旗森の観てきた!クチコミ一覧

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四兄弟

四兄弟

パラドックス定数

シアター風姿花伝(東京都)

2023/03/17 (金) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

書き直します

バリモア

バリモア

無名塾

THEATRE1010(東京都)

2023/03/16 (木) ~ 2023/03/23 (木)公演終了

実演鑑賞

仲代達矢が一幕50分、休憩20分の後二幕30分、一人で、バリモアという老年のシェイクスピア役者の独白を演じる。設定としては、久しぶりに舞台に出るので、昔覚えた台詞を入れ直すのでプロンプター(影で表には出てこない)を呼んで、その彼とのやりとりというを設定になっている。
とにかく、90歳の仲代がみもの。さすが長年主役を張ってきただけのことはある。商業演劇系のスター役者だとこういうときには客への甘えが出てそれに頼ってしまうのだが、気張らずにこの落魄の老役者を飄々と演じる、とちりもなければ、動きもしっかりしていて、さすが新劇の役者である。それにつきる舞台で、内容はどうと言うことはない。これだけ出来るなら、もう少し難しいものをやってみてほしかったとも思うがそれは客の勝手な注文だろう。採点しては失礼になる。一時代を画した名優を生で見るのも、これが最後かもしれないと感慨がある。

ヨブ呼んでるよ -Hey God, Job’s calling you!-

ヨブ呼んでるよ -Hey God, Job’s calling you!-

鳥公園

八王子市芸術文化会館いちょうホール(東京都)

2023/03/17 (金) ~ 2023/03/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

一言で言えば、電車賃返せ!の出来である。
八王子市の公共芸術財団が、鳥公園の劇団主宰者を市に住まわせて緩やかな連帯関係の中で八王子で制作したという作品。昨年の秋に庭劇団ペニノが(吉祥寺シアター)で上演した関西で同じように地方の公共団体と組んだ「笑いの砦」が、出来もその後の展開も大成功だったのでこちらはどうだろうと見物に行った。
うまくいかなかった理由はいろいろ考えられる。まず、作者が八王子とどう関わって、その地の文化・生活とどう切り結んだかが全くわからない。芸術は違う、というだろうが、芸術をこう言う座組でやる以上、これでは食い逃げではないか。二つ目。作品の出来が良くない。青年団系らしく、グニャグニャとあちこちに甘えながらやるのは良いとしても、これではまるでチェルフィッチュの亜流で、幕が開いたとたんにチェルフィッチ流の演技があって、げんなりした。スタイルをまねるのは演劇では一つのやり方だが、チェルフィッチュガ考え抜かれているストーリーと演技スタイルなのに、こちらは上っ面しか見ていない。演技に統一性がない。三つ目。ストーリーが通俗すぎる。週刊誌並の話ではいくら気取ってやってみても、観客の胸に落ちていかない。作者が物事を見ている目が通俗すぎる。それは舞台作りにも顕れていて、手に負えなくなると大音響の音でごまかそうとしたり、意味なく天井からものを降らせたりする。さらに言えば、レジデンシャルアーティストというなら、この劇場で公演をやったことにも疑問がある。このスペースは地方公共団体のどこにもある市民ホールで、このように作り込みの必要な「演劇」を上演する場ではない。ここしかなかったのだろうから同情するが、このスペースがこの芝居に合わないことは、地元に人にしっかり説明できなくては共同制作にはならないだろう。この作品でも、下北澤かアゴラあたりの小劇場で見れば、青年団系劇団作品として見る観客もいて、評価は出てくるだろう。そういう作品の周囲をよく見る努力が、これから増えてくるであろう地方の公共団体のスポンサー作品には不可欠だと思う。入りも半分程度だったのは八王子の鑑賞能力が低いと言うことではない。

マリー・キュリー

マリー・キュリー

アミューズ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2023/03/13 (月) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

キューリー夫人の一代記を韓国製ミュージカルにした。二十分の休憩含み2時間45分
夫人は超有名科学者だからその人生はよく知られている。その一生は、現代にも通じるテーマ満載で、主だったところでは、ポーランド出身者への民族差別、女性科学者へのアカデミズムの差別。科学とその実用化のモラル、科学の人体での実験モラル、日本人にとっては放射能科学の先駆者が自身も放射能被曝のために死去したこと、わかりやすい世界的名声などだが、このあたりを、本は古いタイプのミュージカル本の型どおりのパターンで作っている。その人生そのものが波瀾万丈だから見ていて飽きないが、現在の世界の課題と関わると偉人伝だけではすまなくなる。そのつめは結構甘く、難しいところは詰めずに八方うまくまとめた韓国製で物足りない。
スターとして確立している俳優は出ていないが、皆一生懸命にやっていて動きも歌も無難だが、突き抜ける天才の話としてはおとなしすぎる。主役の四人だけ(キューリー夫人:愛華れいか(タカラヅカ娘役出身))、夫:上山竜治、起業家:屋良朝幸、娘:清水くるみ)が持ち役で、そのほかは九人の男女のカンパニーダンサーが、さまざまな役をこなしていく。ほとんどノーセットの舞台をこの手のミュージカルはお得意の演出鈴木裕美が手堅くまとめている。キャストを考えれば、よく出来ているのだが、本がとにかく安全なところでまとめてしまい、曲も今の英米ミュージカルを見ていると曲想も古くオセンチな曲が多い。アミューズの中堅おさらい会である。

