのところ、テーマの選択や取り組みも、ドラマの展開もやや類型的になっていた中津留作品としては緊迫感のある討論劇になっている。2時間半飽きさせない。主人公が結構大きく揺れるのだが、そこが人間的にも同感されるように描かれているのがよかった。周囲の人物が便宜的になるのはやむをないが、人物や問題を少し削ってでも、周囲を分厚く描くことは必要だと思う。やはり、主人公の家庭や職場の人間設定などは安易だと思うし、それぞれの人物の行動もシーンもコクがない。部品の兵器転用や、ラストのデートのくだりなどはもっと工夫しなくては。絵画のタイトルで言葉遊びなどやっている場合ではないと思うのだが。
久しぶりに劇団の主要な男性俳優はほとんど出ていて、彼らはずいぶんベテランになって、(よく他の公演でも見るようになった)本の甘さを救っている。残念なのは、女優が育っていないことで、今回も大劇団の客演である。これからの社会劇に女性問題は欠かせないテーマなのだから、少し長期的な視野で女優発掘を心がけたらどうだろう。
ザ・ウェルキン【7月21日~24日公演中止】
シス・カンパニー
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/07/07 (木) ~ 2022/07/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
なかなか面白い現代劇である。
宣伝では「12人の怒れる男」のにならった推理劇と言っているが、それは看板にすぎない。
登場人物は確かに12名。対照的にここは女性のみ、しかも妊娠経験のある者ばかり。彼女たちが被疑者(大原櫻子・意外の大好演)が妊娠しているかどうかを審判する。その審判が行われるのは18世紀半ばのイングランド。当時最も合理的思考が支配的だった地域なのだろうが、彼女たちの審判の思考過程や生活環境は現代とはもちろんズレている。しかし、ここが非常に面白いのだが、その判断の中に、今も我々が生活規範として信奉していることも少なからずある。時代それぞれの論理と倫理の落差を感じながら、ドラマが進行するのが新鮮だ。テーマとしては直截に女性のジェンダー問題が取り上げられるが、その先には人間が子孫をつなぎ、文化をつなぐ営み(歴史)への視点がつながっている。
推理劇と言うが、被疑者がとらえられている罪は、今はもう存在せず、忘れられている罪状への決まり(法)だ。この辺の設定も非常にうまい。犯罪の方はどうでもいいのである。
罪を犯しても、妊娠している罪人は死刑だけは免れることができる、と言う法があった。被疑者は妊娠していると言って死刑を免れようとする。そこで、妊娠経験のある女性が集められて果たして彼女の主張が正しいかどうか判断するためこの審判が開かれることになったのだ。当時としては進歩的だった(実体験検証)である。
最近の裁判でもこんなこと、やってんじゃないの?と言う作者の冷めた目が次第に観客の客観的な視点にもなってくる。
舞台は二部構成で、短い世態スケッチのほかは、12名の審判する裁判所の白で統一された一室のみ。ここも「怒れる男」と同じだが、事の正邪ではなく、物事を判断する、のは時代を超えて何時もあったことだが、それは移ろう。しかも当事者は気づかない。ここは正邪も判断も安定している「怒れる男」とは大きく違う。被疑者をめぐる一つ一つの話題の選択が巧みで、現代の観客も引き込まれる。しかも、議論が、一方の主張に傾斜して感情的になることがない。劇としてはものすごくうまい。
ここは若い演出家・加藤拓也らしいところで、どこまでも冷静なのだ。現代の、時代が変われば、どうせ判断も変る、という判断中止の世情を映している。現代劇なのだ。
