タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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スリル14/スリル7

スリル14/スリル7

ショーGEKI

ワーサルシアター(東京都)

2019/11/19 (火) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

妄想して自縄自縛したような姿が滑稽な公演。物語は「『この物語はジャスト90分で終わる。』...リアルタイムサスペンスコメディ!」という謳い文句であるから、途中で何回か時間経過に関するシーンがあるが、ラストまで大事が起きないと分かっているからドキドキハラハラという緊張感が持てなかったのが残念。
(上演時間1時間30分)【スリル14】

ネタバレBOX

前説から上演時間90分を強調。英会話教室の教師(中国籍)に呼び出された男女14人の生徒が密室(14階)で繰り広げるドタバタコメディ。その観せ方の印象は、”レッツ・笑・タイム!”といったところ。セットは舞台中央に時計、そこから線が延びて上部に水槽に入った液体が…。その外観から爆発物を連想して右往左往し出す。現在10時30分、そして12時の所に何やら印が付いている。

観客という第三者的立場で観たらリアリティはない。しかし演劇的な理屈を並べても味気ない。むしろ心理的に密室に閉じ込められた男女の会話、その暴露もしくは独白を通じてその人の精神状態や人間性の面白さに着目。誰もが自分は特別な存在、認められたいという自己承認の願望がある。自己主張は生きていく上では必要で、自分を知ってもらうことや人付き合いにも必要だ。しかし自分を前面に出し過ぎると鬱陶しがられる。自分の都合しか考えず、相手の領域に無神経に入っていく。そんな14人のあらわな人間性、同時に爆弾かもしれないという不安・恐怖を背景に、自己アピールや他者詮索をしながら笑劇的に展開する。そのうち、特に女性(50歳代含め全員独身)は、この部屋の主(英語教師)から親しげに声を掛けられた、または食事に誘われた、そして...その自慢や羨望、嫉妬という感情があらわになり口撃し合う悲喜劇。

爆弾の不安を取り除くために赤または青の動線を切断する、その選択と決断するまでを、この部屋にいる人々の面白言動と行動で笑わせ観せる。しかし、爆弾という緊張ネタは90分間は何ら影響しないと事前に分かっているから、スリルというタイトルにそぐわない。例えば11時や11時30分という時間経過時も舞台上(当事者)は緊張したシーンを観せるが、観客としては同化できない。何となく観客が置いてきぼりになったような気分である。出来れば、必然的に集められたはずの個性的な人々の妄想(諜報活動、秘密保持のための集団暗殺?)を面白可笑しくするためには、時限的条件を明かさないほうが…そんなあり得ない特別な夜を描いてほしかった。
次回公演を楽しみにしております。
負けてたまるか!

負けてたまるか!

アイビス山村組

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/11/15 (金) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

街の便利屋を舞台に青春期の苦い思い出、老年期の不安な思いを描いた2本立て公演を観ているようだ。消せない「過去」と描けない「未来」...その傷ついた心を奮い立たせるヒューマンドラマは熱い。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台はある街にある便利屋「かけつけ隊」。引っ切り無しにかかってくる依頼の電話は、高齢者の話し相手からペットの散歩など日常の様々なこと。セットはその便利屋の事務所兼住宅といったところ。上手側に和室、中央奥に窓、手前の客席側に応接セット、下手側に事務を行う横長テーブルや電話がある。

物語は、色々なエピソードを盛り込み、伝えたいテーマが暈けて弱くなったように思え少し残念。42年前の高校時代の同級生を探してほしいという依頼。高校は奈良県にあるというが、お金になれば遠くても、ましてや探偵業でもないが引き受ける。そこには高齢(便利屋は62歳の女社長・姉妹、弟で経営)になっても逞しく強かに生きていく姿が描かれる。物語の底流には、どんな時にも「負けてたまるか!」という熱き生命力を訴えた話が本筋。
それと身寄りのない高齢者ゆえに住む家がなく、ネットカフェを転々とする初老女性の哀切に纏わる話が脇筋かと。これらの話に笑いネタとして地下アイドルや便利屋の女社長の夫の浮気、放蕩といったゴタゴタを挿む。これらが効果的に繋がらないため、それぞれの話が面白いにも関わらず平面的な印象になったのが勿体ない。

奈良県・信貴高校23回生の5人が便利屋で会うことが出来た。目的は、その中の1人の女性が高校卒業間際に亡くなった旧友を偲ぶため。同時に亡くなった原因が犯罪性のものか事故死なのか確かめるため。死はその思い出さえも無くなった時が本当の意味での”死”かもしれない。彼女以外は、当人はもちろんその家族も地元に居づらくなり転居したが、それが更に怪しまれる結果になった。少し短絡的と思われるが、映画や芝居で観かける天変地異的な不思議な出来事で真実を知ることが出来るが…。

大衆喜劇といった展開の中に、還暦を迎える頃迄気に掛かっていたことを確かめる、そこに人生に悔いを残したくないという思いが滲み出る。また年老いての根無し草の悲哀、同時に便利屋の世話人情を描くことで明日も元気に生きようという活力が観えてくる。そんな心温まる公演であった。役者は総じて年配者が多く、その意味でまだ演じられる、そんな”負けてたまるか!”といった気概が感じられる。そして公演は誰が観ても分かり易く楽しめる内容で、そこには”観てほしい!”という自負を思わせる。
次回公演も楽しみにしております。
8人の女たち

8人の女たち

T-PROJECT

あうるすぽっと(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

ミステリー部分は、女性推理小説作家アガサ・クリスティの戯曲「ねずみとり」 (The Mousetrap) を、女性心理面は「黒い十人の女」(市川崑監督)を連想した。女8人によるサドマゾ的な心理サスペンスが緊張と微笑をもって描かれる。もちろん描き方はミステリーであるから観客も一緒になって謎解きをするワクワクドキドキ感が楽しめる。
(上演時間2時間20分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

セットは富豪屋敷のリビングルーム。上手側が玄関に通じる通路、腰高の洋箪笥とその上に固定電話、中央は奥に暖炉、客席寄りは応接セット、下手側に2階へ上がる階段と中2階に主人の部屋。外にはガラス越しに枯れ木が観える。クリスマスの飾り付けと合わせて冬時期を表し、後々の大雪による遮断・孤立状況へ追い込みの伏線が窺える。そして富の豊かさに反比例するかのように心の貧しさが浮き上がる暴露劇であり告白劇。

事件が起きたのは、この屋敷の長女シュゾンが留学先(イギリス)から帰宅する日の早朝。クリスマスを過ごそうと集まった家族や使用人、そして後から勝手にやってきた主の妹が加わった8人の女。閉ざされた状況、外部からの侵入は難しく考えられないことから、この中の誰かが犯人である。お互いに疑心暗鬼に探り合う心理サスペンス。ミステリーとしては、シュゾンが一足早く帰宅し主である父親に相談事を済ませ、5㎞離れた駅に戻り、再び列車に乗り出迎えた母親と会う。カトリーヌ(16歳)が一晩中盗み聞きをする間、誰にも目撃されないなど不自然な説明もあるが…。

犯人から見た女7人は、この家の主人を苦しめる、そぅ辛い七味唐辛子のような存在らしい。恨み、辛み、妬み、嫉み、嫌み、やっかみ、ひがみ、という嫌悪と欲望が渦巻く醜悪さに我慢がならない。この心理状況を1人ひとりの女の秘密、行動や行為に負わせ、その総体が犯行に及んだという動機付け。ちなみに主は登場しないが、女たちの言動から人物像が浮き上がる。当初は優しく誠実な紳士像であるが、裏では事業は逼迫し、それでも女を囲い淫蕩に耽る。犯人はそれも承知しているようであるから、男を独占したい願望があるのだろうか。犯人は、女性達の仕打ちに疲れた主の心の隙に付け込んで...。

