かずの観てきた!クチコミ一覧

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夏至の侍

夏至の侍

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2022/06/07 (火) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/06/08 (水) 14:00

座席1階

東憲司が以前からずっと練り上げていたという九州の金魚問屋の物語。桟敷童子がこれまで演じてきた炭鉱三部作などのように、時代の流れとともに滅びゆく産業への悲しくも優しいまなざしに包まれた秀作である。

客席を毎回驚かす舞台美術。今回は派手さはないものの、やはり最終局面で登場するセットは、それまで物語に没頭してきた客席の心をわしづかみにする。詳細は見てのお楽しみだが、今作もやはり、期待を裏切らない。

冒頭は風雨が吹き荒れる台風の場面から始まる。天井から激しく滴り落ちる水は、アングラ劇団がテント公演で見せるシーンをほうふつとさせる。この台風で跡取りの息子を失った老舗金魚店「鍋島養魚」は、母親(客演の音無美紀子)と息子の嫁(板垣桃子)が必死になって切り盛りをしていくが、やがて水路がよどむほど没落してしまう。新興の金魚店が買収するため老舗の設備などを値踏みしているところに、厳しい母や金魚問屋の生活が嫌でかつて家を飛び出してしまった姉妹が戻ってくるところから物語が展開していく。

夏至の侍とは、どこに隠れていたのか泥水のような水路の中で生き続けていた幻の金魚。これが、売り物になる金魚がいないため金魚鉢に浮かべられたブリキのおもちゃの金魚と対比するように、物語を盛り上げていく。生きるためには町の一時代を築いた伝統産業から身を引き、すべてを売り払ってスーパーのレジ打ちをして暮らさなければならない母と義理の娘の苦悩と、それでも夢(夏至の侍)をどこかであきらめきれない母の心の叫びが交錯する後段が、客席の心を揺さぶった。終盤では周囲に静かなすすり泣きの声も漏れていた。

音無美紀子のストイックな演技と、義理の母親と老舗を陰に日向に懸命に支えてきた嫁の一歩下がったスタンスを表現した板垣桃子の姿は印象に残る。
炭鉱三部作などで見事な子役を務めた大手忍が、今作でも実力を発揮し存在感を示している。

夫婦レコード

夫婦レコード

劇団青年座

俳優座劇場(東京都)

2022/05/27 (金) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/06/02 (木) 14:00

思わずもらい泣きしてしまうような場面が幾度と訪れる。笑える場面もたくさんある。自分が昭和世代だからではないと思う。ホームドラマがとりわけ好きだからでもないと思う。それゆえ、間違いなく秀作だ。22年ぶりの再演ということだから、見逃すと損するかも。

劇団道学先生の作家、故中島淳彦さんの作品だ。道学先生の舞台は最近、見たことがあって、やはり中島さんのDNAが受け継がれているんだな、と今思い返して痛感する。そのDNAの源流を探る作品を、青年座が演じてくれたというわけだ。

舞台はいかにも昭和の一軒家というしつらえで、温泉旅行に出かけて心臓発作で死亡した妻の葬儀後という場面から始まる。残された一家は夫と5人娘。この5人の娘はそれぞれ性格が違っていて、それが家族の中で補完しあっている感じもしておもしろい。さらに、その娘一人一人と父親との人間関係が絶妙だ。この人間関係が少しずつ解き明かされていくのがこの舞台の真骨頂なのだろう。
時代は、王貞治がベーブルースの記録を抜く、という1977年。今ならAEDなどがあって救命され、違う展開の物語になるのかもしれないが、当時は救命される可能性は低く、そのあまりにも早い突然死を夫は受け止められずにいる。これからゆっくりと夫婦の時間を楽しもうといろいろ考えていただろう。日ごろはいて当たり前という感じだったとは思うが、大切なパートナーを失って「もっと一緒に話したかった」と号泣する夫は本当に痛々しい。
その父を、5人の娘がそれぞれの性格を前面に支える。家族の一員に男性もいるが、それは次女の夫、三女の婚約者である。この男性二人もそれぞれの立ち位置で家族の一人として頑張ってふるまおうとする。ここも大きな見どころだ。
実はもう一人男性が後段に登場するのだが、ここで書くのはやめよう。登場人物一人一人がある意味で主人公となり、全体の物語を紡いでいく。
昭和という上向きの時代背景だから輝く物語なのかもしれない。だが、世の中の仕組みや世情が違う今の時代でも、ホームドラマが受けないと言われている今でも同じように輝く物語があると思う。そんな物語を紡いでくれる作家の舞台を見たい。

任侠サーカス ~キズナたちの挽歌~

任侠サーカス ~キズナたちの挽歌~

熱海五郎一座

新橋演舞場(東京都)

2022/05/29 (日) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/06/01 (水) 13:30

座席1階

高齢化が進むヤクザの「任俠熱海組」と、その抗争相手の「沼津一家」。これに静岡県警のヤクザ担当刑事たちが絡んで繰り広げられる「義理と人情のアクション劇」。スーパーエキセントリックシアターの舞台から見るとかなり落ち着いたイメージの舞台だが、休憩をはさんで3時間余りのステージはコロナ禍の中で久々に大笑いができる仕上がりだ。

