新漂流都市
水族館劇場
臨済宗建長寺派 宗禅寺 第二駐車場 特設野外儛臺(東京都)
2023/05/17 (水) ~ 2023/06/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
千秋楽に観劇に漕ぎつけた。雨のけぶり始めた羽村駅から宗禅寺境内に到着すると新宿でやっていた頃を思い出す列をなした観客。桃山亡き水族館劇場の第一弾は前作で舞台にも立っていた翠羅臼がかつて水族館に書き下ろした作品の新装版、演出も翠氏による。文体やリズムは異なるが、「旅」「時空」「世界の暗部」「永遠の恋」といったテント劇団共通の要素がある。
パタリ、パタリと板が剥がれるさり気ない屋台崩しと、ワイヤーと水の激しさとのコントラストは中々であった。満場の拍手をさらった。
時間があれば後日追記。
海の木馬
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/05/30 (火) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
木馬と言えばトロイ戦争。本作でも近代戦争に「木」の飛行機を用いた愚かしい史実が題材となっている。客演小野武彦を現在の老人とし、時代を遡った回想場面にそのまま登場して当時を演じるというシンプルな趣向が効果的であったが、震洋と命名されたその片道切符の"航空機"に乗るべく彼らが配置された山陰地方の漁師町では、機密情報はとうに漏れていて彼らが「特攻」で散る運命であり、町を挙げて迎え入れる体制。靖国の妻となった戦意十分な女性(板垣)や、小野氏とささやかな交流を持つ女子(大手)、夫が出征中の家のために婦人会長に名乗り出させられ、覚束ない働きぶりであった女性(石村)が彼らとの交流や空襲の激化の中で逞しくなっていく、等の心温まるエピソードの合間に、軍の上官らが役得をほしいままにする様や、出動命令が出ては村人と別れの挨拶をし、出動時刻までの数時間(時には半日)を緊張に体を固くして待機したかと思えば「敵機来襲の情報が誤り」として解除される、という事が何度も繰り返されるなど、日本軍の組織力を皮肉る視点も挿入している。彼らを歴史の英雄に祭り上げる事を許さない「愚かな組織の犠牲者」という視点は、ラストに結晶する。
終戦直後に筑豊で起きた武器弾薬庫爆発事故を描いた作品(前々作あたり)に通じる。史実を「受け止めるしかない事実」と飲み込む事を観客に強いる、甘味でない芝居。
カストリ・エレジー
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2023/05/26 (金) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鐘下作品上演とあれば目の色変わり、「破戒」に続いて民藝観劇。初の鐘下戯曲と老舗劇団との繋ぎ手として演出シライケイタ。氏の作る舞台はいまいちピンと来ない所があるが(彼の思う「劇的」のポイントが自分のと少し違うようで)、新劇団へのある種の先入観は払拭する力強い舞台であった。
冒頭、廃屋に逃げ込んだ二人が水筒の水のやりとり、やがて一方(阪本篤)が知能が人に劣る人物を形象していると判り、「二十日鼠と人間」の二人らしい台詞となる。「え?自分は民藝のカストリ・エレジーを観に来たのだっけ?別の公演に迷い込んだ訳では・・?」と一瞬記憶を巡らした。後で見れば本作はモーム作を下敷きにした作品とあり、納得したがそれほどに「二十日鼠」のやり取りが(作家的には意図的に)再現されていたという訳である。
二人はある長屋に流れ着く。強突張りの大家と、長屋をしばしば訪れるその女房・・というあたりはどん底である(二十日鼠にその要素があったかは不明)。二人組に序盤で出会ったもう一人との間で共有される「秘密」が物語のポイント。守ろうとするものと、それを脅かす「外敵」という構図を、長屋の人間たちという群像が取り囲んでいる。大家の女房は新顔の彼らにも興味を持つ。旦那の嫉妬心に火がつけばヤバい。そして物語が進むにつれ首をのぞかせる不安(「二十日鼠」での不安要素でもある)がある。図体がでかく知的に弱い彼には一つの趣味(性癖)があって、それは手触りの良い動物への執着。だが撫でる内にその怪力で絞め殺してしまう。冒頭でも密かにポケットに入れていた鼠の事を相方に見つけられ、「出せ」「いやだ」のやりとり。出した鼠はすでに圧死していた。