終幕の歌(富山えり子・歌も曲もいい)になって女性たちが唱和するシーンになっても、決して煽ることはない。「友達」でも見たが、舞台の上の集団をうまく動かして、普通ならそこで感情を盛り上げるところを時代の「風景」にしてしまう。新しいタッチが舞台の魅力になっている。舞台面のつくりもうまい、休憩に入る前、煙突にカラスが飛び込んで煤まみれになるところなども、戯曲指定かもしれないが、作りがよく出来ている。
女性を演じた12名の俳優にはそれぞれしどころがあって、みなその期待にこたえている。吉田羊は主演が務まる女優ということを実証した。久しぶりに見た長谷川稀世が無理なくカンパニーの中に溶け込んでいたのもさすが。この本を発掘してきたシスカンパニーもさすがである。タイトルの「ザ・ウエルキン」はイギリスの古語で天空・蒼穹の意味の由。変に甘い翻訳をしないで放りだしているところもいい。
見た回は九分の入り。
紙屋町さくらホテル【7月17日~18日公演中止、山形公演中止】
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/07/03 (日) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現代史の裏面の事実(ファクト)をちりばめ、巧みな作劇術で一編の現代史エンタティメント劇に仕上げた井上ひさしの代表作だ。この舞台が時代設定した三月後に広島で起きた悲劇を思えば、そくそくと胸に迫る名作である。久しぶりにこまつ座の公演で見た
作劇については既に言い尽くされていると思うので今回の公演について。
初演〈1997年〉は、新国立劇場の中劇場のこけら落とし、芸術監督だった渡辺浩子の演出、森光子をはじめ、大滝秀治(民藝)、小野武彦(文学座・六月劇場)井川比佐志(俳優座)。三田和代(四季)当時、随分妙な座組だなぁと思った記憶があるが、日本演劇界(現代劇)を挙げてこの作品に取り組む、と言う意気込みだったのだ。昭和史の大きなハイライトである敗戦を素材にした二十世紀総決算である。
冒頭、終戦後に、長谷川海軍大将(たかお鷹)と陸軍針生大佐(千葉哲也)が一人の人間の歴史の中で果たせる責任について対立する。初演の時はまだ多くの戦争責任者も、軍隊経験者も存命だった。今は違う。筆者は終戦時小学三年生、とても彼らと同じ経験をしたとはいえないが、その現実は子供ながらに体験していて、作者の非戦論には本能的に傾く。今回の公演は、やはり、と言うか、初演の時の張りつめたような緊張感は失われていた。それが冒頭と幕切れにも表れている。それはその時代と共にしか生きられない演劇の宿命のようなものだが。
次に、この作品の果たした役割。現在の若い劇作家たちは歴史を素材にした作品をよく書く。時代劇、と言ってもいいかもしれない。戦争が遠くなった世代の古川健、野木萌葱、詩森ろば、みな、近過去をうまく書く。その原点はこの作品の成功にあったようにも思う。現実にあった事実の上にフィクションを構築することで「真実」を描けるという確信とでも言ったらいいだろうか。これは、ファクトを素材にした前の世代の木下順二、久保栄、三好十郎などと違うアプローチである。これはフィクションの裏表で、ある意味危険な面もあるのだが「演劇」と言う文化の最前線の大きな戦術変化でもあったと思う。
観客席は八分の入り。驚いたことに民藝の客層よりも年齢層は高い。平均80歳くらいか。これには井上ひさしも少しがっかりするのではないだろうか。野田やケラがすでに試みているように思い切って若い演出家と新しい俳優を起用する時期が来ているようにも思う。半端な座組ではとてもこの難局を乗り切れないだろう。
