tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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mono drama live vol.1 【ROLE】

mono drama live vol.1 【ROLE】

劇団ロオル

シアター711(東京都)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演じて書ける演劇人として数年前、今井夢子とこの本山由乃両名を同時期に知ってより、目にする機会がなかったが今回、今井女史提供の作品も合わせて本山女史の仕事を観る事ができた。舞台の構成は一人芝居の短編4つ(3つは外部依頼で本山出演、1つは本山執筆で日替わりゲスト出演)の内3つを上演する形。本山作は毎回で他の三つの内二つを合せたセット上演にしている。
自分が行けたのはゲストが高取氏存命時にはお目にかかれなかった月食歌劇団の白永女史の回。他二つは石井飛鳥(廻天百眼)作と、今井作。間に本山作が来る。前説から芝居がかった導入と幕間の語り(伊井ひとみ)が入る。
梁山泊で度々見ている(はずの)本山女史を改めて眺め、金守珍譲り?の芝居魂を見る思いがしたが、私は中身も面白く観た。一人芝居をやり切ったというだけでリスペクトの対象だが、(劇全体としての重量は落ちるとしても)観客との交流は濃密になる。

民衆が敵

民衆が敵

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2022/05/05 (木) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像にて鑑賞。
古城氏の脚本はテーマに対する思考実験の要素が強い印象があるが、本作も例に漏れず、大衆の印象操作、政権批判つぶしが具体的にどのように行われているか、が正面から(政府組織は仮想のものだが)描かれる。
実行部隊は「官邸何とか調査室」、略して官調と言い(間諜に掛けてるのか)、国の政策を批判する運動や言説を監視し、取り締まる汚れ部署(公安がもっと先鋭化したイメージ)だが、ベテラン部隊員(奥村)は男手一つで育てた娘=主人公(北澤)の恋人が実は部隊で現在マークしていた男本人と知る事になる。
部隊はネットを使った世論誘導にまで手を伸ばし、内部でも不満がくすぶるが、主人公が(恋人を通して)関わった改憲に反対するグループ(人権理解を深める会という)の中でも、主戦場をネットに移そうという動きが出て対立したりと、ネット世論にも言及する。
「支配」の存在を意識化させる作品であり、立場を違えてなお人として繋がれるのかというテーマも流れている。

二度目を鑑賞し、一度目は聞き流していた終盤の大事な情報、場面に気づいた。
恋人との悲しくも胸に迫る別れの場面の後、父と娘の静かな長い会話の場面である。その前に、幾つか場面を遡れば、娘と恋人との会話の中で、娘がデモに参加した事を父が知っていた事への疑問が浮かび、恋人は父は「官調」ではないか、と言う。その後の場面では、父を尾行中に気づかれ、父娘が言葉を交わすが、その中でフリーライターでもある恋人が娘に名乗っているのはペンネームであり、本名は別にある事を娘は知る。娘は父がかねて娘に言って来ていたらしい「国のために働いている」実質を問い、父は「自分はそう思って働いている」との回答に、娘は「それなら良い」と答える。ライターの恋人は実名で「官調」の実態を暴く記事を発表する。一般市民にまで介入した諜報活動をスキャンダルとして暴露した。これにより官調内部は動揺、と同時に、彼の運動グループへの参加も潜入が目的であったと判る。そして恋人との決定的な対話となる。既に恋の総括の段階であり、父が官調職員と知って娘に近づいた事(従って名前はペンネームを名乗る事になった)、だが娘のまっすぐな心で周囲と闘う姿に惹かれた事も事実である事・・等。娘は相手の言葉を受け入れ、記事は素晴らしかったと褒め、自分もそれを励みに頑張る、と告げて去る。次の場面で、かねて噂のあった官調から外部への情報リークの本人が「父」であった事が明るみに出る。そして、最後の父娘の対話。父が娘の表情から学校で何か問題を抱えていないかと気づかう言葉掛けが何度かリフレインされるが、この場面では二人の関係の原点(母を失った家族)を観客にも思い起こさせる。正しい事を主張し続ける事は苦しい、と娘はこぼす。でも・・それを抑え込む事はもっと苦しいのだ、と娘は悲痛な宣言をする。父は娘の行動にエールを送る言葉を静かに語り、自分が官調を辞めた事を漏らす。国のために働いているつもりだったがそれが疑わしくなって行った(仕事に誇りを持てなくなった)事を吐露する。本当の顔を表した父と、本音をこぼした娘の対面で終幕となる巧い台本である。