どん底からの借用部分は、長屋仲間の群像の形成に寄与しており、シベリアという渾名の者が、少し前まで大家女房と関係していた。過去形なのがミソで、心の穴を埋めに、(勿論シベリアの姿を探してもいるのだろうが)長屋を覗きに来ては男共への、あるいは人間への興味を無邪気に持つ。過去の人間である夫との生活から、未来を見たい人間としても形象している。
鐘下氏は物語の舞台を敗戦直後のどこかに設定し、氏特有の人間同士の情と本心が激しくぶつかり合うドラマを書いた。が二十日鼠のラストに集約させるには、シンプルな方が良い感じもある。二人組にもう一人加わる浮浪者(実は金を隠し持っている)や、長屋の風景は敗戦後という世相の背景を与えていて、それは大きな要素であるが、人間の「自由」への渇望というテーマを凝縮して提示するなら「どん底」か「二十日鼠と人間」か、どちらかを選んだ方が良いのでは?という作家を愚弄するに等しい身も蓋もない感想が浮かんでも来た。「この作品でしか見られない」風景が見たかった、というのは正直な思いである。戯曲、演出どちらの要素に関わるかは分からないが。。
糸井版 摂州合邦辻
木ノ下歌舞伎
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2023/05/26 (金) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
2019年KAAT公演を見逃し、何故か「絶対良い」確信を引き摺ってKAATでの再々演を当日券で観た。公演は中々であったが、この「絶対」とまで思わせたその舞台を調べても見当たらない具体的には糸井幸之助@木ノ下歌舞伎が「良かった」記憶がそれなのだが糸井演出による木ノ下舞台はこれが初めてなのでどうやらこれは誤り。FUKAIPRO以外での糸井氏の仕事で感銘と言うと一昨年?アゴラでのぐうたららばい公演が良かったが時期的に後。結局判らず終い。
どうでも良い話は置いて・・題名から勝手に想像していた以前木ノ下でやった義経千本桜だったか(弁慶牛若が登場のやつ)の世界とは全く異なる色恋の世界で、なるほど糸井氏がオファーされたのも納得、であった。恋の狂気、荒ぶる情念と破滅を糸井氏流のポップな楽曲と演出で堪能する舞台。
この日は終演後にトークとあったが、三時間どっぷり濃い芝居に漬かった後、木ノ下歌舞伎主宰が登場して「自分がトークをする」と宣言、しかも1時間の予定という。観客の反応を予測したかのように前代未聞の挙と自嘲しつつ、「語りたい事が沢山ある」という主宰の熱意で客の反応も唖然から興味へ。トークの主題は義太夫の歴史からとらえたこの演目という事で終わってみればあっと言う間。ぶっちゃけ矛盾と無理の多い「摂州合邦辻」(主宰の弁)の魅力を捉え直す事ができた。個人的には主役を演じた内田慈の演技を興味深く見たのだが機会があればまた。
人魂を届けに
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2023/05/16 (火) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
コロナ渦中の異色作「外の道」に時代と人間への深い洞察(とそれを作品化する力量)に大物の予感を覚え、今作でほぼ確信に至った(「外の道」はイキウメ的に外れた道でなかった)。引き込まれて見てしまう二時間のドラマという濾紙を通して、作者が時代に対し物を言っているのがありありと浮かぶ(この感覚も「外の道」と同じだ)。整理できない感情を持て余して唸りながら帰路についた。
WE HAPPY FEW
