ブレイキング・ザ・コード
ゴーチ・ブラザーズ
シアタートラム(東京都)
2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
チューリングを扱った映画を何年か前に観たが、舞台だと「コペンハーゲン」のような高尚な科学・哲学論議が展開されるか・・と予想して見始めたのだが、予断を持ったせいか、焦点がぼやけて構図が今一つ見えて来なかった(例によって眠い体だったせいもあるか、「ダウト」で見せた凄絶な亀田佳明を期待し過ぎたか、あるいは公演序盤でまだ舞台が熟していなかったから?・・どちらにせよ疲労は頭を固く鈍くするのでそのせいだろうと言えてしまいそうでもある)。
ドイツのエニグマ暗号の解読で第二次大戦での勝利に貢献した栄光の過去(欧州では終局までドイツと対峙したのは英国)と、同性愛者である事による不遇と死という後半生。この両者を、恐らくこの作品は華美な修飾を施さず、チューリングの主観に沿った等身大のそれとして描こうとした、のではないか。
だがそうする事により、「別にチューリングでなくてもいい」物語と見えなくもない、というのが正直な感想だ。日本ではさほど知られていない人物であるだけに、「今なぜチューリングか」の問いが最後まで残った。
断片的には役者の存在感により生き生きと場面は立ち上がっていたのだが。(存外、見返してみれば見落とした細部が埋まって印象は真反対、という事もあり得るが。。)
「モモ」
人形劇団ひとみ座
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2023/03/23 (木) ~ 2023/03/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
70周年での「どろろ」に圧倒されて以来、ひとみ座の主要公演を追いかけている。今回で5作目になるか。「モモ」と来れば観ない選択肢はない。早くに完売が出る中、どうにか観られた。佃氏の脚色。シンプルさの中に光る感動の瞬間がある。期待通りである。音楽はラテン調の不思議なアレンジや、プログレ楽曲を借用した音楽など幅広く現代性にも富んでいた。
誤餐
赤信号劇団
ザ・スズナリ(東京都)
2023/03/25 (土) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
こちらも楽しみにしていた公演。赤信号はかつてのお笑いブーム(たけし・さんまの頃?)での朧げな記憶しかないが、自分には演劇の方で認知した小宮氏、ラサール氏に、桑原女史の作演出に垂涎。フタを開けると、まずリーダー(渡辺)の「へたくそか」とヤジ(好意的)を飛ばしたくなる佇まいから、これは赤信号の自分祭り企画であったなと認識。(二日目であったので小慣れなさも考慮すべきか?)
客席から見ても数個のミスがあり、それも含めて楽しい舞台ではあった。この日の一番は、芝居の後半、大学教授役の渡辺氏がかつての「恋人」室井氏と二人になる場面。少し背景を言えば、大学に入学して来て自分のゼミに入った青年が室井の息子であると知り、そして今日彼女が二十数年ぶりに会いに来ると聞いてかねて疑っていた「彼は渡辺の実の子かも知れない」件を告げに来たのでは、とあたふたしている。その伏線あっての、二人の場面。二人を精神的に結びつけていたアイテムというのが、若き日に彼が書いた論文を収めた書籍で、預かっといてと言われて後ろポケットにねじ込んだそれを、室井が見つけて「これ・・」とそちらの話題に自然に入っていく「はず」であった所、どうやらポケットから出して楽屋に置いていたらしく、室井が次の台詞の前に笑いながら渡辺のズボンの後ろポケットをつんつん、とやっていた。それを見て渡辺「ちょっと、本を取って来る」と、あたかもそう決まっていたかのように奥へ引っ込み、本を見せ、会話再開となった。ドラマとしては大失態なのであるが、こんなシーンも笑って見られるだけのお祭り感は「赤信号」ならではである。