掃除機

掃除機

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2023/03/04 (土) ~ 2023/03/22 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

岡田利規という劇作家は、自分には世界がこう見えている、と脚本・演出して舞台を作ってきたように思う。その唯一の風景が的を射て、たちまち平田オリザ一派の通俗現代風俗劇を押しのけてしまった。アーティストとして時代を見る実力がある。
今年はその岡田が書いた戯曲を本谷有希子に演出を任せたり、自分で書いた脚本に依らずに木ノ下歌舞伎で演出した。注目の舞台である。
「掃除機」はまず2019年ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場に書き下ろし自ら演出した作品『The Vacuum Cleaner』(ドイツ語上演)で上演したものを、初めて母国語で上演するという珍しい公演でもある。
「未練の幽霊」のように、今回も「もの」が登場する。今まで「道具」としてしか登場しなかった「もの」も確かに人間の日常に入り込んでいて、それなりの機能を持っている。冒頭、自走掃除機にのって「掃除機」(栗原類)が、その機能の意味を語る。これがなかなか面白い。舞台はスケートボードの競技場のように曲線になったスロープでこれが、80-50問題そっくりの家族構成の家庭である。すでに中年になった娘が引きこもっている二階に相当するスロープには、ベッドが転げ落ちんばかりに置かれているし、そのむかいにある老親(男)(モロ師岡、俵木藤汰、猪股俊明、三人が次々に登場して一つの役を演じる。ここには個性はない)の籐椅子は半分舞台に埋もれている。この舞台の登場人物は、ハノ・チョウホウ(80 代)ハノ・ホマレ(チョウホウの娘・50 代) ハノ・リチギ(チョウホウの息子・40 代)(山中崇)の家族。それぞれ台詞はほとんどモノローグで、父親の意味の無い会話を求める発言は黙殺される。ときおり、ヒデ(リチギの友人):(音楽の環 ROY)が何気なく舞台を横切ったりする。デメ(掃除機): 栗原類。
格別ストーリーがあるわけでもなく、原題の80-50問題の家族の風景であるが、人によっては胸倉を捕まれるようでもあろうし、またかきむしりたいほど切ない人もいるだろう。
本谷有希子も引きこもりの体験があると言うし、岡田も有名大学を出てからコンビニのアルバイトをかなり長くやっていた。現代の空気を確かに伝えている。これは間違いなく現代の生態を描いた現代劇である
二つの舞台ではいずれも、岡田は非常に慎重である。それがどういう進展を見せるかはまだわからないが、次なる進展が楽しみである。今はちょっと立ち止まって、木ノ下や本谷とお茶しながら考えているというところだろう。

Don't freak out

Don't freak out

ナイロン100℃

ザ・スズナリ(東京都)

2023/02/24 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇団初めて三十年、先に「しびれ雲」いまこの「D!ont freak out」。同じ昭和戦前期ものをそれぞれ好きな先行作品の本歌取りをしながら、自分の長い付き合いの俳優たちと作るのは作者冥利に尽きることだろう。Conglaturation!!
松永玲子 村岡希美の二人に捧げたような作品だが、二人から引き出すものは引き出し、しびれ雲とは真反対のホラーである。それでいながら、ともに芝居見物の楽しさを十分味合わせてくれる。スズナリでは見たことがないようなマッピングや照明、道具操作の技術を尽くして、昭和期なら松沢病院、といった感じの脳病院院長一家の不気味な安逸を、松永・村岡の奇妙にメイクした女中二人の目で追っていく(二人、快演)。つじつまが合っているような、合っていないようなストーリー展開もステージ技術で見せられてしまう。
「女中たち」のようでもあるし、狂人幽閉の話もどこかで見た(イプセンの幽霊?)ような気がするが思い出せない。客席一杯に客を入れているが二百までは行かないだろう。このキャスト・スタッフで普通にやれば赤字である。チケットも8千円を割る。こういうスズナリという劇場に配慮できるところもKERAの偉いところである。補助席も出ていて手に入りそうだから、一見をおすすめする快作である。意外に短くて2時間20分。


デラシネ

デラシネ

鵺的(ぬえてき)

新宿シアタートップス(東京都)

