十二人の怒れる男 -Twelve Angry Men-
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2020/01/10 (金) ~ 2020/01/20 (月)公演終了
満足度★★★★★
映画でも有名な物語であるが、演劇と映画を比較することはナンセンスかもしれない。しかし、それぞれの特徴を示す観せ方を感じることができ大変興味深かった。まず演劇はよほどのことがない限り、当初座った客席(場所)から動かない。その意味では定点観劇といえるだろう。一方、映画はカメラ位置、その撮影方法によって色々な観せ方をする。例えばアングル(といっても室内だけだが)、表情のアップなどの切り取りは提供(上映)された印象(映像)に止まる。もちろん観る人の感性によって違いはあるが…。
演劇は、個々人の表情を生(ナマ)で間近で感じる迫力がある。また映画はアップになった時、それ以外の人々の表情や動きが分からないが、演劇(3方客席)は登場人物の全体感を観ることができる。だから台詞のある人物だけではなく、他の人物を注視することも可能だ。視覚という直接的な刺激は、小説などの脳内想像とは別の意味で、観ている人の脳裏に強く印象付ける、そんな観応えある公演だった。
(上演時間1時間55分)2020.1.16追記
ネタバレBOX
原作は室内法廷劇の傑作として有名。多くの劇団で上演されており、その作品をどう観せるかに興味が惹かれる。舞台セットは極めてシンプルで、テーブルを囲み12人の男が座る。
梗概は、暑い夏の午後、1人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。無作為に選ばれた12人の陪審員たちが、有罪か無罪かの重大な評決をする。しかも全員一致の評決でないと判決はくだらない。法廷に提出された証拠や証言は少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。意思表明の結果、有罪11票、無罪1票。それから男たちの討論は次第に白熱したものになっていくが…。
この作品は民主主義そのものを問う。その民主主義は特定の人種・民族に帰属するものではなく、あらゆる人間に対して平等でなければならない。登場する12人の陪審員は、まさにアメリカ社会の縮図。彼らの背景は、それぞれ貧困(民)育ちや移民というマイノリティ層、そのマイノリティに対して人種差別攻撃を繰り返す独善的な人。また、この場においてリーダーシップを発揮しようとしたり、冷徹な論理者、知性豊かな老人、そして事件そのものに無関心な陪審員など個性(?)豊かな登場人物。
アメリカという国の特色を滲ませた作品をどのように伝えるか。民主主義…偏見に満ちた態度はやはり問題を浮き彫りにさせる。そのバイアスを介して人(少年)の生死という究極の判断を迫る緊迫した場面。映画のワンシーンと違い、芝居では室内にいる陪審員の全員を俯瞰できる。その意味で観客は13番目以降の陪審員としてその場に臨んでいるようで観応え十分であった。偏見を介在させることで法廷劇の醍醐味であり真実の見方に挑む。偏見を排除するのは難しいく、偏見は真実を曇らせる…は法廷劇らしい。
激熱した会話の応酬が緊張した雰囲気を作り出す。会話だけではなく立ち座りの動作にそれとなく意味があり、立場の強調が表れている。動作と言葉(台詞)が緊密に連携しているように感じられ上演時間2時間弱がアッという間に過ぎたように思う。それだけ役者の演技、それを演出した舞台。実に濃密で観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
昭和歌謡コメディVol.12
昭和歌謡コメディ事務局
ブディストホール(東京都)
2020/01/10 (金) ~ 2020/01/13 (月)公演終了
満足度★★★★
新たな舞台設定…築地の寿司屋シリーズになるのか?前回は学園ものであった。ソバ屋シリーズが長く続いていたことから、しばらくは試行錯誤といったところか。しかし この寿司屋の物語は自然というか納得の人物設定、ソバ屋シリーズに通じるものがあり、人情劇としては面白い。それと白石まるみサンのキャビンアテンダント姿など、観(魅)せてくれる。
第2部はカマダセイコサンがトップバッターとして大いに盛り上げて楽しませてくれた。歌謡ショーとして懐かしい曲を次々と聞くことが出来て満足。さらに1部同様、ずいぶんと体を張ったシーンもあり、サービス精神旺盛だ。基本的に芝居+歌謡のスタイルは変わらないが、今回の歌謡はじっくり聴かせるといった印象を受けた。
(上演時間1部60分 2部60分 途中休憩15分)【ゲスト:直江喜一】
共演者
2223project
小劇場 楽園(東京都)
2020/01/09 (木) ~ 2020/01/15 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
高校時代の女友達4人…開演まじかの楽屋で丁々発止のバトルトーク。4人の性格がしっかり描かれ、それぞれの立場でものを言う。その激情・激高した姿は、もしかしたら等身大の女優の姿を思わせる。一方、その激しさは声量との関係で、楽園という狭い劇場(舞台)にしては大き過ぎるようにも感じる。できれば激高とその裏返しのような陰湿的なネチネチとした物言いがあったら、もっとメリハリが効き感情表現が豊かになったと思う。
この劇中…劇団ハネムーンは、女性の生き方、幸せ感、恋愛観、また嫌悪、嫉妬など色々な表情を観(魅)せている。役者が「共演者」を意識して演じているとすれば、それを観ている自分は「共感者」として感情を揺さぶられた気分だ。
