真心願-machinegun-
super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船
萬劇場(東京都)
2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
満足度★★★★
真に願う心は、身分差別もなく、誰もが自由な世の中。そこには争いもなく平和な暮しがある…そんな世の中を築くため奔走した坂本龍馬の生き様、その人物の魅力をたっぷり観(魅)せてくれた。公演は「伏竜編」と「昇竜編」に分かれており、自分は池田屋事件から暗殺されるまでの「昇竜編」を観劇した。
今年は龍馬没後150年にあたり、それを記念して各地でイベントが開催されている。龍馬が現在の日本、いや世界を見たら何て思うだろうか。
(上演時間2時間45分 途中休憩なし) 2017.8.22追記
ネタバレBOX
セットは、壁または襖をイメージさせるため、大きさ(横幅)の違う赤い格子を左右に立てる。さらに下手側上部に欄間のような作り。シンプルな作りであるが、観客(自分)に情景や状況を認識させる最小限の造作。それは広いスペースを確保し、殺陣の魅力を十分に引き出すため。その動きの大変(激し)さは、襤褸(らんる)になったような着物姿、声の擦れ、台詞の言い直しなどから観て取れる。
梗概…坂本龍馬が池田屋事件を経て薩長同盟実現させ、徳川幕府に大政奉還をさせるという明治維新の立役者としての人物伝を描く。物語は龍馬という人物に焦点を当てたもので、その行動を通して当時の社会情勢・状況が浮かび上がる。疾駆するように生きた人物の魅力が十分に感じられた。
幕末という時代背景を知らないと、龍馬が奔走した土地、会っていた人々の関係などが理解し難いかもしれない、それほど展開が早い。小説などと違って読み(観)返しが出来ないから、分かろうとしている間に次々シーンが変わる。当日パンフ等に人物相関図、時代年表などが書かれていると予備知識になると思う。
”坂本龍馬”は、劇はもちろん映画でも上映され、エピソードも知られている。新たな人物像を引き出すことは難しいため、公演では国家のあり方を論じるという懐が深く、視野が広いという立ち位置で見せている。また龍馬が中心であるから、登場する人物にも配慮し、他に魅力的に描いている者は少ない。例えば、新撰組にしても近藤、土方、沖田など有名な者は出ず、藤堂、斎藤など組隊長が登場しているに過ぎない。
この劇団の魅力は、何と言っても殺陣であろう。本公演でも立ち回りは素晴らしかったが、龍馬自身が(抜刀して)殺陣に加わることは少なかったように思う。そこに将来の日本、争いごとがない平和な時代を暗示させているような…。
次回公演を楽しみにしております。
バルバトス
TABACCHI
小劇場B1(東京都)
2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
当日パンフに戸田武巨氏が、本公演はアーサー・ミラー作「るつぼ(坩堝)」(邦訳題)が下敷きで、本来その上演は4時間超の大作であるが、2時間強の抜粋作品にした旨、書かれていた。この上演権は高額で小劇場ではなかなか上演できないらしい。舞台は薄暗く、全体的に不安・不穏な雰囲気が漂い、ある種の息苦しさが圧し掛かるようだ。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
当初は素舞台であるが、場面に応じてベット、テーブル、机等のセットが運び込まれる。自分なりの場幕イメージは「信仰」「生活」「裁判」「神魂」といったところ。全体の構成は次の通り。
●第1幕-パリス牧師寝室
時代は17世紀中頃。
深夜の森で、少女アビゲイルたちが全裸で踊っているのを牧師のパリスに発見される。この行為は神への冒涜とみなされ、少女の一人で牧師の娘ベテイが意識不明となる。町の有力者夫妻が「悪魔を呼んだからだ」と言い、悪魔払い牧師がか来る。そして町のさまざまな問題が露呈し、少女たちは町の人々を魔女として告発する。
●第2幕-プロクター家居間
アビゲイルらは聖女扱いとなり、町では無実の人々が次々と逮捕、処刑される。プロクターはアビゲイルとの不義のため妻と気まずい関係にあり、またパリスが気に入らず教会に行かないことを指摘され、魔女の嫌疑をかけられる。しかしプロクターは、魔女告発の一人である下女の言動から少女たちに疑惑を抱く。
●第3幕-法廷控室
プロクターらは判事に妻の赦免を願い出る。そしてプロクターはアビゲイルと対決する。少女たちがプロクターを魔女と告発する騒ぎになり、プロクターも拘引される。あまりにも不条理なやり方に憤る。
●第4幕-牢獄独房
街は多くの人が入牢したため、家畜が町をさまよい、収穫もできず混乱が続き魔女裁判はおかしいと人々が気付き始める。身の危険を感じたアビゲイルは失踪する。裁判の正当性と保身のため、プロクターに魔女の告白をさせ、その代償に今朝の処刑を中止すると持ちかける。家族への愛から偽りの告白をする。また判事に説得され供述書にも署名するが、市民に署名を見せると聞いて良心の呵責に耐えかね、供述書を破り、従容と朝日に輝く処刑台へ上って行く。
悪魔の存否が法の裁きになじむのか。その証拠云々を叫ぶが、目に見えない若しくは存在しないものを証明するのは難しい。それこそ「悪魔の証明」そのものではないか。公演では、悪魔という人の心に棲む邪悪、邪心その存在であるかのように描いている。少女たちの偽証がいつの間にか当時の社会状況や状態の綻びを切り裂くようだ。その陥穽によって、主人公プロクターは絶望的な状況下に追いやられるが、それでも人間としての尊厳を失わない姿に感動する。物語の通低・背景にある宗教・法律・生活の不可分、その切り離せない(悪弊)関係を重厚に観せている。
舞台の雰囲気は、電気もない頃の蝋燭火に照らし出されたような薄暗さ。暮らしの小物や人々の衣装にも時代を感じさせる。全体的に丁寧な作り込みだと思う。
役者は登場人物の性格、置かれた立場、状況をしっかり体現していた。その個々の演技tと全体のバランスもよく迫力に満ちていた。
次回公演を楽しみにしております。
昇天
U-33project
高田馬場ラビネスト(東京都)
2017/08/18 (金) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
満足度★★
生まれ出悩み…人は生まれた時から死に向かって歩み始める。何のために生まれてきたのか?この哲学的な命題をあっさりかわすような台詞、その言葉が象徴するかのような緩い公演であった。