新橋演舞場は今回から、花道の使用を許可したという。ここが使えると使えないとではかなり大きな違いがあるだろう。ゲストのA・B・C-Zの塚田僚一がバク宙で登場するシーンなど、おもしろさが増している。
設定が「高齢化に苦しむ暴力団」なので、三宅裕司やラサール石井、小倉久寛ら座組の主力たちはその老化ぶりを競って表現することになるが、本人たちも結構高齢化といっていい実年齢だけに、その演技もあいまって何だか哀れを誘う。客席もかなり高齢者の人が多かった。もちろん、年に1度のこの舞台を楽しみに来ているつえを突いたおじいちゃん、おばあちゃんにとって、新橋演舞場のこの時間は、替え難いものなのだが。

浅野ゆう子はさすがに貫禄があった。その妖艶さは際立っていた。W浅野という懐かしい言葉も聞けて満足。休憩時間のバックミュージックは幅広く昭和の歌が流れていて、自分を含めたおじさん・おばさんたちも大満足だ。
ただ、刑事役で登場する春風亭昇太はどうなのだろうか。この人、落語家だけにカーテンコールの時の小話は強烈に面白かったが、役者には向いていない。台本もそれを見越してせりふをかむというのをギャグにしていたのだが、ちょっとかわいそうで見ていられない感じだった。

自分としては、スーパーエキセントリックシアターの舞台の方がギャグに切れがあって「あー、おもしろかった」と劇場をあとにできる。切れが今ひとつだったのは、役者さんが年を取ったためとは思いたくないなあ。

眞理の勇氣

眞理の勇氣

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/05/13 (金) 19:00

座席1階

戦前の唯物論の哲学者戸坂潤が主宰した唯物論研究会が特高警察の弾圧で解体され、戸坂自身は終戦直前に獄死する。その生涯をたどる物語。

戸坂という人は「忘れられた思想家」なんだそうだ。それに光を当てて戯曲化するというのはさすが歴史に造詣のある劇団チョコレートケーキの古川健氏である。古川氏が青年劇場に書き下ろしをするのは初めて。演出にはこまつ座の舞台で力作を重ねている鵜山仁氏。この二人の戯曲を、青年劇場の俳優たちがしっかりと演じきった。

ただ、この舞台に驚きはない。戸坂が長野刑務所で獄死したという連絡が家族に入る場面から始まり、研究会の設立から弾圧による獄死までを淡々と描くという筋書きはぶれることはない。特高警察による思想弾圧、言論弾圧を取り上げた舞台は多く、この舞台もそういう意味では何が起きるか、どんな結末になるのかというワクワク感はない。

しかし、淡々と描かれる戸坂たちの会話劇、そして研究会の事務所に居座って監視を続ける特高警察の刑事たちとの会話は見どころだ。担当刑事が「今のはどういう意味だ。報告をしなければならないから教えてくれ」という場面が数回出てくる。戸坂が大学の学生たちに教える場面でも学生たちが分かったような、分からないような顔をしているというセリフが出てくる。セリフの中には戸坂が唯物論を説明する場面もあるのだが、やはり難解である。分からないものに政治権力が恐怖感を抱き、「あいつらは何をするか分からないから、事前に取り締まっておく」という思考回路であることが提示される。

政治権力が、理解をするのが難しい学問を排除しようとすることは、今の世の中ではあまりないかもしれない。むしろ政治権力が防衛や外交の本当の中身を機密として市民から遠ざけるというやり方で言論統制は進んでいる。今回の舞台で演じられる言論統制は、検閲が進行して自由にモノが言えなくなった段階での話だ。自由に発言したりモノを書いたりする自由が失われると、次に来るのは「わけのわからいものは取り締まっておく」ということになる。
ウクライナ戦争でロシアが言論統制を強化しているが、ロシアの国内はまさに、戸坂たちが弾圧された時代の日本と同じなのだろう。ロシア政府は、少しでも政府に都合の悪い言論を行う者は「外国の代理人(スパイ)」としてその集団を解散させ、メンバーを投獄している。
この舞台で自分が感じたのは、ロシアの言論統制を笑うことなどできず、真理を語るのに勇気が必要という時代の再来を何とか、防がなきゃ、という恐怖なのであった。

もう一つ、戸坂が妻がありながら研究会の同志の女性と深い関係になり、こどもができるという場面も描かれる。当時は妾の子というのは珍しくなかったと思うが、研究会の場で女性のメンバーに「嫌悪する気持ちはある」と言わせている。こういう場面も今回の戯曲の特徴の一つだと思う。

ネタバレBOX

休憩を挟んで3時間弱という舞台。けっして飽きることのないテンポのいい会話劇だが、終幕が夜10時というのはつらい。せめて午後6時に始めてほしい。
『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

下北澤姉妹社

駅前劇場(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/05/12 (木) 14:00

座席1階

価格4,500円

息をもつかせぬ会話劇。東京湾岸の高級タワーマンションのパーティールームに同窓生の女性たちが集まるという設定だ。一見「女の幸せ」の争いとも見えるが、実はもっと複雑だ。見終わってストンと落ちるところがない。だが、これがこの舞台のいいところなのだろう。

「携帯の電源を切って」というお約束の前口上の演出家を排して登場するのが、タワマンの女性コンシェルジェだ。この若い女性が終盤、重要な役割を果たすのだが、それは見てのお楽しみ。主人公は続いて登場する仲のいい3人の同窓生だ。
 結婚して主婦となり、大学に合格した一人娘がいる女性。親子3人でパーティーに参加する「円満な家族」だ。続いて、事実婚で形成外科医のパートナーを持つ自らも医師の女性。有名大学を出て医師となり、子どもを持つこともなく仕事に邁進し高級マンション暮らしという経済的な成功を遂げている。さらに、結婚と離婚を繰り返し4人の男の子を産んだ、都営住宅に住む美容師の女性。今の彼氏はウーバーイーツのような配達員で生活は苦しい。