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2023/05/20 (土) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「ラビット・ホール」を上質な舞台にした昴の同じく翻訳物の舞台という事で、迷いなく観に行く(千葉哲也演出というのも後押ししたかもだが当日は認識がなかった)。膨大な量の戯曲(200頁とか)を大幅に刈り込んで上演とのこと。冒頭雑然とした「稽古場」に人が訪れ、どうやら亡霊らしき者も現われたり。でもって人物らの会話が喧しく交わされるが個体識別が追い付かず寝落ち。どうにか復活して観始める。「劇的」な場面が立ち上がる。休憩後物語は動きを見せ、これは感動物の戯曲であるのだな(そして俳優はそう演じているのだな)と遅ればせに悟り、引き込まれた。イギリスで戦時中、女性だけで結成された劇団の成功と苦悩、破綻と和解が描かれる。不幸な死と生命の誕生で締め括られる(という意味ではオーソドックスな)戦争を題材とした舞台だが、戦争そのものは後景にあって描かれるのは人とその背景、相互の関係性である(悲劇としての戦争を安易に借用していない)。休憩込みの三時間。
綿子はもつれる
劇団た組
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/05/17 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
トラムでの「もはやしずか」に最も近い空気感。白い壁、じわじわと何かが迫って来る感覚、そして安達祐実と平原テツのコンビ。夫婦の間のよくある風景(?)が独特の筆致で切り取られていた。連れ子(田村健太郎)とその級友の間の恋沙汰を面白おかしく対置させつつ。
『人間狩り』+『改札口』
T-PROJECT
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/05/16 (火) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
小説家・筒井康隆の戯曲集というのがあるらしい。今作は短編小説の舞台化だろうか。映画は「ジャズ大名」を観(「時をかける少女」「ねらわれた学園」を挙げるべきか?)、ドラマで「七瀬ふたたび」「なぞの転校生」など大昔に観たな・・と思い出しつつ、舞台は初である事を確認。初のものは観に行く理由付けになる。そんな事に後押しされ、劇場だけは馴染みの赤坂REDTHEATERを訪れた。
シュールで「怖い」世界観を期待できる筒井作品の、勘所を掴んだ舞台で、男ばかりの面々でも十分美味しかった。
Wの非劇
劇団チャリT企画
駅前劇場(東京都)
2023/05/17 (水) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
配信も含めれば観る頻度が上がったチャリT企画。同じ「ふざけた社会派」でも、自分にフィットするかは毎回違っている気がする。中々捕えどころがない劇団、と感じる理由は、「社会派」「ふざけた」という真反対の要素の分量比で雰囲気が変わるからか・・。軽妙さと皮肉とは比例せず、軸がどちらかで空気が(場合によっては物語も?)変わる道理であるので、どちらかと言えば前者を大事にすると見えるチャリTの「皮肉」の効き具合は作品によって起伏がある訳である。・・と色々とそれらしい事を考えてみてもこの書き手の感覚はよく掴めないのである。
いずれにしても今作は両者(軽妙と皮肉のことね)がうまく出会い、問題への踏み込みがコメディ度を高め、賑やかかつ目まぐるしい展開が本質を逸らさず逆に穿つといった具合で。要は出来が良かった。
俳優陣が存分に役を演じ切れていた事もテキストの良さを証明していそうである。題材のタイムリーさ(ビッグウェンズデーに乗ったかのような)もそうだが、演技とシチュエーションの<美味しさ>は密度が濃かった。
もっとも序盤に必ず訪れる「リアル」との葛藤は健在?だが。(今回ので言えば深刻なレイプ疑惑の告白を聴く友人の態度、また話す側の態度、二つを足した時の奇妙なリアリティの無さ・・だがここでの課題は「出来事の提示」。自分も段々とそういう見方が出来るようになってきた。)
舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド
Bunkamura
THEATER MILANO-Za(東京都)
2023/05/06 (土) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
