青い鳥
サイマル演劇団
サブテレニアン(東京都)
2023/11/30 (木) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
久々のサブテレニアン、そしてサイマル演劇団。60分程の作品だがアフタートークでの新野守広氏の読み解きは随分参考になった。「難しい」「一般受けしない」との定評を自覚しつつ「自分がやりたいこと」を追求する、という姿勢について(そうだろうとは想像できても)言葉のやり取りの中で聞けた事は何やら報われたようで嬉しかった。この所常連の葉月結子女史を本作でも拝めたが、彼女の存在もこの間の劇団でのクリエーションに欠かせないものになっているようである。「青い鳥」の物語をベースに様々なテキストをコラージュし、大きな絵を作っている。詳述は後の機会として、他の主要テキストはヴァルター・ベンヤミンともう一つ(作者・題名は失念、ある特徴的な歩き方をする女性との時空を超えた出会いを描写したもの)。恐らくベンヤミンの部分であったか、音楽と共に現代の心象風景が立ち上がる劇的瞬間があった。
モモンバのくくり罠
iaku
シアタートラム(東京都)
2023/11/24 (金) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
トラムという事もあり、力の入ったiaku公演が観られるかなと足を運んだ。
作劇というのは難しいものだな、と思う。さすがに横山拓也、うまい、けれど自給自足の生活スタイルを目指している正にその山間の棲み処を舞台としながら、この生活スタイルが対話の中でのアイテム、記号以上に機能させ切れない感じがあって、ネタに終わってるのが勿体ない。(作者はその枠を超えようと罠にかかった鹿を冒頭に、猪をラストに登場させたり、試みてはいるのだがこれが笑いに収まってしまう。)
小屋に住む女性役に枝元萌。近所の兄貴役に緒方晋、この二人が出るので観に行ったような所もあってその期待は十分報いられたが、ドラマとしてはどうであったか。
女性は夫と別居しており(山奥での生活などとうてい出来ないので、出資・援助だけされている)、娘はある近年までここで育ったが高校に上ると同時に父の元に移り、都会生活をしている。それが、二人この山奥にやって来る。それを追うように夫の出した店を任された若い女性(橋爪未萌里)が現われる。たまたま実地体験のためにやって来て鹿の解体を体験した青年と、その手引きをした緒方晋が、この修羅場の見届け人となり深刻話を程よく軟化させる。
人物関係図は過去のエピソードにより立体化して行くのだが、枝元萌が目指した自給自足生活に関しては、抜き差しならぬ生活、「食うため」に日々の時間全てを使わねばならぬ位であるはずであり、そもそも父娘が「歩いて登って」来れる場所にあるというのもどうか、という所である。まあそれは於くとして・・枝元女性の現境遇については劇中で「夫の援助があってやれて来た、あなたも(夫の援助を受けて店を任された)私と同じ」であるとか、「誤って撃った銃で足を怪我させた男「緒方)の援助に甘えてやって行けている」だのといった台詞でディスられる。
これに対して枝元はこの生活が自分には「最もやりたい事」「自分に合った生活だった」と自認し、議論としては「多様性の中で一つの選択肢として許されるべき」というかなり引いた立ち位置に立たされる。それと言うのも、この山で育った娘が都会に出た今、全く自分が「普通でなかった」事を思い知らされており、その事への恨み節をある所から延々と聴かされる時間がある。この時間は娘が(宗教二世に重なる)特殊な境遇にあった事で「何にぶち当たっているか」を観客も想像して行く時間ではあるのだが、とにかく長い。そして話は「そりゃそうだろう」という落ち着きどころに落ち着く。
娘は最後に、実はここに来るのを楽しみにしていた事とその理由を白状する。それは都会で口にするものは「食えたものじゃない」。だから取れ立ての獲物を焼いた肉、採れ立ての山菜で煮込んだ鍋を食べたかった、と言う。
「鹿はもう食っちまった」(だってこういうのが嫌いなんだろうから跡形も残さないようにした)と悪びれるが、「じゃ猪を取りに行こう」と緒方。青年にも付いて来いと命令し、「何で俺が」と困った顔で大団円の空気。