ちなみにストーカーによる中傷手段は、直接的ではなくという現代社会の特徴、その怖さも垣間見える。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台は楽屋。この劇場の真ん中にある柱を上手く利用し、2方向の客席に向かって女優2人づつを配す。
ものすごい覚せい剤
宇宙論☆講座
JOY JOY THEATRE(東京都)
2019/12/28 (土) ~ 2020/01/01 (水)公演終了
実演鑑賞
【飲酒回】観劇。上演未完了と思われるため☆評価なし。
場内に入ると、赤ワインが振る舞い酒として用意されており、出演者や先に来ていた観客が飲んでいた。既にずいぶんと怪しい雰囲気になっており、上演時間が正確に案内できない状態だ。とりあえず会場の退館時間である21時がリミットだという。18時開演であるから3時間は上演可能であるが、本当に21時まで行った。にも関わらず、嘘かホントか分からないが台本の1/3までしか進まなかったという。さらに機材も故障したとかしないとか真偽のほどは分からないがドタバタは半端ない。これも全て計算ずくであれば戯作者としては大したものだが…。
(とりあえず上演時間3時間)
Touch ~孤独から愛へ
東京演劇集団風
レパートリーシアターKAZE(東京都)
2019/12/24 (火) ~ 2019/12/25 (水)公演終了
満足度★★★★★
クリスマスイヴに素晴らしいプレゼントをいただいた。もちろんこの公演のことである。劇中繰り返し言われる”デッド・エンド・キッド(行き止まりの子ども)という台詞は、2019(令和元)年にも色々なことがあった自分を勇気づけてくれた。物語では、自分の弱さを認めることで、生きていく 力 が湧いてくるといった印象を受けた。その3人芝居は、ウイットに富み、時折ユーモアを交えた台詞は心のひだに分け入ってくるようだ。
そして1,000ステージの上演を重ねている劇団の代表作らしく、劇場に堆積した”生きる勇気と励まし”といった劇団員の思いがしっかり伝わる秀作。
(上演時間2時間 途中休憩15分)
ネタバレBOX
劇場に入った途端、そこにはアメリカ合衆国・ペンシルバニア州フィラデルフィアのダウンタウンにあるアパートが出現する。後日追記
埋める日
スポンジ
OFF OFFシアター(東京都)
2019/12/19 (木) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★
葬儀を通して しっとり と 時に激しくぶつかり合う3姉妹の物語。葬儀という非日常に日常の生活が見え隠れし、その間にある感情や思い出を埋めていくような珠玉作。
特に舞台セットの緻密さと3姉妹を演じた女優陣が良かった。リアルに研ぎ澄まされた台詞が呟かれたと思えば緩い笑いを挿入する、その硬軟織り交ぜた紡ぎ方は作・演出の中村匡克氏の手腕。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
葬儀当日という設定であり、劇場に入ると読経音が聞こえ、前説は会葬者への挨拶風に行うという念の入れようだ。当日パンフによれば、千葉県松戸市にある常盤平団地が舞台で、ここに3姉妹の母親が住んでいたようだ。セットは上手側に応接セット、TV、ドレッサー等がある。中央はダイニングキッチンで、奥に台所、給湯器、冷蔵庫、客席側にダイニングテーブル、椅子が置かれている。下手側はベランダに出る窓や食器棚がある。奥の壁は暗幕で、そこに鮮やかな赤いカーネーションが飾られ、一方、柱やテーブルなど至るところに枯れ蔦のようなものが巻き付く。その外観は独居老人の楽しみと悲しみが同居しているようだ。
物語は葬儀場からこの部屋に帰ってきたところから始まる。3姉妹のはずが、長女と二女だけで三女の姿がない。実は団地自治会から頂いた香典を拝借して北海道まで喪服を買いに出かけ、そのままクラブで踊り続けたという。何故か関係ないお供の男2人がついてきた。一方、長女は喪主であるにも関わらず、この時も仕事が頭から離れない。そして唯一結婚して母親の介護を続けたのが二女である。一見 常識/真面目人間のように描いているが、実はストレスから不倫していたことが発覚。この3者3様の暮らしぶりは日常のこと。そして葬儀という非日常(生業としている人は別)の場面において、色々なものを”埋める”作業を行っているようだ。
例えば、介護で鬱積した感情を露にする二女、自由奔放に生きるが何となく空虚な三女、結婚に興味無いと嘯(うそぶ)く長女など、充たされない思いを3人の会話で埋めているようだ。また母を偲ぶことで久しぶりに思い出に浸る_空白の時を埋める弾むような会話。母の知られざる趣味-デザイン絵を描くこと、カーネーションが好きだったこと等が、脇役の人々との弔問、交流を通して知ったり思い出したりする。3姉妹を巡り、葬儀社の社員、ヤク中毒男、横領男、二女の不倫相手の妻、姉妹の叔父さんなど個性豊かな人々が脇を固める。
団地という設定は、少子高齢化の象徴のようにも思える。マスコミでも取り上げられるが、独居老人の孤独死。そして少子は団地近くの小学校が廃校になり取り壊されること。その工事/騒音によって状況が連想できる。
