人本のデストピア
バカバッドギター
上野ストアハウス(東京都)
2017/07/15 (土) ~ 2017/07/17 (月)公演終了
満足度★★★★
冒頭は環境問題に関する批判もしくは警鐘するようだが、一転、民族(移民)問題を思わせるような骨太いテーマ、寓意性が観えてくる。全編を貫くブラックユーモア、その観せ方はポップ調で堅苦しくない。チラシ説明によれば、奇病によって人口減の一途。そして本の中(世界)に閉じ込められてしまう。
奇病はアジアの小国で発症しているが、タイトル「人本(ニンホン)デストピア」から日本(ニホン)のように思える。この公演は劇団最後の公演、「ン」の字は五十音順で最後の字、そんな関連付けをさせたか?
(上演時間は2時間)
ネタバレBOX
セットは、本棚が幾重にも重なるトリックアートのようだ。普通に考えれば知の源である本は、ここでは人を閉じ込めてしまう治(ち)のような存在に変質している。本の中の世界観…。
梗概...未来世界におけるアジアの小国。 バラックで生活する少女と老人、そして河童。
身体が「本(=BOOK)」になる奇妙な流行病が世界中を席巻し、地上の人口は減少。
人類は皆、大地にへばりつくようにして黄昏の世界を生きている。人はもちろん、すべての生命は「本」へと帰す。
本になった祖父を助けるために過去へ遡行する。そこで待ち受けているのは祖母であり、この奇病に対処できるとされる魔女でもあった。その街は城壁が囲われ街内と街外では環境が違う。世界的な課題である移民のことを想起する。
理屈では移民・難民(定義は違うであろう)の受入容認と思いつつ、感情的には微妙な思いを巡らすこともある。排他的な思いは、テロ行為との関係を無視することが出来ない。もちろん直結するわけではない。だからこそ、フーコーの振り子のように「理」と「情」の間で考えが揺れ動くのである。なお公演でも軍服を着た大佐が登場する。
奇病=本の中(人本)は死の世界であろうか.死は自然や現実とは違う世界に住むこと。もしかしたら、あの世は永遠平和のユートピア、そう考えれば現世はデストピアと言える。その倒錯を過去への遡行として描く。
物語は、独自用語(当日パンフに説明あり)が使用されストレートに理解できない、人間関係が錯綜している感じ。この2つが少し分かり難かったのが残念だ。しかし、現代的テーマを据えており、演出は軽妙洒脱で観客を飽きさせない。そして役者がその世界観をしっかり体現しているところが素晴らしい。
「環境問題」や「移民・難民」はどちらも“共生”が重要であろう。寛容が肝要というお題目だけではなく、問題解決に向けた努力が必要であろう。考えさせる最終公演は、小ネタも仕込んだ笑いの中、とても観応えがあった。
いろいろな事情があるにせよ、いつの日か劇団が復活することを期待しております。
プールサイドの砂とうた
くちびるの会
調布市せんがわ劇場(東京都)
2017/07/16 (日) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★
本公演は第8回せんがわ劇場演劇コンクールにおいてオーディエンス賞を受賞した。予備審査を通過した6団体によって競われたコンクールは、この団体以外はパフォーマンス系の公演であった。この団体のみがストレイトプレイで、観客には分かり易いところが受賞に結びついたと思う。
(上演時間40分 *コンクールの上演条件)
ネタバレBOX
舞台は転換を含め決められた時間(40分)で演じることから、大掛かりなセットは作らない。この公演では白線で囲い、中央に水槽が置かれている。この水槽が物語の根底にある、或る事件を象徴している。何気なく投じる固形塩素が発する泡が神秘的であり不気味でもある。
梗概…小学校教師を辞めた女性が戻ってきた。それも結婚し幸せに暮らしているようだ。その女性を快く思っていない、むしろ憎んでいる女性がいる。その心情が痛いほど分かり、どうすることも出来ないもどかしさ。小学校のプール授業、吸水溝で水死した事故。苛めにあっていた少女の母親の救われない気持。学校側は責任逃れ、隠蔽を…。事故に繋がる件(水中での碁石と固形塩素の識別が難しい)も説明され、納得感も余韻もある。
本来であればもう少し長い時間の物語であろう。しかしコンクールの制約条件にも関わらず、逆に必要最小限のシーンでストーリーを紡ぎ、簡易な小道具で心象形成させる演出は見事であった。また役者の演技力も確かで、授賞式での専門審査員の評では、この団体のみ噛みがなく安定した演技をしていたと。
次回公演も楽しみにしております(優勝した団体およびオーディエンス賞を受賞した団体は次年に再演するという)。
キリンの夢3
THE REDFACE
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2017/07/21 (金) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
戦後の混乱期、闇金融界の寵児を描いた物語。戦後のマスコミを賑わせた昭和アプレゲール犯罪「光クラブ事件」を題材にしたノンフィクションをフィクション仕立てにした力作。教科書で習う経済用語「信用創造」、その効用を先取りしたような金融活動。しかし、その根底にあるのは「信用」ならぬ「不信」であり、それがゆえに時代の荒波に消えた男の人生譚。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、平行の段差、中央に階段があり昇降することで室内・室外を見分けさせる。室内は「光クラブ事務所」であり、主人公・山崎晃嗣(榊原利彦サン)が通った銀座のBarルパンなどである。基本…室内は上手側に豪華な椅子、下手側に机といった簡素な作り。
