三人姉妹
アイオーン
自由劇場(東京都)
2023/09/23 (土) ~ 2023/09/30 (土)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
映像にて拝見。
演劇の世界では三人姉妹は著名な作品、古典に属するが、清水邦夫の「楽屋」の幽霊たちが演じるラストを何度となく観ていると知った気になっており、また東京デスロックの「亡国の三人姉妹」なんかを観た事から(これは無言のシーンの続くハイアートな舞台でどこをどう翻案したのか理解してない時点で「原作を知らない」事が明白だった事が今は分かる)、「観たと思うんだがなぁ」という感覚でいた。
実際にはその多田淳之介が演出してKAATで上演された韓国作家による翻案「外地の三人姉妹」が、ほぼ原作の輪郭を留めたものでこれを観ている。その前に桜美林学生の鐘下演出版を観ており、大胆な構成な構成ながら物語の輪郭は見せていた。その後はアゴラ劇場で三人だけで演じる三人姉妹を観(梗概を掴むに有効)、その後アトリエセンターフォワードによるシアターXでの上演(ストレートプレイとして正面から取り組んだ優れ物)を観た。
ということで振り返ってみるとそれなりに観ていた演目だが、どの舞台も同じ戯曲から立ち上げたとは思えない独自の空気感を持っている。
そして今回のunrato版。そこそこ大きな劇場で蜷川幸雄の薫陶を受けた演出家らしい王道な、古典作品の大々的な上演という出立ち。最も古典的な古典上演を観たという気がした。
詳細いつか。
ホテル・イミグレーション
名取事務所
新宿シアタートップス(東京都)
2023/09/15 (金) ~ 2023/09/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
名取事務所としては珍しい系列として昨年、「カタブイ1972」(内藤裕子作)を観たが、この「書き下ろし」上演の路線を今年も、詩森ろば作品で試みた。
文句無しに満点を付ける。「期待しなかった分、予想を上回った」、といったような事ではない、と思う。
移民問題、入管問題。作者が当日パンフで、題材は主催者側から提示され、そこから事実を知って行った、全てが初めて耳にした事だった、と述べている。自分の足下で、こんなに近くで、、その衝撃と思いは理解できる。知らなかった事の負い目がよぎる。そこから出発し、作品がそれに見合うものになる事をひたすら目指し、問題の単純化には流れず、あらゆる問題群を一つのドラマと人物に落とし込み、特別な事としてでなく私たちの生と地続きにあるものと見えて来るよう、真摯に取り組んだ痕跡だけが見えた。(降って来た作品?と見える事がままあるが、今作もそう見えつつ、作家の不断の探求の上にしか訪れない部類である。)
感動のポイントは幾つもあるが、詳述は控える。
名取事務所公演はキャスティングにも一目置くところがある。ユニークな取り合わせでもあり、堅実でもあり。この俳優だからこそ、と見える場面に出会える事も、演劇の贅沢な瞬間であり、深い人間理解にもいざなう。
アナトミー・オブ・ア・スーサイド【9月11日~20日公演中止】
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2023/09/11 (月) ~ 2023/09/29 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ほぼ全編、三つの場面が舞台上に展開し時に台詞も被りまくる(三つ全部が被るのは避けられ観客の注意力の限界をそれなりに考慮している)。三世代に跨がる女性の話でその関係者を周囲が演じる。その事が分かるのは芝居の中盤であったが(それがためにジグソーパズルを埋めるような面白さもあった)、自分は冒頭の一場面を逃しており最初に全体図の提示があった可能性はある(この日は都心北部の電車が停まった影響で上下線とも遅れがあり、駅から猛ダッシュするもアトリエに入る路地を見失い2分遅れ。あとから客が次々と到着していた)。