かつて「負け犬論争」というのがあった。結婚して子供を産まない女性は「負け犬」という扱いだ。会話劇が進行する中で、低所得をさげすむようなニュアンスの言葉や、子どもを産まない女は幸せでない、みたいなせりふが出たりして、聞いているだけでハラハラする。仲がいい同窓生と言っても、本音では友人を下に見て少しの幸せや安全を感じようとする。男にもそういうところがあるが、女性の会話劇でそういう本音炸裂の場面を見ると、なんだがため息が出てしまう。

切れ味鋭いナイフのような言葉で切りつけ、その直後に返り血を浴びる。時折客席を笑いに巻き込みながらも、観客は心から笑えない。そういうところが「ストンと落ちない」という感想につながるのだが、お互いの化けの皮がはがれて本音の戦いになるという展開はおもしろい。これはもう、このような戯曲にのめりこんでいけるかどうかという、好みの問題だ。評価は分かれるかもしれない。

ネタバレBOX

週刊文春が小道具だ。主婦の女性の夫は週刊誌の記者で、芸能界の不倫騒ぎなどのスクープを書いている。だが、本当は日本の政治の闇をえぐるスクープを放ちたいと思っている。そして、でたらめな税金の使い方をしている政治に無関心な市民に怒りを感じている。

個人的にはこの週刊誌記者に共感を覚えた。それぞれ、自分が思う女の幸せを追求し自慢しあうのもいいけれど、そんなことしてる場合じゃないぞ、と叫びたい。「いつも家にいない」と一人娘から非難され、そっぽを向かれているお父さんの頑張りに期待したいのだ。
愛に関するいくつかの断片

愛に関するいくつかの断片

五反田団

アトリエヘリコプター(東京都)

2022/04/25 (月) ~ 2022/05/05 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/25 (月) 15:00

座席1階

若者らしい軽快な会話劇。ソファやクッションなど舞台上の小物をうまく活用した場面転換。そして何よりも影の主人公である「愛」とはどんな女性で、誰なのかという謎解き。完成度が高い舞台を堪能するに価値ある90分だった。

五反田団を主宰する前田司郎氏は岸田國士賞も取った実力派である。今作は2年前の4月に上演予定だったものがコロナ禍で延期された作品だ。本人も語っているようにいつもの倍の時間をかけることができたそうで、細やかなところまで磨き上げられていたという感じがする。タイトルである「愛に関するいくつかの断片」を、客席は一つ一つ拾い上げながらパズルのようにはめ込んでいく。そんな作業をしているような楽しさがあった。

愛するとはどういうことなのか。恋の続きとして愛が出てくるとよく言われるが、本作でもそんなせりふが出てくる。しかし、ここに登場する一人の男は「愛するとはどういうことか分からない」と心の底から分からないという表情で苦悩するのだ。二股をかけるとか、不倫は許せないとか、結婚してお互いが空気のような存在になったとか。客席は七変化のように姿を変える愛を面前にして、前田マジックにかかったように最後まで深く考え込まされてしまう。

あっさり訪れるラストシーンが何だが心地よい。いつまでも浸っていたいような不思議な気持ちで元工場だったというアトリエヘリコプターを後にした。もう一度書くが、この90分は買う価値がある。

ネタバレBOX

二股を掛けられた事実を知りながら、結婚を決める女。「そんなのありえないでしょ。また、浮気されるに決まっている」と親身になって忠告する親友の女性。だが、その女性から衝撃的な事実が明かされる。愛に振り回されているという感じの登場人物たち。ある意味、愛が信じられなくなる。
秘密

秘密

劇団普通

王子小劇場(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/04/24 (日) 13:00

座席1階

千秋楽。王子小劇場は満席だった。前作の「病室」に続いて拝見。かなりきつく聞こえる茨城弁にはまだ、慣れないのだが。

さて、今作も丁寧な会話劇が繰り広げられる。家事など家のことはまったくやってこず、一方的に妻を怒鳴りつける昭和の親父。妻が入院したため長女が実家にやってきて手伝う、という状況からスタートする。

長男もその妻と実家にやってくるが、実際に毎日父を支えるのは長女である。食事作りなど家事全般がその長女にのしかかる。腱鞘炎にもなるわけだ。だが、そんな長女に父はどのように接してよいのかわからないのか、不遜な態度を取ったりする。
このお父さん、軽度の認知症ではないかと感じた。ただ感じただけだが、自分の一方的な思いをぶつけたり、何度も同じ言葉を繰り返したり。もし、認知症だからといってそれがどういうことでもないのだが、とにかくその会話の一つ一つが痛々しい。

妻は退院してくるが、入院時のリハビリがあっても足腰が弱り、支えがないと歩行が安定しない状態だ。それが何とも悲しく、現実感あふれる場面だ。そんな妻に手の一つ貸そうとしない夫。そんな弱った妻にどう対応していいか分からないのだろう。もう、見ていられないほどの悲しさを覚える。それは本当にありそうな物語で、自分の老親を思い出したりするとさらに胸が苦しくなってくる。