教員の政治活動については昔から議論があるが、例えば三十年前あたりの記憶を手繰ると、活動的だったり革新系と思われる教員も中には居て、色んな個性の一つとして受け入れられ、ことさらに事挙げする問題でも無かった気がする。
もちろん「赤」への偏見は昔から存在するし、差別対象を持ちたいという脆弱な精神風土が日本社会に根強く生きているのも事実。しかし差別意識を心の内に持つことや、井戸端会議でそこに居ない人間の噂をして結束を高めるといったレベルと、公然と唱えるのとではやはり異なる。
デモに参加した教師がバッシングされる・・それは本来奇妙な現象であるはずなのに(以前はもっと違和感を持ったはずなのに)この現象を受け入れてしまっている自分がいる。
だからこの芝居の主人公も、もっと妥協点を見つけ、一旦謝罪して学校の立場を守り、自分も教員を続ける道をなぜとらないのか(あまりにリアリティのない戯曲だぞ)、などと一度目の鑑賞では感じてしまったのである。自分の現在地が露呈するというやつである。作者は「現実にはいない」(だが本来は正しい)人物を登場させ、観客一人一人に自分自身との見比べを促しているように思える。二度目の鑑賞でそう感じた。

様々な事が空気や雰囲気で決められ、一億総風見鶏状態。だが一つ一つを紐解けば、「理が無い」ものに賛同し、または嫌悪の視線を向けている「理のない自分」がいる。
行動や態度を決定する「自分」の責任が問われるのは常態であるのが、往々にして周囲の振る舞いを見てしまう。本来問われるべき「理」はその都度「周囲」や「空気」が決めている。
この「周囲」の大多数が、規範やルールを尊重する人々であれば問題は起きないが、その逆ならどうするか。そもそも、なぜ逆になってしまったのか。
オルテガを引くまでもなく民主主義なんてぇものは何時でも衆愚に陥る。実質的に今の日本は選良にお任せ体制だが、選良の働きを見て「うむ、よしよし」「いやこれはまずい」と、せめて結果を見て判断する目を持ちたいものだが・・それも無いとなれば、人は何をもって生を、行動を肯定するのだろう。快楽か。
事実としてはこの10年の間に安倍政権が倫理も規範も法律をも踏み散らしたという事がある。民主主義を返上しようが軍事独裁に走ろうが究極構わんが、ある状態が「良い」か「悪い」か、くらいは感じ取り、言える自分でありたい。

ロビー・ヒーロー

ロビー・ヒーロー

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/05/06 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

桑原女史が演出のみを手掛ける舞台、という関心で随分久々となる新国立を訊ねた。正直「外れ」も多い新国立プロデュースの舞台だが、唸った。
私たちは普段様々な問題が複雑に絡み合った時間を生きているが、本作ではその幾本もの糸が脚本の中の台詞という形で再現される。それらは問いを投げ掛けるが、(現実がそうであるように)言葉を与えるまでは本当にそこに何が横たわっているのか判らない、しかしそこに何か言葉を紡ぎ出さなきゃならない状況に個人は追いやられ、言葉が絞り出される。すなわち言葉とはその瞬間、その主体の未来へ向かう意思であり存在証明である、という事を痛切に思わされる。そしてまた言葉にならなかった領域の深さ、不確かさ、可能性は、人物の態度の「変化」の中に見え隠れする。
作者的には最後、「和解」の結末としたかったのだろうか...? だが次の瞬間何が起こり、それが人物の態度をどう「変えて」行くのかは未知である、との余白を残して芝居は一旦終える(人生もそのようなものだろう?)。その感じが自分にはフィットした。

桑原女史が起用された理由を知りたいが、自分的には大当たりである。

グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース

グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース

Mo’xtra Produce

吉祥寺シアター(東京都)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

須貝氏の芝居は過去二作程拝見してより数年機会を得ず、今回は手招きの手の振りも強かったのでそんならと観に行った。ミステリー好きという程ではないがヒチコックやデパルマは好物。もっとも今回は謎解きを楽しみに、というより須貝氏が演劇というフィールドで何をやりたい人なのか(才能を前提に)という素朴な興味。
舞台は面白い程気持ちよく場面が繰られて行く。この脚本化と舞台処理の手捌きは、頭よくなきゃやれねんじゃね、と思う(いやそもそも演出やれる人は脳ミソ大きいに決まってると思ってるが)。
観れても一作だけ、と「グリーン」を拝見したがanother murder caseも観れないかと考え始めてる所。

『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

下北澤姉妹社

駅前劇場(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

「Boju 母樹」を映像鑑賞より2年振り劇場にて..とは行かず今回も映像鑑賞。臨場感が重要な舞台に思えたが映像の限りでも妙なぎくしゃくの狭間に詰まったユニークさ満載、作者の「言いたい事」を人物に言わせてる感も満載だが気まずくならず「どんどん言ってくれ」、ウェルカムである。不思議なバランスで成立したユニークなお芝居。

コーラないんですけど

コーラないんですけど

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2022/05/08 (日) ~ 2022/05/10 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初演を観たのは何と5年前(そんな経ったかな..)、ナベ源メンバーの美味しい配役で判りやすく観た初演に比べ、今回の花組芝居役者のは男二人で男女を演じる。ただ、母に見えるまでに時間が掛かったり、更には役の入れ替えがあるが替わり目がいまいち鮮明でなく(というより入れ替える理由が判らない)、ナベ源役者って巧かったんだなと改めて思ったりする。
もっとも戯曲の開かれた可能性を新キャストで探る意味はあり、事実、別の芝居として立ち上がった感はあったが、技を繰り出す脇の植本氏のキレを(芝居の方が)掬い切れてたか、についてはやや不全。
民間会社が紛争地へ派遣する要員(傭兵的な)を募る日本の近未来を半ば戯画的に、鋭く描く芝居ではあるが、具体的な戦争の姿がよりリアルに感じられる2022年現在、仄めかしをしている段階ではない、という感覚もよぎる。現実を刺す演劇の貴重さと共に難しさも考えてしまった。