物語は、「光クラブ」「秀才東大生グループ」というキーワードで知られているが、自分は「青の時代」(三島由紀夫)、「白昼の死角」(高木彬光)の小説・同映画によって粗筋は知っていた。本公演によって改めて事件の概要や主人公の人柄なりを知ることが出来た。劇では戦後間もない時期という特別な時代背景、東大首席という秀才、そして短期間で盛・衰(自殺)した話題性など、そのエポックを人物に投影して観(魅)せる。そこには、時に笑いを交えつつ魅力的な人物像が立ち上がっていた。
学生グループが設立した金融会社。当時の物価統制法違反で逮捕されるなど非合法な活動であったようだが、山崎社長はどのような夢を描いて設立したのか。タイトル「キリンの夢」は、誇り高き、遠く(未来)を見渡すことが出来ること。しかし長い足ゆえ、足元が見えないという台詞が意味深でもある。一歩踏み出すとそこは蟻地獄、倒れたら立ち上がれない。そんな負の連鎖がしっかり伝わる。その遠因と思えるような友人の非業の死、自身の戦争体験が心の痛みとなって、その後の人生に大きな影を落とす。その哀切と慟哭が心情豊かに描かれる。
パンフにも記載があるが、人間の性は、本来傲慢、卑劣、矛盾、邪悪であると…。その暗澹たる気持は、太宰治との会話を通して分かり易くなる。山崎は、人は裏切るが金は裏切らない。太宰は愛こそが大切、心が傷ついた分だけ成長するという。思いの違いはあるが、結局のところ2人とも女性絡みで終わる。人は物欲だけではなく、人との関わりによって成否…その足元という信頼関係が大切ということらしい。公演ではきれいごととして描かず、あくまで山崎の日記(手記)という事実に基づくもの。
役者の演技は序盤こそ軽妙であるが、徐々に重厚さを増していく。そこに人柄の変貌を見ることが出来る。ドキュメンタリー・フィクションとでも言うのか、その雰囲気は”生”の舞台でこそ味わえる醍醐味、堪能した。
次回公演を楽しみにしております。
初めまして、劇団「劇団」です。
劇団「劇団」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2017/07/20 (木) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★
関西の劇団「劇団」(通称ゲキゲキ)の次回作「1000年の恋」のPR公演。劇団名を知ってもらうこと、第29回池袋演劇祭参加に向けた事前準備が目的のようだ。
3話オムニバスとその間に入れた2つの超短編。面白かったが…。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
3話は次のとおり。
●エアーポンプマン
生活のため、子供向けイベントに出ている劇団員。その仲間内で起きる恋愛事情をコミカルに描いた物語。その恋の行方は…。
●バカと天才
高額バイトにつられて集まった4人。バカと天才に識別される過程をコミカルに描く。しかし集められた人達には共通した事件が…。
●天国プロデュース!!
カリスマウエディングプランナーが手掛ける結婚式。そのプランナーが事故死をするが、その背景には彼女が抱えていた悩みが…。
それぞれコメディ、サスペンス、ファンタジーというジャンルでエッジも効いて面白く観ることが出来た。しかし、いずれもどこかで観たような、既視感があり新鮮味が乏しかったのが残念。また卑小であるが、短編でエッジを効かせるならば、「バカと天才」における首謀者の毒ガスマスクの疑問、「天国プロデュース!!」における後輩プランナーの黒ネクタイ。葬儀社社員と誤解されそうな衣装も気になる。
劇団名を覚えてもらうこと、東京での初公演というインセンティブは理解しつつも、池袋演劇祭との関わりはあざといと思われないか心配になるところ。ここ数年、関西の劇団が大賞を受賞しているが、それらの劇団はプレ公演を行っていただろうか?
当日パンフに、この劇団…「ゲキゲキの持ち味は、何と言っても物語力!」と書かれていた。次回、本公演を楽しみにしております。
霞の中の少年
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2017/07/12 (水) ~ 2017/07/18 (火)公演終了
満足度★★★★
物語は、過去の記憶に囚われ又は逃避し続ける男、その過去と現在が往還するように展開して行く。その間にドラマチックな出来事はなく、記憶が暈けているような感じ。あくまで現在の境遇に至っている説明のため過去の出来事が必要のような。しかし、タイトル「霞の中の少年」を深読みすると別の事を思ってしまう。印象付けと余韻に長けた作品であった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
構成は過去と現在。過去とは35年前、主人公・河内次郎(中原和宏サン)の中学時代に遡る。仲間を先導し山奥へ行ったが遭難して…。記憶を消したい、その思いが強くなって記憶や自分自身が誰なのか暈けてくる。まさに”霞の中”-夢のよう。
現在は50歳・独身、清掃会社のバイトで生計を立てている。若い正社員に嫌味を言われ、嫌がらせを受けても唯々諾々の日々を過ごす。アルバイト仲間が家庭環境を話す件は、今の日本の労働事情・環境が透けて見えてくる。
2つの時代は、それぞれ登場人物が異なり、衣装など視覚的な観せ方で区別する。また照明の照射強弱・色調などで変化を付ける。過去-薄暗く、現在-鮮明な見せ方という印象である。
セットは、中央が少し盛り上がり床は筵(ムシロ)が敷かれ、その上に枯れ葉。上手側には筵が垂れているが、洞窟を思わせるような通路。山奥に蒲団が敷かれているといったイメージである。上演前から次郎が寝ている。過去はこの寝ている時の悪夢であろうか?
