タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ポルカ

ポルカ

劇団芝居屋

テアトルBONBON(東京都)

2017/05/24 (水) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★

今まで観てきた芝居屋のイメージに比べると、社会性が色濃くなったという印象である。確かに今までも地方都市、僻地を際立たせるような内容もあったが、もっと直裁的な描き方であった。また登場人物は基本的には善人ばかりであった。ところが今回は悪人も登場する。演じた役者も、当日パンフで「これまでにない役柄に挑んでいます!」と。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

「ポルカ」という喫茶店。場内に入ったと同時に店内のようだ。上手側はテーブルとベンチ椅子(またはソファー)、壁面は大きな窓、その奥に店の出入り口がある。下手側はカウンターとスツール。時間経過を表す照明は、趣のある射光のようで印象的だった。

梗概…東京近郊(台詞では「とよだ」)の住宅地。その一角にある「ポルカ」という二代に亘って愛されて来た老舗喫茶店がある。今、昼間だけの純喫茶では立ち行かなくなり、夜はスナックとしても営業している。ここに集まる常連客の日常生活、活動を通して市井の姿を覗き観る。不動産屋社長、保険外交員、ミニコミ誌編集者、パン屋、さらに母親を最近看取ったばかりの女性(後、探偵事務所勤務)が常連客である。

昨今のオレオレ詐欺など、高齢者を狙った犯罪が頻発している。その被害に遭わないような取り組み(シルバーガード)、その集まる場所として、この店に白羽の矢。この地域の高齢者の割合は25%、特に団地住まいの高齢者が多いことも話題にする。この公演も東京郊外だが、現実の団地も多くは郊外に建てられている。当初想定した、若い核家族の夫婦が入居し、その後は次世代の夫婦が入居するというサイクルは起きなかった。今は高年齢者が多いと…。その現実に詐欺という社会性を突きつける。物語は、地域の名士のような元不動産会社社長が、某パーティで上品な女性と知り合って起きる騒動。

現実には犯罪絡みであるから危険を伴っているが、そこは地域(常連客)の結束、その人情味を描くことを優先した展開である。作・選出の増田再起氏は、「現代の世話物」を標榜しているだけに、現実的な対応でないことは百も承知の上のことであろう。この劇団にとって、現実過ぎることは卑小なこと。
なお、一樹さんの歌うシーンは一考(工夫)が必要かも…。

次回公演も楽しみにしております。
ペンション林檎の樹物語

ペンション林檎の樹物語

昭和歌謡コメディ事務局

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/05/25 (木) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★

公演「昭和歌謡コメディ 築地そば屋笑福寺」を楽しみに観ている者としては、その原点と言える本作品はぜひ観ておきたかった。
昭和歌謡コメディは、芝居と歌謡笑 いやショーの2部構成になっているが、この公演は芝居の劇中歌としている。その融合したスタイルの延長線上が昭和歌謡コメディになっている。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央に歌、ダンスを行うためのスペースを大きく確保している。上手側に暖炉・薪、壁にギターが飾られている。下手側にテーブル・イス、その後方に窓。正面奥に横長の棚が設えてあり、その上に小物が置かれている。

梗概…物語は恋の騒ぎ。登場人物は全員が善人で安心して観ていられる。舞台は信州にあるペンション「林檎の樹」。ここは、少しお調子者のオーナー・森本茂(江藤博利サン)が経営している。その森本は妻を亡くし、一人娘のエミを男手一つで育ててきた。
ある日、娘の友人・ユミ、その恋人・藤井、彼の恋人だと言い張る奈々子がペンションで鉢合わせし騒動が…。ペンションに集う様々な人々の人生と想いが交差し、やがて思いがけない真実が明かされていく、ちょっぴりホロリのハートフルコメディ。

昭和という時代に流行った歌とその振り付け、その聴かせ、観(魅)せるパフォーマンスが懐かしくもあり楽しい。前説は、劇中では受験生の片山(田中達也サン)が担当していたが、客席との一体感(手拍子など)が場内を盛り上げる。その言葉通り温かい雰囲気に包まれた公演、心底笑い楽しめた。

次回公演(再演)を楽しみにしております。
雨と猫といくつかの嘘

雨と猫といくつかの嘘

青☆組

アトリエ春風舎(東京都)

2017/05/23 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

終演後、作・演出の吉田小夏女史に挨拶と簡単な感想を伝え劇場を出たところ、雨が降り出した。ふだんであれば鬱陶しいと思うところであるが、その夜は劇中に引き戻されたような特別な感慨が…。同じように劇場から出てきた人々も異口同音の感想を漏らしていた。この公演、一言で言えば抒情豊かな仕上がりの珠玉作といったところ。
【Aチーム】

(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術が素晴らしい。この舞台セットは初演時と同じだという。舞台中央は畳敷きの和室イメージ。周りを通路のように囲い、上手・下手側に収納BOXが置かれ、その上部に飾り棚のような。舞台奥は客席に平行に飛び石、その上部・垂直に粗い暖簾(紐)のようなものが吊るされ、そこにビー玉(雨イメージ)のようなものが取り付けられている。全体的にしっかり作り込むという感じではなく、骨組を出現させるという表現の方が相応しい。

梗概…熟年離婚した水野風太郎は60歳の誕生日を迎えた。その一人住まいに娘とその婚約者が訪ねて来るところから物語は始まる。この風太郎の子供、中年、そして現在(還暦誕生日)の日常生活を通して、一人の男と男を取り巻く家族の滋味ある人生が描かれる。先に記した部屋はアパート。その部屋はそれぞれの時代の住んでいた部屋に変わり、しっかり作り込んでいないことが、観客の想像力を豊かにする。それが年代層が違う観客の描く情景・状況に寄り添うことになる。大きな事件が起きることもなく、坦々と過ぎる日々の暮らし…そこに市井の幸せがあるかのようだ。

水野風太郎の子供・中年・現在の時代を往還するように描くが、その視点はいつも主人公のもの。それゆえ、キャスト6名は風太郎以外、複数役を担うことになる。そのキャラクター、立場の変化は見事で観応え十分である。いくつかリフレインシーン(例えば、猫の玉三郎が家を出るところ)があるが、心象形成とその確認のようで説明過多になりそうな微妙なバランスにあったと思う。

