赤目
明後日の方向
王子小劇場(東京都)
2021/12/29 (水) ~ 2021/12/31 (金)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
年も押し詰まったどさくさに「赤目」の字が目に入る。斎藤憐の作、とだけ記憶にあったが御大の王道的作品をちゃんと鑑賞した事は無かったが、幸い配信があり目にする事ができた。
紙芝居の絵描きだった三郎は、テレビの普及で衰退の一途を辿りつつあった紙芝居という手法で一つの作品を書き上げたいのだと言う。周囲には、紙芝居の時代が続くと信じ巡業に励む若手第一人者や、人形劇団を立ち上げて活動を模索する青年、「食えない」稼業を志して来た風変わりな新入りの少女、等が居り、彼らが「表現」に取り組む姿を通して当時の世相を語らしめる。が、やがてこの作中の「現代」から、冒頭紙芝居でそのさわりを見せた「磔茂左衛門のお話」の続きとなる三郎の作品「赤目」がいつしか本域で劇中劇である事も忘れさせて怒涛の如く展開する。殆ど妥協のない権力の描き方に私は「カムイ伝」を思い出したが、長い劇中劇が終わり、前半から時代が下った「現代」に場面が戻ると、今は伴侶(かつての新人少女)との生活を得ている三郎の苗字=黒田の黒と三から、「あ、白土三平だったか」と漸く思いいたった。
学生運動の事を言ってるらしい「たった数年前のあの出来事」という台詞が、観客に届かせる台詞として言わせているので、相当古い作品らしいと気付く。高度成長のさ中、冷戦構造の恩恵を被り、国家の罪責が不問に付される現実に、若者は自らのあり方を問われ、その多くが社会運動という形態に流れ、また表現する者は当然表現の意味を問われていたんだろう。世代が違うので想像するしかないが(もっとも変わり者の私はその「想像」の材料を学生時代殆ど義務のように漁った口であったが)、作者はこのことについて書かずにおれなかったのだな。
斎藤憐戯曲は10年以上前、あるアマチュア劇団が果敢に挑戦した舞台を見て、現代の社会派戯曲のスタンダードな筆致に思えたものだったが、今作で全く印象が変わった。
舞台成果としては、魅力ある役者の立ち姿もさりながら、3度目位になる久々の黒澤世莉氏の演出が堂に入った印象である。
とにかく劇中劇となる「赤目」には痺れた。
#31.5『パブリック・リレーションズ』
JACROW
雑遊(東京都)
2021/12/21 (火) ~ 2021/12/26 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
正月に配信映像を鑑賞。画面クリックですぐ本編に入り、無駄な場面なく見入って1時間半、番外公演らしいサイズでも中身十分の饅頭であった。
終幕の場面の続きがあっても良さそうだが、問題が出切った所で話を切り上げている。
「クィンテットPR」という企画会社を起業した5人の船出の日と、その7か月後の状況が描かれるが、出だしで社長が「大きな夢」を語り、威勢よく乾杯と来れば、前途多難を予感せずにいないが、場面変って七か月後、豈はからんや成功譚とは程遠い状況である。早くも内憂でガタついている。一方彼らの企画の売り込み先であるテレビ局(制作会社?)側の内部事情も描かれ、「業界」に横行しているだろう非公式な売込みやパワハラぎりぎりの駆け引きを十分想像させる場面のリアリティは、その八方塞がりに観客を鬱屈した気分に落とすが、索漠として映じていた風景に真実の水脈が見えて来る。
しがらみが支配する業界での新規参入は、「良い企画を売り込む」だけでは立ち行かない事が素人目にも想像できるが、その通りに会社の業績が思わしくないのは、社長の「勝算」の裏付けがなく(芝居では殆ど表面に出て来ない)、社員を叱咤するしか能がない(そういう場面しか切り取られていないので)事が原因でしょ? というあたりをチクリとやりたい芝居かな、と前半「勘違い」したが、実は違った。不良がたまに良い事をすると好感度抜群、みたいに、この芝居では人の熱意や善意が蹴散らされておかしくない(視聴率至上主義の)社会の中で、筋を通そうとする人間の意志が一抹の希望を担保するのだ、という話。
巨大資本に利するための制度的足場が整えられていく(またそういう話題が報道に乗らない)日本で、私は殆ど希望を見る事ができないが、この芝居のディレクターのように視聴率を慮りながらも社会に寄与する情報を選択的に流す、という筋を通す人間が(意志が)風向きを変える事もある、人間捨てたものではない、という作者の思いは受け取れた。