この論文は渡辺唯一の出世作で、室井の息子も「ヤバい」と心酔しているのだが、芝居のアイテムとして「論文」というのは珍しい。というか、そこに何が書かれているか内容が問われるものは(例えばかつて天才音楽家と呼ばれた男のその楽曲を披露しにくいのと同じく)扱いが難しい。それはともかく・・この論文は大学の食堂のお姉さんだった若い日の室井との会話から着想された「二人で作った論文」であったが、アカデミーの世界を人生のコースとした彼はそれを自分の著作として世に問い、その疚しさから彼女の元を離れた、というひどい男である。だがよく判る顛末でもある。本作は人情喜劇だがシリアスに描いても行けそうな設定。ただ、教授が自分の「罪」を皆の前で告白するクライマックスの後、判りやすい仲直りの場面はやや微妙であった。
K2
滋企画
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/03/24 (金) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一年以上前からチラシを手にして期待の佐藤滋企画であったが、「K2」というタイトルも深く追求せず、ついに観劇当日蓋を開けてみたら、既存の海外戯曲しかも山を舞台の二人芝居だった。山の中の二人芝居、で思い出すのは大竹野正典『山の声』だが、こちらは実在した登山家の「最後」を題材にしており、戯曲の魅力は「危機」が訪れない道程、日常と地続きの感覚と非日常の絶妙なバランス、台詞の含蓄(文学性とでも)。今作「K2」は遭難から一夜明け奇跡的に命を取り留めたとは言え既に「危機」のさ中にある二人、から始まる。こちらも日常と非日常の感覚の往還はあるが、登山用語が飛び交う「非日常」の緊張感に比重がある。
播磨谷ムーンショット
ホチキス
あうるすぽっと(東京都)
2023/04/07 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
過去一度(7年位前)観たホチキスの印象は、薄れているものの、とにかく体力全開、ロックな印象。歌、音楽、アトラクションがメインのような舞台であったが、当時自分の関心であったドラマの構造(俳優への関心薄し)が些か脆弱で、残念感を覚えた記憶である。その後、舞台の印象と共に刻まれた主役・小玉氏を外部で目にするにつき、拒否感は薄れ、先入観を払拭して久々の観劇と相成った。
荒唐無稽なストーリー(この劇団の特色と言ってよさそう)で、観客に「乗りツッコミ」の忍耐を強いるだろうドラマを、程良い笑いや小ネタ、テンポで超えさせて、最後にはちょっとしたクライマックスをもたらす。アトラクション主体、という点は以前のに通じてもいるが、今作は「ありそうでまず無い」ドラマが大きな瑕疵なく着地していた故、笑いを伴う役者のパフォーマンスもドラマの流れに即した順当な(というのも妙だが)「演技」として屈託なく成立していた。
彼女も丸くなった
箱庭円舞曲
新宿シアタートップス(東京都)
2023/04/12 (水) ~ 2023/04/18 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
箱庭円舞曲は多分10年近く前、711だったかアゴラだったかで観た。震災が尾を引いていた時期の、災害にまつわる話だったが書き手の古川氏には発展途上な劇作家のイメージ。"やり手"(作為か天然か悟らせぬ)という印象の白勢未生が入団しその点でも注目していたが機会を逃してこの度久々「二度目」の観劇となった。
構成に難解さがあるのは恐らくこの劇団の特徴、書き手の指向。役者の技量が細かな演出(指定)に応えて、繋がりの判らない前半を乗り越えさせ、禁欲的な叙述の雫が後半になってようやくグラスの表面張力を破ってじわっと流れ落ちる感触で、ドラマの要素が浮上し、全体図が霧の向こうに見える感じで見えて来る。
物語自体も自分は面白く観たが、それ以上に芝居を通じて溢れ出て来る、時代を生きる感覚のようなものに共鳴させるものがある。
相依為命(そういいめい)
ミュージカル座
シアター・アルファ東京(東京都)
2023/04/05 (水) ~ 2023/04/09 (日)公演終了
実演鑑賞
随分前の事だがある若手俳優に所属を聞いて思わず聞き返した劇団名。以来、名を見る度にチェックはするものの文字通り「遠い」存在であったが、今回シアターアルファまで接近。作品への入魂具合を見定めて劇場へ足を運んだ。