2023/03/06 (月) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

鵺的の芝居は思い込みの激しい程面白くできあがるのだが、この作品は、業界内輪話としては、中村ノブアキのように陽性ではなく、陰気な告発調で、中身も今までにも言われていたことで今更舞台で見ても気が滅入るばかりだ。
すっかり創造力を失ったヒットメーカーが、周囲の才能をパワハラ・セクハラで食い尽くして生き延びる、という話はテレビ・シナリオ業界ばかりで無く、商業芸術(とまでは行かない広告なども含め)の世界にはよくある話で、おおっぴらに語られなくなった今でも、その産業システムの中に内在しているのだから、どこにでもある。他の業界にもあるだろう。
そこでなにか新しい生き方を生きる人物でも描き切れていれば、面白くなるのだが、(現実に泳ぎ切った人はこれまたいくらでもいる)ここは、昭和のパターンを一歩も出ていない。エピソードも主演女優が勝手なことを言うとか、ロケハンと称してセクハラとか、一家のホームドラマとか、昔の週刊誌、噂の真相並では迫力に欠ける。
似たことは今でもあるだろうが、才能が埋もれる確率は非常に低い。今は周囲が放っておかないし、周囲も商売なのだからそれなりに真剣なのだ。
主演の佐藤弘幸をはじめ女優陣も一本調子なのもうまくない。なんとかつじつまを合わせるのはうまい寺十吾を今回は手がつきた。これで「デラシネ」と言われても気取り損ねたという感じだ。



ペリクリーズ

ペリクリーズ

演劇集団円

シアターX(東京都)

2023/03/01 (水) ~ 2023/03/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

もともと吟遊詩人の作品が元ネタになっていると言うから、日本で言えば、平家物語みたいなもの、歌舞伎で言えば義経千本桜のようなものか。
これだけご都合主義を並べられると、呆れてみているしかないが、いままでは安西徹雄先生に習って、とにかく、ロマンス劇なりに筋道をつけようとしていたが、先生ご逝去で、今回は若い中屋敷法仁の演出。これがなかなか良い。
本音を言えば、かつて彼の劇団柿食う虫で、女体シェイクスピア(だったか?)というシリーズをやっていて、一つ二つ見て、あまりのことにその後はこの劇団も演出作品も気をつけて見てはいなかった。ほぼ十年ぶりに見たわけだが、この間にものの見方も演出技術も老練のうるさ型もいそうな円の役者の手なずけ方もすっかりうまくなって、快調である。
学者の方に聞いてみないとよくわからないが(聞けばたちどころに教えてくれると思うが)この作品のシェイクスピア作品の中では異質の吟遊詩人的街頭演劇の特質をよく捕まえている。つまり、つまらないところは全部語りに任せて、その場が面白ければ良いのである。
例えば、舞台はモノカラーの机二つと椅子十脚(少し数は違うかもしれない)だけで、出演者が振り付けで自在に動かして場を作る。ここが、ダンスとも、コンテンポラリーとも、ただの説明ともつかぬ形でさまざまな音楽に乗って場を作るのがうまい。特筆したいのは、そのテンポが演劇をしっかりベースにしていることで、今までのこう言う舞台にありがちのドラマの全体の中身やテンポをダンスや音楽で崩すと言うことがない。振り付けも、さして難しいものはないが、俳優が一糸乱れず演じられるレベルでまとめている。海上(波と難破)も町もよく出来ている。
ほとんど安西演出は踏襲していないが、安西演出で覚えているところが一つだけあった。芝公園の中にあった朝日放送のホールでの初演。死んだはずの妻が生き返るところ、
安西演出はずっと、舞台に何気なく放り出してあったズタ袋が突然動いて、中から生き返った妻が現れる。観客はぎょっとするし、受けもした。五十年も前の話だから他のところは忘れてしまったが、ここだけは鮮やかだったので覚えている、安西先生もキワモノであることは知っていたのだ。

幽霊塔と私と乱歩の話

幽霊塔と私と乱歩の話

木村美月の企画

小劇場 楽園(東京都)

2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

タイトルだけ見ると、なんとも昭和っぽい。ところが見てみると、平成令和の女の子のストレートな甘酸っぱい青春もの。乱歩も、なんだかこそばゆそうな舞台だった。
乱歩邸が立教大学のすぐ裏にあることは知られているが、このあたりは昭和になって開発された新興住宅地。杉並なら高円寺、世田谷なら駒沢、といった新興サラリーマン層の町だった。中にはちょっとした町工場もあって、そこの煙突などは乱歩好みの場所になっている。そこへ、現在の女の子(椎名彗都)が迷い込んだメルヘンである。友達(木村美月)と大学構内に入り込んで、用務員と仲良く酒宴を開いたり、乱歩の知り合いだった人の子供(いい大人である。小泉将臣、演出も引き受けさすがに好演)と仲良くなったり。なるほど、今の女の子の甘酸っぱい青春回顧はこんなものか、と知ることができた。
演劇でも、三十年ほど前に、この手の自分探しが流行って、大人の観客は辟易したものだが、その時の騒々しさはなくてファンタジック。主役の椎名が野暮ったくて、なかなか良い。この役を木村美月がやっていたら嫌みになってしまう。気取ってはいるが通俗的なのだ。乱歩もこういうところにかり出されて戸惑っていそうだ。しかし少し硬派に行くなら何かというと乱歩ではなくて、一時はやった小栗虫太郎、夢野久作、新しくは中井英夫、忘れられている角田喜久雄、などを下敷きにしてみたらどうだろう。もうすこし世界は広がると思うけど。