劇中の台詞、人生で泣くのは3回…生まれた時、大切な人が亡くなった時、生きていて良かったと思った時だという。その意味で本公演は還暦を迎えた大人の生まれ変わり、という回想が心情に迫ってくる。

最後に演出について、室内(通常)と戸外(スロー)の動きの違い。そこに現在と過去の時間の流れ、違いを感じる。また雨の音と傘の情緒性が良い。傘は透明のビニールで、表情がしっかり観てとれる。ラストは還暦イメージの赤い傘。2008(平成20)年が初演というが、携帯電話を用いず生身の人と人、家族の向き合った会話が昭和をイメージさせる。

次回公演を楽しみにしております。
から・さわぎ

から・さわぎ

ZIPANGU Stage

萬劇場(東京都)

2017/05/24 (水) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトルが洒落ている。シェイクスピアや某TV番組「恋のから騒ぎ」を連想させるが、さらに当日パンフを見て伏線があることを知る。全体的にはドタバタコメディという印象であるが、シェイクスピア戯曲のパロディと思わせるようなシーンの数々。そこに人間性と社会性が観て取れる、そんな深みが感じられる公演であった。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

公演は、唐沢製菓という会社の社内ラウンジで巻き起こる喜劇。セットは下手側に飲料を提供するカウンター、それ以外はテーブルとイスという休憩スペースといったところ。下手寄の正面壁(際)に「KARASAWA」という社名ロゴが見えるが、そのロゴにハートマークの照明が…。実にオシャレ。

物語は新人が取締役会へ新商品企画をプレゼンテーションするため、その予行演習を行っているところから始まる。いくつかの試作品とそのコンセプトを説明する。直接的に取締役会シーンは描かれない。社長・専務・常務などの取締役会メンバーが息抜きなどの理由を付けてラウンジへ現れる。そこへ営業部員が現れ、解雇されたと嘆く。なんと社長に向かって厚化粧と暴言を発してしまった。激怒した社長が解雇すると言い出し、何とか撤回してもらいたい。そこで思い付いたのが社長を恋の虜にすると…。

人間性から 社長の恋は漂流するかのように心が揺れ、その様を面白く描いている。その過程で観る場面は、シェイクスピア戯曲を連想させるシーン(例えば死んだ真似など)もあり可笑しい。また男女の恋心は共通でも、その性別、役割のような生まれながらの違い(夫の好きな料理か妻の栄養管理か)を強調する。
社会性から 役員と社員の立場の違いというか、最近の流行語のような「忖度(そんたく)」という言葉を連想する。その「他人の気持をおしはかる」という意味から、こちらもシェイクスピアの宮廷を取締会になぞらえて茶化すようで意味深である。

役者はそれぞれのキャラクター、立場の人物像をしっかり立ち上げ体現している。その登場人物の名前も江崎、東鳩など製菓会社を使用しており笑える。演技のバランスもよく、嘘、その糊塗、混乱、収拾という展開はまさに空騒ぎで楽しめた。

次回公演を楽しみにしております。
GK最強リーグ戦2017

GK最強リーグ戦2017

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2017/05/17 (水) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★

観客参加型の演劇イベントという触れ込み。1チーム50分の短編作品を上演し、観客の支持の多さが勝敗を決する。そして今年のテーマは「酒」である。
もっとも、別の”感慨”も連想させるが…。

観劇したのは、Bチーム「見慣れた知らない景色の中で」とCチーム「one night after 12AM」の対戦。対戦はキャスト代表者によるジャンケンで先・後攻を決める。その結果、C・Bの順になった。感想もその順で書かせていただく。
どちらのチームも芳醇な香り、酒がまわるよりも早く物語に酔ってしまう。たとえ酒が嫌いな観客でも、その駘蕩(たいとう)たる雰囲気に酔う、そんな珠玉作2編。

ネタバレBOX

両チームとも舞台のセッテングから始まる。

【Cチーム「one night after 12AM」】
あるマンションの1階にある酒場(Bar)。セットに使用するのは幾つかのBOX。テーブルや椅子に見立て、または縦に重ねてカウンターをイメージさせる。
亡き父が通っていた店。時間はもうすぐ午前12時。その閉店までのわずかな時間の物語。今、亡父の知り合いが集まって、店のママも交えて歓談中。そこへ20歳になった娘が来店し、初めての「酒」を体験する。娘が小学校入学した年に亡くなったと言うから、十三回忌といったところか。
滑稽な観せ方であるが、雰囲気的には抒情豊かで静かな話。

【Bチーム「見慣れた知らない景色の中で」】
地方の酒蔵。こちらは舞台奥に仏壇が置かれている。冒頭、暗闇で酒瓶が割れる音は迫力ある。バンド活動がしたいと家を出ていった息子が突然帰ってきた。父は喉頭がんに侵され、先々が心配である。しかし母の三回忌にも帰らなかった息子を許さない。この家には娘がおり、その結婚を考えている彼氏、息子のバンド仲間や彼女も絡みどう展開していくのか…。そのスラプスチック・コメディのような動きのある話。

このGK最強リーグ戦2017、ルールは上演時間50分、テーマ「酒」ということは先に記した通り。今回観た両チームは、テーマ以外の共通点として「死」を感じさせる。
暗幕で囲んでいる舞台、そこに白い衝立を等間隔に並べ立て、まるで鯨幕のよう。Cチームは亡き父を偲ぶ。Bチームは母の死(仏壇)と父の病。
違いは、雰囲気が「静」と「動」という印象。「都会」と「地方」という感覚。

それぞれ気になる所…蛇足ですが。
Cチームは、BOX上で一人ひとりが独白する演出。前列席だと見上げることになり、観にくいと同時に圧迫感もある。俯瞰・印象付けする演出なのかもしれないが…。
Bチームは、息子のバンド仲間が登場するが、その存在自体が必要だろうか。息子が帰ってきた事と父親との確執、その氷解の過程に力を入れたほうが…。
両チームのキャスト数、Cは7名、Bは15名と倍以上。ルールには関係ないだろうが、バンド仲間3名を登場させなくても話は成り立つように思う。