リーディング公演 「ローマ帝国の三島由紀夫」
一般社団法人銀座舞台芸術祭
シアター風姿花伝(東京都)
2021/12/29 (水) ~ 2021/12/31 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
今年の見納めに、目の覚める激烈な舞台に遭遇した。
リーディングの範疇に収まらない内容でもあるが、「リーディング」が上演形態に相応しい戯曲とも思われ、いずれにせよ元が取れた。
俳優陣を見て観劇。完売のところ当日券を買ったが後方の席はまだ幾つかあった。「東京crossing舞台芸術祭」とは初めて聞く企画。観客動員の不安から縁故にチケットを蒔いた分だろうか?等と余計な推測をする。
俳優陣は七味まゆみ、武谷公雄、SPACの貴島豪と実力派の曲者揃い。比較的著名な成河の名は後でパンフで「そうだった」と思い出したが、間近で見るのは初めて。
戯曲自体は中々晦渋であったが、題名は「ローマの一日」とでもした方が判りやすい(多層的なので題はシンプルな方が)。ただ、そこにいるのは皆日本人で、「三島由紀夫」は恐らく日本人のメタファだろう、「本人」への言及は僅かしかないが日本人論は語られる。「その部分を見よ」という作者の目印が「三島由紀夫」だったか。。
演出はカクシンハンの木村龍之介氏。滑らかとは言えない戯曲だが骨は太く噛むと歯が折れる。
vitalsigns
パラドックス定数
サンモールスタジオ(東京都)
2021/12/17 (金) ~ 2021/12/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
たまに観るパラドックス定数、前回は風姿花伝の過去作連続上演の最後だったか(オーケストラのやつ)。今回はSFというので気になっていた。
冒頭から危うい体調だったが、闇と静けさに囲まれた深海での出来事が、徐々に不気味さを増す(映画「エイリアン」に似た感触)サスペンスを中盤まで堪能した。が、後半、二度程の寝落ちでぽっかり空いた穴を埋められず、最終場面を見ても「どう終わったか」が把握できなかった。
他の方の感想を見ると「前半が良かった」ようであるので、美味しい所は味わわせてもらったらしい。それはそれで良いか。
徒花に水やり
千葉雅子×土田英生 舞台製作事業
ザ・スズナリ(東京都)
2021/12/15 (水) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
観たい公演のリストは当然だが月日と共に増え、今数えてみると月30~50位になっていた(実際観るのは10~20)。ところがこの12月は70以上。東の演劇事情は盛況也。配信でリベンジできる公演があるのは有難く、本作もその一つ。
配信に伴う悪条件を物とせず、面白く楽しく観れた。声は大きく台詞は判りやすくキャラも演技も明瞭。よくよく見れば、ヒロイン役の田中美里以外は4名とも皆戯曲を書く俳優である。
最後をどう仕上げるかは書き手が最も考える所だろう。土田氏の本は話の締めを「イイ話」に着地させる印象があり、ヤクザ(の父=故人)の絡む話にしては、アウトローの世界から軸足が最後は普通人の世界に戻る感じがして、私としては些か淋しかった。芝居に頻発する笑いは「着地」する前の「期待」の笑いである事が多いが、反社、アブノーマルな家庭環境、頭は悪いのに裏社会の事情は「肌で読める」等々のキャラ・設定から生まれる笑いは、「逸脱(解放)」の快感がもたらすものである(枝雀の「笑いは緊張の緩和」理論は汎用性高いな..)所、最後は「はみ出た」場所に着地はしなかったな..というのが、この芝居への唯一の不満であり、だがそれがラストである故にやはり無視できないな、となる。
が、、美味しい場面は癖になるもので。もう一回は笑わせてもらおうと思っている(配信でラッキー)。
樹影
ケイタケイ's ムービングアース
シアターX(東京都)
2021/12/28 (火) ~ 2021/12/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シアターXでの上演で名前だけ認識のあるダンサー・振付師だが、もう古い人らしい、とどこか避けていた(経歴もよく知らず)。今回は別の芝居と迷ったが、結局こちらに足が向いた。客席は結構埋まっており、若い人も割といる。