先人のコメントで「慣れていない人は退屈かも」と書いてあったこの会話劇。だがやはり、自分もそうだが、観客の中にはその会話が胸に刺さる人がいるのだ。前に座った女性はハンカチを握りしめて泣いていた。誰かが亡くなるなど悲しい場面があるわけではないが、このリアリティーあふれる会話のキャッチボールに胸が震えるのだ。もし、自分にとって慣れない茨城弁でなかったら、その思いはもっと強くなっていたかもしれない。

劇団普通の真骨頂はここにあるのだろう。何気ない、一見つまらないとも感じる会話劇が、実は演劇がテーマにすべき日常の機微を思う存分に描き出しているのだ。笑うところがあまりない分(笑っている人がいたが、これは老いを揶揄するセリフであった)、前作の「病室」よりシビアな2時間であった。

ネタバレBOX

キッチンのテーブルがあるだけのシンプルな舞台装置。それは良いのだが、後ろに積んであるスピーカーなど王子小劇場の備品はきちんと片づけてほしかった。とっても気になって舞台に没頭することができなかった。☆5つでないのはこれが理由です。
5月35日

5月35日

Pカンパニー

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/04/21 (木) 14:00

座席1階

5月35日とは、6月4日に起きた中国の天安門事件の隠語なのだそうだ。独裁的政府がいかに住民を蹂躙するか、ウクライナへの侵攻を続ける独裁国家ロシアのことが世界中の人の頭から離れない今、天安門事件の芝居は非常に胸を打つ舞台である。

国家は国民を守らない。守らないどころか抹殺もするし、殺害もする。民主国家になったはずの日本も関係ない話ではない。太平洋戦争当時は政府に都合の悪い情報は報道されなかったし、国家に逆らうものは非国民として断罪され、刑務所で非業の死を遂げた。戦後の日本も、政府を批判する人は排除されている。安倍元首相の演説にやじを飛ばして拘束された事件がいい例だ。
この舞台でも、ラストに近いところで天安門被害者の父に「(命日の6月4日が過ぎるまで)旅行に行ってもらう」と公安が言い放つ場面が出てくる。為政者に都合の悪い国民には消えてもらうという発想は日本だって無縁じゃないのだ。ゼロコロナ対策で強制的に封鎖された上海を日本国民は笑えない。今回の舞台は、そうした類似性を否応なく客席に突きつけてくる。

Pカンパニーの「罪と罰」シリーズは本当に面白い。今回、脳腫瘍で数か月の命と宣告されながら、国家に殺害された息子の命日に天安門で弔いたいという母親を演じた竹下景子、その妻に当初は振り回されながらも、最後は日付も理解できなくなった妻の代わりに決死の覚悟で天安門に向かう夫を演じた林次樹。二人の力のこもった姿は強く印象に残った。権力を振りかざす警察官で身内にいて、家族が引き裂かれていくという筋書きも非情な世界を際立たせた。

ラクガキ

ラクガキ

アンフィニの会

「劇」小劇場(東京都)

2022/04/19 (火) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/04/20 (水) 14:00

座席1階

この舞台を行ったアンフィニの会とは、演劇集団円の演出家・大間知靖子氏と同劇団の俳優二人が2010年に結成した。大きな集団でなく、小劇場での可能性を追求しているという。コロナ禍があったため今回は久しぶりの上演といい、フランスの劇作家ジェラルド・シブレラスの作品「ラクガキ」の本邦初演に取り組んだ。

マンションのエレベーターに何かで刻まれたような「バカ」の落書き。落書きでバカと名指しされた男性は妻と引っ越してきたばかりで、マンションの住人たちの部屋を訪ね回って心当たりがないかと聞いていくところから始まる。
そんな落書き、消してしまえば終わりなのにと誰もが思うが、男性が「書いたものが消すべきだ」とこだわり、それに対応する住人たちとの会話劇は予想外の方向に展開していく。隣人たちとの付き合いを大切にする穏やかな老夫婦たちだと思っていたら、舞台が進むにつれてその本性が出てくるというか、実は差別的な姿勢も見せたりする保守的な人たちだと分かる。一方の男性は理詰めでこだわりのある性格で、住民の老夫婦同様攻撃的な発言をしたりする。まあ、どっちもどっちなのだが、これが近所付き合いの妙とでも言うか、随所に笑えるところが満載の軽妙な会話劇なのである。

笑えるところがあり、客席は実際に笑うのだが、実はその笑いが自分に突き刺さってくるようなところがある。この会話劇、舞台を日本に変えてつくってみてはどうだろうか。一見、仲の良い隣人関係が実は冷徹なところがあって、隣人をこういう人だと決め付けて付き合いの輪からはずしてみたりということは、当たり前にあると思う。そういう意味で、一つの落書きから始まるこの物語は結構強烈なのである。

1時間45分の比較的コンパクトな芝居だが、濃密な会話劇に目も耳もくぎ付けになる。シンプルな演出も好感が持てる。

貧乏物語

貧乏物語

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/04/05 (火) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/08 (金) 14:00

座席1階

河上肇の「貧乏物語」は社会福祉の教科書にも登場する、日本で本格的に貧困を取り上げた歴史的名著だ。社会福祉の教科書に出るのは、今も格差社会が広がっており、社会福祉に携わる者はこれが100年も前から日本に横たわる大きな課題であると知っておく必要があるからだ。こまつ座が24年も前にこれを舞台にしていたとは知らなかった。四半世紀を経ての再演を、新鮮な気持ちで見た。