団地の部屋という限定空間で、非日常と日常が互いに上手く溶け込む。丁寧に作り込んだ舞台セットは視覚的な仕掛けとして見事なまでにリアルな感覚を持たせる。それが物語の展開とマッチしているが、ラストは観客に日常に戻ったという印象(衣装も喪服から普段着へ)を持たせたかったのだろうか? 葬儀から1カ月以上、何となく物語を手放したという唐突感がぬぐえないのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
lost memory(東京)
劇団1mg
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
まず受付で、次に場内案内の女性に驚いた。他の劇団で活躍していた双子女優(改名して)がそれぞれ居たからだ。さらにダンス振付 衣装 担当の植田ぴょん吉サンがグッツ販売と経験豊富な方が前面に立ち、前説に物語の中核(妖怪)を担う若手女優を起用している。そのベテラン・新人といった組み合わせは、深みとスピード感ある展開を観(魅)せてくれた。
少し気になったのは、導入部の曖昧さというか物語の世界観がどこを示し描いているのか判然としなかったところ。物語は記憶なのか創作の世界なのか? 描き方は時空間移動かパラレルワールドで、観せ方は劇団の謳い文句でいえば「モノノケ×ファンタジー」といったところである。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは妖怪がいる山奥の屋敷、和室欄間と襖、沓脱石の上に廊下が見え、さらに屋敷の屋根を思わせる場所を設える。上手・下手側の葦簀(よしず)に蔦が絡まり風情漂う。物語の情景や雰囲気は上手く演出できていると思う。
物語は現代、絵本作家の雪野そら と鬼童丸が出会うところから始まる。絵本創作のため自分の記憶深くを探訪するようになり、説明にある廃村とされたアル村、女衒の職が罷り通るアル時代へ時空間を移動するようだが、そこには鬼童丸を始め妖怪たちがいた。その妖怪を憎む館の女主人・八重による妖怪狩りが始まり、物語は蠢き出してくる。
劇団の魅せ場なのか、全員(人物・妖怪)によるダンスが披露されるが、少し舞台が狭く窮屈な感じがした。とは言え、キレのあるダンスは衣装映えも相まって公演の顔見世(物)としては好印象だ。
八重が妖怪を憎む理由は、幼い頃 疫病が流行りその混乱に乗じて妖怪が父や多くの家族を殺した恨みを晴らすため...本来、妖怪は解明できない凶事と畏怖され、それを治すことは妖怪を祀ることに繋がり凶事をもたらせない鎮魂を意味する。しかし、実は祀ることをせず、逆に人間の欲望が祀り捨てを行ったという深い悲しみが観える。妖怪⇒疫病として観ると面白いかも。この主題部を経験ある役者が担い、若手には妖かしとして狐・狸・鼬に特殊能力を付け、妖怪の仲間に見立てる。その演技がパワーとスピードという若さ弾けるもの。経験と若さのバランス演技が情緒と清々しさを表現し見事だ。
舞台技術は和楽器である三味線で臨場感を、回転するような照明は妖しい雰囲気を漂わせ物語の外観を支えている。ただし、先に記した導入部は、雪野そらが絵本創作のアイデアを得るためなのか、または鬼童丸が言う祖先が妖怪という記憶を探る物語なのか、自分にとってその世界観が判然としないのが残念なところ。また劇中、本当に必要な人物なのか、育成も兼ねた出演か疑問も残る。
最後に受付と場内案内にいた双子女優とは、八重(咲楽あさみサン)と多摩(吉見碧サン)で劇中でも姉妹という設定にする妙は面白い。
次回公演も楽しみにしております。
監獄談
@emotion
ワーサルシアター(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★
物語は分かり易いが、変わった住人が住んでいるプリズンマンションという場所を設定しているのに印象が弱い。監獄談ならぬ観極淡といったイメージで残念だ。
何となく先読みできる展開は、ある意味 予定調和のようだ。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、キャスター付の衝立2枚をシーンに応じて左右・前後や回転させたりと自在に動かし状況を作る。また住人の各部屋をイメージさせる扉ボードを役者が持つ程度で、ほぼ素舞台に近い。壁は白く、所々に継ぎ接ぎのような板があり、いわくありげな雰囲気を作ろうとしているが…。
物語は主人公・常盤加奈が大学卒業後も就職活動を行っている場面から始まる。何度面接を受けても採用されない戸惑や不安といった感情、その冒頭シーンは深みある物語を予感させるが…。その彼女が踏切前に佇んでいることから自殺を考えていると誤解され、就職という名目で或る館の管理人を依頼される。そこに住んでいるのは前科者ばかりで、管理人としてどう仕事を行うかということに興味を持たせるが、そこもあっさりと スルーしパッとしない。逆に住人達-ヤクザの大友、殺し屋Léon(映画のタイトルのよう)、薬の売人 船越、詐欺師の姉妹弟、色魔ストーカーの めーたん、おじさん の各キャラが色濃く描かれ、これまた定番と思われるような立退き騒動へ。
先にも記したが、物語は分かり易く描いており、一見 丁寧のように思えるが何となく物足りない。意外性もなく怪しい人々が住んでいるのに不穏・不快・不信といった設定を描き切れていない。そして、あっさり住人達と親しくなり管理人として治まっている。立ち退きを迫る安藤に対して、一癖二癖もある住民をまとめ上げ奮闘する過程を通じて、これ迄の自分の至らない点(性格)を知ることになる。自分は目の前の困難を避け、見て見ぬふりをする。また何でも人に聞き、頼ってばかりという意思薄弱という欠点を自覚する。ここに冒頭の会社面接の場面(不採用)の理由と劇的な意味付けがあるようだ。