数年前の「PLUTO」が中々であったので今回も「エヴァ」原作を知らない身であるが期待して訪れた。冒頭を逃したのは残念。入場すると紗幕前での舞踊パフォーマンス。その後教室の日常シーン、だったか。恐らく冒頭では原作主人公に当たる少年(芝居では叶トーマ)と、使途との格闘シーンで(指令に当たるのは若手の女性司令官か父親に当たるメンシュの創立者叶か)、苦悩の呻き声を上げてどうにか戦闘を終える・・という感じだっただろうか。
実は何年か前、アニメ版を見始めようとした事があり第一回、二回まで視たか・・だが続かずそれきりになった。主人公はエヴァンゲリオンに乗り込み(実際には操作室に入り一体化する)、戦うのだが終始拒絶感を覚えて叫び続ける。恐怖と闘う。この作品は時代に合ったのか大ブレイクし、従来の勧善懲悪な正義のヒーロー像とは一線を画した作品と聴いていたが、それらひっくるめて目で確かめてみたかった。
原作を踏まえたオリジナルストーリーだという。その評価がポイントのようである。
私的には舞台処理等の技術は「PLUTO」を思い出させたが、演出家の本業でもある舞踊の比重が高い。紗幕を使ってその前で踊りを見せ、その間に裏で大転換をやる方法が多く取られていた。これは普通の暗転に近いテンポで、ややダイナミックさに欠いた。
そしてストーリーの方であるが、どの程度オリジナル(と言ってもアニメ版、映画版3作品と見ると多様であるらしい)を反映したのか不明だが、無理やりに織り込んだように思われる部分が終盤に、ほころびを露呈したようで些か寂しかった。
虹む街の果て
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2023/05/13 (土) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「虹む街」から2年とは時の速さよ。まだ鬱々とした、一年遅れの東京五輪を控えて揺れていた時期に、横浜黄金町の昔の風景はこうだったか、というようなコインランドリーや自販機のある朽ちた鉄骨建屋とその周辺の多国籍な店、その界隈を「完全に模した」かのようにぶち立てていた。美術(稲田美智子)ともども界隈に人が行き交う風景には、歌はあっても台詞は殆どなく、観客はそこで生起するものを「観察」するのみ。「今日が最後の営業日」・・コインランドリーの管理人(オーナー?)の安藤玉恵が見せる背中が・・。多くの店がつぶれていった世相を映し、同時に(神奈川県在住の多種多様な人種民族の)人間たちの飄々と生きる力強さを対地させていた。
そして今作は、メインの出演者が応募から選ばれた(オーディション等をやったかは不明)神奈川県人。二人だけはオファーで出演した人おにょうだが、彼らも皆と並列で、有象無象の一人として出る。一般人はと言えば、やはり多種多様な民族をルーツに持つ人らである。
前にも増してストーリーはなく、「虹む街」からどの位経ったか知れない未来の、同じ(よりくすんだにせよ)コインランドリーのある建屋と周囲の店の風景がインパクト大。彼らが明確にメインとなった事で、観る側としては見やすくなった。前回も出ていたアリソン・オパオンの唄とギターがしっかりヒューチャーされ、他の持てるキャラ、才能を開陳しながらも、逆にそれらを飲み込んで息づく「街」が主役となっている。
街には私たちもフリーアクセスできるが、そこに暮らす人々を知る事はない。
母【5月11日~14日公演中止】
劇団文化座
俳優座劇場(東京都)
2023/05/05 (金) ~ 2023/05/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
千秋楽までの数公演が中止に。ほぼ初日あたりに観ていてラッキー、とは自己中心な発言だが芝居好きの本音。(昨年「中止」を悔やんだのはマキノノゾミ「モンローによろしく」・・これは一日こっきりで中止に・・、流山児「夢・桃中軒牛右衛門の」を未練がましく覚えている。)
「母」とは小林多喜二の母であった。演じた劇団座長で、最も歴史ある新劇団の創立者二世でもある佐々木愛をフィーチャーした企画で、企画性が見えすぎる演目であったりもするが、肉親の目が見た多喜二の人物と人生を描きつつも、劇の焦点はこの母と、多喜二が温情を掛けて苦界から引き出したある女性との交流(いくつかの接点でしかないが)である。その点で多喜二はある意味若気の情熱の副産物とも言えるこの女性を、母に残したとも言え、母はこの女性を通して息子を「想う」にとどまらず、多喜二が見据えた社会を、その「具体」に他ならない女性を通して触れ、知ったとも言える。母の世界観が間接的に多喜二を語り、社会とそこに生きる人を語る舞台である、とも言える。