次回公演も楽しみにしております。
幕末疾風伝「MIBURO~壬生狼~」

幕末疾風伝「MIBURO~壬生狼~」

TAFプロデュース

かめありリリオホール(東京都)

2017/05/19 (金) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★

全二幕、2時間30分(途中休憩10分)の長編、現代-時代劇。物語の構成としては目新しさはないと思うが、観せ方、舞台美術などの効果的な印象付けは工夫を凝らしてあり好感が持てる。
ただ、上演時間が長く、特に一幕目は緩い笑い、遊びが過ぎて冗長に思える。一幕目をもう少し引締め、公演全体を2時間程度にすると観客の集中力も保てるのではないか。それだけに少し勿体無かった。

ネタバレBOX

舞台は殺陣・剣舞・アクションスペースを確保するため、作りはシンプル。それでも骨組みだけの高い城壁門イメージを左右対称に設置し、その間に半円形の障子窓(和風)がある。

梗概…現代、明治期に絶滅したと言われているニホンオオカミを探すため、イヌ岳に入山し遭難した兄・妹。妹は一週間後に救助されたが、その間に経験した出来事を日記に残し、それを基(治療用)に回想する。兄・妹が再会したのは幕末の京都。兄は新撰組の八番隊長になっていた。妹は弟と性別を偽り入隊し、新撰組の盛衰(約4年、池田屋事件→分裂騒動)を目の当たりに見る。現代と回想・幕末期の時間の流れの早さが異なる。浦島伝説のように物理学で言うところのウラシマ効果で観せる。

江戸から明治という、日本の激動期。時代に翻弄されながらも、生きる価値を模索し続けた漢(おとこ)達をマジックリアリズムの手法で描く。タイト「MIBURO」は、新撰組の屯所があった場所。その暗殺集団と恐れられた新撰組を狼-ニホンオオカミに準えている。現代、「生きていく意味」に向き合うことを見失っている。本公演は新撰組の生き様を通じて、生きることへの価値・意義のようなものを、娘の体験を通して伝える。

物語の設定は、もちろんフィクション。文献史ではなく記憶史として、個人の視点から描いている。真のサムライを夢みた隊士=その大志という大きな国家感と、二幕目に出現させる遊郭、花魁との遊興は人間臭さを感じさせる。その鳥のような俯瞰と虫のような近視眼の対比する見せ方も面白い。

最後に、殺陣と剣舞を分けて観せる。またその演出として刀が交わる音響、花柄文様の照明など舞台技術も印象的であった。
次回公演を楽しみにしております。
白い花を隠す

白い花を隠す

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/02/28 (火) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

グリーンフェスタ2017参加作品。主宰者は、当日パンフに本公演は多くの問題が重層的に含まれていると書いている。それは「慰安婦」「組織」「家族」「表現の自由」「自主原則」「同調圧力」「メディア」「政治介入」「公平中立」…。人はそれぞれ違う。考え方、価値観が違うのが普通である。

物語は、2001年に起きたNHK番組改編事件、旧日本軍による「慰安婦」制度を裁く女性国際戦犯法廷を紹介しようとしたドキュメンタリー番組をモチーフ、主軸に捉え、それに絡むいろいろな脇筋から成っている。

複雑に絡み合う個人の思惑と報道の行方を巡って物語は漂流し始める。芝居としての要素、ドキュメンタリー要素、その虚構と現実が絡み合い、真実を飲み込みながら表層にある事実のみが肥大していくようで、現代日本の観えざる力を映し出そうとする力作。

ネタバレBOX

喫茶店ペチュニア店内が舞台。桃語は、MHK、下請け制作会社に旧日本軍による従軍慰安婦に関する民衆法廷を扱う番組制作を依頼するところから始まる。スタッフは歴史的な検証を試みようと意気込む。しかし、放送目前にしてMHK側から番組内容の一部変更の指示が出される。そして最終的には当り障りのないものへ改編させられる。

一方、物語はこの喫茶店の家族関係も描く。下請けの制作会社のプロデューサーとこの店オーナーは恋愛、結婚する。この喫茶店は姉妹(妹がオーナー)で住んでいるが、問題の番組改編が進むと同時に、姉妹の関係も仲違いするように浸食してくる。喫茶店の経営、夫となった男の稼ぎも気になる。
表層的には、社会派の骨太作品であるが、日々の暮らしを大切にする家族ドラマを取り込み、リアリティを増す。それゆえ、物語のベースにある高い意識と強い社会性がより顕著になり重厚で格調あるものにしている。

演出は、時間の経過を示すような電光掲示が緊迫感を出す。主筋は2000年12月から2001年1月の番組制作、改ざんへの対応、その後の無気力・喪失感という、ごく限られた日時を喫茶店内という限定空間で描き出す。緊迫した台詞の応酬、事物と一体となった緊密さを観せつける。事物とは客席寄りにあるペチュニアの植木花の間引きする行為。切り揃えないと枯れてしまう、その”管理”することが必要であるという比喩。その花の原種は白い花であり、それを見ることは難しいという。色ある花は咲くが、原種の白い花を見ることは難しい、そのことは事実は見えるが、真実は見難いと…。事実という点を嘘という線で繋いだニュース、ドキュメンタリー番組として放送する。そこには何が事実で、その裏にある真実は掴み難いという怖さが観える。
一方、姉妹の感情からなる話は、性格の違いが物語のテーマの”隠す”を暗喩している。自分の心に正直とは、その表現を姉妹の心情対立という分かり易い構図で魅せる。
ジゼル

ジゼル

ポポポ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/02/16 (木) ~ 2017/02/20 (月)公演終了

満足度★★★★

グリーンフェスタ2017参加作品。原作はバレエ「ジゼル」であり、それを主宰で脚本・演出を行った さいけ氏が解釈して戯曲化したもの。原作のストーリーの解釈は多岐にわたるというが、それでも概要について当日パンフに記載している。それを読む限り、展開(2幕)は原作に則したもの。

ネタバレBOX

京都という地の和風を表す舞台美術であった。上手・下手側の両側に階段を設け、その中央に大きな紗幕または磨りガラスがある。また、その両方にも同じような影が映り込むような紗幕がある。そこに人影が映り、登場人物以外(群衆イメージ)が祭りを楽しんでいる様子を表す。上手側には低い板柵、下手側には竹垣を配置し、和の魅せ方。