馴染みが「ある」とは言えないミュージカルというジャンルについてここ最近吟味する機会が多かったが、日本語オペラのこんにゃく座が独自の世界(本家オペラとは一線を画した)を構築したように、比較的小空間でがっつりストーリーのある舞台に音楽を拮抗させた「ミュージカル」という分野が、中々完成度高く実現している事は新鮮な発見であった(この劇団はその嚆矢なのかも・・等と関心がもたげる)。
観始めは「今なぜ愛新覚羅?」の疑問が脳裏をめぐっていたが、観終わった時は作者の企図が飲み込めていた。歴史上の愛新覚羅溥傑(溥儀の弟)と日本人の妻の足跡を描く筆致は独特(というより若い世代の歴史理解を反映)。そこに危うさがなくもないが(年寄が若者を見る眼差し?)、この歴史の叙述に抜かせない要素を作者なりに掬い上げ、メッセージに結実させていた。音楽は前半メローに寄りすぎか(聴いてて心地好くはあるが)、という印象であったがトータルで多様な風景を作り、レベルは高い。長尺の音楽(多場面を持つ)がミュージカルや音楽劇における「音楽」の面目躍如である。
自分にとっての「意外」は、全体に歌唱力が高い(子役も)。実際の所プロデュース公演の本格ミュージカル以外ではあまりお目にかかった事がない。
ミュージカル「おとこたち」
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2023/03/12 (日) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
ハイバイ観劇何作目だったかで出くわした「おとこたち」は少々異色作、少し配役を変えての再演でも弾けた感はなく岩井氏の探ってる感が残る。・・とは後付けの印象かも知れぬが、新装PRCO劇場に寄せる(初)ミュージカル作にこの演目を?とまず訝ったのは正直な所。最後まで訝り続けたのだが、岩井氏の信頼する前野健太氏そして出演陣に期待し、「んーー」と迷った挙句観に行った。
結論的には、この作品のドラマツルギーが最もしっくりと、飲み込めた気がした。
構成はおそらく随分改められ、初演、再演で平原テツらが作るキャラと空気感(言わばハイバイ的空気感)と大きく風合いが異なり、過去の「おとこたち」の記憶と合致する場面は前半訪れず、「そうだこれだった」と思い出したのがほぼクライマックス、葬式の場面であった(表の顔しか知らなかった旧友の葬儀に参列し、死者を冒涜するかのふてぶてしい息子に諫めた男二人が、生前の家庭内の様子を伝える衝撃の録音を聞かされる)。
冒頭の「歌」はカラオケでガナるような塩梅で(ここは記憶と朧に合致)、ミュージカルってこれ?と不安が過ぎったが、少しずつ風景が細密化し、歌も地に足の付いた、そぐわしい物になって行く。人生を俯瞰して無常観(死そして意味の揺らぎ)とノスタルジーを呼び起こすドラマであるが、語り手(ユウスケ)を含めた四人それぞれの凡庸だったり数奇だったりする人生が、同じ時の流れに翻弄され、一つの結末に行き着く存在として並列され、想念の中の記念写真に納まるラストの図と、歌に図らずも涙腺が緩んだ。
シブヤデマタアイマショウ
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2023/03/30 (木) ~ 2023/04/09 (日)公演終了
アウトカム~僕らがつかみ取ったもの~
劇団銅鑼
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/22 (水)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
銅鑼の安定感ある舞台を3、4作品観たが今回初めて映像で鑑賞。おなじみのシアターウエストで。独特なテイストがあった。理由は掴みとれないのだが、一頃もてはやされた町づくりワークショップの理想的展開の事例という感じで、参加者一人一人にもスポットが当たり、群像になっている。アウトカム(活動がもたらす結果。アウトプットよりは長期的・本質的な効果といった意味合いが強い)を評価する(事業評価)会社を作った男が「最後の営業日」でその銭湯を訪れる日から芝居は始まる。彼がそこで再会した旧友を誘いこみ、その旧友(主人公)の目を通して、事業評価を発注したプロジェクト(廃業を決めた銭湯を建屋ごと再活用する)の顛末を描写して行く、という構図になっている。このプロジェクトは町づくりワークショップの方式を用い、参加者間の関係性や、参加者個々の人生にも触れて行く。物語自体は、このプロジェクトというセミパブリック状況でのウェルメイドなハッピーエンド・リアリズム劇だが、浮世離れした感が、今の世のアンチテーゼにも思え、逆にプロジェクトを進める代行企業や出資者として参与する企業、その内情もチラッと出てきてリアル社会の縮図でもあり、そのバランスが独特。