コンマ0.2秒の間は芝居のリアリティに影響する。ひやっとさせる母の長台詞の綱渡りをクリアさせるのが、長い俳優業で培っただろう「乗り切る」技術、「合わせに行く」直感と瞬発力。正直その様子が見えるようであったのだが(僅かな間ではあるのだが)、むしろ子を思う母イメージが、ありきたりに堕ちそうな所を踏み留まったのが大きい。多喜二とは今で言う所のどういう存在か(他の人物たちも)、その想像の余地を残す素朴さが、本舞台及びテキストの密かな魅力であった。
空に菜の花、地に鉞
渡辺源四郎商店
ザ・スズナリ(東京都)
2023/05/02 (火) ~ 2023/05/05 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
工藤良平を久々に拝めた。彼の「身体」をフル活用。畑澤氏が重いテーマを軽々と扱う「遊び」の勝った舞台で、音喜多咲子、山上由美子ら常連に新顔の頑張ってる俳優も多数(人材には苦労しない?)。
「北のあの方」の命を受け、青森の核再処理施設に潜入した青年の前に、このお方が現われる。「わが国の科学の粋を結集した」脳内図像伝送技術?によって工藤良平演じる北の方は頻出する。核処理施設の安全をPRする展示館のマスコットガールに恋をした青年。そこにも現われ「惚れたな」と突っ込むお方。
核物質が集められ、頭上をミサイルが飛び、三沢基地も抱える当地からの舞台は恋と使命に引き裂かれる青年の物語を縦軸に、どこまでも軽妙に進む。「翔べ、原子力ロボむつ」を思い出す。
エンジェルス・イン・アメリカ【兵庫公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/04/18 (火) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
前半に第一部、第二部を観た。コンディションに恵まれなかった第一部はもう一度観たいな。
以前読んだ戯曲に関する本に、「叙事詩劇」の優れた作品と紹介されていた。題名は覚えておらず、作者名を見てハッと思い出し、レビューにも背中を押され観劇。上記の本を後で読み返して見ると、さほど字数は割かれず、書いてある事は作品を観た後ではピンと来なかった(戯曲がどう優れているかの説明が晦渋)。
しかし一部、二部それぞれ3時間を超えるこの大作が、20世紀後半に書かれた代表的な作品と紹介されていても何ら異議はない。
「死に至る病」であるエイズを扱った作品と言えば「RENT」がよぎったが、この戯曲で扱われる出来事や事実、状況は全て俯瞰され、対象化され、人生や世界を構成する一要素に過ぎないように見えて来る。登場する天使や天界の博士たち、自分たちの先祖に当る人物らが織りなす不可思議の絵は、苦悩する登場人物の内的世界を象徴するかに見え、同時に世界そのものの視野に導く。詩的な台詞がこの構図にずっしりとした中身を与える。(あんこたっぷりな鯛焼き、でも甘さ控えめサッパリで重くない。)
休憩二回で殆ど疲れさせない面白さ。作品の魅力などうまく説明できない。トニー賞とピューリッツァ賞を獲った作品なだけはある、と書いて済ませるが早いかも知れぬ。
「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」【4月6日(木)19時の回の公演中止】
流山児★事務所
ザ・スズナリ(東京都)
2023/04/06 (木) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
流山児×詩森ろば舞台は、第一弾「OKINAWA1972」、数年後の「コタン虐殺」を観た。今回はその続編的・総集編的公演のようで観たいが二つは厳しい。「OKINAWA1972」の方は概略分っており、アメリカ世(ゆ)から「本土返還」までを時代設定とし沖縄ヤクザという題材のユニークさ。「知らなかった」知識に触れた「面白さ」が評価の大半だったので(書き直したとは言え)骨格は変わらないと踏んで「キムンウタリ」に絞った。