だが観初めてすぐ舞台を目で追わされ、入り込んだ。自分が産んだ子を普通には愛せず砂を噛むような人生の砂漠を手探りで彷徨う母、十代からヤクにハマって地獄をくぐったその娘、さらにその娘は同性パートナーとの関係を持ちながらも自分の奥に燻る何かを持て余している。時間経過の多くの箇所は抜けており想像で補うしかないがかの想像の余地が演劇的である。彼女達が住むのは同じ庭付きの家屋であるのがミソで、そこに人の生の連鎖、反復、過去から未来を臨む視線が宿る。無色だった時間の中に希望の色が微かに灯るのを俯瞰の風景として見るラストが胸に迫る。1970年代に母となる一世代目に栗田桃子、2000年代の三世代目に熱を上げ心の扉を叩き続ける女性に渋谷はるか、が名を知る役者であったが、期待通りの演技ながら全体を構成する一つとしてはまっていた(独特な作りの劇に貢献していた)という印象の方が大きい。
アメリカの時計
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2023/09/15 (金) ~ 2023/10/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
この作品は1929年に起きた金融崩壊、即ち世界大恐慌を題材にし、その期間の人々の人生、生活を描き出したものだ。浅学な自分に芝居が突きつけて来たものは、混乱の時代の時間的な長さだった。大恐慌というとリーマンショックのような一時的な混乱と、一部の人間が破産に追い込まれた、といった程度の認識だったが、右肩上がりの経済のなか進歩を疑わなかった多くの中流そして農民たちが家や田畑を奪われ、都会に流れ、炊き出しに並び、取り立て屋のベルに怯え、精神を病んで行くといった風景が、「一時的」とは言い難い苦難の時間の中で進んで行く。
建国以来、米国人が経験した苦難は南北戦争と大恐慌この二つだ、と冒頭に語られるが、江戸の農民たちが二百数十年の間に何度と知れない飢饉に見舞われ重い年貢に耐え忍んだのに比べれば、僅かな期間である。しかし彼らは民主と独立の精神を国是とし豊かさとそれらへの信条が結びついていたため、信じていたものが奪われる経験は精神の危機でもあった訳であった。
この戯曲を今季のKAAT主催公演に選んだ長塚氏にまず敬服。この戯曲には米国の地名、大学名とローカルな単語が頻出するが、私には今の日本社会を隠喩的に描いている舞台と見えて仕方なかった。そしてその同じ状況に対する、心の叫びが様々な行動や言葉の表出となる光景は、それ自体悲劇的だが私たちの心の声の代弁でもある。わが日本を顧みると、この心の声を覆い隠し、何事もないかのように誤魔化し、やり過ごす先には何も起きそうにない。
ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~
Bunkamura
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/09/10 (日) ~ 2023/09/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
<はえぎわ>は主宰が出世してあまり観れなかった一つ(開店休業?)。10年近く前あたりに観て、次は丸の内あたりの変わった場所で観た。ノゾエ作品は下北沢でもう一つの作品との二本立てで観たが奇妙な取り合わせだった。ノゾエ演出舞台は新国立でピーターパンのスピンオフ的な翻訳劇の他どこかで見た記憶が。
という事であまり縁の濃いとは言えないはえぎわだが、当時の作品を選りすぐった俳優で上演という事で「やっぱ観ておくか」と観る事にした。のだが観ていく内に、段々と、最初に観たはえぎわ作品だと気づいた。(ピエロと老女、という梗概を読んでいても思い出さなかった。)題名は耳に覚えがあったが、これだったっけ・・。後で調べると、初演がアゴラ(2010)、再演が星のホール(2012)、前者ははえぎわ団員のみ、後者はままごとの柴幸男を俳優として迎えた異色公演、とまで見てもまだ思い出せない。間近で観た感覚があるのでアゴラか、しかし劇場の雰囲気は三鷹だったような。で柴氏の立ち姿を自分はどこかで観ており、解説には「最初で最後の出演」と、書いてあるのが本当なら星のホール。震災後だ。構成や舞台がゴチャゴチャしていて中々ついて行けないながら、老女(と言っても若い劇団員が扮した役では複雑な全体の一部としてナンチャッテな感覚で見ていた可能性あり)に拘泥する青年の姿はドラマの中心で感情の波動を送っていた。そして明瞭な記憶は最後を飾るボレロ。一曲全て使い切り、列を為したりムーブしながら「演出的に芝居を締めた」後味を残した。芝居を成立させた、「うまいな」と思ったというのがその時の観劇だった。