中学時代のあだ名?…一等兵・二等兵という呼び名や主体性のない態度に対して、もの言わぬことへの批判する台詞。今の平和・平穏を脅かす法が次々成立することへの批判のようだ。
次回公演も楽しみにしております。
アイバノ☆シナリオ
BuzzFestTheater
ザ・ポケット(東京都)
2017/07/19 (水) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
初演の時に比べると泣き笑いのメリハリが利いた物語になっていた。ラストの急転する観せ方は、初演を観ているにも関わらず印象的で観応え十分であった。本公演では北海道出身の3人(川村ゆきえサン、アップダウンの2人)が心情豊かに演じている。
ただ初演時と同様、北海道というその土地柄はあまり感じられなかったが…。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は、スナック「かつら」の店内。中央奥に段差のあるカラオケステージが大きく作られ、上手側はBOXシートイメージ、下手はカウンターと酒棚。床やソファーなどは赤で統一し、スナックの雰囲気は十分漂っている。店の扉を開け放し、そこから「かつら」の看板にネオンが灯っているのが見える。そこに旅情を感じさせる見事な演出である。
梗概...網走にあるスナック「かつら」は、地元の漁師や農家の人々などが集うその場所に元女優・相葉しほり 本名・井野菜緒が働き始める。 網走は、失踪した菜緒の恋人、哲哉の故郷。「ごめんなさい」という書き置きと、愛ある歌だけを残し失踪。 菜緒は、この街に来た意味を見出すことができるのか、というもの。
元女優・相葉しほり、本名・井野菜緒(川村ゆきえサン)は、女優への再起に賭けていた。その精神的緊張...表層的には相葉のシナリオが展開する。舞台は網走になっているのは、タイトルとの関係であろう。「ア○バ○☆シ○リ○」は網走と井野菜緒(イノナオ)の掛け合わせ。職業・女優と本名の一人二役、実は本名のほうが物語を成しており、網走の生活で心を癒やす。実は先に記した本人の精神的なこともあり、スナック「かつら」のママ川島喜世子(川田希サン)、失踪した男の兄・半沢宏哉(かめや卓和サン)が考えた思いやり。この錯綜したような構成がラストの衝撃と余韻を残す巧さ。
また劇中、何度か歌われる「あの空よりも高く」が心に染み入る。
この錯綜したような構成は、謎めいた冒頭シーン、実に意味深で失踪と二年後に読まれるラジオの投稿(「あの空よりも高く」がリクエスト)に繋がるという色々な場面への仕掛け、工夫は見事。本筋はこの女性の心の彷徨であるが、そこに、この店で働く女性・伊東朱音(山本真由美サン)の弟・卓馬(飯田太極 サン)のヤグザ絡みの話、地元漁師・豊川雄介(藤馬ゆうやサン)の子供の時の事故、婚約者との関係などのエピソードを脇筋として絡ませる。その関係を強調すると物語がわざとらしくなり伸縮性がなくなる。その意味で適度な関係性に止めたように思う。
次回公演も期待しております。
変更と加減
劇団冷たいかぼちゃスープ
APOCシアター(東京都)
2017/07/15 (土) ~ 2017/07/17 (月)公演終了
満足度★★★
冒頭とラストを関連付ける、そんな帰結を意識した物語。その物語は、主軸があるような無いような。いくつかの挿話(当日パンフに相関図あり)を織り込んでいるが、主軸との関係性が分かり難い。タイトル「変更と加減」は何を示すのか、テーマのようなものが判然としない。
ネタバレBOX
挟み客席で、真ん中が舞台。ほぼ素舞台で、シーンによっていくつかの椅子が持ち込まれる。物語は学生時代に苛めを受けていた男と苛めを行っていた男が街中で再会するところから始まる。ラストは、苛めを受けていた者と行っていた者の立場と行為が逆転するアイロニー。ラストの件は、冒頭シーンへ繋げるために少し強引。その描き方も寓意のようで教訓臭く感じられたのが残念。
梗概…学生時代に苛めを行っていた”被害者”と”加害者”という括りで、社会人になった元同級生が再会。それを契機に、2人に関係した人物達の話が挿話のように紡がれる。
①会社での上司・部下の関係-部下への苦情処理・責任転嫁と手柄を横取りする上司というサラリーマン社会。 ②女子会トーク-建前のみ、本音のみ、主張しない(曖昧な受け答え)に見る面倒くさい会話。 ③不倫-妻子ある男の遊びと離婚を迫る女の怖さと哀れ。 ④自己満足・偽善-母が余命幾ばくもない。女性を金で雇い偽りの彼女に仕立て、親を安心させる。 ⑤男の身勝手と女の純情-学生時代の苛めの首謀者。社会人になっても定職に就かず、女の世話になっているダメ男。 ⑥姉妹の確執…等々、よく見聞きする典型的な話を織り込んでいる。冒頭のシーンは人間関係を引き出す契機。全体は苛めも含め、人が持つ”暗部”のような内面を描く。
それぞれの話は、台詞と同時に自分の心情を説明する表現がある。その表現形態が多くの注釈付で展開する。また、ほとんどの役者が大声で一本調子の発声。状況・情景にあわせた人情豊かな表現がほしいところ。
一方、このAPOC シアターという劇場の構造特長を活かし、階下(一階部)から上がって出入りに変化をつけ観せようと工夫しており好感が持てる。また、人に動きが出てテンポ感も活きていた。
もう少し主軸の苛め問題と各挿話が有機的に絡むと、物語に厚みが出てきたと思う。
ラストシーンの拘りをなくし、人の厭らしい内面の掘り下げた、という大きなテーマで見せても面白いのでは…。
次回公演を楽しみにしております。
おんわたし
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2017/07/12 (水) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
この劇団、SPIRAL MOONらしい丁寧な作りであるが、描く対象が今まで観た個人または家族とは違い、もっとスケールアップさせたようだ。
また、物語の展開には社会性を潜ませ、実に興味深い作品に仕上げていた。
(上演時間1時間30分、漫才15分)
ネタバレBOX
沖縄県の特定郵便局が舞台。そのセットは、上手側に座敷への上がり間口、座卓、雑貨を収納する棚。下手側には果物、扇風機などが置かれている。正面は窓ガラス、そこにカーテン。出入り口の奥(外)には石垣や南国の花が見える。実に風情豊かな作りである。
梗概…ある夏に日、郵便局長が海辺に流れ着いた瓶を拾ってきた。その中には10年前に中学受験の問題が書かれた手紙が入っていた。そこに書かれた住所に返信したところ、手紙の主の母親が島に来た。娘はj受験に失敗し自殺したと…。
他方、22歳の青年が保護司に連れられ郵便局を訪ねてきた。一定期間働かせてほしいというもの。彼は、10年前に犯罪を犯し少年院に入っていたらしい。それは手伝いに行っていた民宿に来た客が…。
この二つの話に、必然的な繋がりを持たせていない。しかし、母親は元教師ということもあり、青年に色々なことを教える。この交流への導きが実に自然体で見事。
青年の処遇を巡って、人々は喧々諤々。今から10年前(2007年)は犯罪の低年齢化を背景に少年法改正が行われている。そして少年法における10年の有期刑は重犯罪であったことは容易に想像できる。青年の過去が知れたのは、都会から来た旅行者のインターネット情報によるもの。都会での更生が困難ゆえ、沖縄で果そうとしたようだ。
本公演の主人公(対象)は人物ではなく、沖縄という土地(地域)を描いているようだ(上演後、沖縄県出身の芸人の漫才など、始終”沖縄”を感じる)。母親は、自分が娘を自殺するまでに追い詰めた悔悟、青年の罪の償い更生…それらの気持を「なんくるないさ~」など沖縄の言葉が柔らかく包み、緊張する心情を解きほぐす。さらに波風、波音という演出効果でしっかり印象付ける。
「恩渡し」…人から受けた恩をその人ではなく、別の人へ渡すこと。ある意味、心に余裕、ゆとりがないと出来ない様な行為。それをサラッと言って行なう風土。その心温まる人情、この劇団らしい見事なラストでした。