今作「貧乏物語」の舞台では、筆者の河上肇は逮捕されていて家にいない。登場するのは河上の妻、二女を始め全員が女性だ。特高警察が河上を転向させようとあの手この手で圧力をかけてくる中で、河上の家で働く女中や、同様に当局からにらまれている新劇の女優などそれぞれ強い個性がある女性たちが織りなす多彩な会話劇が、この舞台の核心である。

今回、登場人物そのものではないかという配役の妙を称賛したい。特に、出戻ってくる女中で剛毅な性格の女性を演じた枝元萌と、当局の横やりで上演をつぶされ、初舞台が何度もフイになっている舞台俳優を演じた那須凛が見事である。青年座の那須は自分がイチオシの「横浜短編ホテル」にも出ていた(とパンフレットに書いてあった)。同じ青年座の松熊つる松も切れ味鋭い演技で客席の視線をくぎ付けにした。

タイトルを「貧乏物語」としている戯曲だが、牛鍋やウナギ飯なども登場して面白い。舞台はテンポよく進み、2時間の上演時間は客席の集中力の点からもちょうどいい。
そして何よりもロシアや中国での言論統制のニュースが席巻する今、言論や思想の自由を守り抜くことが、格差社会ではあるが自由な生活をとりあえず維持できる日本社会に不可欠であることを、今作は教えてくれる。

いつかのっとかむ

いつかのっとかむ

パンデミック・デザイン

元映画館(東京都)

2022/04/07 (木) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/07 (木) 14:00

座席1階

東京・三河島(荒川区)で約30年前に閉館した街の映画館がイベントスペースとして復活した、その名も「元映画館」。銀幕も映写室も客席の分厚い扉も当時のまま残されていて、改装ではこうした「遺産」を大切に生かしている。「いつかのっとかむ」はこの「元映画館」を最大限活用した、演劇と映画のハイブリット舞台だ。

観客はチケットを手に入れて開演前に並ぶのは他の公演と変わらない。ただ、開演時間が迫っても観客はなかなか中へ入れない。客席の扉の向こうから「ちょっとトラブルが起きまして」と説明がある。実は、この公演はこの場面から既に、始まっているのだ。

観客は、自主制作映画を見に来た観客として振る舞うことになる。振る舞う、と書いたのは観客として舞台に参加する形になるからだ。物語は、自主制作映画の上映会で、主催の女性「いつか」さんが現れないといってスタッフが慌てているところからスタート。この「いつか」という女性と友人たちの、小学校時代からのつながりや思い出の場面などを織り交ぜながら、「今を生きる瞬間」を味わい、思索する舞台となっている。

銀幕は上映会の映画が途中で止まってしまうところまで「映画館」として使われる。役者たちは客席の周りで動き、まさに「舞台」は目と鼻の先。小劇場は客席と舞台の距離が近いが、本作では舞台と客席の境目がないのだから、観客に間近で見つめられる役者側の緊張感が手に取るように分かる。

日野祥太によると、客席と舞台の境目をなくして演劇が「隣にある」空間を作るのがスタイルとのことで、これまでもカフェなどを会場に上演してきたという。「街は劇場だ」と言った演劇人はこれまでもいたと思うが、映画をテーマに元映画館という会場で演劇を上演するというアイデアはなかなかのものだ。このハイブリッド舞台の世界観に、客席は魅せられていく。

会場に張られた映画のポスターなど、「芸が細かい!」と感心するほどのアイテムが散りばめられている。そういう仕掛けを確認していくのも、この舞台の面白さだろう。また、別のチケットを買うことで、本作で途中で止まってしまって見られなくなった映画を最後まで鑑賞することができる。

風がつなげた物語

風がつなげた物語

グッドディスタンス

新宿シアタートップス(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/01 (金) 14:00

座席1階

今日は「月と座る」を観た。舞台中央にバス停。「珠子」と同じバス停だが、この舞台ではバス停が主役だ。バス停に次々と現れる女性たちはいずれも人生に問題を抱えている。舞台が進むと、その全貌が明らかになってくる。

このバス停は東京・幡ケ谷に実際にある。住む家を失った女性が未明、終バスが出てから始発が通るまでの間、小さなベンチで体を休めていた。ところが、近所の男に邪魔者扱いされ、撲殺される。この事件は注目を集めた。生まれ育った広島では劇団員として舞台に立っていた女性だ。亡くなる前はスーパーの試食販売の仕事をしていたというが、このコロナ禍で仕事を失っていた可能性が高いという。一つ間違えば簡単に路上に放り出される現実。「彼女は私だ」とプラカードを掲げての追悼デモも行われた。

舞台でも、この亡くなった女性について語られるところがある。彼女は行き場がなくてこのバス停に来ていたのではなく、この場所を見つけて「生きようとした」のだ、と。このせりふが「月と座る」を貫く重要なひと言である。未明にバス停に訪れた女性たちも、けして人生をあきらめているのではなく、もがきながらも生きようとしているのだ、と。

この舞台を観て、この登場人物たちの来歴や人生を考え出した劇作家の豊かな創造力に脱帽する。ラストシーンに近づいて明かされる、ある意味で衝撃的な展開が秀逸だ。「珠子」でも語られたが、家族の介護を当然のように女性に担わせるという世間的な空気に、この両舞台は異議申し立てをしている。