【梗概】
1幕目、京都の葵祭の時期。病院の窓から外を眺めている少女が、祭りの楽しさに誘われ外出してしまうが、途中で具合が悪くなる。その時、助けた男との間に恋愛感情が芽生える。しかし家柄が違うことから叶わぬ恋となる。この男には許嫁がおり、助けた娘との恋は遊びだったのか...。

2幕目、入院していた娘は落胆し亡くなった。その墓前での舞踊(ソロと群舞)が見どころ。悲恋の原因となった横恋慕の男が、ミツガシワ(婚礼前に死んだ娘の霊)に囲まれ息絶えるまで踊らされる。その後、娘を助けた男も現れ同じように踊らされる。しかしミツガシワの女王によって…。
成就しない恋の物語は、シェイクスピア「ロミオ&ジュリエット」のような確執(ここでは家柄)に翻弄されたようだ。

【演出】
1幕目はダンスという言葉のない舞台表現をどれだけ物語にその思いを描き込むか。再会を約束するために携帯電話を利用しない、その情緒ある演出に好感を持った。2幕目、物語というよりはダンス表現そのもの。1幕目の具象する物語と2幕目の抽象的な表現(舞い)とに違和感を覚えた。

2幕目は死後の世界。彼岸と此岸の間で彷徨する霊魂、その浮遊感は”舞い”という表現に活かされていた。1幕と2幕は生死を往還するような展開ではないため、幕の間の繋ぎ目のような挿話があると分かり易かった。

次回公演を楽しみにしております。
ハリー☆ポッタァーと曖昧なアーチの向こう

ハリー☆ポッタァーと曖昧なアーチの向こう

情熱のフラミンゴ

調布市せんがわ劇場(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★

第7回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞公演…タイトル「ハリー☆ポッタァーと曖昧なアーチの向こう」から明らかなように、小説、その映画化で世界的に有名な魔法学校が舞台になっている。その世界観は、人の心の隙間に入り込む、または観察されるような不気味な感じがする。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セット…人工芝の奥にアーチ型の出入り口。上手側に金網(一部が壊れている)、下手側に柵。暗転の後、テントが張られピクニック用のテーブル、椅子が置かれる。

魔法学校の卒業を目前に控えた出来事。魔法が使えない魔法使い、人間(マグル)と一線を画しマグルを軽蔑、差別するが魔法を使えない自身との違いはどこにあるのか?その苛立ちと焦燥がハリー☆ポッタァーの額の傷…。その象徴となる傷、自作自演の英雄気取りは、注目されたいという強欲・自我の表れである。
しかし、魔法という便利な術が行使できないという心技の矛盾が滑稽に描かれる。その敬いの形が恋愛事情、女性に好かれるという分かりやすい設定である。そしてマグルの世界(コンビニに就職→独立)で生きてみようと思い始める魔法使いもいる。

作・演出の島村和秀氏によれば「際どいモチーフを渡りきれるかという危うさも去ることながら、偽善と偽悪の谷底に落ちないよう、安定を装いつつバランスを取る。列をなす綱渡りはひとりで後戻りすることも許されず、向かう先に戸惑いを感じながら、なんとなく、曖昧なアーチの向こうへ。愛と勇気の物語をボクたちらしい、最大のリスペクトを込めて描きます。」と。

公演の表層的な滑稽さは観て取れるが、そこに蠢く危うい感情のようなものが感じられなかった。魔法使いが魔法を使えない人間(マグル)との間で選別できなくなるというアイロニーがもっと観られれば面白いと思う。

次回公演を楽しみにしております。
疚しい理由

疚しい理由

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/05/12 (金) ~ 2017/05/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

一場面、3人による濃密なサスペンス・ミステリー劇。チラシには「2006年に劇団『ブラジル』で上演された傑作中編サスペンスを再演」とある。終演後、演出の池田智哉氏に聞いたところ、時代背景や技術(小道具)の変更も行わなかったと言う。時代の変化に左右されない”人間の暗部”を抉り出すような。その疚しい姿が実にリアルに描かれる。
(上演時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、シンプルであるが物語の展開、その場の空気を表現するような妖しい雰囲気を漂わす。暗幕で囲い、客席に対し斜めに渡した赤い通路。真ん中に部屋(ダイニングのイメージ)があり、テーブル・イスが置かれている。背面は、数本の細い支柱に赤い紐が蜘蛛の糸のように張り巡らされている。何かに絡め取られそうな感じ。

梗概…サスペンス・ミステリーの類であるから、書けばネタバレになる。タイトル「疚しい理由」、その説明に騙すか騙されるかとあるので、端緒だけ記すと”保険の加入”…それをめぐって虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。筋立(脚本)は、身近でリアリティがあるため、物語の世界に引き込まれ次の展開が気になる。状況が一転二転し、ラストまで目が離せない極上のサスペンスドラマ。

約10年前に上演されたが、その時代背景、状況設定は色褪せることなく、心に蠢く疚しい感情が浮き立ってくる。騙す騙されるという心の綾のようなものが、赤紐の蜘蛛の巣で表現されているよう。この3人の(歪な)関係、誰が誰を誣いて陥れるのか。観客(自分)は、固唾を呑んで成り行きを見守っている覗き見者のような気分になる。

役者は関係性を見事に体現しており、緊密・迫力ある演技であった。穏やかな雰囲気から段々と不穏な空気が流れ出し…。ラストの依頼とその裏に隠された事情が透けてくると、もはや疚しい以上の疾(やま)しいかも。

次回公演も楽しみにしております。
イタイ☆ホテル

イタイ☆ホテル

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

この時季(5月)は、新入社員がその業界用語を覚えるために四苦八苦しているかもしれない。この公演もその用語(隠語)をメモしているところから始まる。誰もが利用するホテルかどうかは分からないが、その事実となることは、誰にも等しくおとずれる。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

タイトル「イタイ☆ホテル」から明らかなように、遺体が星☆になるまで滞在(一時保管)する、そんな場所で働く人々を描く。ホテルに滞在するのは死者であるが、この物語は、”死”を通して”生”ある人間-平沢夏美(嶋田あやサン)が成長していく過程をコミカルに描く。笑いの中にホロッと感情を揺さぶる、笑いで弛緩させて涙でギュと心と体をつかむ観せ方は見事であった。