この劇団は、以前に「Mad Journey」の公演を観ているが、その時はアクションを含め滋味ある物語を紡いでいたが、本作はそれに比べて印象が薄い。必ずしも派手なアクションを望んでいる訳ではないが、物語としての深み、意外性といった観せる面白さが感じられなく凡庸といった印象に思えたのが残念だ。
次回公演を楽しみにしております。
正しい水の飲み方【全日程、終演いたしました。ご来場、誠にありがとうございました!】
劇団えのぐ
萬劇場(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団えのぐ×演劇集団TOY’s BOX ×演劇商店若櫻の3団体コラボ公演は出演者が25名と多く、人物描写や関係性、物語の展開が分かり難いようにも思えたが、伝えたいことは理解できた。タイトル「正しい水の飲み方」は、そこにいる人々の思いを暗喩しており、それぞれの心情を吐露する場面は迫力があり観応えがあった。
(上演時間2時間)2019.12.21追記
ネタバレBOX
舞台となるのは、「我田」という街。真ん中に背もたれの高い椅子2脚、四方にいくつかの椅子が倒れている。下手側奥には机のようなものが置かれている。中央の床には横断歩道線。物語が始まると洗濯物であろうか運動会時の万国旗のように吊るされる。その風景は荒廃・退廃といった印象でダウンタウンを思わせる。物語はこの街に住んでいる住人の ある思いであり、その解消手段"水”の効用?である。
人には思い出すのも辛く悲しい記憶がある。それを忘れることが出来る”水”がある。正確には何らかの物質が入っており、嫌な記憶を忘れさせてくれる。何となく麻薬のような危険な香りもするが、それには中毒性がないと言う。例えばアルコール依存やニコチン中毒といった、普通の生活においても何かに依存している症状と同じだと言う。その”水”に依存している人が集まる街で、巻き起こる切ない物語である。悲しい思い出は現実にあった交通事故を想起させる。この事故の記憶に蓋をしていること、そしてフラッシュバックしてしまうこと、そのリフレインシーンは笑いと悲しみが同居していることを感じさせる見事な描き方。
現実逃避、諦めること忘れることを鎧代わりにし、楽しい思い出だけの人生。そんな街-世界から戻ってくることが出来るのか?人の”思い”とはを鋭く問いかける。忘れること、それはその人の存在まで否定しているようで悲しい。しかし描き方は、とても生きづらい世の中、そこに潜む記憶・思い出の中にこそ必要とされるそこはかとないユーモアを漂わせる。底流にある哀惜を心温まる、そして優しさに包んだような松下演出は好きである。
気になったのは映画撮影のシーンである。我田にいた義兄弟、水のせいで記憶が曖昧になっていたが、効用切れで邂逅出来たようだ。我田にいた時の回想・記録映画として俯瞰した位置にあったのだろうか。劇中に挿入されるシーンが分かったような解り難さが気になった。もう少しすっきりできるのではないか?敢えて言えば、大所帯のための出番で、本当に必要な構成・場面であったのだろうかという疑問である。
次回公演も楽しみにしております。
Butterflies in my stomach
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2019/12/08 (日) ~ 2019/12/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
或る女性・ななこ の7歳から77歳までの10年間隔の物語。7人の女優、7脚の椅子という”7”拘りの公演は、上演時間も77分間の人生(あゆみ)。公演は抒情的な観せ方で印象付けが実に巧い。
理屈を言えば、7は数学的には素数であり 自分自身のみ...つまり人の一生はその人自身のものでしかないことを意味する。”7”拘りと関係があるかどうかは分からないけど。
さて、物語は面白いが、卑小と思いつつも気になることが…。
ネタバレBOX
舞台セットは、大きな 縄のれん のような後景、そして椅子7脚。上演前は横一列に並べてあったが、物語が始まると適宜動かし、その配置によって情景を紡ぎ出す。演者は女優7人で、それぞれの年代を演じ分けながら、その時々に登場する他の人物も演じる。7歳から67歳までの10年間隔を、その年代にあった出来事などをトピックとし、77歳で鬼籍という或る女性の一生を描く。
物語は7歳-母親の印象と思い(チラシにある一文)、17歳-恋愛経験と衝撃的な結末、27歳-結婚と妊娠、37歳--小学生の娘との関わり(学芸会)、47歳-実父の看取り、57歳-定年を迎えた夫との関わり、67歳-痴呆の進行といった平凡だが、それだけにリアルに迫ってくるものがある。冒頭は朗読劇のように7人が文庫本?を持ち、さながら回想日記を読んでいるような気にさせる。物語は年代を順々に紡ぐが、場面に応じて椅子に座ったり、その上に立ち上がったり、または周りを回るような動作で、静止した場面は少ない。そこには人生の歩み、立ち止まっている姿(暇)はないといったメッセージのようだ。動的な中に、時々”しゅわわゎ”という炭酸飲料の蓋を開ける時に生じる音のような、それを擬声音で聞かせる。それが浮遊感をイメージさせ、実体がないだけに不安であるが 同時に安らぎも感じさせる不思議な効果をもたらす。この擬声音は他にも波音やカモメの鳴き声など、実に見事に聞かせる。