タイトル「昇天」から、物語の設定は何となく想像できるが…。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
セットは、スナックまたはBarの店内のような感じ。上手側に店扉、立て看板「昇天」、下手側に馬、頭蓋骨のエッチングのようなものが飾れている。中央は、カウンターイメージの横長テーブルに椅子5脚。
店内と思った場所は死後の世界…といっても来世と現世の間のようなところ。ここに集まっている死者は、何らかの原因・理由で亡くなっているが、あるゲームで勝ち抜け(10ポイントを獲得)した者は生き返ることが出来る。そのゲームを面白く見せようとしていたが、心からは笑えない。そもそもゲーム参加者が何故亡くなったのか、全員のことを説明していない。2人はスライド(プロジェクション・マッピングではない?)で見せているが、その映像技術も緩い。一人ひとりの人生と死の原因等を説明するなど、丁寧さを欠いたようで残念。
生前、各人は夢・希望を持っていたと思う。それゆえ現世に未練が残り勝負に拘っていたが、1人が「生き返っても、いずれ死ぬ」と言い出し、勝負を放棄した。諦念なのかシニカルなのか判然としない。夢・希望の描き伝えが弱く、生への強い執着が見えてこないため、物語が生き活きとしてこない。
また、役者の演技力に差が見られバランスを欠いたような…。
次回公演を楽しみにしております。
秋心SUMMER
宰団紡人企画
ザムザ阿佐谷(東京都)
2017/08/17 (木) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
満足度★★★★
損得勘定という言葉があるが、この「損」と「得」の順番が大切である。損した気持は得した時よりも気持を引きずる。この公演では「笑い泣き感情」を見せる順番が上手く、観る人の感情の落差を大きくすることで、物語の印象を強くし余韻も残した。
物語は富山県に実在する冠婚葬祭場が舞台のようだが…。
(上演時間1時間10分)【Aチーム】
ネタバレBOX
セットは、中央に柩、左右に黒椅子が並べられている。中央奥に扉があるが火葬炉前をイメージさせる。シンプルな作りであるが、物語を観せるには十分である。
梗概は、川でぬいぐるみ(自分は「黒猫」だと思うが)を拾お(助けよ)うとして溺死した。まだ16歳で、本人は死んだことが自覚出来ていない。上演前から柩に横たわり、時々寝返りをするなど生きているよう。その動きは死んだ自覚がない証であり、まだ生きていたいと思う気持の表れでもある。親族、学校関係者(担任教師、友人など)が参列し、悔やみの言葉を述べることで、徐々に死んだことを自覚してくる。その過程を面白く笑わせているが、参列者が焼香しつつ故人への想いを告げるシーンは、一転泣かせる。まだ高校生という若さ、親より先に死ぬなど現実であれば滂沱するところ。
叔父の「無駄死にという言葉はあるが、無駄生きということはない」という台詞に胸が締め付けられる。もちろん主人公の姿は見えない。それに対し参列者はいろいろな思い出を話しだす。死者の聞こえざる声と参列者の声をシンクロさせる、その手法自体はありふれている。しかし、記憶の中の死者は死んではいないとも聞く。葬儀で死者の生前のスライドを映し出す…という斬新さ。そう言えば、この会場はもともと結婚式場で、天井には豪華なシャンデリアが吊るされている。葬儀の重苦しさはない、むしろサッパリと笑い泣かせる秀逸さ。
葬儀社の新人とベテラン社員の会話、坊主の読経など脇ネタでも笑わせる。この葬儀一連の進行が物語の展開そのものである。ラスト、主人公が火葬炉へゆっくり歩く姿は感動的。その時に流れる音楽、演出効果は見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
PTA
ホチキス
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2017/08/17 (木) ~ 2017/08/21 (月)公演終了
満足度★★★★★
本来の「PTA(アソシエーション)」の親(P)・教師(T)・会(A)の略がアトラクションに思えてしまうような楽しい公演。表層はコメディタッチであるが、内容は深く考えさせる秀作。少し寓意的で教訓臭がするが、それよりも面白さの方が上回った。
PTAの会議がいつの間にか裁判のような様相を呈し、さながら「12人の怒れる男」を連想してしまう。シチュエーション会話劇、伏線も回収し見事に収束させる巧みさ。2時間がアッという間であった。
ネタバレBOX
セットは、安井小学校の教室(または会議室)内。校舎は斬新なデザインで建てられているが、機能的には不都合が多いらしい。例えば壁に「転倒注意」の張り紙が貼られているが、よく児童が転ぶらしい。
当初、真ん中に机が並べられ、後壁は上手から下手側に斜め(階段状)に下がっており、上手側の上部に別空間を出現させている。また壁には刳り貫いた窓のような。下手側には三角形をしたオブジェのようなものが立っている。会議が始まると自由自在に机を動かし観易くする。
梗概…学校の女教師が交通事故死した。その結果、児童に自転車運転免許制度を導入しようと話し合いの場が持たれた。低学年、高学年の2区分で、仮免許・本免許という免許制度の採用是非は漂流するように賛否が揺れ動く。その会話・議論の過程が面白可笑しく描かれる。そもそもPTAの会議に用務員などが参加しているのも不可解であるが…。免許制度の採否を本筋にしつつ、全国模擬試験最下位(平均48点-フォーティエイト)であること、女教師の事故原因に問題がありそうなこと、女教師がスーパー優秀教師像が持たれていたが、本当は普通の教師であること等、サブストーリーを上手く絡ませる。
会議を仕切る立場にある教頭が、イエスマンで誰の意見にも賛成・迎合してしまう。他人と摩擦を起こさない処世術のようだ。この何もせずダンマリを決め込む姿が滑稽であるが、現実にいそうな人物像である。狂言回し的な教頭の演技が実に上手い。もちろん、他の役者も登場人物の性格、立場、バツクボーンをしっかり見(魅)せ、あちらこちらに話題が転じるが、その点と線が見事に繋がり収束する。教育委員会から送り込まれた「解体屋」の正体も明かしスッキリさせてくれる。
教頭の思惑では、無難にすぐ終わるかと思われた会議が、波乱の展開になるアイロニー、親や学校が決めたルールでは息苦しく、伸び伸びとした学校生活が送れない。また画一化された文房具(学校指定)の弊害(折れないことの実験)が全国模擬試験最下位の結果を招いたアイロニー。いくつもの課題・問題を潜ませた公演は、笑いの渦を起すが、その底は深く考えさせることばかり。観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