この二作は観る価値がある。

風がつなげた物語

風がつなげた物語

グッドディスタンス

新宿シアタートップス(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/31 (木) 14:00

座席1階

「珠子がいなくなった」をまず、鑑賞した。
女三人姉妹の家族。父(モロ師岡)も含め喪服姿で、葬儀を終えて疲れた顔をしているところから始まる。2番目の珠子は結婚していて、その夫の姿も。珠子は母の遺骨をずっと抱えている。「何か食べた方がいいね」と財布をバッグから出そうとするのだが、抱えた遺骨を離さないため、財布を出すのに苦労している。この場面が、劇作の縦糸として最後まで物語を決定づける。

母の遺骨を抱えた珠子と夫は自宅に帰るためにバス停に寄る。バスはなかなか来ず、夫はタクシーを探しに行く。その間に、遺骨とともに珠子は消えてしまった。どこへ行ったのか。ネタバレになるので書かないが、ここから物語はどんどん展開を始める。このバス停というのが、同時上演の「月と座る」で劇作のモチーフになっているバス停だ。舞台の構造は2段になっていて、手前が父が住むこたつのある家、奥がバス停で、舞台は両方で切れ目なく進行する。なかなかの演出だ。

珠子の言動がとても興味を引く。設定では「小学生の時に牛乳瓶を職員室に投げつけるなど、奇行癖がある」とされるが、奇行ではなく、単に正直に行動しているだけではないかと思われる。その謎を解くヒントが、珠子が持って離さない遺骨にある。きょうだいたちもそのヒントを知らない。だから、「珠子は昔から変わっているから」で片づけられ、父や姉妹は珠子がいなくなっても特段探そうともしない。

こんな家族、ないだろうと思われるかもしれないが、自分にはすぐ隣にいるような人間関係だとも思える。少しだけ書くが、父親がぼけ始めたとか、ぼけた父親を介護するのは誰なのか、とか。片方の老親を見送った子どもたちの間に、よくある話だ。
また、父親は「子供には迷惑を掛けない」と言って施設にでも入ると考えているが、「それではお父さん、かわいそうすぎる」と介護を拒否する姉を妹が非難する。そうしたよくある話を体現する会話劇に、客席は自分の身近な物語としてどんどん引き込まれていく。

居なくなった先の珠子の行動に、共感できる部分がある。遺骨をわきに置いての行動は奇行ではない。珠子と亡き母親の会話劇というように感じる。

秀作だ。見ないと損するかも。明日の「月に座る」の観劇ががぜん、楽しみになった。

ネタバレBOX

「母親は家を出て行って孤独死した」という設定。一人で死んだ母親がかわいそうだったとみるか、夫から逃れて自由に生きて死んで幸せな一生だったとみるか。姉妹の見方は異なるし、おそらく客席の見方も異なるだろう。
ネタバレボックスと言っても書くときっとしかられる。それくらい、この舞台は生で見て楽しむ価値がある戯曲である。
彼女たちの断片

彼女たちの断片

東京演劇アンサンブル

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/25 (金) 14:00

座席1階

妊娠・中絶を真正面から取り上げた異色の作品。アンサンブルらしいメッセージ性の強い舞台となっている。

登場人物はすべて女性。石原燃の書き下ろしで、演出家も女性である。中絶は後ろ暗いもので、いけないことだというステレオタイプは、舞台でも何度も指摘されるように男性優位の家父長制の残滓が男性だけでなく女性にも残っているからだ。妊娠とはめでたいこと(おめでた)であり、授かった赤ちゃんをあきらめるのは駄目なことで、しかも中絶の精神的・肉体的負荷は全部女性が背負わざるを得ないという現状に、強烈な異議申し立てをしている。

物語は女子大学生が望まない妊娠をし、ネットで海外の中絶薬を検索するところから始まる。登場する女性はその母親世代、祖母世代とバランスが取れている。途中、ミュージカル仕立てになっていたり、奥行きのある広い舞台を縦横に使ったメリハリのある演出で、客席にメッセージを投げかけていく。

この舞台はこれで洗練され、完成していると思うのだが、やはり妊娠は男性が無関係ではない。もちろん、中絶に至る決断に男性が知らんぷりをしていていいはずはない。
中絶には相手方の同意書がいる(本来は必要ないのだが)というくだりで非協力的な男性の姿が示唆されるが、同じ「彼女たちの断片」を描くために男性も入れた方がよかったのではないか。

自分だけかもしれないが、男性として客席に座っていてとても居心地が悪かった。一方的に責められていると受け取った男性客もいたのではないか(拍手の大きさからいって、ほとんどいなかったかもしれないが)

いずれにしてもリプロダクティブヘルス/ライツでは諸外国に周回遅れの現状である日本。性教育を論じると保守系政治家から攻撃されるという情けない現状にあるということを知るだけでも、見る価値はある舞台だ。

泣くな研修医

泣くな研修医

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/23 (水) 14:00

座席1階

自分が見たのは千秋楽。満員の客席から拍手が鳴りやまぬカーテンコールにこたえた研修医役の山形敏之のすがすがしい、充実感漂う笑顔が印象的だった。

研修医が経験するただ働き同然の劣悪な職場環境など現実的な話は出てこない。国家試験に合格して現場で経験を積む若い研修医のひたむきさや、自分が医師になろうと決めた幼いころのできごとなどを交えながら、一人前の医師に向かって成長していく物語。ハッピーエンドになっているところも素直なつくりである。銅鑼らしい優しい舞台だ。