母の元で育った娘が、その「舌」を持ったという事の中に何らかの(自給自足生活を送った事の)意味を仄めかそうとした作者であるが、日本の自給率を今なお返上し続ける外資導入政策を傍目に見ながら、枝元が目指したこの生活は単に「自分に合ってた」「趣味」の領域と矮小化して終わるのか。
特段「意義がある」と吹聴してほしい訳ではないが、ある視点を持てば「こんな生活は荒唐無稽」と思ってしまう私たちの感覚の中に現代の、日本の脆さが実は反映しているのではないか、と思わずにいない。枝元的生き方を卑下させ過ぎである点に、横山氏ほどの書き手が、と不満を持ってしまった。
会話の妙、面白さを味わう時間を「料金分」もらったのは確かであるが。。 と言うと何だか酷評であるが、穿った会話は多々あり、とりわけ橋爪女史絡みの会話は秀逸(関西弁演技もバッチシ)。
「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」
名取事務所
「劇」小劇場(東京都)
2023/11/17 (金) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
名取事務所のチラシは毎度定番のデザインとなり、自分はと言えば公演に足を運ぶ頻度も増えた。今回の二本立ても期待大で両作品拝見した。
「慈善家」は新作、「ブッチャー」は再々演(今回初の生田みゆき演出、これも期待大であった)だがどちらも初と思っていたら「ブッチャー」は再演を観ていた(初演を「見逃した!」思いが強く観た事を忘れていた。開演して気づいた)。
いずれも秀作。空間は一つで複数場面の兼用はなく、時間は時系列で進む。局所を描写したドラマから世界で起きている出来事(負の連鎖)を想起させる。「ブッチャー」は架空の国が設定されており、少なくとも大戦後の時代タームである事は分るが、残党狩りという事ではナチスを想像させるし、国内で起きた民族間対立という事ではルワンダ紛争、捕虜・囚人への非人道的処遇という点ではアブグレイブ刑務所を始め世界中にあった(ある)だろう専制下での政治犯の処遇を連想させる。伏せられた事実が一つ一つ明らかになるミステリー要素、深夜の警察署(?)内という密室サスペンス要素など戯曲が持つ面白さと同時に、それを高々と越えて来る圧倒的なメッセージ性(とそれを証明するための様々な身体的いたぶり)に息が詰まりそうになる。(終演後高山氏に寄って来た知人らしい女子学生(位の年齢)が「(すごい)面白かった」と漏らしていた。)
「慈善家」は大資本を牛耳る者、そのステークホルダーと、当事者を登場させて生き馬の目を抜く現場のリアルを描きながら、「金による支配」のテーマを伝える。理念の希求と財政基盤の葛藤、支配欲求からの上昇志向、それらを巡る本音と建前とプライドと正義へのこだわりが錯綜する。まずこちらを観て圧倒され、もう一方を観て(二度目の観劇だったが)更に打ちのめされた。
たわごと
穂の国とよはし芸術劇場PLAT【指定管理者:(公財)豊橋文化振興財団】
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/12/08 (金) ~ 2023/12/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
最初何が起きているか不明な時間が過ぎて行ったが終ってみれば桑原裕子らしい再生の物語。役者も活きている。地方劇場から発信と言うと可児市芸術劇場(毎年秀作を出している)、時折北九州芸術劇場が、「芸術監督(作り手)絡みでない」プロデュース舞台を送り出してくれる。今作の企画者である穂の国とよはし芸術劇場は桑原女史が芸術監督で、就任以前からの縁があったよう。「たわごと」は今回上京し、お目にかかる事ができた。
しっとりと時が刻まれる瞬間が時折訪れる。リアルの時間、それを揺さぶるミラクルの時間。演劇という時間に浸る快感がある。
ロマンス
劇団こふく劇場
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)