物語も然ることながら、8人の女優の演技が素晴らしい。それぞれの立場のキャラクターを立ち上げ、口撃の攻守を変えながらテンポ良く展開して行く。妻の毅然とした態度、長女のお嬢さん風な振る舞い、次女の元気溌剌な行動、実母の抜け目ない狡猾さ、実妹の茶目っ気、年長の使用人の鷹揚と動揺、若い使用人の我儘と不遜、そして主の妹のミステリアスさ、など一筋縄ではいかぬ女性像が垣間見える。人間の強欲について薬味を随所に効かせ、ミステリー仕立てにすることで観客の集中力を逸らせない巧みな作品である。
次回公演も楽しみにしております。
抗菌バスターZ エピソード0.4

抗菌バスターZ エピソード0.4

ACファクトリー

シアターサンモール(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

表層的な観せ方は、映画「ミクロの決死圏」を連想させるが、もう少し重層的とも思える。体内の器官機能におけるリアリティよりも演劇としての面白さ、エンターテイメント性を優先させた公演。当日パンフに、この「抗菌バスターZ」は14年前に初演しており、この間に何度も再演を試みたが実現できなかったとある。その意気込みが感じられる好演だと思う。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

1963年、フクシマ製薬のフクシマ博士はミクロサイズになって患者の体内に入り病原菌と戦い治療する方法を発明し、2019年の現在 新たに時間移動を併用した治療法を開発した。その博士が病(心筋梗塞)で倒れたため、原因究明と新治療法の有効確認を目的に、抗菌バスターZがフクシマ博士の体内に入って過去に遡り...というサイエンスコメディ。ちなみに過去に遡行できるのは、56年前に体内に入った抗菌バスターズZメンバーのDNAを継いでいる者に限られる。

セットは胃体部を中心に胃底部 前庭部という胃の上部・下部を思わせる階段状の暗色マットが積まれている。体内変化によって何か所かのマットを動かすことで動きが単調にならない工夫をする。物語の魅力は、現在の抗菌バスターズZが56年前にタイムスリップすることで、フクシマ博士の体内で自分の母親や祖母と邂逅し、時代感覚や先時代の情報漏れなどの笑い。この時代間隔あるメンバーが「善玉」と「悪玉」(医学的に言う意味とは違う)とに分かれて戦うアクションシーン。もちろんメイクや衣装でそれらしく外見で観(魅)せる楽しさ。

物語は更に後の時代、2075年から(偽)息子が遡行してくる。その目的は、フクシマ博士は研究成果を自社独占にせず、広く他の製薬会社に開放しており医薬業界に混乱を招いているため、フクシマ博士の命を...。新種の菌「悪玉」と抗菌バスターズZ「善玉」の戦いが勧善懲悪的に描かれる。そこには何となく医薬品の特許絡みを思わせるような展開。そして映画「赤ひげ」ならぬ赤チン男から、貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者のイメージが重なってくる(独占せず病に苦しむ人のため)。それらを含め、何度も繰り返される"化学"と"医学"の融合、その知見の広さが このSF作品の創作力だろう。

アクション、娯楽性(ダンスシーン)や空中で演技をするエアリアル・アクトのビジュアル感覚、さらに時間警察による時間の速度違反などの異次元ならではの創作等 観客を楽しませ飽きさせない工夫を凝らす。そこに、この公演の魅力と意気込みが感じられる。
次回公演を楽しみにしております。
笑うゼットン −風雲再起−

笑うゼットン −風雲再起−

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

骨太な社会問題を扱いながら、観せ方は劇的な笑いで包んだ秀作。終演後、前田綾香さんによれば、6年ぶりの再演であるが内容的にはほとんど変えていないと言う。内容に鑑みると何と先見性があり鋭い指摘をしているのかと感心させられる。硬質(濃縮)な中身を柔軟(抱腹)な表皮で包んだ銘菓のような絶品の味わい。そう言えば、劇中にも食事に纏わる話がしばしば出てくるが、それが女子会の話題として楽しく盛り上がる。そして同時に伝えたいテーマを比喩しているような…。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

チラシにはキタとミナミに分断された国とあるが、どう考えても北朝鮮・韓国の国境(軍事)境界線にある板門店、その近郊にあるプレスセンターといった架空の場所が舞台。もちろんフィクションだ。セットはクランク型の仕切り、上手・下手側にテーブルと数個の椅子(箱馬)が置かれているだけのシンプルなもの。プレスセンターには、朝売・読日・毎朝・東西・帝都の各新聞記者やフリーランスが詰めている。ここにいる新聞記者はそれぞれの事情を抱えて、この地へ飛ばされたようだが、例えば官房長官に食いさがって質問をした女性記者クーちゃん(前田綾香サン)などは、実在の記者を思わせる。このような皮肉が随所に観られる骨太喜劇。

プレスセンターでは、キタの国に拉致された姉妹の安否確認、または拉致被害者に係る記事掲載を依頼するシーンから始まる。一発の銃声、または核搭載したロケット発射の真偽とスクープの取扱いに右往左往する記者たち。そこに、われわれが生きている”現代”とメディアの”正体”に疑問と警鐘を鳴らす。さらに憲法21条や96条を絡め表現の自由や改憲の問題を織り込み、今の日本のきな臭い状況を垣間見せる。また内閣情報調査室(諜報活動)も登場させ、国家権力と日本社会が抱える同調圧力など盛りだくさんの問題を詰め込んでいる。ちなみに憲法9条は改憲され”防衛軍”になっているようだ。

Z-TONはウルトラマンシリーズの宇宙怪獣のことで、このTV番組を見なかったことで小学生時代に苛めにあったというトラウマを抱えた記者・イカリ。ZトンのZはアルファベットにおける最後の英字、ンは五十音順の最後の文字という、どちらも どん詰まりを表す。何となく今の日本の閉塞感や危機感を暗喩しているようだ。そして苛めに対しても、大したキッカケや根拠もなしに行う、雰囲気に流されてしまうという日本人気質を皮肉る。ミナミの国のパクさん(現地コーディネーター)の冷笑というか嘲笑気味の台詞に日本人の気質の一面を見せる。

プレスセンターでのスクープ記事の取り扱いが国家的視点、いわば飛ぶ鳥の俯瞰した描きであるとすれば、苛めや流される気質は個人的視点、虫が地を這いずる近視眼の描き。この両観点を実に上手く織り交ぜ、しかも演劇的に面白く観せる巧みさ。例えば女子会イメージのグルメ談笑、タカノ(田中ひとみサン)のダジャレとそれに伴った隙間風の音響など。

最後に、新聞のトップ記事(多数に読まれる)か小さい枠記事(少数または読まれない)か、さらにキタの核の保有の有無をプレスセンターの総意で決定(少数意見の切捨て)、そして訪問者の新聞を読まない発言(まさしく流される-傍観者)は民主主義の根幹を指摘。all-or-nothingのような描きが一転して、食事では好みの違いを認め笑い飛ばす、その対照的な描きが印象的だ。トツゲキ倶楽部の「独特な人間模様のおかしさをエンタメ化する」が見事に結実していた。
次回公演を楽しみにしております。
Dear Me!

Dear Me!