演目は二つあり、古木を使った「樹影」が、シリーズ化している「LIGHT」のナンバー○○を前後で挟むという構成であったが、両者は一体化していた。シンプルで力強く、古木が屹立する姿に照明が当たり、ケイタケイの無心に事を為す風情が、絵として強いインパクトを与える。「音」は控えめだが風景に深さを与えていた。少なからず関心がもたげた。
レクイヱム
小田尚稔の演劇
SCOOL(東京都)
2021/12/22 (水) ~ 2021/12/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今回は新作だろうか。確かに「死」にまつわるエピソードが、「小田尚稔の演劇」の手でそれぞれの原石に光を当てられている。SCOOLでの二作目の鑑賞となったが、スペースを有効に使い、適度な密度と広がりがあり、ちりばめられたユーモアが小さな灯をともす。時間を自由に行き来する遊戯の中に身を浸した、という感じである。
若者をもノスタルジーに引き込むだろう車窓を過ぎる夕刻の映像は開演前から背景の白壁に流れ、置かれたデスク上のスタンド等が下辺に影を写して物憂げにリアル空間と映像を馴染ませている。
本レパも再演を重ねて行くだろう事からエピソードには触れずにおく。
境界
Noism
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2021/12/24 (金) ~ 2021/12/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
名を知ってかなり歳月が経ったNoizm、初観劇。一度見て面白かった山田うんと作品を出し合う公演、という事もあって足を運んだ。
別の作品とは言え、Noizm0、Noizm1とあるので出演はNoizmメンバー(山田うんのは若手、金森譲のはベテラン)であるようだ。
どちらが先か知らずに見始めたが、一つ目開演早々既視感。3、4人がステージを斜めにユニゾン、軽快に前へステップする動きにブレーキがかかって片足を出した所が停止点、また同じ軌跡を戻る、というのは山田うんのもの。舞踊には個性が否応なく滲む。たった一回の観劇でも焼き付いたのだろう。全編に穏やかなクラシック(室内楽)が流れ、音楽のみではステージの意図は汲みづらい。特徴的なのは衣裳で、春を思わせるが微妙な何か意図があるような・・淡い原色系の数種類の色を全員違うパターンで切り貼りした感じだが、「自然」か「人工」か狙いが不明、あるいは「人間の営為に自然などない」の意か・・。山田氏の出自がそうなのか、クラシックの影響か、バレーに寄った印象。技術を習得した若者がその技術も披露する「如何にも舞踊」な群舞であったが、ふんわりとして今ひとつ掴みどころが無かった。一人だけ体格の良い西洋人が男性だな、と見ていたが、終演後一列に並んだ顔を見ると半数が男性と見え(短髪の数)、ユニセックスな世界が狙いだったのかな・・?等と考えてみた。舞踊の娯楽の第一は身体の動きの視覚的な快楽、音楽とのコンビネーション(リズム感)にあり、要は理屈ではない訳だが、ピンと来なかったのは「境界」というコンセプトが醸す「攻めた」ニュアンスとかけ離れていたからか。
一方Noizmは荘厳という言葉が相応しい舞台。出演者は三名、高貴さをまとう白い衣裳の女性?と、黒をまとった武術的な動きをする二人。何もない舞台に、簡素で大胆な装置が場面によって挿入、そして照明を駆使して独自な世界観を見せる。山田うんの時は「白いリノリウム?」と見えたのが、黒になっている(15分の休憩時間に敷き直すのは無理だろう)。空間と時間、生命、人間の営みの反復といった、何か本質的な領域に触っていそうな視覚的なイメージが強烈である。そして、「見た事のない」風景が現前していた。
同じりゅうとぴあの「演劇」部門では笹部氏によるギリシャ悲劇の(ギリシャ悲劇だけに)荘厳な「赤」のイメージを思い出したのは、偶然か。
海王星
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2021/12/06 (月) ~ 2021/12/30 (木)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
この入場料ではまず劇場観劇は無しだが、配信があるというので、寺山修司作品を、我らが真鍋卓嗣(小劇場演劇の演出では第一線)がどう演出?という興味で拝見。(出演者で気になったと言えばなじみある内田慈、「彼女と言えばこう」というイメージを破り、健闘していた。)
