『キレナイ/Dear Me!』
ラゾーナ川崎プラザソル
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了
実演鑑賞
「Dear me! 」も「キレナイ」に続いて拝見していたが随分日が経ってしまった。WELLMADEな話ではあるものの、終盤私は興が冷めた。時代的な問題、というか、限界というか。
保育園に出入りする人間には親たちの他にこの保育園を建てる青年園長に出資をした旧友(見た目からして反社。子どもが泣く)とその同僚らしきイカツイ男が連れでやって来る。何しに来るでもないが「旧友の仕事ぶり」を「出資(無利子の融資)した者として」にかこつけて、癒されに来てる模様。
この存在がラストでちょっとしたどんでん返しをやるのだが。。
蜘蛛巣城
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2023/02/25 (土) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
観る動機はもちろん黒澤監督の同名映画で、「どん底」もそうだが海外戯曲を日本に置き換えた傑作の躍動を味わいたく観に行った。演出が赤堀氏とははっきり認識しておらず全ては観劇当日に、という構えで臨んだのだが、よく見れば演出をはじめキャスティングも、変わった取り合わせ。企画が固まった経緯が気になる。その印象を裏付ける舞台でもあった。詳細後ほど。(余力があれば)
The Writer
ゼロコ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この所殆ど例外なく眠い身体での観劇、序盤に厳しい時間があったが(笑いはよく起きていて客席の声で目覚める事数回、だが笑った原因は分からず)、ほぼ通して興味深く見れた。
「二人目」が登場した時は「手品じゃん」「どうなってんの」と純粋に驚いたり、先を予測する余裕がないのがよかったようで、作家の脳ミソの中(もしくはうなされて見る幻)を覗き見る無言芝居を楽しんだ。
掃除機
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2023/03/04 (土) ~ 2023/03/22 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
家の中の各エリアが歪つに曲がり(端に向かってせり上がる)、上手奥にDJ然と立って音(掃除機等)を出したりする環ROYのブースがあり、その他は舞台手前の上手下手や奥に向かって開けている。
言葉を聴くと岡田利規の文体なのだが、居心地の悪さが残る。大した事もない事を大したように言っている、と聞こえてしまう時の、アレだ。そこで改めて資料を見ると、演出は岡田氏ではない。そうか・・と思う。
どうにか台詞の座りの悪さを乗り越え、パターンを掴む。「父」役をモロ師岡(メイン)、他に二人が同じ衣裳を着て同じ「父」を演じる。(SPAC「授業」(演出:西悟志)がやっていた最高にシュールな方法。延々と喋ってる役でないのでSPAC程に弾けないが。) 栗原類の役が掃除機だと判るのには時間がかかった(冒頭の喋りで「掃除機の目線」という台詞があり、自分=掃除機と自覚して言っている、とは聞こえなかったのだ)。
「姉」の引きこもりの精神性が、痛々しくかつ逞しく伝わって来るのが本作の肝だ。姉がしばしば舞台上から姿を消すが、「ずっと居る」という演出には出来なかったのか・・何かこの芝居の核になるものが欲しかった気がする。
人形の家
SPAC・静岡県舞台芸術センター
静岡芸術劇場(静岡県)
2023/02/11 (土) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
久々の静岡芸術劇場で初めての「人形の家」観劇。作品は戯曲のみ読んでいたが細部はごっそり抜けていて、ラストの決断の直前まで、ノラは「人形」らしく妻らしく振る舞う時間を生きていた。
舞台を日本に置き換え、能舞台風に設えた室内、着物姿が目に心地よいが、役名等は原作のままだ。それで成立しているのは宮城總らしい様式の妙による。その他気の利いた趣向・演出がちりばめられ、心中ニヤッとする事も多い。この戯曲はイプセンの社会劇の連作の端緒であり「演劇史を変えた」と言って過言でない記念碑的作品と言われるが、その評に違わず「生まれたばかり」のような初々しさがあり、この作品の魅力となっている。
ノラの旅立ちにも重ねられる長い現代演劇の旅が、ここから始まったというような。。
ノラのたきいみき、彼女がその視線を向ける「像」としての夫(ベイブル)、ノラと対照的な旧友(葉山陽代)が好演。
「君といつまでも~Re:北九州の記憶~」
北九州芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ユニークな企画。面白い。個人的には懐かしい地名や北九州弁を楽しみにしていたが、大いに聞けた。