青春事情

OFF OFFシアター(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「新宿にしぐち夜間保育園」を舞台にした社会喜劇は観応え十分だ。3年ほど前に「保育園落ちた日本死ね!!!」と題したブログが話題になったが、いまだに保育所探しは大変である。同時に子供を育てることの大変さも描き、社会的な問題と個人(家族)的な問題の両観点から捉えた秀作。芝居としては、ラストの園長の激白シーンは胸が締め付けられるような感動を覚える。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

新宿歌舞伎町の ど真ん中にある夜間の無認可保育園が舞台。正面窓には、ネオンを思わせる照明。セットは保育室内、おもちゃ箱や絵本がある棚、もうすぐクリスマスということもあり飾り付けの数々が微笑ましく感じられる。下手側奥が子供達の寝室になっており、親や保育士が子供の寝顔を見る時の優しい眼差しが印象的だ。先に書いた保育園数が足りなく子供を預けられないという社会(公)的な面も底流にあることは間違いないが、この公演では預かる保育園、預ける親という私的な観点から描いている。

親として子の成長に対して愛情や責任を持つという当たり前の感覚が痛いほど伝わる。だから違法もしくは子供に説明し難いと知りつつも、仕方がないと割り切って仕事をしている。それがいつか子供に悪影響を及ぼすと慄きながら...。最近、親による子供への虐待という悲しいニュースが多い中で、この公演は切羽詰まった状況の中でも子供優先に考える親の奮闘、子育てを通じて味わう悲喜交々がストレートに伝わる。だから何の変哲もない場景の中に温かさを感じることが出来る。そこに小難しい理屈は不要であろう。

保育園長の苦悩...親(寺前)から結婚しているのか、子供の有無や育てた経験を問われた時、自分は子供が出来ない体質であること、その結果 離婚した経緯を話す。”子は親を選べない”というが、実は 子はちゃんと親を選んで生まれてくるのだ。この親の子になりたいのだと…。その選ばれた親が子に恥ずかしくないような生き方をする、間違ったら謝る。そんな当たり前のことが大切なのだ。説教的になりがちであるが、公演全体を通して面白可笑しな観せ方(父ちゃん坊や)や意外性(園長の幼馴染の職業)など、絶妙なバランスの演出が教訓臭くさせない。親もときどき肩の力を抜いて という台詞には共感してしまう。

子供の育て方は一律ではない。子供の数だけ、または親の数だけ育て方がある。絵本の読み聞かせが秀逸である。他の象と違うことで仲間外れに悩む象が主人公、その読み聞かせは保育の教科書的な教えでは感情を交えず淡々と話すこと、しかし保育士(佐藤)の母親は女優で手ぶり身振りを交え感情表現豊かに聞かせる。それに反応する子(心)。子もまた個性を持った1人の人間であり、子供という一律の括りではない。保育室という狭い空間の中に人間の優しさ愛情が溢れんばかりに輝いて観える秀作。
次回公演も楽しみにしております。
珈琲店

珈琲店

劇団つばめ組

参宮橋トランスミッション(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

満足度★★★

18世紀頃のヴェネツィアにある「珈琲店」が舞台。現代日本、それも都会を中心に喫茶店(珈琲店専門店ではないから同義語ではないかも)はチェーン店化が進み珈琲店を見かけることが少なくなった。この公演では市民たちの日常様々な揉め事や噂話という滑稽な事柄を描いている。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央にタイトルの珈琲店、上手・下手側にご近所の家(賭博場?)等がある。シンプルな造作であるが、逆にそれが物語を分かり易くしている。全体的に喜劇であろうが、登場人物のキャラクターを際立たせ、この国(当時)の状況を物語にうまく当てはめ写実的に描いている印象。

梗概は珈琲店に集まる人々が巻き起こす騒動。
登場人物は、賭博にうつつを抜かす御仁、彼から金を騙し取る偽貴族、身分を隠した女たち、偽貴族と交際中の踊り子、噂好きの紳士が巻き起こすドタバタ騒ぎ。
身をもち崩しそうな若旦那、彼を食い物にしようとする連中、逆に彼を救おうとする人々―という構図は何となく勧善懲悪を思わせる。登場人物がうさん臭く(身分を隠したり仮面をかぶったり)、偽・善が混在した状況はどの国でも、どの時代にも存在する理不尽さ。ある意味、悲しむべきことではあるが、それを面白可笑しく喜劇として描く。
喜劇によく登場する道化師的な役割の人物は、噂好きで軽口を言ったり、憶測で物事を話し、他の登場人物たちに誤解を与え、物語を引っ掻き回す。その喜劇としての観せ方、物語を二転三転する展開が滑稽さを増幅させる。

当時のヴェネツィアの民衆を善・悪人と類型化し、そこに典型的な人間性情を描き出しているようだ。それが仮面を付け本心を隠し欺瞞に満ちた人々。それを懲らしめる、または真っ当な人間性を取り戻す手助けをする人々ー素顔の表情を見せる民衆群像は、明るい活力に溢れ、凋落する貴族の無為と怠惰な姿と対比する。しかしそれは単なる猥雑性や卑俗性ではなく、仮面を鉄皮と置き換えれば、その下は本性に他ならない。それゆえ、登場人物のキャラクター等を殊更にデフォルメすることによって、人物の類型性という殻を破り、1人ひとりの人間性を捉えようとする、そこに面白さを感じた。

物語は面白いと思いつつも、キャストの演技が硬く全体的にぎこちなく思えた。もっと生き活きと生活感に溢れた、当時のヴェネツィアの雰囲気が感じられればと思った。物語の底流にある人間(不変・普遍)性、それはそこで生活しているという写実がしっかり描き切れなければ面白さが半減してしまう。それだけに勿体なく残念だ。
次回公演を楽しみにしております。
燃えつきる荒野

燃えつきる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

船戸与一原作「満州国演義」…揺れ動く時代の奔流の中、無残に歴史のはざまに棄てられていく若者たちを描く3部作」の完結編。満州の地を舞台にした壮大な叙事詩。戦時下、そんな深刻な状況の中における1人ひとりの人間の生き様をダイナミックに描いた物語。
公演は「虚像の人間」「事実の歴史」という虚実をうまく構築し、ある意味、観(魅)せる虚実史―野心的な作品として楽しめた。ただ、物語は日本国内・満州という地を交錯させる展開で、登場人物も多く、観ている者が置き去りにされそうになるのが難点。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは満州の壮大さ荒野をイメージさせるものであろうか、段差を設けた草原風景。所々に小スペースがあり、日本国内や満州の某施設や飲み屋になり、時の経過や場所を示す。
物語は敷島四兄弟の生き様を中心に展開。描き方は同時・並行的に日本国内と満州の地-別の場所を交錯させ時代を立体的に構成しようとする。しかし、逆に話が断続的になり繋がりを持てなくなる。人物造形はある程度観せることが出来るが、それでも映画・映像と違って同一セットでは場所の違いを視覚で観せるには限界があり、観る者の想像力に負うところが大きい。

梗概…満州事変から第二次世界大戦終結までの満州国の興亡を、敷島四兄弟と関東軍特務将校・間垣徳蔵を軸に描く。大局観として、国の軍事的思惑によって多くの人々の血が流れる。国家間の政治的思想、軍事的戦略は相対的なもので、何が正しく間違いなのか、時代の只中にあって正否が判断できるのか。船戸作品は硬質な歴史観によって支えられていると思うが、戦争という悲惨さの中にあっても まだある程度のロマンの様相を帯びている。戦争(殺戮)は屍しか残さない。善も悪もなく、悠久の大義も私怨も関係なく同列にある。物語はフィクションであるが、ここにある(歴史)事実の観点からすればノンフィクション、現実のディスポティズムの殺戮と重なるイメージを持つ。だから事実の路傍に打ち棄てられた人々の叛史が突き付けられることによって、ロマンと同時に重苦しさに圧倒されるのだ。