結論から言えば、やはり自分の肌に合わない作品を作る人だな、という感想。何がそう思わせるのか・・。宮台真司によれば「芸術は痛みを伴うもの」。演劇はどうか。現実に傷ついた人の心を慰撫する演劇も立派な芸術だが、本当に感動した舞台は現実の(真の)「痛み」に届いている。ただし宮台氏は「痛み」を「刺す」「不快」とも言い換えていて、フィットするのは「不快」である。快感という甘味にまぶして薬を飲む喩えで言えば、快感より不快が上回る。詩森ろば氏の舞台のこの「不快」から、私は色々と考察を余儀なくされても来た。今回も、不快の源を考える。
詩森氏は劇作家である前に「演出家」と自認する、とは何度か(トーク等で)耳にしたが、この「演出」が肌に合わない、と感じる事が過去幾度か。感覚的なものだが、自分にとってのそれは例えば、客席に向かって俳優が喋る(ナレーション)台詞・演技が多い。そしてダイアローグでない台詞の時間を舞台上で「持たせる」ためにリズミカルに、時に歌に乗せて、何らかのアクションとセットで言わせる。「埋めてる」感が嫌である。それは自分が言葉を理解したいと考えるからか・・。演出意図は恐らく「説明言葉が理解できない」観客層に配慮しての事だろうと思うものの、ノリノリで言わなくとも、普通に説明すりゃいいじゃん、と思ってしまう。
劇中人物としての発語に感情移入させないために持ち込む異化効果は例えばどんでん返しとして、またはディープな芝居の息抜きとして、現代演劇でも用いられる一般的な手法だが、これは、「芝居を観て解決しても(カタルシスを覚えても)現実の解決にはならない」という社会変革を志向したブレヒトの「思想」を超えて、汎用性を持ったという事。しかし詩森氏はこの「異化」の元来の趣旨を感覚的に導入しているのかも知れぬ。
・・仮説はともかく、今回「不快」であった理由は、その構造にある(いや構造そのものは優れているのだが)。
SEXY女優事変
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2023/04/25 (火) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
おっとこれは・・現代を描くとこうなるか。という新鮮なドガドガプラスの新作。「現代日本」を盛り込み切れず、皿からこぼれている。一方、性風俗と親密な距離にある望月氏がAV新法という悪法をトリガーにまっすぐな愛情を見せるのが、業界で真摯に葛藤の中で働く者たちの描写。音楽・歌と踊りは相変わらず中々である。平均年齢が低そうな女優陣の健気に演じる姿が題材と重なってくる。受付にCDが置かれ「追悼野島健太郎」と紙があった。音楽担当のこの人は映画にも携わり、望月氏との接点はそこだったか。残した楽曲を構成しての今回の舞台だったか、遺作となったのかは不明。
ハートランド
ゆうめい
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/04/20 (木) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
久々のゆうめい観劇。最初に観たのが数年前下北演劇祭の若手をピックアップする下北ウェーブに登場した1時間作品「弟兄」。自伝的要素があり一発屋な感じも持ったのだがその後尽きる事なく作品を出し、「イタイ」世界を構築する。見逃し多くそれでも今回4作目、芸劇での公演、出演陣もちょっと気合の入った面々という事で気になっていたが、当日たまたま時間が出来たので運よく観劇したら、秀逸。中央にドカンと高い岩場のような装置があってこれが一軒の建物で、下手側の階段を上って玄関、待合室、カウンターバー、奥が居間と段々低くなる感じで、具象が多い割に戸をエアでやってたり、プチ変則な約束事をちりばめた奇妙演出が、独特な端折りで話が進む(後に勿論つながる)進み具合も、場面単独のディテイルのリアリティで見せてしまう。
終盤「音楽」でクライマックスは以前の作と重なり、持ち味。そこはズルいが、見事に嵌まっていた。(作者の熱い部分は台詞でなく歌とか、そういうのに代弁させたいタイプ?) 殺伐とした現代の風景を基調に、その底流に通う人間の血の温度を、その可能性を見せる。「ハートランド」の字体がよく見るとホラー系。ディストピアでの人間の棲息風景、にも見える。
ブロッケン
ゴツプロ!