次回公演も楽しみにしております。
孤独の観察
シアターノーチラス
OFF OFFシアター(東京都)
2017/07/12 (水) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★
友情という名の押し売りならぬ押し付けが厭らしく描かれる。このシアターノーチラスという劇団の真骨頂…ざわざわ心が落ち着かない、その心情がしっかり観て取れる秀作。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は挟み客席、中央が舞台(結婚式場の控え室という設定)通路。そこに丸椅子が数個置かれているのみ。物語は、高校時代の友人が結婚することになり、12年振りに再会するところから始まる。昔話に花が咲かせ、その会話姿は円陣を組むよう。客席からは表情が見え難い。人の性格など、すべてが分かる訳でもなく見える部分、見えない部分があることを暗示しているようだ。円陣を組むような親しさを見せるが、その内心は厭らしさが渦巻いているよう。
梗概…同級生同士(新郎・新婦)が結婚することになり、親しかった女性友達(30歳)が集まる。しかし、高校三年生の時、グループのメンバーだった女性が通り魔に襲われ亡くなった辛い思い出がある。自分たちは仲間…なのにあの時彼女を一人にしたという負い目のような感情。実のところ、高校時代の”友情”は、名ばかりの役割・分担がありグループ内に優劣、優越・迎合があったことを思い出していた。友達がいないこと…孤独と孤立といった恐怖心を煽ったこと等。そんなところに12年前に亡くなった友の姉が現れ…。
女性同士の嫌悪、意地悪といった些細な言動、仕草が心の棘になる。その個々の感情の揺れ、その波紋がぶつかり合うように広がり不穏な雰囲気を醸し出す。女性同士には絶対的な悪人は登場しない。それだけに陰湿さの表現は秀逸であった。
結婚式場の控え室に丸椅子のみはあり得ないだろう。本来はソファーなどを置くところであるが、それでは人物の動きが止まり、表情も一方向から見ることになる。あえて丸椅子で動きやすくすることで、(心)落ち着かない様子を表現させる。また人間の多面性を見る、その”観察”する視点を固定させない演出も見事。帰り際に作・演出の今村氏と話をした時、苦肉の策だと言われていた。
物語に男性2人が登場するが、1人は同級生・新郎である。もう1人は招待した同級生の亭主だという。唯一過去の柵に囚われない。暴力性をチラつかせ場を騒がせる。この第三者的な発言が核心を突いたり外したりし物語を動かす重要な役どころ。
気になるのが、この重要な男をどうして招待したのか(または出来たのか)。この男の登場・存在が不自然なのだが…。
友情…”友達でしょ”という悪魔のような囁き。いつも一緒に行動し、拒絶することも難しい。そんな不自由な友情物語を描いており観応え十分であった。
次回公演も楽しみにしております。
トレーディングライフ
ピウス
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2017/07/12 (水) ~ 2017/07/17 (月)公演終了
満足度★★★★
未見の団体。その作風はサスペンスで物語の中へグイグイと引っ張っていく力があった。チラシも人の横顔がノイズのように一定しない。その不安定な感じが物語を暗示しているよう。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セット、その豪華さに驚かされた。中央にゲームをするギャンブル(トレーディング)場。その場所を四方から囲むようにプレイヤーの控え室がある。出入り口のない館で「人生を換金して奪い合う」ゲームを行う。
男は平凡な人生を歩んできた。大学を卒業しそこそこの企業に就職し、真面目に勤めてきた。しかし、男は大学時代の友人に裏切られ多額の借金を負う。さらに会社も解雇され、何もかも失う。自暴自棄になる男に、昔の友人(恋人?)が失った物を取り戻す方法があると…それは「人生で獲得したものなら、何でも相応の金額として賭けることができる」というギャンブルへの招待だ。
当日パンフには、「ゲームの基本的なルール」と「ゲームの流れ」が書かれており、劇中の説明台詞を聞き逃しても後で確認できる。また登場人物はペア(「ベッター」と「プレイヤー」と呼ぶ)で成り立ち、4ペアで勝敗を競う。ゲーム主催は虚会が運営するが、一癖二癖あるような人物である。もっともペアの人々もそれは同様である。
人生を賭けたゲーム、その人生とは「記憶」の消失と刷り込みといったところ。自分の人生において不要な部分(時代)を金に換算し、勝負する。相手が捨てた人生(時代)を買い取ることも出来る。自分の人生とは…アイデンティティを失い、他人の人生に上書きされる。ゲームという進行、その劇中時間制限が緊張感あるテンポを生み出す。
単に賭けゲームだけではなく、裏切り、どんでん返し等、多くの見せ場を用意している。細かいところ(当初は漫然とした不要部分-英検資格等がいつの間にか○○時代へ変化)を突き詰めれば破綻しそうな展開であるが、むしろ劇中の雰囲気に酔いしれた方が面白く観られる。
卑小はさておき、物語の根底に関わるところ…この館での出来事は全て忘れるのではなかったか(「会場」にいる限り、そのトレードの記憶は残っている。逆に言えば「会場=館」を出たら記憶は無くなるのでは)。しかし、ある目的を持って、以前このゲームに参加した者達が集まって来たのはどうしてか?記憶は…
役者の演技力は確かで、夫々のキャラクターをしっかり立ち上げていた。また、都会の雑踏、車の騒音、時を刻む音、雨音など印象的な音響。またペア人物に焦点を当てた照明、ゲーム・ターンが終了した時の記憶の更新時の照明も妖しげ。舞台技術も効果的で物語全体の印象付けは見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
おれたちにあすはないっすネ
なかないで、毒きのこちゃん
駅前劇場(東京都)
2017/07/10 (月) ~ 2017/07/11 (火)公演終了
満足度★★★
「こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん。」以来、久しぶりに観た。劇団「なかないで毒きのこちゃん」…らしい公演であった。面白いと思うが、自分の好みとしては前作のラストに向かって収斂する方が良かった。
(公表:上演時間45分、実際はもう少し長い)
ネタバレBOX
開演前から、女優が「劇場の扉を開けて下さい」と叫んでいる。劇場内に入ると客席(椅子)も並べていない。観客には好きなところに座って観てくれと。自分でパイプ椅子を出し見る人、床に座って見る人など、自分の自由・見やすいスタイルで観劇する。観劇といってもメインとなっている場内、ロビー、音響・照明ブース、トイレに通じる通路奥など分散して演じている。その小分けしたグループ毎の演技は時として移動し、違うパフォーマンスを見せる。斬新な演出、コミカル演技など、パーツ毎には面白かった。
劇場(扉内)全体を舞台と見做す独創的な発想。それがメイン舞台以外の各スペースでの演技として観せる。しかし、視覚で捉えられない演技を想像するのは難いのも事実。
パーツを組み立てた物語があったのか?「こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん。」では台本が出来ていない。そのリアルな裏切りがシャープで新鮮だった。この「おれたちにあすはないっすネ」の分散・離散したような構成は、小ネタの面白さに止まったようだ。もっと収拾し、同時にはじけた魅力を出してほしかった。
最後はメインの劇場内で歌を歌っての大団円。チラシ説明…大人になったらいつから今日でいつからがあしたなのかわからないと…。その曖昧とした感じを出したかったのだろうか?