2023/12/09 (土) ~ 2023/12/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
昨年は地方ツアー二箇所のみで観る事ができなかった地方劇団こふく劇場の同演目。今年の拡大ツアーで辛うじてここに回ってきた。
数年ぶりのキラリ☆ふじみ。
上演は2時間超え。最初に観たこふく劇場の演技スタイルが、今回より板について洗練されている。終始鼻を啜る音が客席から聞こえていた。
空ヲ喰ラウ
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/11/28 (火) ~ 2023/12/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
見どころ有り。筆頭はもりちえの役柄。凡そ役どころの決まった桟敷童子の役者面々だが時折振り幅が大きくなる。「できる」立ち姿を見てきたもりちえは今回、板垣桃子共々「女だてら」に高木に登って作業をする「空師」集団として衰退する中村組を担う女空師の役。思わず拳を握り「やるな」と心で呟く。歌舞伎にも似て桟敷童子の芝居はある種の「型」があり人物らは「粋さ」を競う部分がある。大向こう(歌舞伎で屋号の掛け声を掛けるアレをそう呼ぶらしい)を入れたくなる演技というヤツである。一方の板垣桃子も「女だてらに」の役が深まっている(もりちえが影響を与えたのかもと想像も逞しくなる)。
林業の衰退は特記するまでもない事実となっているが、ウ露戦争で木材輸入が滞る分一時的に需要が高まっている、という会話がある(他に現在を語る台詞は特にない)。時代に翻弄され衰微していく産業を桟敷童子は取り上げて来たが、時代の「必然」を受け止める人々の姿は、その先に未来を見せた。だが林業はどうか。「どうあるべきか」の問いと共に、簡単に衰退してほしくない気持ちがもたげる。農業しかりだ。高い木材でもそれは自国の「第一次産業」、生存の根幹にかかわる産業を守る選択をしない国のあり方は、これで良いと言えるのか・・。
タイムトラベル大五郎
さんらん
王子小劇場(東京都)
2023/12/06 (水) ~ 2023/12/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
多彩な題材、作風でもさんらんらしさを短・中編の中に認めるこの頃であったが、今回は長編の回。リアリズムに立った「掘って100年」「ポンペイ」の次は、と構えて開演を待ったが、予想とは異なり?さんらんらしい「可愛らしい」作であった(この題名であるからして当然と言えば当然と言えるか)。
台上を屋内とした素に近い舞台で、現代に迷い込んだ侍とのエピソードだけでなく、時代を遡った維新の頃も描く。走り回っていた子供たちが正装の侍姿で現れるのは一興で笑えるが、切り取られているのは戊辰戦争で敗れる彰義隊(に合流するあるグループ)で最終的に皆が死ぬ。現代の母子家庭の息子の闘い(最終的にいじめっ子と勝負をする)に、タイムスリップして来た剣士(上記グループの師匠に当たる)が影響を及ぼすが、背中に担う物として上記史実の場面がある。戦の無慈悲さの風景が、現代では戦場カメラマンの夫を亡くした母親の「思い」にシンクロするが、母が反対する息子の闘いそのものは(観客皆がそう思うだろう)正当性を持つ。(戦というよりは「勝負」である。) 母親もまた、自分の職業であるプロ雀士としての「勝負」から息子を守るためを理由に降りる事をやめ、出る決意をする。
その意味では、背後にひっそり流れる戦争というテーマは必ずしも前面化しない。肯定されて良い「勝負」とは異なる、無為な戦いというものを、作者が具体的には何に見出し、それをなぜ否定したいのか、そして何故それらは起きてしまうのか・・(本作を通してという事ではないが)言及してほしい願望が残った。
あしもとのいずみ
劇団わが町
川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)
2023/12/01 (金) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