舞台のホテル名は「鈴風」、別名”天国に一番近いホテル”という。そこに葬儀社、葬儀コーディネーターが出入りしている。中央奥にスタッフルーム、客席寄りに来客用のテーブル、ベンチ椅子など。上手側(風)・下手(鈴)側は室内(遺体安置)になっており柩が納められている。この部屋の構造に感心(本当にあるのか?)させられた。

先にも記したが、業界用語(隠語)の珍しさもあり、物語のつかみ方としては上手い。「山に行く=火葬場へ行く」等や、柩(ひつぎ)と棺の違いなど納得の説明。そういえば、遺体が大きく柩から足が出ていた。それを納めようとしていたが、柩=四角に囲まれた中に「久」という字が入っている、箱に人が入っていることを示す。一方、遺体が入っていないのは「棺」と言うらしいが、それを視覚的に表すところは上手い。

死者と向き合う遺族や知人、その関係性によって感情の振れ幅が違うかもしれない。共通して言えるのは残された人は、死の事実を受け止め、生きて行こうとしている。その姿をしっかり描く。
一方葬儀は、それを生業としないかぎり非日常の出来事。セレモニーの執り行いは、思考停止状態の中で業者が粛々と進めて行く。死者への思い、遺族の思いとは別のところで商売(心)が蠢く。
表層的にはコメディであるが、誰もが迎える”死”、それに向かって生きる。単に存在する、または生きている意義のようなものまで感じさせる公演、実に観応えがあった。

次回公演も楽しみにしております。
ATTACK!

ATTACK!

劇団 浪漫狂

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2017/05/09 (火) ~ 2017/05/14 (日)公演終了

満足度★★★★

戦後60年、”出撃した特攻隊員が生き残っていた”その経過を公演にする、という劇中劇のような設定である。この公演そのものが、反戦を直裁的に描いており、テーマを明確にし伝える。その観せ方は、リアルと言えないまでも、役者の外見や衣装は、戦時下をそれとなくイメージさせるよう努めている。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台はほぼ素舞台で、白いBOXが4つあるのみ。それを動かすことによって情景や状況を想像させる。時代背景は昭和18年前後、学徒出征から人間魚雷・回天で出撃するまでの戦時下における青春群像劇。男役者は短髪、軍服を着ている。当時の青年-その個々人を描いているが、国家はそういう個人に犠牲を強いているという意味で、体制批判を描く。個人の思いの前に巨大な組織(体制)の思惑に翻弄され、不自由になっていく。いや不自由ということすら認識しなくなる恐ろしさ。

「何もない空間」にゼロから表現を立ち上げ、「嘘の世界」を観ている時だけ「本当の物語」として体感させることが大切。もっとも、ここで描かれている事は現実にあったことをモチーフにしており、それだけに悲しくも残酷である。それを比喩もへったくれもなくストレートに訴える。

戦争を身をもって知らない世代が多くなる中で、なお戦争の悲惨さを語り継ぐことの重要さ。戦争に関しては、文学・美術・映(画)像などにも共通するが、芝居は舞台という空間に生身の人間がその身体で観客の身体と対峙しているところが違う。まさしくライブなのである。

しかし、役者は熱演ではあるが表現に少し難があった。日常的な会話と戦時下における特別な思いを伝える言葉、その奥にある”魂のゆらめき”というか”神性”を感じられず心に響かないのが唯一残念。その点で感情移入できないと思った。
それを補うかのような音響・音楽、照明による印象付け、その演出は効果があり好ましかった。

次回公演も楽しみにしております。
バージン・ブルース

バージン・ブルース

うさぎストライプ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/05/04 (木) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★

写真館で撮った(紙焼き)写真が受付に飾られている。この公演のチラシやポスターに使用されている。もちろん結婚式をイメージさせるもの。
とても不思議な世界感(非現実のよう)であるが、妙にしっくり観ることができる秀作。
(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

舞台は、結婚式場の控え室。セットは上手側にテーブルと椅子、下手側に可動するオープンファンシーケースのようなものがあり、衣装が吊るされている。よく見ると結婚式場のものとは思えないものまである。

「冠婚葬祭」という人と家族で行う行事があるが、この公演ではタイトル「バージン・ブルース」ということから「婚」式と思っていたが、2人の父(志賀廣太郎サン、中丸新将サン)や新婦(小瀧万梨子サン)の生い立ちを回想していく中で、だんだんと物語が変容し、「葬」式へ…。

突飛な人物設定-巨乳の男、長いちんちんの男、ちんちんから出産する男、そして、ちんちんから生まれた娘を巨乳男と長ちんちん男が育てた物語。異常体(少数者への差別とみるか)として、性愛を扱い、少し下品かと思われるような台詞、しかしその核にあるのは男と女という性別を超えた”人間”を表現している。男女という固定観念という壁を壊したところに、生きることへの真剣さ、包容力ある愛が観てとれる。
それを体現する3人の演技が面白可笑しく、時に切ない感情が実に見事に表現されていた。

「結婚は人生の墓場」と聞くことがあるが、いつの間にか葬儀において娘が親族挨拶をしている。娘のために娘と歩んできた父は、単に実在しただけで自分の人生を全うしたのだろうか?娘を産んだ(男)親(小瀧サンの2役)、その娘に影響されたまま、小市民的な生き方は自己保身に他ならず真に生きていると言えるのか。そんなところにカフカの小説「変身」に出てくる”虫”を連想してしまう。この公演もユーモラスであるが、怖い一面を持つ。

これって、この団体「うさぎストライプ」の”いつか死んでしまうのに”、生まれてきてしまった人間の理不尽さを、そっと舞台の上に乗せている…という趣旨に似ているような。

次回公演も楽しみにしております。
一葉の恋

一葉の恋

千代田区立内幸町ホール

内幸町ホール(東京都)