敷島四兄弟は、異なった立場と役割が与えられている。それに伴って人間性は、時代背景とその任務・立場が強烈に描かれているため、人間ドラマではなく”虚実史”としての色彩が濃い。完結編として、敷島兄弟は通化の地に集う。満州国はわずか13年で理想の欠片さえ失い、重い鉄鎖と化した。昭和20年にソ連軍が侵攻を開始し崩壊してゆく「王道楽土」。日本そして満州、二つの帝国が破れ残ったものは何か、を考えさせる。満州という地は、日本の時代史・地域史においてどのような存在であったのだろうか。

日本国内と満州を交錯させ、国内は耽々と不穏な空気が流れ、一方満州における修羅現場と化した対比、そして人物は相貌を変え動き回る。日本海を挟んで昔からの深い関係にあった大陸と日本の近代史が人々にもたらした不幸。不条理は、兄弟の生き様に投影させ、社会の底辺にまで浸透してしまった強者・弱者の構図として浮き彫りにする。といっても当時の社会のヒエラルキー構図が直接に対峙して映し出される訳ではない。そこには閉塞・緊迫という状況、時代という大きなうねりが立ちはだかっているという表現である。時代に個々人が翻弄され、抗し難い状況が重層的に立ち上がる。満州国演義3部作の完結編は悲劇的な結末へ…。

これだけダイナミックに揺れた時代と場所―日本と満州―を3部作とは言え、小説の醍醐味を十分に表現することは難しい。下手をすれば、急ぎ足で表面的な事実経過だけを羅列する、そんな勿体ない公演に思えてしまう。もう少し事(焦点)を絞るか、興行的に可能であれば4部作へ増編してもよかったのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
元号狂騒曲

元号狂騒曲

劇団恋におちたシェイクスピア

RAFT(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★

「事実は小説より奇なり」というが、この公演は事実、それも最新の時事ネタを盛り込み描いているが、現実はそれ以上に不思議で えぐいものだろう。多くの問題を抱えた政治家、官僚、御用学者が改元に振り回される様子をシュール・コミカルに描いた公演。官僚が出世に目がくらみ、改元に絡んだ国家的プロジェクトで忖度が横行する様を直接的に描いているため、面白い反面、わざとらしく感じられるところが少し勿体なかった。公演の最後に風刺であると言いつつ、現実を連想させるあたりは…。
さて自分は、元号に関わる内容とは別のところに関心をもった。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

セットは机をL字型に配置し、上手側にボードが置かれているだけのシンプルなもの。
物語は、現首相の名前もしくはその夫人の名前の一部を新元号に入れるために画策する官僚。その企てを元号選考委員として選ばれた漢学者へ忖度させるような内容。展開は金品、名誉付与などの典型的な賄賂攻勢。
同時に内閣情報調査室の身上調査の不気味さ恐ろしさを垣間見せる。内閣情報調査室は、日本の諜報機関と陰口を叩かれるところであるが、この公演でもプライベートなことを調べ上げ下級官僚に言うことを聞かせる、こんなところに調査した秘密を利用する怖さ。

当日パンプに、本公演は過去の「元号狂騒曲」を基にわずかな登場人物の名前と”新元号発表にまつわるドタバタ喜劇”という要素を残し、と記載されている。登場人物が6名であることから物語の構成はシンプルで複雑な政治的思惑は描ききれていない。いくつかのメディアが報じる記事や噂といった虚実の内容を断片的にデフォルメして観せる。シンプルな構成だけに面白可笑しさはストレートに伝わる。現実には複雑に絡んだ組織的な忖度行為であろうが、公演では個人を組織として見做しているため理不尽という個人感情に止まっている。どうしても組織的という狡猾で闇深い、そして圧倒的な不合理が観えず、個々人の思惑という利己的(スケールの小さ)な行為としか観えないところが残念だ。この種の政治・経済問題が好きな人だったらもっとテーマを深堀してと言うかも...。

政治の裏舞台...改元号に関する忖度・セクハラ・賄賂等、今話題のテーマ設定は面白く興味が尽きない。残念な点はあるが、それでも目先の利益に狂奔し、コトがバレると責任も取らず遁走する、その醜態が面白可笑しく描かれる。
ラストは、忖度に踊らされた下級官僚が、結婚相手とのデートでは共通の趣味ばかりに盛り上がり、肝心な主義主張(政党)が異なることに気づかされ愕然とする、そのシュールな描きは皮肉を込めて見事な結末であった。

演出として、場所や状況説明は横長紙でフリップイメージで見せ、場面の転換を表す。併せてネットニュースによる説明も加え時事問題を生々しくさせる。丁寧な演出とも思えるが小道具が稚拙な感じで勿体なかった。
次回公演も楽しみにしております。
たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

ガポ

新宿眼科画廊(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

物語では描き難い感情を、このタイトルで何となくニュアンスを伝えようとする。劇中でもこのタイトル名は出てきて、相手に質すが…。自分の内にイメージは出来るが、それを具体的に表現するのは難しい、そんなもどかしさが描かれる。2人の不可解な感情が交差することによって露になる激情。その濃密な会話で繰り広げる室内劇は面白かった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

この劇場のオーソドックスな配置で、入口側が客席、奥が舞台になっており一方向からの観劇になる。セットは白い衝立を折り返し室内壁をイメージさせ、下手側の壁に絵画が掛けられている。中央にテーブルと椅子2脚。テーブル下に編籠、ゴミ箱、テーブル上にティッシュ箱、少し離れた下手側にジャンボクッションが置かれている。女性部屋の最低限の外観を現し、記載した小物はすべて利用するという拘り。この狭い空間に2人の息遣いが伝わり緊迫感が漲る。

梗概は、電話で音羽千佳(勝島乙江サン)が彼氏からの別れ話に激高している時、見知らぬ女が部屋に闖入してきて...かみ合わない話の末、闖入してきた女・才川信子(坂崎愛サン)を彼氏の新しい彼女と誤解する。信子の正体は、そして何のためにやってきたのか、といったミステリードラマとして展開していく。公演の魅力は、このミステリー仕立てとして観客の興味を惹き牽引していくところ。同時に千佳の生き様を通して人間の優しさと逞しさを観せる。結末まで二転三転させ観客の集中力を逸らさない観せ方は上手い。ちなみに、千佳の誕生星座や血液型を間違えて答えているのは、早い段階で種明かしになるからか?逆に正解していれば、不気味さが増すかも…。

2人がテーブルに並んで座る光景は、映画「家族ゲーム」を連想し、観る者に奇妙な印象を与える。普通であれば2人が向かい合って座るが、演劇としての演出(観客に背を向けない)と同時に、この公演の特長が観えてくる。2人の心の内にある虚々実々の探り合い、直接 目をあわせないことで虚構性を表現しているようだ。また映画では、音楽は一切入らず代わりに食べるときの音など、効果音が聞こえる。逆に、この公演ではシーン毎に違う音楽を流し雰囲気を作り出している。