今回の舞台では周囲がぐるりと黒い壁で取り囲まれ、シャッターを開閉して出入りする倉庫のような箱が、唯一の人の逃げ場所になっており、一々ガラガラ、ガラガラと鳴る。序盤のうるささが後半は減り、終盤は皆出ずっぱりになり、壁際に気配をけして佇んだりして青年の空間が社会に取り囲まれて行く感じもある。訪れるべくして訪れる老女監禁(実質)生活の終結は、老女が青年の部屋からふっと居なくなる事で到来するのだが、その直前、それまでは赤子のような喚き声で青年を困らせていた老女(髙橋恵子)が、異様に覚醒した様子で静かに、ゆっくりと青年に向かって台詞を吐く。この場面を折り返し点として観客は演劇の時間・・多数の人力で動かしていた時間が下り坂を下り始めた事に気付く。
序盤で若者のコンビに騒しく喋らせていた「進化」の蘊蓄を伏線として終盤現れるのが、青年の周囲の有象無象が集団となり進化のマイムで遊ぶ風景。猿、猿人、原人、道具を持ち、やがてキーボードを打ち・・という動き。既に「ボレロ」が薄く鳴り始めており(実は一度観た芝居だとちゃんと確信したのはこの時)、スローな一歩一歩の行進が始まる。これが示唆的である。周囲が動き回る中、主人公の男は一人、打って変った様子でスーツに着替え始める。異なる空間、次元が混在する舞台の各所には、所狭しと書き加えられた二次元のチョークの文字が思考の世界へと誘う宇宙のよう。そこへ三次元の肉体が、よどみなき原始の本能か自動機械のように足を踏み鳴らしている。青年の最後の台詞は「自首する」。だが犯罪というもの全般をあるいは包摂できるのかも知れないのは、全ては必然であるという事。人は必然の導きによりその相を変えて行く。一人の中に蛇行しながらの進化があり、人類も同じくそうである。進化のマイムから行進が始まった時、私たちが来たった進化の先へと歩み出す歩みと見える。誰も知らない進化の形が待つこの先へ。価値は一つではなく、倫理とて然り。たまさか、人はその時代に生まれ、死に行く有限な存在だが、確実な事なんて何もないのに何をもって絶望できるのか、あるいは断罪できるのか・・。
部屋を出て行った老女が何事もなかったように施設に戻ったそうだ、と面倒見の良い兄が知らせて来た時、自分は「ああ。大事にならずに済んだ」と思う。だが老女が青年に引導を渡し、彼を赦したという二人の見えない関係性を他者は知り得ない。青年は社会に出て行く決意を契機に「自首」を選ぶが、それは悪事への償いであるよりは社会の門をくぐる手続きに等しい。善悪が彼岸へ退いた世界観、と言ってみると、ノゾエ氏を言い当てた言葉な気がしてくる。
HAMLET|TOILET
開幕ペナントレース
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/09/06 (水) ~ 2023/09/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
同タイトルはKPRの代表作と思しいのであるが、今作は「新作」と謳ってあった。KPRは私の知ったトラム上演(客席を撤去して高いステージを組んだ大胆な演出)以降は一度下北沢の小さなハコで観たのみ。(その後一度浅草のカフェだかで翻訳物をやったのは現地へ行くも観劇能わず。)
という事で個人的にはお預け期間を経ての久々のお目見えであった。
ハムレット、トイレットのモチーフはそのままに、確かに新作と言ってよいパフォーマンスである。ギャグを重ねて「ハムレット」の(KPRなりの)要諦に迫る。排泄系の下ネタは罪がない。これを梃にハムレットを解体・構築する営みが、何を打ち出すために、何を目的に為されているのか、についてはうまく言葉に出来ない。
今思い付く言葉と言えば、これまで見た事のない新しい風景に心踊った事、役者の愚直に「事を遂行する」アスリート的エネルギーが爽快な波動を送って来る事。
オール・アバウト・Z
