「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」 公演情報 名取事務所「「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    名取事務所のチラシは毎度定番のデザインとなり、自分はと言えば公演に足を運ぶ頻度も増えた。今回の二本立ても期待大で両作品拝見した。
    「慈善家」は新作、「ブッチャー」は再々演(今回初の生田みゆき演出、これも期待大であった)だがどちらも初と思っていたら「ブッチャー」は再演を観ていた(初演を「見逃した!」思いが強く観た事を忘れていた。開演して気づいた)。
    いずれも秀作。空間は一つで複数場面の兼用はなく、時間は時系列で進む。局所を描写したドラマから世界で起きている出来事(負の連鎖)を想起させる。「ブッチャー」は架空の国が設定されており、少なくとも大戦後の時代タームである事は分るが、残党狩りという事ではナチスを想像させるし、国内で起きた民族間対立という事ではルワンダ紛争、捕虜・囚人への非人道的処遇という点ではアブグレイブ刑務所を始め世界中にあった(ある)だろう専制下での政治犯の処遇を連想させる。伏せられた事実が一つ一つ明らかになるミステリー要素、深夜の警察署(?)内という密室サスペンス要素など戯曲が持つ面白さと同時に、それを高々と越えて来る圧倒的なメッセージ性(とそれを証明するための様々な身体的いたぶり)に息が詰まりそうになる。(終演後高山氏に寄って来た知人らしい女子学生(位の年齢)が「(すごい)面白かった」と漏らしていた。)
    「慈善家」は大資本を牛耳る者、そのステークホルダーと、当事者を登場させて生き馬の目を抜く現場のリアルを描きながら、「金による支配」のテーマを伝える。理念の希求と財政基盤の葛藤、支配欲求からの上昇志向、それらを巡る本音と建前とプライドと正義へのこだわりが錯綜する。まずこちらを観て圧倒され、もう一方を観て(二度目の観劇だったが)更に打ちのめされた。

    ネタバレBOX

    「屠殺人ブッチャー」とはその者に付けられたニックネーム。巨大な肉を吊るすフックを囚人に対して用いるためそう呼ばれた。アキレス腱を切るのが、この道具の目的だ。激痛と、移動のためには這うしかない身体状況を与える。
    彼は捕まらなかった最後の犯罪人で、かつての階位を示す印章と軍服に身を包んだ彼(高山春夫)が運び込まれた警察署に、若い弁護士(西尾友樹)が呼ばれる。彼は警官から事情を聞き、その老いた軍人の首には屠殺用フックが掛けられていて、フックの先に名刺が付いていた。その名刺の名前の当人が呼ばれた訳だった。異国語を話す軍人のため、やがて女性の通訳が現れるが、彼女はこの軍人を巡る弁護士との問答の中で、軍人と彼の関係を明らかにし、次に彼女の正体が明かされ、そこは密室となる。ここからが息の詰まる修羅場である。
    この劇のテーマを当たり障りない言葉で言うなら、「法では裁けない罪を個人が法を犯して裁くことの是非」となるだろうか。だが劇が炙り出すのは「法で裁けない、裁かれない罪」とは何かだ。世界は慈悲に満ちた空間でも合理的なシステムでもなく、何らかの復讐が為される事の方が必然と感じられる事がある。この作品では、個人が受けた被害に対する個人的な復讐が要求されるが、その背後に他の多くの被害者(非対称な関係を背景とした)の存在が見えている。
    ガザ地区、ヨルダン川西岸地区の人々が日々被って来た緩慢な非人道的扱いや攻撃を、その蓄積を、それ故に閉ざされた未来を、僅かながらの情報の中からも想像していた身(私)には、ハマスの攻撃は、後の事など考えておれぬ止むに止まれぬ挙であると同時に、誰か分かってくれこっちを見てくれと叫ぶSOSにも見える。自然の発露とさえ。そうとしか見えないのだ。
    誰も公正に(この場合はイスラエルを)裁かないのなら一体法とは何か、という問題は日本も対岸の火事ではない。止むに止まれぬ挙が、ある法に違反しているとして、その前段に不公正な事実はなかったのかを遡及する想像力を持てるのか否かは、司法を含めて常に問われる。過去の何処か別の国の話でなく、今を突く話としてビシビシと見えない掌が叩いて来る。
    作者は、肉親の「処刑」に立ち会わされた男にこう言わせる。「私は(復讐を)しない」「(貴方が想定している人間たちと違って)私は、しない」。
    生田みゆき演出はこの台詞を殆ど囁くような小さな声で言わせていた。
    このドラマの強調さるべきは「放置された加害/被害」の存在、と私は受け止めた故、復讐の連鎖を誰が止めるかのテーマは関連するとは言えまた別の立論となる。
    彼は今為された復讐の起こる根源を理解したからこそ、「自分は復讐をしない」と言えた。テーマはそこに戻って来る。イスラエルが自分らが如何に酷い態度をパレスチナに対して取っていたかを理解するには、一人一人監禁して思い知らせるしかないのかも知れないが現実には不可能だ。それが出来るのが演劇であり、そして観客が受け止めるもの。

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    2023/12/11 06:38

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