衣人館 / 食物園

衣人館 / 食物園

牡丹茶房

ギャラリーLE DECO(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

一目見てみたいユニットの一つだったが、偶然重なってピッタンコ、てな感じで観る機会が訪れた(小品のため20時開演もあってラッキー)。想像していた「方向性」ではあったが今回のは(過去作を知らないが恐らく)中々容赦ない斬り込み様であったかと。次また観てみたいと思わせる余韻・余白を残した。

ネタバレBOX

己の感性にこだわるが故に周囲(社会)との齟齬が生じるも極少数からの承認は得ている、という構図に見えていたのが、その「少数」の内最も強力な存在(自分のこだわるファッションにおいて師と仰ぐ女性)が揺らぎ、それをきっかけに心身耗弱な自我の世界に入って行く。実は「強いこだわり」は己を守るバリア、承認の関係を再現するために「こだわり」は常軌を逸した次元に達し、崩壊を迎える。現実に起こり得ない(肉体の弱さゆえ・・従って余程思い込みが強いとか実は痛覚が鈍感とかならゼロではないかもだが)領域に至っても観客は主人公の内面を想像し、思いめぐらせその答えを探ろうとするので、中々ヤバイ。
彼女にとって(というより観客にとって?)「救い」となる三人の存在の内最も第三者的な人物が最終的に「突き放した承認」を彼女に与えるが、最後のやり取りではギリギリ聞こえる声量、もう少し内面の裏付けのある声として聴きたかった。(キーになる言葉なのでうっかり聞き洩らしたら置いてけぼりを食らう。)
グレーな十人の娘

グレーな十人の娘

劇団競泳水着

新宿シアタートップス(東京都)

2022/04/21 (木) ~ 2022/04/29 (金)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像での鑑賞あるあるだが、集中して見入るのに難渋。何度かトライして(性能の良いイヤホン使ったりして)視聴期間中にどうにか全編鑑賞できた(途中寝落ちして巻き戻したりもあり)。
競泳水着は初、と思っていたら6年前、二作品リーディング公演を二つとも観たという事があった。(サイトに最後だけ伏せた台本がアップされており、読んでいて話の内容を思い出したのだが、劇場で観たという記憶は抜けており、なぜか新宿の店の窓際かどこかで音声で聴いたような記憶に変っていて、物理的にはあり得ず妙な事だ。)
..それはともかく、上記の短編二作に通じる作風だと思った。怪しく雲が垂れこめる人間関係、謎解き・伏線回収の妙が今作にも。
素朴に面白く観た。リアルな家族関係の掘り下げは無いが、ミステリー作品に漂う匂いが微かに香り、家族の離散と再会の風景がドライな中にも郷愁を帯びて悪くなかった。
人間ドラマならば、五人姉妹の末っ子ノアを巡って、その引き籠り人生を開花させるといった筋を考えそうな所、ノアにとって必要な存在(そこに居なくても)である姉のニーナの「意図」が、この顛末の謎解きとなる。その意味でミステリーのある意味での王道、そこに「人の心有り」的な収まり方である。しかし私的にはこの舞台の魅力はそうしたオチではなく(「心」はミステリーのパーツ以上ではなく)、ディテイルが書かれていない描写の隙間を想像させる何か、だろうか。小説でもミステリーには作品(作者)固有の雰囲気があるが、(先の二短編を含めて)この作者の作品は何がしか世界観が漂っており、要は好みなのかも知れぬ。(癖になる程でもないが..)

「黒い十人の女」をもじったタイトルと思われるが、出演陣が女性十人に男一人、狂言殺人、という所まではなぞっていて、お遊び。映画では男がドラマの中心だが、この芝居では助っ人の一人。
小劇場ではお馴染みのザンヨウコ、橘花梨、小角まや、橋爪未萠里、その他の女優もそれぞれ存在感を示して「競演」の趣。ミステリーらしい。

親の顔が見たい

親の顔が見たい

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2022/05/02 (月) ~ 2022/05/06 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