だが色々と物足りなさを語れば尽きない舞台であった。配信は「音」に難があり、できれば2回見ようと思っているが、今回は短い配信期間の中で都合2回、鑑賞できた。よって芝居の全容もほぼ把握できた。
冒頭の歌から全体の歌に行く出だしの運びは寺山舞台の要素があって良かった(主要人物以外は皆、白と紅の白粉でアングラ感を出し、灯りが入ると人形のように静止し、ホテルの広間の上部のプラットホームが演奏エリアなのだが、指揮者が神然として人間界を音で翻弄する的な風情。)
しかし・・寺山作品にしては「ひねり」が無い。戯曲としての出来は確かにありそう、ではあるが、それより気になったのは、主要人物の台詞の「言い」にひねりがない。ある感情を直線的に表現する。(白塗りのコロスは「いかがわしさ」を漂わす演技をやっていたが、コロスとして一体的に存在している感はなく、リアルな演技と見分けがつかない。)
特に気になったのは、松雪泰子がスレた女が若い男にのめり込む大胆な演技に振り切れず、歌もあまりうまくなく(これが決定的か)、おっかなびっくり演じている。映像畑が長いせいかショットを撮らせる的な「見せる」演技にとどまり、内から滲み出るものが少ない。(この女優の限界を感じたのは映画「フラガール」のラストで、非常にもどかしく勿体なかった。)今回は主役と言える役、だのに。。
寺山戯曲に臨むなら、役の二面性、多面性、要は二重人格?くらいに切り替える謎めきの度合いが欲しいが、全体にストレート演技である。にも拘わらず、テンポは緩い。たっぷり演技は「探る」演技との定理が当てはまるか。本来複雑な(つまりひねりのある)人間感情が、埋まらない感情表現で時間が緩いので、上演時間の長さの理由はこれか、と思う。
コロスたちの一癖二癖あるキャラとの対比を、演出は中心人物(山田裕貴、松雪泰子、ユースケ・サンタマリア、伊原六花)に求めたのかも。
ひねりと言えば、音楽にもひねりが少ない。個々の楽曲ではユニークな成功しているものもあり、才能のありかは認められるものの、芝居が語るものを受けて芝居が語れないものを埋め、繋ぐバトンとなる楽曲でなければ、音楽劇である意味はない。台詞の説明のための楽曲が散見され、何とか「台詞を喋った方が良い」というレベルは脱していたが「台詞を言うより断然いい」という場面を作った楽曲は限られていた。
本舞台はミュージカルではないにしても「畑違い」である真鍋氏がてこずったのは音楽担当だったのでは、と勝手に推測。
戯曲の作り(ト書きの指定も?)が根本的な問題であったかも知れないが、戯曲の立体化としての成功はもっと狙えたように感じる。ただし、もっと高いお金をとって客を呼ぶだけの「コンテンツ」にする使命がもう一つ加わったとすれば、その事自体が作品の質を薄めた理由だったかも。
泥人魚
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2021/12/06 (月) ~ 2021/12/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新宿梁山泊のテント芝居が実力派俳優の客演でコクーンに出現!の趣きである。金守珍演出第二弾の「唐版 風の又三郎」が空間的スペクタクルに酔わせる作品とすれば、本作は言語によるハンドリングの比重が大きい印象。唐十郎戯曲の本質とは言葉一つで風を起こす(実は観客に想像力を駆使させる)ものである、との勝手な仮説で言えば、テントという小宇宙だからこそ、言語によるスペクタクルが屋台崩しのファイナルでせめて空間的スペクタクルを具現して溜飲を下げることが可能。というのが(私が唐戯曲を多く味わった)梁山泊の芝居であり、いよいよ金守珍は唐戯曲をテントでない劇場・・装置の置き場に困らない広いステージと座って痛くない椅子のある劇場で、日和らず(唐ファンでは必ずしもない)観客の前にストレートに差し出したのだとも見える。
作家・唐十郎としては晩年の戯曲になる今作は、まず台詞に負わせた「飛躍」の度合いが従来作以上に高く、また物語を動かすアイテムとなるキーワードとキーマンも従来作以上に多い。生々しい現実の断片と、詩的イメージに属する断片は、小賢しく擦り合わせをする事なくぶっきらぼうに並存する。
本作が実際の社会イシューの暗喩であると判るのは、「諫早」という地名が出て来た時。芝居の前半で「湯たんぽ屋」に必要な材料であるブリキの板が景気よくエッサと運び込まれるが、店の中に一列、上手から順々に並べられる、という奇妙な場面の伏線が、そこで氷塊する。