しょうちゃんの一日
風雷紡
d-倉庫(東京都)
2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
昭和38年の狭山事件をモチーフにしているが、事件の概要を示すような、例えば裁判記録を辿るような展開はしない。見方を変えれば、事件を媒介にして家族のあり様を描いた公演と言える。当時の時代背景の特徴を見せつつ、家族という視点で事件を捉えている。その家族のあり様に、戦後の混乱期から成長期を迎える時代背景が見えてくる。
それを舞台美術で上手く表現する。その巧みなところ、場景・状況はある程度具現的に現し、逆に情景・心情は観客のイメージを刺激、解放するような表し方である。事件の解明過程を、刑事の家庭と被害者家族という二つの視点から描く力作。この家族を交差させるのが”しょうちゃん”である。
当日パンフには、登場人物の相関図や狭山事件関連年表が書かれており、公演を分かり易くしているのが好い。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし) 2017.8.20追記
ネタバレBOX
セットは、上手側に座卓・座布団、更に客席寄りには座机。下手側にはダイニングテーブル・椅子・食器棚が置かれている。その間に幾つかの柱のようなものが立っている。また床には白線(テープ)があり、3つの別空間を出現させている。舞台奥(戸外イメージ)に当時を感じさせる黒合板が張られているのが見える。この和・洋の屋内は、家族の生活様式を具体的に見せ、間にある柱などの空間は、観客が情景や心情を自由に感じ取ることが出来る、一種の心象形成を成すようだ。
冒頭、しょうちゃんが拉致されるようなシーン。2つの家族が客席を凝視しているかのような光景は、事件のTVニュースを見ているということか。引き幕に公演関係のクレジットが映し出され物語が始まる。事件の真相を探る刑事は、その職業とともに家庭人(父親)という顔も描く。通勤ラッシュ、集合住宅の購入という刑事をサラリーマン風に描くことで、新しい家庭(族)観が透けて観えてくる。約半世紀前の事件を通じて、「仕事」と「家庭」という現代にも通じる”人間”の話に繋がってくる。事件を決して暗くも重くも描かない、その坦々とした雰囲気とテンポが好かった。
上手側・和室が被害者宅、旧家で屋敷も広い。一方、下手側・ダイニングは刑事宅で集合住宅。この和・洋の住宅に家族構成(核家族)を重ねいろいろな対比を観せる。事件の被疑者は、本人のみが取調べを受けるという形で登場する。その家族は登場せず、住んでいる地区(地域)は、特別または差別されている場所のようだが、その説明は台詞のみ。事件の背景の複雑さ難しさが端的に解る。事件の真相は明らかにされないが、犯行の概要をおぼろげに示唆する。観客(自分)が消化不良にならない程度に見せているところが心憎い。
公演では、2つの家族の視点から観た事件、その交差する役割を刑事の二女”しょうこちゃん(被害者も同じ呼び名)”(吉水雪乃サン)が担う。毎晩うなされる夢、それが事件に関係しているような、そして刑事の父を思う気持が相まって被害者宅へ…。先に記した狭山事件の取り扱いの難しさを、家族という視点で概観を描く巧みさ。観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
ワンダフルワールド
甲斐ファクトリー
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/08/09 (水) ~ 2017/08/13 (日)公演終了
満足度★★★★
序盤は緩い芝居と思ったが、段々とダークな物語へ変容しラストはとてもシュール。日本を代表する歓楽街を背景に、その底辺で生きる男と不器用な生き方しか出来ない女の再会は悲しい。
ちなみに作・演出は甲斐マサキ氏、そしてメインの登場人物は山梨県出身という設定はシャレであろうか。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは、数個の大小BOXがあり、シーンに応じて縦横に組み替えテーブル、机、椅子に見立てる。
梗概…物語は、甲府ワイン酒造家の富豪夫人・朝比奈怜子(山田由希子サン)が息子の難病治療(後に心臓移植手術と分かる)を依頼しているところから始まる。一転、某会社の事務室。そこで働く派遣社員・幸子(若林よるせサン)は人との関りが上手く出来ない。さらに場面は新宿歌舞伎町のホストクラブへ。そこで働く翔馬(野村亮太サン)は親の事情で国籍がない。この3人を中心に物語は展開する。ひょんなことから幸子が行ったホストクラブで翔馬と会うが、2人は幼馴染で十数年ぶりの再会。幸子は翔馬の紹介で新宿の裏社会で働くことになるが…。
微温的な主題を描く作品かと思ったが、ダークな社会、深層の人間的な軋みを男女に背負わせる。
無国籍の問題については、マスメディアでも取り上げられることがあり、当事者は学校教育が受けられない、各種契約が出来ないなど、人の存在自体が(書類上)無とされている。一方、幼い時から友達作りが出来ず、派遣先の会社でも「派遣さん」と呼ばれ、名前で呼ばれることがない。その意味で一人の人間として扱ってもらえない。この2人が出会った空き地、そこから見える光景の美しさ、一方、心に抱く哀切が痛々しい。孤独な2人の邂逅は、更に悲しくなる結末。
チラシにある”王子”は、「幸福の王子」(人間が必要な脳以外は臓器売買-王子の鉛の心臓以外は貧しき人々へ)になぞらえて、女性に夢を与えるホストと思ったが、別の意味でもあったようだ。さらに引用させてもらえば「迷宮のような都市で彷徨う二つの魂。引き裂かれる心臓」の一文に胸が痛む。
さて、新宿という繁華街の中の孤独。自分では、街中の孤独に心が動く。裏社会であっても自分が必要とされている。その闇背景は別にして、充実感は理解出来る気がする。
物語はきちんと収束する展開で、心情もしっかり観て取れる。演技力に差が見られるが、メインとなる人物は豊かな感情表現でバランスも良い。シンプルなセットであるが、情景・状況はつかめる。幕(影)絵の拙さも味わいがある。総じて良く出来ていると思うが、今ひとつ感情移入が出来なかった。その理由がハッキリしない不思議な公演であった。
次回公演も観てみたいと思います。
ナイゲン(2017年版)