余談になるが、この芝居でも素材としている、官憲との演劇の関係で言えば、戦後も長く新劇に対する保守派の警戒感は強く、新国立劇場の建設・運営については政府(文部省)と演劇界で長年の対立もあった。国立の劇場のこけら落としには官・民の確執の一つの決算でもあった。これは日本の現代劇の大きな屈折点でもあるので、まだ関係者が存命の内に第三者的な観点から事実関係だけでも明らかにしておいた方がいいと思う。
これも一つの二十世紀裏面史である。((現在の新国立劇場の惨憺たる官製運営を見ているととても自主記録できる状態ではないので))
三好十郎の『殺意』
演劇企画集団THE・ガジラ
APOCシアター(東京都)
2022/07/01 (金) ~ 2022/07/09 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
もともとは三好十郎のモノローグドラマを、それぞれ出演者を振って構成しなおした舞台。戦争から戦後への激変する社会を、転向に続く転向で無節操に乗り切ってきたリーダーを、はじめは左翼演劇の演出者として心酔した女優が、戦後はストリップガール、娼婦に転落しながらも糾弾する。
30人も入れば満席の真っ暗な劇場のスペースに斜めに置いた黒い裸舞台を、鏡が囲っている。大音響の電車などの轟音のなか、俳優たちはほとんど下着だけのような衣装で四方から登場してまるで、体操の演技のように組み合う。戦前から戦中にかけて、右翼も左翼もその夢や野望が打ち破られ、その過程では欺瞞と裏切りしかなかったことが明らかになっていく。その失望はまた、糾弾する側にもブーメランのように返ってくる。当事者であった作者三好十郎の苦渋が舞台を黒々と覆う。
鐘下辰男の演劇塾の教え子たち(?)の公演で、動きが早く、怒鳴りあう台詞も多い2時間20分、休憩なしの舞台である。折りたたみいすで見る観客も大変だが、この小屋では、どう見ても採算が取れないだろう。それでも、と、こういう社会の闇の根源を探ってひつこく舞台にのせてきた鐘下辰男の執念は伝わってくる。暗い舞台に照明と音響でシーンを作っていく。歯切れはいい。
主演の女優(磯部莉菜子)は、セリフも動きものびしろがあるが、大柄な体躯で、人間本来の生命力、エネルギーがある。とにかくこの長い舞台をほとんど出ずっぱりで持ち切ったのは新人らしからぬ大きさである。歌舞伎なら「でっけー」というところだ。これで、この公演は「真相はかうだ」式の安い世界を超えられた。
だが、芝居として見るなら、これはやはり三好十郎が書いた通り、一人芝居の「ストリップショー」だろう。この俳優で、一人芝居はつらいと見た鐘下の判断は当たっているだろうが、この形式で複数化するなら、もっと、「フツーの」舞台配慮がないと、テーマが通俗化してしまう。鐘下がパンフで危惧している通りのA級市民解釈になってしまうのだ
小林秀雄先生来る
ハルベリーオフィス
駅前劇場(東京都)
2022/07/01 (金) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
奇抜な本を旗揚げに選んだものだ。03年の初演で、オンシアター・系の乾電池系の壱組印が初演した原田宗典の本の再演。こういう本もなくはないが、虚実の混ぜ方が奇抜なのだ。
昭和の末期、イタコもいるという東北の漁村は全村上げて文学村で、住人は文学者の先人の名前を持っている。文学雑誌も出していてその壱〇〇号記念号に東京から有名な先生を呼んで講演会を開こうということになる。漁をしている漁船の上での青年たちの合意である。
招聘された文学者が東京でも有名で昭和を代表すると言われている批評家の小林秀雄先生(藤崎卓也)。偽者なのではないかと、青年たちも疑う中で、小林秀雄先生は、悠然と自己のスタイルを崩さず青年たちと酒を酌み交わし、フリッピン女性(稲村梓)の案内でいたこを訪れ、講演会に臨む。最後の「雑談」と題した講演が秀逸で、原文アレンジなのであろうが、合理・便宜主義より、知の鍛錬が必要、と言う論を諄々と説く。