公演が抒情的に思えるのは、もちろん物語が10年間隔で描かれ、緊密な連続性がないことから詩的な印象を持つこと。そして照明・音響(音楽)といった舞台技術がしっかり計算され、繊細で情緒的な観せ方をするところ。例えば、照明により後景の 縄のれんに人影を映し出すが、微かに揺れている縄筋が人影を妖しくし、77歳の臨終(記憶の錯綜もあり)は、オーソドックスではあるがランタンの炎(命)を消すという行為。音楽は時々の情景に合った選曲をしており硬軟使い分けも良かった。
公演全体としては、脚本・演出・舞台技術はもちろん、女優7人の息の合った演技(ムーヴメントも含め)は観応え十分だ。或る女性の一生であるから、共通した女をイメージさせなければならないが、そこは衣装で工夫をしている。全員が色違いであるがロングフレアースカート、上着は多少形状は違うが白色系ブラウスで統一という細かさ。
最後に気になったのは、57歳のトピックである。夫が定年退職になり家に居ることが多くなり息苦しいような描き。確かに週刊誌やTV番組の話題になることもあるが、他の年代に比べインパクトが弱いような気がする。例えば、女性の身体の変化など、同性には理解でき共感を得、男性には理解し難いことを描き関心を惹くこともできるのでは...。
自分が観た回にアフタートークがあったが、その時に吉田小夏女史が、67歳は実年齢より老けたイメージにしていると語っていた。今の時代は65歳まで就労する人が増え、更には70歳定年延長という論議まで出ている。その意味で時代感覚に合わないような…。
次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾伍 『赤心〜せきしん〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/16 (月)公演終了
満足度★★★★★
武田義信が父 信玄に最初で最後にねだった事...そのシーンが冒頭とラストの悲哀場面として回帰する。この公演は近作の源平合戦や前作の関ケ原の戦いのように明確に敵方がいるわけではなく、戦国時代、武田家という武門の宿命を描いた物語。描き方は、乱世の時代とは思えないほどの情感に溢れ、観ている人の感情を激しく揺さぶる。
この劇が素晴らしいがゆえに困ったことがあった。それは両隣にいた女性観客が感極まって中盤以降ハンカチが手放せないほど泣き続け、自分の感情移入より先々に行ってしまう。繊細な感情表現、場面こそ少ないが殺陣、その観(魅)せる物語は感涙も頷ける。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは時代絵巻 AsHの定番、正面に少し高さを設け襖障子と廊下、客席との間は中庭のような空間を作り殺陣シーンのためのスペースを確保する。下手側には土庭があり、チラシ絵柄にある白ユリを終演後、暗転から明転(挨拶)するまでの間に咲かせる細やかさ。この白ユリは父 信玄と子 義信の情を繋ぐ象徴のようなもの。
物語は義信誕生から自害までを時代の出来事(合戦など)を通じて順々と展開する。史実のような事実は描かれるが、必ずしも事実が真実とは限らない。その曖昧さにフィクションを持ち込み戦国時代ならではの権謀術数が怪しく描かれる。直接的な合戦シーンは1回(川中島合戦)、時代劇としての殺陣シーンが2回(武田家内の実戦訓練と先の川中島合戦)というのは物足りない。
一方、織田方の3人(徳川、明智、羽柴)の天下統一に関する各自の思惑を通して、(戦国)時代の情勢などを分かり易く説明している。武田家と織田家中の場面を切り分けながら展開することによって、義信という人物よりも「武田家」という”家制度”のようなものが観えてくる。それはたとえ嫡嗣であっても武田家存続のためには犠牲になるという、今でいう不条理が垣間見える。
史実では義信が謀反を企てとあるが、劇では織田家中の場面を通して武田家内紛を画策し、聡明な義信がそれを察し、自ら謀反者になるという設定。展開もスムーズで、山本勘助自害→真田家台頭→「草」登場。身分賤しき「草」と呼ばれる者を使って謀反を流布したのも本人である。「草」のこの任の重要性を見通した慧眼、それゆえ「忍び」の者という呼称、この先の世でいかに重要になるか、その任務のやり甲斐を持たせる心くばりも心情豊かに描く。また父 信玄も義信の心中は察しているが、武田家の当主として苦渋の中にいる。全体的に戦国という乱世にも関わらず、心情ある描き方をしている。
公演は、義信という不運の武将を情感豊かに描きつつも、全体としては戦国という時代絵巻を観せているような印象を持った。ここに史実とは異なる物語性を起こし、さらに主人公が自ら犠牲になることで観客の同情、義憤を掴むという、劇的には巧みな描き方をしている。先に記した殺陣シーンの物足りなさは、時代のうねり、義信の人間的魅力という社会・個人の両面をバランス良く描くことによって余りあるものにしている。
次回公演も楽しみにしております。
「熱海殺人事件」「以蔵のいちばん長い日」
★☆北区AKT STAGE
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2019/12/10 (火) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
【以蔵のいちばん長い日】観劇
タイトルから察せられるが、幕末に”人斬り以蔵”と恐れられた「岡田以蔵」を通してみた”武士(社会)とは” を問うような物語。もちろん実際の岡田以蔵の人物史とは違い、奇想天外・荒唐無稽な描き方をすることで人物だけではなく時代といったプラスの魅力も引き出そうと…。