聖なる炎

聖なる炎

俳優座劇場

俳優座劇場(東京都)

2023/02/26 (日) ~ 2023/03/04 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

新劇団縦断でキャストされた俳優座プロデュース作品。
この劇場シリーズ、このところ、昔々のフーダニット・ミステリをよく上演する。これもサマセット・モームのほぼ、百年前!!(1928年)の戯曲で、ちょうどのフーダニットが流行し始めた頃の影響か、フーダニット(犯人捜し)である。
一部屋のセットに登場人物7/8人というのは二十世紀中盤までの西欧現代劇の設定の標準で、このシリーズがよくフーダニットを上演するのは地方公演の効率を考えてのことだろう。第一幕は登場人物の紹介で、二幕冒頭で事件が起き、登場人物が集まったところで関係者第三者にみえる看護婦(あんどうさくら)の、これは殺人事件だ、という告発。第三幕では、名探偵は出てこないし、さしたるどんでん返しもないがが、登場人物の隠れた秘密が少しずつ明らかになるサスペンスの中で、犯人は絞られていき犯人と同期が犯人と動機が明らかになる。フォーマットとしてはフーダニットミステリなのだ。
俳優座劇場は一世代前の現代劇上演を想定して作られていて、このごく普通の邸宅の一杯飾りのセットがよく似合うし、プロセニアムの舞台も落ち着く(美術)土岐研一)。百年前、第一次世界大戦後、、飛行機事故で半身不随人飛行機事故で半身不随となってしまった一家の長男モーリス(田中孝宗)。献身的な妻(大井川皐月)や、母(小野洋子)独身の弟(鹿野宗健)近隣にすむのインド在留当時からの古くからの友人(吉見一豊)に囲まれ看護婦(あんどうさくら)付きで、て平穏に暮らしている。
その一幕が開けて、暗転で二幕、冒頭、昨晩何事もなく部屋に引き取った長男が急死したことが判明する。
ここからはフーダニットで、物語は、一家には部外者の雇われ看護婦と昔からの近隣の友人の目から一家の秘密が解かれていく。 看護婦が、昨晩のうちに致死量の睡眠紛失紛失していた事実を公職の責務として公にすると宣言する。もう一つ、ここに、公とこの事情という貸せも現れる。
紛糾したところで幕が下りて休憩。第三幕は、謎解きだが、フーダニット劇の捜しよりも捜しよりも人間関係の謎が追求されるが、結局明らかになる真犯人は意外にも・・・。

この作品は確か劇団民芸の初演だったと思うが、(1975年宇野重吉・演出、その後は78年、俳優座プロデュース、末木利文・演出)で。それからだって五十年。古めかしさは否めないが、人間関係でみると、今なお通じる男女の物語でもある。
俳優は各劇団から出ていて、あまり知らない方も多い。妻役の大井川皐月はもっと派手な出の方が生きると思うし、母親役は(小野洋子)は二幕までにどこかで毅然としたところを見せていないとなじめない。一幕しか出ない殺される寝たきりの主人公は、ベッドが横向きで顔が見えないのは一工夫あるべきところだろう。各劇団寄せ集めのキャスティングだから仕方が無いとは思うが、皆真面目にやっている割にはドラマが盛り上がらない。全体にフーだニットよりも現代劇として見せようとしていて、そこが今とずれて、合わなくなっている。15分の休憩を挟んで2時間25分。


ネタバレBOX

結論がここがフーダニットのような追求の結果というのではなくて、事態の収拾を図った真犯人が現実を生きるものが八方丸く収まるという現実的な選択がベストで、そういう判断の下ですべての人間は暮らしているのだ、というアイロニカルな結論で幕が下りる。
じりりた

じりりた

明後日

新宿シアタートップス(東京都)

2023/02/22 (水) ~ 2023/03/01 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

新宿で軽喜劇というのは良い企画である。トップスはうってつけの小屋でもある。トップスが以前の時代、ここではカクスコとか小劇場の中でも庶民的な親しみのある劇団がよく出ていた。音楽が入って、あがた森魚というのも似合っている。
役者は渡辺哲と酒井敏也。ハナシは老人ホームで一へや二人で生活することになった老人たちと彼らを取り巻くホームの男性看護師二人と渡辺哲の息子。女性が出ないエンタテイメントである。作者はニシオカ・ト・ニール、ほぼ9分の入りだったからまずはめでたいが、見物からの注文を言えば。
喜劇の軽みがほしい。ギャグも古い(のは良いとしても、処理がもたれる)、後半、ファンタジーみたいになって、息子がからんで、卵を孵化するという話になるが、そこで想像上の鳥がぬいぐるみで出てくるが、説明的でウイットがない。
老人ホームのハナシだから渡辺、酒井のご両人は年齢的にも役どころだろうが、この二人は、脇役としては芝居を締める良い俳優だが出ずっぱりの主役はあまり経験が無いだろう。すぐに手がつきる。そこは、作・演出が補わなければいけないところだが、作者も一本丸々90分引き受けた経験は少ないのでは無いか。こちらも手がつきる。誰が悪いのではなくて、それだけ難しい出し物なのだ。経験を積むしかない。そのうちに、もっと楽に楽しめるものが出てくるのを期待したい。入りが良いのに慢心しないように。
「じりりた」というのは自利と利他だそうで、これは少し飛びすぎか。