青年たちも村人もよくはわからないながらも聞かされてしまう。それは劇場の観客も同じでタイトルから年配が多いのではないかと想像していたが、ほとんど若い観客たちも呑まれている。ここは、小林秀雄を演じた藤崎卓也のお手柄で、さばけた人柄と同時に当時の主知主義を引っ張った小林の格調をよく演じている。
芝居はここまで約弐時間。飽きずに見ているうちに、狐につままれたような感じで終わるのだが、ちゃんと謎解きもある。
グループの旗揚げ公演でよくぞ、こんな埋もれていたヘンな本を発掘したものだ。確かに本は、形もよくはできていないし、何を言いたいのかキモがつかめない。だが、そこはエッセーの面白さで、見ている間は十分に面白い。あとであれこれ考える面白さも残されている。
こういう一筋縄ではいかないカタチの悪い本はアングラから90年代まではよく小劇場で上演されていたように思う。竹内銃一郎(秘宝零番館)、生田萬(ブリキの自発団)大橋泰彦(離風霊船)。なんだか、彼らは、どこかで小林秀雄とも通底していたのかもしれない。
ただ、小林秀雄も没後四十年アの権威も今の観客はほとんど知らないだろうから、宙を撃ったようなところもある。こういう埋もれた本の発掘を新しいグループの柱にするのも面白いかもしれない。そういう時代の変遷も含めて面白い公演だった
室温~夜の音楽~
関西テレビ放送
世田谷パブリックシアター(東京都)
2022/06/25 (土) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ケラ独特の恐怖と笑いとナンセンスの不条理劇だ。これほど、Absurdを「不条理」と訳した訳語の生硬さに辟易する作品はない。馬鹿々々しい話だし、出てくる人間も皆いい加減、事件もまさかの展開だが、どこか人間の真実を衝いているところがある。ぞっとして笑ってしまう。
21年前のケラの作品で鶴屋南北賞や読売演劇大賞を受賞した作品と言うがすっかり忘れていた。ケラ作品は東宝が旧作をクリエで新しい若い演出者で年一本上演していて、新しい発見のある面白い企画になっているが、これは関西のテレビ局の制作、演出者は河原雅彦。初演は「フローズンビーチ」の大ヒットの後、急上昇中だった三十歳半ばの作者の戯曲によるナイロンの俳優たちの舞台も想像できるが、今改めて、河原雅彦の演出でこの作品を見ると、ケラ・ナンセンス劇-の特質が出た戯曲の良さがよくわかる。ことにその戯曲展開の用意周到さ。リアルとの距離感も絶妙である。
今回はファンクバンドの在日ファンクが音楽を担当していて(金管3名、リズム3名、浜野謙太は大きな役で出演もしている)挿入された楽曲は五曲、河原雅彦上演台本によるナマ音楽劇になっている。これも戯曲に華を添える出来で新しいケラ作品の魅力になった。この手で再演してほしい作品は幾つもある。
俳優は、ケラーナイロンにはあまり縁がなかった人たちだが、地道にうまい。インチキな霊言で商売をしている中老の男(堀部圭亮)も、同居しているその娘で、姉を若者グループに虐殺されている妹(平野綾)、十年の刑期を終えて出所して線香を上げに来るその犯人の一人(古川雄輝)、何時も入り浸っている警官(臺蔵由幸)や。道が分からなくなってやってくるタクシー運転手(浜野謙太)が戯曲を忠実に追っていて、それでいて俳優個々の味も出していて面白い.縁のない俳優で演じられた無残な作品も見たことはあるからだれがやってもできるという本ではないが、俳優も演出もよくこの作品を一本の作品にまとめ上げている。
残念ながら世田パブで入りは1階が八分。「キネマと恋人」ではチケットがなかなか手に灯らなかったが、今回はサービス券やリピート券がほぼ三割引きで出ている。毒気満々だったケラの本領の分かるすぐれた公演ある。
ディグ・ディグ・フレイミング!