本公演は、「熱海殺人事件」「以蔵のいちばん長い日」の2本立であり、「熱海殺人事件」は何度も観劇しているが、「以蔵のいちばん長い日」は今回が初めて。表層的な迫力...照明・音響といった舞台技術や役者の熱演は良かったが、「熱海殺人事件」に感じるような鋭いメッセージ性が弱く、”武士の存在とは”といった階級社会への批判というか皮肉を描きたかったのか(自分の感性の乏しさ)? その表出が十分できていないことが残念だ。2公演並べていることから、単なる(娯楽)時代劇を観せるだけではなく、何らかの訴えを描いていると思うが、考え過ぎであろうか。
とは言え、中核をなす岡田以蔵の魅力ある人物像はしっかり立ち上がっており、こちらは観応えがあった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは下手側奥に掛け茶屋の縁台だけの素舞台。広くスペースを空けているのは殺陣などのアクションを行うため。
物語は以蔵の史実を追うのではなく、彼の人間性と時代に翻弄された宿命のような描き方。もちろん人斬り以蔵の通り殺人を繰り返すが、その立場は新選組局長・近藤勇と親しくなり、将軍・慶喜の護衛になるなど知られる事実と真逆である。
一滴のしずく
アンティークス
「劇」小劇場(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
タイトル「一滴のしずく」には続き文がある。それこそが公演の底流にある生きることの素晴らしさ、人間讃歌を思わせる含蓄ある言葉。
少しネタバレするが、物語は民宿 田村の家族やそこに集う人々の坦々とした日常、時として大きな出来事が起きたりするが、それらも含め人生の営みを優しく見つめたヒューマンドラマ。台詞等から海や樹海が近くにあり、にもかかわらず山奥といった静寂も感じられる。そんな環境にある癒しの民宿に自分も行ってみたくなる。
ちなみに劇中に流れる音楽、そして実際 役者が奏でるのは、有名なクラッシックのピアノ曲。その構成(長調)を物語の構成(展開)として擬えているようで、実に繊細な作品に仕上げている。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは民宿内...柱で3分割に区切り上手側奥に障子の引違い戸、真ん中がメインになる民宿の集い空間のような場所、下手側は玄関に通じるスペース。上手側スペースや柱の上に枯れ葉。木の温もりは人の心を豊かに育むような温かさに通じる、まさにこの公演のイメージ通りの造作である。物語は2つの家族を描き分けるため、柱の日めくりカレンダーか柱時計の違いで表現する。後日追記
終わらない世界
ジェットラグ
博品館劇場(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
タイトル「終わらない世界」は継続または再出発を思わせるようであり、この公演で描かれる 或る女優の栄光と挫折、そして復活・再生を思わせる。演劇に携わる人々の情熱がしっかり伝わる群像劇。
物語の展開は分かり易い工夫、説明にもある小惑星の衝突を回避した人類は救われた...が、地球滅亡の日に人々は何を思い、どう行動するか。その究極の選択を演劇と関連付け、最後まで飽きさせることなく、というか実に心地良く観(魅)せる秀作。
(上演時間2時間)後日追記
ネタバレBOX
劇中劇仕立てで、固定の舞台セットと劇中劇の場面転換という演出の中で小道具等の出し入れをする。公演は、劇中劇の展開という設定であるから暗転が少なく、集中力が逸らせられないのが好い。以降追記
汚れた世界
無頼組合
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/09 (月)公演終了
満足度★★★★
時代がフィクションに追いついたどころか、追い越して嫌な世の中になっている。そんな現代性を秘めた公演、といっても本公演は7年前(東日本大震災時)の再演である。7年経って平穏どころかますます混迷した世の中になってきた。そうした「世の中」を「汚れた世界」として揶揄している。いや事実は小説(芝居)より奇なり、現実に起こっている事の方が遥かに酷いかもしれない。
物語の描き方は映画のシーンを擬ったりし、さながらアクション&ロードムービーといった展開である。全体的にはポリティカル・ドキュメンタリー的な作りで、表現としては在り来たりだが、現代社会の悪政を曝し世の中に警笛を鳴らすような公演...観応えがあった。
(上演時間2時間5分)後日追記
13人の怒れるオカマ
喜劇団R・プロジェクト
遊空間がざびぃ(東京都)
2019/12/05 (木) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★
「十二人の怒れる男」とは全く関係ない、とは前説での口上。終演後のアンケートに多く記載されているらしく、自分も関連を持たせた公演かと期待したが…。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台、あるのは上手側にベンチがあり、倉橋勝氏が顔を隠すようにして座っているだけ。残りの12人がオカマとしての自己主張をしているだけ?物語としての展開があったのか疑問である。散らばり過ぎて回収が出来ていないといったところ。何となく分かったのはオカマが愛しているのは「中森明菜」と「美輪明宏」、何故この2人を敬っているのか(中森明菜は女心の表現、美輪明宏は長年の女装したご意見番だから)?