元々方言じたいが芝居に一定の効果をもたらすが、耳に心地よく、倍加である。そして、地元の言葉でしか出せないニュアンスもしばしばあり、ほくそ笑む。女性が夫を諫める光景も。この距離感、東京ではお目にかかれそうもない。
占領の囚人たち
名取事務所
「劇」小劇場(東京都)
2023/02/17 (金) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
同日午後に観た別の芝居が「鬼気迫る」人間ドラマを狙ったものだったので、リアリティの圧倒的なギャップに愕然とする。こちらは実話(現在進行形)を元に構成された、「刑務所」の話。パレスチナ自体が「刑務所」と言える実態に、改めてこの事実の性格(無関心でいる事は重罪であること)を突きつけられる。演劇としての面白さと、感動がありつつも、見せられているのは現在進行形の現実、という得難い感覚は、しかし演劇の本質に触れてもいるのかも。「今ここ」を離れた演劇ほど感動のないものはないのだから。
アプロプリエイト―ラファイエット家の父の残像―
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/02/16 (木) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
配信が無かったと気付いて慌てて予約し観劇した。作品に関心あり。ワンツーの翻訳劇は(ドキュメンタリーシアターを除き)初めて。
緻密に作られている程、その細密度に見合う正確さを求める。(つまり、小さな綻びや違和感にも敏感になる。)
今作はよく出来た戯曲であるが、一つにはその正体や行方に観客を引き込んでいく「問題」が、各場面に仕込まれている。もう一つは言葉の応酬の鋭さ、特に「姉」の徹底して弟らに「折れない」態度は、弟とその妻にも「毒を吐く」と言わせる内容。
緊張感を持続するテンションとテンポは見事、と思う。
ただ・・最終的に見えてきたかった人物像、とりわけこの「姉」とは何だったのか。これがよりクリアに見えて来るべき余地はあったのでは、という思いが過ぎった。要は「頑として譲らない」という所に合わせたのか、喋りのトーンが一色。私の印象では、どんな手を使ってでも自分が(悲劇の、であれ)主人公である地位を譲らない、もっと言えば自分こそ「自分を語る」事の許される資格を持つ、という(裏の)主張を貫く人物。それは弟らへの「攻撃」にも表れるが、見方によっては(というか姉の側に立つなら)弟らのエゴ、不甲斐なさ(次男に至っては性犯罪の経歴がある)にめげず父の面倒を見てきた「耐える人」である、とも。。
だが姉の決定的な欠陥は、己の正当性を主張しながら、他者の変化の可能性を認めず、一縷の望みをせせら笑うように潰し、それが現実だとばかりに他者の改心を否定する。「見てきた」から分るのだ、という言い分は、結局のところ「そういうダメな人間の相手をさせられて来た肉親の自分」を被害者としてアピールする以外の意味を持たない。
「怒りと恫喝」で被害者ぶる論理は、中国も北朝鮮も「変わらない」から「常に脅威であり続ける」(引いては攻撃を仕掛けて来る以外の可能性はない)、と軍備増強を正当化する主張のニュアンスによく似ている。相手の非への批判と被害者アピール。
こう考えると「姉」が終盤に「いかにも本心を打ち明ける」ように自分の苦労をこぼし、「ここまで苦労を重ねて生きてきて、それで皆から非難されるだけ」という現実を受け止め、受け流すという表明をする。よくある芝居のように、ヒールの心の内を開陳し観客の共感を得る、という「謎解き」的決着を狙ってしまっては、外すと思う。といって姉を悪役で終わらすのも違う。姑息に被害者を演じてまんまと弟らを丸め込む、という姑息さがきちんと表現されれば、「そういう姉もひねくれるだけの理由があった」という次の人間理解に進める。安直にシンパシーを勝ち取ってしまっては、どうもうまくない。
雲雀温泉遭難記
さんらん
アトリエ第Q藝術(東京都)
2023/02/22 (水) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
長尺短編、硬軟様々な作品を生み出すさんらん。今回はやや薄味であったが締める所は締め、可愛らしく、うまい。話の舞台も人物も(勿論筋も)違うのだがさんらん(尾崎氏)らしい筆致があるな、と感じた所だ。ラーメン屋の話だが、「ラーメン業界」のディテイルや、ラーメン屋を目指したその人間の内面が想像されるリアリティの担保を押さえている点に作家の力量を見る。(先に別の芝居のコメントに書いたが)山に入った男が亡くなった妻の霊としばしの時間を過ごす、その結末にはやはりギルティを持て余す生者(夫)への妻からの贈り物がある。現実世界で共に過ごした相手からの言葉として過不足ない(甘すぎもせず冷淡でもなく)。つくづく演劇は失った時間を生き直す芸術と思うこの頃。
騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!