DVDで観ていた昨年の無観客上演とは俳優が三役異なった(WキャストもDVD版と異なるキャスト回を選んだ)こともあって出来具合も若干違ったのかも知れないが、この観劇で如実に感じたのは映像と生との差。画面からは伝わらない波動が劇場では観客の身体を貫通し、映像を見る際に持ってしまう客観的な視野を許されず、いつしか「巻き込まれ」ている。
俳優と共に観客も消耗するが、ある共有体験が実は人間の人格・思想形成に重要である事を思う。教育現場を舞台にした作品であり、作・演出者自身のバックグラウンドでもあるが、作品を媒介にした体験である事に加え、劇場という場での(他の観客との)共有体験の効果とは、教育(関心と知識の両輪、広く人格形成と言っても良いか)に求められる要素に他ならない事をつい考えている。(つまり、演劇の教育的効果の事を言っているのだが。)
この舞台に登場する「親」たちは世間の通念や世論を映しており、我が身の鏡でもある。事件が持つ「特殊性」がドラマのフックになってはいても、結果的に大きな責任を担わされる事それ自体は特殊ではなく、往々にして身に振りかかるもの(自身の何らかの「瑕疵」がもたらした結果として)。そしてその「結果」の重さこそ、このドラマの核心であり、根底を支えるものであり、それと対峙する人物たちのリアルな感覚を俳優が伝え得ていた事が、最大の評価点になる。(優れた舞台だったと一言書けば終わる話でもあろうが..舞台の感動を伝えるのは本当に難しい。)

メリー・ポピンズ【3月26日~30日公演中止】

メリー・ポピンズ【3月26日~30日公演中止】

ホリプロ/東宝/TBS/梅田芸術劇場

東急シアターオーブ(東京都)

2022/03/20 (日) ~ 2022/05/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

作品そのものが長い宿題になっていて、以前本を買ったが未読、映画は先には見まいと取ってある(この状態が10年以上)。すぐ手が届く所にある未知なるファンタジーが、舞台でロングランの報。いつか見られるな、と悠長に構えていたら東京公演終了が迫り、「わしがメリー・ポピンズか..」と若干の逡巡を払って観劇した。
(貴重な観劇枠であったので他の「ケダモノ」「フェアウェル、ミスター・チャーリー」のいずれかを決めかね、まず「ケダモノ」脱落、残る二つをギリギリまで迷った挙句こちらを取った。その判断の当否について言えば・・、「メリー・ポピンズ」はミュージカルとしての予想を超えては来なかった印象。全くの未知数であったもう一つを観たかった・・というのが正直な気持ち。)
とは言え、マジカルな演出は優れもの、緻密なテンポ感と緩急、歌唱力と、観客が「心地よく」なる道具立ては十二分に配され、「商品」として評価するなら「値段に相応しい中身でありました」と答える事になるだろう。

ネタバレBOX

自分はミュージカルの追っかけではないが、ミュージカルである『RENT』『リトルダンサー』に「感動」を覚えたのは、やはりドラマ性とそれを支える(補完する)楽曲という事になるのだろう。
過去僅かながら観て今一つだったミュージカルが「超えてこなかった」理由の大部分は楽曲に感情移入し切れなかった事によると思われるが、ドラマ世界を理解しきれなかった感触が残る場合は己の鑑賞眼の未熟さもあるか、とも思う。ただ今作は、ドラマとしては比較的シンプルである。
一点、子どもの空想的世界と大人の世界との接点が大きな楽曲の場面として描かれる部分がある。ストーリー的には「寄り道」であるが、得てしてミュージカルではこの部分に根底のメッセージを投射する要素があったりする。
前半、主人公たる「世話の焼ける子ども(姉・弟)」がメリー・ポピンズに連れられて公園に出かけ、人格化した銅像や羊たちと戯れる場面では、メリーのこの世ならぬ魔法あるいは子どもの想像力が、「現実世界のドラマ」に食い込む重要なファクターとして提示される。だが後半、メリーと友達になる若い煙突掃除夫と、その仲間たちによる転調に転調を重ねる壮大なダンスが、前半の「寄り道」をグレードアップしたものとして展開する。人々が知らない夜の屋根の上で、自由な世界を歌い上げる大曲では、つまらないしきたりに縛られない誇り高い精神(アメリカらしい)が二人の子供も巻き込んで歌い踊られて行く。(実はこの場面こそドラマ的には最大の見せ場に違いないのだが、楽曲では気持ちがもう一つ上に行けないもどかしさがあった。ティンパニーのドンドンの響きは作曲家的には「盛り上げ」効果を狙ったものなのだろうが、「行進」のようになってしまい(自由と権利を求めての行進が1950、60年代にあったと聞くがそうした時代を映したものだろうか)、屋根の上ならもっと浮遊とか飛躍をイメージしたい所、地上に引き戻される感じがあった。まあ私の感覚ではという話だが・・『RENT』を観た者としてはもう一つ突き抜けたい欲求を否めない訳なのであった。)
演出的には、三階席の後ろまで飛んで行くメリーの壮観なラストや、煙突掃除夫が舞台前面のプロセミアムの枠を一周歩く「見せ場」では、ロープが殆ど見えなかったり、「え、今のどうやった?」と目を凝らしてしまうプチマジカルな瞬間もあったり、場面転換の妙、装置の美しさと舞台技術を「ふんだんに」投入した感ありである。なのであるが、最終的に人はドラマを見、ミュージカルにおいて音楽とそれは不可分という事である。
そう考え来ると、子どもたちを正しく導く使命を担わされるメリーの人物造形についても、考える所があった。「この世ならぬ力(見えない所で使うが子どもには見せる部分もある)」「相手に有無を言わせぬ迫力」が強調されていたが、「子どもたちを導くようプログラミングされたマシーン(AI?)」に見えなくもない。人間として見るならそこに人格、性格気質が伴うがこの舞台でのメリーはそれらが払拭されている。このメリー・ポピンズ像はスタンダードなのか?? 今度は晴れて映画を観てみる事にしよう。
僕は歌う、青空とコーラと君のために