終末期の患者に対する治療方針をめぐって先輩医師にぶつかっていったり、気管挿管は「数日延命させるだけ」とクールに(あるいは現実的に)言い放つ同僚に「やれることはまだあるはずだ」と食ってかかったり。この研修医のピュアなところが強調して描かれる。途中で挟む淡い恋愛シーンも、もどかしさ満載で微笑ましい。若くしてがんに侵され亡くなる患者と悲嘆にくれる家族の場面では、すすり泣きも漏れた。

社会派劇にあって厳しい局面を真正面から描くシライケイタの脚本とあって、医療の矛盾、残酷さや病院内部の軋轢などが研修医の目を通して描かれるのではないかと想像して劇場に足を運んだが、まったく違っていた。温かく包み込むようなムードを漂わせながら進む物語に、何だか拍子抜けした感じを受けてしまった。そう感じてしまったが最後、何となくだが「医療ファンタジー」というイメージになってきた。これが、自分の場合、登場人物への感情移入を妨げた。

そもそも、タイトルから分かるように、研修医への応援メッセージなのだ。医師の多くがこのようなピュアな部分を失わずにいてくれたら患者本位の医療に近づくのだろうに、と思ったが、どこかこの舞台が現実離れしているような印象がぬぐえず、やはり、心から楽しめなかった。見立てを間違えた自分のせいなのだが。

舞台転換が頻繁に行われる。これも気持ちが途切れる一因になった気がする。

ピローマン The Pillow Man

ピローマン The Pillow Man

演劇集団円

俳優座劇場(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/18 (金) 13:00

座席1階

マーティン・マクドナーの作品は、2016年にホリプロ版の「イニシュマン島のビリー」を見たことがある。孤児で足が悪いビリーと、その幼なじみのヘレン。ヘレンを演じた鈴木杏が生卵を頭でかち割るなどの暴力的なシーンを鮮明に覚えている。今作「ピローマン」もすさまじいほどの暴力、拷問、虐待の場面が続く。個人的な見方だが、両作で共通しているのは、理不尽な状況に置かれている障害を持つ登場人物の、何か真っすぐに光を求めているような心なのだ。それを感じるから余計に、暴力的シーンが際立った「理不尽」として浮かび上がる。

知的障害の兄と作家を目指す弟。弟は多くの作品を仕上げているのだが、それは子どもが凄惨な虐待を受ける物語で、兄はその筋書き通りに子どもを殺害したと警察に自供し、弟も取り調べを受ける。拷問が当たり前のように行われ、警察が罪を断罪して処刑することもあるような強権国家が舞台だ。そういう「設定」なのだが、なんだが現代社会にも共通する空気に満ちているような感じがして、見ている客席の胸を突き刺す。「イニシュマン島のビリー」でもそんな空気の存在がうまく描かれていたと思う。

ラストシーンに至るまで息の抜けない場面が連続し、胸が苦しくなる。逆に言えば、客席にそう感じさせている役者たちが見事だということだろう。主役の作家(弟)を演じた渡辺穣も膨大なせりふをこなす力業を披露しているし、官僚的、暴力的という対照的な二人の取調官を演じた俳優も徹底してその役回りをこなしていた。客席に異様なまでの緊張感が生まれていたのは、やはりこの演劇集団の力量によるものだ、と思う。

一枚のハガキ

一枚のハガキ

劇団昴

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2022/03/16 (水) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/16 (水) 19:00

座席1階

本物の戦争が続いている中での戦争がテーマの舞台。役者にも客席にもある種の緊張感が流れていた。

戦地からの手紙は当然、検閲される。書いても無駄だろうと出さない兵士。どうせ死ぬのだからと出さない兵士。それぞれに待っている妻がいる。この舞台は、そんな二組の夫婦が戦争に引き裂かれる中で、一枚の葉書が大きく人生を変えていくという物語だ。

キャパが大きい本格的な劇場での上演。バックの幕に場の風景を映し出すなどの演出もあったが、せっかくの大きな舞台を生かしきれていない感じ。さらに言えば、舞台転換が頻繁で、細切れ感が強かったのは緊張感か途切れて残念だった。途中15分の休憩もいれる必要はないのでは。客席は明らかに戸惑っていた。

物語は印象深いし、演じる役者たちも熱演だったが、舞台セットや演出が残念だったと思う。だが、戦争のリアルが頻繁にニュース映像で流れている今だからこそ観る価値のある舞台であることには変わりはない。

サンシャイン・ボーイズ

サンシャイン・ボーイズ

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2022/03/03 (木) ~ 2022/03/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/11 (金) 14:00

座席1階

数年前からカトケンワールドを拝見させていただいているファンの一人として、事務所創立40周年おめでとうございます。役者人生としては50周年ということで、今作でも背の高いイケメン俳優の息子さんと何度目かの共演。パンフレットの文章ではお孫さんもいるみたいな感じで。政治家と違って役者に世襲は似合わないかもしれないけど、事務所が末永く続くことを。息子さんには新たなカトケンワールド(息子は健一ではないからカトケンではないが)を切り開いてほしい。

さて、今回はニール・サイモンの名作とのことで、さすがに熟練、相方の佐藤B作との呼吸はぴったりだ。コメディー界の名コンビと言われながらも内実は犬猿の仲でちょっとしたことで大喧嘩になるという間柄。そのケンカのネタで笑わせるのが主体なのだが、個人的には「大笑い」というところまでいかなかった。
それはきっと、コンビの二人が結構、年を重ねているということと、加藤健一が演じたウィリーが病に臥せってしまうというリアリティー感がある物語であることがきっと影響している。病の床にある人のトークを笑っていいものなのだろうかという、気を回しすぎなのかも。でも何だか、高齢の二人のギャグを見ていて、心から笑えないというか、笑うのだがどこかブレーキがかかってしまうというか、そんな思いで2時間半の舞台を見た。