川崎市北部のこの劇団は全国的にも少数の自治体主導による市民劇団で、年齢層の幅は広く大所帯、だが団員になるためのオーディションも(何年かに一度)あり人数制限はあるらしい。
10年と言う節目に団員の一人による脚本を舞台化したが、過去公演の中でも優れた仕事となった。川崎市中部にあった登戸研究所を題材に市民劇らしい群像劇が立ち上がっている。全体に市民劇団っぽさは残るのだがそのベースの上に一つ一つ事実が積み上がり、メタシアターの構造による複合的な叙述で気付けば絵が出来ている。
登場するのは「芝居を作る」人物たちで、劇中劇(稽古)に登場するのは「研究所の歴史を掘り下げようとする」高校生やそのサポーター、教師そして彼らが出会った歴史の証人たち、つまり現代の人々。最後にはこの題材が行き着かざるを得ない場所へ観客は案内される。戦争の道具を開発していた研究所であった事の実相、すなわち時代を超えた先に事実存在したものとして、ふと浮かび上がって来るものがある。
ジャイアンツ
阿佐ヶ谷スパイダース
新宿シアタートップス(東京都)
2023/11/16 (木) ~ 2023/11/30 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
長塚圭史と言えば先般「アメリカの時計」で確かな演出の仕事を目にしたばかりだが、彼の書いた作品と言うと下北沢の小劇場で二三作、新国立劇場の(どっちかつと)子ども向け企画の最初のを観た位か。奇想天外な現象を真実そこにあるものとしてその解明にでなくその先へドラマを進め、いつしか観客を深みに引き摺り込んでる、といった印象が共通で、新国立のは言葉遊びで散らかした遊戯世界を何とか回収していた印象(第二弾以降のは好評だったようだが見てない)。
前者が暗鈍、後者が明軽とラベリングしたとすれば今作は両の要素を合わせた感じ。作者の「言いたい」事は分からなかったが「狙いたい」所は受け取った気がした。いずれ現実世界に着地する旅ではなく浮遊し続ける感覚があり、非日常の劇世界に浸かった感触より、劇場を出た現実世界を見る眼差しを変えられているとでも言ったような、怖くないけど不可解な何かが浸潤している。インフルエンスを与える犯人は場面の細部に宿る快楽、美味しさだろうか。
二度見たら裏が透けて見える代物か、はたまた有機物の分子構造みたく奥へと分け入りたくなるミクロの決死圏の世界か。
わが友、第五福竜丸
燐光群
座・高円寺1(東京都)
2023/11/17 (金) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
千秋楽前、時間ができたので当日劇場へ足を運んだ。題材が題材だけに力作が出て来そうと予想したが想像以上だった。燐光群の特徴である「解説」部分(人物らが自分が知っている事として発し合う)の割合も高いがそれがアダにはならずただただ情報と思考に圧倒される。水爆実験に被災した第五福竜丸を語る事は必然、現在進行形である所の放射能、原発を語る事になる。被爆者への差別、補償を受けた者への誹謗、補償そのものの不平等や問題矮小化の政治的背景も。そして芝居の大詰まりでビキニ環礁辺を航行する船の場面が出現する。NODA MAPのある作品(高橋一生が主演した)を思い出す(この作品は私が観たNODAMAP三つの中で唯一感動を覚えた舞台)。重要なイシューが他の雑多なイシューと共に忘れ去られる現代に、力技で注視を促す坂手舞台の優れた成果。演劇表現と感動は多様にあり得るが、坂手氏流の劇的要素が確かにあった。
演劇落語~二人芝居三席~
アトリエ・センターフォワード
雑遊(東京都)
2023/11/23 (木) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一人話芸の落語も良いが、楽しい演目を舞台化したものもしばしば目にする。だが二人芝居というのはまた一興であった。一人話芸の持つ自在性は、二人が入れ替わり立ち替わるアレンジで表現され、演技は言うまでもなく動的で演劇的。私は三人が高座を務めるのを覗く心づもりで出かけたのだが、全く違った。高みの見物とは行かず、巻き込まれた。団体主宰・矢内氏と坂口氏の落語関連企画は一二度やったと承知、力量の程も想像の域であったが今回は北澤小枝子が加わる。結果は、中々のやり手であった。