2017/05/01 (月) ~ 2017/05/02 (火)公演終了

満足度★★★

千代田区内幸町1町目、今の内幸町ホールがある所が、樋口一葉の生誕の地である。
本公演は、朗読劇「一葉の恋」、解説「一葉日記」、ひとり語り「十三夜 上・下」の三部構成で、彼女の作品を中心に生い立ち、人柄なり、その魅力を伝えるもの。

明治27(1894)年12月から明治29(1896)年2月の間は「奇跡の14カ月」と呼ばれ、一葉の五大作品「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」「たけくらべ」ほか多くの作品を次々発表したと言われている。その作品を取り込んで描いた”一葉の恋”は改めて樋口一葉の人物像に迫っていく。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、朗読劇では すすき と切り株のような椅子。そこに枯れ葉が舞い落ちている。遠方から汽車の走る音、風の音という朗読の邪魔にならない程度の音響効果を入れる。ひとり語りは、落語の高座のような舞台。座布団に座ったり、高座に上がったり下りたり動作を加え、心情描写をする。

第一部 朗読劇「一葉の恋」
出演:坂本有子、松島邦(NPO日本朗読文化協会会員)
構成・台本・演出:成瀬芳一(劇団新派)
概要:舞台は明治25年。夏子(一葉)が小説の師と仰ぎ思慕の情を抱いていた半井桃水と疎遠になってから2年後、次々に傑作を送り出して注目され始めた夏子が、谷中・感応寺の墓原で偶然桃水と再会する。当時、師の桃水を凌ぐほど作品を発表しており、その作品「雪の日」「琴の音」「やみ夜」「たけくらべ」「大つごもり」「闇桜」「たま欅」、桃水の「胡砂吹く風」の批評をしながら、この2年間の思いを紡いで行く。昭和41年、劇団新派により新橋演舞場で上演された北條秀司作「明治の雪」から新派の演出家・成瀬芳一氏が一葉の原作を織り込み、朗読劇へ構成し直したという。

第二部 解説「一葉日記」
解説:澤田章子(一葉研究家)、日記朗読:坂本有子、松島邦、ギター演奏:作山貴之
概要:その文学性で高く評価される一葉の日記は、「一葉恋愛日記」として知られるほど、複雑な恋愛感情の吐露の場であった。女心の動揺、桃水への恋心と追憶の日々など、数々の名作とともに一葉文学を代表する。
解説は落ち着いた語り口。映像で資料や当時の写真を映写し視・聴覚で分かり易く説明する。

第三部 ひとり語り「十三夜 上・下」
出演:熊沢南水(朗読家)
概要:(上)高級官吏の原田に見初められ原田家へ嫁いだお関。身分の違い、夫の暴言      や背信にも耐えていたが…。
   (下)実家からの帰路、乗った車の車夫は幼なじみ。思いがけなく出会った幼な      じみとの思いの行方は悲しい。

父を亡くし母と妹の手間賃便りの貧しい日々の中で、暮らしを立てるために売れる小説を書こうとしている。一家の長女として貧しさと闘う一葉の姿を淡い恋や今も読み継がれる小説の世界。明治が近代化する過程で、庶民を襲う社会の理不尽さを映し出した一葉の小説、その世界を織り交ぜながら劇中音楽とともに綴った評伝劇は面白かった。
熱狂パンク

熱狂パンク

ソラカメ

王子小劇場(東京都)

2017/05/05 (金) ~ 2017/05/09 (火)公演終了

満足度★★★★★

過ぎ去りし数十年前の甘酸っぱくも切なかった高校時代が甦る。やはり少し窮屈な思い出が残り、あの時ああすれば良かったと…この公演はそんな感傷を和らげてくれる様な作品。
公演の魅力は、登場人物の造形がしっかり見て取れ、生き活きと描かれリアルな実態が浮かんでくるところ。笑えるようなシーンが多いにもかかわらず、隣席の女性は泣いており、観客それぞれ(高校時代)の思い出に浸るようであった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、2階部(上手側-生徒会室、下手側-別部屋、もしくは両スペースでお好焼店)、1階部は幕で隠されている。”何か”あることは分かるが、それは観ての楽しみ。
舞台設定は、会話から福岡県の中央高校(実際モデル校にしているかは不明)のようである。何回か表れるモノレールのシーンは北九州のそれをイメージさせる。

高校時代という青春真っ盛り、今何をしたいのか、将来どんなことをしたいのか。理由はハッキリしないが夢と限界、希望と不安という表裏のような揺れるような心。その不確実で不安定な気持が痛いほど伝わる。捉えようのない苛立ちを、学校の管理(体制)という判りやすい”壁”を設けて描く。一方、その管理予備軍のような教育実習生への指導を通して教育現場の厳しさを見せる。そこには子供が大人へ変わる、変わらざるを得ないような姿がリアルに映る。教師といえども人間、その本音(学校という閉じた社会)を実習生歓迎会という飲会の場で吐露させるあたりは上手い。

管理された社会(学校)は、レール上にあり楽のようであり、息苦しさも同居する時間と空間。多くの人はその道と歩んで来ており、また歩もうとしている若者がいる。公演で描かれた人の姿…誰か(生徒同士、生徒と教師など)との関係や思い出を自分のそれと重ねることが出来る。そんな気持が共感を呼び感動するのだと思う。

真面目・優等生、そんな体面を気にするほど窮屈になって行く。自分の居場所はどこにあるのか?そんな問いを抱かせるが、それは高校生活に限ったことではないような…。当日パンフの「叫びたくてたまらない」は、実感のこもったメッセージだ!
そんな中、自分も公演にあるような文化祭実行委員会へ入ってみたいと思わせるような、楽しい雰囲気が心を和ませる。
ところで、高校中退した友永なつき(お姉ちゃん=江田恵サン)はどうなったのでしょう?気になる。

次回公演を楽しみにしております。
Rは決して爪を噛まない

Rは決して爪を噛まない

かーんず企画

千本桜ホール(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★

一昔前は「一家に1台」であった電話機が、携帯電話の登場により「一人に1台」となり、スマートフォンの登場で、更に新たな機能が実装されてきている。同様に、数(十)年先には、大半の人の隣にロボットが寄り添っている光景が…、そんなことを思わせるような公演である。
(前説では上演時間1時間40分、実際はもう少し長い)