日本大学芸術学部演劇学科 令和5年度 総合実習A1(演劇)
日本大学藝術学部 江古田校舎北棟中ホール(東京都)
2023/09/14 (木) ~ 2023/09/16 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
日藝を初めて訪れる。学生演劇も(常連である桜美林鐘下Opalを除き)久々だ。本舞台は川村毅氏自身の演出による近作上演。出演者は8名。川村氏得意の?アンドロイド物、近未来(いや遠未来か)を舞台にしながら現在とどこかで錯綜するような誌的な作品であった。終盤に至る映像、ムーブ、装置移動によるダイナミックな演出は視覚から「現代を生きる私たち」を俯瞰させ、情動を呼び起こすもの。会場の拍手は熱かった。
星をかすめる風
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2023/09/08 (金) ~ 2023/09/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
再演。戦時中福岡で獄死した詩人・尹東柱の舞台は観ておかねば、と足を運んだ。彼を巡る逸話が多彩であった事を見ながら思い出す。話は九大医学部の人体実験にも及んで、背景にあった「戦争」が局部的な異形として徐に眼前に現れた。医学者の口から何の躊躇もなく実験を正当化する「他の多くの人間のため」との言葉が飛び出すが、マイケル・サンデルのトロッコの譬えそのものだ。
彼の詩は、取り上げられ焼かれてしまうので、刑務所内で許された凧揚げの際、詩を書いた紙を付けて糸を切る。獄外から凧を上げる「少女」(なぜかそうだと分る)の存在が彼の心の慰めであり、彼の詩を読んでくれた人である事が確信されている。医学部が来て以来、衰弱して行く尹東柱。凧揚げを許した看守長。その彼は容赦なく囚人を殴る蹴る男として憎まれる。彼が殺された場面が冒頭であり、ミステリー構造を持つ芝居でもある。そして彼のその相矛盾した行動(尹に見せた優しさと囚人への暴力)の真相も明かされる。語り部となるのは殺人事件捜査の主導を要請された新任職員。彼の目で真相を探って行く。読み物としても面白い作品。
人体実験の事は忘れていた。遠藤周作「海と毒薬」を読んだのに。。医学者の唱える「正義」に対し、「なぜその考えは否定されねばならないか」(あるいは許容されて良いのか)、戦争を経験した日本人である私らはこれに答えねばならない。
いつぞやは【8月27日公演中止】
シス・カンパニー
シアタートラム(東京都)
2023/08/26 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
加藤拓也なという存在をあの時注目して良かった・・あれも観れたしこれも観れた。素直に喜んでる自分がいるのは確か。
KAAT、トラム、KAAT、トラムと観て、同じシスカンパニーの翻訳劇、芸劇のやつも観たが、トラムでの(前回と同じく平仮名だけのタイトルの)今作は、(同じく平原テツ氏が主役で同じく「病気になった人」を演じた)岸田賞受賞した「ドードー」と重なり、この作品のこの役には徐々に、徐々に見えて来たという事はあった。
「平気そうに振る舞う」様子が、前やった役(その時は統合失調症)の風情に通じ、本人もその役から離れようと意識しているように終始見えていた(観客の勝手な想像だが)。そう見えながらも芝居は目に嬉しく飲み込みやすく、見事に演じられたと言えるが、窪田正孝氏降板と当日知った(窪田氏がキャストだった事も..)事でどうしても「もしも・・だったら」は付きまとった。
さてよく作られた芝居である。ストーリーだけを取り出せばごくシンプルである。直球のメッセージを、独特な演出で抑制し、(過去作のような)淡泊さ精密さを印象づけるが、一人の人の「病~死」に直面する人間の感情は否応なくエッジが立つ。
彼らの関係性の中に作者は反目や利益相反といった複雑な要素を入れていない。演劇をやるために集まっていた仲である。どなたかが「実話という話も?」と書かれていたが、それもあり得る。死者に献げているかのような物語である。