演目は落語の有名な大ネタ三つを30分程の出し物として、休憩を挟んでやる(三つともに出るのは矢内氏)。話を知っているので「どうやるかな」との興味で話を追う見方になるが、それでも飽きさせない趣向とテンポ感、完成度がある。オチは既成のものとはどれも変えていたようである。
現雑遊に合った公演。
無駄な抵抗
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/11/11 (土) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
コロナ下での「外の道」以来、イキウメの異色作が自分の深奥に届く。時代を捉える感覚というか。
今回は世田谷パブリック主催公演で、ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を題材とした前作「終わりのない」(まだ四年前とは・・随分昔に思える)に続き、ギリシャ悲劇「オイディプス」を下敷きにした作品との事だが、そんな前宣伝は全く知らずに観た。
(結論的な事を言えば、この悲劇の悲劇たる核心の「現象」が今作では現代の悲劇に置き換えられているのだが、原典の物語の副題と読めば納得なタイトル「無駄な抵抗」は、今舞台では痛烈な批評の語になる。)
前川戯曲に盛り込まれる「不思議」は初期はそれが眼目のような所があったが、その「仮想」は問いを含む。言わば形を変えた現代批評。であるゆえに問いの投げ方により「不思議」の入り方が変わる。前作「人魂を届けに」では「魂」が実体化したらしい奇妙な物体であったが、物語の最初の一歩を刻むこの存在は、物語本体が進むにつれやがて霧消し、象徴的存在として最後には「処分」された。
今作の「不思議」は、いつしか電車が止まらなくなった駅(なのに駅として稼働しており「電車が通過します」のアナウンスが時折流れる)の存在、なのだが、効率化と省力化が進んだ先の、僅か先の未来と見えなくもない。少なくとも現代の感覚ではそれはあり得ないから「不思議」に属するが、一歩間違えばそれはあり得るかも知れない。
物語本体(幾つかのエピソード)が進み、あるいは共有されるこの駅前広場が、冒頭大道芸人(浜田)に紹介される(円形劇場の客席のような円弧を切り取った数段ある頂上の高い造作)。そこから劇は始まる。
場面乗り入れの演出も「不思議」との微妙な距離感を作る。平場でのやり取りを、人が遠巻きに座っていたりして、円形劇場風の階段から見るともなしに「見ている」ようで別の次元にいる風である。役を演じた後は椅子に座って役者自身に戻るアレにも似るが、ギリシャ劇風にコロスと呼ぶのが近い。結果的にギリシャ悲劇の筋書きが、円形劇場の中、皆が揃った前で成就するのである。
各エピソードは、会話により語られる対象であるので、その場所は必ずしも「この場所」である必要はない。が時折、語る人物らによってふと意識されるのがこの駅前広場であり、「電車が停まらない」現象についても言及される。そしてカフェを開く青年(大窪)や警備員(森下)の存在があり、とある社会の一角である事を意識させる。
今一つの「不思議」は、場面が閉じられるタイミングで浜田が「○○はこんな夢を見た」と言い、人物らが場所不特定な存在となり夢の構成に動員される(コロス的)。夢判断=深層心理のレベルへ観客を誘う。
かくして全方位的演劇の世界が具現し、「次の瞬間」への集中力が否が応にも鋭さを増す。
YSee
BATIK(黒田育世)
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2023/11/09 (木) ~ 2023/11/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
つい先日観たイデビアン・井手茂太氏もゲストの一人で出演との由(他に奥山ばらば等)、そして舞踊家・黒田育世は一度再演(若手にレパを踊らせる企画)を目にし、もっと観てみたいと思った人。