ネタバレBOX

舞台は暗幕で囲い、中央にBOX椅子が数個。シーンによってコーヒーを置く棚や絵画が運び込まれる。BOX椅子は白と黒の面があり、人間主導の場面とロボット・通称Rが主導する場面によって、客席に向ける色面が違うようだ。

梗概…発達した人工知能を搭載した人型ロボット・Rは人間に限りなく近づくことを願い、人間らしさ(「振る舞い」、「空気を読む」等)を取り込みたいと専門教育機関で習得の努力をしている。その結果、完全なるパートナーとなるはずが、その関係性に変化が生じる。
AIが自ら学習することで人類の知性を超えてしまうIT界の用語「シンギュラリティ」(技術的特異点)を耳にし、記事で読んだりもする。最近ではAIが囲碁、将棋という勝負世界で話題にもなった。

個々の日常生活に不可欠になったコンピューターは逆に人間の「個」を揺らがせ、その人間でなくてはならない仕事や相手を失わせてしまうという皮肉へ。この公演、人間とRの関係は、従順でありその立場は逆転しない分、かえって永遠に続きそうである。しかしアップグレードと汎用性を持つRは成長し続け、人間がその成長(より人間らしさ)に追いつかなくなる。人間が持つ嫉妬、傲慢、欲望という暗部がなく従順ゆえに始末に悪い。
人間が目指さした合理的・利便性の先にある幸福とは…この公演では怠惰の一途。そこに人が生きていく存在・価値とは…を問うような。

物語としては面白いと思うが、アプローチとしては既成化されているようで、新規さに乏しいのが残念。素舞台に近いが、演技で場景・状況を体現しており物語は分かり易い。時間的経過…老け役もなかなか様になっていた。
そういえば、ロボット・Rは爪を噛まないが、人間の心理的な面から”爪を噛んだ”シーンはあっただろうか?

次回公演を楽しみにしております。
虹彩~IRIS~

虹彩~IRIS~

ICHIGEN

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2017/04/27 (木) ~ 2017/04/30 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台はある無国籍な世界。その世界観は場内に入った途端、早くも物語に引き込まれるような雰囲気がある。地球か異星か、過去か未来か判然としない中で展開する話は寓話のようだ。廃墟のような場所、その閉塞的社会の中で未来を信じ明るく生きようとする主人公、その陰陽が対照的で印象深い。

混沌とした世界は、未来(または異星)から来た2人の行動から始まるようだが…それぞれ自分が信じる道(社会)に身を投じ、その結果、未来の原因となる状況(殺戮・恐怖、打算と貧困)へ影響を及ぼす。一見、循環型の物語は、プロット・スタイル、知性・躍動という公演を面白くさせる要素が備わっており、楽しく観劇した。

SFの古典的要素(現実の生活)を集めたようだが、その表面下に隠れているのは混沌(現在の日本)からの脱出、未来への希望である。見慣れた光景に、現代社会に対する新たな”未来”を吹き込むような。この公演イメージは、映画「ターミネーター」の未来・過去の循環型の構成を連想させる。

ネタバレBOX

舞台美術は廃墟イメージで、衣類または布切れが乱雑に置かれ、不安・不穏な雰囲気を漂わせている。

梗概…孤児院育ちのアヤメとトトは泥棒家業をしながらスラム街で暮らしている。その世界を支配していたのは東・西のギャング団。冒頭、その東の本拠地が襲われ壊滅する。たまたまその場に居合わせたアヤメが殺し屋と間違えられ、賞金稼ぎに狙われる。その状況を孤児院の仲間から知らされる。そして、いつの間にか西のギャング団とも...何とそこにいたのは、孤児院での母親代わりや友人達であった。アヤメはトトと別れて新しく知り合った者達と旅立ちを…。一方、宇宙から来たホシノ、アキラはこの世界から元の世界へ帰りたいと願い、それぞれの行動を起こす。

生きたいという姿を躍動感あるアクションで体現する。物語は決して明るいものではないが、主人公のアヤメ(環みほサン)の愛らしい魅力が、アクションと相まって劇場全体が一つの祝祭的空間に包まれたようだ。

テーマの訴えは、役者が正面を向いて客席に語りかけ、次の瞬間には舞台上の人物と対話する構成も巧み。演技は重厚を表す人物と主人公と孤児院仲間の軽妙という対比した見せ方も工夫している。一辺倒ではない見せ方、そのどちらにも人のキャラクターが立ち上がる。
登場人物が多いが、衣装やメイクで識別でき、さらにはアクション、武器、ダンスというソロシーンを用意し観(魅)せるに力を入れている。

少し設定を理解するのが難しいように思う。例えば、地球における時空もしくは次元が違うのか、地球外の生命体(宇宙から来た)が人間の姿なのか、逆に地球人が別の星へ行ったのか?混沌とした世界観を描くためであろうが…。

次回公演を楽しみにしております。
河童村ブルース

河童村ブルース

ものづくり計画

赤羽会館(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★

チラシには、「過疎化に悩むある村に”美人過ぎる若き女村長”が誕生した!」とあり、その絵柄(写真)は、ヘリコプターが飛びスーツ姿の男女5人。洗練されたビジネスドラマ、またはシャープな刑事ドラマといった雰囲気で、とても過疎化と結びつかない。その美人過ぎる村長には、元宝塚歌劇団雪組男役スター・蓮城まことサン。2016年退団後の初舞台だという。その彼女がチラシの中心、斜め45°に見上げた顔(姿)が凛々しく、劇中での役柄とのギャップに驚かされる。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

会場の赤羽会館は初めて。舞台は高い天井の特長を活かし、三階位のイメージの段差を設け、上下の動きによる躍動感、別場所への移動を視覚的に捉えさせる。真ん中に河童の立像がある。

梗概…過疎化が進み、限界集落と化した東北の村-河童村。そこに若き女が移住してきて歓迎会を催すところから始まる。東京のコンサルティング会社で町おこしを担当していた。偶然の村長選挙の時期、立候補したところ村長に当選した。
この村には色々な事情を抱えた人々がいる。村は何の取り柄もない廃村を待つような、そんな諦念に似た雰囲気が漂う。そこで新村長は村を活性化させようとアイデアを出すが、伝統に拘る村人達が反発し、美人過ぎる村長VS古すぎる村人達は一触即発状態。