ちなみに、チラシには映画「俺たちに明日はない」に出てくる ポニーもクライドもでてきませんと書かれている。その映画、公開直後は暴力性やセックス描写で、保守的な評論家からの非難に晒されたらしい。自分も不自由な観方になっているのだろうか?
次回公演を楽しみにしております。
先にぃ
劇潜サブマリン
シアター711(東京都)
2017/07/06 (木) ~ 2017/07/11 (火)公演終了
満足度★★★★
映画「ワーキング・ガール」(1988年)を思い出す。一人の少女が夢見た光景は、都鄙の違いほどに自身が変化していく。その姿は成長といえるものなのか、大いに考えさせられる。内容はシュールであるが、その見せ方はポップコメディという表現が相応しいようで観応えがあった。
劇団の紹介文...人間や社会に対するアイロニーにあふれた寓話的作風が特徴。軽妙洒脱な台詞回しを軽快なテンポでハイテンションに疾走するエンターテイメントの演劇集団だという。まさに真骨頂。 【1番線チーム】
(上演時間2時間5分)
ネタバレBOX
舞台は挟み客席、その間に線路をイメージさせる白線がある。左右に車内灯をイメージさせる電燈。時代は昭和の戦前期(台詞に戦争が終わった)であろうか。しかし衣装は必ずしも時代を反映していない。設定ギャップがあるかもしれないが、それを凌駕するほどのテーマが透けて見える。
梗概...一人の少女が都会での暮らしに憧れ就職する。慣れない営業活動、社長や先輩から小言を言われ落ち込む。それでも必死に仕事に取り組む。ある日、社長の指示で接待を命じられ、その変態・エロ行為以降、少しずつ好転していく。社長を追い落とし、自分が社長に就任する。前社長が行っていたダークなことを自分でも行うようになる。立場が人をつくる、その典型的な展開である。いつしか自分も崩壊するような...。
現在(都市)と過去(田舎)を往還するような場面転換、と言っても主人公A子(小川菜摘サン)が眼鏡をかけ、俚言になることで識別させる。”朱に交われば赤くなる”のか、都会暮らしの環境や立場の違いで性格も変わってくる怖ろしさ。
一方、田舎での暮らしは大らかな様子。鳥、牛という家畜が擬人化され登場し、少女の心の友、癒しになっていた。しかし人が生きるための食材になる視点も忘れない。
労働という行為を視点に、人の醜悪と純真という二面性、苦悩と解放という両局面を、都会・田舎という時間と場所の違いを交錯させ重層的に観(魅)せた秀作。
役者は主人公A子を演じた小川サンの熱演と、人生案内人・道化師の役割を果たす車掌・松澤太陽サンの沈着演技が対照的。車掌の白塗り顔、その無表情さがこの世のものとは思えないような...。
次回公演も楽しみにしております。
ありふれた話
劇団水中ランナー
d-倉庫(東京都)
2017/07/06 (木) ~ 2017/07/10 (月)公演終了
満足度★★★★
大学(映画サークルメンバー)卒業後の人生、と言っても30歳くらいまでの”ありふれた”生活を切り取った青春群像劇。
すべての人が経験するかわからないが、身近で起きるほろ苦い出来事であり、心情的に解る。 【Bチ-ム】
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は、左右で段差のある平台。客席側にはいくつかの丸椅子があるのみ。段差があることによって上下の動きが出て、変哲のない暮らしの中の細やかな変化や刺激を表現させ、それが心地よいテンポになっている。物語は、詩のような台詞を輪唱するような印象付けから始まる。
大学時代・映画サークルの活動、その集団としての見せ場から、卒業しそれぞれの生活という個人の見せ場に変化していく。大学時代の映画作りは妥協しなかったが、社会人になって、仲間の生活をドキュメンタリー映画にするには、妥協、打算という底が見えてくる。個々人が抱える問題は様々であるが、それは身近で起こり得る出来事であり、特別なことではない。それだけに観客…その生活に寄り添うようで、一枚ずつのモノクロ写真のように思えた。それが集まって彩のある物語(集合写真)を紡いでいくようだ。情緒というには少し切ないが、案外それが現実なのかもしれないと思わせる。
梗概…大学・サークルメンバーの今の生活を映画(ドキュメンタリー)にしたいと。今は30歳になり結婚している者、いまだバイトしつつ好きな役者活動を続ける者など、それぞれの人生を歩んでいる。その歩みに、親の介護、障碍のある妻、不妊治療、ボランティア活動、DV・ストーカーなどいろいろな背景を設定し”ありふれた”日常を描く。その障壁を乗り越えようと必死に生きる姿が一時期の自分に重なる。
其々の場面は身近な問題であり、それを当事者の視点で追うような感じ。それをドキュメンタリー映画として編集する展開であるが、そこに監督の視点(一人称)としてのどうしても撮影したいという思いが伝わらない。群像劇としてまとめていく手腕は見事であるが、撮影を通して監督の意図したことが果たせたのか。この劇の一つの見せ場ではないだろうか。日常にある”ありふれた”一遍を丁寧に織り込んでおり好感が持てるが、今ひとつ”力強さ”と”余韻”が弱いように感じたのが残念。
役者は本当に大学時代の友人のよう。その自然体の演技とバランスの良さが物語に集中させる。
次回公演を楽しみにしております。
「クラゲ図鑑」
えにし
「劇」小劇場(東京都)
2017/07/06 (木) ~ 2017/07/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