かつての演目で、レイ・クーニ―の「Out of Order~イカれてるぜ!~」があった。これは本当に大笑いをした。ニール・サイモンとは笑いの質というか、空気が違うのだろうか。
でも、周囲のお客さんは(高齢の人が圧倒的に多いが)結構声を出して笑っていらっしゃった。思い切り笑えないようなもやもや感があったのは、自分だけなのかもしれない。



横濱短篇ホテル

横濱短篇ホテル

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/10 (木) 14:00

座席1階

劇作家マキノノゾミと演出家宮田慶子のコンビを「MMコンビ」と言うのだそうだ。紀伊国屋ホール総支配人だった故金子和一郎氏の言葉とのこと。「MMコンビの芝居は間違いなくおもしろい」とおっしゃっていた、とパンフレットにあった。
自分もこの芝居を観るのは二回目だ。「間違いなく面白い」と当然、事前に分かっていて紀伊国屋ホールに足を運んだ。もう一度、初めて見た時の感動というか「ああ、来てよかった」という気持ちを味わいたい、味わえるのだと確信してみる芝居には、特別な味がある。

物語は港にほど近い横浜の老舗ホテルを舞台に、7つの短編から構成される。もちろん、7話はそれぞれ関連している。時を追って登場人物たちの人生を描いているのであり、ホテルという不特定多数が行きかう場を舞台にしているが7つのストーリーは深くつながりあっている。
また、1970年から2000年代まで、その時々の時代のトピックや風俗なども織り込まれ、ああ、そういう時代だったなと50代以上のお客さんは自分の人生に重ね合わせて楽しむことができる。

この7つの物語が人々の心をつかむのは、理屈では割り切れない人間の思い、行動をある時はオブラートに包みながら、ある時はストレートに描き出しているからだろう。いつの時代も変わらぬ、老舗ホテルという味わいのある場所が醸し出す空気の中で、少なからずの偶然が招く運命のいたずらに感謝しながら、人間交差点と言うべき暖かな物語に仕上がっている。

今や青年座の屋台骨であり、ほかの劇団への客演も多数ある野々村のんの絶妙な演技を筆頭に、この舞台の初演の時にはまだ役者をやっていなかった、今回が初舞台の若手の生きのいい姿。バランスのいい俳優たちも安定感を保って今回の再演に彩りを添えている。だから、2回目の鑑賞である自分にも、初めて見るときと同じようなドキドキ・ワクワクの気持ちがあふれてくる。

前回、☆5つをつけたのは間違っていなかった。今回も減ずるところなし。芝居で幸せな気分になりたい人は、見て絶対に損しない舞台である。

 命、ギガ長スW

命、ギガ長スW

東京成人演劇部

ザ・スズナリ(東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/06 (日) 19:00

座席1階

80代の親に50代の子どもがパラサイトする8050問題を題材に、松尾スズキが手作り感満載のコメディー舞台に仕上げた。今回はクドカンと安藤玉恵、三宅弘城とともさかりえのコンビで味わいの違うステージに挑んだ。

クドカン×安藤玉恵の舞台を拝見。クドカンはアル中の50代息子と大学教授、安藤玉恵は80代の認知症気味のおばあちゃんと女子大生を変わり身で演じるのだが、やはり何といってもおばあちゃんと女子大生という落差のある役を演じたあんたまである。声色から雰囲気までキレのある演技で、途中にダンスシーンもある。最近のテレビドラマではメイクでごまかして、若いころも年老いた時もしゃべり方や雰囲気が同じという情けない俳優さんも散見されるが、ここはあんたまの実力というか、レベルが違うというか、プロ意識を感じた。

笑いのポイントは随所にあるが、あんたまの役どころが8050問題でドキュメンタリー映画を撮影しようとする女子大生。現実の8050問題はかなり深刻なのだが、その典型的な親子を「福祉関係者から紹介されて」撮影に入る、という設定だ。ドキュメンタリー取材ではよくある入り口なのだが、冒頭の二人の様子から、これがかなり怪しい。実はこの親子には撮影される理由というのがあって、こうした物語が松尾スズキの台本のおもしろいところだ。

初演と同様に、吹越満が効果音担当で活躍する。効果音といっても全部口でしゃべるというなかなか高度な技が必要と思える役割だ。役者の方は、エア、つまりパントマイムで対応する。こちらもなかなか困難なようで、客席はこれに見入るだけでもおもしろい。

ある意味、夫婦漫才のような流れで舞台が進行するが、そのオチはかなり笑える。ともさかの方の舞台は見ていないが、この舞台、あんたまにははまり役かもしれない。逆に言うと、安藤玉恵ならではの舞台なんだと思う。もう一つ思ったのは、クドカンって俳優なんだな、という妙な納得感だ。

見どころ満載の舞台。人気の大人計画だけに、スズナリは超満員であった。

ネタバレBOX

「やらせはだめよ」というセリフが最初の方にあるが、実はこの8050親子はドキュメンタリーの注文に合わせて見せ場を作る「プロ」の疑いがある、というのがこの戯曲の妙だ。問題の深刻さをことさら強調するような作りのドキュメンタリーがないとは言えない。映像メディアへの痛烈な一撃なんじゃないか、と笑えなくなるのだ。

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