地点
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2023/02/16 (木) ~ 2023/02/23 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「ノー・ライツ」(旧演出では「光のない。」)を見逃したので今回は、と足を運んだ(同じイェリネク作品)。モノローグ台詞がずーっと続くイェリネクの御多分に漏れない作風だが、今作の注目は「コロナ以後」の作である点だ。連綿とリレーのように続く、継がれる言葉は様々な感情や状況やニュアンスを脳内に生起させるが、暫くの間、イメージは一つところに集約せず、俳優の身体は大きな舞台装置(台)の上で、あるいは台を下りた周囲で、ねり歩いたり一斉に同じ動きをやったりと忙しい。(※装置は広い円形の台で、人が乗るとその重さで傾き、その動きに連動して台の辺縁に付いた裸電球が点滅したり光量が増減、また音が鳴る・・等オートマティックに反応する。)
断続的にやっている動きがある。それは終盤に至り、皆が台上に乗って頻回になるのだが、その動作の合間に一人が台詞を言う。この台詞が、コロナ禍に生きる人間の葛藤を突き抜けた意志の表明、不服従宣言に聞こえてくる。自動機械のような「動き」はコロナに関連するワードをきっかけに為され、私にはメディアを通じて思考停止・自動機械的反応へ人々を誘導してきた「信号」の比喩に感じられ、おちょくったような動きは痛快であり、憤りに近い民の声にもシンクロするものに思われた。
中盤掴みづらい時間があり、寝落ちしてしまったが、終盤の畳みかけは気持ちよく、安部聡子の発語のニュアンス伝達力に改めて感じ入った。
カミサマの恋
ことのはbox
萬劇場(東京都)
2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
初日に観劇する予定が直前にポシャり、同ステージの配信を最終日に駆け込みで購入して鑑賞。(23:59でキッチリ終了だといけないので帰宅途上スマホの小さい画面で視始め、帰宅後PCに切り替えて全編が観られたが予想当たってキッチリ終了。同時配信プラス1週間をパッケージにしてる業者のそれだろうがもう少し期間が長いと良いのだがなぁ..)