国籍は違うが、男女の愛憎、親子の情愛という普遍的なテーマを据え、ある出来事までの軌跡を丁寧に描いた秀作。タイトル「クラゲ図鑑」は、生き方そのものを暗喩した表現。ちなみにクラゲは漢字で書くと「水母/海月」になるらしい。母はこの物語の主人公、そして海月はチラシのデザインのよう。このデザインは母・ソン・ミンス役(赤瀬麻衣子サン)の手によるもの。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは、中央にカーテンで仕切った回り舞台。上手側には少し高い位置に警察の取調べ室イメージの机と椅子。また上手壁にバスケットボールのゴールネット。下手側には水槽。回り舞台はその時々の情景や状況をイメージさせ、また小道具(例えば水商売の店内など)が置かれる。物語は主人公ソン・ミンスの生きて来た人生を息子が回想するという展開である。
物語は三章で構成...事件を取り扱った刑事の質問に答えるという形で、母、息子・崇明(前田勝サン)の歩んだ生活が順々に描かれる。第一章は、母と台湾人の父が結婚し僕が生まれた。僕は台湾人の名前が付けられる。その実父は職を転々とし、何時しか酒浸りになり夫婦関係は破たんした。僕は一時韓国の伯母さんのもとで暮らした。その時に韓国の名前で呼ばれた。第二章は、母が日本人と再婚し、僕は日本へ来て一緒に暮らすことになる。日本での名前が「崇明」...僕には名前が三つある。この義父は女癖が悪く、母の嫉妬は狂おしいほどの怒り。その挙句、母は義父を殺害し、自分も自殺してしまう。第三章は母と僕の確執と思慕が抒情豊に語られる。これからは僕の未来の物語が…。
子供の頃、台湾人の父と一緒にクラゲを釣り上げた。クラゲは波が無いと海に沈み死んでしまうらしい。自宅でクラゲを飼うため水槽へ。偶然であるが、自分の座席(上手側、前から3列目)からクラゲを水槽へ入れた後、それを眺めている役者の姿が硝子に映り込みとても神秘的であった。クラゲに必要な波...それはソン・ミンスにとっての「愛」の求め、捧げるという比喩のようなもの。そして韓国女性の直接的な感情表現、日本人の奥ゆかしいという曖昧さ。愛情表現のシーンで際立たせ民族性の違いを垣間見せる。
この公演は、脚本・西村太祐氏、演出・寺戸隆之氏、脚色・劇団主宰の前田勝氏の優れたチームワークによって観応えのある作品に仕上げた。また水槽の件といい、歌(昭和歌謡の数々、そして赤瀬サンが歌う天童よしみの「珍島物語」が悲哀)という舞台技術も効果的である。
国家観として描くには色々と制約や配慮が必要と思われるようなシーンも、人間、その感情に負わせることで違いを描き出し、想いをしっかり伝える。そこに国籍を超えた人間、母子の情感が浮かび上がる。ラスト…母と子の会話-慟哭と罵倒、憐憫と追慕、表現し難いような感情が錯綜し余韻を漂わす。
次回公演を楽しみにしております。
七、『土蜘蛛 ―八つ足の檻―』
鬼の居ぬ間に
王子小劇場(東京都)
2017/07/05 (水) ~ 2017/07/10 (月)公演終了
満足度★★★★★
この劇団の公演は、「地獄篇 ―賽の河原―」以来久しぶりに観させてもらった。
公演は、尊厳の否定、暴力の肯定という醜悪な面を掘り下げ、妥協せず、人の深淵を凝視し続けるような物語。安易に希望、光などという救いは欠片ほども見せない。それでも地べたを這いずり回り必死に生きる。逆に言えば”生”への執着、その力強さを浮き彫りにした力作。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、二階部を設えた上下二面で、時間と場所の違いを視覚的に分からせる上手い作りである。一階部(タコ部屋)は汽車が通るトンネルを掘る土工夫の非人間的な環境での肉体労働を描く。一方、二階部(女郎)は私娼窟で働かされる女郎(女将)部屋という設定である。また女将の部屋の和箪笥、衣装(遊女、土工服など)、つるはし等の小道具も時代感、臨場感を増す。当日パンフによればどちらも北海道という地である。
時代は、タコ部屋と女郎の間に20年ほど流れている。視覚的にはそれぞれのシーンが入れ子状態で展開するが、もちろん実際は交差していない。
タイトル「土蜘蛛」とは、平家物語ではまつろわぬ民の怨念と説明されているという。そして「土雲」と表記し穴倉や洞窟に住んでいた集団を意味するらしい。このタコ部屋は、現代日本の格差社会を思わずにはいられない。特にバブル崩壊後、持つものと持たざる者、貧富の差が拡大する。芝居のような直接的な暴力こそ見かけないが、怨嗟が聞こえてきそう。
一見、”人間”の強欲という「個」の面に目が向いてしまうが、先に記した”社会”という「集」への鋭い批判が浮き上がってくる。時代背景は昭和、それも戦時中らしい。その重々しい空気感が緊張をもたらす。会場全体が薄暗く、客席を含め穴倉へ導かれてしまったかのような錯覚に陥る。また上演前からの寒風吹く音響効果も見事な導入である。
この雰囲気の中で、役者の演技が迫力・緊密感で漲っている。演技のバランスもよく観客の集中力を途切らせないテンポ。特にラストシーンの女郎であった女将・綱(田中千佳子サン)と土工夫・辰夫(小島明之サン)の20年の時を越えて邂逅するような情景は圧巻。もちろん直接会うことはなく心象形成として観せているのであるが、このシーンこそ絶望の淵にいても、”信じる”という目に見えない拠り所になっている。全編にわたって金・物欲、暴力という否定的な見せ方の中で、細やかな抗いのようにも思える。それゆえ鬼気迫る情念のようなものが感じられた。
次回公演も楽しみにしております。
Hexagram
アブラクサス
OFF OFFシアター(東京都)
2017/07/05 (水) ~ 2017/07/09 (日)公演終了
満足度★★★★
ジャンヌ・ダルク…世界史、特に欧州の歴史を学ぶ時、必ず聞く人物の名前であろう。歴史に名を刻んだ人物であるが、活躍した期間は短い。それでも600年以上前の異国の出来事に登場する名前は多くの人に知られている。