(あるいは初演当時、観客はあのブリキの板の列を見ただけで諫早のギロチン板を想起したかも知れぬ。)
当地での農業と漁業の利益相反を、元の自然を大規模に改造する事によって片方に利するという無理筋な政策が、通ってしまうのを見て胸が痛くなった人は少なくないだろう、私もその一人だ。
作品はこの一つの現実に対する唐氏なりの昇華、というより代償行動の賜物で、観客にとっては未解決な元ネタが現実に存在し、しかもドラマの背景にとどまらず中心に絡んでいるという点で、特殊な演目ではないかと思う。
海へ帰って行くやすみは、船で育った来歴から人魚の化身と噂されるが、作者が地元諫早の「外」から持ち込んだアイテムである人魚は、外海から遮断された壁の中で滅んだに違いない生態系の象徴であり、この物語は「既に死んだ」存在への鎮魂歌となっている。ここで言う「死」は物理的な死にとどまらないだろう。あの光景を見て、何かが死んだと感覚させる源を、説明する事はできないが、唐十郎がラディカルを込めようとした作家魂は確信される。
サワ氏の仕業・特別編
劇団ジャブジャブサーキット
こまばアゴラ劇場(東京都)
2021/12/16 (木) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
岸田國士の作品名をもじった回文風のタイトルは内容と殆ど無関係だろうと踏みつつ、ただ二年振りの東京公演への気負いは込められていそう・・と、そこは仄かに期待してアゴラ劇場へ赴いた。
率直に言えば、はせ氏の戯曲の「端折り」の傾向が行き過ぎの感。中盤意識が飛び(体調も↓であったが)言葉は耳に入って来るが意味内容が脳内で像を結ばない状態、
「これは何なのか」が判らない時間は冒頭から始まり、長い。パズルの最後のピースが嵌まらないと全体が見えてこないんではないか、という位の勢いで、ジグソーパズルなら目に見えるが演劇では前の場面は記憶が頼り。解かれない伏線が折り重なってはとても覚えていられない。
という事で、戯曲が掲載された雑誌を買い、たまたま載っていた作者の寄稿を読むと、最後に公演の宣伝があり、「掲載された台本を読んでも判らないだろうから舞台を目で見てほしい」と書かれてある。何ィ~、である。冒頭から読み始めた台本だが、一場での二人のやり取りのヒントの無さ。観劇中の睡魔は自分の体調だけのせいでもなかったかも、と。。
そんな訳で、台本を読んでから感想を書こうと考えていたが、それに割く時間はないと断念した。(何年か前同じ雑誌に載った「見なかった芝居」の台本を必死に読んだがやはり難渋した記憶がある。)最後に観たジャブジャブの舞台は判りやすかったが・・。
『水』/『青いポスト』
アマヤドリ
新宿シアタートップス(東京都)
2021/12/16 (木) ~ 2021/12/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「青いポスト」観劇。二本立て公演が多い劇団だが制作的にもこれが合っているのだろう。思い出せば昨年の二本立て「生きてる風/豚に真珠..」の後者も観ていたのだった。こちらは「生..」を観るつもりで予約し、都合が変って日時変更したら演目も変わりall女子の「豚」の方を観たという顛末だったが、今回も蓋を開けるとall女子芝居。
主役と身内以外の人物たちは関係性も判らないが(もっとも判った所で..という感もあるが)、芝居の勘所はフィクショナルな設定の成立の度合と、視覚的・美的仕上がり具合、という点では、久々に見たアマヤドリの群舞は相変わらず(苦手なやつ)ではあったものの、型のレベルは高くその分だけ仕上がり良く、つまりは劇的な高揚を舞台にもたらしていた。
私の心にそっと触れて
メメントC
新宿スターフィールド(東京都)
2021/12/16 (木) ~ 2021/12/22 (水)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
こういう芝居に遭遇するたび、「芝居に敵うもんはなか」とドヤ顔したくなる。体内物質の分泌が促進され、血行も良くなり尻の痛さを忘れる。良い事づくめである。
劇場観劇を諦め、配信を選んだが、正直音声はよくない(録音マイクが舞台から遠いのだろう、ノイズレベルかなり高い)。見始めて一瞬しまったと焦ったが、意外やすぐ芝居から目が離せなくなり、休憩を挟んで終いまで演劇的快楽を味わった。