入管収容所

入管収容所

TRASHMASTERS

すみだパークシアター倉(東京都)

2023/02/17 (金) ~ 2023/02/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ここまでの「見てきた」を見ても殆ど★5。かえって疑わしいところだが、見てみると最近のトラッシュマスターズとしても抜群の出来。昔日の社会派の面目躍如。今までのコメントに加えることはほとんどないが、作劇的には、登場人物の位置を巧みに配置して一方的なプロパガンダ劇にしかった技術的な冴え。客演を要所に配して、台詞がよく聞こえる俳優で内容の肝心なところを押さえたこと。事実を列挙したかに見えるドキュメンタリー的展開、いずれも成功して2時間45分の超尺をダレずに客席も呑まれていた。
以下は芝居の内容とは全く関係ないが、この劇場の運営がこの芝居の内容そっくりだった。この劇場は入り口が裏通りに回ってから夜公演になると全く足下が良くない。下町の道不案内もある。うっかり曲がり角を間違えて二分遅刻。すると、劇場の入り口は鍵をかけて誰もいない。やはり遅れてきた人もいて表も裏も開口部を探すがわからない。やっと裏の出口から出てきた関係者らしい人に、塀越しに事情を話すと、表に回ってくださいの一点張り。そうこうするうちに表に回っていて遅刻組の同士が関係者を見つけてやっと入場できた。入ってみれば、プロローグでタイトルが出るまでに数分あったから、七時ジャストには門を閉めて鍵をかけてしまったんだね。
七時快演と書いてありますから、それに遅れる人は入らなくても良いのが建前です。劇団はそんな客はフォローしません、
といえば、それも正論だが、観客は不特定多数だ。違法入国者ではないわけで、それぞれに理由があって遅刻している。現に遅れてきた客がその後もあって合計5名。普通それくらいは遅刻者がいるのは当たり前で、それをシャットアウトして定刻以後は入り口に係員が一人もいないというのは、いかがかと思う。またこの劇場は周囲が暗く劇場なんかありそうもないところに入り口がある。その上暗い。公園なので、管理規則があって明かりがつけられない野かもしれない。それでは公的施設とではない。
これでよく、入り口をシャットアウトしたこの劇団の人たちが黙っていると、不思議だった。この芝居でも指摘しているが、この国は上も下もどうかしてしまっている。タモリに新しい戦前と言われてうろたえているが、タモリと違って本当に戦前を知っている私は全くそうだと思う。これを取り返すのは大変だよ、お上の言うとおり、マスクを外す外さないなんて言っていると、たちまち防空壕なんか作らされるよ。

報われし者のために

報われし者のために

劇団キンダースペース

シアターX(東京都)

2023/02/15 (水) ~ 2023/02/19 (日)公演終了

実演鑑賞

若い頃に大人気だったモームは最近はすっかり読まれなくなっているようだ。1932年の作品で、かつて民芸で上演したと言うが見ていない。どんなものだろうと観にいった。
この時代の英米演劇のドラマには一種独特の世界があって、一見わかりやすそうだが、舞台で見るとよくわからないところもたくさん出てくる。意外に難物だ。ちょっと後になるがプリーストリーの「夜の来訪者」(刑事の来訪)は、今でもよく上演されるが、日本初演の時(内村直也・翻案)から舞台を日本に翻案していて、それは今も(八木柊一郎・翻案)引き継がれている。このドラマで言えば、幕開きのイギリスの田舎豪族の一族の賑やかなパーティが終幕の形だけは同じだが、荒廃しきっているところなど、モーム得意の仕掛けだろうがうまく効果を上げていない。三姉妹の田舎の生活へのそれぞれの対応も表面的にはわかるが実感が伴わない。だから、それぞれの決意が人間的に伝わらない。せっかく、翻案とまでタイトルにしているのだから、もっと手を入れても良かったのではないかと思う。
本を見に行ったので、舞台については言うこともないが、もっと易しい、俳優が手の届く脚本でやれば良いのに、とおもった。

磁界

磁界

オフィスコットーネ

小劇場B1(東京都)