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2017/08/11 (金) ~ 2017/08/21 (月)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇…満席で増席するほど盛況で、その評判通り面白い作品であった。昨年も観ているが、今年は新しいキャラクターイメージを目指すため、全員オーディションで選んだという。会議劇コメディであることから、その人物像をどう立ち上げるかが鍵となる。会議が終わるまで教室から出られないという、サスペンスとは別の密室劇でもある。面白く考えさせる芝居でもある。
(上演時間2時間) 2017.8.14追記
ネタバレBOX
セットは当初、授業形式に並んでいるが、会議が始まるとロ字型へ変形させる。会議劇だから当然であろう。また、上演時間とナイゲン討議時間(開演直後、下校2時間前に時刻を合わせる)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席は三方向に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感が生まれる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、高校文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場であるという(文化祭規約)。規約が”自主自立”の精神に則っている。すでに参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム 高等教育機関向け」の催しを押し付けられるが…。
発表内容に関する指摘、恋愛感情、学年優先や何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラスがあった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わってくる。自主自律の精神に沿わせようとするもの。
教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。オーディションは功を奏したと思う。笑い、罵倒、落胆など様々な感情を実に上手く表現していた。
「内容限定会議は文化祭における各参加団体の発表内容を審議する場である」(文化祭規約)、とあるが、3年1組_花鳥風月の上演許可はどこ(誰)から得るのだろうか。根本的な疑問が生じてしまう。
また、各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわりに負わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という新たな疑問も生じる。
日本における日本国憲法の自立とそれ以外に働く力の関係を連想してしまい…表層の面白さに潜む重厚なテーマ、実に観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
サマデーナイトフィーバー
20歳の国
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/08/07 (月) ~ 2017/08/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
台風3号接近により学校から帰れない、または帰りたくない高校生の夏休み前のワン・ナイト青春群像劇。一世を風靡したサタデーナイトフィーバーをもじったタイトル、冒頭そのダンスパフォーマンスから魅せる。
また舞台美術が物語を立体的にし、高校という子供から大人への変化する時期を表しているようで素晴らしい。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
セットは、舞台奥の左右にパイプで組んだ櫓が2つ。観客席寄りには段差があるマットが置かれ、その両外側に高さの違う脚立が立てられている。
台風というシチュエーションということもあり、天井部から水を落とし、雨のイメージを持たせる。演出の定石…登場人物がお披露目でマット上でダンスをするが、全員びしょ濡れ。先の櫓は、上手側が生徒会室、下手側が放送部(室)という設定であるが、それ以上に高校生活における人間関係の構築の違いを表す。生徒会室は数人の仲間が集まり友情・恋愛を育んでいく。一方、放送部は一人部員として活動する。自身がそう選択して人間関係に一定の距離を置くことで煩わしさを回避する。高校時代をどう過ごすか、極端に言えば「集」・「個」における心地良さが垣間見えていた。
台風を理由に帰宅しない学生の恋愛模様と両親の離婚により離れ離れになる兄弟の複雑な思い、そんな内容を中心に思いを相手に伝え、ぶつける。その行動を音楽(ウエストサイドストーリー、大塚愛「金魚花火」など)に乗せて躍動させる。想いがうまく伝えられない、羞恥、初々しさ、時に嫉妬・羨望など高校生らしい瑞々しさが微笑ましい。
様々なシーンが観客の神経を甘噛みしてくる。公演はリアル恋愛の写し絵のようであり、誰もが似たり寄ったりの過程の恋愛に投影されているようでくすぐったい。日常であれば男女の距離を縮めるのに時間が掛かるかもしれないが、台風という異常時の中で、一気に男女という性を意識し近接してくる。
学校内、夏休み前の一夜、台風という限定した場所・時間に青春という限られた一面を重ね合わせているかのようだ。シーンは変わるが、それらを収斂させることはしない。むしろ、校内で起きている様々な人間(男女)関係を開放している。
セットはパイプ組みの粗いもの。それは、色々な場所でのシーンを観せるため、空間の伸縮性に優れていると思う。また役者は常に舞台上(袖も含め)におり、演技している者と控えている者、いずれにしても同一空間(校内)にいることを知らしめる。だから放送部のラジオジョッキーの呼び掛けが生きてくる。
さらに粗さは、青春そのものの象徴的な表現。
次回公演を楽しみにしております。
グロッキィ・マリー
ボタタナエラー
明石スタジオ(東京都)
2017/08/09 (水) ~ 2017/08/13 (日)公演終了
満足度★★★
自分も酒は嗜むが、ここ数年はグロッキィーになるまで飲まなくなった。少しネタバレするが、公演は”愛飲家”ならぬ”遭飲家”の物語である。劇場がある高円寺、偶然見かけた駅ラックにあったフリーペーパーの特集が「高円寺 酒場案内」であった(余談)。天候不順でなければ飲んで帰りたかったが…。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