我さきに歌いたがる…オカマの世界なのか分からないが、そこに観(魅)せる工夫も感じられなく 稚拙・おふざけといった印象である。全編 中森明菜の歌であるが声量との関わりでオカマの方が歌い易いためか?
終演後、役者に向かって「面白かった」と声を掛けている観客もいたが、自分にはその面白さが、もっと言えば何を描き何を観てほしかったのか解らなく残念。
カケチガイ
Offbeat Studio
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★
1部上場企業の社長と取引先の平社員が、ある劇的な奇跡で人格が入れ替わり、観える世界観が一変し自らの人生の軌跡を振り返り思う悲喜交々。自分だけの人生が他人に俯瞰されるといった奇知を面白可笑しく描く。
立場や貧富といった違いは明らかだが、2人の男の悩みというか悲哀が共通しているような…。出来ればそこに工夫があれば、なお良かった。
(上演時間1時間45分)2019.12.5追記
ネタバレBOX
舞台セットは四角・三角の昔ながらの色彩ある積み木を歪に組み合わせたような造作。客席は三方にあり、それぞれの角度から観たら違った印象になるのだろうか。立場・貧富差のある男2人の家庭を対極に配置し、真ん中に公園・広場といった憩いの場所を演出する。この場所こそ、それぞれの夫婦の在り方の確認や悩みを吐露する重要な位置を占める。
2組の夫婦には子供がいない。正確には平社員には女の子が生まれたが、何らかの事情で亡くなり、それ以降、妻の喪失感を心埋めできない自分の不甲斐なさ。子は鎹(かすがい)というが、どちらの夫婦にも共通した悩みを負わせたことで物語に広がりがなくなったのが残念。単純交換的な入れ替わりではなく、出来ればどちらかの夫婦に子供がおり、子供がいる生活は煩わしく大変だが楽しいこと。居ないことの気楽であるが味気無いといった異なった環境下における家族(妻や子供)との関わりを描くことで、更に深みある人間(自分)観察ができたと思う。居ることが当たり前といった気軽さ、それを失った時に初めて思い知らされる悲しみ、他人の人生を拝借したが故に気づく本音の人生譚。
シチュエーションは小説や映画でもあり珍しくないが、身近で観る役者の演技...男2人の人格入れ違いによる傲慢、気弱といった豹変する演技が面白い。それぞれが歩んできた人生、その視点が変わることによって生活スタイルはもちろん、考え方や行動にも違いが表れる。経済的な違いはあっても子供の存在は共通した苦悩として描かれる。それぞれの妻の懊悩はそこに尽きるようだ。だから人形を我が子に見立てた奇行、海外旅行へ逃避するような行動の説明に繋がる。男2人の人格交換に止まらず妻との関わりや更にはスナック愛人の妊娠によって新たな人生が…その展開が妙あるものへ。
先に記した舞台美術は既存の形の観方を少し変え、物語における視点の転換を連想させ、積み木のようにいつ崩れ壊れるといった不安定さは夫婦・家族関係をイメージさせる。一見奇抜と思える舞台美術も観る位置(客席)への興味づけ、同時に物語の概観を暗示するようで実に巧みな造作である。また背景に流れるポップな音楽が軽妙で実に心地良い。
次回公演を楽しみにしております。
尻を見てしまう
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
上野ストアハウス(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/10 (火)公演終了
満足度★★★★★
3話オムニバス...小劇にして衝撃的な笑劇。公演はこんなつまらないダジャレではなく、どの作品も観客の気を逸らさず楽しませてくれる、その一言に尽きる。まずタイトルが「尻を見てしまう」「背徳令嬢肉奴隷」と過(刺)激的、そして「テオリ」、このタイトルだけがイメージ出来なかったが、観劇してなるほどと納得。表層的には疲れた神経を休めるにはうって付けの娯楽劇である。同時に、その底流には少しの不安・迷いと微かな希望が観えてくる、そんな人の機微に触れる珠玉作。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、それぞれの物語を形作る最小限の小道具。その理由は、オムニバスの話と話しの間の暗転(時間)によって観客の集中力を失わないよう短時間で行う配慮。
第1話「尻を見てしまう」
第2話「背徳令嬢肉奴隷」
第3話「テオリ」
物語はオムニバスで小説で言えば短編小説にあたる。短い話の中に込められた思いを過不足なく描く力量が必要。前作が連作とすれば、今回はそれぞれに関連性は見い出し難く、作品ごとの面白さが凝縮されている。
フィクション
JACROW
駅前劇場(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