死に直面した旧知の者との対面の仕方に戸惑う姿に、ドラマの片鱗がある。ある場面、その心情を(表情の見えない最後列からも)体全体でありありと伝えて来て唸った夏帆の存在感。また終盤、次に何を言ったかが分かる残影の鈴木杏(脚本のうまさも)。最後の日を共に送る事になったらしい鈴木からの電話を取り、むせび泣く煩い男友達(今井隆文)の嘘の無さ。
ああこれは窪田氏を想定した選曲だなと思ったのは、平原が二度歌う、たまの「今日人類が初めて...」だ。窪田氏の声が脳内に甦り、ああこのギャップ感は美味しかったろう、本人に歌わせたかっただろうなと想像された。
リビング・ダイニング・キッチン
ウンゲツィーファ
アトリエ春風舎(東京都)
2023/09/14 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
栗★兎ズというよくわからない名前の時代に一度観て、細ペンで手描きのチラシから予想される現代口語演劇でも、構造のしっかりした動的なドラマを書くな、という印象だった。
6,7年は経ったか、これもよくわからないユニット名となっての本作も中々演劇的な<中味>は豊富で、アトリエ春風舎を活用した舞台美術(作り込み系)と隠喩的な小道具を媒介しつつの風通しの良いテンポ感ある劇展開。身に詰まされる家族の風景がなぞられている。
短い上演時間だが濃い時間であった。
『会議』『街角の事件』交互公演
Pカンパニー
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2023/09/06 (水) ~ 2023/09/12 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
別役づくしシリーズ最後のvol.4にして漸く観劇。「会議」「街角の事件」両作とも観ることができた。
別役戯曲の中でも陰影の深い部類の作品で、ナンセンスが滑稽さにも怖ろしげな感覚にも近接する。「会議」は新国立研修所の発表を面白く観ていて、周囲が暗闇に飲まれる劇場の作りが味方していたと記憶。今回は空間的に限界あるシアターグリーンであったが、黒をうまく用いていた。
以前P-Farmという新人育成公演で別役作品(二人芝居×2作品)を観た時の磯貝誠氏(別役作品の特異な雰囲気を体現したような)が「会議」の問題の人物に扮した。(その時の新人の一人は今回出演もしていたが、もう一人は退団した模様である。)
Pカンパニーも、別役作品の上演主体として一目おくべし。
オペラ『浮かれのひょう六機織唄』新演出
オペラシアターこんにゃく座
俳優座劇場(東京都)
2023/09/07 (木) ~ 2023/09/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
こんにゃく座の<古老>と言える大石氏演出なる本作は、林光作曲の古い作品のリバイバル。さてどんなものか、恐る恐る見始めたが、実のところ冒頭から暫くは「役柄」の演技に厳しいものがあり、これが二時間続くのか・・と重い気分になりかけたのだったが、やがて物語の筋が見え始める。休憩挟んだ後半、機織娘のお糸、その商家で働く娘お縫、特に前者の風情に胸を突かれるものがある。絵に描いたような展開だが、シンプルな民話の力強さ。歌が昇華するこんにゃく座オペラらしいラストには久々に制御しがたい涙が流れた。
ワーニャ伯父さん
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2023/09/05 (火) ~ 2023/09/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
「かもめ」そして本作とチェーホフ作品も見事に噛み砕いて舞台化させた。イプセン作品も然りだがこのユニットが描くと「どういう話か」がよく判る。ハツビロコウの解釈による作品の要諦が明確なのだろう。ワーニャの「苛立ち」と「絶望」は犬も食わない男やもめの愚痴と捨て置かれるようなものだ。現代にだって履いて捨てる程ある。
だが彼はその情熱を妹の旦那の学問的成功へ、遠方(地方)から家計(モスクワに住む教授夫妻)を支える事を通じて注いだ。その若き日の情熱が純粋であったゆえに?今の絶望がある、とすれば彼にはまだ誇れるものがあると私達には見えたりもするのであるが・・。