新宿シアタートップス(東京都)
2023/04/21 (金) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
なぜか関西弁、の人物がゴツプロ!の主宰?(そのあたり詳細知らず) 兄役の彼と弟を主役に、人生半ばにして迷走する男の「今」を描く。深井邦彦氏作品を少し前のツケヤキバに続いて吟味する回、でもあったが着実な仕事を重ねていると実感。
特徴的な人物(ちょっと居ないがどこかには居そう)と彼らを取り巻く人々が、最後に群像の画を結ぶまでの軌跡を描くわけであるが、構成される場面を面白エピソードに仕立てる技師であるのか、むしろ散文(小説)を書くテンポから生み出されて来るものなのか・・。
俳優がうまい。早々に死んだ叔父さん(有薗)がちょいちょい出て来て何か言うのが美味しい。母(岩瀬)の娘との距離感と、最後に今自分が言える言葉を探しつつ語るのがいい。わけわからん!と周囲に言わせながら貫き通す兄(大塚)のキャラが強靭。割り切った娘(泉)が最後の最後に湧き出る不条理の思いに身を任せるのがいい。
毛皮のマリー【2023年上演/B機関】
B機関
座・高円寺1(東京都)
2023/04/14 (金) ~ 2023/04/17 (月)公演終了
実演鑑賞
「星の王子さま」以来二度目(同じ座高円寺)の観劇。(正確にはd倉庫の現代劇作家シリーズに出品した短編を観ていて、抽象舞台だった事だけ覚えている。)
「毛皮のマリー」は以前戯曲を読もうとした事があり(読んだかも知れぬ)、冒頭の脛毛そりの場面、マリーに幽閉されている「息子」欣也に外へ出ようと少女が誘う場面に覚えがあった他はラストも含めほぼ初めての感覚で観た。
舞踏家の点滅氏がパンフに書いた如く、B機関のコンセプトである「演劇と舞踏」の融合が、文字通りの形で具現されていた。で、その分だけ長くなっていた。「演劇と音楽(ライブ)との融合」についても思う所が、両方を立てようとするとまあ大変である。今作はラストへ向かう手前、少年欣也の屈折が表面化したある衝動的行為の、内面の軌跡をなぞるような舞踏が長く展開し、あれこれと考えさせられる。ただ、解釈可能性の広い舞踏表現だけに(ストーリーを追う)演劇の一角を占めるには「何が表現されているか」が絞り込まれたい所、そこだけ舞踊表現によって完結する世界になっている(悲劇調の音楽が「演劇の時間の一部」に繋ぎとめていた)。
2016年始動したB機関の第一回公演が「毛皮のマリー」であった由。そして再びの今作で活動を閉じるという。出自である所の舞踏が如何に「演劇の附属物」とならず対等な表現たり得るか・・その挑戦・足掻きの痕跡を残して幕が下ろされたという訳である。
余談だが葛たか喜代は(前回観た「星の・・」にも出ていたが覚えておらず)「女優」という認識であった。美輪明宏のマリー役を想像し、成る程と感心しながら女装男の立ち居振る舞いを目で追ったが、最初は嗄れ声の「女優」だと思っていた!ので、素肌の上半身を開陳した折は「珍しい程のまな板胸だからこそやれる芸当を持つ希少な女優?」等と、けったいな想像をしていた。・・まああの眩惑的な佇まいに当てられてしまったという事にしておく。
橋の上で
タテヨコ企画
小劇場B1(東京都)
2023/03/08 (水) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
タテヨコ企画の最初は、三軒茶屋の住宅街の一角の「やや広い」というだけの部屋を借景として上演された芝居(椅子も置けないので少ない観客だった記憶)。ちょっと変わった試み、であったから観に行ったのだがそれ以降タテヨコ企画は劇場で「普通に」公演を打っている。横田氏作演出のを二回、柳井祥緒作を青木氏が演出を一回、だったか。青木柳葉魚氏作品は初めてとなる。
秋田の連続児童殺傷事件が題材である。そのもの、のようでもあるし、別の設定、のようでもある。後半は正に件の母による「その瞬間」が描かれる。橋の欄干での、娘とのやり取り。その後に起きた娘の幼友達である近所の男の子との接触場面。「殺意」を否定した想定で作られた場面が、作者が事実を紐解いて蓋然性を得た結論なのか、ワンオブゼム=可能性のストーリーなのか、実際には起きなかった「もう一つの物語」なのかは、この事件の事を詳しく知らないので判らない。
こういう場合、舞台と事実との関連が明確でないことが通常ストレスになりもするが、不思議とそれが無く、芝居として面白く、引き込まれて観た。
とは言っても、「没入」が起き難い映像鑑賞(舞台の)の際のパターンで、一度ざっと見て、後で細部にも目を届かせながら見るという手順を考えていたが、二度目を見ない内に期限を過ぎてしまった。芝居に引き込む要因が何か、あるいはちゃんと見れていたかは確認できず終いである。
以前この同じ事件を題材にした舞台をどこかで観た。その舞台は母の「男関係」の時間を中心に描いていた記憶であるが、今作は事件を振り返る「場」として地元雑誌の編集室を設定し、敬遠されるこの題材を取り上げようと熱く訴える女性記者と、周囲とのやり取りと事件に関わる再現場面が地続きに相互に入れ替わる。この方法が効を奏して観客にも事件との一定の距離感を保たせ、かつ芝居に緊張感を与えていた。