僕は歌う、青空とコーラと君のために

ヒトハダ

浅草九劇(東京都)

2022/04/21 (木) ~ 2022/05/01 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像配信を拝見。小劇場での鄭義信作演出舞台というのは結構久々な気が。それだけに劇場で受けるインパクトを取りこぼしてる可能性を思いつつ、配点。
とにかく鄭義信らしさが炸裂であるのは毎度の事である。冒頭から笑いを飛ばし客も巻き込み(時にはいじりも)高めに高めてシリアスがさらっと入り込む。今舞台は米軍相手のキャバレーの設定、生ピアノと歌がある。店のオーナー(梅沢昌代)以外皆男性でフォーハーツ(当初スリーハーツであったが序盤で韓国人脱走兵が加わる)を結成しており朝鮮戦争特需の時代を背景に糊口をしのぐ手段としてショーで食っている格好。皆歌える役者で手練れの演技派揃い「だからやれる」芝居でもある。
役者集団ヒトハダの旗揚げ公演という。昨年流れた公演を目にする事ができ満足だが、この所帯でのコンスタントな活動は(傍目に見れば)中々難しいと想像する。継続のレールに乗るためのアイデンティティ、ここにしか無いもの、かつ無くしたくないと思えるものを、願わくは見出されん事を。

マがあく

マがあく

シラカン

STスポット(神奈川県)

2022/03/30 (水) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

この所初の劇団の観劇続き。シラカンは若手ユニットとして名のみ知っていたが今回STスポットで上演との事で足を伸ばした。舞踊や身体表現系、アート系を目にする事の多いSTスポットは白い四角いシンプルな空間が「実験場」に見える。初めて観るシラカンは照明変化も音楽も無い中で役者の身体と台詞が明るいフラットな明りに晒され、今思えばだが「部屋」をかたどる形で四角く配置された色とりどりのドミノも、役者の動く身体を際立たせる効果を狙ったもの、だったかも(私はこれが何時倒されるのかと待っていたが)。
自分の大括りなカテゴライズでは「味薄若手」の部類に属する。ある不条理が堂々と日常に入り込んでいるのだが、この日常性が「静かな演劇」のもので、劇中ヒートアップする場面があっても脱力の要素がある。「これ以上追求されず」「さしたる裏付け(人物の動機として)もない」と知れてしまう事で、あまり先を期待しなくなる自分がいる。語られる世界は彼らが日常目にしているだろう範囲を出ず、私には予想を爽快に裏切る展開はなく終わった。観終わった時はこの劇が順当に時間が流れるストーリーを見せたかったのか、(演劇の特権として)時間を歪める不条理性を狙ったのか、意図が判らないという感想を持ったが、両者は絡みつつも重心は後者にあり、ポイントは不条理の「扱い方」にある、と思えてきた。後述。

もはやしずか

もはやしずか

アミューズ

シアタートラム(東京都)

2022/04/02 (土) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

自分にしては珍しく早々とチケットを取っていた公演。が、そういう時に限って職場で足止め、芝居の半分近くを見逃し、チケット代を厭わずリベンジの当日券に並ぶも果たせずであった。
リピートしても良いと思えるだけの緊迫した後半の芝居であり、大略この夫婦と家族の問題が見えては来たのだが、た組のKAAT公演が初であった作演出の作風と実力をジャッジするには穴が大きい。
舞台のあれは黒木華か、そうだっけ、うむナチュラリズムな芝居は秀逸だな、お、平原テツやっぱいい。あの声は上田遙。朝ドラで見たばかりの安達祐実は泣いてるんだかコメディ色出してるし(朝ドラで最初見せた大根女優を再現?)、芝居の全容を想像するも参照が先般のKAAT舞台のみでは類推は及ばずである。
細密リアリズム芝居と見た自分には、心が離れている相手から理詰めで復縁を迫られるラストの演出は、そこへ至る緻密に構築した芝居を想像させ、やはり是非とも最初から観たかったな、とそこへ戻ってくる。

ネタバレBOX

後半だけ見ると身勝手でどうしようもない男と、男の態度に傷つきながらも現実的な道を果敢に(子も授ったし)行く女、と見えるのだが、男が過去を語る言葉、これが真情の吐露であるのか(冒頭その問題のシーンがあったというから作者的には男の真実味を見せようとしたとも理解できる)、それとも口にすると如何にも軽薄で自分が惨めになり、説得されるのも必然、だったのか。
出産前検査で障害を持って産まれる可能性に打ちのめされた後、困難だが産む、と結論を出した女に対し、逡巡する男。二人は別れるが、健康な子を授かった女は、男の実の両親を連れ、復縁を迫る。何故なら、別れる原因となった障害の疑いは晴れたから。。劣等意識から解放された女の前で、しかも男は出張マッサージの悪くない相手と抜いた直後、一度解放されたはずの束縛の道へと連れ戻されて行く。と、やはり見えるのだ。男と女の間の「言質を取り合う」関係から窺える不毛な未来への予感に、作者は同意を求めているのか、否を共有したいのか。。
夜ふかしする人々