あでな//いある
ほろびて/horobite
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
注目のほろびてだが、漸く二度目になる今作は映像で鑑賞した。現代社会の矛盾が無言の内に噴き出す様を情景化した舞台。コンクリの床と正面奥の瓦解したコンクリ壁の残骸は物理的な破壊を表し、人物によって描かれる諸相はその背後の、荒涼たる人間の心の風景。両者の関係への考察が本作の原点である事が想像される。演劇が、芸術が掬い取る使命の核心を扱っている、というのが私の感想。
入管収容所
TRASHMASTERS
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/02/17 (金) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
配信で鑑賞。
タイトルがいつもの謎掛けのような文字列でなく、ストレート。加えて今回は配信を実施するとあり、どことなく「特別回」の公演だな、と読み取った。ネットのサイトの有料動画が、「テーマの普遍性・緊急性に鑑み」無料公開される事があるが、それに近いものか。。
入管問題に踏み込んだ芝居であり、その大部分は入管で亡くなったスリランカ人ウィシュマ氏の「死」に至る経過を辿ったものと言って良い。入管職員の理不尽な対応と「何も説明できてなさ」のこれ以上無い解説に芝居はなっていて、身も蓋も無い現実を露わにし、観客に突きつける。後は観客それぞれがこの現実を受けて何をするか、である。
物語上の「救い」は芝居の中には無い。しかし明白な「誤り」が存在し、今なお改められずに放任されている「事実」が共有される事自体は(つまりこの上演が実現した事は)希望であり救いである。
今作の特徴は、入管側の人物を思い切って舞台上に上げたこと。入管に勤める人間の中にも良心がある、という配慮もした上で、結局「収容し続けていること」の根拠が薄弱である現実を冷徹に描いたものと私は評価した。
「敵」を軽く見せてもいないし、ことさらに「悪」に仕立てて溜飲を下げてもいない。この芝居のような現場で、上司に「抗う」人間は、多分いない。だが水面下ではどうか・・。その水面下の感情が表面化していたらウィシュマさんはどうなったか(助かったのではないか)・・その「願い」が表面化した部分がフィクションである。人を死なせてはしまったがその事実から何かを改めねばならないと考える人間が内部から出て来れば、昨日とは違う入管の姿を明日目にする事ができるかも知れない・・。
長谷川景演じる職員の心中の苦悶と、最後に上司に対して取った言動は、私たちが非道な入管に対峙して夢想の中で思い描いたものでもある。
実際の入管はもっと殺伐としてドライでああいう場面は実際には生じない。上からの指令か外圧でしか組織の変容は起きない。従って私たちが何をするか、である。
少女仮面
糸あやつり人形「一糸座」
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
コロナで長らく据え置かれた公演の一つ。天野天街演出による糸あやつり人形劇「少女仮面」とまみえた。バタバタの日々の中、観劇日が訪れたので体だけ運び、座席に身を沈める。
赤坂REDの後方席はやはり遠く、しかも糸操りの人形は舞台床に近い場所で動くので視界から外れる事も多い。そして台詞の応酬はBGMとなり、眠りに落ちる。
ただ・・問題は観劇上の条件というより、何かが足りない。決定的に足りない。あ、そう言えば、と気づけば天野天街演出と言えば「これ」というあのシリトリ台詞や、照明・音・映像等を駆使したドラスティックな転換、そして何と言っても場面の執拗なリフレインが、無い。。