範宙遊泳
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2022/06/25 (土) ~ 2022/07/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
久しぶりに、いまの世間が丸ごと舞台に乗っているのを見た。旬の若い演劇人の舞台で、今年の岸田戯曲賞の作者も劇団範宙水泳(作者は座付きのようだ)もはじめて。
素材は、今を流行りのSNS。「MenBose─男坊主─」という男性グループインフルエンサー たちの言動の謝罪を巡る騒動を描いていく。舞台中央にスクリーンを模した通り抜けできるパネルが張ってあって、そこに、タイポグラフィーで様々な文字が出る。内容はほとんど読み取れないが大きくシーンが変わるたびにそのシーントップのクレジットは出る。シーンは全部で十数シーン。なにが世間を怒らせ謝罪しているのか深くは掴めない。ただ形だけ謝っているようにしか見えないが、内容が空疎なものにしか過ぎないことも、しかし、中には重大なことも含まれていそうなこともわかる。後半になると引きこもりの一人の少女(亀上空花)とその母(村岡希美)への誹謗中傷に絞られていく。その経緯は男坊主四人の踊りとも演技とも芸人芸とも決められない早い動きとセリフで語られるのだが、見ている間は面白く笑ってしまうのだが、すぐ忘れてしまう。こういうところが実に今風で、世間を衝いている。
舞台構成には、若者得意の音楽はもとより、マッピング、タイポグラフィーや九州のかぶりもの劇団の手法まで取り入れ、舞台面は極めて賑やかな早い進行で、上滑りしていること自体が狙いなのだが、稽古はよく行き届いていて95分、全く隙がない。客演の村岡希美が見事な抑えになっている。
今年のベストの一つに上げられる舞台だろう。
一つだけ異見を言えば、タイトル。「ディグ・デイグ・フレイミング」のディグは、そのままでもほとんどの人は理解できるだろう(作中でヒントもある)が、フレイミングには英二文字目、rもlもある。ともに名詞母語から動詞、副詞、形容詞などにも使われている。しかし日本人にはどちらも同じ「レ」だ。どちらを取っても、意味は分かるが、その内容はかなり違う。英語生活圏で生活したことがないし、使ったこともない言葉に確信が持てない。これは多くの日本人が同じだろう。その二重性も狙いだと言われれば、随分手が込んでますね、と言うしかないが、それが、「ロボットではありません」と言う副題にどうつながるかも、作者側のお答えは欲しいところだ。それが、ご覧になった方のご自由に、となってくるとこの現代の荒廃は堂々巡りで際限なくなってくるので、まさか作者はそうは思ってはいないだろう。
又。この五つ星おすすめは、ことに若い方に。同時代演劇を持つことの幸せを!
JACROW#28『鶏口牛後(けいこうぎゅうご)』
JACROW
座・高円寺1(東京都)
2022/06/23 (木) ~ 2022/06/30 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
企業ものとか、政治ものとか、現実ベースの素材が特徴のJACROW、作劇はずいぶんうまくなって、今回はアパレル企業の経営方針をめぐるドラマを、テンポよく見せてくれる。製品に環境問題をかませているあたり工夫もある。
だが、この劇団の企業もの、何時も、どこか作り物めく。
それは、多分、作者が『会社』と言うものは「法人」で人と同じような扱いができると思っているからではないだろうか。会社同士の葛藤は、ほとんどすべての場合、「利益」で左右されるもので、人の感情が入らないのが普通である。それは法もそのように規定しているからで、利益を求めなければ会社の責任者は背任の責めを負うことになる。
このドラマにはいかにも経営者の言いそうなことが、数々ドラマチックに出てくるが現実に経営に関わってみれば、会社の大小、事の成否を問わず、それは結果に対する建前のきれいごとにすぎない。つまり、この辺が嘘くさい。現実にこんな下請け製造業者の部長や取引銀行員が出てくるとは思えないからである(現実の葛藤さまざまで、こんな風に騎士風には登場しない)。会社と人間の倫理を合わせるために家族構成もご都合主義になってしまう。