物語はジャンヌが神から啓示を受けて、オルレアンの地からイングランド軍を撤退させるが、味方の裏切りで敵に捕らえられの後…。ジャンヌを知る人達が集まり回想するところから物語は始まる。
欧州史に刻んだ出来事であるが、この公演ではその歴史的背景よりはジャンヌ・ダルクという人物に焦点を当てたヒューマンドラマとしての印象が強い。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台。下手にクルスを模ったオブジェ…透明な箱に入った鑑賞花、その箱をクルスの形のように組み合わせ飾ってある。
百年戦争(当日パンフで概要の説明あり)最中、突如として神の啓示が”聞こえた”少女が窮地にあったフランスを救った。戦争に至った政治的背景などは、役者の台詞で型通りに説明されるが、むしろ少女の信仰、信念および慈悲といった人間的な描写が中心になっている。登場人物はわずか5人。ジャンヌ(羽杏サン)を除いた4人の回想とジャンヌ本人の行動を交錯させ、主観・客観という異なる立場で見せる。だだ、ジャンヌ火刑から22年後であり、もともと好意的な人々の集まりであることから、ジャンヌの気持に同情、同調しているかのよう。
そしてジャンヌが”啓示を受けたことを表す 羽杏サンの激しく踊る姿が神々しく思える。そんな表現が相応しい圧巻のシーンである。神と人との関係性を実に上手く見せている。
また演出として、社会・政治的な背景を最小限に描き、人間ドラマに重きを置いたことで物語を分かり易くしていたことに好感が持てる。
最近の日本の状況...特に平和、平穏を脅かすような法が次々に成立している。そんな時だからこそ、”聞こえる”に呼応した”声を上げる”ことの大切さを感じざるを得ない。昔のそれも異国の出来事として傍観するだけではなく、今の日本を考える上でも観応えのある公演であった。
個人的な好み...些細・卑小なことであるが、クルスが花屋の「飾り物」のように見えてしまう。公演全体は笑いを封じ一種の硬質感を醸し出している。その雰囲気に対しクルスが華やか過ぎるような...。照明によって流血の赤、未来輝く白などへ変化できるような素材が相応しかったと思うのだが。
次回公演も楽しみにしております。
誰も寝てはならぬ
めがね堂
高田馬場ラビネスト(東京都)
2017/06/28 (水) ~ 2017/07/02 (日)公演終了
満足度★★★★
この作品は、サスペンス・ミステリーとして観応え十分であった。物語の展開(脚本)、その舞台表現(演出)、そして役者の体現力(演技)、そのバランスが優れていた。
また、この公演タイトル、説明文が上手くどうしても観たくなる。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
暗幕で囲った素舞台、薄暗い中で懐中電灯の丸い光が妖しく照らされる。病院、新人看護師が夜勤巡回に行くことを躊躇っているところから物語は始まる。役者は9人で、一人何役かを担うキャストもいる。その誰もが怪しい人物に見えてしまう。
作品はミステリー要素が濃く、再演の可能性もあることから梗概(ネタバレ)は控えておく。だだ、”心の闇”、その彷徨するさまを(文書)倒置法のように確定している事を遡るように解明していく。その手法は、謎を提示し解決していくミステリーの王道とも言える。
舞台表現としては、素舞台であることから、状況・情況は観客の想像によって膨らむ。セットがあるとそれに捉われた印象を観客に与えるが、本公演はその要素をなくし自由に心または脳内を動き回る。状況は瞬時に変化(役者は出入りせず、違う役がらへ)する。そのフラッシュ・バックのような用法は緊張・緊迫感を醸し出す。また状況などの変化は、立ち位置を変え繰り返し表現することで過去と邂逅させているようだ(例えば、夜勤巡回を巡る先輩看護師と新人看護師のやり取りなど)。
演技は、皆さん素晴らしいが、特に主人公・川島ヨシオ(佐藤匡サン)の気弱な男の表情がリアル。その顔表情を含め心と体という心身が変化・変貌していく様が印象的である。
次回公演も楽しみにしております。
モラトリアム
ウゴウズ
要町アトリエ第七秘密基地(東京都)
2017/06/29 (木) ~ 2017/07/02 (日)公演終了
満足度★★★
タイトル「モラトリアム」が気になり、哲学を学ぶ学生の青春物語という説明文に惹かれた。全体的な雰囲気はあまり哲学を意識させるシーンは少ない。話のテンポは独特のようで、ゆったりというか緩く、軽快なテンポの芝居を見慣れているともどかしく思えてくる。普段の大学生活を描くのは難しいが、もう少し芝居としてのメリハリがあると良かった。
夢と現実の狭間に揺れ、除々に現実を見据えるようになり社会へ旅立つ、そんな世界観に思える。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台は白線で囲い、室内と室外を識別させる。室内(大学の哲学思想研究会というサークルという設定)は、テーブルとそれを囲う椅子4脚、上手側にソファー、書籍の入ったBOX、TVが置かれている。室外(廊下か?)にはベンチ。当日パンフに作・演出の本間玲音女史が自身も哲学科に通っており、その期間に色々なことを覚え吸収したことを記している。それは恋愛という経験、酒・煙草という嗜好だったようだ。その内容は芝居の随所に描かれている。
哲学科を思わせるのは、冒頭とラストの専門書の読み合わせぐらいか。あとはサークル内にいくつかのグループ活動があり、(西田)幾多郎の名前などの台詞を聞いたところ。むしろ、小演劇・映画の話のほうが盛り上がっており、芸術科らしい。
特に何か大きな山場があるわけではない。大学生活(サークル活動中心)が坦々と描かれ、現実に近い光景のように思える。社会的責任を果たすのを猶予するような青年期、それを大学生活に準えて社会人(就職)になるまでの期間を”モラトリアム”として描いている。大学年間=モラトリアムはよく耳にするが、そのあり来たりな描き方に終始したようで、芝居としての見せ場が少ない。