再出発するには遅いワーニャの窮地に、彼の姪である教授夫妻の娘は自分の実らぬ恋を重ね合わせ、生きて行くしかない、我慢して生きるしかないと慰める。天国に行けば神様が褒めて下さる・・と。彼は何を苛立ち、何故自分を嘆いているのか、もっと広い問いとして考えると、突き詰めた所に世の理不尽、現世的な成功と没落がある。劇の中に救いは、ない。
七曲り喫茶紫苑
劇団芝居屋
劇場MOMO(東京都)
2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
映像にて鑑賞。だいぶ間が空いたが以前劇場で目にした時も変わらぬ市井の中の庶民のドラマを、人の行き交う商店街のとある店を舞台に描く。前回観た作品は「過去」(史実)から現在を見通す視線がアイテムとして仕込まれていたが、今作では商店街を含む地域の再開発で立ち退き期日が迫る中、振り返らざるを得ない「過去」を語り、断絶の後の未来を見通そうとする人々を描いている。
ノスタルジックに寄ったドラマではあるが、多様な登場人物が絡む市井の風景がナチュラルで、「覗く」演劇の愉しみをディテールの豊かな会話が支えていた。筆致の確かさ。
地上の骨
劇団アンパサンド
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2023/09/01 (金) ~ 2023/09/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観劇は二作目か(この所記憶力が..)。
事務所が舞台、が常套のよう。いかにも「職場」な会話の中に微妙に人間関係、位置関係が浮かぶ機微な台詞が「出来事」を機に徐々に狂騒へと突っ走る。質感は違うがやはり「ほりぶん」に通じるものを(私が勝手にだが)見た。
(ほりぶんの)川上友里子らの絶叫芝居のポテンシャルは、今作では黒田大輔が主に担う(何で?という位に唾液を噴き涎を垂らす)。予測を裏切るまさかな展開が作風と言って良いかも。前回観たのもそうであったが当該事件により、人が次々と死ぬ。破滅が局所的に訪れるの図である。
一方ほりぶんやナカゴーでは、人は絶対に死なない。どんな危機も心意気で跳ねのける、という方である。一旦倒れたのがむっくり起きてガーガー言い続けるタフさの方である。両者のに感じた質の違いはここか。。
そんな風に反芻してると頗る懐かしさに見舞われるが、若いアンパサンド固有の世界の進化も見て行きたい、と思わせる舞台だった。
台所のエレクトラ
清流劇場
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/08/31 (木) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
前知識ゼロだったが「観て正解」、とつい自分を褒めた。
関西らしい人情劇な場面が、この題材にして出現するというのも趣きである。
生演奏で歌もあり、笑いも勿論あり、剣呑な緊迫シーンもあって、充実した舞台である。古典の翻案というカテゴリーからは予想のつかない、大樹に依存しない自立した(オリジナルに匹敵する)作品になっている。
親の顔が見たい
劇団昴
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
色んな「親の顔」を観て来るとついその比較を語りたくなるが、まずは封印して...。
畑澤氏が書き下ろした昴の初演は15年前、狭小な小屋で上演されたとの事。私が観たTV放映はNHKの特設ステージなので幾分広く(演る方も観る方も)新劇モードに?(録画画像観賞を最後まで完遂できなかった理由の一つと記憶するので..)今回は芸劇イーストで十分な広さでの「親顔」である。これが私立中学の一室らしさに十分で、冒頭から来訪者が席を選んで着座する動きからしてナチュラルなのは強みである。芝居はリアリズムに寄っているが、「中学生の自殺」ではあっても余裕を醸す序盤から、証言により示される自殺者といじめたグループの実態を「飲ませる」人物らの演技が、秀逸で、地味に迫力があった。