しかし、企業興亡のドラマとしては面白くできていて、主演の川田希は熱演だが、テレビドラマの松たか子(大豆田とわ子と三人の元夫)ほどのリアリティもない。
数年前になるが、同じこの劇場で「男たちの中で」と言う海外の企業ものを見たことがある。海外の話だが、こちらはずいぶん陰惨な話なのにリアリティはあった。その一つは、この鶏口牛後は、視点を客観に置いているが、男たちの場合は一つの経営者家族の葛藤に置いているからだ。会社の経営は、なかなか客観に引いては見られないもので、すべてがケースバイケースだ。視点を踏み込んでいくともっとリアリテイが出てくると思う。
アカデミック・チェインソウ
MCR
ザ・スズナリ(東京都)
2022/06/22 (水) ~ 2022/06/30 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
-女子高生の修学旅行の船が遭難、無人島に流れ着く。そこで世界が進まなくなって…、いつまでも同じ日を繰り返す。真面目に言えば、これから社会に出る前の女の子の生態を、現実と非現実との境目に落とし込んで、コメディスケッチした。そこからどれだけ現代を打てるか?ということなのだが、十人それぞれの女子高校生的エピソードには笑いも沸くが、現在の教育の在り方、高校生の生理と心理、など衝くべき肝心なところは外していて、ファンタジーの物語は平板である。最近はあまり小劇場を見ていないが劇団の縛りは少なくなったようで先日見た小劇場作品「花柄八景」に出ていて、面白い俳優がいるなぁと思っていた永田佑衣がここにも出ていて、全く違う役柄を好演している。やっぱりうまい人はどこへ出てもさりげなくうまい。大劇団養成所育ちにはないおおらかなよさがある。他の俳優は全体に叫びすぎではないか。
美しきものの伝説
劇団東演
俳優座劇場(東京都)
2022/06/16 (木) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
すぐれた青春劇だなぁとつくづく思う。素材となっている大正ベルエポックもまた遠くて近い。
今回は新劇団合同公演で、渡辺美佐子の舞台最終出演、ということもあってか、新劇団公演としては久々の(だろうと思う)追加公演も出た。劇場満席。
しかし、舞台そのものは、初演のころから見ている観客とすれば物足りないのだが、時代と青春を描いた脚本の力はすごい。軸になるクロポトキン(南保大樹)と野枝(荒木真有美)の周囲に集まった当時の若い政治家、ジャーナリスト、女権論者、演劇人が時代の閉塞状況にあらがってさまざまな表現や抵抗を試みる。
この戯曲が素晴らしいのは、いったんは挫折して売文社を設立した、四分六(能登剛)の視点から多岐にわたる青春像を描き切って、ある種の相対化に成功していることだ。それがあってこそ、ラストの「ベルエポックは夢のような時代だったと思いだされる」と言うセリフも白いパラソルに象徴される青春挽歌もそくそくと迫ってくる。
渡辺美佐子はこの作品の初演のころは俳優座系の新人会の看板で、同時に新劇俳優の若手の主演者の一人、日活映画のスター女優でもあった。晩年、「化粧」が当たったが、そういう日本人心情を頼りの大衆芝居よりも翻訳劇も創作劇もできる豊富な表現力と魅力のある俳優だった。ここで、新劇団合同公演として、たしか原戯曲では出てこない松井須磨子の役を作って最後の出演のはなむけにしたのは、大いに敬意を払ったのであろう。最後だからと言って、生涯の名演をもう一度やってみることは、歌舞伎では無理を承知でよくあるが、新劇では出来ない。「マリアの首」を見せてくれとは言えない以上、やるとすれば、こういう形しかないだろう。ここもナマものの演劇らしいところである。
さまざまの劇団から出ている俳優たちでは、やはり戯曲の若さが技巧ではなく表現できる俳優が目立った(荒木真有美)、が全体に活気に乏しい。言っても詮無いことだが、太地喜和子はよかったなぁになってしまうのだが、そういう感想もまた、時代とともにしか生きられない演劇の宿命だろう。いつの日か、「平成から令和にかけて、だらーんと落ちていくのをスマホで見ながら寝そべっていた時代」を舞台で描きつくせる劇作家が出てくるだろう。(どうかな?)