セットは、壁に凹凸ボードが貼られ、床は張り合わせがある不思議な空間。その壁際に椅子が何脚か置かれている。特殊なハウスであることは容易に想像できるが、そこで何を行うのか?一瞬、精神疾患の治療かと思ったが…。
アルコール依存症のケアハウスでの日常がユーモアを交えて描かれる。物語は分かり易く、むしろ何となく先々が分かってしまうので物足りない。
梗概…アルコール依存症者が共同で暮らし、アルコールに依存しないで暮らせるようになるまでの生活(性質・体質)改善を図る。ハウスを退所(卒業)する過程(課程)、そのシチュエーションを劇中劇として観せる。
公演では、なぜアルコール依存症になったのか、一人ひとりの実情の掘り下げがない。それゆえ人としての愁思表現が弱い。アルコール依存から立ち直るという”今”が中心であり、その意味で表層的な描きに終始したようで残念。
百薬の長と言われる”酒”その物を否定していない。むしろ人間の弱さがアルコールに向かわせているならば、その人が依存するようになった原因・理由をもっと明らかにし、再生していく展開にした方が感情移入し易い。また酒による害(例えば、冒頭の戦場を思わせるような幻覚等)がもう少しリアルに描かれると、ケアハウスの存在意義のようなものが鮮明になる。その結果、ハウスでの課程のクリアが切実なものとして受け取れるのでは…。
役者は面白く演じていたが、先に書いた人間としての深みが見られない。演技というよりは、脚本、演出の課題であると思われるだけに、本当に惜しい。自分は人間再生物語、その展開自体は好きなだけに勿体無いと思った。
次回公演を楽しみにしております。
ルート64
ハツビロコウ
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了
満足度★★★★★
ロードムービーならぬロードストーリー、それも実際あった事件を連想させる。同時に事件の実行犯たちの心の彷徨として捉えることも出来る。自分解釈…「ルート”64”」は昭和最後の年(1989年)であり、平成元年でもある。その年に起きた事件をフィクション仕立てで描いていたように思う。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
事件とはオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件である。新しい年号になった年の秋に起きた事件。公演では犯行前後の足取り(走行ルート:地図の確認など))と平行して犯人たちの人生が語られる。その屈折した心が、オウム真理教への入信を促したことが説明される。犯行時やその後の手違いによる苛立ち、同時に犯人たちの過去と懊悩が語られる。この現在進行と過去停滞(悔悟)のような時間軸の違いで物語が展開する。犯行における役割・分担、立場と責任という通常の社会でも見られるような人間関係を、殺人という常軌を逸した中に当てはめてくる。そこに見えるのは、責任の回避・転嫁・放棄、自己弁護などの普通の人間性である。この期に及んでというか、異常な心理状態になっている様子が現れる。また高揚したのか、車中で中島みゆきの「世情」(3年B組金八先生」の台詞は伏線か?)を合唱する。
舞台セットは(ベニヤ)板で囲い、中央に同じように木・板を繋ぎ合わせた自動車。客席側に血まみれ衣装を着たクッション人形3体(大人2体、子供1体のイメージ)が置いてある。冒頭はシーツが被せられていることから、何が置いてあるのか分からなかったが、物語が進むにつれて明らかになる。
”宗教”という名のカルト集団。その後の社会的な風潮と制裁は、殺人集団として多くの教団幹部が司直へ…昭和から平成の時代への節目に起きた大きな(オウム真理教一連)事件。信者は教義を疑うこともなく、教祖の言葉には絶対服従である。一方、信仰の自由、人の心は縛ることが出来ない。信者の心にある二律背反するような苦悩が見て取れる。
公演では、事件そのものより人物の心情表現が先立っていたようで、心情と事件シーンの切り出しが交互に描かれ、時間の流れが足踏みしている感じ(激白シーンは時間が止まる)。役者の内面表現が上手いだけに、物語の展開よりも印象が強い。その相対として、表層のロードストーリーとして観せる面が弱く感じたのが少し残念。
この劇団の公演は、テーマの捉え方、その演出、照明・音響等の技術でしっかり観せる。本作も同様であるが、見巧者感が進ん(高じ)だようで、自分には性状の理解が難しく感じられた。それゆえ、情景の変化は音楽効果に委ね、状況(場面)変化は暗転を少し長くすることで、整理させていたかのようだ。
特殊な宗教、いや宗教と言うには疑問のカルト集団、その組織の中でどう生きるか。それは、”普通の組織”で今を生きる人間の共通した問題であるかもしれない。東西冷戦体制が終結に向かい、ベルリンの壁の破壊、天安門事件が起き、世の中が大きく変わろうとしていた時。その変化と不安定な時代、人の心を操り犯罪行為を実行させる。公演では黒幕は登場しない。登場人物たちが黒幕像を立ち上げ、観客にその人物をイメージさせる巧みさ。
次回公演を楽しみにしております。
ジュジュの奇妙な日常
ノーコンタクツ
萬劇場(東京都)
2017/08/03 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了
満足度★★★★
東京都豊島区・トキワ荘に集まっていた漫画家たちの作品は、何作か読んだことがある。しかし、本作パロディ元になったと思われる「ジョジョの奇妙な冒険」は数シリーズしか読んだことがない。それでも当時話題になったこともあり、そのデフォルメされた画は印象的であった。
公演はストーリーの面白さというよりは、マンガ同様、奇妙な戦いという観せるところが魅力であろう。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは二階部を設え、一階中央部が出入り口。その左右にゴム壁を縦にスライスし、その細切れたところから影身または傀儡のようなものが出入りする。それをスタンツと呼んでいた。このあたりはパロッていたのが分かるが、物語はオリジナルのようだ。
物語は、それほど複雑ではない。にも関らずいくつかの疑問が…。まず物語のストーリーは2つ考えられた。第1に、この取材は予め仕組まれたもので、恋愛成就が目的か。副題、”エンゲージリングは受け取らない”は、この館が特別であることを知ってのアプローチ。第2は、素直にこの館の一族に積年の怨念を抱くものとの戦い。
スタンツ(幽波紋または波動体)は、自ら動いている。記憶がなく、体を乗っ取られていたようだが、本当の主人は誰なのか。また同じように最後に館に火を放ったのは誰か。黒幕の存在を思わせるが…続編の構想があるのだろうか?