終盤、私の記憶にある台詞でないものが混じっていた。省略気味な台詞に判りやすい説明が補足され、台詞の語尾の言葉も会話の流れのニュアンスを変える変更がなされていた、というのが私の印象である。(記憶の新しい内にテキストを見てみたいが・・)
その結果、最後に「改心する」「厳粛になる」ものの、保護者それぞれのトーンは異なり、必ずしも態度を明確にせずにおいた(作り手に委ねた)畑澤氏のテキストが、整理されたのでは?と思える所があった。特に最後に残るいじめっ子グループの中心人物の両親が、「生きていかなきゃ」と、「反省」以上に大事な事のために未来を探って行く表明をして、幕を閉じる。すなわち決定的にシニシズムに振り切ったラストである。
この戯曲で難しいのは、序盤の緩い認識=「事実」を問題視しない・あるいは事実とは認めない態度が、なにゆえ取れているのか、そしてそこから「決定的に認めざるを得ない」瞬間をどこで迎えるのか・・微妙~に選択の余地があることだ。
ら「本当の事だとは思わなかった」という顔で、最後はしおらしくなる同窓会会長の夫婦は、「偽善」の要素が(過去見たどのバージョンでも)残ってしまう。うまく逃げ切ったな、と思える。「本当だとは思わなかった」事実が、この夫婦の態度の全てをエクスキューズしきれないにも関わらず、いかにもイノセントな顔で出て行く。その齟齬の遠因は、夫人が序盤で読まれる自殺生徒の「遺書」に目の色を変え、焼いたり食べたりしている事。真実を確認する姿勢とは対極にあったにも関わらず、覆さなくなった局面で、「ええ?じゃ、これって本当だったの?」と言う。(ポストトークでこれを演じた女優と夫役の俳優の話を聞くとどうやらこの夫婦をイノセントで通しているらしい。無論演じる側はその主観に立って演じる訳だろうが、その人物の主観に偽善が滲む事を批評的に演じる事もできる所、イノセントさを見せると前のことを覚えてられない観客は「感動」に心が傾くが、僅かながらであれどこか釈然としないものも残るはずだ。「知らない」事は強みと言われるが「知らなかった」事も同じく強みになる。鋭い嗅覚で有利な立ち位置に立つための振る舞いができる人間、それがあの夫人である、とすると真実スッキリする。)
そんの態度にいい気なもんだ、と思う一方、社会的には「下」に属する、自殺した側の、人生と社会の敗者たる位置からは脱し得ないだろう母親の事も、重く残る。
「いい話」にして終えてはならない戯曲だと、毎度思う。
新・ワーグナー家の女
Brave Step
アトリエ第Q藝術(東京都)
2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
福田善之戯曲の上演。宮本研等が物する歴史劇の範疇で、歴史上の事実が「今」を照射するその事の意味が戯曲の中で言語化される部分が、「時代」を微かに感じさせたが、微かに、であった。ワーグナーを父に持つ女、その娘に当る女が主たる登場人物で、証言と、対話が舞台上の事象として現出し、入り込んだ。
苦労しながらも一人語りの台詞を繰り出す年配女性の目(を中心とする表情)に、非常な既視感を覚えたが、「そういえば出演者は・・」と思い当たったのは観世栄夫であった。(顔が似ている事を特に記す事はないが、あの目の力は中々である。以前一度だけ篠本氏演出の読み芝居で目にしたが真正面では見られなかった。)
芝居は丁寧に作られ、タッチが良い。一つ一つの場面、出番を丁寧に作る。
ロリコンとうさん
NICE STALKER
ザ・スズナリ(東京都)
2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
スズナリで観る事の多い(というか殆ど)NICE STALKERの最初の記憶は同じくロリコンをタイトルに付した作。作中おじさんが「ロリコン魂」に開眼する(自認する)その対象となる役であった白勢女史が、今回も出演というのが楽しみの一つ。同じネタを(非難の目も顧みず)またやるからには余程のこだわりが?というのも一つ。その期待と予測はある意味で裏切られつつも最終的に納得な内容である。
愛について語るときは静かにしてくれ
コンプソンズ
OFF OFFシアター(東京都)
2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了