2023年の日本。東京2020オリンピック・パラリンピックの賑わいから3年が経ち、経済は失速し閉塞感に覆われた状況を3組の家族の観点を通して描いた物語。構成はオムニバスのように観えるが、底流にあるのはオリンピックという祭に躍った国家・社会的な疲弊感と、家族という個々人の生活を通じて描かれる空虚な思いが重層的に立ち上がってくる力作。
(上演時間2時間)2019.12.5追記
ネタバレBOX
舞台セットは、下手側奥へ変形した空間を作り、最奥は石壁で行き止まり、その前に切出し石が積まれている。また舞台斜め奥に向かって等間隔に焼け柱が立っている。全体的に衰退感が漂う。セットは経済状況の行き詰まり、人心の空しさを表しているようだ。その意味でセットは作り込まず、隙間という空間が物語の概観を示す。
3組の家族(親子、兄弟姉妹、夫婦という関係)は東京・蒲田、北海道・札幌、千葉県・木更津といった場所、仕事も職人、料理人、コンビニと区々である。場所や職種に関わりなく、日本全体の状況を示す。経営事情が逼迫すると弱き者へシワ寄せが…まず外国人労働者、悪評者などが解雇対象にあがる。この公演はオリンピック後の日本経済の衰退を身近な庶民を通じて描いているところが秀逸。実生活を通じて痛感する、その痛みが切実に伝わるからである。もちろん大局的観点から描くこともできるが、その場合はこのオムニバス構成には馴染まない(分断した大局観になるため)。
当日パンフに記載された脚本・演出の中村ノブアキ氏のご挨拶には、「取材を元に構成した3話オムニバス形式のノンフィクション」とある。3編には「続ける」「越える」「認める」という副題があり、何となくそういうことなのかと認識できる。3編は独立し、入れ子のように上演されるが、最後には緩く繋がってくる。バラバラのように描くが、どこかで繋がっているのは個々人の生活は誰かとの関係で成り立っている。もっと言えば人(家族)は1人で生きている訳ではない。
さて、「認める」(木更津が舞台)編では2023年から観た2019年の台風19号を連想した。暴風雨による事故のためコンビニ店社長の父と妻が亡くなる、その回想シーンのようでもある。オリンピック後の閉塞と併せて、どうしょうもない苛立ちと空しさを感じる。鳥の俯瞰した目の描きよりも地を這いずり回る虫の目から描いた力強さ。その時代は今より更に不寛容になっているかもしれないが、3編に共通して子供を登場させることで微かな希望が…。妻が自分以外の男と関係し妊娠した、再婚相手の娘が先妻にだんだん似てきた、不良だった男の子を身ごもり、とそれぞれ事情は異なるが産み、育てる決心をしている。そこに”経済”といった不測に対する人の寛容で...実に観応えがある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
Dear...私様
グワィニャオン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
千穐楽観劇。
人の死は、その人の記憶が無くなった時に本当の意味での”死”である と聞いたことがある。そして、何故かこの公演は”デゾンデートル”という言葉を思い出す。
物語は、昭和という時代背景、東京都八王子市という都心とは少し違う街、そこで暮らす1人の男の記憶というか心の彷徨、そして邂逅劇といったもの。
再々演ということだが、初演は観逃したが再演は観ることができた。その再演で「グリーンフェスタ2014 BIGTREETHEATER賞」を受賞しており、まさに劇団の代表作である。改めて40回記念公演として観たが、昭和(設定)から令和へと時代は変わったが、良い作品は時代を超えてもやはり素晴らしい。公演スケジュールを見ると、全公演回とも完売で、自分が観た千穐楽は増席するほどの盛況ぶりだ。
そんな素晴らしい公演であるが、1つ気になったことが…。
(上演時間2時間5分)後日追記
ネタバレBOX
主人公 並木秀生(少年・青年・中年期を3人の役者で演じ分け)の実両親は、彼を残して自殺した。その原因は借金苦のようであるが、その取り立てを行っていたのが育ての親ではなかったんだろうな、という疑問である。実親の死と元ヤクザの育ての親との間に因果関係があると物語の根幹に関わるような気がするため。終演後、主宰で脚本・演出、そして伸郎おじさん役で出演した西村太佑氏と話をした時、聞こうかと思ったが躊躇してしまった。たぶん、そんなことはないという否定の言葉が返ってきただろう。物語の背景は昭和50年代、その頃は暴利のサラ金(闇金融)による被害が多発し、借金取立てには暴力団関係者が多くいたと聞く。昭和53(1978)年に全国サラ金問題対策協議会が発足するなど大きな社会問題になっていた。因みに舞台セットに電柱があり、そこに庶民金融 山上商事の看板を貼り付けるなど細かいところまで観せる。