ただ事前に紹介を読んで調べた上でなら行かなかったかも?・・ というのは、本公演のタイトルはジョアンナ・ニューサムという女性シンガーのアルバム・タイトルから取ったもので、全編にこの少し幼げな響きのあるハスキーボイスが鳴り渡る。舞踊はその伴走者となる音楽が大きな要素であるが、この歌手の世界が「自分に合わないな」と感じながら観る事になった。中盤から民族音楽的アレンジの長尺曲が流れたりと、好みに重なる部分も出てきたし、眼目となる後半の出し物は集中して観れた。ただし音楽に酔う舞踊鑑賞とはならなかった。
厳密に言えば、音楽だけが理由という事でもなかったかも知れない。舞踊家それぞれ振付の傾向があり、今回は黒田女史の傾向を知ったが、冒頭の演目では感情的な衝動、「床叩き」や「自分叩き、ないしは動作の突然の中断」が挟まり、怒りや自傷の衝動が表出して見えた。苦悩が表現されている。
だがそうしたネガティブな感情は文脈を要すると思う所である。恐らく曲の歌詞の中にそれはあるんだろうと想像されたが、歌詞を知らない者にも届く舞踊表現としては、年輩の踊り手の機敏な身体性、技術を感心して眺める事にはなったが、作品としては「分からなさ」の中へ沈んで行った感じだ。他に覚えているものでは井手氏と奥山氏二人の「熊と猿」という曲で実際に前者が猿、後者が熊を演じ、ユーモラス。その井手氏と黒田氏のデュオも男女カップルの恋模様といった風で微笑ましい。大勢の若手も含めた群舞は見応えあったが、具象的な動きが混じるその示す所を掴み切れず、これも歌詞を見ないと分からないものかな、と。
バリエーションの幅があり楽しめる公演であったが、終わってみてもやはり音楽の要素は大きかったかな。
君は即ち春を吸ひこんだのだ
新国立劇場演劇研修所
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/11/07 (火) ~ 2023/11/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新国立主催公演以上の成果が視られる事のある研修所公演。今作は卒業生の補助無し、18期生のみの舞台だったが、出色。老齢の役があるが、年齢差のハンディはむしろ「にも関わらず」の域。主役の正八(新美南吉)、幼馴染のちゑ、教え子の初枝の風情がいい。「日本の劇」戯曲賞受賞記念の公演よりも作風に迫っていた。(私がしばしば不評を言う田中麻衣子が演出。見直した。)
童話作家として評価されて行く新美南吉の評伝劇というより、内的世界の軌跡を眺める趣きがあり、そこにスポットを当てたくなる人生であったりもする。彼を通り過ぎた「事実」は衝撃であったりするが、周囲ほどには彼は騒がず、飲み込む。だが観客はその心模様を想像する。それは舞台上の風景やちょっとした彼の仕種や数少ない台詞の中に痕跡を残し、彼が文字を書いた実績によるのでない、彼の内的世界が「存在した」事の中に、意味がある、と感じられてくる。
そしてその事を確かめるために、彼の童話をこれから、開く事があるのかも知れない。
イサク殺し
公益社団法人 国際演劇協会 日本センター
シアター風姿花伝(東京都)
2023/10/13 (金) ~ 2023/10/15 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
同団体主催で2020年コロナ禍下で観たリーディングの演目だが、今回はどういう経緯か同演目を同演出、大部分同じキャストにより再演。配信で鑑賞しながら、ある施設で劇を演じる、というメタ構造が次第に混沌としてくる中、彼らの背景である「戦争/紛争」、それが個々人に及ぼした影、それぞれの立場が吐かせる論理が表出する。
井上加奈子女史の声に宿る迫力、今回配役されたモダン・西條氏の喋り、他の熱量ある俳優が長尺のリーディングを躍動的に作り上げていた。
イスラエル作家による自(国)省的と言える戯曲だが、今の戦禍がこの戯曲の続きに書き込まれざるを得ない事を感じる。
尺には尺を / 終わりよければすべてよし