2023/02/09 (木) ~ 2023/02/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

去年亡くなったこのプロダクションのプロデューサー綿貫林の追悼公演。急逝だったので積み残しの発注済みの作品の上演である。
これは中村ノブアキの警察内部の企業もの。中村自身の劇団JACROWの作品は企業ドラマのを目指すというのが目新しく二三度足を運んだが、そのときは、経営についても、企業人についても認識が甘く、浅いドラマになっていて、その後、足が遠のいていた。今回は企業と言っても公共企業体の警察が舞台。こちらは、営業利益が唯一の価値判断になる企業とは、同じ企業体でもずいぶん違って、公共の理念、国民の負託、権利と義務、自助・共助・公助のモラル、職員自身のモラルと企業体のモラル、と人間的なドラマになる要素がたくさんある。このドラマでは、中年の姉妹が、ホストクラブ詐欺に巻き込まれた事件を巡って、警察の生活安全部の職員は、何でも持ち込んでくる(勝手な)国民に対してどうあるべきか、それは警察内部のヒエラルヒーとどう関わっていくのか、ということを事件サスペンス仕立てで、かなり人間的に追っていて、数年前とは様変わりの進境である。数多いこの欄の「見てきた」にある通り、飽きずに最後まで安心してみられるし、軸になる主人公の生活安全部の職員を演じる西尾友樹は、熱演。周囲の署長、課長、係長も、被害者の姉妹も、類型的な性格付けだが、隙なく演じている。
これはこれで行き止まりのような気もするが、以前の生半可な企業ものよりずっと良い。無い物ねだりで言えば、この上に、誰でも感じている社会人の人としての生き方、それで構成される社会のあり方について方向を示すようなところ(裁判を起こそうとか、抗議デモに行こうというようなものではなく)があれば新しい現代劇への道が開けたようにも思う。
まだどこか足りない。

笑の大学

笑の大学

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/02/08 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

三谷幸喜の代表作と言われながら、96年以来、舞台では上演されていなかった作品のパルコ劇場50周年記念公演、全国ツアーもある。今回は作者本人の演出。配役も、小劇場らしい顔合わせだった西村雅彦、近藤芳正から、内野聖陽、瀬戸康史に変わった。25年ぶりの晴れやかな再演である。
脚本をなかなか出版しない(戯曲未刊行)作者だから、再演の細部の変更はわからないが、ほぼ初演と変わらない感じ。(映画は取り組みが違う)。一つのセットで二人だけの役者で二時間弱、誰もが楽しめる舞台になっている。
良いところをあげていくと、まずは、俳優二人の快演。パルコはかなり大きな舞台なので取調室内の二人だけの室内劇では隙間があるのではないかと危惧したが、全くそういうことはない。内野はこう言う軽喜劇の経験が少ないが、軽重巧みに取り合わせて融通の利かない検閲官を肉付けした。対する瀬戸康史。湿っぽくないのが良い。それが最終幕で逆転する。
間口を狭め、奥に向かった遠近をつけた堀尾幸雄の単純浴び術も効果を上げている。
脚本はすでに数々の賞がある出来だが、今回改めて「笑の大学」というタイトルが単に瀬戸の演じる軽演劇劇団の名前だけでなく、作品全体が笑いの構造を追及する「大学」になっていることがわかった。くすぐり、地口からはじめて、ドタバタ、さらには喜劇というテーマへと難題を膨らませていくうちに「喜劇」を大学レベルまで、考えさせてくれる。作者の、「喜劇」へのこだわり、ともすれば、喜劇を安全な社会批判の道具にしか考えてこなかった日本の演劇対する批判も見える。
久しぶりに、老若男女ほどよく案配された満席の良い客席だった。
三谷幸喜は、これで、現在の日本の演劇界の一角を代表する作家になったと言えるだろうが、これからも、日本の演劇のレベルを底辺で叱り支えて良い作品を見せてほしい。

桜姫東文章

桜姫東文章

木ノ下歌舞伎

あうるすぽっと(東京都)