公演はビジュアル的に、そしてダンスパフォーマンスで観(魅)せる。もちろんスタンドが持つ攻撃特徴がどう活かされるのか、その攻防が面白い。スタンツを出せるのは偶有、ある能力を秘めた者(遺伝か)とセーラー服が能力開眼のトリガーのようだ。
その演出の奇抜さと他公演では見られない女優陣(特に、古山彩美サン、あべあゆみサン)のセーラー服姿が良(珍し)かった。
次回公演を楽しみにしております。
第8回せんがわ劇場演劇コンクール
せんがわ劇場
調布市せんがわ劇場(東京都)
2017/07/15 (土) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★
せんがわ劇場が主催する演劇コンクールで、予選(書類審査)を通過した6団体によって競われた。40分間という限られた時間の中で表現することになる。コンクールは2日間にわたって専門審査員、特別審査員、市民審査員および全公演を観劇した観客の投票によって審査する。専門審査員が優勝および脚本・演出・演技の各部門を選び、特別審査員等が投票(持つ票は異なる)によってオーディエンス賞を決める。
今回のコンクールの特徴は、パフォーマンス系が5団体、ストレイプレイは1団体であり、圧倒的にパフォーマンスを取り入れた公演の方が多かった。この傾向は、時間的制約が影響していると思う。
(上演時間各40分)
ネタバレBOX
上演団体・演目は次の通り。
〔1日目〕
①平泳ぎ本店『コインランドリー』
②waqu:iraz『closets』
③Pityman『ぞうをみにくる』
〔2日目〕
④HOLIDAYS『ちゃぶ台』
⑤Spacenotblank『Love Dialogue Now』
⑥くちびるの会『プールサイドの砂とうた』
それぞれの公演は観応えがあるが、それ以上に劇場主催のコンクールで専門審査員、特別審査員、市民審査員および観客の投票で賞を選ぶという開かれた形式が良い。コンクールは、演劇それも小演劇界で活躍する劇団、団体の励みになっていると思う。また賞の受賞は形として残るが、時間的制約がある芝居を創るという試みは、脚本・演出・舞台技術等の色々な演劇要素の向上に役立っているのではないか。
次回のコンクールも楽しみにしております。
ワンマン・ショー
やっせそ企画
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/08/02 (水) ~ 2017/08/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
面白くて、説明にある東京都新宿区新宿三丁目8-8の「箱」から出ることが勿体無く思えてグズグズした。チラシは、変形版をこれまた変に折り、写っている写真の人物の顔は皆見えない。
舞台セットは物語の印象を表しているようだ。中央に具体的な物、周りは抽象的で表現し難い。その対比のようなものが、登場人物の存在と立ち位置を示している。
物語は、引き出しが多いタンス、またはジグソーパズルのようで、その場所・大きさの違いが時間や空間の違いを思わせる。それらの組み合わさって出来ている物語は、その全体像がラストに明かされる。その意味で一種のミステリーのようであり、その謎を解く鍵を持つのが…。色々な引き出し(ピース)を覗き込むが、それが何を意味するのか頭を巡らせるので、少し難しく又もどかしい気もするが、順々に引き出しの関係、繋がりが見えてくる面白さがある。観応え十分の秀作。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
セットは中央に古いテーブルと椅子。周りは無秩序に立てられた柱に白っぽい布や紐が垂れ下がり、乱れたもしくは退廃・荒廃したイメージ。また床の所々が張り合わせのようになっている。全体的に不統一で不安を抱かせる。
時間と空間を自在に切り張りしたジグソー・パズルのごとき構成。ちりばめられたキーワードの台詞などを手がかりに、頭の中で、出来事の時系列の整合を巡らすことになる。ラストに、バラバラだったエピソードの欠片がピタリと揃い、謎めいていた劇の全体像が見える納得が、この作品の見どころのひとつであろう。
ジグソーのピースは、順々に次のシーンが描かれる。
●青井あゆむは、「懸賞マニア」で、自分の身内等の名前を使用し、応募必要事項以外にも細々書き込む。 ●あゆむの仕事は町の航空写真を撮り、変化があれば役所に報告する。ある日、増築された部屋があるにもかかわらず、届け出のない佐藤家を訪ねる。●あゆむの妻・紫(ゆかり)は、あゆむから受け取った葉書を投函せず、段ボールにため込んでいる。 そして、紫の兄・白根赤太に葉書が詰まった段ボールを捨てに行ってくれと頼む。 ●無職の赤太は、自治体の女・イェローから仕事を斡旋された。依頼主・緑川緑から言い渡された仕事の内容は奇妙なものだ。「近いうちに、一人の男が私についてあれこれ聞きにくるが、私のことなんて知らないと答えてほしい」。 ●緑は、夫・黒雄と青井家の隣りに暮らす。黒雄は、青井家を監視し、庭の池が大きくなっていると言う。 ●赤太が捨てた段ボールは、山中に廃棄したが誰かによって再び青井家の玄関に戻る。
断片の集積は、現実とは一つではなく、見方によって、その受取り手の数だけある。それは、唯一懸賞で当たったとされる木彫り人体人形に象徴される。目鼻がない顔の人形(無表情)であるが、その左右から見ると泣き笑いの区別がつくという。この人形は登場人物イェローが担っている。さらにラストシーン…この劇全体が「ワンマン・ショー」ということが明らかになる。その衝撃が素晴らしい。
次回公演を楽しみにしております。
「REVIVER・リバイバー 〜15老人漂流記〜」「ダンパチ15・獣」
ショーGEKI
「劇」小劇場(東京都)
2017/07/27 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
日常が非日常に転換(無人島生活)した結果、その環境・状況から受ける刺激は”逝き”から”生き”へ意識が変化して行く。タイトル「REVIVER・リバイバー~15老人漂流記」は「二年間の休暇(十五少年漂流記)(邦題)」(ジュール・ヴェルヌ)のパロディのように思った。ヴェルヌ作では、全員男の子、青少年であるが、この公演では男女7人ずつの老人とツアーコンダクターの中年女性である。その世代間のアイロニーが可笑しく、時に哀しい感情が伝わる。物語はテンポ良く2時間強がアッという間であった。
【Bチーム】
ネタバレBOX
セットは、舞台側(浜辺)から客席側(海側)に傾斜しており、後景は密林を思わせるような壁画。上手側と下手側に別スペース。ほぼ素舞台で役者の演技で観せる。時間軸は漂着時から順に経過しており、経過日数は時々フリップで示す。時間順であるが、その容姿は逆に遡行するように若返る。物語は考えを巡らせることなく、観たまま素直に受け入れやすく、瞬時に楽しめる。