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2023/10/18 (水) ~ 2023/11/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新国立研修所公演で観ていた演目。とは気づかず、悪コンディションで20分遅れて辿り着いた後、寝落ちしながら観た。初見の向きには冒頭の「仕掛け」を見逃すと筋を追うのは厳しいだろう。朦朧として一幕を終え、休憩中「あらすじ」を検索、「あーあれか」と後半は面白く観た。
研修所の上演はシェイクスピアの隠れた名作と思わせた。ウイーンの王が旅に出ると言ってその間の統治をある有能な臣下に委ね、自分は僧侶に扮して国内に留まる。王の「気まぐれ」により、治世が変り矛盾が極まるのだが、騒動を収めるために後半は僧侶(王)が奔走し、最後は己の地位と僧侶に扮していた事実を明らかにして事を収める。喜劇なのではあるが、ある意味で社会実験とも言え、法とは何か統治はどうあるべきかの問いがある。法は絶対ではなく人々のためにある、という当然の前提が転倒し、庶民に厳しい割に上層が治外法権のように守られてるかの局面を目にする現代、治世はかくありたいと願う心には響く。
今作は喜劇性を追求し、手練れの役者を配して素に戻る系、客いじり系、熱烈演技系その他縦横無尽に美味しく場面を展開させる。(「ローゼンクランツとギルデンスターン」や「モジョ・ミキボー」での鵜山演出を想起。
『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』
Bunkamura
紀伊國屋ホール(東京都)
2023/11/04 (土) ~ 2023/11/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
渡辺えり「死ぬまでにやりたい事やる企画」第二弾(勝手な命名。「ぼくらが非情の大河をわたる時」を上演した時のトークだったかでそういう意味の事を語っていた)。値が張ったが早めに予約、行ってみると特等席のような良席であった。
「ガラスの動物園」の実演は昨年のフランス語上演が初めてだったが、今回の上演(渡辺氏のアレンジが加わっていそう)はひどく納得させられた。昨年のイザベル・ユペールの母役と舞台セットでは、社会の底辺感、隔絶感が些か乏しかった。渡辺バージョンはローラ(吉岡里帆)をやや精神病みも入った痛々しい娘にし、母役の自分は一家に君臨する女王(自分では献身的だと思っている)、これが見事であった。語り手のトム(ローラの弟、尾上松也)は、父親のいないこの家庭での生活に倦んでいるが、回想シーンとして全編が演じられる戯曲の構造を反映して松也を各所で見守り、黒子的に手を貸す役目に付かせている。コントラバス、バンドネオン、ヴァイオリンの生演奏も、演奏者と絡ませる演出もスタイリッシュでユーモラスで救いのない悲劇の物語を包み込んでいる。
別役実作の方は「ローラ」とあるからこの作品に寄せた翻案された作品だろうとは読めるが内容は知らず。果たしてバランスが取れるのか、同時上演が成り立つのか、不安ながらに期待して観た。笑いでコントラストを付けるのも手だ、、とそちらの予想は外れ、思索に誘う抽象度の高い作品、これを演出がどう締め括ったか。ネタバレしないでおく事にする。
ハムレット
明治大学シェイクスピアプロジェクト
アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)
2023/11/04 (土) ~ 2023/11/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
明大シェイクスピア二度目の観劇。月曜の千秋楽を観せてもらった。四大悲劇で最も有名なハムレットはやりではあるが男役が殆ど(女性はガートルード、オフィーリアのみ)。それでも女性の男役はホレイシオくらいか。男手の多さは目を引く。芝居的には性別よりは年齢的ハードルが大きい。クローディアス等中年男のいやらしさ、もとい風格を醸すには。
大ホールと言える劇場には宮殿内部が横広、中央がやや高程度の二階立て、踊り場的スペースが上手に。中央は階段。その上が王座にもなるが幽霊の出る森にも。