2023/02/02 (木) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

本年屈指の話題作の登場である。
木ノ下歌舞伎が岡田利基で桜姫をやる。どうなることか、と芝居ファンは固唾をのむ。
これまでの芝居狂の方々の「見てきた」のように、意外にオーソドックス。いつものようにほぼ満席の劇場だが、いつもはあまり見ない若い男女が多い、これは成河、石橋静河のファンだろうが、こう言う芝居の出来る役者のファンと言うだけあって、場内皆固唾をのんでいるジワが、開幕から続く。こう言う小屋の緊張感は、なかなか味わえない。若い人たちにとっては単に「モノメズラシサ」かもしれないが、モノメズラシサは芝居の出発点だ。
総評から言えば、一番は、この役者二人の大出来が一番だろう。最初の出会いで、成河が桜姫に惹かれてふっと立ち上がるところ、様式化されていない現代演劇の美しさ。最後の桜姫、清玄二人だけになって、ここだけはチェルフィッチュ風の見せ場になるが、振り付けも良いが、二人の役者としての切れも良く素晴らしい幕切れになっている。
演出がメタシアター仕掛けになっていて、それぞれに数役を兼ねる他の役者も全員舞台に出ずっぱり、下座は電子楽器一本で始終音が出ていてこの演者(荒木優光?)も出ずっぱりで、生身と役を往復して大健闘ある。軍助の谷山智宏,変ななまめかしさを見せるお十の安部萌。普通の芝居と全然違う間の作りがうまく、俳優の現実の肉体と役を、距離を持ちながらも往復する意味が、よくわかるように演じられている。たいしたものだ。
本は木ノ下が補綴したものを、岡田が上演台本にしたようだが、とにかく南北の原作に従ってちゃんと七幕まである。大歌舞伎でも見たことのない場があるが、物語はどんどん進む。桜姫は、今は南北の代表作のように言われているが、初演以後はほぼ百年お蔵に入っていたという難物。昭和になってからの復活も、孝夫・玉三郎の京都南座の大当たりまではさして受けていたわけではない。要するに話に「実は」が多すぎて、時代劇というハンディもあって、見物はついて行けないのだ。ここ四十年の名作である。
岡田利基は、その難しさを、チェルフィッチュガ開発した「今から何々をやりまーす」と宣言してから演じるという「三月の五日間」の手法で解決した。舞台中央に縦型のスライド映写のスクリーンがあって、シーンが始まる前に次のシーンの登場人物とあらすじが投影される。そこから周囲に控えた俳優が舞台でその場を演じるのだが、この流れが非常にうまくいった。木ノ下歌舞伎で、よく、始まる前に芝居の予告編と称して、全編の登場人物と見せ場を見せてしまう、という手を使っているが、これがこの複雑怪奇な演目によく似合って
成功している。これを見ていると、ホントは、場の設定だけ出来れば、スジはどうでもいいのではないかとさえ思えてくる。しかも、この上演に関してだけ言えば、このメタシアターの作りともに合っているのだ。期せずして、古典から現代への見事な通路になっている。
岡田利基はパンフでも今作は、古典を現代に翻訳しただけ、といっている。あまり解釈批判を避けて、と言ってもいるが、本人も言うとおり、それは避けられないから、いろいろな意見が出てくるだろう。コクーン歌舞伎の時だってその批評では大げんかがあった。今回は、周到な出来だから、あまり大きな論争は起きそうにはないが、やはり、これは現代の若い世代のトップスター的な演劇人が、難物の古典に取り組んだ成果の一つとして財産にしていきたいものだ。
と書いたところで夕刊が来たので、開いてみたら朝日新聞の夕刊にこの劇評が出ている。全くとんちんかんな劇評で、見てもいない初演時の俳優の心境を元にこの芝居の原点にし、俳優を共演者すべてをなぎ倒す者をよしとし、相対主義が役者の演技をも解体すると断じ、全体を虚無的な芝居ごっこであると結んでいる。他にも短文の中にワケのわからんことを権威に寄りかかって得意そうに言いつのっている!木ノ下も岡田もこの筆者よりは年下だろうが遠慮することはない、反論するなり、からかうなり、言ってやらないとこの貴重なトライアルが無駄なものになってしまう。馬鹿につける薬はないと笑って許すんじゃないよ!

血は立ったまま眠っている

血は立ったまま眠っている

文化庁・日本劇団協議会

Space早稲田(東京都)

2023/02/01 (水) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

初演は昭和35年というからもう六十年も前の作品。新しい演劇の時代のスタートとなった作品で、確か日生劇場で四季が上演したのではなかったか。そのときからわからん!わからん!ト評判は悪かった。
60年安保が背景だからさすがに古い。今再演するなら、どこかに焦点を絞って新しく作らないと見るに堪えないものになる。危惧は当たって、ただわぁわぁと賑やかなだけの二時間。惨憺たる出来である。
若い演出者に今が不安な時代であるからと言って、往事の安保戦略を押しつけるのも酷だが、やる方も時代をちゃんと見なくては。今この作品をやるとしたら、やはり流山児の嗜好には合わないだろうが、言葉だろう。あの図々しいとしか言い様のない独特のレトッリックをうまく芝居にするのは、今の時代なら出来そうだ。俳優もどうやっていいのかわからずやっている感じだったが、二三目立つ役者はいた(配役表がないので名前を挙げることが出来ないが)

いごっそうと夜のオシノビ

いごっそうと夜のオシノビ

Nana Produce

サンモールスタジオ(東京都)