・・という事で、公演は終了し後は配信しかないが、自分的には配信でもお勧めである(ただし「巻き戻し」せずに鑑賞するには音量の上げ下げが必要かも。)
主催がメメントCと山の羊舎とあり、メメント→山下悟氏へ演出依頼したのだろうと勝手に想像していたが、実は山の羊舎の企画であるようだ。舎の主たる活動は別役実作品の上演で(それも年一回あるか無いか)、2015年別役フェスでの「後ろの正面だあれ」は私に別役実世界の魔力を見出させた一つだったが、このささやかなユニットが昨年上演した「メリーさんの羊」(山の羊舎の前身が「メリーさんの羊を上演する会」という一風変わった集団)に、女1役で出演した民藝・白石珠江が今作での妻役。その夫である認知症を発症した元医師(奇しくも認知症にも通じた脳外科医)と共に実にハマり役であった。
舞台は基本、老夫婦宅のリビングらしい場所で、介護事業所のスタッフや夫婦付き合いの長い旧友、新たな夫(二番目)連れの娘といった訪問者が夫婦の「現在」に絡むが、やがてかつての同僚で職場を追われた元医師(現看護師)や、難病を患い僅かな希望にすがるように治験に同意したピアニストの登場によって「過去」が顔を覗かせ、老医師の現在を形作っているだろう人格の構成要素が見えて来る。そしてそれらは同時に、医師自身の手(脳)からこぼれ落ちて行くものとしても描写される。
この芝居が醸し出す面白さの源をうまく説明できないが、久々に嶽本女史の書いた言葉のユーモアと力強さに触れた。
胎内
桜美林大学パフォーミングアーツ・レッスンズ<OPAL>
PRUNUS HALL(桜美林大学内)(神奈川県)
2021/12/12 (日) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
公演2日目に知り、既に満席との事であったが週末どうにか観る事ができた。十年程前だったか、確かシアターミラクルで観た「胎内」が三好十郎作品を観た最初だった(と思う)が、敗戦後間もない頃、洞窟の中での少人数の芝居とだけ記憶にあった。
毎回思う所だが、スタッフ(舞台創造、制作とも)の仕事の抜かりなさが今回は役者が3人のみである事でとりわけ際立った。入口から天井まで洞窟内に仕上げた美術、土、水のしたたり、小道具、照明。役を演じるには若いがエネルギーでカバーして余りがある役者たち。休憩を挟んで140分圧倒された。
TOGE
カンパニーデラシネラ
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2021/12/17 (金) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
デラシネラinKAATは昨年に続いて外国人ダンサーとのコラボ作品。ちょうど一年前の「knife」は世相を反映してか抽象度が高くトーンは陰鬱に思えたが、今作は女性5名(+時々小野寺修二)のユーモアに富んだシーンが連なる。もっとも冒頭で照明に照らされるのは町を見下ろすように設置された、無機音を出しながら左右に首を振るたレーダー探知機のようなものと、警報スピーカーのようなもの。監視社会、戦争を想起させる。暗転後、パフォーマンスはまず椅子を使ったもの(離脱を食い止める動きが入れ替わり立ち替わり)、次が紙(オフィス、書類のよう)、大きなゴムの輪を自在に使ったもの、カラスの鳴き声へのリアクション、等々。マイムというジャンル自体にユーモアが不随する事を思い出させると共に、小野寺氏の発想の自由さ、表現の幅広さ・深さ(微細な動きに意味が宿る)に魅せられた。脳ミソに養分注入の1時間。
桜の園
SPAC・静岡県舞台芸術センター
静岡芸術劇場(静岡県)
2021/11/13 (土) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今年5月駿府城公園での「アンティゴネ」野外公演以来のSPAC観劇。
静岡芸術劇場での観劇となるとコロナ直前の2020年2月「メナムの日本人」以来1年半振りだ。
早速芝居について。
フランス人演出家によるフランス人俳優と合同のチェーホフ作品舞台。舞台下(側面)の字幕表示を時々読みながらの観劇であったが位置的には見やすく大きな支障ではなかった。アート系な演出はさほど意外性がなく、大気音(ゴォォ)や明確な和音にならない音響が微かに鳴り、照明も抑え気味で、ロシアの空を思わせる鈍い光を放つ巨大なホリゾントにさえ人間が影に見える位。これらは舞台上を対象化させ、観客は地球上、歴史上の一点のはかない生を見る感覚を持つ。