新入部員がピアスをするなど、女性の恋愛・感情・成長が垣間見えるあたりは秀逸な描き方。日常のそれも人間観察がよく出来ているよう。大きな物語の構成に、このような些細ではあるが感情変化、機微と余韻が醸し出されれば…。
大学卒業までの1年間のサークル活動、しかし季節の移ろいは感じられない。ラストにスーツ姿になったことで、卒業を思わせるが、それまでの間は衣装も同じで季節感、時間に流れが出ていない。
もう少し、芝居として観せる場面(モラトリアムを意識させる)が欲しいところ。演出なのか芝居なのわからないが、自分では観ていてもどかしく思えるようなテンポが残念であった。
次回公演を楽しみにしております。
学ばない時間。
グワィニャオン
【閉館】日暮里ARTCAFE百舌(東京都)
2017/06/23 (金) ~ 2017/06/25 (日)公演終了
満足度★★★★
初めて行く会場「日暮里ATCAFE百舌」。そこで繰り広げられる笑劇は、まさに笑撃であった。グワィニャオンの初めてのギャラリー公演ということであったが、その小空間に見合ったシチュエーションとキャストで観せてくれた。
タイトル「学ばない時間。」で、『。』が付いている。なぜか「モーニング娘。」を思い出してしまった。モーニングのコーヒーに単品の食べ物が付くお得感を出すためのネーミングであるようなことを聞いたことがある。この公演も”笑い”という効用のお得感を味わえた。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、演劇部の物置のような場所に横長テーブルとパイプ椅子、そして模造刀などの小物。そこで中学校の卒業式・謝恩会に披露する歌の練習をすることになっていたが…。二年担当の教師がゆるゆると集まってくるが、何となくやる気がないような。時間だけが過ぎていく中、一人の教師が突然出し物を変更したいと言い出した。
出し物は、歌から演劇へ変更したい。やる気のない教師を半ば強引に演劇の練習に巻き込んでいく。一種のサクセスストーリーのような展開である。最後は情熱の勝利か。この練習での過程が面白可笑しく描かれる。
小スペース、謝恩会という逃げ出せない状況は、観客の意識を繋ぎ止めるに十分な設定である。演劇を作り上げていく、その過程はこの公演そのものであろう。キャストの等身大(やる気がないは違うが)の姿であろう。実に観応えのある演技である。教師役ではないが、矢島・演劇部部長の さいとうえりなサンの発声練習(早口言葉)は見事。この件は、ラストに全員で行う印象付への伏線になっている。
最後、会場出入り口のところで、見送りに出ていた渡辺サン、佐伯サンを含め何人かの観客によるレヴュー?が始まった。その会話は、公演による”笑い”の効用で緊張感が解け、楽しいひと時を共有したからかもしれない(少しヨイショかも)。
そのレヴューの中で、細かいが次のような話が出た。
学年主任の江間先生は勤続35年ということで、校長を目指していると。定年退職までの年数が短かすぎないか。
当日パンフで教師の担当教科が紹介されていたが、その教科にちなんだ台詞があったら面白い。例えば、江間先生は国語教師であり、劇中劇の台詞について国語的におかしいとあった。謝恩会の演目変更を言い出したのは、英語担当の藤田先生(佐伯さやかサン)であり、その練習中に英語の発音があったりしたら面白い。卑小なことだが、自分も感じていたこと。ご紹介まで。
次回公演も楽しみにしております。
キョーボーですよ!
劇団チャリT企画
新宿眼科画廊(東京都)
2017/06/09 (金) ~ 2017/06/13 (火)公演終了
満足度★★★★
タイトル「キョーボーですよ!」の通り、国会審議で注目されている「共謀罪」を扱った内容。それもストレートな描き方で法案そのものの問題性を浮き彫りにする作風である。
身近な市民サークルがいつの間にか…そんな怖い世の中になっている様を観せつける。物言えば唇寒し秋の風ではないが、批判めいたことは言えない時代になってしまう。ほんの少し先にあるような物語はタイムリーに選れ、話題性に勝れた公演。実に面白かった。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台で、真ん中にテーブルと相向かいに椅子があるのみ。普通の料理サークル(メンバー)がテロ集団と認定され、警察に事情聴取されることになる。身に覚えのない”一般市民”がいつの間にかテロ(準備)行為に看做されるという怖い世の中になっている。この公演では共謀罪が成立しており、憲法改(悪)定している前提である。憲法9条、国家斉唱、教育勅語など国民感情を逆なでするようなシーンの数々。その逆、表現の自由など、現憲法下にある保障などが危うくなっていることが伝わる。
この劇団の特長である、時事ネタや社会問題などのシリアスな題材を「バンカラ・ポップ」という独特なセンスで軽妙に笑い飛ばしたコメディ…その真骨頂を観させてもらった。問題意識はしっかり伝わる。内容の重大性からすれば硬質な演出にすることも可能であろうが、あえてコミカルなシーンを取り入れ芝居として観(魅)せる工夫は見事。
公演では、テロ集団であることの通報があったことから警察の事情聴取に至ったようだが、気にいらない人を陥れるために用いるような怖さも垣間見える。誣告(ぶこく)罪なんか関係なくなるのだろうな~。ちなみに通報の件は明らかにせず、追及しないで割愛したようだが、以外なオチがあったら印象的だったようにも思う。
ラスト…東京・有楽町で爆発音のような、そして”テロか”という台詞からは、共謀罪を肯定した?実にシュールな展開のようだ。
次回公演も楽しみにしております。