過疎化が進んだ村(場所)は、外から隔絶して閉鎖的になり物語にしやすい。村に固有の人間、そこで生きたい人々を温かい眼差しで描く。村で生まれた人間が持つ宿命なのか?一人の人間では解決出来ない、生まれた土地を背負って生きている様子がよく出ている。
狭い特定の社会(例えば苗字が同じ)の中で育った人々と、東京という都会から引っ越してきた若い女性という、旧守VS新進という立場の違いが分かり易い。

村長選挙で、村民12名中7名で当選ということは現実にはあり得ない。その後、年寄りが住んでいるような台詞も出てきて辻褄が合わないところもあるが、そんなことは卑小。

河童村の伝承のような…ホラ河童の話。嘘つきの河童は川で溺れたという言い伝えは、その村に居た実在の人物をモデルにした話だという。そのホラは過疎化への警鐘、人を村に繋ぎとめる方策だと…。その夢の描きは、時を経て実現への一歩を記した。
ラスト、登場人物全員で河童踊り(村の伝統)を披露するが、蓮城サンの振りと切れは素晴らしかった。その彼女も退団後、宝塚イメージを一新するような、まさしくチラシ同様の一歩を記した。

次回公演を楽しみにしております。
僕は僕する

僕は僕する

劇団天動虫

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2017/05/03 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了

満足度★★★★

パフォーマンス公演、と打ち韻文のような(自由)表現の断片を集めたコラージュのようで掴み難いもの。もっとも主宰・帆足知子女史はそんなことは承知しているかのように、当日パンフで「寺山修司さんの言葉に囲まれて、幸せだけど、中々手強く、過酷な闘いの日々でした」と記している。散文のような物語であれば、劇的な構造の意味、テーマを求めがちだが、ここでは寺山ワールド-詩のような台詞を紡いでいく。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

舞台は素舞台で周りは暗幕で囲う。衣装は白基調の浮揚感あるもので、薄暗がりにボゥと浮かび上がる。どの世界という特定・限定させず、言葉と体だけで普遍的な”何か”を伝える。

全体は「台詞」と「動作」の連動を意識した公演。役者は常時舞台におり、言葉(台詞)を言いながら体を動かしている。それは甘い言葉であり、怖い言葉、というように対照的な用い方。また鳥をモチーフに「自由」や「深淵」への解釈を思わせるような比喩もあり、寓意を思わせるものなど言葉の印象付けをする。もっとも寺山修司の原作・言葉であるから手強く、その紡ぎが難しいところ。解釈、理屈云々も大切だが、その世界観を大切にしたいところ。

緊密な舞台空間という表現とは別の演出。動作については、アクションとも違い舞踊の類か?言葉と体の関係を目指した今回のパフォーマンス公演の見所の1つ。言葉と体で表現、どちらが後先という二者択一ではない。無条件に視覚・聴覚を刺激し、その心地良い雰囲気に身を委ねるだけで幸せを感じる。伝える言葉として、卒業時の呼び掛けのような連鎖を用い単調にさせない。動作も走り回転させ、縦・横・斜めという変化、個人技から肩・腕を組んだ集団技まで、観(魅)せる工夫をしている。

最後に、改めて当日パンフの挨拶文…「お芝居のようなお芝居じゃないような舞台です。でもやっぱり芝居なんです。何かが流れています。それを感じていただけたら幸いです。」と、自分は楽しませていただいた。

次回公演を楽しみにしております。
デッド・ビート・ダッド!

デッド・ビート・ダッド!

演劇企画CRANQ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/04/27 (木) ~ 2017/05/01 (月)公演終了

満足度★★★★★

案内するスタッフは喪服のようであり、当日パンフにはお清めの塩がついており、それを剥がすと「ご弔問ありがとうございました」という言葉が添えられている。観客もまた弔問者であり家族のドタバタ騒動をニヤニヤしながら眺めているような気にさせる。
笑って笑って滑稽さを堪能させた後で、しっかり泣かせる感動作…葬式を題材にしたコメディの王道。
(上演時間2時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術が素晴らしい。中央にこの家、矢島陶芸店の居間とその続き部屋の二部屋がメイン。鴨居で高さを表し奥行きも作る。外との仕切りには硝子戸がある。上手側にはテラスまたはベランダ、その横に桜の木。下手側は玄関で、そこには等身大のマジンガーZが置かれている。

タイトルの「デット・ビート・ダット」は、親としての責任を怠る父親が亡くなった という意味のよう。そのオヤジ・矢島蔵之助は、上演前にベランダ越に腰掛けて桜を眺めながら一人酒。本編には登場しないが、残された子供やこの家に出入りする弔問客の会話から、その人柄なりを知ることが出来る。上演前の姿から破天荒振りは想像できないが、薄紫の着物姿が一風変わったイメージを与える。

矢島陶芸店(父は日本陶芸展大賞の桂宮杯を受賜。跡取りの次男が才能がないと嘆く伏線)には3人の子がおり、そこに隠し子が次から次に現れ、いつの間にか遺言書まで残していた。その遺された金額が多額(3億7千万円+α)で、相続を巡るドタバタが繰り広げられる。
父の死を題材にして、集まる人間模様の哀歓を尽くし、なおかつ地方(九州方面の方言か?)という風土を持ち込み、葬式(自宅で通夜)という厳粛な状況を面白可笑しく描く。
観終わった後に、本編中に登場しない死んだ父を通して、今を生きている子(隠し子も含め)の苦悩が浮き上がる。しかし、破天荒、無節操な行為が何故か残された人々のわだかまりを浄化し、再スタートを促すような感動へ。

物語中の人物や設定は誇張しているが、まったくいないとは言えない人間観察をしている。人の悲喜交々、笑いと泣きを共感する武器として観客を巻き込んだあたりは巧み。遺産相続に関わった子(非嫡出子=弁護士が言う法律用語)も含め、6人が仲良く写真に写っている。そんなホッとさせる小道具を下手側にソッと飾るところも心憎い演出である。さらにシ-ンに応じて桜の花びらが舞い落ちる印象付けも情緒溢れる。

次回公演を楽しみにしております。

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