たまたま畑澤聖悟作品を3つ立て続けに観たがやはり良い脚本を物する作家である。本作は「イタコ探偵・・」を思い出させる。他にも「もしイタ」などイタコ、及び死者にご登場いただく作品があるが、地元青森の「名物」であるこのイタコのドラマ上の威力は絶大だ。それを存分に発揮せしめた作品とも言える。
幽霊が媒介者となるドラマは掃いて捨てるほどありそうだが、うまく使えば優れた作品になる。井上ひさし作「父と暮せば」、畑澤氏が脚本化した「母と暮せば」も堂々と幽霊が登場する。生者のサバイバーズギルティを死者が解き、生へ向わせる。やはり私の中の最高作の一つ「HANA」も、妹の幽霊が(こちらはいかにも幽霊然と)姿を現わすが、犯され惨殺された妹が死の瞬間を知らない前の状態で佇むだけで媒介者としての機能を舞台上にもたらす。
イタコは死者の言葉を取り継ぎ、悩みを抱える来訪者に「あなたの言い分はもっともだ、と亡くなった〇〇さんは言ってなさるよ」と肯定し、苦労を労う。「だが」と釘を刺す。「かくかくこうでなけりゃならんのではなかったか?」辛口コメントを言い、「・・と、〇〇さんは言ってなさる」と付け加える。
時に死者の心を代弁し、こう言う。「心配は要らん」「むしろ私ぁ感謝しとる。ありがとう」そして「私の分まで生きてくれな」。。
「イタコ探偵」でもイタコ”業界”の内側に触れる箇所があるが、この「カミサマの恋」は若い修行者の目を通して「裏側」を描いてる点でとりわけユニークだが、多様な問題群が見事に織り込まれ、入り組んだ話が最後には大団円に収まる。
個人的には嫁姑のいがみあいを短いやり取りの中に凝縮したくだりがツボ、その前に両者個々からの話を聞いており、それぞれのギャップに唖然とし、笑える。この解決のために旦那を丸めこむ手管も美味しい。
マギーの博物館
劇団俳小
サンモールスタジオ(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
俳小の翻訳劇シリーズは掘出し物のままある古本屋(通人なら骨董屋と言う所か)を覗くような楽しみでチラシを眺めるが、タイトルも作者名も大概判らぬ。今回は炭坑夫の弟を持ち炭坑夫の兄と父を亡くした主人公マギーの家が舞台。炭鉱にまつわる話らしいと知って少しわくわくするのは映画「プラス!」やミュージカル「ビリー・エリオット」、はたまた「わが谷は緑なりき」?の影響だろうか。
年頃のマギーは稼ぎ手の弟と、母、祖父と暮らす。所へ、一人の男が現われる。マギーと男、家族らの関係の変遷を軸に、炭鉱の町、引いては時代への眼差しへと観客を導く。炭鉱と来て、バグパイプ・・音楽と来れば先の映画とミュージカルを思い出すが、舞台はいずれもイギリス。だが今作の舞台はカナダである。
戯曲は来訪者である男の人物像を特徴的に描いている。のだが、、
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スターダンサーズ・バレエ団
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2023/03/02 (木) ~ 2023/03/03 (金)公演終了
実演鑑賞
バレー団、とあるだけあって正にバレーである。バレーの動きに注意が向かい、少ない語彙でどれ程の表現が可能か?と反語的疑問が過ぎるが(鮮やかな動きに暫くは飽きは来ないが)、バレー言語を駆使して多様な局面を見せようとしていた。(語彙の少なさで言えば勅使川原三郎のKARASも同じと言えば同じ。)
舞踊作品の特徴を左右するのは、ひとえに楽曲だが、今作は音楽の蓜島氏を以てアピールされている(二作品いずれもか、そのあたり製作に関する説明がパンフ等にも乏しいのが憾みである)。初めて見る名前であるが、既存楽曲のコラージュのようでもあったり(前半の作品..7、80年代のファンクやディスコ音楽のテイスト)、舞踊のリズムの基調を決める大胆なオリジナルだったり(後半の作品)と守備範囲は広そうである。こういう高度な舞踊作品を観るにつき、(ミュージカルに劣らず)楽曲、音が作品性を決めると言って良い(割に、踊り手や振付家程の着目をされない事が多い)という事を思う。界隈の間ではそんな事はないのかも知れないが。
ミュージカル 若草物語
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻
俳優座劇場(東京都)
2023/02/19 (日) ~ 2023/02/20 (月)公演終了
実演鑑賞