2人の息詰まる会話「人間は生まれながらにして不平等」「悲しみと喜びは同居し表れる順番が違うだけ」などの含蓄ある言葉の応酬を通して、何となく在りそうな修羅場が観えてくる。前半の対立的な関係から後半の心情溢れた親愛感へ心境が変化していく様を自然に描く。表現し難い感情をダンスと歌で現す。そのダンスの振付...向かい合い互いに腰が引けた格好、伸ばした腕だけが相手の手のひらと合わさっている。それが段々と近づく。そこには初めは見知らぬ者同士の警戒心、それが段々と気心知れてというイメージに思える。その意味で、敢えて入れなくてもよいダンスシーンを挿れているのは感情表現の1つであろうか?
もちろん2人の演技力は喜怒哀楽といった感情表現をしっかり表しており見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

東京アンテナコンテナ

六行会ホール(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

典型的な人情劇...観ていて安心するような展開は、老若男女問わず楽しめるもの。
「昭和人情ホラーコメディ!!」乞うご期待...という謳い文句通り、観応え十分な公演であった。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

1982 年(昭和 57 年)頃の浅草にひっそりと建つ大衆劇場での物語。冒頭はその劇場で上演している股旅物のような劇中劇の場面から始まる。この劇中劇と本編が繋がり出し、単にユーモラスな描きだけではない面白さが繰り広げられる。この公演が紋切り型の感傷劇に陥らず、かと言って真面目でもふざけるでもなく絶妙のバランスで夫婦、親子の情愛を描く。そして随所に挿るギャグが物語を微笑ましくさせる。

梗概…劇場支配人と義理の娘、さらに地縛霊がいる大衆劇場は、長年庶民の娯楽場としてにぎわっていたが、近年では漫才ブームのあおりを受け客足が途絶える一方。そんなある日、人気の劇団松沢一座がこの劇場を救うべくやってくる。「これで劇場はどうにかなる」と思った支配人や娘たちであったが、一座の看板役者が「一座を辞める」と言いだした。この劇場と一座、そしてみんなの運命は一体どうなるのか。

笑って泣かせる人情劇の王道のような公演は、理屈抜きに楽しめる。事情あって娘を置き去りにした母、捨てられたと思った娘、その娘を育てた劇場主などが織り成す本筋、それに大衆演劇の松沢一座の劇中劇として興行している脇筋を絡め厚みのある物語に仕上げている。経営不振、一座の看板役者の退団など誰もがピリピリしそうな出来事、そんなこわばった雰囲気をユーモア溢れる会話で笑いとばす。

無関係と思われた人々が次第に繋がり、なぜこの地(劇場)の地縛霊になっているのか。生ある人と地縛霊、その可視と不可視を同居させることで人生と人と人の触れ合いや繋がりを表現している。同時に時の経過を哀切・ユーモアを通して表現することによって暮らしと社会諸相を表わしている。その人情味を支えているのが下平ヒロシ氏とイジリー岡田氏の地縛霊(軍服・芸人風という衣装に意味あり)による漫才風会話。ラストは親子の情、地縛霊の昇華として結実させる見事な幕引きであった。
次回公演も楽しみにしております。
クロスミッション

クロスミッション

カラスカ

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

ミステリーコメディといった公演。表層はマンガチックな観せ方で笑わせつつ、潜む内容は社会的現象または警鐘といったもので驚かされる。ミステリー仕立てだから、自分でも謎解きをしながら観ることができ楽しめる。
「交差ミッション」・「十字架ミッション」の同時上演で、関連性があるらしい。
(上演時間2時間)【交差ミッション】編  ミステリーのため後日追記

mark(X)infinity:まーくえっくすいんふぃにてぃ

mark(X)infinity:まーくえっくすいんふぃにてぃ

劇団鋼鉄村松

コフレリオ 新宿シアター(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ナンセンスコメディかと思って観ていたら、その世界観というか宇宙観に魅せられた。表層の滑稽さ、しかしそれに止まらず、いつの間にか人との出会いと別れといった充足感ある物語に変わっていく。それが心地良いテンポで紡がれるから堪らない。
2016年黄金のコメディフェスティバルにおいて最優秀脚本賞、最優秀演出賞、観客賞、そして最優秀作品賞etc.を受賞した「mark(X):まーくえっくす」をベースに新たなるSFパラレル・ディストピア・ラブコメディ!...という説明通り、素直に面白いと思える公演。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは色違いの枠があるだけのシンプルなもの。パワレルワールド、異星といった世界観・宇宙観を表現するため固定したセットは作らない。このイメージは ドラえもん のどこでもドアを連想させる。設定は時空間だけではなく、異星も絡んだ壮大なものだが、それは荒唐滑稽を表現するためのもの。枠はもちろん時々持ち込まれる銀パネルは時空間の歪み、または裂け目を表すが、その仮想というか非現実性の世界を手動で動かすという奇知の面白さ。

梗概は説明の通り...キャッシュカードを失くし、バイトに行く電車賃も無い主人公・ひろゆきは開き直ってバイトをさぼり徹夜でアニメを見ていた。ひろゆきの前に突然空間を割って美少女が現れる。名前はエプシィ(悪支配の四天王の1人)。この世界を支配、管理するために平行宇宙からやって来た、というもの。仮想なのか妄想なのか、その混沌とした世界観がいつの間にか現実を揶揄するような面白さに変わる。悪の支配というディストピア...無為のような暮らしぶりの ひろゆき にとって管理社会は適していると…。管理社会は、強制的に何かをしなければならず、不自由であるが行動はさせる。まさしく、冒頭の ひろゆき の生活態度に対する皮肉である。

枠を潜るという簡単な動作で世界観を変え、衣装やメイクという外見で現実世界との違いを演出する巧さ。また個性豊かというか特異な人物?キャラを立ち上げ、その関係性を次々に展開させ観客の意識を逸らせない。いつの間にか恋愛であり親愛者がパラレルに連なり出会いを連想させる。邪悪な世界があれば、逆に正義の社会も存在する。その合わせ鏡のような人物・フリーダムVとエプシィが仕える悪の総統の対決が笑える。外見・容姿も含め全てを観(魅)せるに注ぎ感心させられる。またエプシィを演じた小山まりあサンの怪演がこの世界...公演を支配していると言っていいほどの演技だ。

パラレルワールドであるからどこかで見たことがあるような、その既視感が物語の肝になっている。人は出会いがあれば別れもある。時空間移動はそんなセンチメンタルな思いを簡単に乗り越えていく機知があると思うが…それでも公演の終盤は惜別といった寂しさが少し漂う。
ちなみに冒頭、常識的な暮らしを説いていた鈴木君、いつまで経ってもMARKⅠ、MARAⅡ・・・MARK(x)にもなれず仲間外れのような。劇的に笑いをとると承知しつつも、世界観が異なれば常識・非常識といった概念も異なる、そんな意味深さを感じさせる公演であった。
次回公演も楽しみにしております。

『花と爆弾~恋と革命の伝説~』

『花と爆弾~恋と革命の伝説~』

劇団匂組

OFF OFFシアター(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

劇団匂組の旗揚げ公演が「花と爆弾」であり、その再演のようだ。旗揚げ時は大逆事件(明治天皇暗殺未遂事件)の百年後を意識しており、それは主人公・菅野スガ の没後100年を意味する。初演(「~恋と革命と伝説」の副題はないようだ)は観ていないが、描かれている内容は現代においても色褪せない。その骨太作品は観応えがあった。
初日に観劇したが、奇しくも前日は令和、今上天皇 即位礼正殿の儀が行われた日であり隔世の感を覚える。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは横長テーブルと丸椅子が数脚のシンプルなもの。それを時代や場所に応じて変化させ状況を上手く表す。セットによる場所や時間イメージを固定させない工夫、また上手側の柱に時代や場所を記した(半)紙を貼り替え、何人かの役者がストーリーテラーの役割を担い物語を展開させて行く。菅野スガ はもちろん大逆事件に詳しい人であれば問題ないが、自分のように詳しくない者にとっては丁寧な演出で好かった。