かつて見た舞台は、賑やかな開演前や幕間も含めて、出演者たちはみな明るかったが、今回はヘンに薄暗い。それは最近この時代を素材に書いた永井愛やシライケイタの本にも言えることでそこがやはり時代なのかな、とは思うが、このは戯曲は「伝説」と断りながらも演劇の豊かな表現力で人間と社会をさまざまに見せてくれる。思えば。この時、宮本研は四十歳を超えたばかり、青春を振り返るには最適の年齢だった。演劇はどこまでも人間的だ。
パンドラの鐘
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/06/06 (月) ~ 2022/06/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
若い演出者が野田秀樹の旧作を演出するシリーズの一つ。今回は古典から出てきた杉原邦生の演出である。
野田秀樹は古典演劇への造詣も深い。野田の戯曲は、過去から未来への長い人間の営みを壮大なスペクタクルに組み込む構造をとることが多いが、「パンドラの鐘」はその趣向がうまくはまった作品だ。古典への関心と造詣言う点では若い杉原邦生も同じだから、幕開き舞台を囲んで伝統舞台を想起させる横嶋の紅白の幕を切って落とすあたり、演出者の個性もうまく出している。
同じ戯曲だが、数年前に見た藤田俊太郎演出とも、かつて見た野田演出とも全く違う舞台が見られたわけだが、戯曲の本質は、当然とはいえ。変わっていない。しかし、見る時代によって観客は変わるわけで、ウクライナで戦争が起こり、きな臭くなっている時代に『水を!』と叫ぶミズオを見せられると、満席の客席には静かながらジワが拡がっていき、野田作品独特の感動の大団円になる。演劇の時代との切り結び方の実際を見せられた一夜であった。
俳優では片岡亀蔵が健闘。フェイクスピアでは危なかった白石加代子も復調。野田戯曲には初顔の成田凌、葵わかなもまずまず無難であった。
Secret War-ひみつせん-
serial number(風琴工房改め)
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/06/09 (木) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
見どころは何と言っても三浦透子の舞台主演。映画「ドライブマイカー」とは違う、舞台女優としてのこれからが期待できる舞台である。舞台での姿がいい。早口の棒読みセリフかと思っていると感情的な表現も、演技の出し入れもうまい。主役の演技設計がよく考えられていてとてもほとんど初めての舞台主演とは思えない。二役なのだが、どちらもよく整理されていて破綻するところがない。久しぶりの大型女優の本格デビュー前のナマの舞台を観ることができた。プロダクションがユマニテで俳優作りのうまいところだから楽しみも一層増す。とりあえずは映像だろうが、舞台の活躍も大きな可能性がある。
本は第二次大戦中の諜報戦で、この素材は若い作者でも、古川健も野木萌葱も書いているので、特に素材的に目新しいところはないが、軍の暗黒部に触れることなく奉職した若い女性タイピスト(三浦透子)(こういう設定もイギリス映画で見たような気がする)の戦争体験に絞っていてまとまりはいい。主人公の問題の焦点には入っていけない立場のもどかしさが、全体主義国家に生きる国民の感情とも重なって、戦争が身近になった時宜にふさわしい芝居ではあった。
ムッシュ・シュミットって誰だ?