実際には光は当っているのだろうが、絵画的な印象がそんな具合で、俳優も然り、各人ユニークな人物像を演じているが脱色され、だだっ広いステージの上で一人一人にフォーカスされず、観客からはどこかよそ事という感覚である。
そんな事で、今受ける印象の範囲を大きくはみ出す事はないだろう事が予想されてしまうので、眠気が襲う。またフランス語の発語というのが(仏映画もそうだが)感情の直接的アタックがなく(異言語ゆえ?)、日本人俳優が発語する場面との落差も大きい(各国俳優は母国語で台詞を喋る)が、劇が進むにつれそれは幾許か融合し解消された感はあった。
眠気は襲うが入眠には至らず、字幕の読みそびれ程度で済んだ。ただし、ストーリーを把握していなかった「桜の園」の予習をしていなければ爆睡したと思う。
その上で演出の意図を肯定的に感じた部分は、俳優らがマスクを着用している事と関係するが、現代、殊にコロナ期以降の厭世観を体現した舞台になっていた。
SPACの方針なのか、5月の野外公演でも布の口当てを着用していたのには驚いたが、今回もマスクを当てており、最初はげんなりしてしまったが、不思議と声が籠る事はなく(通気の良い素材を選んだのだろうか..とすれば感染対策ではない)、見た目の違和感もなくなり、最終的には現代を映す衣裳に思えてきた。
疚しい理由2021
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2021/12/15 (水) ~ 2021/12/22 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
feblaboらしい作品、と言える程観ている訳ではないが、よくやられる議論物もワンシチュエーション、程よい謎解き、どんでん返し、つまりは演劇的娯楽性の高い演劇だ。
台詞が重ねられると共に状況が、人物の関係が見え始め、真相に接近していく、また時に裏切られるいわばミステリー。久々にブラジリー・アン作品を味わったが、良品と言えるだろう。
もっとも不明のままの部分もなくはなく、もっと言えば別の解釈もあり得るのではないか、という考えももたげる。3人芝居、2チーム。演出が違うとの事である。戯曲解釈まで変えて来るとしたらこれは中々のチャレンジだが・・。
ガドルフの百合
KARAS
シアターX(東京都)
2021/12/10 (金) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アトリエを出てシアターXで行なう公演では、着想とその突き詰め度(完成度)を試す気概の感じられる舞台が味わえるので可能な限り行こうとしている。今回は紗幕を使い、照明も毎度ながら鮮やかで、側面に映る影を見せる場面も多い。
開幕するとテキストの朗読(以前の「シナモン」もアトリエのアナウンスも特徴ある声だと思っていたが佐東女史のであるらしい)が流れ、作者の化身と思しき男が歩いており、やがて風が吹き、遠くで雲から稲光が漏れるのが見え、やがて風雨に襲われ行く先に見える小屋に逃げ込む・・といった宮沢賢治の短編のテキストが勅使川原氏のムーブのようなダンスと合わさって立ち上がる。男は建屋の中に光る白いもの、やがて百合だと判るそれを見つける。彼はその百合に恋をする。
佐東は百合を形象し、純朴で妖しい動きを見せる。一方勅使川原は旅に疲れた男を踊りで「演じる」。
上演の中盤までは物語をなぞり、見事な世界観。陶酔へ誘うのは「物語性」である。が、物語は早々に凡そ言い尽くされてしまう。その先は、勅使川原と佐東の「舞踊」となる。テーマが物語に沿っていても、表現は舞踊であり、舞踊というものは如何ようにも題名を付ける事ができる抽象性がある。姿態の美を見せる時間となる。そして最後には物語に戻り、「恋」の美しげな形、絵のような構図を見せてカットアウトとなる。
舞踊とは言え、冒頭から「物語」を追って観ているので、「舞踊」という抽象世界に入った瞬間戸惑いを覚える自分がいた。そして最後は既に語った物語の一片をリフレインしたもの。