物語は、明治42年 千駄ヶ谷 平民社 初夏、菅野スガ 27歳頃から始まる。登場人物はその時代に相応しい衣装などで時代に引き込まれる。時代はすぐに3年前に遡り和歌山県田辺の牟婁新報社で スガ が編集長代理になり荒畑寒村と出会う場面。後々結婚するが、出会い時は原稿執筆に対する指摘という上司と部下という感じである。その時は娼婦を取材した寒村の(男)の視点を質したが、この公演の全体を支配する問題意識が提示されたと思った。
スガ の半生は主義者に信奉し自ら主義者になり処刑されたが、国家的というか大局観に立った不平等が描き切れていない。むしろ不平等の1つとして男女平等という、もう少し身近で具体的な観点に絞って、その先にある大きな社会的な不平等、平和を描いたほうがイメージし易いような気がした。スガの史実(半生)を中心に描いているが、他の登場女性に不平等を担わせ膨らませても良かった。それは明治時代ほどではないにしろ現代にも通じる問題であるから。

一方、「恋」は主義者への共感や尊敬といった感情から人間が持つ本能的な部分を上手く表していた。同時に スガ の勝気と思われるような性格、その反対に幸徳秋水をはじめ男の主義者達は扇動はするが実行できないといった男(理屈)女(行動)に関わる皮肉も垣間見せており面白い。主義者としての スガ は表層的に思えたが、その生い立ちから恋というよりは、好きでもない男と結婚させられ離婚、その虐げられた姿を通して明治時代の”女”の理不尽さが浮き彫りになる。逆に主義者の虐げられた姿が観えず、台詞による情況・状況説明だけでは弱い。

公演は 菅野スガ という女性の生き様を通して現代を見つめ直す、という寓話的な面もある。そして気になるのがタイトルにもある花、物語では向日葵・秋桜などが紹介(チラシの 椿は意味深)されたが、その花イメージを持つのが登場女性(スガ、妹の秀子、手伝いの百代)のようだ。全編を抒情豊かに謳い上げた公演は素晴らしかった。公演は 菅野スガ という人物の視点から描いていることから彼女以外の人物の描きが暈けて影が薄くなったのが残念。さらに言えば スガ を演じた岩野未知さんの演技が素晴らしい。その意味で、スガ の人物造形は上手く出来たが、彼女以外の主義者人物の魅力を引き出しきれず、その結果、不平等などという社会背景が描き出せなかったところが勿体ない。
最後に「みんなが ぬくいなと思える世の中へ」という台詞、自分もそう思う。
次回公演を楽しみにしております。
Photograph2019

Photograph2019

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2019/10/17 (木) ~ 2019/10/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

実話をベースにした感動作。劇団カンタービレ10周年特別公演は観応え十分、自分は好きです。今まで観てきた公演(コメディタッチ)とは趣が異なり、感情が大きく揺さぶられました。観劇できて良かったです。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

物語は、体調不良で検査入院した柴崎時子が、実は脊髄小脳変性症という難病になっていることが判明し、家族(時子の実父・一太郎、夫・正夫、長女・沙織、次女・恵、長男・健一)をはじめ近所の人や病院関係者が介護や医療にあたるが…。その闘病記のようなもの。内容的には重苦しいが、時折ユーモラスなシーン(時子の姉妹や近所のおばちゃんの姦しさ、一太郎のふるまい等)を挿み人生の哀歓をしっかり観せる秀作。公演の見所は、夫が定年前に自己都合退職し介護をし出す、同時に時子がリハビリに励む様子、そして家族がそれぞれ生きる中で出来得る限りの介護に向き合う姿を感動的に描いているところ。

物語は、本筋-症状が顕著になり8年にわたり介護(要介護5)している現在と脇筋-2人が付合いだした頃や新婚時代を往還させ展開していく。本筋は、順々に時を経過させることで病気の進行と介護(される本人も含め)の辛苦、生活状況が一変したことをしっかり表す。冒頭、時子が元気だった頃、夫は仕事一辺倒、子供たちは母親に甘えてばかり。それが介護によって生活環境が激変し、それまで妻に家庭内のことはすべて任せきりにしていたことが浮き彫りになっていく。状況と情況の変化を刻々ときざむことで観客の感情を揺さぶる上手さ。

物語を支えているのは舞台セット。柴崎家の居間、病院の入院部屋、医師室、集中治療室など、どれもが丁寧でしっかり作り込んでいる。その場転換も観客の気持を逸らさないため、会場入り口近くにある別スペースで若かりし頃の柴崎正夫・時子の微笑ましい姿を観せ、本筋と脇筋をうまく繋ぐことで違和感なく物語が展開する。時代間隔はピンクの公衆電話-自宅の黒電話という固定電話から現代はスマホに変わるという小道具で表す。もちろん1役2名で本筋-脇筋で役者や衣装等も違うから一目瞭然であるが。

現代医学では治癒の見込みのない難病、しかし医療施設における短期間での転院という不都合、困難さへの批判、また日本の神経科医療の後進性への課題など社会性も垣間見せる。この社会性と(家族)介護という個人性の両面を持ち合わせた公演は、観る者に感動を与え、そして考えさせる。ラスト、ベットで横たわる時子への照明と次女・恵が出産したであろう赤ん坊(命名は時恵)の泣き声、死と生の交差(バトン)の演出は見事。
最後に、この素晴らしい公演は役者の演技なしでは成り立たないことは言うまでもない。
次回公演を楽しみにしております。
小刻みに 戸惑う 神様

小刻みに 戸惑う 神様

劇団ジャブジャブサーキット

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/10/17 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★

葬儀を行う親族と死者の両観点から描いているが、情緒的な絡みは少なく淡々と執り行う記録劇であり記憶劇のようだ。アフタートークのゲスト、山下千景さんも話していたが、葬儀当日は葬儀社との打ち合わせなど、やることが多くて悲しみに浸っている暇がないというのが、自分の実感。その後じわじわと...。
公演は、醒めてはいるが思い出は尽きない、湿っぽくなく、どちらかと言えばカラッと描いた世界観が逆にリアルで面白い。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

セットは、ある地方都市の葬儀場の祭壇脇の控室といった場景。中央壁の時計、手前にテーブルと4脚の椅子、上手側にもミニテーブルと向かい椅子。下手側の壺にユリの花が生けられている。まさに葬儀場で見かける光景。今まで葬式をテーマにした劇は何度か観ているが、多くは鯨幕や祭壇・棺があるが、この公演ではバックヤード的な描き。そして遺族である娘達(長女:早苗、次女:京果)は直接 父親(故人)と向き合わず、現実の葬儀準備に忙しい。同時に早苗の夫の失踪、夫の近況と若い同棲相手が出現など、生きているがゆえに起こる騒動が厳かな葬儀という光景に生活感を映し出すというアンバランスが面白い。