桐朋学生の舞台を観るのは3度目。前回観た「RENT」と比較してしまうが、楽曲・脚本が持つポテンシャルに左右されるのは否めない。桐朋学園だけに福田善之作品には(指導者にとって)思い入れのあるものなのだろう、と思いながら観ていた。1945年の日本の4姉妹と母(夫は出征か戦死か..)の場面と、その次女が心酔して翻訳を試みている「若草物語」の物語世界(劇中劇)の関係性が、今一つ整理されて見えなかった所、後半を占める劇中劇の方のクライマックスを終えて終局に日本に戻り、その日が1945年8月6日と聞くに及び別の物語性が起動する。そして「その時」が訪れるのである。ここで漸くテーマ性から選んだ演目であったと判る。
学生たちはミュージカル専攻のせいか、あるいは演出の問題か、「演技」面で生白さが目立ち、年齢を違えた役柄とのギャップが厳しかったりする。が、後半それなりに見えてくるのが不思議である。
『Auld Lang Syne』(オールド・ラング・サイン)
渡辺源四郎商店
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/02/17 (金) ~ 2023/02/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ナベ源で知ってる名前、山上由里子の元気姿を目で探したが見えない。そう言えば「私も出演します」と言って前説から役に入った畑澤氏、実はこの日だけの出演で山上女史の代役であった。(後になって気づいた)
この畑澤氏の熱演は芝居にガッツリ組み込まれ、違和感がない。戦争の時代を生き抜いた擬人化された船たちの口から「時代へのコミットの意志」がこぼれるのを聞いて、早くも涙腺が緩みそうになった。
(今は日本では歴史は軽視され、道具化され、平然と塗り替えられる。墓の奥に押しやられ、偽物が闊歩する・・不遇の歴史たちが今きちんと自らを主張して立ち上がった、そんな風に感じる自分がいた。日本の惨状の裏返しであり、溜飲を下げたわけである。)
時代の移り変わりとともに登場する船たちの友情、反目、そして和解・・・全てが可愛らしく微笑ましく、ナベ源のミラクルにハマった。
(題名は所謂「蛍の光」の原曲、スコットランド民謡のタイトルらしい。)
イノセント・ピープル
劇団青年座研究所
川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)
2023/02/10 (金) ~ 2023/02/12 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
畑澤聖悟氏の本戯曲の舞台は初めて拝見。初演は2010年昴でであった模様。ナベ源のお店で戯曲は売られていないので版権は劇団が持っていると思われる。青年座の研究所発表では数年前にも上演。史実を元にし、原子力研究に携わった当事者が登場する、外国が舞台の話(終盤に日本も舞台になる・・ここは畑澤氏の創作なのかどうかは不明)。研究が行なわれた建物(当時は研究所で今は別の用途になっている)に久々に集まった数名とそのパートナーたち。ホストになるファミリーが物語の軸となり、その時点から年齢を更に重ねて行き、主に3つの年代の場面を時系列で描くという、テーマありきの芝居にしてはユニークな手法で、「家族の物語」という構造を取った事が成功した戯曲とも言える。
最初の場面はベトナム戦争の頃。成績優秀でコロンビア大学合格した息子が訪問者からの祝福を受けるが、本人は別の思いを抱いている。海兵隊に入隊したいという願望が、この場面の終盤で明らかにされる。その後の場面で彼は車椅子姿で登場する事になる。彼の妹は日本人の交際相手を初めて親の前で紹介する。広島出身の彼は反核運動の一環で海外にも原爆の恐ろしさを伝えようと渡米し、そこで彼女と出会った。
集った者らの一部は、原爆は狂ったジャップに戦争を終わらせる僥倖であったと信じ、別の者は自分の研究の倫理性に疑問を拭えない(転職して教員になった)。寡黙なホストの一家の長は、自分は原爆の研究には携わったがそれを使ったのは軍人だ(自分は科学者の使命を全うしただけ)、と考える、最も平均的なスタンスである。だが、老齢になった彼が、息子らと共に、彼氏に嫁いで日本で暮らしていた娘の訃報を聞いて日本を訪れ、彼女と共に活動をしてきた仲間からの言葉をもらう。そして、彼の中で頑なに信じていた(あるいはしがみついていた)考えがほどかれる。ラストシーンまでには、彼の妻の死、教員だった男の自死、原爆を善だと信じていた二人の老いと、時代の移り変わりと個々人の中の変化が(まるで季節が移るように)描かれ、そして自然な成り行きであるかのように、父の変化が描写される。