最初から「舞踊」鑑賞モードであればまた印象も違っただろうが、物語を味わうが故に、とても見やすく飲み込みやすかった。ところが宮沢作品の終了と見えた所から、芝居のコールで歌う歌のように舞踊がサービスで踊られ、さらに、既に語った物語の一場面あるいは物語を象徴する場面が巻き戻して再現される。終盤のくだりは「付け足し」(サービス)と感じられたが、好みから言えば、「物語」叙述を上位に据え、1時間前後のところで終了しても全然良かった。
クリスマス・キャロル
劇団昴
座・高円寺1(東京都)
2021/12/02 (木) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
同じ劇場(座高円寺2)で観た「ラインの監視」が初の昴であった。「クリスマス・キャロル」は座高円寺のラインナップに上ったので注目した。隣のオバさんペアの会話によれば「この劇団はこれずっとやってる」恒例の演目らしく、ネットによると前回の2017年まではほぼ毎年あうるすぽっとで上演、本拠地三百人劇場閉館の2006年頃からのデータでは菊池准台本・演出、やがて同台本を河田園子演出、エスクルージ役はほぼ金子由之とあり、近年の6回は12/24・25劇場ホワイエでの無料公演となっている。だが4年空けて復活した今回は、海外の脚色版を河田が演出した有料公演である。劇場も変わり、スクルージ役は宮本充、新版クリスマスキャロルであった。
過去データを調べた理由は、「長くやっている」舞台にしては・・?というちょっとした違和感。当初から音楽は上田亨となっているがシンセ音の伴奏が今風。演劇アンサンブルの往年のレパ「銀河鉄道の夜」のような磨かれて黒光りした感がなく、後出しじゃんけんのようだが「新版」だと知って合点が行った。
この原作には昔からピンと来ない所があって、今回は芝居を観て改めてその事に思い当たった。一人のリアルな存在が変化して行く過程というより、グラフィックソフトで合成した顔のように色んな「困った人」の要素を詰め込んだスクルージという存在と、対比させる形で理想的な人間のあり方を提示した作品、という風に解釈すればスクルージの言動の矛盾も気にならないのだが、芝居となるとそれを追ってしまう。「困った」要素を脱して理想に近いスクルージとなったラストの場面は爽快で、これは私流に言えば自己矛盾なスクルージを辿る時間を脱して、自我同一性を獲得した事による気持ちの良さと、「良い人間になった」喜ばしいラストとが混同され(という言い方が意地悪ければ、重ねられ)、劇的高揚とともにラストを迎える事が出来ている。
つらつら振り返ってそのように納得されたものである。
帝国月光写真館
流山児★事務所
ザ・スズナリ(東京都)
2021/12/08 (水) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初・高取英作品。氏が主宰する月蝕歌劇団にまではついに触手が伸びなかったが、2018年没した高取氏の追悼公演という事で「珍し物見たさ」も手伝って足を運んだ。
寺山修司と所縁のある人であり源流のある劇団、という印象であったが、チラシ絵が同じ丸尾末広“系”?でつい混同してしまうA.P.B.tokyoというユニットや青蛾館、また後に知ったが池の下が寺山戯曲を上演するのに対し、こちらは高取作品の上演が主であったようだ。「月蝕歌劇団」とは若き高取氏が初めて寺山氏に提供した戯曲。劇団旗揚げは1986年に遡るがそれに至るまでの数年「演劇団」名義で高取作・流山児祥演出による舞台を数本やっており、今回の作品はその最後にスズナリで上演した作品である由。当時からスズナリは演劇人にとってのステータスで成程流山児氏にとっては記念碑的な作品な訳である。(以上観劇翌日にweb調べ。)
さて舞台。音楽・歌の使いようは演出面で天井桟敷に寄っており(私は万有引力を通して知るのみだが)、廻天百眼などの音楽系アングラの源流に触れる新鮮さがあった。戯曲版「ドグラマグラ」等の著作がある高取氏の本作は、ストーリー的には唐十郎に近い言葉を媒介した話運びもありつつ、内容は猟奇探偵物のエッセンスで染められている。
軍靴の響きが高まる昭和初期、紙芝居に登場する赤マントが帝都に出没し、暗躍しているという・・冒頭2人の少年が一方の父の月光写真館なるものを探して冒険の旅に出るが、やがて闇の世界は現前し、憲兵隊、宗教団、赤マントらを操る男や、極秘研究に打ち込む科学者がけん制し合いながら何かを巡って動いている様相。何やら剣呑な原子(幻視?)再生機の完成が一つのエポックとなるが、果たして・・。
伏線回収の精度は正直低いが、目指している世界観は判りやすく、この路線の開拓者の一人と認識した。