物語は劇作家の楡原拓一郎の葬儀。故人は質素な家族葬を望んでいたが…いつの間にか意に反してドタバタし出してきた。冒頭は住職から始まる宗教談議、そして斎場スタッフや葬儀ディレクターによる葬儀に関する うん蓄話など、その場の説明・記録劇のようだ。一方、亡くなった拓一郎は、彼岸と此岸の間に立って自分の死を見届けるかのように葬儀場を徘徊する。その様はシュールな観察というか俯瞰劇。こちらも娘や孫への気持よりは、若くして亡くなった妻や劇団仲間との会話が中心。舞台上、遺族と故人の直接的な絡みは少ないが、娘の思い出を刻んだ記憶を大切にしていることは十分伝わる。その雰囲気を醸し出す演出は見事だ。

当日は楡原家の葬儀とは別に、この町の副町長(拓一郎の同級生)の葬儀も執り行われている。アフタートークで作・演出の はせ ひろいち氏が劇作家が政治家に見劣りした葬儀でよいのか、思わず対抗心を燃やしたと吐露。その結果、暗転中のナレーションから拓一郎の遺志に反した葬儀になったことが知れる。自分としては、しめやかに余韻ある結末でも良かったが。
ちなみに、タイトルは拓一郎が書いた劇作のうち、気に入ったシーンの台詞らしい。神様でも小刻みに戸惑うのであれば、滅多に執り行わない葬儀、その対応に戸惑いがあるのは当たり前かも。

卑小とは思いつつも疑問が…。
死後の時間概念は必要なのだろうか。亡き妻(花楓)や友人(百道)が回想シーンへ繋げる際、壁時計の針を動かすために椅子などを踏み台として動かす。そこは照明やパフォーマンスで演出しており、時計はあくまで現世を表現しているのでは。
もう1つ、葬儀コーディネーターの助手・荻野が1人の時に4脚の1つに何か隠し置いたような動作は何か。その後、早苗が息子・晃司に香典の在りかを教えるシーン。そのため盗聴による香典泥棒かと思ったが、その前に1香典を失敬しておりコーディネーターが香典紛失時?の対応で庇っていることから経過順が逆で違うようだ。
次回公演を楽しみにしております。
じゅうごの春

じゅうごの春

やみ・あがりシアター

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2019/10/17 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

こういう人いるよなぁ、と思わせるような人物像を描いた観察劇のようだ。自分では「観て ごらん」と思えるような面白さ、そして最後まで目が離せない公演。あまり書くとネタバレになってしまいそうだ。
(上演時間1時間40分) 2019.10.21追記

ネタバレBOX

舞台セットは、畳敷きに丸卓袱台。幕(緞帳風)や衝立に夏休みの自由研究を思わせるような造作が微笑ましい。序盤はポップで笑いを含んだ展開であるが、だんだんと主人公・じゅうご(石村奈緒サン)の完璧というか偏執的な行為が狂気じみてくるような。
物語は1999年8月1日から始まる。「ノストラダムスの大予言」で人類滅亡を信じ夏休みの宿題(特に自由研究)を行っていないことを嘆いているところから始まる。その前年は教師から自由研究について評価され、やればできる子といった暗示のような言葉「やってごらん」に縛られた主人公・じゅうご。この じゅうごのその後の人生を10年刻みで35歳まで描いた物語。つまり35歳は今年であり現在を生きていることになる。なお当時の時代表現は、姉とその友達の ヤマンバ メイク、ルーズソックスなどの衣装で見せており笑える。

じゅうごは、8月1日時点で夏休みの宿題を終えていない、自由研究のテーマさえ決められないと嘆いており、計画通りに事が運ばないと気が済まない性格。そして何事にも高みを目指し、ある種の完璧主義者で、さらに教師の期待しているといった言動に捉われる。しかし計画が破綻すると途端に自暴自棄になるといった、どこかに居そうな人物像が立ち上がってくる。友達のお気楽な性格との対比で偏狭さが浮き彫りになる。そして物語のキーとなるのが友達が拾った拳銃。

物語は10年刻みで、15歳の「じゅうご」、25歳の「にじゅうご」、35歳の「さんじゅうご」と名前は変わるが同一人物。外見的成長-変化と内面的本質-不変という構図を表す。年代の人物連携は、始めのうちは じゅうご と にじゅうご が同時に登場しているが、徐々に じゅうごが登場しなくなり25歳の にじゅうご へスムーズに引き継ぐ。映像のフェードアウトするようなイメージ。25歳から35歳も同様。この人物移行の演出が実に巧い。人物移行は同時に情況や状況も一変させる、ここに笠浦ワールドの真骨頂を観ることができる。にじゅうご は大学院生、さんじゅうご はニート、引き籠りといった状態である。そこには15歳時の自由研究-やってごらん-未完成という呪縛から解き放たれない。この呪縛の原因は担任教師であるが、その教師が姉と結婚することになり元凶?がさらに身近にという苦悩。どこか歪な、もしくは壊れた世界観が窺い知れる。

物語は じゅうご の人間(内面)性の描き、同時に父親が息子を見る、その育児もしくは観察日記のようでもあった。父親のとぼけた振る舞い、後日この家に出入りしている保険外交員が読み上げる父のノート。書かれているのはそれまでのシーンの数々、過去がフラッシュバックするようで、色々な感情がこみ上げてくる。自分の気持を自由に弾けさせることが出来ず、衝動的なのか他の感情が或る物で別の者を弾いてしまい...。
後には虚無感、空虚感が漂うという独特な結末が重量感ある余韻を残す。
次回公演を楽しみにしております。
花隠想華

花隠想華

ZERO Frontier

萬劇場(東京都)

2019/10/09 (水) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

公演の魅力は、妖しげな登場者によるアクション、ダンスといった身体表現の素晴らしさと民俗・伝承を題材にした物語性だと思う。そして舞台美術がその怪しげで謎めいた空間を演出していると言っても過言ではない。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

場内に入ると、鬱蒼とした山の中といった雰囲気を漂わす舞台セット。山中を表す高さ、やや上手側中段に神社の鳥居が立つ。木々が茂るセットだが、特に上手・下手の両側は本物の竹を配している。段差があることから、その上下運動は躍動感を表す。

不思議な夢、それが正夢のようになる現実...ここから物語は始まる。ラスト近くに明かされるが、この地は”遠野”だという。もっとも今作で登場するのは架空の国「やまとの国」であるが、どうしても岩手県遠野、その民俗・伝承もしくは伝説を連想してしまう。登場するのは女鬼(「山都」に住み)、男鬼(定住せず山を渡って生きる「山渡」)、天狗(「山門」に住む)で、住んでいるのは みな「やまとの国」の中。この人間以外の者が住む場所に人間が迷い込み、それによって起こる奇怪な出来事が観客を時間も空間も超える劇の深みに飲み込んでゆく。この迷い込んだと思われた人間は、理由(わけ)あって意識的にこの地へやって来た。過去と現在、その300年の時を経て明かされる真実が切なく悲しい。人間と鬼を結ぶ出会い・友情から、この地(山)の神となって見守るへ繋げるのは、アナグラムの機知、緩い笑いと逸脱を盛り込んだ脚本の面白さ。そして「事実と真実は違う」などの台詞で心に響かせる。

女、男それぞれの鬼や天狗、その隠し事や思惑が交錯し謎めいた物語に観客を引き込んでゆく。山の神へ神事(女鬼といえども実娘は犠牲にしたくないという本音も垣間見える)...それを女鬼による華麗なダンス、その結果起きる不幸な出来事に起因する男鬼と天狗の格闘、そのアクションの迫力は観応え十分。登場する者のキャラクターをしっかり立ち上げて、個々の役どころの演技とダンス等のアンサンブルとしてのチーム力を発揮するというエンターテイメントな各々の観せ方が実に上手い。