劇団俳優座
俳優座スタジオ(東京都)
2022/06/10 (金) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初めて紹介されるフランスの戯曲。
物語は一昔前に流行った多重人格をネタにしたコメディで、ある日目が覚めると、別の人になっていた、という手である。フランスで開業している眼科医の夫(田中 茂弘)とその妻(斉藤 深雪)が夕食のワインを開けようとしたときに、ないはずの卓上電話に電話がかかってきて、それをきっかけに夫婦は無理やり人格を二つにされてしまう。夫は抵抗するが、妻は、流れには逆らわない方がいい、とどんどん妥協して、ルクセンブルグ在住の皮膚科医シュミット夫妻として精神科医(志村史人)の指導を受けながら人生を学習する羽目になる。
同調圧力の中で生きていかなければならない現代を風刺した喜劇、と広報されているが、それにしては客席はほとんど笑えない。理由の主たるものはフランス演劇らしく、地元密着のギャグでわが国では笑っていいところの勘所が分からないからである。
多分、と推測にすぎないが、フランスでは、ルクセンブルグに人格移動して、その地の警官(関口 晴雄)が来るあたりで、大うけなのだろうと思う。眼科医が皮膚科医になってがっかりとか、いないはずの息子(丸本 琢郎)が出頭してきてアフリカ系、と言うのもその地ではよくわかるギャグなのだろうが、わが国では笑えない。
全体にまじめな演出、演技だが、NLTが上演するようなフランス喜劇と割り切って笑劇風にしてしまえば、もっと受けはよかっただろう。やはりこういう荒唐無稽な話は話のつじつまよりも、どれだけ飛べるかにかかっていて、そこが真面目過ぎて、弾んでいかない。
終わってみれば、随分積み残しで回収されていないエピソードも多く、それはもともとの設定に無理がありすぎるからだと分っていても、そこを笑いで乗り切ってしまわなければ喜劇とは言えないだろう。
貴婦人の来訪
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
なかなか出会えないチャーミングな舞台だった。
「貴婦人の来訪」は音楽入りも、ストレートプレイも何度も上演されているが、これはそのどちらでもない独自の舞台に仕上がっている。ポイントを上げると、
まず、3時間(休憩15分含み)の長丁場を従来のお馴染の手法に頼らず、独自のカラーでまとめ上げた演出。戯曲は現代寓話劇として、書かれてから七十年、今なお、ここに描かれている世界は、現代社会の問題点に生々しく触れている寓話劇である。金で正義は買えるか? オペラやミュージカルにもなる大振りの物語は二者択一で話を進める分かりやすさもあるが、原戯曲はそういう単純化された議論の中に登場人物に沿って今の社会に生きる問題を多面的に細かく埋め込んでいる。若い文学座の演出家、五戸真理枝は、リアリズムで詰めていくと矛盾も多いドラマを丁寧に、時に音楽、時に美術の助けも借りて独特のステージングで舞台に乗せていく。その手つきには初めて(でもないだろうが)大きな舞台を十分な準備の上に演出できる演劇人の弾むような表現の喜びと若さが反映している。寓話劇、社会劇、ミュージカルなどと簡単にカテゴライズできないみずみずしい舞台が出現した。
二つ目。主演・秋山奈津子。現在、この役にこれ以上ふさわしい女優はいないだろう。不良育ちの成り上がりの田舎娘と、際限のない金を持ち、夫をはじめ自分の世界を「殺されたって死なないわ」とどんどん変えてはばからない貴婦人の「おんな」の両面を演じ切っている。その表現力の幅の広さ!「殺されたって死なない」存在感が舞台を圧倒する。
三つ目。非常に時宜を得た公演であること。確かこの原作は冷戦期、米ソの原爆競争を背景に。米ソの中間にあった永世中立国スイスで、敗戦国のドイツ語で書かれた作品と記憶している。このドラマがいまも生きているのは現代社会の不幸としか言えないが、ここで取り上げられている人間の小さな営みの数々に込められた不幸のタネは常に芽を出す機会を狙っている。現在の世界情勢の不安はここにすでにあったという事を教えられた。
スタッフワークが無駄なく舞台に溶け込んでいる。美術。衣装。もよく統一が取れていて素晴らしいし、音楽(国広和毅)もうまい。新劇のベテランで固めた脇が、地力を発揮して歌の場面などそつがない。
ここのところ、何やらわけの解らぬ公演ばかりで呆れかえっていた新国立、久々のヒットである。正直なもので、いつもはガラガラの客席がほとんど埋まっている。
ロビーで広告を見ていたら、秋にはフランスから招聘劇団がやってくる。オデオン座だ。ところが演目はなんと、「ガラスの動物園」という。エエツ!?折角何年かに一度の招聘公演ではないか!フランスの芝居を見せてくれよ! 新国立のわけの解らなさは収まりそうもない。