ハムレットの初登場は新王が妻を侍らせ演説する中、平場の端っこに腐った様子で立つ。父が亡くなって喪が明けぬ内に母は叔父とくっ付いた、と独白(毒吐く)。
新王曰く、先王逝去の悲しみが癒えぬ時ながら我がデンマークも内憂外患、我々は先へと進まねばならぬ、ガートルードを我が妻に迎える事にした(拍手)云々の(原作を知る者には)憎らしい台詞、そして唯ならぬ亡霊の出没に慄く家来達がこれを王ではなくハムレット(直属の家来かつ友人でもある)に聴かせる事で「疑惑」がこちら側だけの了解事項となる見事なお膳立て。旅一座を使ってその確証を得るまではサスペンスであり、復讐への道が開かれると思うや敵も去るもの、迂回を余儀なくされ、出し抜かれるも生還した、さあいよいよと最終段階に差し掛かって不吉な予感、先手を打たれ敵を倒すも非業の死。誠実に辿って描いた明大シェイクスピア。
管弦楽器での生演奏、途中の遊びのシーン(ローゼンクランツとギルデンスターンなる今作中最も哀れな登場人物の浮薄な描写、墓掘り人のシーン等)もしっかり作り込み、全体には学生演劇らしい背伸び感はあるものの役に迫ろうとする直線的エネルギーは若者のイノセンス。
今回は番外編的企画も多々あり、そのバイタリティに敬服する。
皇国のダンサー
劇団黒テント
ザ・スズナリ(東京都)
2023/11/01 (水) ~ 2023/11/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「亡国のダンサー」(2017.3)から6年半。この年は年末に坂口氏作「浮かれるペリクァン」と劇団公演が二つもあり、春にはハット企画「シェフェレ」、年明けには滝本女史による「4.48PSYCHOSIS」と陰なる黒テント応援団にとっては嬉しい一年だった。
ファンとは言っても創立者佐藤信作品との縁は薄く、最初が「メサスヒカリノサキニアルモノ、若しくはパラダイス」(松本大洋作・斎藤晴彦演出)初演と再演で幸運な出逢いと言えた。次に観たのが佐藤氏作演出「絶対飛行機」。「亡国」はそれ以来だから15年。座高円寺では演出作品を2本程観たが、何気に抽象度は高い。今回も覚悟して臨む。
「亡国」はその空気感、絵面が魅力であった。物語の解らなさは渡辺えり子作品並みだがこちらは大きな波長での演劇的ドラマ性がある。佐藤作品は印象的な断片が連なるが詩のような構成で頭脳を刺激するが骨太さ(身体的躍動?)は感じない。読み取り力の問題だろうか。
「絵面」と言えば服部吉次氏の存在は記念物指定ものである。(演出も間違いなくこれをどう活かすかを考えたろう。)外見からの観測だが齢八十になりなむとする小身が軽やかにステップを踏む。コールでの礼の絶妙な間合い(希代の一座が鳴り物入りで芝居を打ったような、団員の面映い顔も仄々として来る送り出しであった。)
アメリカの怒れる父
ワンツーワークス
駅前劇場(東京都)
2023/10/26 (木) ~ 2023/11/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
いつもの赤坂REDに行きそうになっていけねえいけねえ、今回は下北・駅前であった。(劇場を間違えた事は流石にないが、、いや途中で気づいて断念した事があった。開演時間を30分間違えた事は数知れず。。)
最近は二回に一度の観劇頻度となったワンツー、今回は韓国戯曲と珍しい。数年前韓国現代戯曲リーディングでやって題名を覚えていたが、舞台を観てその片鱗も思い出せなかった。アフタートーク及び後で資料をめくってみて合点。リーディングでは随分寝落ちして絵面の記憶からも内容が思い出せず、また今回は元戯曲のドキュメンタリー要素を切り「ドラマ部分のみ」の上演としたとの事。そして本作は題名通りアメリカの、アメリカ人の父の話で韓国との関係は無い(その意味でも珍しい戯曲)。奥村氏が父役を力演。9.11同時多発テロとイラク戦争が背景。正にワンツーのテリトリーであった。
(以後内容についての感想、慣れぬスマホで書いた長文が消え、二度目は途中で前画面に戻って消失。少々げんなりしたのでここまでにしてまたいつか。。)