梗概…65歳以上が対象の世界一周の船旅。オーストラリアに向かう途中、嵐で船は転覆し、15人が無人島に漂着した。そしてこのメンバーを助けるため1人の男が亡くなった。しかし幽霊となって…その姿は妻だけにしか見えない。そして無人島生活が始まったが…。
15少年だと仲違いを越えて”成長”するというストーリーが、老人だと余命を意識した”生長”が語られる。この生長を巡って、中年(38歳)ツアーコンダクターと老人達の「老い」の定義についての話が興味深い。
漂着直後は、島での生活が出来るか、という根源的な問題であったが、それがある程度解決すると人が持つ生来の欲望が露わになってくる可笑しみ。人の欲望は際限がない。島で暮らすうちに段々と若返ってくる見た目の肉体。一方、実年齢は変化していないのだろう。その悲哀のような心情表現は、卒業式で見かける「不安」と「期待」・「絶望」と「希望」・「過去」と「未来」という呼び掛けで印象付ける。そして心情吐露、もしくは印象付けするシーンでは”歌”で魅了するなど、観せ方に工夫(変化)をしている。
役者は、登場人物の性格や立場さらにはその存在を上手く表現しており、その人柄なりが見えてくる。自分は、老人達とツアーコンダクターの老若の世代間にみる本音、主張の違いを言い合うシーンに惹きつけられた。結局、直接的な行為として、女性を担ぎ上げ、縛り、軟禁する老人たちの行動は、可笑しみとともに怖さも見えてくる。自分たちと同じ環境が心地よい。異なる人種、世代は排除するという怖さ…夢は覚めなければ夢は終わらない。その防衛本能がラストシーンへ…。
次回公演も楽しみにしております。
超絶ブルームーン
宇宙食堂
吉祥寺シアター(東京都)
2017/07/28 (金) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★★
地球に住み難くなってきた2067年という近未来の話。時間(過去~未来)を超越した宇宙空間、その悠久の時を思わせる。
月の開発が急ピッチで進んでいる。その日本の開発責任者である彼女と連絡が取れなくなる。そこで彼は彼女がいる月に向かうが、そこで目にしたものは…。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは後景に都市(基地)開発イメージ、上手側は古代の石柱、下手側は現代の鉄骨を思わせるオブジェが建っており、悠久の時を感じる。二階部を設え、一階中央は基地扉イメージであるが、全体的にはシンプルな造作である。
場面転換や印象付けをする際、紗幕に映像を映すなどスクリーン・プロセスによって異空間を想像させる。少し安易と思ったが、映像自体は美しい。
梗概…今から50年後、人類の月移住に向け、月面基地建設工事が急ピッチで進められていた。主人公・近藤新の恋人も6カ月の月面工事計画のため、月へ遠征していた。
しかし6カ月の任期が過ぎても、彼女は帰って来なかった。便りもない。彼女を探しに、近藤は”月”への旅に出ることにしたが…。
物語はシンプルであるが、その内容は激化した宇宙開発競争を思わせる。特に宇宙における未知で広範な資源の確保について、その管理・運用ルールがない。現代の資源確保における国際法の課題・問題へ言及するかのようだ。例えば、境界海域における採掘などを連想させる指摘は鋭い。その問題は、欧州グループ、アジアグループの開発・運用競争、という集団的競争と主人公とその彼女の恋愛という個人的な思いが絡んで展開する。
また、月で生まれた子は月でしか生きられない。「重力」の適応性の関係が原因らしい。その生まれながらにしての運命は難民・移民という排他的なことをイメージしてしまう。
全体的には緩い演出であるが、その観せ方はインター・メディアのようで、観客に楽しんでもらうことを意識している。ダンス・パフォーマンスという視覚に訴えるエンターテイメントといった作品であり、自分は堪能した。
次回公演を楽しみにしております。
清らかな水のように ~私たちの1945~
ドラマデザイン社
劇場HOPE(東京都)
2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★★
既視感があるが、描いている内容は、72年前(1945年6月)の先の世界大戦・沖縄戦における事実。その事実は圧倒的な力で観客(自分)の感情を支配する。少し緩くなるシーンもいくつかあったが、全体的に反戦メッセージが伝わる。
なお、ラストシーンの余韻と終演後のキャストの撮影会、そのギャップに違和感もあったが、平和だからこそできる公演でありイベント。
(上演時間1時間20分)(Aチーム)
ネタバレBOX
舞台は素舞台。しかし衣装はそれなりに時代が分かるもの(兵隊の軍服、女子学生のもんぺ姿)。後景は上手側に密林、下手側に洞窟が描かれた一枚絵(衝立)。何となく沖縄の雰囲気は出ている。
梗概…沖縄県に修学旅行で来ていた2人の女子高生が、「ひめゆり平和祈念資料館」での話しを聞かず海へ遊びに行ってしまう。ある洞窟抜けたところで異変が起きる。いつの間にか1945年の沖縄へタイムスリップしてしまう。時は沖縄戦の真っ最中、当時の女子学生と遭遇し、いつしか戦争の悲惨さ、無常さという不条理を身を持って体験する。「生」を保つ行為、行動、それは物理的に恵まれ、平和が当たり前にある現代との対比によって鮮明になってくる。その表現が母親からの度々の電話である。
今(2017年)の世の平和の尊さを改めて知る。そんな教訓めいた物語である。しかし、その教訓は、意識して守り維持しなければ…沖縄の砂浜、砂上の楼閣のように崩れてしまうだろう。72年後の平和資料館で邂逅(17歳と89歳)させる展開が印象的である。
疑問として、タイムスリップしたこと、戻ってこれた原因のような説明が少しあると、もっと納得感と感情移入ができた。
少し緩いと感じたのは、隊長がタイムスリップした女子生徒が持っていた菓子をザックから取り出すシーン、当時の女子学生が食糧、水を調達した後のシーンなどは笑いがもれる。重苦しい雰囲気を和らげる、観客へのサービス精神だろうか?せっかく沖縄戦のリアルさが伝わるところで、素に戻す(舞台から降ろす)ような演出?は勿体無い。
自分の好みとしては、全編硬質に貫いても良かったと思う。それでも、沖縄戦で実際あった話(腕を斬る、青酸カリで自決など)、その事実の重みが物語りを引き締め見応えあるものにしていた。今の時代だからこそ思える、当たり前のような”平和”、居て当たり前のような”父母を始めとした家族”、その状態、存在が尊く感じられる。
次回公演を楽しみにしております。
還刻門奇譚〜リローデッド・ゲート ゼロ〜
ZERO Frontier
萬劇場(東京都)
2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★