これにハッと気づいた時は逆に衝撃。「え~~」と心の中で声を上げたが、冒頭近くで一人で台詞を何度か繰り返すくだりが一度あったきり、最後まで天野演出のミラクルな瞬間は訪れなかった。
糸あやつり人形の魅力に最初に圧倒された「高丘親王航海記」と、同じ演出の天野氏のものとは思われず残念感は拭えなかったが、一つには、少女仮面のテキスト自体の長さ(刈り取りの難しさ)がリフレインの余地を許さなかった、そしてコロナを意識した時間上の制約、など推測する。かつて観た「高丘・・」はテキストにしても短かく、先々で異形の生物に出会う直線的なストーリー、幻想譚で、人形のみの人形劇。
一糸座が得意とする?人間の俳優と人形のコラボは演目を選び、両方のギャップを埋める演出的工夫が不可欠。「少女仮面」では主役の春日野と少女を人形(一糸座の親子)が演じ、喫茶店マスター、甘粕など重要な脇を丸山厚人、大久保鷹らが演じた。だが役者というより文化財的な意味合いを帯びる大久保氏の存在感や、役者として回せる手練れの丸山氏を排し、あの特徴的で懐かしいフランスの歌(題名忘れた)を流しても、催して来ない(数年前の梁山泊公演で李麗仙が登場したが、どうにかあの歌が本領を発揮できる条件に到達できていた)。それを安易に使ってしまってる感もある。汗みどろで情念の炎を吐き出す生身の演技が上げる熱量こそアングラに必須なもの。
「人形を遣う」必然性、利点をどこに見出すかは、中々難しい問いだが、そこに戻ってしまった。
和解
工藤俊作プロデュース プロジェクトKUTO-10
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/03/15 (水) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
昨年初めて観た工藤俊作(kutoh)プロデュースの前作は、関西の3人の書き手(その一人内藤裕敬氏が構成演出担当)によるオムニバス。イベント的公演をやってるものと勝手なイメージがあったが意外に普通の芝居(と言うのも変だが)、ストレートプレイである。もっと意外なのは、劇団公演のような繊細な作品性があった。阪神淡路大震災と、その後にあったという(架空の?)震災が影を落とすある家族の時間を跨いだドラマ。後半、生者と死者の境界、時間の境界を超越した時空へ移行し(その瞬間は死んだはずの長男を姉弟が迎え入れ賑やかな会話が始まる事で明瞭に分かる)、その境界を超えた対話によって初めて出来事や関係性が明らかになる、というテキストである。
送りの夏
東京演劇アンサンブル
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
大納得の舞台。劇場の活用もうまい。
劇団は主宰を失ってより演出担当は持ち回り、というか企画により都度決まっている印象であるが、このかんの舞台を通して演出家三木元太氏の存在感は定着している(自分の中では)。美術担当を兼ね、納得させられる事が多い。
本作は自分はあまり知らないが作家のデビュー近い頃の作品が原作。児童演劇を主な活動の場とする若手劇作家に脚本依頼し、舞台化した。
海辺に近い、奇妙な集団生活を営む家へ、母を追ってやってきた娘のある夏の物語。完全に空隙を突かれた内容で、人物らの感情とそれを受け止める娘のリアクションが砂糖水のように喉を通って入って来る。久々に涙腺が大幅に緩んだ。
娘の感性が物事や他者の感情を受け止めて行く過程を観客はなぞって行く。その一つ一つに人間の可能性を実感させる。「出来すぎた話」がそうでもなく入って来るのが不思議である。
レプリカ
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2023/03/14 (火) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鐘下作品の回のハツビロコウ。古典作品の舞台から推しても松本氏の処理(テキレジによる「現在劇」化)は大きいが、秀作がまだまだ眠っていそうで嬉しい。本作は鐘下らしい「極限状況」を舞台に据えながら、サスペンスの要素があり、娯楽作品として純粋に面白く、踏み込んだ人間描写が現象の「背後」に想像を届かせ、観客の五感を刺激する。圧倒的に強い相手と、それに対し無力な存在(今回は以前ストーカー被害に遭って田舎に父と共に移って来た若い女性)という非対称の状況を固唾をのんで見守る作品というと映画「暗くなるまで待って」(テイストは全く違うが)。このドラマが成立する要件であろう、端正と艶を備えた俳優を配した。