最後に山中の物語であるが、海を治める神や人格を解し万物に精通するとされる星獣が現れたりと世界観を広げるなどサービス精神?もあるような公演であった。それこそ、民俗・伝承を通してこの地は人間だけが住んでいるのではなく、他の動植物も含めてという暗喩であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
Blank Blank Brain

Blank Blank Brain

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2019/10/12 (土) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★

どんなことを考えているのか、人の頭の中を覗いてみたらという興味津々の物語。チラシ説明にあるように人気作家が突然倒れ編集者達が作家の脳内から依頼原稿を抽出しようと試みるというSFファンタジーといった作風だ。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台に長さが異なる白い短冊状の紙が何枚も上の方から吊り張られているだけの、ほぼ素舞台。短冊状は何となく体内の襞のようで、まさしく脳内をイメージさせる。照明は白短冊状、それが幾重にも張られているから諧調することで鮮やかに演出され、音響は場面の雰囲気に合ったものを流す。役者の演技、照明・音響という舞台技術は巧い。

この人気作家は少なくとも3本の連載を抱え、サスペンス、時代劇、ミステリーといった異なるジャンルの執筆をしていた。冒頭は先の連載ジャンルの内、サスペンスシーンから始まる。そのタイトルは「弾丸黒子」であり、この劇団の次回作(2020年2月上演予定)のタイトルで、しっかり宣伝の意味を込めて観せているところが笑える。脳内の連載シーンから始まる構成のため、物語の全体観を捉えるには難しいが、編集者がバーチャルゴーグルを掛けて登場することで、物語の概観が分かってくる。

構想していた小説は、第1に「弾丸黒子」というサスペンス物。狙撃手の狙撃に関する うん蓄話、彼に殺された男の恨み辛み、それが結末がないまま続く。第2に「ごめんこうむる~竹田光吾朗の最期」という時代物。父の敵討ちをするため娘・かえで が浪人・竹田に助成を請うもの。敵討ち=殺しは容易く出来ないと諭すが、こちらも堂々巡りの展開。第3が「黒と黒のオセロ」という探偵もの。探偵と助手が出てくるが、オセロの白・黒の反対ではなく黒・黒という探偵に助手が同調するばかり。一応ミステリー小説を思い描いていたようだが…。
この3つの小説を執筆しており、それぞれ脳内で構想していた内容をバーチャルという形で観せているが、本来別々の話が脳内小説を抽出する段階で混乱、錯綜し出し編集者は自分の担当部分だけを早く抽出したいと無理強いすることで、更に迷走し出すというブラックコメディ。

自分の頭の中、その考えや空想・妄想を人知れず具体的な形に表すことが出来たらと思うことはある。そもそも具体的に出来るのか?思っていることを、これまた何かの”力”で何となく表象化されて、それを都合よく追認しそうな気がする。自分は他の人(第三者)に自分の意思を伝える時、具体的に示せない時やど忘れした時に「あれ、それ」という指示語を使っているが、相手も「あれね」「それね」と受けて何となくコミュニケーションがとれている。ここに”空白”の意思の伝達のようなものがあると思う。これって公演とそれを観ている観客の関係のように思える。観ているシーンがどのように繋がっているのか、その空白を制作側から委ねられ観客がイマジネーションで埋めているようだ。

小説家は先の別々の物語を構想していたが、意識混濁の中で物語が錯綜し勝手に展開し出したようだが、何となく付かず離れず微妙な関係・関連性を保ち描かれる。同一作家の無意識下における性格や本音のようなものが浮き彫りになる。真面目、責任感の強い人物、そして重く書き上げる作風のようだ。3つの話は編集者の思惑が反映されるから断続的に描かれるが、それぞれには”殺人”という共通したキーワードが含まれている。それに対する考え方がしっかり示される。物語過程は面白いが、惜しむらくは結末部分が弱いという印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
ホテル・ミラクル7

ホテル・ミラクル7

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/10/04 (金) ~ 2019/10/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

新宿歌舞伎町という歓楽街にあるホテル・ミラクルの一室で繰り広げられる痴態を覗くような感覚の公演。その一室で起こる男女の濃密な痴話を通して人間の、それも身の下相談を見聞きするような面白さがあった。
(上演時間2時間40分 途中休憩あり)

ネタバレBOX

セットは、劇場入口近くにシャワールーム、ベットや冷蔵庫、ソファー、丸テーブルと椅子2脚のリビングセットが配置され、ホテル室内の雰囲気を十分漂わす。客席はL字型で2方向から観ることが出来るが、座る位置によって観え方が異なるかもしれない。例えば、ベット近くに座ると出歯亀(でばがめ)状態だ。窃視(のぞき行為)をしているようで少し背徳感がある。他方、後方客席から観ると客観的もしくは俯瞰したような感覚。それゆえか、ベットはL字のコーナー部分に置かれており、その傍に座った観客(自分)は窃視症かも。
物語は4話+αであり、それぞれ趣の異なる内容で飽きることはなく、むしろドキドキして観ることが出来る。全体観としては、同一の部屋における時間差で起きている事なのか、同タイプの部屋で同時進行している事なのか判然としない。イメージ的には前者のような気がするが、自分としては、何人かの登場人物(役者)が他の話に現れ、話と話の連携があると、一室における痴話からホテル全体としての痴態が浮かび上がると思うが…。

上演順に「Pの終活」(ハセガワアユム 氏) 「光に集まった虫たち」(本橋龍 氏) 「48 MASTER KAZUYA」(目崎剛 氏) 「よるをこめて」(笠浦静花 女史)

「Pの終活」
 3Pの話。中年男・黒田は既婚ではあるが孤独を抱え風俗嬢ユキを指名している。そして黒田は奨学金返済の為この世界にいる理樹を呼び3P行為。しかし黒田の真の狙いは…。1人の中年男がぼんやりとした不安、言葉にし難い心の激情をユキ、理樹を相手にぶつけようと膨らんだ感情話。

「光に集まった虫たち」
 既婚の中年女と年下の彼氏。虫嫌いの彼女の前に虫が現れ、そのうち正体不明の老女も闖入してくる。男女の会話は上滑りし好きという気持もおぼろげで、老女もいるのか居ないのか記憶とも妄想ともつかぬ奇妙な夢を見ているような錯覚に陥る。光という幻影に集まった孤独と情感という心象を描いた話。

「48 MASTER KAZUYA」
 戦隊ヒーローものイメージでコミカルな作風。若者は四十八手の奥義を極めた性豪。性技バトル...その男がある女性を満足させることが出来ない。落胆している彼の下へ師匠が現れ、”好き”とはという初心を思い出させる。人を引き付ける、上手く掴めないもどかしさゆえの魅力の考察を性技に絡めた話。

「よるをこめて」
職場の上司部下で男女関係にある2人。性欲の女(係長)と醒めた男(主任)、ホテルの一室にいるが行為もなく2人の会話はちぐはぐで成り立たない。そこで平社員の男をジャッジとして呼ぶが…。会社組織における関係は逆転し、女は哀願し男は諦念、さらに平社員は2人からアドバイス料として金を受け取るという皮肉。

わけありな男と女、腐り縁の男女、現実と夢の境界線が曖昧な関係、泡沫のような光のゆらめき関係、など色々な男女の関係を官能と寂寥感をもって描き出したオムニバス作品、まさに千夜一夜物語である。公演は、感度が非常に良く(欲)、肌理というか触知性に優れたもの。
次回公演も楽しみにしております。

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