タイトル「還刻門」は、時間が巻き戻せる門だと言う。よく聞く人生の分岐点、その選択によって人生が大きく変わるかもしれない。選択結果によっては、自分が望む時まで還えりたいもの。物語は時間の遡行を描いているのか、それとも別の…。
(上演時間は1時間45分)
ネタバレBOX
セットは、二階部を設(しつら)え、門のイメージと妓楼内をイメージさせた作り。祭り提灯がいくつか飾られ、それが灯ると妖しげな雰囲気になる。下手側には曲がり階段があり、それを使った上下の動きは躍動感を感じさせる。
梗概…この門をくぐり時間を遡行したい人達の争い(霊肉の争いではない)。登場しているのは、妖怪、死者のようで、生きている者がいたのだろうか。すでに何らかの事情で亡くなっている者たちが、自分のため、恋しい人のため時間を遡らせるため、門の鍵(者)の争奪をする。何組かの思いが入れ子で描かれ、徐々に繋がり収斂され本筋を成してくる。時間を遡ることは生き帰ることを意味するのか。物語は此岸・彼岸という現世・来世のような雰囲気が漂い、そこを往還するのであれば輪廻転生に近い世界観。もっとも、整合性・理屈に拘って観ると齟齬が見えてくる気がする。
本公演は観た目のビジュアル(化粧・衣装など)やそれを着ての群舞、さらにアクションなどの視覚・動的魅力を観た方が面白いだろう。演出は緩く笑いや遊びが目についてしまう。自分の好みであるが、その緩さをもう少し引き締めて人生(生死)における往還とその功罪が観られると良かった。自分勝手な行為・行動が他人の人生を狂わせてでも成し得たい。その業(ごう)がしっかり伝わる様な幻想劇を期待したが…。
さて、衣装、アクションの形(太極拳などの拳法か?)や終盤近くに発せられる台詞(日本では「黄泉」という)から、中国を連想してしまう。そう言えば、函谷関という、日本の関所のような所が有名だが…。
次回公演を楽しみにしております。
ファンタズマゴリア
天幕旅団
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/07/06 (木) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★★
「天幕旅団の遊園地」…劇団の1年半ぶりの書き下ろし公演。とても印象に残る珠玉作。
全編、抒情豊かな雰囲気が漂う作品。少しネタバレになるが、物語は1940年から2040年の100年間という時間軸が長いが、大枠は2つの話で分かり易い。この公演、脚本は人間味に溢れ、その感情を音響・照明といった舞台技術が豊かにしている。
(上演時間1時間)
ネタバレBOX
囲み舞台、四方どこから観ても楽しめる。ほぼ素舞台で、四隅に木椅子が置かれている。その椅子はシーンによって、情景・状況を表す小道具になる。例えば、舞台設定は遊園地、それも当日パンフから向ヶ丘遊園(台詞で「モノレール」と説明)であると連想できる。この物語でも閉園しているが、その閉門を椅子で表現している。
梗概…2020年の閉園後に訪ねて来る話、1964年の遊園地最盛期の話、という2つ。その話が交錯し抒情豊かに描かれる。最初は30歳前の女性が、思い出の遊園地を訪ねて来る。もちろん閉園していることは知っているが、間もなく取り壊される。自分が母親に捨てられた苦しく切ない場所であるが、母親と来た最後の場所でもある。内に入れないため帰ろうとする彼女に声を掛けたのが…当日パンフレットではロボット(渡辺望サン)である。後段の話は、遊園地の園長とその妻の出会いと別れ。開園日、体調がよくない妻と娘をタクシーで帰らせたが、その車が交通事故を起こし、妻は娘を庇い亡くなった。どちらも遊園地の思い出。その長い時間軸を見ているのがロボット。
全編が雨模様。その演出はピアノを弾く(奏でるではなく)雨音、床に照らされる射光は地面を濡らす雨粒、という音響、照明は抒情的で印象に残る。また何本かの傘が何度となく持ち出されるが、その傘色によって情景が異なる。グリーンの傘は、それを持った人の視点(現在)のようであり、情景・状況の変化によって人から人へ渡される。先に書いたロボットは擬人化して見せているが、その温もりから“遊園地”そのものであろう。
少し気になったのが、舞台と客席が近く、役者の表情等が間近に見えること。役者は4人であるが、演技は巧く心象形成も上手い。熱演であることは間違いないが、雨模様で少し肌寒いというイメージの中で顔に大汗をかいて…。役者は常に舞台上に居るから、何とか演出で工夫してほしいところ(少し残念)。
次回公演を楽しみにしております。
リーゼント総理
カラスカ
上野ストアハウス(東京都)
2017/07/20 (木) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★★
疾走感が半端なく、上演2時間があっという間であった。また、けっして広くはない舞台上での格闘シーンは迫力があった。不良が何となく正義(庶民)の味方になっていく…映画、TVドラマでありそうなシチュエーションであるが、ある意味王道の公演は観応えがあった。
(上演時間2時間5分)
ネタバレBOX
セットは中央にアーチ型(レンガで出来ているイメージ)の出入り口、その左右に段差を設けた板。左右はほぼ対称で2~3段の段差がある。その上下の動きが躍動感を生み、心地よいテンポで進む。
梗概…2万人の暴走族を率いる宮ノ内タカシ(大野清志サン)は、国会議員である父親と確執があったが、父の非業な死により後継することを決意する。父の死は地元の利権絡みによる敵対する国会議員とその手下の暴力団の仕業によるもの。
父の選挙事務所の秘書等の助けを借り、どうにか当選することが出来た。しかし、相手陣営、暴力団の魔の手は、暴走族の仲間へ及ぶ。
ところで、脚本・演出の江戸川崇氏は関西出身だろうか。劇中の設定、地元はヤマトということであり、そこに流れる川にまた蛍が集まってくるようにしたい。そんな澄むような川の清掃活動が描かれる。以前、奈良県を流れる一級河川・大和川の水質がワースト2、3になり、近隣住民が清掃し蛍が棲めるようになった記事を読んだことがある。実話を連想させるが、物語はあくまでフィクション。ストーリーにあまり意外性はないが、テンポの良さと登場人物のキャラクターの面白味で十分楽しめる。特に、2つの格闘シーンは見どころ。まず特攻隊長が暴力団を壊滅させる所。次に主人公と腹心・特攻隊長のどちらが強いのか決める所。
通称:暴対法施行、反社会的勢力(暴力団)壊滅、政権・利害争いへのメス、環境保護など色々な要素を盛り込み、いつの間にか暴走族総長が国会議員になり、住民のための活動をし、世論の支持を得るという滑稽痛快な物語。
この男が惚れた女性は暴力嫌い。まだ一国会議員であるが、惚れた弱みで暴力を封印し、さらに人徳が増せば総理大臣も夢ではないかもしれない。それでも髪型はリーゼントのままでくあろうが…。そんな洒落っ気が笑いを誘う。
次回公演を楽しみにしております。