ラストは一つのオチではあるが、そこまでで十分にサイコな(精神の)世界を堪能した舌には、「現実社会のリスク」を指摘するラストは特段必要を感じなかった。が、非常にまとまりよく完成度が高い。
Don't freak out
ナイロン100℃
ザ・スズナリ(東京都)
2023/02/24 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
時~々観るナイロン100℃。「しびれ雲」を観たばかりでスルーしていたが今回は劇場がスズナリとはうっかり。公演の終り間近の昼公演を当日券にて観劇した。凝り具合がよろしい。無二の世界に思えたが徐々に「アングラに寄せてるな」と楽曲(全員で歌う歌もあり)で思い当たった(音楽が鈴木公介氏なら意図的なのは明白・・白塗りもその含みがあったのね)。
舞台は一軒家の女中部屋。猟奇な世界観(江戸川乱歩とか)。完璧に作り込まれた濃密な空間で趣向も憎かったが、最後にケラのテイストが出て少々残念がった。
長く女中をしている所の姉妹(松永玲子・村岡希美)の風情が秀逸。とりわけ村岡女史はThe Shampoohat「砂町の王」で目にして以来その存在感にやられているが、その舞台や際どい役を堂々こなした「娼年」の事など思い出させる。みのすけをはじめ役者力とオーラを間近に浴びる贅沢な舞台でもあった。
行きたい場所をどうぞ
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2023/02/23 (木) ~ 2023/02/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
瀬戸山氏の青年劇場書き下しは今作も十代女子が主人公。新鮮な風を感じる感性に導かれてちょっとした旅(だが真の意味での「旅」)をする。AIロボット(少女型)との二人旅の舞台はAIが人間の生活や産業の各所に導入された近未来社会、とは言ってもAIがもたらしかねない資本と雇用人口の熾烈な分断、といった深刻な状況よりは、自我(状況を判断し自己の行動を決定する土台)が芽生え、人間に近い感情を持ち始めているAIというファンタジックな想定。非人間性が社会を侵食するディストピアとは対照的な、異種の人格が人間界に参入する「多様性」の未来への想像力に観客は感化され、感動が湧き起こるのだろう。
しゃぼん玉の欠片を眺めて
TOKYOハンバーグ
駅前劇場(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ハンバーグの同作初演を観ているが、良い作品であった。今回の再演では中心となる老齢の人が初演の男性(三田村周三)から女性(矢野陽子)となり、配役も一新した事もあるだろうが、より示唆的で「現代」を重ねて見る作品になった。
祖母の退化論
PARA/布施安寿香/和田ながら
PARA神保町2F(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
SPAC舞台でも存在感を認める女優、布施安寿香氏は数年前鳥公園に客演しその鋭くかつ大らかな演技に感服した。この一風変わった企画(しかも入場料はそれなりに高い)に出かけたのは、プラスよくは知らないが一定評価のある和田ながら氏、そして決め手は謎の作家・多和田葉子のテキストに取り組んだものである事。(謎、と言っても著作は多く、翻訳家という出自を対象化し遡及することから執筆業は発したらしい、というぼんやりとした認識がある。ただ読むと入り組んだ思索に誘われ、凄みがあるが複雑で読了した事がない・・遅読のせいもあるが。)
舞台は圧倒的であった。一人称の語りが、様々な光景を見せる。物語は展開する。入れ子状態にもなり、主体はシフトするが人格は一つ。役者の肉体は喜々としてそれを体現し、観客と存分に共有する。105分の一人芝居。