夜ふかしする人々

戯曲本舗

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地下劇場であった。天井は低く出ハケが中々の制約、照明もざっくりな仕込みで三劇団健闘。4列程度の客席でも勾配無しでは床辺の芝居は見づらく観客も健闘。今更だが普段見ている舞台が如何に劇場機構とスタッフワークで「作られている」かを痛感する。

ネタバレBOX

1本目は冒頭を見逃し芝居の全体が掴めなかったので他の2本について。「夜」縛りでの作はどれも新作だろうか(そうあって欲しい)。密度という点では二作目が具象の中に抽象性がひらめいて意味的に濃いものを感じる(元々こういう作風なのだろうか)。三本目はシチュエーションが明快で少し意表を突く展開があって種明かし的に会話が進む。ストーリー本位に見える所、妙な味が(意図的か偶然か)醸されていた。一本目にも触れると、「夜」の感覚と「夜」という場に重なるアジールへの憧憬といった辺りを語りたそうな。全体として公演は感じたく一本目は買った戯曲で確かめたい。
そのあとの教員室

そのあとの教員室

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現代座会館なんて渋い会場でやる劇団って・・と興味を持った前回公演では観劇果たせず、ただ実績ある俳優、割としっかりした脚本、という心象を持った程度だったが、この度吉祥寺シアターにて初観劇。敗戦の傷も生々しい占領下のある小学校の教員室で、GHQからの調査員(女性日系米国人)の訪問を受けた日の数時間が描かれる。
公職を追われ、荷づくりをする教員と、新体制下での教員として残る要領よく立ち回っていそうな教員、その狭間で苦しむ教員、という具合に「戦争責任」のテーマが冒頭の会話から横溢する。だが教員のキャラが上手く描き分けられ展開の運びもうまい。外部の者として女性調査員の他に、損壊した校舎を普請のため学校に縁のある大工が出入りし、スパイスを効かせている。ほぼワンテーマにしては面白く見せつつ本質に触れる濃い脚本である。

ネタバレBOX

女性はGHQの調査委嘱をされただけでなく、幼い頃生き分かれてこの学校で育ち、教員になった弟の敗戦直後の自死について原因を探ってもいる。後半、そのきっかけと思われる「投書」に書かれた弟の勤務先の小学校での空襲時の目撃情報の真相究明へと展開する。書かれた「疑惑」の反証が出され、事の真相の凡そが皆の腑に落ちる、という所でこの話はぷっつりと終結してしまう。だが腑に落ちない前で留め置かれてしまうのが投書を出した本人であった大工の「本当」と「誤解」の腑分けと、それに伴う罪の所在。これがスルーされて話が進んでしまう。「謎の解明」(ミステリー要素)が芝居の中心ではなく、全体のバランスを考えた結果だとは思うものの、女性が大工の動機と行動の全容を含めた「事実」をどう受け取ったかというディテイルは重要で、どうあってもドラマは成立するがどれかを選ぶ必要はあったのではないかと思う。
『サロメ奇譚』

『サロメ奇譚』

梅田芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/03/21 (月) ~ 2022/03/31 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ペヤンヌ・マキの新作という事で発売後速攻予約していた。観劇前に発券をしたチケットの価格を見て思わずおやまァであったが、サロメ役が朝海ひかるだと遠目で判らず後で気づいた時もおやまァ、であった。この舞台は話を日本の風俗界に置き換えたのみでほぼ「サロメ」であった。
O・ワイルドの翻訳を随分前に読んだ時は、話のシンプルさと残酷さに得も言われぬ感覚を味わった。接吻をしたいから預言者の首を切ろ、とはどういう心理が言わせる台詞か・・自分の知識や経験を総動員したがサロメの「心」のカタチは想像の外。ただ、「人間を信じるべき」とは願望に過ぎず人間の肯定的な可能性を保証する根拠など無い、という真実を突きつけられたのは間違いなく、つまりサロメは擦れた成人ではなくもっと無垢な存在と理解した。
本作でもサロメは箱入り娘(母の)で生娘で、恋を知らず達観した氷のような透明な顔で佇む女性が預言者ヨカナーンを見た瞬間(正確には声を聞いた瞬間)初めて時めく少女となる。だが翻案に難があり、残酷さへ収斂して行かない。
この翻案はヘロデに当る人物を「風俗王」即ち界隈の実力者に過ぎない者とし、古代の国王(ローマ帝国支配下の一地方の総督に過ぎないにしても)とは権力の桁が違う。この桁違いの所へ持ってきて、ベンガル演じる王は兄を殺して社長の座に就いた事になっていながらそれは後妻となった元兄の妻(松永玲子)にそそのかされたからだという。ハムレットさながらの悪役かと思いきや、芝居の冒頭では絶対権力者的に振舞っていながら途中から弱々しくなる。後妻の前で臆面もなくその娘に色目を使い、それが公然と許されるような権力が現前していてこそ、サロメの要求は王を打ちのめす残酷なものになるのに。。「サロメ」の要素が殆どであるこの舞台では、翻案がそのエッセンスを薄めただけになってしまった。(強い原作をいじる難しさに正に直面したという事ではないかと勝手に想像。)
朝海ひかるのサロメは無垢な娘に見えづらかったが(風貌はともかく動きや踊りが)、コメディ調を狙えばそうなるだろうとも。
だがコメディ要素を入れるなら、それと残酷劇とを峻別し、大胆に転換する、あるいは原作を徹底的に茶化してパロディるか、どちらかに寄れなかったな、というのが正直な感想。ゴージャスな舞台ではあったが。