イノセントとは、原爆の正義に対する淀みない信仰を意味するが、ラストでの父の姿がイノセントに見えてくるのは、娘の存在を介して、その友人たちへの素直な感謝の心が、「謝罪」という態度になった、と見えるからだろう。父が関わった「罪」を背負い、米国人という立場で活動を続けてきた彼女の思いに呼応できる(まっすぐな)人間がそこに居た、という事である。個人に焦点を当てた事により、加害とその罪(ギルティ)、その対極のイデアとしてのイノセントが見事に描かれた作品。
若い役者たちは役柄上自然な事として背伸びが見られるが、奮闘していた。
15 Minutes Made in本多劇場
Mrs.fictions
本多劇場(東京都)
2023/02/22 (水) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
参加団体の出来にも依存する本企画を折節に開催して16年、改めてMrs.fictionsというユニットの独特さを感ずる。ラストは必ず同ユニットの作品が締める。本多劇場での開催について「漸く・・進出」と前説今村氏が口にしたが、名のみならず実も、スペースに見合う堂々たるもので、久々に観客と同じ感覚を共感した気になれた「劇場」の時間であった。
個人的にはオイスターズが一番の目当て。期待に違わずであった。
草迷宮~ここはどこの細道じゃ~
演劇実験室◎万有引力
座・高円寺1(東京都)
2023/02/03 (金) ~ 2023/02/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
やはり万有引力はこれが醍醐味。同じ座・高円寺で以前観た「身毒丸」の規模で、高さと横幅を使った大舞台である(同じ劇場で「レミング」をやった時は装置が簡素でやや淋しかった・・その少し前に松本雄吉演出がやはりタッパを使った大装置の「レミング」をやったので趣向を変えたのかも知れぬ)。
生演奏にはドラム&パーカッションのJ・A・シーザーのほか筝+三味線、琵琶+唄、ヴァイオリンがそれぞれ上手上段、上下段、下手下段、上段と四角に位置取り、舞台を操るよう。
迫力満点だが、「やれて当り前」、欠けて初めて気づいた所では、役者の台詞・声は十二分に鍛えられて欲しいと思う箇所があった。声量、言葉の抑揚・・。その点、冒頭芝居に誘う口上を言う高田恵篤氏の喋りは抑揚と声量のコントロールが完璧。この戯曲はナレーション風の散文の台詞で占められるため、やはり「朗読」ではないが日本語の意味を伝える抑揚と声が欲しいのである。
ダイナミックな場面転換、寺山特有の「懐かしさ」を喚起する情景は印象的であった。
まっくらやみ・女の筑豊(やま)
椿組
新宿シアタートップス(東京都)
2023/02/09 (木) ~ 2023/02/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。嶽本女史の文体が炸裂。ただし未分化な言葉が散見され、エネルギッシュに「書き散らした」印象である。現実の時間が流れる場面での台詞に、詩的言語が混じる。ハマっている所とイメージの飛躍が大きくしかも速い部分では役者はそのニュアンスの変化まで全てこなしているとは言えず、特に出だしから暫く、役者の演技が下手に見えた(一体どうした椿組・・??という感覚)。言葉を追跡するタイプの観劇者なら気にならない程度だったかも知れないが、、。
題材と視点、エピソードの広がりに「面白い」と言わせるものあり。
おやすみ、お母さん
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2023/01/18 (水) ~ 2023/02/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
風姿花伝プロデュースを今回も観る事ができた。楽日前日の舞台を拝見。
母娘の二人芝居(役も然り)という話題性は、(それで不足を埋め合わせる事はないだろうにしても)自分には不要な要素であるのでスルーし、観劇に臨んだ。
那須凛演じる娘の行動線は、一般には理解しづらい役処という事もあり、暫くは(演技からは)人物理解の手掛りが零れ落ちて行く(一瞬の寝落ちが幾度かあった・・例によって体調のせいでもあるが)。だが母のリアクションが娘の存在の輪郭を明確にしていく。終盤は釘付けになった。相手を深く理解していながら、相手のその決定を受け入れる事ができない。生と死のテーマから死刑制度にまで考えが及ぶ。あるいは尊厳死。芝居は正解を示したように見える(その事はこの舞台の成果と言える)。だが終わった訳ではなく、果てしなく続いて行く予感がする。