2023/01/25 (水) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

横山拓也の十年以上も前の若書きの短編二篇をフィルムのタイトルでつないで続けて見せる。70分。
今冬最も寒いと予告されている夜の70ほどの客席は初日から満席、ツボを押さえた横山脚本に寺十吾の演出で、客席は暖かい笑いが続く。映像タイトルで横山の旧作が逆時代順に流れていき、最初のエピソードは「夜のオシノビ」。初期の作品である。
同棲していた女が死んで命日に年忌をすると決めている残された男(寺十吾)の年忌の当日。九年もたてば、来客も少なく女友達(金子さやか)と男の二人だけ。もう来年はできないかも、でも十年だから動員をかけるという女を、思わず男は押し倒してしまう。決然と去る女。で、翌年、誰も来ない十年目の年忌に死んだ女の仕事の付き合いがあったという男(浜谷康幸)が訪ねてくる。この男は実は死んだ女と不倫の関係があったというのだ。詫びに来たという男に、10年もたって、それが何の意味がある?となじる男。間男来訪の行為をめぐっての男同士のやり取りはとても新人とは思えない面白さだ。不倫男が扱っていた商品が売れない生理用品で、それが、今なお棚に残っていて、男は雑な女だったからと思っている、不倫男は思い出のために残っていたと感動する、などという小道具の使い方も、下ネタの使い方も舌を巻くうまさだ。定番の通夜の客ものの設定を年忌に伸ばしている。
後半は「いごっそう」。高知を舞台にした僻村の嫁不足を素材にしたコメディである。いごっそうというのは高知方言で、強情っぱり、というような意味だが、高知のいごっそうは度を超す。時にはそうならざるを得ないことも強情のせいにしてしまう。
嫁の来てがなく40歳前後になった三人の独身者のあこがれは飲み屋・いごっそうの主人(青山勝)を助けてバイトをしているかなえちゃん(青山祥子)。皆それぞれに事情がある上に、町役場で地域振興のために東京でリクルートした職員(泉知東)が単身赴任していて、恒例の村を挙げてのクリスマスパーティの相談をこの飲み屋でやろうと集まった。(この設定うまい)話はややこしくなる。話は登場人物全員をうまく使って進んでいく。全員芝居場があるのでやっていても楽しいだろう。舞台が初日から弾んでいる。観客も乗せられる。
この初期の短編に作には、その後の長編作に生かされているところも多く、めったに上演されないだろうから大いに楽しんでみられた。
寺十吾の演出・出演。この演出家、小劇場つまずきの石の出身だが、今は小劇場から中劇場まで、何でもそつなくこなす。一頃の鈴木勝秀みたいな位置だが、カラーはずいぶん違う。
こういうところにも時代は顔を出す。




あでな//いある

あでな//いある

ほろびて/horobite

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

学生劇団出身らしい都会風な現代青春後期劇である。作者は四十歳半ば、劇団員もおおむねそのあたりで固めている。
青春劇だからそれぞれのタイプを対立させて描いていくが、軍に入って世を正したいという青年がかなり丁寧に追われているのは珍しい。それに対するのは女性の美容師。仲間にアジア人の日本在住35年の整体師。口は立つのにあっさり騙されて妊娠して捨てられる女性、彼女の元を離れられない意気地のない肥満男、食肉生産工場で神経を病む中年の男、浮浪者取り締まりを請け負う男、などが登場する。個々の話も人物もうまいが類型的だ。
エピソードを重ねていく手法で、話の運びは抽象劇と日常会話劇を混ぜた調子で、それはそれで良く纏まっていて、飽きないで見られるが、見ているうちに80年代に流行ったにぎやかな小劇場のいくつかを思い出した.あれはもういいとなったはずじゃなかったのか。
ひねり玉のつもりかもしれないが小洒落ているが力がない。引きこもりの右翼青年なんか面白いのに、説明が先に立つ。せっかく切り込めるところなのに尻すぼみ。思い切って突っ込むところがない。
この調子では、現代リアルの若い加藤拓也に、内容だけでなく技術的にもかなわない。「ほろびて」なんて縁起の悪い劇団名だ、と言われないように生き生きした劇世界を表現してほしい。

シン令和のKAIDAN

シン令和のKAIDAN

リブレセン 劇団離風霊船

ザ・スズナリ(東京都)

2023/01/12 (木) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

離風霊船を見るのは何年ぶりだろう。松戸俊一も伊東由美子もすっかり老年に達している。あとは知らない顔ぶれだ。エッ? 三十年ぶり?まさか。霊船に乗ってきたか。
 そういえば、あの時代にはメタシアターが大流行だったな、と思い出す。いまはこの離風霊船という劇団名も、意図不明のとんがった感じだが、かつては、「遊◎機械全自動シアター」とか「秘宝零番館」「自転車キンクリート」に「ブリキの自発団」「第三エロチカ」とサーカス小屋のようなネーミングが並んでいたものだ。その中に、今に続く「夢の遊眠社」も「ナイロン100℃」も並んでいたとおもうと時代の変遷に懐かしいだけではない感懐がある。
舞台は、ご本家メタシアター「作者を探す六人の登場人物」そっくりに、脚本家の前に登場人物たちが現れるまっとうな趣向で、ネタになる劇中劇は「東海道四谷怪談」に脇筋では童話の「桃太郎」。人物配置も筋も四谷怪談を追っているが、今の若い観客が入り組んだ人間関係を知っているかと、心配になる。結構、劇団消長に絡ませて筋、配置はしっかり追っている時代劇のだ。
1時間半ほど。観客約半分強。時々笑いも起きるが、劇場の熱は上がらない。この劇団らしい伝統で残っているのは、人間の手で、細かい舞台トリックを全部やってしまうところで、ほとんど裸舞台で時代劇をやってしまう。劇団創立者で岸田戯曲賞も受けた大橋泰彦はいまどうしているのだろう。確か、この劇場であのシンではないゴジラが出てくる芝居を見た。

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