かもめ

かもめ

Art-Loving

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2022/03/24 (木) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「親の顔」でお馴染み?のユニットによる常小屋でのチェーホフ。「かもめ」はストーリーも知っており既視感もあるが観たという記録がなく、もしや初めてかも知れぬ(大幅翻案したものは観ている)。
とは言ってもやはり古典作品である本作、「比較」しつつの鑑賞となる。ただし対象は自分の中のイメージ(記憶も自分のアレンジが入ったイメージという事になるが)。名作の「再現」にとどまらず十分に咀嚼し手を加えた痕跡がそこここにあり、「味付け」という語を用いるなら創作料理に近い独自な仕上がりと感知させながら、原作からは決して外れていない「飲み込める」演出であった。
会場であるプラザソルは劇世界を作るのにちょうど良くない劇場という印象が強くあったのだが(実際この舞台でも上下のはけまでの距離が若干難点ではあったが)それを忘れる程役者の作る「場」の緊迫感に釘付けになっていた。
だがひねくれ者の私は、人物個々の感情=人間の状態の掘り下げ、そして大胆な具現においてここまで肉薄し、二時間を疾走した舞台にしては・・と思う。後を引く余韻が手からこぼれて薄らぐ理由は何かと考えるのだ。
舞台の快楽は十二分に味わい文句は無いが、この感覚は何かと考えている自分が居る。今は言葉にならないが。

三大劇作家、逮捕される!

三大劇作家、逮捕される!

工藤俊作プロデュース プロジェクトKUTO-10

小劇場B1(東京都)

2022/03/22 (火) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

工藤俊作プロデュースを初観劇。後藤ひろひと、内藤裕敬、もう一名不知の作家と中々観れなかった関西三劇作家の作をまとめ見でき、工藤俊作Pなるユニットの正体も・・と興味津々で下北沢B1へ赴いた。オープニングと三作品の間とエンディングは三作家が生で出てきて半お芝居的に繋ぎ、体験談トーク的な時間もありサービス満点で「全部盛らなきゃ気が済まない」後藤氏の指向?と推されると共に、関西風も感じる。
作家三名は一応「刑事」として登場する。このたび事件を起こして逮捕されたのは劇作家であるにつき、演劇人なる人種を我々は知る必要がある、なんぞと真顔で話し、三つの短編が順次上演される。俳優は工藤氏を含めた関西役者ら(と思う)が動員され(役数の関係で全部に出ない人もあるが)、傾向の異なる三作品が十全に、面白く演られていた。タイトル縛りで演劇を作る側の理屈や事情、演劇あるあるに言及して笑わせながら、演劇愛を噛みしめる公演。
工藤俊作Pが毎度こういった公演を打っているのか、関西寄りなのか(今回たまたまなのか)等については不明のまま。

民衆の敵

民衆の敵

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

この作品は過去に二度、小山ゆうな演出、森新太郎演出(いずれも2015年)を観た。前者は小さな劇場で主人公=父役の寺十氏がびっくりする程噛みまくっていたが好感触、後者は囲み座席で「名作やってます!」な気合いの演出が膜になって内容が入って来なかった。演出が勝った芝居は趣向の中にメッセージを読み取る「高尚な娯楽」ではあるが、この演目に適合していたか・・。
以上を序としてハツビロコウの本作。「野鴨」にも言えたが、テキレジが恐らく優れていて、現代に刺さる(台詞には「同調圧力」等の現代語も散りばめられ、今日本のどこかで聞けそうなやり取りに一瞬眩暈を覚える)。
原作が持つ「古さ」は本筋である所の温泉水の「汚染」の科学的根拠のあたりだが、貧しい町に賑わいをもたらした温泉が「人の健康(生命)と経済」を両天秤に掛ける物議の対象となり、「正義」「正しさ」とは何かをシビアに突きつけるストーリーのリアリティの方にぐいっと関心を持って行かれる。資本主義が本格的に町を動かし始め、民主主義の下地を用意するマスメディア(情報こそ「選択」の材料となる)=新聞が市民権を持ち始めた時期だからこそ吐かれただろう生硬な台詞も、日本の現状を言い当てた言葉に聞こえてくる。主人公の「民衆を敵に回した」言葉を心の奥で噛みしめた。年度末の見納め。

オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当初予定の2020年から漂流の果てにようやく上演となった公演。先日の「彼女たちの断片」と同じく女性作家、演出家と女優のみによる舞台で、性暴力・被害、性の多様性を扱う舞台、ではあるが、三世代四人の家族と一人の他人の人間模様にとってその要素は「特殊」であるよりは、濃密な人間関係の中に立ち現れて来る要素=Xとして他に置換可能、つまり誰しもが持つ傷と重ねながら観る事が可能な、普遍性あるドラマになっている。人物たちの関係図と心の来歴が次第に現われて来る手触りは秀逸だった。
最後に「事件」という部分に収斂していく所、千秋楽という事もあってか罪責に苛む二人(母と祖母)が健気に生きる子たちを見ながら涙でボロボロだったが、個人的には役人物の「日常」を維持して踏み留まって欲しく思った。
性虐待事件は「性」の本質において通底しながらも形は多様で、実際に為された具体的行為、その状況、その感受のされ方(心理的な影響)にも違いがありそうである。この作品で扱われたものは小学生におフェラまでさせた事件とされ、被害者である双子の「姉」への影響は思春期以降の挑戦的な異性関係に表われ、一方姉を慮る妹には異性への頑なな態度として表れる。
話は失踪した姉を探しに姉と一時期交際した女性を妹が訪ねてくる場面に始まり、折々の出来事が回想される。観客の関心に沿って順次、過去に分け入っていく手順が優れ、一つの家族の歴史と現在に立ち会う事となる。
広く共感を持ち得る物語になった事がこの作品のレベルを一段押し上げていると感じた事が、ラストの「その場にいない」母と祖母の感情露出を抑制してほしく思った理由だが(出来事の「特殊性」を強調する要素は抑えたい)、少し醒めた見方すぎだろうか。

特典として送られた映像も観た。十数分のが2作で、まりの女史の筆が画面上で色を自在に塗りこめるのだが、最初スピーカの無いPCで視たため(背後でピアノが流れているらしい事はチラっと別媒体で覗いて判っていたが)、一つの絵画作品の完成に至るまでの試行錯誤に見え、凄く面白かった。が、音声を聞くと物語の朗読になっており、その物語に呼応して絵筆が動いたのだった。
最初の印象の方に関係する話だが・・、先日ある配信で障害を持つ人のアート製作の現場を撮った20年以上前のドキュメント映画を観た。アーティスト達が「やり直し」をせず一本線の道を行く如く作って(描いて)行くらしいのを見て、(障害者に限らずだろうが)「降って来るんだな」と感じた事と、その一つの作品完成までのプロセスがユニークで、完成形のイメージに向かうなら通るだろう道を必ずしも通らない紆余曲折の謎に眩惑した。完全に「自分には判らない」世界だが、しかし自分もその道を通ってみたい。創造=生み出す営為の中で。そこはどんな道行なのか、風景を見たいと思ったんである。毎回視覚的な快さを与えてる荒巻まりの作画にもある種の「謎」を感じていたので、私は大変興味深く見せていただいた次第。

ネタバレBOX

余談。最近観た性被害に向き合う女性を撮ったTVドキュメントのケースでは、小学六年時に担任から受けた性被害が「お泊り会」での同衾、体を触られキスをされたというものだった。「一年間被害を受けた」その全貌を番組は語ってはいないが、他の証言として修学旅行で夜その教員が部屋に入り、児童の服を脱がせ、自分も脱いだこと、他の元児童が証人として居る事なども紹介されていた。
女性がこの出来事と向き合う意志を持ったのは被害から30年後と言い、十代後半から薬漬け(向精神薬)となり就労もままならない期間を20年以上過ごした事になる。人間誰しも多くの時間を無駄にしたと振り返らざるを得ない事があるが(多くはそれを回避しようとするが)、幼少期に大人から受けた傷との闘いは勢い長くなる。自身への否定的感情に支配され、そこからこの朧げな記憶の中の「出来事」を振り返る時、「こんな自分だから仕方なかった」と低い自己評価の延長で理解してしまう。因果関係は混濁していたに違いないと想像される。その事が「おかしい」と気づいた後でさえ、習い性から、又は「今の自分はやはり現実的には低い位置にある」として低評価、ネガティブな歩みを続けてしまいがちである。
巨大な穴の中で足掻いた20年間に愕然とするが、似たような事は多くの人間が(とりわけ日本社会では)抱えているのだろう。
芝居の中の被害女性は、20代の時にあるグループに参加して「自分の中の性被害体験」と向き合い、闘うグループカウンセリングを行う。その事により、彼女はまずは過去の体験を現在に引き出す事に成功したようである。が、それをどう意味づけるか、という所でまた分岐点を迎えただろうと想像する。間が抜けて、彼女と付き合ったという一人の同性愛の女性の証言へと飛ぶ。そして彼女は少し前に出て行ってしまい、もうそこには居ない。彼女が自分というものと対話しながら人生を探って行く姿は、観客は想像の中に形成される。周囲の者は、彼女に声援を送り続けるしか無く、「解決」はやはり彼女自身が見つけ出すしかない。観客の手元に残されるのは、共感する心とその可能性、しかない。

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